はてなキーワード: パターンとは
時折、女児や若い女性は我々の憎むクソババアどもとは違うという希望を抱いている男性を見ることがある。
あるいは、海外の女性は日本のクソアマどもとは違うという希望のパターンも見られる。
残念なお知らせだが、女はいくつだろうがどこにいようが女。イケメンには媚びるしブサイクやチビハゲは差別する。小学生女児は隣の席が弱者男性予備軍男児なら大袈裟に泣きわめく。白人女性はアジア人男性を決して選ばない。
そういうことよ。
どういう人かというと、 料理でレシピを守らないでオリジナリティを出そうとするのと同じように 読んでるそばからまだ理解できてないのに都度都度自分流にアレンジしちゃう人。
本を読んでいちどその通りに実践するができない。
本を読んでいるように見えて、本を使って自分語りをしてるだけであり、まったく読んでないのと殆ど変わらない。
まぁ今回のケースでは本を読んですらいないけど(youtubeの解説動画見てるだけ)
本を読んですらいないのに、YouTubeの解説動画だけみてわかったつもりになってドヤ顔で語るということ自体
「本を読むとはどういうことか」がまるでわかってない。
そんな人が「本を読んでまとめました」といっても
実際に垂れ流されるのは本の内容とはずれたただの「本人の自分語り」でしかない。
やたらオリジナルに拘っていたけれど、オリジナルのレベルが低すぎてお話にならない。
四次元殺法コンビのいう<「誰もやらなかった事に挑戦する」とほざくが大抵それは「先人が思いついたけどあえてやらなかった」ことだ>パターンしかできない。
悲しいことに。
https://twitter.com/nanashi61323635/status/1105390967333384193
こういう話って、本を出す前に原稿を読んでくれる友達さえいれば気付ける話だったのだけど
そうはならなかった。
結局本を出すまで気付けず、直前まで「自分の本は素晴らしい」と思い込んでいた。
それどころか「売れっ子になっちゃったらどうしよう」とかばかり気にしてた。
「売れっ子作家になったり、他に色々あってお金がたんまり入ってきたときは、しばらくスマホ触らないリフレッシュ期間とかを設定しよう」みたいなことを言っていた。
ここまで自分を客観視できない者が「病まないメンタルを作り上げるための方法」みたいなのを語っても誰もまともに相手してくれないだろう。
「病まないためのコツは、現実を直視しないことです」ということでしかなく、それは別の病で本来の病を覆い隠してるだけという印象にしかならない。
あまりにも社会人経験が皆無すぎて、いまでも自己評価と他者からの評価の乖離を埋められないままここまできてしまった。
蛸壺屋の「けいおん」の澪が、律という友達がいない状態で一人で引きこもり続けきてしまった。そして、もうポイント・オブ・ノーリターンは過ぎた。
もう今さら謙虚になって一から出直そうといっても無理だろうし、誰も彼を助けることはできないし、彼自身ももうなんとかすることもできないだろう。
人生にゲームオーバーはない。しかしむしろゲームーオーバーがないことがとても残酷に感じる。
誰も自分の人生を強制的に終わらせてくれない。 本人もリセットボタンを自分で壊してしまった。 もう今のままの人生を死ぬまで続けるしかない。
歯がボロボロに崩れて出てくる夢で目が覚めた
歯が抜ける夢は久しぶり
基本的には「自信や気力がなくなってしまう」「健康面での注意が必要」「生活基盤が崩れる」など、日常の大事なことにおけるマイナスの意味につながる夢が多いのだそう
とのことで、まぁでもそんなにはっきりと心当たりがあることはなく、ただうっすら常に毎日の生活については不安感のある日常を何年も前から毎日過ごしてる
自営だし
口の中で歯の緩みを感じて、その緩みが口の中のあちこちで感じるようになってそのうちピーナッツのかけらのような歯の断片が出てきて、そういった細かい断片のあとに何本もの歯がグラグラして一つづつ取れていく
