はてなキーワード: 不利益とは
今時、障害者を障害者雇用で受け入れておきながらこんなこと言うやついるんだなぁみたいな
けどまぁ偉い人に詰められたら問題になるってだけで、こういうトンデモ発言をなぁなぁで許しちゃう会社もあるのかもしれないな
ブクマカやブクマカ兼ねてそうな増田が外資に夢見すぎで糞ウンザリしてるけど、
流石にこのレベルの発言、しかも1on1ではなく、みんなが見てる前で繰り返しかましたら、外資ITなら処されますね
というか外資でもフツーにパワハラやバチバチはあるけど、ここまであからさまな馬鹿は見たことねーです
こんな直接的なトンデモ発言を第三者も見ている・記録も撮れる中でしたら、
会社と自分がどんな不利益を被るか理解するってそんなに高度な要求じゃないと思います。頭におが屑でも詰めてるのやろか?
つか内資の企業でもある程度の規模感ならスムーズに配置換え通るヤツっすな
しかし、これ職場で見ちゃったら何もかもブチ壊してしまいそうだなって思った
だってこれバカキャラやって積極的に絡んで牽制していくの無理なレベルの馬鹿だろ
いじめられている本人が我慢してトンデモ野郎がいなくなる・落ち着くのを待つ選択をしてるなら触るべきではないと頭では理解していても
行政手続法は、1993年に制定された当初、その対象を(1)処分(申請に対する、不利益)、(2)行政指導、(3)届出の3つに限定していた(行手法1条2項。なお「命令等を定める手続」が追加されたのは2005年改正)。この3つは限定列挙である(註1)。
対象がこのように狭く限定されたのは、比較的異論の出難いものに対象を絞り、その実現を容易にしようとした、という政策上の理由だった(註2)。むろん異論を唱えていたのは、手足を縛られたくない霞が関の官僚であり、長年与党に君臨し続けていた自民党である。
宗教法人法は、宗教法人が名称を変更する場合、「所轄庁(文化庁)の認証を受けなければならない」と規定する(宗教法人法26条1項)。認証は、(1)処分、(2)行政指導、(3)届出のいずれにも該当しない(註3)。
以上より、宗教法人の名称変更には行政手続法の適用がない。1997年に前川氏が文化庁宗務課長として決めた、統一教会の名称変更を不受理とする水際対処方針は、違法ではない。
第2次安倍政権の下村文科相下の2015年8月に、この方針が変更され名称変更申請が受理され認証された。この間、行政手続法は数次の改正を受けているが、22年8月現在も認証が対象に含まれないことに変わりはない(註4)。
むろん文化庁の対応が、堂々と胸を張れる正当なものだったかは議論の余地があるだろう。違法性と不当性は別の問題である。違法ではないとしても不当という評価はあり得る。行政手続法が対象を限定したものだったとしても、行政手続の明確性・透明性を図るという精神に反するという批判ができるかもしれない。文化庁の取り扱いは、宗教法人法の恣意的運用であるという批判ができるかもしれない。この点は次の3で考察する。
まずここまでの流れを見ておく。日本の行政は、昭和の時代、各種のグレーゾーンに漂う手法
などが公然用いられる不透明なものだった。どこが担当か明らかにせず、省庁をたらい回しにするなども問題視されていた。
平成に入ると国会は限定的ながら行政手続法を制定した。行政法学における議論の進展、それらを反映した判例法理が、一定の規範を提示する努力をしてきた。しかし、もともと行政が対象とする活動は極めて広範多岐に渡る。それぞれの分野で専門技術的知識が要求される。官僚の高い専門的見識に依存せざるを得ない部分がどうしても大きい。すべてを詳細に法律であらかじめ定めて、グレーゾーンをなくすことは不可能ともいえる。
ところが、それを口実に官僚と政治家は、行政をコントロールする詳細な法律の制定を極力回避しようとする。仕事は誰だって自由気ままにやりたいのだ。都合の悪い話には手をつけたくないのが世の常だ。省庁の業界団体や国民個人に対する影響力は、省庁の権力の大きさそのものである。当然、予算獲得にも影響する。天下りに代表される利権だってあるかもしれない。政治家は口利きで介入できる余地をできるだけ多く残したい。特に閣僚を選出でき、影響力が大きい与党政治家にとっては、政治力と集票力の源泉となる。これらがひどい場合、汚職問題まで発展することになるわけだ。
