「じわじわ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: じわじわとは

2016-03-19

私があるゲームを嫌いになった話

まず、ゲーム名前記事内では仮に「A」とし、正式名称は伏せておく事をご了承下さい。

読み終えて尚「なんのゲームについて話しているかからない」という方がいらっしゃると思うと心が痛むのですが、きっとその方はこのAに関わることの無かった幸福な人だと考えこの形を取らせていただきました。心当たりのある方だけ読んでいただければ嬉しいです。


さてこの話、私から見た時系列順に纏めます

Aを始める→A内で問題が起こっていた事を知る→Aをやめる→Aを嫌いになる

となります

本当はここでA内の問題について詳しく語った方が良いのでしょうが、省きます。他の方が丁寧にまとめて下さっているのに私がわざわざ言及する必要もないと思うからです。

 私がこの記事で書きたいのは「やめてから嫌いになった経緯について」、その一点です。


やめた当時、私はAそのものにそこまで嫌悪感はありませんでした。ただ「問題を起こしたようなゲームをわざわざ続けたくもないな」という軽い気持ちプレイするのをやめました。

…「問題が解決したらまたプレイしようかな」位の気持ちは持っていたのです。その日はいつまでたっても訪れてはくれませんが。


嫌いになった理由の多くはAのユーザーだと言っていいでしょう。

Aの問題が大きく取り沙汰された後に当時のフォロワーが口を揃えて言った言葉が「キャラが好きだから」でした。この文を見かける度に私はゾッとしてしまうのです。

キャラクターが好きだから、なんだって言うんだ。やめた私にはキャラクターへの愛が無いとでも言うのか。汚い土壌に好きなキャラを乗せたくないというのは間違っているのか。解決していない問題に目をつぶるのが愛なのか。

そんな事を必死に考えて呟こうとしては消し、呟こうとしては消している内に、好きだった筈のキャラクターさえ歪んだ土の下で育った気持ちの悪いものとして映るようになってしまいました。

私はAのユーザーである彼女らをブロックして、何も呟かずに自分ネット上のアカウントを消しました。

アカウントを消す前に上記の言葉を問いかけておくべきだったと今では思います。ですがあの時は逃げるのに必死でした。「好き」なら擁護される問題が、擁護するユーザーが、怖くてこわくてたまらなかったのです。

ブロックしてから半年経った彼女らが何をしているのか私には分かりませんが、愛とやらから解放されていることを切に望みます


これが私がAを嫌いになったきっかけです。その後もじわじわ嫌悪感は膨らんでいく事になるわけですが、今回は「嫌いになった話」としてですのでこちらの話に留めさせていただきます


今では「Aの問題はもう解決している」という文もよく目にします。
私はそうは思えません。問題の解決というのは、双方からの結果報告があって初めて終わる物だと思っているからです。被害者側の意見が見えない状態加害者側が一方的に「解決しました」と言ったのを信じるのは馬鹿のやることではないでしょうか。


ここまでユーザーを責めるような文が続きましたが、私は何もユーザーが悪いという話をしたい訳ではないのです。悪いのはAのゲームのものなのですから

そもそもAが問題を起こさなければ、こんなにも問題解決までの期間を長引かせなければこんな事にはならなかった。Aが問題を起こしたせいでプレイヤーが叩かれているのだからプレイヤーは怒っていい筈です。


さて、この記事を通して私が現プレイヤーに、Aの問題を知っていて尚Aを続ける方々に問う事があるとすればひとつ


「Aってそんだけ必死にやるほど魅力ありますかね?」


このままいつか改善される事を信じてプレイを続けても叶う筈が無いことは、一年も経っているのだから分かると思います

一度考え直してみませんか?無料はいえ時は有限です。

批判を押しきってまでやる必要性が何処にあるのか、ゆっくりと考えてほしい…私からはそれだけです。

乱文失礼いたしました。

2016/3/19

2016-03-10

スマホ向けゲーム市場これから死ぬんじゃないかな

これを読んで思った事。

  1. 低価格選択肢がこれからじわじわと浸透しいく
  2. 子供スマホをねだり始めたら「1万円台の低価格SIMフリー機に月額千円未満プラン」がこれから当たり前になる
  3. 処理能力バッテリー容量が抑えられたものが増えていく
  4. 今どきのスマホ向けゲームとかまともに動かない機種が増えていく
  5. そうやって育った世代は「安い(低い)性能なりの使い方」が当たり前で「スマホは毎月何千円もかかるもの」という認識がないので、大人になってもハイスペックスマホに移行しない

