はてなキーワード: スキャンダルとは
https://news.yahoo.co.jp/articles/46557b3eb6de414a43f521d115dc911386841a31
ゴシップメディアは儲けさえすればそれでいいゲス連中だから内容の真偽なんてものはどうでもいい
雀の涙程度の賠償金さえ払えば他人は誹謗中傷し放題なのでデマ等で中傷した場合のデメリットが無い、あるいは小さすぎると言えるだろう。だからこそ罰を重くするべきだ
こういう奴らは何かにつけて「報道の自由」「知る権利」などと喚くしそもそもスキャンダルに対して煽るような文で不快感を与えることがビジネスとして成立していることがおかしい
いっそ加藤青葉山中のような無敵の人候補にゴシップメディアを襲わせてゴシップメディア自体なくした方がいいとさえ思ってしまう
クラウド、「興味ないね」とか言いつつ、毎朝その髪型を1時間くらいかけてハードスプレーで作ってるんでしょ?
で、脇は永久脱毛。
眉毛もめちゃくちゃ几帳面に整えてて、ちょっと剃りすぎてヤンキー眉になっちゃって。
こんだけ外見に命かけるやつが異性に興味ないわけないんだよ。
近付いてくる女には大体反応してるから、申し訳ないけど声優さんの過去のスキャンダルが思い返されちゃってそれもなんだかなぁって感じ。
夏油傑のときはそんなこと思わなかったのになあ。
むっつりスケベでいろんな女に気のあるクラウドだと、演技がうまいとか思う以前に「あー、中の人は異性関係でああいうことしておいて……」とどうしても思っちゃうんだよな。
スキャンダルまみれで父親の米大統領ジョー・バイデンの弾劾まで引き起こしかねなかったハンター・バイデンだが、その疑惑の元になった情報源がFBIに嘘を付いていたことが明らかになり、逮捕された。
しかもこの情報源は元々の話をロシアから受けとっていたことを自供している。
結果として、ハンター・バイデンの「疑惑」とやらはことごとくロシアのアメリカに対する干渉で、中身がなかったことがあきらかになった。
評判の悪いボンボンがまんまと敵国の諜報組織の格好のターゲットになっただけというわけだ。
これまでさんざんハンター・バイデン「疑惑」とやらをとりあげてきた頭のおかしいQanon連中がどう反応するのかと思ってXを検索したが、奴らはこのニュース知らないようで拍子抜けした。
考えてみたら連中はたぶんニュースみないし、英語のニュースなんか読めないんだろうな。QAnonみたいなもの信じてるようなバカばかりだから。
こうなるとなにを書くことがある?
2ちゃんねるにある未来人のひとのように覚えてることや画期的なことで教えられることってなにかある?
・アップルとグーグルがスマートフォンを発売する。携帯電話位の大きさのネット端末をほぼ全員が持ち生活が大きく変わる(2010年ごろ?)
・コロナが流行している中東京オリンピックは開催される(2021年)
・ジャニーズと宝塚と松本人志と日テレがスキャンダルで壊滅的な打撃を受ける(2023年)
・統一教会が安倍総理暗殺をきっかけに打撃を受ける(2022年)
・全体的に値上げする(2024年)
・イチローも長かったけど流石に辞めてる
・任天堂はすごいまま
【追記】
・公衆トイレはほぼ洋式で公衆トイレですらウォシュレットが装備
・コンビニは淘汰されまくりでローソンファミマセブンがほとんどになる
・2001年にアメリカで旅客機をビルに突っ込ませるテロが起こる
・宮崎駿は何回も引退宣言しつつも映画を作り続けて海外でも賞をとる
・天皇陛下が上皇して年号が変わる(平成天皇も2024年現在は生存)
・パソコンはなんかすごいまま
・こち亀終了、ゴルゴ13やクレしんは作者が死んだけど連載続行、ガラスの仮面とHUNTER×HUNTERは作者健在だけど進行しないまま連載も継続
・ソニーが任天堂に対抗してゲーム機を出す今は5台目。一方残念ながらセガは、、、
(んー、書き込めることねえなあ)
大昔、ダウンタウンがスポーツ選手を呼んでひな壇トークする番組を見た
ある女性トッププロゴルファーがマイナースポーツ選手に向かって
「なぜそんな金にならんスポーツをしているのだ?」と突っ込んだ
俺はなるほどと膝を打った
漠然とした思考が頭の中にあるが、深くは考えず言語化もしていなかったテーマが一気に晴れた瞬間
同じ身体能力や知能があっても選択するスポーツ(に限らず職業や人生)で収益性は変わる。当たり前だ
人気があり金が回るスポーツの方が実入りがいい、損なスポーツとそうではないスポーツが生じる。
金になる分野は競争も激しいが、リスク含めた費用対効果がきれいに均衡することは無い
芸能人が「一般人」というセリフを口にするたびにイラッとしていた
特殊人の彼らはテレビ電波を使い自分の能力に最大限レバレッジをかけて収益を得る
プロゴルファーも芸人も皆自分の収入を自分の才能、労働の正当な対価だと勘違いしている
スポーツ選手や芸能人がスキャンダルでメディアスクラムが起きると
今更何いってんの?
