はてなキーワード: ポロとは
出会って10年近くなる友人に友達がいを感じない。学生時代からベッタリの三人組だったがアラサーになっても未だにしょっちゅうあっている。あってるときは楽しいけど、帰ってきたときと雑談の電話を終えたときの徒労感がすごい。
うち一人は喪女仲間とはいえ明るくてさばけていていいやつだなと思う。はっきりいうけど、相手が傷つくことはこらえるし、困ってるときには力になってくれて頼もしい。
けどもうひとりとは今更になって恨む気持ちが沸いている。
大学生のころ、私が研究に打ち込んでいたのをいつも「社会人になったらもうあそべないんだよ」と責めて、「なんのために勉強するの?なんのために大学いってるの?教えてよ!」と苛立っていた。本人も大学に行っていたし(しかも特待生だった!すごい)、それなりに興味のあることだったはずだがとにかく不安な様子だったから就活中だから仕方ないと受け流していた。
正直、もちろん学生の研究なんて一銭にもならないし、今は関係ない事務職してるし、好きだからしてるんだよとしか言いようがなかった。というか行ってるなら自分で考えるか、意味がないと思うならやめるかしかないだろって思ったけど、そんなの突き放すみたいで言えなかった。こんなにナーバスな状態なんだし、って思った。私は普通の借り入れ型の奨学金で行ってたけど、行って良かった。いまも返してる……
本当になんでこんなにこいつは私を責めるんだと疑問だった。
特に驚いたのが、社会人なりたてのときに二人で出掛けたとき。私の会社は製造部門がある。結局事務職になったけど研修期間は製造に配属になったらそりゃ大変だから、不安もあるってポロッとこぼしてしまった。すると、「製造なんて底辺だ」とか「私はそうならないように就活したから」と一緒にショッピングモールを歩いているときに言われた。
正気か?と愕然とした。友達が不安を打ち明けたときに、そんなそこまでマウントとるようなこと言えるんだろうか、って本当に驚いた。もし、自分がこれからのこと悩んでる友達にそう言われたとして、そんなこと言えんのか?とかそもそも考えるのか?って思ったら、あまりの考え方の違いにゾッとした。これやってけんのか?って寒くなった。そのころすでに出会って5年目くらいだったから気づかないもんだなと思う。
それからもいろいろそうことがあって無理かなぁって思っている。私はオタクで腐女子なので絵なんかも書いたりする。書いた絵はツイッターにのせて、すこしばかりハートをいただいて毎日の糧にしているが、それもお互いみせあっていた。私はかなりのマイナー嗜好で、友達二人と分かち合えないこともあつた。寂しいけど萌えがないとめんどい絵なんてかけないので諦めている。しかし友達は自分もオタクなのにとにかく口出ししてきて「理解できないことはやめろ」とか「気持ち悪い」とか、そんなんばっかで私は耐えきれず絵を消した。実は布教もしたけど、そのこは全く受け入れてくれず暴言じみたこともいい、私はへとへとになってしまった。もう一人は読むだけ読んでくれた。これが普通だとおもう。理解できなくても友人が大好きなものなんだから見てみるか、見てあげようかって思うものだと思う。
自分の考える大事な相手の扱い方とあまりにも異なるので、私のことが嫌いなのかと思うとそれもちがうっぽい。
はっきりいって、嫉妬とか妬みとかそういうことなんだと思う。私が優れてなくても、前向きにやってるとかかんばってるつていうのですらイラついてるみたいだ。それはさすがに性格なので勘弁してくれと思うけど気持ちが制御できない様子だ。
でも頑張ってツイッターのアカウントを私たちと切り離した。めにつかないようにしようとしたらしい。でも結局見ていたみたいで、私が仕事に悩んでいるツイートをしたらかなり過剰に刺さってしまったらしくかなりきつく、じゃあもう誘わない今までも不快だったんだろう忙しいのにごめん、さよならみたいなことを言い出した。
なんとなく、私も文面そのものが言いたいわけでなく、負担になってしまったんだろうかとかやっぱり心配してくれたのが独特に翻訳されたんだろうとわかった。
でも、そりゃないだろって思った。私もそういわれて泣けたし、無理かもと思った。結局私のツイッターも見てるし。お互い気にしないようにしよう!見てもいいしてか見てると思ったよって話して落ち着いたけど、正直今はつまらないことでも私のこと知ってほしくない。顔も見たくない。軽蔑するようなこと言われたジャンルは降りてしまった。いまのジャンルも彼女が見てると思うと身動きがとれず、せっかく交流が持てた人たちがいない鍵つきアカウントで呟いている。大したこと話してないからと言ってるが、正直本拠地になりそう。いずれつまんなくなるだろうとおもう。また、ジャンルから去ることになるかも。恨んでしまう。
上の件の仲直りの電話も、最初は申し訳なさそうにしてたけど最後は私に対する嫉妬や妬みをストレートに言っていた。半分冗談で、自分はそういう人間だって卑下半分本気半分これからも付き合うなら覚悟してって内容だった。あとは最近の雑談。私がもういいよっていったから、全部忘れたって感じだった。気が緩んで、笑って許したけど、そっちは言ってスッキリしたかもしれないけど、電話のあと私はがっくりきた。
ちなみにもう一人の友達は私の鬱ツイートには反応せず、でも簡単でも心配してるよと声をかけてくれた。
無理かも、無理かもとダマシダマシやって来たけどまた無理かもと思ってしまった。頑張って少し離れようと思う。大事な友人にしておくためにも本気のつもり。
大体、感じたことは多くの人と一緒だろう。つらく、悲しく、恐ろしい。
アニメーション会社としてとても評価されているところだし、会社は立ち直れるかもしれない。(まだわからないけど)
でも……生き残った社員は?