大体こんな流れになっていくんじゃないかなと。

増田供給量が不足している

皮肉にもスパムのおかげで水増しされているが、現状、はてな匿名ダイアリー供給量は決して多いとは言えない。

株式会社はてな上場増田から国会進出などのビッグトピックに伴いはてなブックマーカーじわじわと数を増やしている。

はてなブックマーカーに対して、増田供給量が足りなくなるのは眼前に迫る問題であろう。

このままでは今年中に、何か大変なことが起きてしまう。

我々に出来ることは、祈ることと増田投稿することぐらいであ・・・

マイナス金利は、デフォルトを起こさずに、じわじわ破綻していく上手い手段だなと思う。

この強烈な衰退の流れを止めるのは至難の技だと思う。世の中に上手くいっていない人が多数になると、足の引っ張りあい罵倒のしあいが起きる。

意識は未だ中流のままで、快適であって当たり前、少しでも苦痛なら徹底排除しようとするわがままさ、上昇しようとするハングリー精神ゼロ

2016-03-07

自炊楽しい

焼く音が好き

じゅー

豚を焼く

じゅー

油がじわじわ出てくる

うまそう

じゅー

完成

食べる

うまーい

2016-03-05

http://anond.hatelabo.jp/20160304154842

じわじわ来てるから皆気付いてないけど、日本貧困社会なんだよ。だからどこ行っても生活は苦しいよ。

じわじわと人が倒れていく流れは、これから始まって止まりそうにない。

今はまだデータが出てないけど、その内、データも揃ってきて、衝撃の事実が発覚していく。

2016-03-02

ガルパン4DXを見てきたが

イマイチだと思ったので愚痴る。

作品自体は以前に鑑賞済み。ガルパンはいいぞ

それでワクワクしながら見に行ったのだが。

椅子

これは良かった。かなり動くけど面白かった。

ただ、主観視点ときはいいんだけど客観になるとどこ視点の動きなのか迷う。

あと、目の位置が動くので視線が落ち着かない。慣れるまで少しかかった。

それと、背もたれの腰の辺りのマッサージチェアみたいな動きが急に来ると後ろの奴の足が当たったのかと思って驚く。

さらに、前の方の座席が動いてるのが視界の端にちらついて微妙に気が散る。最前列推奨。

はいジェットコースターのシーンなんかは特に面白かった。面白かったのだけど・・・

フラッシュ

そのジェットコースターのシーン、トンネルに入ると火花が飛び散って格好いいのだけどそこでフラッシュ効果が出る。

邪魔だ。暗い画面の中で火花が散る絵の格好良さがフラッシュで白く飛んだスクリーンじゃ台無しだ。

画面の中で表現されてるものを画面を見づらくしてまでかぶせる必要なくね?