現在でも日本の行政は運用にゆだねられている部分が大きい。あげ連ね始めれば、文化庁が統一教会の名称変更不受理で行った程度の話など、あらゆる省庁から出てくるだろう。(むろんそれを放置していいと主張するわけではない)
宗教の名を借りて悪徳商法まがいの献金集めを行う集団が、その悪名を隠すために名称変更を試みる場合、端的に拒絶できる仕組みが必要だった。被害拡大を防止して国民を守るためである。あるいはそもそもそのような集団が、宗教を隠れ蓑に宗教法人としての信用・恩恵を得ていること自体がおかしい。宗教法人になることを認めるべきではない。法人化後でも剥奪するシステムを用意すべきだろう。しかし、1997年当時(そして現在も)、そのような仕組みは作られていない。国民を守る法律がなかったことが問題なのだ。作らなかったのは長年与党だった自民党の責任が最大だ。
法律がない中、文化庁はギリギリ違法とはならないラインで、不受理方針を決めた。統一教会が名称変更できなかった不利益を過大評価して、文化庁の方針を不当と断じたらどうなるか。それは統一教会による被害拡大は黙認するという考えと表裏一体である。文化庁の方針を不当とはいえないだろう。付け加えれば、統一教会の名称変更不受理によって、文化庁や前川氏個人が受ける利益は想定できない。ここに私利私欲はない。
一方、この方針を変更して統一教会の名称変更を受理した安倍政権・下村文科大臣(当時)はどうだったか想起してみるべきだ。既に自民党(清和会)と統一教会の関係は、外形的公正性が破綻している。
安倍政権下で私利私欲疑惑が持ち上がるたびに、そもそも従来の行政運用が形式的に法令に乗っ取っていない、違法だという切り返しが政権周辺から繰り返された。清和会がらみだと、通常ではお目にかかれないような擁護の弾幕が張られる。あるべき法がないための苦肉の運用がなされている時、形式論で法令通りの運用に戻しただけとうそぶき、私利私欲を満たすのが政治家の仕事ではない。国民のために必要な立法を行い、法改正をするのが政治家の仕事である。
統一教会は朝鮮半島の被害者性を根拠に、日本からお金と女性を韓国のために献上することを正当化するかの教義を掲げている。これまで霊感商法や合同結婚式で多くの日本人被害者を出してきた。政府自民党は長年にわたって、そのような団体と政治的に連携してきた。国民に注意喚起すべきところ、安倍政権下では逆にお墨付きを与えたと捉えかねない言動を強めた。
統一教会問題は、政府自民党がそのような団体と明確に手を切り、国民を守るために責任ある態度に転換できるか否かが本質である。
註1 塩野宏「行政法Ⅰ」有斐閣(第3版、2003年)p249
註2 藤田宙靖「行政法Ⅰ(総論)」青林書院(第4版、2003年)p151
註3 前川氏が「「認証」は事実を認定する行為を指し、「許可」や「認可」とは性質が異なります。」とわざわざ指摘しているのはこの意。
より正確には、認証とは、一定の行為や文書の成立・記載が正当な手続によってなされたこと(事実)を行政が確認する行為。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/308472
https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/gyoukan/kanri/tetsuzukihou/faq.html#Q01
いま夕方。
今朝から、妻との離婚を真剣に考えるようになったので吐き出す。
2年ちょっと前に夫婦で話し合ってから、セックスを含む身体的接触はしないことになっている。
妻とは子供を育てる同僚のような感じ。会話も普通にするし、冗談も言い合う。
おそらく外から見ると仲の良い夫婦だろうし、実施に仲が悪くはない。
今朝あったことの前提として。
私が都道府県をまたぐ1泊の出張に行き、出張から帰った翌日の夜から咳が出るようになった。
咳が出るようになった夜を「1日目」とすると、2日目の朝に上の子が39℃近い発熱をし、私も身体がだるかった。
3日目に私と下の子が発熱した。この時点で上の子も下の子も病院で検査を受けたがコロナではなく、私は市販のキットで抗原検査をして陽性の反応が出た。
5日目に妻が発熱した。6日目に妻と子どもたち(既に体調は回復)が市販のキットで抗原検査をしたら、妻は陽性、子ども達は抗体があるという結果だった。