事件の原因は、火だそうだ。
放火、というのは何かピンとくる言葉じゃない気がする。明らかに人を狙った事件だからだ。
焼き殺した、というのが一番近いのだろう。でも二字熟語じゃないからちょっとデジタルでタイプするには言葉がモゴモゴする。
グーグルで検索したら焼殺、とか焚殺とかが出てきた。うーん、これはこれで馴染みない。
完全鎮火が午後3時20分頃とのこと。
多分それからきちんと現場の状況を確認できるようになって、時間が経つに連れ続々と死者の確認数が増えていった。
焼けて死ぬのは苦しい。
死ぬのは大抵辛くて苦しいが、焼け死ぬのはその中でもかなり苦しい方だ。
なんとか逃げてきた人の中に、ガソリンのようなものをかけられた人が居たそうだ。
体の上をごうごうと焼き尽くす。すごく痛いし、苦しい。実際に見たことはないけど、気道が焼けるなんてこともあるらしい。
料理で火を使ったことがある人は分かるだろうけど、意外と、料理って中々奥まで焼けない。なんか頭の中のイメージより焼けないんだよな。
まだ中の大事なところまで焼けないのに、ずっと体の上が焼けて痛いのは相当、苦しい。
他にもいろいろ。
全員ではないだろうが、そんな死に方をしてしまった人も居て、それを見てしまった人がいる。
一緒に働いて、仕事の相談したり、作業を頼んだりしていた相手が。
そんなショックな状況が、アニメーションという仕事と結びついてしまう。
社員の中にはこの会社を続けられないだけではなく、アニメーションという仕事自体を続けられない人も出るのではないかと思う。
自分たちが作り上げてきた作品をどこかで目にして、苦しんでしまう人が。
勿論、ただの不安からくる過剰な心配かもしれない。そうだったらただオレが心配性のバカなだけだしな!
でも、渦中の人たちは我々、ニュースを見て案じる人間とは「別の苦しみ」を感じているのは何となく心に留めて置いたほうが良いと思う。
「もっとつらい」という言葉選びはピンと来ない。間違ってるとかじゃなく、なんか言いたい意味が伝わりづらいなと思う。
ニュースを見る人たちの不安も悲しみもホンモノだし、それを安く感じてしまうような言葉選びはよくない気がする。
だから「別の苦しみ」と言うようにする。
我々の感じてる苦しみとは、また別の苦しみを感じている彼らのことを想っておくと、なんか今後の行動への自戒になるんじゃないかな。
怒ったり、悲しんだり、不安になると、つい変な発言をポロっとしがちだ。時には当事者や他の悲しんでる人のためにならないようなことも。
つらい気持ちを抑えたり、コントロールするのはすごく大変だけど、頑張りたい。
具体的に、こうした方が良いとかこういう発言をネットに乗せるのはやめたほうがいい、とか言えたら良かったんだけど、うまく思いつかない。ごめんな。
たぶんはっきり言えたほうがみんな安心すると思うんだけど。悪いけど、個々人で、善いと思うことをやっていってほしい。
亡くなった方に対して、なんと祈ればいいのか分からないところがある。
だって想像するだけでとんでもなく怖くてつらい死に方だ。考えただけで怖気づく。なんて言えばいんだろう。
せめて、生き残った人の怖さや苦しみが早くやわらぎますように。
ポイ捨てする奴は何処にでもいるようだ。
(1分以内に自販機があり、横に缶捨てはある)
(マックは近所にないから、30分以上かけて歩いてきてココでわざわざ捨てた
or 家で食べてわざわざ自販機横に捨てた ちなみに、ゴミ袋は有料ではない。曜日に出せば良い話)
