2014-11-23

「どうして解散するんですか?」に見る、教育の敗北と課題

「どうして解散するんですか?」は、どうみても小学四年生サイトには見えない。

それが大きな問題で、それこそが教育の敗北だと思う。

性能の高さと、コンセプトの実現手段ギャップ

今回の一連の騒動で、サイト構築の手際ケチを付けたり、デザインスクリプトの拙さを指摘する声は皆無だ。

まり、「小学4年生」という冠を外せば、サイトとしては良く作られている。

数人のチームで、数日で作り上げたとするのであれば、そこそこの値段が取れる出来だと言える。

問題なのはコンセプトであり、根底にある「小学4年生を騙った政治主張」なワケだ。

そうなると「本気で小学4年生を騙る気だった」と仮定すると、矛盾が生じる。

繰り返しになるが、本件で「彼ら」の技術的な能力は、悪くない。

当然、小学4年生を騙る気なら、小学校自由研究リサーチしたり、場合によってはリアル小学生に作文を依頼するなり方法が山ほどある。

「知り合いの小学生政治に興味を持っていたことに感動したので、我々に出来ることがないかとお手伝いをした。このサイトは我々が作ったが、その主張は小学生のもので、サイトの魂は小学4年生のものだと考えています。(プライバシー配慮して、Twitter上のやりとりは大学生仲介します)」

とかなんとか、いくらでも考えられる。

まり、彼らはコレを「フィクション」や「主張の為のロールプレイ」だと考えていた節がある。

そう考えなければつじつまが合わない程度には、彼らには能力技術動機もあったハズだ。

フィクションにおける政治主張と、出自を騙ることの差異に、無頓着であること

ロバート・レッドフォード監督映画大いなる陰謀(Lions for Lambs)』は、政治色の強い映画だ。

野心的な政治家と、苦悩する記者政治真剣大学生が、軍隊に志願し、大学教授は彼らを必死に引き留める。

そして、かたや能力も才能も持ちながら、怠惰生活を送る白人大学生教授との会話。

怠惰大学生は、その能力を持ちながらTVの前で、自堕落生活に疑問を持ちながらも流されていく。

さて、この「大いなる陰謀」という映画は、フィクションだ。

貧困層黒人前線の無謀な作戦で窮地に陥る点を、「嘘をついている」と批判されるだろうか。

そうではないだろう。

コレは映画であり、明確なフィクションとして、万人に認識されている。

政治的な主張に対して批判こそあれ(リアリティがない・陰謀論に傾いている等はあれども)、映画だ。

彼らは、こういったフィクションと同じ「釣り」を楽しんでいたつもりだったのではないか。

議論の基礎を学ぶ機会がなかった。主張の仕方を修正してもらえなかった。

「彼ら」はきっと、十分に賢いだろう。

たぶん僕よりもずっと記憶力に優れ、計算が速く、試験で点も取れる。

ただ、議論の仕方も、主張の方法を学ばなかった。

小学生を騙れば、「面白い手法」だと言ってもらえる。

最悪でも「炎上して注目を集める」と、学んできてしまった。

事実意見区別すること、主張と人格を分離すること、論理立てて誠実に説明すること。

課題は多い

医者占い師との差と同じようなものだ。

医者として誠実であろうとすれば、「薬には副作用があります」という説明をするしかない。

先祖の供養をすれば、痛みは治まります」と断言は出来ない。

事実意見区別しよう、事実はその裏付けをキチンとしめそうと言ったところで、

既に世の中には、「絶対に」「1000%」「必ず」といった演説や論説が溢れている。

質問時間中に「庶民感覚がない」と言ったり、「漢字を読み間違える」と指摘したりする。

賢く熱心で、議論というモノを理解しようとする子供から、そう言った「手法」を模倣し出す。

例えば、学校制服の有り無しで両論陣に分かれて議論するときに、ヤジを飛ばす。

相手の言い間違いを指摘して笑い、些細な間違いを追求して全体を否定する。

ただ、世の窃盗犯が根絶できないから子供に物を盗むなと叱れないわけじゃない。

モラルのない大人が居るから子供モラルを教えられないわけじゃない。

一つずつ変えていくしかない。まず自分から、そして隣の人へ。

それが「僕らの一歩」だろう。

(例えば、この匿名投稿内の事実はなんだろうか?裏は取れるだろうか?意見は?「なぜ上から目線なんだ?」というコメント価値はあるか?)

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