・煙

これもそう。画面の中の煙を外に出さなくてもいいだろ。

見づらいのもあるし、シーンが切り替わっても微妙に残ってたりするし。

じわじわ出てきてしばらく残るんじゃなくて一気に出てすっきり消えればいいのに。

あの出方だと霧のシーンだったらアリだけど爆発のシーンには合わない。

・雨

可もなく不可もなく。

シャボン玉

エンディングでは良かった。風呂場のは笑っとくべきなんだろうたぶん。

・風

これはすごく良かった。特に冬場の映画館基本的暑い。なので風がすごく心地良い。屋外感ある。

音はもう少し抑えて欲しい。送風音がわりとうるさい。

エアー

背もたれの顔の横辺りから空気がプシュッと出る。砲弾がかすめて飛ぶような場面で多用されてる。

画面の中では多くの場面で砲弾は画面奥からこちらに向かって飛んでくる。

空気は背もたれから、つまり後ろから前に向かって出る。

この齟齬がすげー気持ち悪い。

あと単純にプシュッて音が邪魔

匂い

匂い?隣の奴のポップコーン匂いしかしなかったよ。

途中でポップコーン匂いに混じってほんのり何か別の香りがしたような気もするけど分かんねーよ。

俺は華さんじゃねーんだよ。

4DXポップコーンの組み合わせは最悪だと思います

ダージリン様セット買うなら帰り道で。

結論

4DX機能ありきで作った映画なら見に行くかもしれないけどそうじゃないなら普通の方がいいや。

没入感を高めるという売り文句だったけどむしろ阻害された感。

新しい映画体験とかそういうコピー真に受けちゃだめ。

映画を使ったちょっとしたアトラクション

絶賛してる人も多いけどこう感じた人もここにいるよってことで。


4DXとは関係ないけどユナイテッドシネマ音響は苦手だと分かった。

普段は近場の別の劇場なので距離があるユナイテッドシネマは数年ぶりに行った。

前回行ったときは気のせいかと思ったけど今回は同じ映画を別の劇場で見た後だったか確信が得られた。

全国のユナイテッドシネマがそうなのかあの劇場だけなのかは分からんけど。

2016-02-25

年収1000万くらいだけど

30代後半のおっさん

去年の給与明細みてたら、大体250万くらい控除されてた。

健康保険 28万円

厚生年金 86万円

雇用保険 5万円

所得税  77万円

住民税  60万円

20代のころは年収千万なんて遠い世界のように思えたけど、

実際はちょっとしたお金には困らないけど、決して贅沢できるわけでもない。特に首都圏暮らしていると。

子供が認可保育園に通ってるけど、保育園費用だって一月5万円くらいしたり、子供手当てが月1万円減額されたり、

税金年金以外の部分でじわじわ格差是正されている感がある。

応分負担は構わないんだけど、ただ年収制限子供手当てが削減されたり、子供医療費無料対象からはずれてたり気持ち萎える。

お金問題ではなくて社会から仲間はずれされている感があって。(氷河期世代のひがみかもしれない)

2016-02-23

応援上映やめました

何ってキンプリです。KING OF PRISM by PrettyRhythm公式サイトはこちら→http://kinpri.com/

最近ちょこちょこ話題になってネット記事とかアップされているのでググればすぐでてきます

女児向けアニメスピンオフ映画です。それの応援上映とは

★愛をいっぱい届けよう!プリズムスタァ応援上映会とは?

コスプレOK!声援OK!アフレコOK!

お客様みなさんで一緒に盛り上がるイベント上映です!

この上映回に限り、コール応援など、本当のライブをご覧いただいているかのように盛り上がっていただいて構いません!

というまあ映画館ペンライト振ってキャーキャー騒げるやつでこれがやたら楽しいのです。何回も行きたくなります中毒患者を量産するのでシャブ映画と言われたりしています

この応援上映が評判となってじわじわと人気が広がり上映館も増え今に至るわけです。

私も楽しかったです。最初は。

あれっとなったのは2月半ばだったと思いますストーリーが追えなくなりました。誰かが喋る度に合いの手というか茶々が入る。しか大勢で長々と。台詞にもかぶせてきて内容が聞き取れないことも多かったです。ストーリーが無いから問題ないと言っている人はちゃんと映画を観ましょう。しっかりストーリーありますよ。

そしてつい先日。あるキャラクターに対する野次への問題提起がありました(念のためそのツイートをされた方は私と無関係ですよ)。内容は「仕事しろ」とか「一般人」とかです。実際どうなのかというと彼は仕事もしているし主宰なので一般人ではありません。もともとあったアニメの方で敵の謀略によって失脚したときにそう呼ばれたことがあるのです。

この野次に関してここでどうこう言う気はありません(不快なのは確かですが)。

私が気になってしまうのはそれって「応援」なの?ってところです。上記にあるように応援上映は「プリズムスタァ」に対する「声援」を送るイベントです。

キャラに対する野次(a.k.a罵声)や台詞にかぶせてまで言おうとする大喜利大会って誰のために言ってるんですか?