なんかもう、クズばっか。
意識せず、鞄からポロッと零れ落ち気づかなかったなら仕方がないけれど
意識して捨てているのはもう論外だな。臓器も捨てちゃったほうが良いと思う。
タバコのポイ捨てをする奴の100%は、歩きタバコをしている。本物のクズだ。
そもそも、「ポイ捨てはいけないこと」という基本が分からないって
私は自身がオタクであると自認しているが、ツイッター等で語彙力低下した奇声を上げるオタク諸氏と比べると執着・感情が薄い方だと思っている。もちろん推しキャラはいる(いた)が、そこまで熱心にコンテンツを追いかけた試しがないし、数か月で冷めて離れてしまう。
リアルの人間関係も特定の人とべったり仲良いということはあまりない方だ。
だが、そんな私がこっそり十余年におよび執着している対象がいる。相当気持ち悪い怪文書ポエムになる気がするので、ここでネットの海に放流しておく。
それはまあ、要するに昔好きだった人(実在)のことなのだが。理由を後付けで推察するなら、私がクラスでいじめられてて誰も口を聞いてくれなかった時に、最初に普通に接してくれたのがその人だったからだと思う。
うんうん、イイハナシダナー。
でもそれだけである。この同級生Tとはその後ほとんど接点がなかった。当時人間関係にびくつきながら生活していたスクールカースト下層地味真面目オタク族の私は、今でいう所のウェイであるTに自ら話しかけることすらなく卒業した。
イイデスネー。
青春の甘さ控えめの思い出デスネー。もちろん私も卒業したら忘れるだろくらいのつもりでいた。ところがそれ以来10年以上、私誰かに恋愛感情を抱いたことがない。
そして私の脳内のとある機密性の高いフォルダは新しいデータで上書きされることなく放置されてしまった。
だが、それでも、たまに、
動悸すらするようなキラキラした感情を抱きたい気分の時がある。
世間に蔓延する恋愛を歌った歌詞やポエムの意味を理解したい時がある。
到底口に出せないこっぱずかしい妄想と共に眠りたい時がある。
そこはハッピーなオタクのパワーの面目躍如というやつで、推しがいる時は推しでいい。何せ私は割と夢女寄りだし。しかし冒頭の通り、私は感情の薄いオタクなので、心躍る推しがいない時期が結構多い。
そんな時には私はTの残像を引っ張りだしてきた。当然、卒業してから会ったこともないし、今どこで何をしてるかも知らない。当時の人物像と感情を、私は大事にしまい込み、引っ張り出し、焼き増しし、繰り返しコピーしては眺めてきた。最早擦り切れて原型を留めていないその人物像を、流石に私もリアルの人物とは捉えられない。人は変わるのだから「このT」はもうどこにも存在しない。どちらかというと偶像とか概念に近い。
いつの間にか、この残像への執着はどちらかというと二次元の推しに対するそれに近くなっていた。
自分は関わりを持てないし(ほんとは持ちたいけど)持たなくていいけど、
そういう存在になってた。
自分でも意味不明だし超キモイと思うけれど、「推し」って言葉が一番近い。語彙力の足りないオタクなので他に表現しようがない。でも聞いてください!!!三次元に!!推しがいるってハッピーなんですよ!!!何せ推しが生きている限りオワコンにならない!!!どんな覇権アニメでも最後は過去の物になるけど、今日も推しはどこかで寝て起きて(たぶん)仕事してごはん食べてるんですよ。え?お前何も知らないだろって?うるさいな!!あくまで私の手元に届いてないだけで毎日新規コンテンツが生産されてるんだよ!すごい!!