二つ、三つと取れていき、手のひらに抜けた歯を乗せて、歯医者に行って付けてもらわないと・・・とオロオロしてるところで目が覚める
だいたいいつもこのパターン
婚活女「いい人だけどなんかちょっと…」の内訳(anond:20240611133540)の追記です。
自分自身について、理想の相手について、自覚している課題・私自身の「なんかちょっと…」ポイントについて。
アプリのプロフィールは「ささやかな幸せを共有できるパートナーがほしい」というメッセージが伝わるように、という意図で書いた。
現実的なメリットとしては仕事もしているし家事も一通りできるし、在宅勤務で残業がないのでなにかと融通がきく。晴れたら洗濯機を回して雨が降ったら取り込んで、料理をつくってパートナーの帰りを待つ、みたいなことに幸せを感じる。梅の季節だから漬け込んでシロップ作ろう、とか、スーパーの帰り道に猫がいて前を歩いてる人がめっちゃ嬉しそうにしてたよ、とか、そういうことを共有したい。
ささやかな幸せを共有したい、という方向性に共感してくれて、上に書いた洗濯とか料理とかをメリットだと感じてくれる人(じゃなくてもいいけど、日常的に他になにを提供できるかわからない。苦じゃなく対応できる範囲で幸せでいてくれる人がいい)。私も彼を喜ばせたい・幸せにしたいと思うし、相手にも同じように思ってほしい。知的な人(言語化能力が高い、教養がある、オタクっぽい、論理的、いろんな観点で)、自分の考えがある人に惹かれる傾向にある。心身ともに健康で、長期的なお付き合いを前提に考えてくれる人がいい。
自分と同じくらいの年収・学歴を求めると男性の高年収・高学歴(というほどでもないが)の方が需要が高いので高望みになり、その好条件にも関わらず私の相手をしてくれる=なにかしらの難がある、という傾向にある?
→同じくらいの方がなにかと価値観が合いやすいというだけで必須条件ではないので、と思って範囲を広げてみた結果が元記事の2人目。
特にアプリだとテンプレなプロフィールを書いている男性が多くて、なにかしら個性のある人、と思ってマッチングする=悪い意味でも癖のある人を選んでいる?
→気になるところのない人、という観点でマッチングしてみた結果が元記事の4人目。
送りたい相手がほぼいない(本当にテンプレなプロフィールの人が多い)のと、「いいねしてくれたから」という理由で相手をしてもらえるリスク(?)が怖い。マッチングしたら話題を振ったりお店探したりお金出したりと自分なりに努力するつもりでいるので、最初のアプローチまでこちらからだと都合がいいから・楽だから相手してくれてるのかな…?と不安になってしまう。その不安を打ち消すくらいの積極性を相手に期待するとハードルが上がりすぎてしまってうまくいくものもいかなくなりそう、と思っているけれどどうなんだろう。
やり取りできる人数には限界があるのでもらったいいねから相手を選ぶ(偉そうな表現…)ことになり、個性があって刺さるプロフィールは滅多にないので、それほど個性のないプロフィールからも選ぶ。そうするとスペックや顔などが判断に影響してきて、その好条件にも関わらず私の相手をしてくれる=なにかしらの難がある傾向?
とはいえ年収や学歴が高い人ほど話していておもしろい割合が高いのも事実で(逆にすごく変わった人も多いけれどそれはすぐにわかることなので別にいい)、他にどういう基準で選べばいいのかわからない。(めちゃくちゃキラキラした人は「ささやかな日常の共有」の軸から外れることが多くて今もマッチングしていない。)
自分がお酒飲めない・スポーツに興味がない・ベーシックな格好が好き・インドア派なので、一緒にお酒を飲みたい・一緒にスポーツがしたい・おしゃれな人が好き・ものすごくアクティブ、という人を避けているのだけど(彼ら自身の趣味としてそれらが好きなのは気にしない)、社会性がある?明るい?バランスが取れた?人たちはそういうのが好き?で、結果的にいい人を避けてしまっている?