私は、出張翌日も上の子とは接していない(深夜に帰宅し早朝に出勤した)ことや、私よりも上の子の発熱が早かったことから、私と上の子の感染経路は別と考えている。
妻は、私が出張先で感染してきて、上の子に感染させたと考えている。
本当なら、一昨日から妻と子供たちは帰省していたはずだが、妻の両親に余計な不安を与えないため、帰省は取りやめになった。
今日、本来であれば、私は知人の結婚披露宴に出席予定だった。もちろん、妻にもそのことは以前から伝えていた。
先ほどの数え方で13日目くらい、妻は私に対して「子ども達の夏休み中は、接待や会食を控えて欲しい」と言い、私は当然のことだと答えた。
子ども達が夏休み中に感染すると、学期中に比べて子ども達もかわいそうだし、妻の負担も大きいというのが主な理由だった。
この「接待や会食」に、結婚披露宴は含まれていない、というのが私の考えだった。
実際、その後も披露宴に出るから今日の夕飯は作れない(週末の炊事は私の分担)という話も妻に私からしたりしていたし。
しかし、妻から、今朝になって披露宴の出席は取りやめるか、出席するなら5日間ほど帰宅しないか、どちらかを選べ、と言われた。
私が、披露宴は取りやめなろと言われてないと思っていたと反論すると、妻は、飲み会に行くなと言った時点で私が自分から出席を辞退するべきだった、
今の時期に披露宴をやるのは非常識だ、と取り合ってくれなかった。
私は、妻の言っていることに納得は出来なかったが、説得は不可能と判断し、熱が出たと嘘をついて欠席の連絡をした。
どうも、その後も私が不満げな顔をしていたらしい。黙ってはいたが、表情や仕草に出ていたのだろう。
妻は私に対し、自分(妻)を悪者にするな。悪いのはお前だろう。コロナになっても看病は私(妻)に押し付けるくせに。披露宴をやる人間、それに出席する人間、どちらも非常識なのに私を悪者にするな。
当日の朝になって欠席しろと言われた時点では、腹が立った。なぜもっと早く言ってくれなかったのか。
しかし、それは特に婚姻生活に影響のない感情だ。こういう意見の違いは、私と妻の間でよく起きる。
ただ、その後、私が欠席を連絡したにもかかわらず、私や私の友人をなじり続けたのを見て、この人と関係を維持できない、と思った。
私は、テーブルにパーティションが置かれた状態でマスク会食をする披露宴で感染する確率は低いと思っているが、確証はない。
実際に感染してしまったら、私より妻に(主に子の看病の点で)負担が大きくなるのも妻の言うとおりだ。
だけど、価値観の問題として、欠席を当日に要求するならば、要求するまで出席するつもりでいたことを批難するのべきではなく、
むしろ欠席を決めたことに形式的にだけでも礼を言うくらいで良いのではないか、と思っている。
それから、恐らくは披露宴を挙行することに葛藤したであろう私の知人を非常識と批難したことに、怒っている。
どちらが良い悪いの問題ではなく、私はこの先も、このようなことが起こることに耐えられる自信が無い。
現在、一家4人で、私が親から相続した家に住んでいる。家賃ゼロ。ローンもない。
妻が希望するなら、私が家を出て、この家は子ども達が成人するまで無償で(固定資産税や火災保険は私が払って)住み続けて欲しい。もちろん、妻が実家に戻るなら私がこの家に住む。
子ども達の親権者は当然、妻になるだろう。養育費は、妻が働かないならば子供2人分で毎月12万円くらいか。妻が働いたら毎月10万円くらいになりそう。
蓄えは少なく、預貯金とその他の資産を合わせても200万円くらいだ。離婚するならば、預貯金は妻に、積立て式の財産は私に分与すれば、妻に不利益にはならないだろう。
私は家を出て、職場の近くに一人暮らしをすることになるだろう。毎日往復80分の通勤時間がなくなるのは楽だ。
子ども達と一緒に暮らせないのはさみしいが、今も週末以外は顔を合わせないくらい朝早く出て夜遅く帰っているから、妻が面会交流をこまめに認めてくれるのなら、実はあまり変化がないのかもしれない。
現在は家に毎月30万円くらいを入れているから、養育費と一人暮らし分の家賃、水道光熱費を足して30万円を下回るのなら、私の小遣いが減ることもない。
そう考えると、離婚も良い選択肢なのかも、と前向きになってきた。
離婚をためらうのは、ステータスが「婚姻中。2児の父」から「バツイチ単身」に変化することで社会的信用が低下するというところが大きい。