………。
そんな心持ちでいる。
Tには日本の(きょうび海外かも)どこかで元気にやって欲しい…。
しかし、時代の変化はすごい。私の妄想エアコンテンツではなく、正真正銘本物の新規コンテンツを突如投下してくる。いつだって現実は空想を凌駕するのだ。
そう、フェイスブック(FB)である。陰キャオタクの私はFBが流行りだした当初、当然のように忌避して近寄らなかった。しかしある時気づいた。この恐ろしいツールを使えば疎遠になってしまった同級生とかTとかTとかの最近の情報が分かるのでは???いやあまりに恐ろしい。まさしくパンドラの箱である。
私はTがいかにクソなウェイ野郎になっていても全然かまわないつもりでいた。何せかつてTHE・クソガキという感じのうるさくて下品でおふざけの酷い子供だった彼である。ちょっと(反社会的な意味での)素行の悪い噂すら耳にしていた。オールオッケーである。
よし、好奇心には逆らえない。
…探した。
…見つけた。
かくして、そのアカウントのプロフ写真に写っていたのはウェイ感の欠片もない黒髪眼鏡地味男だった。
あまりに記憶と似てないので他人のアカウントかと思って五度見した。ほとんど公開情報はなかったが、共通の友達欄といくつかの項目的に本人に間違いない。全然違う、違いすぎる。首をかしげながらスマホを回転させ、十n年前の写真とも比較した。私が人の顔をあまり識別できないタイプなのもあるが、わからない。混乱を招いている眼鏡部分を手で隠したりして十度見くらいした結果、やっぱり本人と認めざるを得なかった。
……。
現実による予想鋭角斜め上の襲撃を私は受け入れられなかった。
だってそうだよ。かつてクラスの皆が避けてた奴と平気でヘラヘラ話すようなパワフルなウェイだったから私は救われたのです、好きだったのです。断じて私の推しは、こんな工学部キャンパスで周囲の9割を占めていたような第一印象オタクマンではない。強いて言えばキ・モ・オタクではなく清潔感のあるオタクといった感じなのは救いだが、そういうことではない。人は見た目で判断すべきでないし、スーツの写真だったので地味に見えただけかもしれないがやっぱりそういうことではない。私は数日睡眠妨害を受けた。
しかしこれが現実である。10年も経てば人は別人というのは常々思っていたはずなのに、どこか都合良く除外対象に入れて現実逃避していただけだ。
(友達申請についても検討したが、もうブームがひと段落して放置されているアカウントが目立つ時期だったし、Tは当時の同級生とあまり繋がっている形跡がなかったのでやめた。申請して「誰だよコイツ(申請拒否ポチー」とかされたら一生立ち直れる気がしない。)
私はそのプロフ画像を直視できるようにならないままFBをそっ閉じした。
そしてちょっとだけ上書きした推しの概念をまた脳内にしまい込んた。
脳内と現実の乖離が激しくなってしまったが、とりあえず推しが元気にしてるならそれでいい。だが、現実は予想だにしない方向からパンチを入れてくる。
私にはKという昔からの友人がいて、Kは同級生だった当時Tと仲が良かった。今でこそ私はKとかなり親しくしているが当時はそこまでてなく、Kを接点にしてTと関わることはなかった。そしてKは根っからの厄介オタクなので、Tやその周囲のウェイ達と親しくしているのが当時不思議だったものだ。クラスの友達関係なんて進級や卒業で薄れてしまうことはあるし、Kが当時の同級生について言及したことはほぼなかったため、とっくに関わりないものと疑わなかった。
しかし最近、KがポロッとTについてしかも明らかに最近のTについて言及したのだ。私は飲みの席で一気に目が覚めて飛び上がった。
そして「何か近況聞いてるなら教えてよ~」と言ったのだけれど、「そういうのを口が緩いって言うんだよ」とぐうの音も出ない正論でスルーされてしまった。Kはこういう奴なのだ。ぐう。
しかしここで布団にくるまれてぐるぐるする思考の中、あることに気付いた。Kの友人ということは友達の友達である。ノード2つ先である。二親等の祖父母の忌引きですら3日休める。めちゃくちゃ近い。存在がリアルすぎる。「友達の兄が聞いてきた話」みたいなのとは格が違う。
私は青ざめた。Tは実在人物でこそあれ、もう接点のない準架空存在であると思えばこそ推しとかなんとか言って気持ち悪い感情を向けていたのである。このキモさはリアルな人間に向けていいものではない。
アカン。
大体向こうの立場になってみろ。そんな奴いたかぁ程度の同級生から半永久的に執着されてるなんて意味不明すぎて、寒気で震え上がるわ。自分だったらお祓いに行く、うん。
……。
でも多分、この脳内のこじれて肥大化したフォルダを今更捨てるとかは無理だ。絶対何かの拍子に思い出してしまう。執着というのは中毒性の高いドラッグのようなもので、これまでの執着が重りになって足を引っ張る。天井まで2/3くらいになった時のガチャくらい恐ろしい。
以上、自分が何を思って何に執着しているのか最近よく分からなくなってしまった。