自分が周りに面白い奴だと思われるために言ってないですか?

「それな」っていちいち言わないと同意もできないんですか?

ニコニコ動画のノリを現実に持ち込むと心底シラけるってまだ気付いてないんですか?

もちろん大多数の方はマナーを守っています。ですがそういう人がいるんです。たまにではなく毎回のように(主に関東にて観測)。

さすがに同じ人が毎回鑑賞しているとは思えないのでそれぞれ違う人でしょう。

そういう人と一緒に映画を観るのが嫌になりました。そういう人がいるかも……と怯えながら観に行くのも嫌です。

から応援上映やめました。

これからは通常上映だけにします(結局中毒患者

2016-02-22

http://kabumatome.doorblog.jp/archives/65854456.html

読んだ。以下長い。

まずミスドじわじわ削られてる理由だが、これは「選択肢ミスドしか存在しなかった」状況だと、商圏がもんのごっつ広大だったのが、コンビニでも(質はどうあれ)置いてあるとなると、遠方の人間は「しょうがない、コンビニでいっか」ということになるからで、実質的に商圏が狭くなっているせいだと思われる。

商圏ってのは物理的な距離もそうだが、心理的距離も影響する。たとえば東京都内に住んでいて「徒歩25分」は論外で商圏外だが、田舎に住んでて車で25分は商圏になりうる。で、物理心理的な面を含めて商圏から外れた人たちからミスドから離れていくということである。行くの大変だから

ミスドの売上が「じわじわと」削られている理由はそんなところかと。

で、実質的コンビニミスドドーナツが競合しているかというと、俺はかなり怪しいものだと思う。というのは、買う理由がぜんぜん違う。ミスドに行くときに「ドーナツ目的じゃない」という人はわりと少ない。わりと、というのはミスド業態として「コーヒー一杯でゆっくりする」というのも店舗によってはけっこうあるからだが、売上全体に対しての比率としてはかなり少ないんじゃないかと思われる(ここ完全に憶測)(データ知ってる人いたら補足してください)。

ということは、ミスドに行く人は相当の高確率で「ドーナツを買うよ!!!」という気で行くということだ。対するに、コンビニで「ドーナツを買うよ!!!」という人はかなり少ない。ほとんどがレジカウンター什器が置いてあることによる衝動買いだ。つまり「買う気がなかった人が買う」ということになる。もしそれが潜在的ミスドの客になりうる人間だったとしたら、とりあえずその人のドーナツ欲みたいなものは収まるので、結果としてミスドの売上を削ったということはいえるかもしれない(現状ではまだその比率無視していいほど低いと思ってる)。

で、さて、コンビニドーナツが売れない理由なのだが、実は味はあまり関係ない。味や、健康へのよしあしについては、そのことに意識的人間が客層として多く含まれ場所に限って影響する。つまり都心オフィスや、比較若い客層が多い場所などだ。あとはあれか、新興住宅街とかで平均世帯所得比較的高い地域しか日本にはそうでない場所のほうが圧倒的に多いし、そうでない人口も相当の比率を占める。そっちのほうが多数派なんじゃねえかな。とりあえず「ロードサイド」っていう言葉でも放り込んでおきますね。

で、そういう層に対してより意味を持つのは「味強い」「甘い」「食いごたえある」のほうである。なんだかんだいって健康にいいものって売れない。たとえば、週に100個単品で売ろうと思ったら、よほどのオフィス立地でない限り難しいはずなのね。でも健康に悪いもの100個売るのは、展開によってはわりと簡単。これは上述のオフィス立地を含めての話。