プライバシーやある種の自由を商材に変えたのは自分ではないか、
大衆にウケる人間を演じる対価として効率の良い人生を得ながら、損失、リスクは受け入れられない
甘くね?
お笑い芸能人やサッカー選手が強姦をしたのかどうかなんて真実はどうでもいい
大衆はそれを面白おかしく扱い、あるいはそれが虚偽であろうが叩き、社会から抹殺するゲームのコマとして消費するだけだ
不健全な世の中だ?
そう思うよ、クソだ
でもそんな不健全な世の中でなければそもそも君らの職業は不要なんだよ
人はゲスく、無知で享楽的だから君らの見せる芸やパフォーマンスが職業として成り立つのだ。
バカ番組をアホみたいに垂れ流し、その片棒をかつぎ、自分でバカを啓蒙育成しておきながら、
いやぁぁぁぁぁwww
オモロい
(注:つまり、実際にドキは文章を公表する(あるいは実際に公表したものよりも過激な内容を公表する)つもりが(一時的にであれ)あったのだから、にじさんじ側の(公表されることを前提とした)対応は完全に的外れではなかったと言い訳できる、という意味だと思うけど間違ってたら教えてほしい)
もし私が正しいのだとしたら、これから何が起きるのか?
私がこれまで述べてきたことが多かれ少なかれ正しいと仮定すると、にじさんじにはこれから進むべき道として2つの選択肢がある。ひとつは、ENライバーが長期に渡って沈黙し、その後、徐々に配信を増加させ、セレンとセレンの契約解除の話題については、今後、完全に沈黙するというもの。そしてにじさんじは見当違いの攻撃をやめ、これらの出来事をなかったこととして扱い、ネットユーザーたちが飽きることでタレントに対する叩きが鎮火し、ENが利益を上げられる程度にファンが残るという未来に賭ける。2つ目のアプローチは、最終声明を出してコミュニケーションに齟齬があったことを大まかに説明し、セレンに深く謝罪し、責任者を大砲に詰めて太陽に向かって発射したことを保証することで、タレントと他のマネジメントに対する批判を鎮火させるというもの。
一般大衆を相手にする企業で働く中で気づいたのは、経営陣は、たとえ対策を講じた後であっても、失態をきちんと説明したがらないことが多いということだ。というのも、大衆はそれを聞いて赦すかもしれないが、株主にとっては株価に対する不安感に繋がるからだ。この一連の出来事について私が正しいかどうかは別として、私が望むのは、にじさんじが再建のために必要な改革を行い、合理的な範囲でできる限りの透明性を世間に提供することで、残されたタレントの懸念を払拭することである。しかし、この道を歩むには、重大な失敗について自らの不利になるような告白をする必要があり、同時に、前に進みたいという彼女の願いを尊重するためにドキと協力する必要がある。こうした困難があるため、この惨事が完全になかったことにされる可能性のほうが高いと私は考えている。
最終的な感想
煎じ詰めれば、広報チームの基本的な仕事は、ある問題を理解し、その問題に対する大衆の見方をリアルタイムで分析し、最終的にクライアントの望む方向に大衆の見方を動かすメッセージを作ることである。もし私がここで説明したことが多かれ少なかれ正しいのであれば、にじさんじの広報戦略は、これら3つのタスクのそれぞれを失敗させたことになる。にじさんじの広報チームは、法務部から誤った情報を与えられたため、そのせいで誤ったスタートを切ったのかもしれない。だが、その後、ドキバードの発言や世間の憶測に対応して戦略を調整できなかったことは、この最初ミスとは別の、さらなる失態である。
これらの広報の失敗もすべて、タレントマネジメントの領域で起きた失敗とは別のものだ。ENマネージャーは、最も人気のある女性配信者をサポート・保護することに失敗し、彼女は自殺未遂を起こし、その後、退社交渉のために弁護士を雇うことになった。私が広報という観点からこの大失態を分析しているのは、タレントマネジメントの不始末を謝罪してほしいからではない。そうではなく、いかにして広報の対応のまずさが、会社にとっての悪い知らせを、支社全体の存亡すら危うくさせるような破滅的なスキャンダルに拡大させてしまったのかという点を説明したかったからである。皮肉なことに、にじさんじの広報アプローチがここまで的外れだったことは、我々にとって幸運だったのかもしれない。なぜなら、有能な広報チームであれば、こうした根本的な問題を覆い隠すことで、根本的なタレントマネジメントの欠陥を放置させる結果になったかもしれないからだ。この大惨事をきっかけに、にじさんじの上層部が己を見つめ直し、タレント人事、広報、翻訳サービスを改善するための真の改革を行うことを期待したいが、これまでの動きを見る限り、楽観視はできない。