ところで米津玄師のLemonって歌あるじゃないですか、もっといい歌たくさんあると思うけどテレビだと妙に推してるやつ。この前初めてちゃんと聞いてみたら、超いい歌で感動した。サビの「今でもあなたは私の光」っていい言葉だなぁ。うん、そういうことだよ。
もし、もしも、どこかでまた会うことがあったら、変にならない範囲で、お礼を言いたい。
「覚えてないだろうけど、知らないだろうけど、助けてくれてありがとう」と。
でもこれも、ただの一連の空想でしかない。そんな機会は万に一つくらいしかないでしょう。
そして私は、未だに直視できないFBのプロフ画像を風景写真とかに変えられてしまう前に保存しておくべきか悩んで、スマホをそっ閉じして現実に帰ります。
http://b.hatena.ne.jp/entry/lastline.hatenablog.com/entry/2019/04/24/105404
これ、半分くらいはその通りなんだけど半分くらいは詭弁っぽい。
5はそもそも人間よりもモンスターの方が多い。また、誰と結婚しても回復役はベホマが使える主人公や勇者である男の子であろう。補助としても、フバーハやスクルトが使える男の子の方が有用である。
つまり女キャラ(嫁&女の子)は全員「何の役割もない役立たず、ルイーダに放置してOK」扱いなわけで
男キャラでそういう扱いなのは、全作通してもトルネコとテリーくらいなのに。
6は序盤こそミレーユが補助に回りがちだが、回復役としてはベホマを覚えるチャモロの方が適任であろう。そもそも、職業システムのため最終的に誰を補助役にするかはプレイヤー次第である。これは7も同様で、キャラクターの性別は固定されているが役割分担は職業次第である。
職業次第と言っても、女キャラはアイラ以外全員(ミレーユ、バーバラ、マリベル)が
「力や装備できる武器が弱く(=肉弾戦には向かず)、MPが高い(=魔法を使わせるのが向く)」キャラなので
が6,7共に特技が強いため攻撃魔法はそもそも使わない人が多く、上記の女キャラは回復・補助役として使う人が大多数。
11では回復や補助役はセーニャかロウであり、男女ともにいる。どちらも、ベホマとベホマラーが使える。また主人公もベホマを使用できる。ベホマズンを使えるのは、主人公とセーニャのため、この点を考慮するとセーニャの方が回復向きだろうか。
ロウは攻撃魔法も使えるし、主人公は物理攻撃が主体だがセーニャは回復が主な役割。
中盤のみ攻撃も出来るようになるが、ロウ一人だけじゃ回復が足りずセーニャも回復専門で使う人が多い(装備の都合上、回復と攻撃両方同時にはさせにくい)。
ついでにローラ姫、シンシア、ターニア、ミーティア、エマといった
戦うパーティキャラではなく(エマは超序盤のみ加入するがアイテム補助と応援しかしない)
FFについては大体が育て方次第ってのはその通りだが、
役割分担が明確な4はローザが「回復キャラ+物語上も典型的ヒロイン」だし
やはり回復専門キャラであるポロムは敢えて無視したのか存在を忘れたのかどっちなんだ。
あと1や3を性別不詳とするのも無理があり過ぎる(あれ女だと思ってるプレイヤーいたのか?)
つーか3は「少年たち」なんだから男だろうよ(リメイクで全員に名前と個性をつけられて、男3人女1人になったが)
やはり後付けだが1の主人公として他作品に出ているウォーリアオブライトも男だし。
2の主人公もフリオニール一人だろう。5も明確にバッツが主人公。6は微妙(開発中はティナが主人公扱いだったが後付けで全員主人公扱い)だが。
・RPGって探索や戦闘はゲームだけど育成やアイテム集めの部分はゲームとは似て非なるなにかだよね
三行しか読めない人向けまとめ終わり
少し前に、友達との付き合いからとあるソーシャルゲームを始めてね。友達をゲームに誘ってチュートリアルを終わらせるとなんかいろいろ貰えるよーってアレね。いやーしかし友達誘えってのはあれだね。マルチ商法だね。はしたないね。でも宣伝しつつ遊ばせつつ辞めさせにくくさせるには最高の手段ではあるよね。
それは置いといてだ。
そのゲームを始めてチュートリアルの初期段階はまあそこそこ楽しめたんだよ。一応ゲームになってたからね。目の前に与えられた課題に対していくつかの選択肢の中から自分なりの正解を選んでいく遊びとして成立していたからね。行動順とバフ・デバフと属性を管理するだけの遊びではあったけど、与えられたカードの中から自分なりの最適解を導く過程を感じられたよ。
始めて1時間ぐらいした辺りは実際楽しかった。このステージではこいうギミックを越えさせたいんだろうなとキチンと伝わってくる丁寧なレベルデザインと、程よい難易度のバランスがあって、なるほど想像よりもしっかり作り込まれているなと感心していた。……のだけどね……そっから1時間ぐらいした辺りから、もはや手応えなんて言葉では表現できないような数字の暴力が始まっていくんだ。