別に今の生活を続けても、1年に1回か2回、今回の件のようなことがあるのをやり過ごせば良いだけだ。だとすると、離婚しない方が体面は保てる。
そのことをずっと、悩んでいる。
妻は明日、子ども達を連れてママ友とショッピングモールに行くといっているから、明日もゆっくりとこの問題について考えよう。
吐き出してすっきりした。読んでくれた人、ありがとうございます。
今回の件に関する意見や、離婚することについての意見、離婚した人の経験談など、いただけると嬉しいです。
(以下、書いた翌々日(8/8)朝の追記)
こんなに反応があるとは思わなくて驚いた。
離婚しろ派、やめとけ派、妻を批判する人、私を批判する人、色々な意見を聞けてとても嬉しい。
他方で、私が一方的に自分の視点だけから書いた増田で賛否が拮抗するなら、もし妻側の意見も明らかになったら私が相当批難されるのだろうな、と思った。
離婚について、1日(といっても、10時半頃に妻子をショッピングモールまで送り、17時頃に迎えに行くまでだから半日以下か)ゆっくり考えた。
結論はまだ出ていない。
いくつかのブコメやトラバで「子供のことは蔑ろか」という趣旨のものがあった。これにはもう「すみません」としか言いようがない。
もともと仕事にかまけて育児は殆どしていない。週末だけの父親。たまに子ども達が起きている時間に私が帰宅すると大騒ぎになる。
寝る時間が遅くなり体調を崩すから、妻から、帰宅する時間は夕飯前ぐらいの早い時間にするか、子ども達の就寝後にして欲しいと言われている。
結果として、子ども達と平日に夕飯を共にするのは1か月に1日あるかないか。
だから、離婚しても子ども達との関わり方それ自体にそこまで変化はないだろうと考えている。
何より、私が今まで見てきた他人の離婚で、離婚したことにより子が不幸になったというように見えるものがあまりない。
もし私が子ども達を不幸にしているとしたら、離婚に寄ってではなく、これまでも既に不幸にしてきたし、離婚しようがしまいがこれからも「両親の不和」という形で不幸にし続けるのではないか、と考えている。
なんか今、議員と旧統一協会との繋がりを一人ひとり確認する流れになっていて思うのだけど、これ、議員がもし旧統一協会の信者だった場合どうなるんだろうね。
その場合、正直に答えるなら、「私は旧統一協会の信者なので、当然同じ教会員には応援してもらっています」ということになるのだろうけど、今の状況でこれが世の中に受け入れられるとは思わない。
なので、適当にお茶を濁した発言をするしかないのだと思うけど、それを詰めていくことは、実質的に旧統一教会員か否かの踏み絵を踏まされているのに近いのではないか。
よく考えるとこれは怖いことだ。
企業が人を採用するときに、受験者にその信じている宗教を尋ねることは厳に慎むべきとされている(厚労省による)。それを採用選考に持ち込むことは、信教の自由を侵すことになるからである。
今回の件に即していえば、受験者が旧統一教会の信者であるかを確認し、それを採用判断に用いることは厳に慎むべきということだ。
日常生活においても、人にその信じてる宗教を尋ねることはしにくいのではないか。
私は友人がどこかの宗教組織に属しているかどうか、確認したことはないし、確認するつもりもない。
友人との今の関係が全てだし、宗教を確認することでその関係に変化を与えることは望んでいないからだ。
翻って、議員に対して実質的に信じている宗教を明らかにするような問い詰めを行うことが許されるかどうかということだが、
私は議員に対してだろうが、このような問い詰めは許されないと考えている(つまり、自分が信じている宗教を明らかにする必要はないということ)。
旧統一教会は、宗教法人法に基づき、文化庁により認証された宗教法人の一つである。
旧統一教会員であることが周囲にバレることで不利益を被る可能性があるのであれば、信教の自由のもと、旧統一教会員であることを隠すことは許される。
(さらに言えば、「旧統一会員ですか」と聞かれたときに、「私は旧統一会員ではありません」という答え以外は旧統一会員とみなされる可能性があるため、
旧統一教会員であっても、「私は旧統一会員ではありません」と嘘を付くことも許されると考えている)