そういう意味ではセブンのPBでもヤマザキでもなんでもいいんだけど、ああい菓子パンベースドーナツって実はけっこう強い。なにしろ甘くてくどい。そりゃミスドコンビニオールドファッション並べて食いくらべたらミスドのほうがうまいってのはだれにでもわかることなんだけど、そもそもコンビニのメインの層のうち、何割が「ミスドオールドファッション」の味を記憶として保持してるのかって話。なにしろ母数違うからミスドは老若男女だれもが頻繁に利用する場所じゃない。コンビニはだれもが頻繁に利用する場所

まり、母数が違っていて、しかコンビニにおけるその母数の大部分が「味とか大して気にしない」「ミスド日常的に利用しない」層である以上、コンビニドーナツはそれらの客にリーチする可能性はあるってわけ。

でも現実的にはしてない。売れてない。らしい。

じゃあなにが問題なのかって話なんだけど、ひとつにはやっぱブコメにも指摘があったように「ミスドというブランド」が強すぎるんだと思う。味の直接的な記憶はなくても「ドーナツっていったらミスドでしょ。次にミスド行く機会があったら食えばいい」ということになる。つまりミスド=美味しい」っていう信仰だよね。買うか買わないかっていうのは、ものすごく細い尾根道を歩いてる人をどっちに突き落とすか、みたいなところがあって、わずかな揺れで買うほうへ、あるいは買わないほうへ転がっていく。そこでミスド抑止力になってるんだとしたら、このブランド力はすさまじいということになる。

次に単純にオペレーション問題。早い話「買いづらい」。レジにおける客の動きとか雰囲気ってここ10年くらいでえらい変化した。昔は2台それぞれに並んでいるどころか、どうかすると1台のレジで4人並んでいてももう1台を開放しないところなんかザラだった。ところが現在ではけっこうな確率で櫛型に並ぶし、客のほうも列を維持することに自覚的。そして自覚的であるぶんだけ「ルールを守らない人間」を非難する空気は強くなってる。レジで揚げ物を買いづらいなんてのもこのへんが理由になってるフシが強い。

ましてドーナツである。それ単体で何種類もある。どのタイミングで種類をチェックすりゃいいのか。上にメニュー看板があるわけでもない。単純にいうと、衝動買いメインである商材なのに、その衝動買いを起爆させるための導火線がまったく設置されてない。導火線は基本的に揚げ物なんかにつながっている。客の店内における動線ってのがある程度は定まってる(そういうふうに売場は作られている)以上、導火線も何本も設置するわけにはいかないんである。そして衝動買いが発生しない以上、その先にある目的買いも発生しない。そういう理屈になる。

まり、客に買わせるためのシステム作りが拙い。俺はそう考える。種類がある商品は「選ぶ」という行為と「買う」という行為距離が近くないとだめ。コンビニにおけるドーナツは、その二者のあいだに距離ありすぎる。

じゃあどうすりゃ売れるのかということになるんだが……。

いくつか考えられるが、どれも現実的ではない。

 ・ミスドと同じくショーケースに大量陳列し、対面で販売

 ・カウンター什器の中心をドーナツにすればよい

 ・価格アホみたいに下げる

 ・店内調理を取り入れる

 ・客がセルフで取れるようにする

 ・そもそもミスドとは異なる新しいドーナツ体系を築き上げる

とまあ、ざっとこんなところだ。ほかにもまだあるが、ネタ領域に近づくので書かない(まあ現実的にはその「ネタしか思えない」の領域から新しいやりかたが出てきたりもするんだが)。

そんで、俺の考えるコンビニドーナツの今後である基本的業界の動向を決めるのは某7の数字がつくチェーンなので、あそこの動向だけ見ていればよい。

とっとと諦める可能性はゼロではない。あの程度の投資など撤退したところで別にどうってことないだろう。あのチェーンなら。扉のない平置きタイプ冷凍庫なんてドーナツ什器とは比較にならないくらい高い。そういうもんを、増えた電気代もろとも吸収するチェーンである(もちろんそのぶん売上は上がってるだろうが)。ドーナツ什器くらい「だめだった♪いっけなーい♡」くらいの勢いで捨てる。