それまで「このキャラとこのシステムをこう使っていくんだぞ」っていうデザインだったステージが、「このキャラをこれぐらいまでレベルを上るか。同じぐらいの攻撃力のキャラをガチャから引いて持ってくるんだぞ」という風になってきてな。それが等加速度直線運動でひたすら酷くなっていんだよ。そして数日ほどすると、確定配布のキャラはレベル上限が見え始めてきて、覚醒だの強化だのと言った言葉と共に「今ならガチャが安い!今だけ!一週間以内にガチャ買え!早く金払え!」みたいになってな……。まあそれはいいんだ。
問題は、そこで金を払わないと凄まじい待ち時間や単調な作業を繰り返してようやく進めるかどうかになってきたゲームの難易度(って言葉で表現したくはない適当に入れたような数字の上昇)や、そこで金を入れた所で結局はひたすら数字を大きくするだけの作業の繰り返しだって事実への邂逅だよ。カンタムロボ最終回の慟哭みたいなもんだ。終わりのないパワーアップとインフレの繰り返しの果てに何があるんだろうっていう虚無感さ。
俺は友人にギブアップを伝えたよ……。
勘違いしないで欲しいんだが、俺がギブアップしたのは課金誘導だとか時間をやたら浪費させようとすることだとかじゃないんだ。
今後頑張ってレベルアップや星5収集を行って戦力を整えてステージをクリアしても、それが自分の力によってステージを攻略したこととは別物に思えてしまったからなんだよ。結局それは積み上げた時間やお金によるものでしかなく、その過程によって磨かれた自分のプレイヤースキルじゃないんだろうなってことさ。
ちょっと話を逸らすけどさ、「銀と金」っていう漫画に『金の橋』っていうギャンブルがあるんだ。薄暗い部屋に名画の贋作と真作が置かれていて、それをちょっと遠くから僅かな明かりを頼りに本物を選んでみろっていうギャンブルだ。この話が単にそれだけだとよくある千と千尋の神隠しのラストみたいな奴でしかないんだが、福本伸行だけあって面白いこと考えてるのよ。金の橋っていうギャンブルはその名の通り、金を払うことでその金の厚み(1万円札で)と同じだけ絵に近づくことが出来るっていうルールがあるんだ。もし真作を当てた所でほぼ儲けがゼロになる事さえ覚悟すればほぼゼロ距離まで絵に近づけますよってぐらいの距離なんだなこれが。それでまあ絵画商のオッチャンは流石に暗くてよく見えねーってことでかなーり近くまで絵に近づいていくのよ。その過程のコンコルド効果と、それに飲まれてアップアップになって目利きへの自信が薄らいだり逆に過信になってきたりするのが面白いわけさ。でも結局このギャンブルの肝は目利きでさ、異常な空気に飲まれながらでもめっちゃ近くまで来たなら、本物の目利き商なら贋作ぐらい何とか見極められるはずなのよ。最後にものを言うのは金じゃなくて腕なのね。そういうのってやっぱいいよね。競技ってのこうじゃなくちゃ。最後は腕で決まらんとね。
さて、それじゃあ話を戻すけどさ。RPGとかで作り手に言われるままに強い装備を集めてレベルを上げて、そうしてそれらの積み上げた数字の力で勝利するのって果たしてプレイヤーの腕によるものだって言えるのかね?もし俺が他人にそう聞かれたら反射的に「バカ言ってんじゃねえよ。前提がおかしい。ドラクエはボタンを押すだけでいつの間にかクリア出来ちまう所が国民的なんだよ。誰でもクリア出来ることの何が悪いんだ」と言っちまう気がするのよ。でもそれって、結局の所は育成要素にはゲーム性がありませんってのを認めてるようなもんだよな。友達の頭が悪いことを馬鹿にされて、コイツはバカだけど人当たりは良いから単なる悪口野郎よりもずっと社会に必要とされてると思うぜって反論するのは、結局そいつの頭の悪さについては認めてることになるっていうあのパターンね。
でもまあ多少なら良いと思うんだよ。育成要素が強すぎてゲーム性がそれにより薄められちゃうのもさ。ひたすらストイックなだけなのも辛いし、下手くそは上手い奴と一緒に遊べませんってせずにハンディキャップ与えてもらえるチャンスがあるのはいいことさ。でもそれをやりすぎたらさ、ゲームがゲームじゃなくなると思うんだわ。その境界線をどこで引くかなんだろうな。俺から見ると、ひたすら育成要素がドカドカ出てくるゲームはもはやゲームには見えなくなっていたけど、俺にそれを進めて結局俺が途中で飽きたからってことで俺の端末借りてチマチマ二人羽織りでクリアして限定キャラゲットした友人からすればゲームなんだよな。
好みの問題でしかないんだってことは分かってるよ。昔からポチポチしているだけのゲームが大手を振ってゲームだと言ってきた歴史はさっきも言ったようにドラクエが証明してる。それが悪いとは言わんし、あのゲームの成長速度は程よいし、たまに詰まって1時間ぐらいレベリングしてから挑み直すときのワクワクはなかなかのもんさ。まあ時間感覚の違いなのかもなあ。俺からすれば「一ヶ月レベリングをする」とかはもうゲームじゃねえだろっていいたくなるわけだが、MMOとかずっと一日中やってる人からすればそれはゲームだもんなあ。でもなあ。ポロっと引いたレアキャラが今まで工夫してようやく倒した敵をただポチポチするだけでなぎ倒していく様子を見ちゃうとさあ……これは本当にゲームなのかあって感じちまうんだよ。
