https://r25.jp/article/648041577767859763
ロマンティックラブ+一夫一妻式の結婚モデルの弊害というのは確かに色々あって、そうではないモデルを提示することで一部の人の生き方に何らかの救いを与えよう、みたいなコンセプトは分かるんですよ。でも、どう考えても森林さんの役割分割モデルのほうがやっていくのが非常に難しいのは自明で、なんでかっていうと、人間にはカラダは一個しか無いからなんですよね。
家庭のパートナーとして掃除洗濯する必要のあるとき、育児授乳する必要があるとき、一方はそれをやってて他のパートナーと乳繰りあってるような状況にも、逆に自分のことを抱いて欲しいのに無関係の家のトイレ掃除を優先されてるような状況にも、多くの人は耐えられないんですよ。
恋愛をするにもセックスをするにも家庭をやっていくにも、リソースが必要で結局そのリソースの根源は「この私のカラダ」なわけで、そのリソースの分配の管理はとてもたいへんでどうしても契約や約束ごとが絡んできてしまう。揉めないために議事録とりましょうみたいな。いや、完全にみんなが個人として独り立ちしてたらっていう人もいるんだけど、それはもうすでに結婚観の話ではなく、独身で各々好き勝手やっていこうという身も蓋も無い話になり、結構、現代で採用されちゃってて少子化してますよ。
あとこの手の話で思い出しちゃうのが宮台真司という先生で、色んなロマンティックラブ以外の恋愛観や結婚観を唱えてたりしてて、森林さんとかよりも学者っぽい概念とか使って説得力もそれなりにあったりなかったりだったんだけど、割と歳をとったときに自分の好みの性格のすごい若い奥さん貰って結婚しちゃったんですよね。そんでウェブサイトに娘の写真あげるような子煩悩なパパになっちゃった。彼の今までの理屈からすると、今でも外に女がいるかもしれないし、いてもいいと思うんだけど、やっぱり表立って外に女いるとは言わないし、そういう性のモデルを実践せよと言う理屈はトーンダウンしちゃたよね。ポロっと口説かれたとかってバラしちゃう女の人が数年前にブログ書いてた気がするけど。
何が言いたいかというと、若いとき、元気なとき、性欲やカラダのリソースが有り余ってるとき、男の人は自由恋愛のロジックを組んで披露して実践するわけです。でも、年をとったらどんどん撤退していく。なんでかっていうと、そもそも結婚というのは恋愛のためでもセックスのためでも無くて、家庭を作るためのものだからです。生活のセーフティネットを作った上で繁殖する場だからです。恋とセックスはおまけみたいなもんでしか実は無い。リソースが無くなっていったらセーフティネットを作ろうと巣を作りはじめるのはとても自明なことで、宮台先生みたいに性欲兄ちゃんがいいパパになっちゃうような人の話を何人分きいてもダメで、森林さんが60歳になっても同じこと言って同じ生活して沢山の女を抱いて生きていたら、もう一度話を聞いてみてもいいかな、と思いました。
あと、恋愛とセックスと家庭を一致させるのって、それらを分割させた上でリソースマネジメントするよりはるかに楽ですよ。十人の人を口説くより、昨日まで好きだった人をずっと好きでいたり、また好きになったりするなるほうがはるかに簡単なんじゃないでしょうか。