旧統一協会を例にすると変な反発を生みそうなので、他の新興宗教を例にしてもいい。
日本には旧統一協会に限らず、カルト的とみられている新興宗教は幾つもある。
それらを一つ一つリストアップしたうえで、議員にそれらの新興宗教との関わりを尋ねることは、信教の自由を犠牲にするほどの価値があるのだろうか。
(そもそも、ある宗教がカルトかカルトでないか何て明確に切り分けできるのだろうか)
今重要なことは、議員個人の宗教的属性を明らかにすることではなく、
現に宗教問題に苦しんでいる信者やその家族などに対して、新たな法的手段を含め何らかの支援の手段を講じるということではないか(言うは易く行うは難しではあるが)。
(議員の宗教的属性がどうであれ、これにきちんと取りくんでくれるのであれば問題ないのではないか)
なお、私は、信教の自由の観点から、宗教問題は2世問題が一番重要だと考えている。
幼い頃から半強制的に親と同じ宗教に所属させられることが多く、実質的な信教の自由が保障されていないことがままあると考えるからだ。
私の印象では、2世問題が政治的に大きく取り上げられたことは無いと思っているので、これを機にこの観点からの議論が進めば大きな前進だと考えている。
……って、仕事が忙しいから休めないとか休むと仕事で不利になるとかも勿論あるけれど
精神科とか脳神経内科に行ったらそれだけで保険の加入がアウトになるなんて知らなかった
私自身は何ら変わっていないというのに、病院に行って診察を受けたというただそれだけの事で扱いが大きく変ってしまう
政府やメディアは国民に対して病院に行け行けと啓発するだけじゃなくて
こういう明らかな不利益を何とかして欲しい。
これじゃあ自覚症状があっても病院に行かず、何とかやり過ごそうとする人が多くなるに決まっているでしょうに。
保険についてはこうなる前の若いうちに入っておけって話なんだろうけれど、若いうちはお金がなくてちょっとの保険料すら払えなかったんだよねえ
プロではないけれど学生時代に選抜される程度には熱心にボールを追いかけていた私がお答えしよう!!!
(1)サッカー選手自身はアレかっこいいと思ってやってるんですか?
➡️特に何も考えてないぜ!!
君が息をすることを意識しないように、ほぼ無意識でイタイイタイ出来るんだっ
(2)「ここでアピールしてファール取れれば戦況有利になるからひと芝居やったるか!」って思ってやってるんですか?
➡️その通りだぜ!!
普段の練習から「お、ここファールチャンスやん!」と腕を磨いているんだ!
(3)それとも本気で痛がってるんですか?
でも稀に痛い。超痛い。でも誰も信じてくれない…。
➡️するぜ!!
といっても、友達とのふざけ合いとか、有名選手ファールの真似っこでやる感じだぜ!
(5)小学生くらいからサッカー始めたとして、何歳くらいからああいう大袈裟に倒れて痛いアピールするようになるんですか?
高学年にもなるとみんな悪知恵も付き始めるからね!
ピュアな子ほど転ばすに頑張ろうとしているから、応援してあげると嬉しいぜ!
(6)最初にやったときはやはりちょっぴり恥ずかしかったりするんですか?
➡️うん…。
(7)試合後、監督とかチームメイトから「なかなかよかったよ」的な言葉をかけられたりするんですか?
➡️その通りだぜ!
そのファールから点が決まったり失点を阻止したり、チームの勝利に貢献したときは評価を得るぜ!
(8)アレにまつわるトリビアがあれば教えてください。
➡️まあ、見苦しいよね、ごめんね。
しかしながら「プレイヤーの相互監視によって危険行為のデメリットをより高めて、選手が積極的に安全にプレイする」システムなのよ。
ちょっとでと違反行為したら不利益をもたらす仕組みをみんなでつくってるのよ。
審判を子供にやらせたり、ルールがよく分かっていない方が審判すると『肘で腹を打つ』『スパイクで足の露出部を狙う』『倒れ込むときに膝で潰す』など腐れ外道のクソ野郎が悪事を働くのです(恨)
もし貴方が許せるのであれば、選手がアレしたときには「あぁ可哀想でちゅね〜」「イタイイタイでちゅね〜」「わぁ!自分でおっきして偉い偉い」とあやしながら鼻で笑っていただけば幸いです😌
プロではないけれど学生時代に選抜される程度には熱心にボールを追いかけていた私がお答えしよう!!!
(1)サッカー選手自身はアレかっこいいと思ってやってるんですか?
➡️特に何も考えてないぜ!!