夫のちんぽが入らないっていうのがちょっと前に話題で映像化もされたけど、あれは物理的にまんこに入らないんだっけ。読んだことないから知らんけど。
私たちの場合は違って、彼氏が二次元にしか勃起しなくて射精できないというケース。彼氏はいわゆるリョナラーで、どんなのでヌクかは絶対に調べるな、調べたら別れると言われてるので詳細はわからない。時々ポロっとこぼすのを拾えば、二次元自体にも性欲を覚えるわけではなく、あるシチュエーションでないとダメらしい。
付き合おうとなったとき、彼はそんな自分の性的嗜好についてまず語った。そもそも今まで40年生きてきて一度も女性にちんこいれたいと思ったことはない、潔癖症だからキスもできないしマンコに触ることもしたくない、それでもいいなら、と言われ、納得して私は付き合った。納得してはいたのだけど。
私は、潔癖症で電マ以外ではヌケないヌク時も勃起しないという男と長い間付き合ってたことがある。朝勃ちを利用してマンコにいれたら射精したことはあったけど、それも5年以上付き合って2回ぐらい。とはいえ、私とその男とはSMでいうマゾ奴隷と主人の関係にあったので何時間もフェラしたり野外露出したりオナニー見せ合ったりと、挿入以外ならあらゆる変態性行為をしてたりしたので、性的な満足感はあった。おかげで単なる挿入よりは靴べらで尻叩きされたほうが性的満足を得られるような女になったわけだが。
彼氏は基本的にサディストなので性的には噛み合ってる。具体的な性行為がないだけで。挿入したいなら他の男と付き合っていいとまで言われている。そうやってセフレ作る許可を得ているのに、作る気にはなれない。昔は5股とかしてたけど、公然と了解を得るとかえってその気が無くなるのだろうか。ポリアモリーなら全員の合意を得なきゃいけない面倒さがあるし。厄介なことになっても嫌だし。
私としては、ちんこを入れても入れなくてもいいけど、性行為はやっぱり必要だ。性行為で自己肯定感を得ているところがあるので、皆無だと突然不安感に襲われて泣き出してしまったりした。彼氏にそれを話すと、妥協してくれるようになった。挿入なしのセックスをしよう。私たちなりのセックスをすればそれでいいじゃないか。
彼氏にとってセックスはすごくしんどいものらしく、最初はおっぱいを触るのも嫌だったようだ。抱きしめる行為には自分も気持ちよさがあるけど、おっぱいを揉んでも何も感じない、という。それでもおっぱいを揉んだり素股を少ししてるうちに、マンコに手袋した指を入れたり、ディルドを入れて動かすことまではしてくれるようになった。やりたくないのに悪いねというと彼氏は「与える喜びはあるんだよ」と笑ってくれる。それでも月一が限度。コンディションを整えた上で月一が限界という。
私は年に一度か二度すごく性欲が強くなることがあって、誰でもいいからセックスしたいと思うぐらいなんだけど、今月は頭痛がするレベルで性欲が強かった。彼氏にお願いしたんだけど、たまたま年度末で忙しいこともあって、断られた。大喧嘩になった。毎週しろと言ってるわけじゃない、月一でいますごく辛い時期に応じてくれたらあとはスルーでいいのに。普通のセックスみたいにオチンチン勃てて腰動かすなら確かに体力もコンディションも必要だけど、ぶっちゃけ指入れて動かすだけなので挿入セックスより体力使わないはずでその程度すらできないのかよ!という気持ちが抜けなかった。あなたの愛情はそんなものなの?
彼氏は言った。最初はセックスすらできないと言ってたのに今はこうして指入れるぐらいになってる、何年かしたらチンチン入れてもいいかなと思うかもしれない、とはいえ自分にとってセックスはやはりしんどいもので臨機応変には対応できない、それでも君を愛している。だからなるべく対応してあげたいと思ってる。
彼氏がそう言ってくれて、私の辛い気持ちをわかろうとしていると思ったら、とりあえず感情の爆発はおさまった。一時的なものかもしれないけど。
本当はセフレ作った方がいいかもしれないけど、やっぱり彼氏を愛しているし、彼氏以外には触られたくないなと思ってしまう。どうしたらいいかわからないけど誰かに聞いて欲しかった。リアルでこんな話できないしね。
※ちょっと補足的に書いてみた。
オレは大学を引きこもりで休みまくって周りから心配されまくった経験がある。友達の気持ちは少し分かる。
ココから引きこもりの考えとして書くことは、俺が引きこもり時代を振り返って書くことだからな。
あなたみたいな友達に誘ってもらえるっていうのは、引きこもりにとってすげー嬉しいのよ。親や社会の目を気にしてビクビクしながら生きていく肩身の狭い身において、ほぼ唯一の安らぎなのよ。
友達との楽しい飲み会がいつのまにか「この引きこもりの仲間をどうするか真剣に考える会」になってるっていうのは良くある。あれはめちゃくちゃ辛い!気持ちがありがたい分、辛い!
