私は自身がオタクであると自認しているが、ツイッター等で語彙力低下した奇声を上げるオタク諸氏と比べると執着・感情が薄い方だと思っている。もちろん推しキャラはいる(いた)が、そこまで熱心にコンテンツを追いかけた試しがないし、数か月で冷めて離れてしまう。
リアルの人間関係も特定の人とべったり仲良いということはあまりない方だ。
だが、そんな私がこっそり十余年におよび執着している対象がいる。相当気持ち悪い怪文書ポエムになる気がするので、ここでネットの海に放流しておく。
それはまあ、要するに昔好きだった人(実在)のことなのだが。理由を後付けで推察するなら、私がクラスでいじめられてて誰も口を聞いてくれなかった時に、最初に普通に接してくれたのがその人だったからだと思う。
うんうん、イイハナシダナー。
でもそれだけである。この同級生Tとはその後ほとんど接点がなかった。当時人間関係にびくつきながら生活していたスクールカースト下層地味真面目オタク族の私は、今でいう所のウェイであるTに自ら話しかけることすらなく卒業した。
イイデスネー。
青春の甘さ控えめの思い出デスネー。もちろん私も卒業したら忘れるだろくらいのつもりでいた。ところがそれ以来10年以上、私誰かに恋愛感情を抱いたことがない。
そして私の脳内のとある機密性の高いフォルダは新しいデータで上書きされることなく放置されてしまった。
だが、それでも、たまに、
動悸すらするようなキラキラした感情を抱きたい気分の時がある。
世間に蔓延する恋愛を歌った歌詞やポエムの意味を理解したい時がある。
到底口に出せないこっぱずかしい妄想と共に眠りたい時がある。
そこはハッピーなオタクのパワーの面目躍如というやつで、推しがいる時は推しでいい。何せ私は割と夢女寄りだし。しかし冒頭の通り、私は感情の薄いオタクなので、心躍る推しがいない時期が結構多い。
そんな時には私はTの残像を引っ張りだしてきた。当然、卒業してから会ったこともないし、今どこで何をしてるかも知らない。当時の人物像と感情を、私は大事にしまい込み、引っ張り出し、焼き増しし、繰り返しコピーしては眺めてきた。最早擦り切れて原型を留めていないその人物像を、流石に私もリアルの人物とは捉えられない。人は変わるのだから「このT」はもうどこにも存在しない。どちらかというと偶像とか概念に近い。
いつの間にか、この残像への執着はどちらかというと二次元の推しに対するそれに近くなっていた。
自分は関わりを持てないし(ほんとは持ちたいけど)持たなくていいけど、
そういう存在になってた。
自分でも意味不明だし超キモイと思うけれど、「推し」って言葉が一番近い。語彙力の足りないオタクなので他に表現しようがない。でも聞いてください!!!三次元に!!推しがいるってハッピーなんですよ!!!何せ推しが生きている限りオワコンにならない!!!どんな覇権アニメでも最後は過去の物になるけど、今日も推しはどこかで寝て起きて(たぶん)仕事してごはん食べてるんですよ。え?お前何も知らないだろって?うるさいな!!あくまで私の手元に届いてないだけで毎日新規コンテンツが生産されてるんだよ!すごい!!