君が息をすることを意識しないように、ほぼ無意識でイタイイタイ出来るんだっ
(2)「ここでアピールしてファール取れれば戦況有利になるからひと芝居やったるか!」って思ってやってるんですか?
➡️その通りだぜ!!
普段の練習から「お、ここファールチャンスやん!」と腕を磨いているんだ!
(3)それとも本気で痛がってるんですか?
でも稀に痛い。超痛い。でも誰も信じてくれない…。
➡️するぜ!!
といっても、友達とのふざけ合いとか、有名選手ファールの真似っこでやる感じだぜ!
(5)小学生くらいからサッカー始めたとして、何歳くらいからああいう大袈裟に倒れて痛いアピールするようになるんですか?
高学年にもなるとみんな悪知恵も付き始めるからね!
ピュアな子ほど転ばすに頑張ろうとしているから、応援してあげると嬉しいぜ!
(6)最初にやったときはやはりちょっぴり恥ずかしかったりするんですか?
➡️うん…。
(7)試合後、監督とかチームメイトから「なかなかよかったよ」的な言葉をかけられたりするんですか?
➡️その通りだぜ!
そのファールから点が決まったり失点を阻止したり、チームの勝利に貢献したときは評価を得るぜ!
(8)アレにまつわるトリビアがあれば教えてください。
➡️まあ、見苦しいよね、ごめんね。
しかしながら「プレイヤーの相互監視によって危険行為のデメリットをより高めて、選手が積極的に安全にプレイする」システムなのよ。
ちょっとでと違反行為したら不利益をもたらす仕組みをみんなでつくってるのよ。
審判を子供にやらせたり、ルールがよく分かっていない方が審判すると『肘で腹を打つ』『スパイクで足の露出部を狙う』『倒れ込むときに膝で潰す』など腐れ外道のクソ野郎が悪事を働くのです(恨)
もし貴方が許せるのであれば、選手がアレしたときには「あぁ可哀想でちゅね〜」「イタイイタイでちゅね〜」「わぁ!自分でおっきして偉い偉い」とあやしながら鼻で笑っていただけば幸いです😌
生理で不利益を被る女性のための配慮のために動くことがセクハラになるぐらい強くセクハラはけしからんと思ってるのなら
今どき女のくせに男の食い物を食うなんてなwとか気軽に行ってくるおじさんとかもどうにかしてほしいわ
いや、声がデカくて攻撃的なマイノリティ基準で社会構築してもクソみてぇだよな、としか思わん。
なんでごくごく少数のために多数が不利益被るの?多数決って知ってる?
この場合、少数派は切り捨てるんじゃなくて、個別対応で受け入れられる豊かな社会にしていこうねっていうのが多分、理想なので。
女性でも男性でもないその他としてトイレも更衣室も分けようぞ、でいい。多目的トイレ的なものを更衣室でも作れっていう運動なら反発も少ないだろうに。
そんで逆に見た目が女でしかない人が男子トイレとか男子更衣室に入ってきたらどうなん?と。
でもきっとそういう人は筋力で男に負けるから入っていかないんじゃないかと思ってる。
だからって男が全員犯罪者と思っているわけじゃなくて、リスク管理。
私は統一教会2世として生まれて、成人してから徐々に信仰が薄らいでいまでは信仰は無い。死ぬほど貧乏だったり精神病んだりで色々とツラい思いもした。
だから統一教会とも関わりたくないしたくさん愚痴を言う場所もほしい。
でも、反カルトにも近づきたくない。反カルトの核心に近づけば近づくほど、統一教会信者を暴力的に拉致し監禁してきた「拉致監禁ビジネス」と縁のない者の割合は薄れていく。いまテレビで活躍している弁護士だってかなり怪しい。下の資料は「青春を返せ訴訟」(統一教会を霊感商法関連で訴えた有名な裁判)で原告側代理人だった伊藤弁護士の証言だ。彼が統一教会の信者側に立って証言するのはあまりにも不利益が大きい。それゆえに真実性がある。本当にあの弁護士たちは大丈夫なのか??