平均的なユーザーより努力していると思う。プロフィール文や写真について一般的に気を付けるべきとされていることはほぼカバーした上で複数の異性にアドバイスを求めたし、自分から足跡をたくさん付けて、そこから私のプロフィールを見にきていいねしてくれる、というパターンが多い。
アクティブなユーザーとしてアプリに認識される→アルゴリズムが優遇してくれる→画面に表示されたから・無料でいいねを送れる相手だったから、というような理由でいいねしてくれる異性が増える、気がする。マッチングしてもメッセージのやり取りに発展しないケースも結構あって、いいね数が増えるほどいいなと思う相手の数も増えはするけど、体感としては500いいねもらえたからといって100いいねのときの5倍には全然ならないし、男性の10いいねの50倍では全くないと思う。
舞台は、魔法が日常に溶け込む世界。魔法使いは、呪文を唱え、魔力を操ることで様々な魔法を発動する。しかし、魔法使いの才能は生まれつきで決まっており、才能に恵まれない者は、いくら努力しても強力な魔法を使えない。
主人公は、才能に恵まれない少年・リョウ。彼は幼い頃から魔法使いに憧れていたが、自身の才能の無さに絶望していた。そんなある日、リョウは母親の焼いたパンの出来から世界の確率について気づきを得る。気づきは、データに基づいて未来を予測する知恵だった。リョウは、観察を駆使して魔法を数え、その法則を解き明かしていく。そして、魔法は単なるランダムな現象ではなく、分析することで一定の法則性があることを発見する。
とある日、リョウは学園の不良魔術師である「石礫のケン」と決闘することになるが、事前に知らべていた石礫攻撃の分散とパターンを見抜いて勝利する。
リョウは、観察と計算を活かして、畑の収穫を増やし、有効な薬を見極め、のちに「統計学」と呼ばれる強力な魔法体系を編み出していく。彼は、統計学の魔法で、才能に恵まれない者でも強力な魔法を使えることを証明する。
統計学の魔法は、瞬く間に広まり、世界を大きく変えていく。才能に恵まれない者たちが、統計学を学び、魔法使いとして活躍する時代が到来する。
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それな
すくなくとも標的型攻撃ではありそう
最近の攻撃はバックアップデータを消したり暗号化したりするから、少なくとも今回はできないんじゃね
助かるためのバックアップ手法はいくつかあるけど大手でもやってないところ多い印象
わからんけど、サイバー攻撃まで想定したBCPを決められてるところはまだ少ないだろうからな…
災害対策とかはたぶんみんな考えてるんだけど、サイバー攻撃はシステムだけ死ぬから難しいって某被害者の報告の中にあった
ランサムウェアだとしたら売られてるプログラム使っただけとかもありえる
100%の防御は実質無理なのでガチガチにしてた穴を突かれた可能性もある
ね、落ち着いてからになるとは思うけど、技術は結構頑張ってる会社のイメージあるし報告書が楽しみ(失礼)
ただ「ログごと消されて侵入経路わかりません」とかも最近の定番だから、どこまで報告してくれるかなー
いやわりとみんな防げてないと思う。明日は我が身だし気づいてないだけでもう攻撃食らってるパターンもあるよ
みんな違ってみんな被害者
犯罪者滅ぶべし
これ結構、こう、逆側の一部も実は根っこが同じというか。
今は精力的に男叩きやってるネトフェミおじさんだけど、過去は2chのホモソーシャルで女叩いてました~みたいなのもかなりいると思う。「弱いものイジメをやり続けるため、ネットのトレンドを察知して立ち位置を変更しました」みたいなのとか、「過去の女叩きを懺悔してる事をアピールするために、男を叩く」みたいなのとか、パターンも色々あると思う。
同じ過去を持ち、価値観を共有し、同じ釜の飯を食って絆を深めていた男同士が、今は道を分かち、友情が憎悪に反転した絶対的に相容れない宿敵同士として戦っている。そういう面もあるんじゃないだろうか。
まだ娘は幼いが、今後娘に彼氏ができてもきっとイラつかないだろう。
よく娘に彼氏ができたことや、恋愛をしている娘に対して父親が起こったり不機嫌になったりするというのはフィクションでよくあるが
実際に娘に彼氏ができてもそんなことは思わないな。
むしろ、もっとのろけ聞きたい馴れ初めとか聞きたいとおもってしまうかもしれない。
じゃあ、実際娘に寄ってくる男で僕がイラつくのはどういうパターンかと想像してみたんだが、父親気取りなオッサンがいたら殴るかもしれない。
別に娘はアイドルになりたいわけではないが、もし仮にアイドルになったとしよう。
そして僕と同じくらいの年のおっさんが「〇〇ちゃんは僕らの娘みたいなもんだから」とか言ってたらきっとムカつきそう。父親は唯一俺だけだから!
