2015-01-07

自分を守る趣味




なにか自尊心を守ってくれるものが無いと、他人自尊心との競い合いになり、泥沼に嵌る。


ふとそう思って、長年続けていたツイッターをやめた。

悩みを吐き出してお互い慰め合うような集団所属してしまうことで、そういう泥沼の状態に陥っていた。

「世の中にはこんなに情けない人がいる。弱い人がいる。卑怯な人がいる。でも自分は違う」

自分の顔はこんなに綺麗です。自分趣味はおしゃれです。ここにたむろっている皆さんよりもずっと」

タイムライン言葉の端々にそういう背景が見えるのは、自分ツイートがまさにそういうものだったからだろう。


人間誰しもそういう部分があるのなら、それはかまわない。

でも、それが増幅されて見えるのが嫌になった。


最初はそういう使い方をしていなかった。

「ふと思いついたことを忘れないためにツイートしておく」

「人に読まれる緊張感を利用して考えごとを整理する」

何年も続けて、そういう目的は十分に果たしたと思う。


せっかく一人になれる時間を割いているのに、無益毀誉褒貶のために他人との時間を過ごしているのはあまりにもヘンだ。

そんなわけで、今まではSNSに奪われていた一人の時間を、これからは一人でできる自己満足趣味とかにもっと使いたいと思った。

というか、自己満足趣味の一つである音楽鑑賞からツイッターでたくさんの同志を見つけてしまい、そこから泥沼に嵌っていったのだった。


ツイッターには、現実の交友範囲だけでは生涯出会えないような、趣味感性境遇理解者がいるような気がして、そこから夢中になっていった。

それまで一人の時間を割いて夢中になったこと以上に、夢中になっていった。そういう本末転倒事態が起きていた。

好きな本を探す。

好きな音楽を探す。

植物を育てる。

街を散策したり歩道を走ったりする。

料理を作る。

部屋を飾る。

一人の趣味とはそういう健全趣味だけじゃない。


一人の趣味は、恥ずかしいものから人前では言えない。

一人の趣味を極めていくと、人前で言えない恥ずかしいものになっていく。

一人の時間が、人前では恥ずかしいものになっていく。

すると最初に書いた、自分自尊心を守ることが、趣味目的になっていく。趣味を楽しむことが、目的では無くなってしまう。

そうなると堂々巡りで、それはもう、楽しみを自足することの限界を超えている。


この先はもう自分だけではなく、他人に楽しんでもらいたい。という領域になっていくだろう。

ツイッターをやめたから、これから匿名ダイアリーを長文ツイッターとして活用するかといえばそれは違う。

ブログも始めない。コメント対応に追われるくらいならリアルでの交友範囲を広げることに労力を割きたい。


ちなみに、自分趣味小説を書くこと。人前で、「小説書くことが趣味です」「きっと面白いから読んでみて」とは、おそらくいつまでたっても言えない。

でも書くのは好きだからツイッターに割いていたこれまでの時間を、小説に回せたらいいなあ。

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