働いてないからといって哀れむのを止めてやれ。
もしそれが「もう働きたくねーよ!」とかだったとしても、その感情を受け止めてやれ。
そういう怒りを出し切ったあとに、何かをやりたいとか思うかもしれない。
たとえ、状況が進展しなくても悲しまないでやれ。
マブロポロス氏は非営利団体「国際固形廃棄物協会(International Solid Waste Association)」の会長を務めており、事故当日はナイロビで開催された国連環境計画(UNEP)の年次会議に出席する予定だったという。
しかしマブロポロス氏が搭乗口に到着したのはゲートが閉まってから2分後だった。その後に続くフライトを予約したが、空港職員は搭乗しようとした同氏を空港内の警察署に向かわせた。
マブロポロス氏は「警官が私に抗議せずに神に祈れと言った。なぜなら私は墜落したET302便に乗らなかったただ一人の乗客だったからだ」と、ショックをあらわにして述べた。マブロポロス氏が搭乗しなかった唯一の乗客だったため、身元の照合や搭乗しなかった理由などを職務質問する必要があったと空港当局は説明した。その後同氏は解放された。
https://r25.jp/article/648041577767859763
ロマンティックラブ+一夫一妻式の結婚モデルの弊害というのは確かに色々あって、そうではないモデルを提示することで一部の人の生き方に何らかの救いを与えよう、みたいなコンセプトは分かるんですよ。でも、どう考えても森林さんの役割分割モデルのほうがやっていくのが非常に難しいのは自明で、なんでかっていうと、人間にはカラダは一個しか無いからなんですよね。
家庭のパートナーとして掃除洗濯する必要のあるとき、育児授乳する必要があるとき、一方はそれをやってて他のパートナーと乳繰りあってるような状況にも、逆に自分のことを抱いて欲しいのに無関係の家のトイレ掃除を優先されてるような状況にも、多くの人は耐えられないんですよ。
恋愛をするにもセックスをするにも家庭をやっていくにも、リソースが必要で結局そのリソースの根源は「この私のカラダ」なわけで、そのリソースの分配の管理はとてもたいへんでどうしても契約や約束ごとが絡んできてしまう。揉めないために議事録とりましょうみたいな。いや、完全にみんなが個人として独り立ちしてたらっていう人もいるんだけど、それはもうすでに結婚観の話ではなく、独身で各々好き勝手やっていこうという身も蓋も無い話になり、結構、現代で採用されちゃってて少子化してますよ。
あとこの手の話で思い出しちゃうのが宮台真司という先生で、色んなロマンティックラブ以外の恋愛観や結婚観を唱えてたりしてて、森林さんとかよりも学者っぽい概念とか使って説得力もそれなりにあったりなかったりだったんだけど、割と歳をとったときに自分の好みの性格のすごい若い奥さん貰って結婚しちゃったんですよね。そんでウェブサイトに娘の写真あげるような子煩悩なパパになっちゃった。彼の今までの理屈からすると、今でも外に女がいるかもしれないし、いてもいいと思うんだけど、やっぱり表立って外に女いるとは言わないし、そういう性のモデルを実践せよと言う理屈はトーンダウンしちゃたよね。ポロっと口説かれたとかってバラしちゃう女の人が数年前にブログ書いてた気がするけど。
何が言いたいかというと、若いとき、元気なとき、性欲やカラダのリソースが有り余ってるとき、男の人は自由恋愛のロジックを組んで披露して実践するわけです。でも、年をとったらどんどん撤退していく。なんでかっていうと、そもそも結婚というのは恋愛のためでもセックスのためでも無くて、家庭を作るためのものだからです。生活のセーフティネットを作った上で繁殖する場だからです。恋とセックスはおまけみたいなもんでしか実は無い。リソースが無くなっていったらセーフティネットを作ろうと巣を作りはじめるのはとても自明なことで、宮台先生みたいに性欲兄ちゃんがいいパパになっちゃうような人の話を何人分きいてもダメで、森林さんが60歳になっても同じこと言って同じ生活して沢山の女を抱いて生きていたら、もう一度話を聞いてみてもいいかな、と思いました。
あと、恋愛とセックスと家庭を一致させるのって、それらを分割させた上でリソースマネジメントするよりはるかに楽ですよ。十人の人を口説くより、昨日まで好きだった人をずっと好きでいたり、また好きになったりするなるほうがはるかに簡単なんじゃないでしょうか。