さすがに太客(主に企業)相手には内々で連絡してると違う?弁護士と偉い人に相談してOKが出た範囲で
日立は、ランサムウェア被害出てまーす(2017年05月15日)って言ってから、完全復旧の見込みってリリース出したの2日後(2017年05月17日)だったね
でもまぁ、日立は被害出てまーすリリースを出すその2日くらいから前から問題を認識してたらしいので、あと2日待ってみるか
ただ、報告は早い方がええよね、気になる。はよはよはよはよはよはよはよはよ
ニコニコ漫画のお気に入り、全部は覚えてないので、使えなくなると面倒だなぁ
商業連載系はだいたいは単行本買ってるけど、ユーザー投稿系はKindleにもあるからよろしくね!してないのは覚えてない作品もある
待っててってね!って言ってたよ🥺
さすがに全損失はしなったと違うか?(完全に元に戻るとは言わない)
打ち合わせがあるにしろ進捗報告すらしないことの理由にはならんでしょ
関係各所だって「あなたたちと打ち合わせ終わるまで復旧しません予定も言いません」なんて言われたら余計困るやん
ワイが課金ユーザーならそれをサービス停止&だんまりの言い訳に使うなって思うやで
ニコニコの今までの障害だって日本の他の大手IT企業の障害だって数日たっても障害内容も復旧予定もわからずとか聞いたことないやん
ダンジョン飯、マルシルやファリンやナマリやセンシが同性愛者やバイだと認定されるのはまだわかるが
シスルがトランスジェンダーってなんでだよ彼と言われてて僕と言ってるので見た目が可愛いだけの男の子だろと思っていたが
wakatte.TVというYoutubeチャンネルがある。 おれがもっとも好きなチャンネルだ。 Youtubeチャンネルはどれも面白くないが、 wakatte.TVだけは面白い。
wakatte.TVとはどんなチャンネルかというと、 街中で学歴を聞いて、それをバカにするチャンネルだ。 正確にいうと、 見知らぬ人に出身大学の偏差値を聞いて、 それを元にした企画をするチャンネルだ。
学歴ブラックジャック: 偏差値の10の桁を使ってブラックジャックをする
学歴ボーリング: ボーリングがよくわからないのでよくわからないが、偏差値でボーリングをする
学歴ゴルフ: 箱から質問を引いて、それにより学歴を当てる。3打でパー
天国と地獄ゲーム: 高校と大学の偏差値の落差の大きい方を引いた方が勝ち
学歴エンジェルフォール: 男と女の学歴差が出来るだけ大きいカップルを引いた方が勝ち
キャンパス調査: 地方大学に行ってその大学の人を低学歴やなーとバカにする。これは面白いので、もっと色々な大学に行ってほしい。灘と開成に行ったのだから麻布にも行ってくれ
説検証: 高学歴ほど童貞が多いとか、法政の人に第一志望はいないとか、ありそうな説を検証する
街中で学歴を聞いて、 京大中退の狂人高田ふーみんが「そんなFラン大学によう行けるな。恥ずかしくないのか」とバカにして、 早稲田出身のポンコツびーやまが「ヤメロオマエ」と突っ込むのがパターンだ。 このヤメロオマエはなかなか癖になるツッコミで、視聴者であるはずのおれも、 ヤメロオマエと突っ込むようになってきた。偏差値の高いツッコミだ。 中国でリンチされてた時に生まれていたら面白かった。
正直にいって趣味の悪い番組だと思う。 誰しもが自分が誇れる大学に行ってるわけではないのに、 なんや知らんメガネの曇ったデブにFランだ高卒だとバカにされ、 自分だけならばまだ良いかも知れないが、自分の彼氏や彼女の学歴をバカにされることもある。 ふーみんが今のいままで五体満足なのが信じられない番組だ。 ふつうは、手が出るところだろう。 しかし逆にいうと、学歴をバカにされて一緒にはははと笑っていられるような芯のない人間だから しょうもない大学に行ってるんだと言うことは出来るから、 もしかしてそういうことも見越して、意外に安全な企画になってるのかも知れない。