諦めなかった場合だが、店内調理とか価格破壊なんかは比較的可能性が低い。あのチェーンは伝統として店内調理に関心が薄い。某青いチェーンとかヤマザキデイリー特に後者の一部店舗)が店内調理に関して、進化袋小路みたいな実験を繰り返し、その一部をレギュラー店にも還元しようとして失敗してるのを横目に、某11の数字がつくチェーンはほとんどそういうことしない。

可能性としていちばん高いなと思うのは「新しいドーナツ体系」を作ってくるということだ。それがどんなもんかは俺にもわからん。が、あのチェーンの歴史ってのは基本的に「消費者の潜在欲求に触手を伸ばしその触手から”君が欲しいのはこれだね……これなんだね……”といやらしい粘液を送り込んで消費者触手なしでは生きていけなくする」という手法で成立している。あのチェーンがすごいのは、その触手の性能である。太くて、長くて、しかも粘液の量多い。絶倫である。ほかのチェーンはや業態もあわててまねをするのだが、しょせんまねごと触手であるため、かえってオリジナル養分にされて終わる。「やっぱセッッッッブンイレブーーーーーンヌだよね!」という消費者の暗黙の賞賛を売上というかたちで得てしまうのだ。

もしドーナツについて例のチェーンが本腰を入れてくるなら、その「だれも考えてなかったが、いわれてみればこれだった」という手法を何年かけてでも見出してくるに違いない。

そう。何年かけてもだ。あのチェーンほんといやな。ミスドがんばって。

2016-02-20

最近のフミコフミオ氏がおかし

いつもおかしいだろ。と言われればそれもそうか、と納得する。

ネタが強烈すぎて、本人の描写含めてほぼ創作なんじゃないか、あの亡くなった部長さんはフミコフミオ氏の一部なんじゃないかと疑ってる。面白いからいいんだけど。

なお、創作でなく事実だとしたら、フミコフミオ氏は亡くなった部長じわじわ似てきてると思っている。

これから人口3分の1か2ぐらいが死んでいく時代に入った。過去の火の戦争のような派手なものではなく、じわじわ貧困貸して死んでいく新しい時代戦争

戦争意識できないような、見えない戦争であり、

主に情報戦で行われる。頭の弱さと心の弱さが試される。少しでも弱い心があれば、いっきに崖から転げ落ちる。

思考停止や甘えた発想は命取りだ。

おバカは、自分が助かる方向と逆の方向へ走ったり、助けてくれる相手を叩いて邪魔をする。サバイバル映画とかで真っ先に死んでいる脇役だ。実際の戦争(太平洋戦争など)とかでも、そんな人間はいたのだろう。