小山田の時も最初は変な人というか一人が騒いでただけだった(東京五輪以前にも何度か取り上げられる波はあったけどキャンセルに至らなかった)
Metooも、まあ性加害とスキャンダルの告発はもちろん大昔からあるけど、ネット上のブームとしては最初は「変」なものの一つに過ぎないはずだった
芸人なんか逆に遊んでる方が普通という調子だったし、ジャニー喜多川も「周知の事実」で逆にわざわざ指摘する奴は野暮みたいな扱いだった
何を取り上げるのにも、どこからが変でどこからが変じゃなくなるのか
何かの告発を最初に言い出した人が明らかに狂ってるように見えても、「本当に事件が起きていて、そのショックやトラウマで気が狂ってしまった」というところまで配慮しなければいけないらしいのが現代だしな
憎悪コンテンツに対して反応するはてブユーザーを次々と非表示にしていく非表示運用を5年程度繰り返している。
ワイドショーネタや政治ネタ、自殺ネタに対して感情的に噛みつく人、またはそのコメントに対するスターに対して意見の正しさを一切無視してそいつらが反応した時点で非表示にしていくという運用を繰り返してきた。なぜならそのような意見を見ることと僕の人生はなんの関係もなくそれら見ることに何の意味も見出せないからだ。
さて、その結果としてその憎悪コンテンツを非表示に該当しないユーザーの総数をブクマ全体の母数で割り、脊髄反射のバカがどれぐらいの割合いるのかいくつものブクマを観察した結果、僕の運用では約20%程度しか憎悪コンテンツに耐性がある人が残らないという結果となった。
つまり、8割のユーザーは憎悪コンテンツに対して脊髄反射するバカばかりってことがわかり絶望的な気分になった。これはおそらくインターネット上だけでなく、社会全体としてもそうなんじゃないかなという気がしてる。
だってネットリアル問わずみんな自殺とかワイドショーネタとか、政治の煽り合いとか大好きなんでしょ?本当バカとは距離を置くぐらいしか対処方法がないのが辛い
ひさびさにはてブミュート外してホットエントリ見てみたら完全に憎悪インターネットとしか呼びようのないものになっていて(なにかの自殺だか芸能人のスキャンダルだかがもりだくさんだった)、脊髄反射のバカたちも発狂しまくってて救いようがないなっていう気持ちからこの文章を書きました。
両者を読み比べてみて信憑性を感じるのは新潮の伊藤氏の記事のほうだ。
一方、文春の松本氏の記事に関しては捏造性を強く印象付けられる。
この違いは何によるのだろうか考えてみた。
すべてに曖昧な点がない。
昨年の出来事であり、
問題の出来事について双方弁護士を立てて話し合いを進めた結果、
物別れとなり、
その事実自体が報道するべき出来事としての根拠ともなっている。
そして、年月が異常に古い。
2008年の出来事を、まるで昨日のことのようにして書いているものまである。
確かに16年も前のことを思い出し、思い出ししてそれを無理やり文章化すれば
具体性のないぼやけきった話となるのも、
さもありなん、とも思えるのだが。
そして文春の記事の特徴として、過剰なまでの「煽り」が記事の隅々まで浸透していることだ。
松本は「○○○○○」と言い放った。
「○○○○○〇〇」
「▢▢▢▢▢▢▢」
すべてがすべて何ら証拠もないのに松本氏が発言した、と事実として書き並べられている。
新潮の記事においても伊東氏が飲み会の席で話した内容などが書かれている。
(その発言自体を記事を読ませるための「釣り」として使用しているわけではない。)
具体的に、いつ、どこで、だれが、なにをおこなったのか