wakatte.TVのすごいところは何かというと、 偏差値という数値に対して、新しい見方を与えたという点だとおれは思う。 偏差値を他人と比較したことは誰でもあると思うが、まさか 10の桁を使って加算する人間が現れるとは思わなかった。 これを許すと、この汎用的なただの数値を利用して無限に企画を作ることが出来てしまう。 waktte.TVのコンセプトを考えた人間は天才的だ。
しかしおれは、偏差値に対して別の解釈を与えた人間をもう一人知っている。 ルシファーだ。 ルシファーは、偏差値を足し算するほど奇抜ではないが、 偏差値や学歴という概念を学校以外のものにも応用した偉人だ。 さきほどおれは、偏差値の高いツッコミだと言ったが、これもルシファーの手法を真似たにすぎない。 彼は他にも、料理に対して学歴を聞いたりすることもある。 共感覚というのがあるが、彼の場合は、あらゆるものが学歴に見えているのだろう。
もし、wakatte.TVとこのルシファーが共演することがあったら、相当面白いはずだ。 共演によって、偏差値に対して新しい解釈が生まれるかも知れない。ヤメロオマエ!
ここに、「ニンゲンが風邪をひいたら、休め」という規範を示す。
本稿は、右規範に対して懐疑的なニンゲンを説得するために執筆されたものである。具体的には、下記のニンゲンが本稿のターゲット層である。心当たりのある者は、ぜひ熟読せよ。
風邪をひいたら休めという規範は、①パターナリズムと②蔓延防止という二つの論拠から成る。風邪の治癒に専念することで、①疫病が悪化する可能性が低くなり、結果として本人のためになる。そして、②伝染病の蔓延を防止することができる。
ところが、しばしば右規範は破られる。風邪をひいても会社や学校へ行くニンゲンと、これを良しとする第三者が後を絶たない。なんとも嘆かわしい。かかる者は如何にして規範を逸脱するのだろうか。
私は、その理由につき、当該ニンゲンが①パターナリズムのみを重視してしまった結果であると考える。彼らは、「風邪をひいたら休まなくてはならない」という規範の趣旨を、もっぱら「私が大変な思いをするからだ」と捉えてしまう。よって、「私は病状悪化という結果を許容しているから、右規範の趣旨(本人のために休むべき)が及ばない。ゆえに休まなくてもよい」と結論づけてしまうのである。
しかし、かかる見解は妥当ではない。パターナリズムはむろん重要であるが、②蔓延防止の意義を殊更に強調しなくてはならない。
以下、敷衍する。
★「人を傷つけてはならない」という規範
なぜ、風邪をひいた場合に、②蔓延防止のために休む必要があるのか。
まず、「人を傷つけてはならない」という規範は、ハンムラビ法典でも傷害行為が禁止されているように、紀元前時代からの常識である。これは、現代社会においても、傷害罪(刑法204条)が国民に構成要件として配布していることからも明らかである。
そして、風邪をひいた状態で外出をして、特に会社や学校等の多数人が集まる室内で過ごせば、自らの病を伝染させることにより、他者の生理的機能に障害(傷害)を与えることで、人を傷つける蓋然性が具体的明らかに予見される。
したがって、風邪にもかかわらず、休まなかったことで、「人を傷つけてはならない」という規範を乗り越えてしまうことになる。