………。
そんな心持ちでいる。
Tには日本の(きょうび海外かも)どこかで元気にやって欲しい…。
しかし、時代の変化はすごい。私の妄想エアコンテンツではなく、正真正銘本物の新規コンテンツを突如投下してくる。いつだって現実は空想を凌駕するのだ。
そう、フェイスブック(FB)である。陰キャオタクの私はFBが流行りだした当初、当然のように忌避して近寄らなかった。しかしある時気づいた。この恐ろしいツールを使えば疎遠になってしまった同級生とかTとかTとかの最近の情報が分かるのでは???いやあまりに恐ろしい。まさしくパンドラの箱である。
私はTがいかにクソなウェイ野郎になっていても全然かまわないつもりでいた。何せかつてTHE・クソガキという感じのうるさくて下品でおふざけの酷い子供だった彼である。ちょっと(反社会的な意味での)素行の悪い噂すら耳にしていた。オールオッケーである。
よし、好奇心には逆らえない。
…探した。
…見つけた。
かくして、そのアカウントのプロフ写真に写っていたのはウェイ感の欠片もない黒髪眼鏡地味男だった。
あまりに記憶と似てないので他人のアカウントかと思って五度見した。ほとんど公開情報はなかったが、共通の友達欄といくつかの項目的に本人に間違いない。全然違う、違いすぎる。首をかしげながらスマホを回転させ、十n年前の写真とも比較した。私が人の顔をあまり識別できないタイプなのもあるが、わからない。混乱を招いている眼鏡部分を手で隠したりして十度見くらいした結果、やっぱり本人と認めざるを得なかった。
……。
現実による予想鋭角斜め上の襲撃を私は受け入れられなかった。
だってそうだよ。かつてクラスの皆が避けてた奴と平気でヘラヘラ話すようなパワフルなウェイだったから私は救われたのです、好きだったのです。断じて私の推しは、こんな工学部キャンパスで周囲の9割を占めていたような第一印象オタクマンではない。強いて言えばキ・モ・オタクではなく清潔感のあるオタクといった感じなのは救いだが、そういうことではない。人は見た目で判断すべきでないし、スーツの写真だったので地味に見えただけかもしれないがやっぱりそういうことではない。私は数日睡眠妨害を受けた。
しかしこれが現実である。10年も経てば人は別人というのは常々思っていたはずなのに、どこか都合良く除外対象に入れて現実逃避していただけだ。
(友達申請についても検討したが、もうブームがひと段落して放置されているアカウントが目立つ時期だったし、Tは当時の同級生とあまり繋がっている形跡がなかったのでやめた。申請して「誰だよコイツ(申請拒否ポチー」とかされたら一生立ち直れる気がしない。)
私はそのプロフ画像を直視できるようにならないままFBをそっ閉じした。
そしてちょっとだけ上書きした推しの概念をまた脳内にしまい込んた。
脳内と現実の乖離が激しくなってしまったが、とりあえず推しが元気にしてるならそれでいい。だが、現実は予想だにしない方向からパンチを入れてくる。
私にはKという昔からの友人がいて、Kは同級生だった当時Tと仲が良かった。今でこそ私はKとかなり親しくしているが当時はそこまでてなく、Kを接点にしてTと関わることはなかった。そしてKは根っからの厄介オタクなので、Tやその周囲のウェイ達と親しくしているのが当時不思議だったものだ。クラスの友達関係なんて進級や卒業で薄れてしまうことはあるし、Kが当時の同級生について言及したことはほぼなかったため、とっくに関わりないものと疑わなかった。
しかし最近、KがポロッとTについてしかも明らかに最近のTについて言及したのだ。私は飲みの席で一気に目が覚めて飛び上がった。
そして「何か近況聞いてるなら教えてよ~」と言ったのだけれど、「そういうのを口が緩いって言うんだよ」とぐうの音も出ない正論でスルーされてしまった。Kはこういう奴なのだ。ぐう。
しかしここで布団にくるまれてぐるぐるする思考の中、あることに気付いた。Kの友人ということは友達の友達である。ノード2つ先である。二親等の祖父母の忌引きですら3日休める。めちゃくちゃ近い。存在がリアルすぎる。「友達の兄が聞いてきた話」みたいなのとは格が違う。
私は青ざめた。Tは実在人物でこそあれ、もう接点のない準架空存在であると思えばこそ推しとかなんとか言って気持ち悪い感情を向けていたのである。このキモさはリアルな人間に向けていいものではない。
アカン。
大体向こうの立場になってみろ。そんな奴いたかぁ程度の同級生から半永久的に執着されてるなんて意味不明すぎて、寒気で震え上がるわ。自分だったらお祓いに行く、うん。
……。
でも多分、この脳内のこじれて肥大化したフォルダを今更捨てるとかは無理だ。絶対何かの拍子に思い出してしまう。執着というのは中毒性の高いドラッグのようなもので、これまでの執着が重りになって足を引っ張る。天井まで2/3くらいになった時のガチャくらい恐ろしい。
以上、自分が何を思って何に執着しているのか最近よく分からなくなってしまった。
ところで米津玄師のLemonって歌あるじゃないですか、もっといい歌たくさんあると思うけどテレビだと妙に推してるやつ。この前初めてちゃんと聞いてみたら、超いい歌で感動した。サビの「今でもあなたは私の光」っていい言葉だなぁ。うん、そういうことだよ。
もし、もしも、どこかでまた会うことがあったら、変にならない範囲で、お礼を言いたい。
「覚えてないだろうけど、知らないだろうけど、助けてくれてありがとう」と。
でもこれも、ただの一連の空想でしかない。そんな機会は万に一つくらいしかないでしょう。
そして私は、未だに直視できないFBのプロフ画像を風景写真とかに変えられてしまう前に保存しておくべきか悩んで、スマホをそっ閉じして現実に帰ります。