無理な印象付けを行うことはせず、
書かれていることの内容のほとんどは
松本が
「○○○○○〇〇」
と言った。
というような確認しようもない不明確なことを文章の主体としている。
また、よくわからない造語を作って、いわゆる「釣り記事」のような煽りを多用していること。
報道すべき主体がないのに、無理に記事にしている印象を受ける。
あとは雪だるま式に「ネットの声」が事件化してくれるだろうとの見込みで発射されたものであるとの結論づけしか出来ない。
いつの間にか、文春の記事の低レベルさに文句をつける文章になってしまっている。
私自身が望むのは、文春はもう少し具体性のあることを書いてくれないだろうか?ということだ。
実際に性被害を訴えている人がいるのだから、もっとそこに焦点を当てて具体的で、煽りのない記事を書いて欲しい。
今のように、単なる芸人の女遊びを大げさに書きたてておけば、
などという態度でいるのは実際の被害を訴えている人たちに対しても誠実ではない。
結局は、そういう人たちを食い物にしている、という意味で文春はパッシングしている松本氏と立場が同じになってしまうのではないだろうか。
本邦の“女流”ジャーナリストの草分けと言えるであろう上坂冬子は、かつて著書の中で原発について
「我が国の優秀な専門家の方々がしっかりやってくれているのだから、素人が文句をつけるべきでない」という旨の主張をした。
ところで氏は東日本大震災の少し前に世を去っている。ほんの少しだけ長生きしていただきたかったことである。
野次馬の声を押さえつけることなどできないしするべきではないが、それにしても野次馬の声のボリュームが(テクノロジーによって)大きくなりすぎている。
野次馬と一緒にリアルタイムでワーワー相談しながら進められることなどない。当局者は萎縮して右顧左眄し、一貫性を手放し、アリバイ的な形式主義に陥る。弊害しかない。
中立的な社会インフラになりかけてたのが、一気に2ちゃんねる的なモノに戻っていった。
野次馬はそういうサンドボックス内で好きなだけ騒いでなさい、実務は密室で進めておくからという体制が固まりつつある。
いま「権力は信用ならない、文春砲が民衆の武器だ」と、スキャンダルによる私刑に期待と支持が集まっている。
それはしかし俯瞰的に見れば「うまく砂場に誘導されている図」であると思う。
世界的な「法秩序より正義を」の動き、デマの物量戦、情報蝗害、インプレゾンビ
とりあえずメモまで
ここ5年くらいずっとそうだけど、もうネットの論争に付き合いきれない。
何か話題性のある事件が起きる度に意見を出して派閥に別れて争って叩いて潰して消耗して。
一昔前までは何か有益な面もあるかもと思って自分なりの正義を求めて付き合ってたけど、もう無理だと思う。
世界はこんなにも色々なことが日常的に起きているのに、一つの(それも自分に大して関連のない)出来事をピックアップして討論するなんて馬鹿げている。
それに、情報それ自体も年々刺さり易く尖ってきているように思う。
人々が無視できない情報をより効率的に拡散する術が浸透して、俺たちはすっかり身動きが取れなくなっている。
だから最近は、争いのタネになりそうな話題を徹底してミュートしている。
政治も、ジェンダーも、芸能スキャンダルも、揉め事に繋がる話題は全て見えないようにして、それでも漏れ聞こえてくる情報だけをすくい取って生きていきたい。
作曲がすごいとか絵がすごいとかそういう技能がなく「好感度」メインで生きてる人間が不倫やスキャンダルの発掘をされて「好感」を失ったら使う側にメリットがなくなる
性格破綻者でも代わりの利かない技能を持っていればなあなあにして使い続けるが、「好感度タレント」なんかその座につきたい奴がゴロゴロいる
公共ポスターなどに女性イラストを使うのは、親しみを持ってもらうためにキャラをつくったり、元から人気のある作品とコラボしたりとで、細かな違いはあれど見た者の「好感度」を高めるためである
利用者に不評で好感を得られないなら使う意味がなくなるし、下手すれば既存客を失うので女性の利用を期待している公式にとっては由々しき問題