よって、他者を傷つけないために、風邪をひいた人間は休養することで蔓延防止に努めるべきなのである。
そうであるとしても、いかなる場合にも「風邪をひいたら、休め」という規範を適用するのは妥当ではない。風邪の自覚症状が無い場合や、どうしても外せない急用がある場合もあるだろう。いかに判断するべきか。
まず、自らの病状につき善意(無知)である場合について、いかに解するべきか。
故意責任の本質は、反規範的人格態度に対する道義的非難である。
すなわち、自分が風邪であり、もしかしたら他人に伝染させてしまうかもしれないという点につき、認識・認容していれば、「他人を傷つけてはならない」という規範に対しての反対動機を形成しているものといえる。しかるに、敢えてこれを逸脱したのだから、かかる行為は道義的非難に値する。
よって、自分が風邪であると認知していたのであれば、休養に努めるべきであるのが原則である。
逆に、自分が風邪であると知らなかったのであれば、そもそも「休むべきである」という規範に直面しておらず、反対動機を形成できないため、道義的非難に値しない。実際に、潜伏期間が存在するウイルスは多いことからも、このような結論が妥当である。
以上より、自らの病状につき善意(無知)である場合には、休まなくてもやむを得ないものといえる。
なお、ここでいう「体調不良」とは、月経・片頭痛・食中毒などの伝染病以外で身体異常をきたしている場合を指す。
この点、蔓延防止以前に、そもそもパターナリズムの観点からは、風邪か体調不良か判断できない場合にも休養した方が良いといえる。ゆえに、原則として外出するべきではない。
しかし、単なる体調不良であれば、他者の生命・身体を侵害することはない。よって、自身が体調悪化につき許容しているのであれば、単なる自由意思の範疇にあるといえるから、これを非難される筋合いは薄い。
したがって、伝染病であるという相当の蓋然性がある場合には、「風邪をひいたら休むべきである」という規範に服するべきである。右判断にあたっては、当人の体温、病状、体質、病歴、自覚症状、過去の行動等を総合勘案して判断する。
・平熱と比して体温が高い
・前日に気怠さがあった
・雨にうたれた
・知人が熱を出した
・病状が軽微である
たとえば、体温が37.5℃以上であり、前日から続く気怠さ・咳があるものの、月経による体調不良かもしれないといった場合を想定してみよう。この場合、たしかに月経という事情は伝染病のおそれを低めるものであるが、咳と月経は無関係であり、37.5℃以上という体温は、一般に風邪と判断されるべきものである。
なお、より強度な「明らかに伝染病ではない場合にのみ、休まなくても良い」という判断枠組みも考えられる。筆者は、単なる体調不良の場合は自由意思を尊重するべきであるから、緩い判断枠組みが妥当すると考えたため、かかる見解は採用しなかった。
では、自らの風邪に自覚症状があり、明らかに伝染病であるものの、どう しても外せない急用等がある場合には、いかに解するべきか。
この場合、どうしても外せない急用等に参加したいという時点で、パターナリズムは克服されているため、第三者への傷害の有無で判断するべきである(病状悪化をしてでも〇〇がしたいという者に対して、貴方の身体のために辞めなさいというのは余計なお世話である)。
そして、第三者に病を伝染させてでも、自分がやりたいことを行うというのは、結局のところはエゴイズムである。冠婚葬祭や親族の危篤、会社や学校への出席などは、「自分が行きたいから行く」のであり、エゴイズムが第三者の身体・生命の侵害を正当化する場面は限定的であるべきである。