http://antihogosettoku.blog111.fc2.com/blog-entry-112.html
相手がいくらカルトであろうと、信者を路上で10人がかりとかで無理やり車に連れ込み、窓やドアも全て南京錠をかけて部屋に閉じ込めて何ヶ月も時には十年以上も監禁するのは、人権侵害以外の何物でもない。
この拉致監禁を直接に実行するのは親族だから、反カルトは「家族との話し合い」などと言うが、近い知り合いに被害者が複数いて内情をよく知っている自分としては、こんなもんは「話し合い」ではなく「拉致監禁強制棄教」としか言いようがない。反カルトの例外的な逸脱でもなく、これが常態化していた。だから、近い知り合いに被害者が複数いるのだ。被害者は数千人に及ぶはずだ。ツイッターでも拉致監禁経験者(統一教会を脱会したから統一教会にも批判的だが拉致監禁にも反対している人達)は探せばいる。
いま話題になっている統一教会関連の学術書を書いている人だって、著書の中で拉致監禁に関与した人物を「脱会カウンセリング」の専門家として紹介している。アカデミアの腐敗もいいところだ。
どうせこの機会に統一教会の闇はたくさん暴かれるからそれはそれでいいのだが、反カルトの闇は放置されるのだろう。
こんな状況じゃ信仰を棄てた2世としては誰も頼れない。正義の味方のふりをしている社会が憎い。
追記1
これは統一教会側の人のブログ記事ではあるけれど裁判資料に基づいているので無視もできない内容。統一教会研究第一人者の櫻井義秀は、「拉致監禁強制棄教」経験者を「自発的脱会者」としてカウントしているという告発。事実なら研究不正。統一教会も関わりたくないが反カルトの欺瞞はもっと気持ち悪い。
http://suotani.com/archives/2198
追記2
拉致監禁されて脱会した人の中には監禁の時のトラウマでずっとPTSDで苦しむ人もたくさんいる。監禁中に脱会説得者(牧師であることが多い)にレイプされたケースもある。餓死寸前に追い込まれた人もいる。自殺した人もいる。人権侵害のてんこ盛りみたいなものだぞ。これじゃどっちがカルトなのかわからない。
何言ってだこいつ、と言われそうだが、本当にそう見えるのだからしょうがない。
小〇代表、ひろ〇きさん、竹〇さん、先日の宗教の代表、辻〇議員。
いずれも白くぼうっと顔の部分が浮き上がっている。
顔色とか肌の色ということではない。なんなんだろね。
同じようにぼうっと白く浮き上がってる。黒人でも。
たいてい肌ツヤはよく見える。
逆に、重厚で誠実な人間は、浅黒くどっしりとした顔つきになる。
物理的な暴徒とかは、ぼうっと浮き上がることはない。
あと多くの人を、間接的・直接的に扇動して動かして自分の利益にした人、なども白く浮き上がる。
別に自分はエスパーでもなんでもないがw、最近はネットの顔写真も高画質になったことが原因だろうか。
たしかに詐欺っぽい人間は白っぽくツヤツヤして浮き上がってたように思う。
画像から感じられてしまうレベルというのは、そんなプチ詐欺師をはるかに超えた詐欺を行って、
世界の法則は必ずバランスが取れるようになっていることを思うと、
彼らがどうなっていくかを考えると非常におそろしい。
ジェンダーギャップについて取材を受けた。女性であることを理由に被る不利益や抑圧や様々な被害について話しながら「男性には男性の辛さがあって」「(女性らしさだけでなく)男性らしさの押し付けもあって」と挟んでしまう。その話はしてないのに。「男性の読者」を怒らせないように振る舞ってしまう。
なんでこれが悪いのか、正直よくわからない。「男性には男性の辛さがあって」とは本当は思っていないということなのだろうか。少しでも思っているのだったら、それはむしろちゃんと伝えるべきだと思う。
女性への差別と「男性の辛さ」さはそもそも無関係ではない。「ちゃんと働いていないこと」への否定的な視線は、男性は女性の5倍ぐらい受けている。そのことは「男性の辛さ」の一つであるが、それが労働市場で女性が差別されていることと無関係ではないどころか、「男は女子供を養って一人前」というジェンダー規範の表れという意味で、きわめて密接に関わっている問題である。自分も「男性の辛さ」を論じる際は、必ず女性差別と一緒に論じることをむしろ心掛けている。
戦うべき相手が男性一般だと考えているから、上述のツイートになってしまうのだろう。しかしその考えは間違いである。本当に戦うべき相手は、既存のジェンダー秩序である。だとすれば、「男性の辛さ」は必ず同時に論じなければならない。決して男性の読者に媚びる媚びないという問題ではなく。