これに対して、出席せねば評価が悪くなるため、「行きたいから行く」のではない;やむを得ず風邪をひいてでも外出しなくてはならないのである等の反論が想定されるが、妥当ではない。結局、評価の悪化を避けるというのも利己的な目的であり、原則として、そのために伝染病をばら撒いて第三者侵害を行うべきではないいう形式は変動しないためである。
第三者の身体・生命は、きわめて重要な法益であるから、「どうしても外せない用事」との比較衡量で決するべきである。具体的には、用事の重要性・症状を鑑みて、第三者の身体・生命に対する侵害のおそれを惹起してでも、当該「用事」を優先するべきであると判断できる場合にのみ、風邪をひいても休まなくても良いものと解する。
たとえば、冠婚葬祭や親族の危篤などは、この機会を逃してしまえば二度と立ち会えないイベントであり、用事の重要性は高いものといえる。
もっとも、当人が伝染させればきわめて身体・生命への侵害性が高いといえる伝染病を患っている場合は、この限りではない。具体的には、インフルエンザ、新型コロナウイルス、ノロウイルス等の強い感染力・症状を有するものは、真にやむにやまれぬ事情が存在しない限りは、外出するべきではない。
そして、会社や学校への出席は、上記の用事と比して、重要度が低いと言わざるを得ない。成績に重大な影響を及ぼす発表や試験等が存在しないかぎりは、外出を行うべきではない。
そもそも、出席が必要不可欠でない限りは、リモート等の手段を講ずるべきであり、あくまでも「風邪をひいたら休むべきである」という規範を乗り越え、外出を行うという選択肢は、最終手段として留保されるべきである。よって、リモート等の手段を採ることができたのにもかかわらず、他者への傷害を惹起する外出を選択するということは、あってはならないのである。
★まとめ
以上より、風邪をひいたら、本人のために休むべきであるのはもちろん、「他者を傷つけてはならない」のであるから、「ニンゲンが風邪をひいたら、休め」という合理的な規範が成立し、ニンゲンは原則として右規範を遵守しなくてはならないということが示せたはずである。
その他、想定される反論について、下記にまとめる。異論や質疑等があれば、気軽にコメントしてほしい。
・明らかに体調不良ではなく伝染病であるものの、風邪が軽微である場合は?
症状が軽微であっても、他者に伝染させる可能性がある。そして、乳幼児や後期高齢者を想定すれば明らかであるように、自分が軽微な症状であるからといって、第三者もそうであるとは限らない。したがって、伝染によって他社の身体・生命に侵害を及ぼすという点では、原則として「風邪をひいたら、休め」という規範に従うべきである。
もっとも、上記パターン3の判断時に、症状の軽重は重要な考慮要素となりうる。
・風邪をひいた状態で出席することに対して、全員の合意がある場合は?
友人の集まりや会社等で、自己が風邪を患った状態で出席することにつき、コンセンサスを得ている場合には、伝染による傷害結果の発生につき同意がある以上は、「風邪をひいたら休むべきである」という規範が妥当しないのではないか?という反論が考えられる。
しかし、風邪につき合意した者(合意者)のみと交流することは実際上は困難である。例えば、公共交通機関を用いるのであれば、不特定多数人に感染リスクがあり、伝染による傷害を惹起する可能性があるだろう。
そして、合意者がさらに第三者に伝染を及ぼす可能性がある以上は、②蔓延防止の観点からこれを許容するのは妥当ではない。
・病弱なニンゲンにとって、毎回「風邪をひいたら休む」という規範に従うのは難しいのでは?
たしかに、病弱なニンゲンは休む機会が増えてしまうため、会社や学校での評価に悪影響を及ぼすこともありうるだろう。
しかし、病弱な者は他人を傷つけても良いと考える者はいない。そして、伝染病の頒布は他人を傷害する行為であるから、伝染によって他人を傷害してしまうことにつき認識・認容があれば、道義的非難に値することには変わりない。
また、結局のところ、評価の変動といった事情は先述したように利己的・個人的な理由であるから、エゴイズムが第三者の生命・身体を侵害するという場面は限定されるべきであるという当為規範が変動することもない。
以上
・女特有の考え方に慣れる
・どうしたら女が喜ぶかに慣れる
・女にこうしたらどうなるっていうのに慣れる
・シリアスな場面での接し方、おちゃらけた場面での接し方に慣れる
・喧嘩や不平不満を言い合う状況に慣れる
・女でも、色んなパターンがあることに慣れる
・色んな関係性での女に慣れる
婚活で女慣れなんて無理だと思うんだよね
トゥキョウのシュブヤに行ってきたんだ。
僕はその混沌とした活気に圧倒された。
スクランブル交差点は動的なグラフ理論の一部のようで人々の動線がまるで交点を持たない平行線のように流れる様子には、不思議な調和があった。
ヒカリエ。地上34階、地下4階のこの複合施設は、まさに垂直方向への幾何学的挑戦を感じさせる。ガラスと鋼鉄の直線と曲線が絶妙に組み合わさり、その外観はまるでフラクタルのように繰り返されるパターンで構成され、僕はその圧倒的な幾何学的美しさに見惚れていた。
直線と曲線が対話するように配置されたキャスト。その相互作用が新しい幾何学的パターンを生み出し、階段やエスカレーターの配置も巧妙で、人々の移動がまるでベクトルのように直線的でありながらも柔軟に変化する様子は、数式で表現したくなるほど魅力的。
渋谷という街は、古き良き日本の風景と、未来的な建築が混在する独特な場所。ビルの谷間に見える神社や、雑多な店舗が立ち並ぶ道は、まるで数学の問題集の中にあるバラエティ豊かな問題のようだ。一つ一つが異なりながらも、全体として調和している。
僕はシュブヤという大きなパズルを完成させて、それを解いてみたい。
以前バスの中で妊婦さんに席を譲ろうとして、妊婦さんと入れ替わったタイミングで後ろから運転席に向かってた人とぶつかって危うく妊婦さんにぶつかりそうになったことがあるんよ。
それ以来、席を譲る前に周辺の状況を確認してからじゃないと立ち上がるの怖くなっちゃって、立ち上がろうと中腰になったところで他の人が譲っちゃってそのまま座るってパターンになりがち。
あと譲ろうとしたら「あんたが座ってた席なんていらないです」みたいな感じで、すんげー睨まれたり無視されることも結構ある。
こういう場合は一旦誰か他の人に席を譲ってから、その人から妊婦さんに譲ってもらった方がいいんじゃろか?
書き方が悪かったんだが、別に睨まれたから怖い=席譲りたくないって事ではない。
俺の思い過ごしじゃないかってブコメがあるが、俺の印象に残ってるのはわざわざこっちの方に顔向けて睨みつけてくる人や、声かけたらイヤホン付け始めた人だったから、こっちの勘違いとかではなく意図的にそうしてたと思う。
もちろん睨んだり無視したり妊婦さんも過去のトラブル等、その人なりの事情があるんだろうしこっちがどうこう言う事ではないとは思う。
ぶっちゃけお年寄りに席を譲る時の方が何倍もめんどくさいしね。
ただこういう席を譲る時にマナー的なものがあって、それに則ってないから睨まれたんじゃないか? という点は気になる。
それこそブコメで指摘されてるみたいな、席を譲る時は座った状態で声をかけてそれから立ち上がるのが最近のマナーだったりするのかが気になるんだよね。
学生以下なら全然普通、2〜30代もまあまあ、40代はかなりギリギリ、それ以上の年代の人が交際相手を彼氏彼女って呼ぶのを聞くとってなんか変な気分になる。
じゃあなんて呼ぶんだよって話なんですけど。「交際相手」だと長すぎだし。「そういう感じ」の人たちが使う相方とか同居人とかもなんかなって感じだし。
そもそも中年以上の類型として、既婚か独身以外のパターンがおれの中で存在感が薄い。異性と性的接触を伴う付き合いをしていても、いわゆる「女遊び」的なものであんまり一定の相手と交際関係を結ぶイメージがない。
これは多分フィクションを通じて形成された意識だと思う。良い歳行った人がTRUE LOVEを見つける作品も割と最近からあるっぽいけど、おれはそういうの興味ないから触れてないし。
実は少なからずの人にこういう意識があって、いざ自分がいい年になって未婚だと今更付き合うとかもなあ……みたいな判断を下す要因になってるのかもしれない。だとしたら、おれがしょーもなさそ〜って思ってるような中年同士の遅れた恋愛的なドラマにも意義があるのかもしれないなって思った。