プライド嫉妬欲望、怒り、偏見差別、これらを抱いていると生き残れないが、残念なことに多くの大衆は、この感情にどっぷりと浸かっている。

この激動の時代を生き残るには、道を開けるリーダーを探さなければ生き残れない。私も何十年と探している。

スマホ画面最下部でじわじわフェードインしてくる系の広告って、

クリック率は上がっても広告効果はなさそうだし、

というか、これって一種クリックジャッキングなのでは。

はてなは率先して止めるべきだと思うよ。

ハイボール日本を「酔っぱらいの国」にする。

これはあくま東京都区部生活圏にしている自分から見て、という話なんだけども、

どうもここ数年、酔っぱらいにやさしい風潮が広まっているような気がしてならない。

というのも、電車の中でビールチューハイの缶を袋で隠しながら飲んでいる人は前から多少はいたが、

近頃は会社帰りのリーマンが連れだってコンビニからビール缶を手に手に出てくる。

またメディアでは「昼呑み」やら「朝呑み」やらが取りざたされ、店先でもアピールに余念がない。

立ち飲み屋世代わず人気だったり、いわゆる「センベロ」という言葉を聞く機会も増えた気がする。

どうしてだろうと以前からぼんやり考えていたが、

ふと「ハイボール流行」がその流れに影響しているのではないか、と思った。

いつからだか具体的には思い出せないが、じわじわハイボール流行りはじめた。

自分の周りでも、最初の数杯はビール、あとはハイボールで、という人が増えた。

そして今や「流行り」ではなく「定番」として受け入れられている。

扱われ方としては、ビールの代わりにゴクゴクいける酒、という感じか。

しかし、このハイボールウイスキー、つまりハードリカーを割ったものだ。

ゴクゴク飲む酒として代表的なのはやはりビールだが、アルコール度数は5度前後のものが多いだろう。

一方、ハイボールはどうか。

いくら炭酸で割ったとはいえ、もとは40度もある酒だ。

それにもし、これを自宅でつくって飲むとなれば、

酔いが進むと同時に濃くなってゆくのも自然のこと(自分のことです)。

実際、サントリーが缶で売ってるハイボールは通常で7%、「濃いめ」と称するもので9%だったと思う。

15度前後日本酒ワインビール感覚で飲む日本人はそうそういない。

確かにハイボールはそれらと比べれば低い。

低いが、ジョッキとか、メガハイかいうノリでゴクゴク飲んじゃってもいいような酒なんだろうか。

若者ビール離れ」などと言われて久しい。

でも「酒離れ」にはなっていないのではないかと思う。

ビールから離れて行きついた先がハイボールだったりしたら、

社会全体のアルコール濃度はむしろ高まっている。

ハイボール流行に関して、これもまた自分感覚なんだけれども、

「無理やり流行らされた感」(恵方巻みたいな)はなかった。

ごくごく自然に、人々が自然に求めた感じだった。

簡単な話、ハイボールがなぜ流行たかというと「安くて強い」からだ。

あの地震の影響もあるかもしれない(時期的にも少し被っている気がする)。

そしてどうも最近、ある種の「諦念」が世の中に蔓延しているような気がしてならない。

これ以上がんばってもどうしようもない。報われない。あの頃とはもう違う。

それならせめて楽に(酔っぱらって)生きようじゃないか、という空気が。

そんな世相にハイボール合致しただけかもしれない。

しかハイボールという酒が、その流れを加速させているような気がしないでもない。

水は低きに流れるという。なら酒はどうか。

「ハイ」ボールもまた、人々を高みへは導かないだろう。

もっとも、自分自身も他ならない(からこそこんな文章を書いてみた)。

そんな流れに流されまくって週末ともなれば昼から酒浸りになっている自分のような人間は、

ハイカーストのお歴々にひたすら搾られる側なんだろうな、とも思う。

といったことを考えながら通勤電車に乗っていたら、

「私らしく、なんてどうでもいいじゃない。」

というコピーが書かれた氷結広告を見て、

何とも言えない気分になった。

2016-02-13

マイナス金利が失敗すると、成長戦略が失敗したということなので…つまり

米が不作なのに年貢は納められず、年貢がないなら役人福祉じわじわカットされてしまうのが自然なのだろうか…

2016-02-12

小泉政権2007年頃だから、この時までは国民意識は1億層中流が当たり前だった。そして、じわじわ二極化が始まった。

年代にして整理すると、つい最近の話だ。(10年ほど前か…)

(最近では、今始まったばかりの風潮を昔からの風潮だと歴史を曲げる手法流行ってるけど年代歴史整理すると嘘が良く分かる)

私は、小泉政権のお陰で少しは恩恵を受けた?方なので反対派ではない。小泉政権以前は、今以上の出る杭は打つが酷くて横並び意識、且つ、閉塞感が充満していた。マイノリティ村八分という差別も強烈で、ガチガチに固定され一ミリたりとも流動していなかった。

そして、それから数年、格差ますます開き始め、落ちていった者(負け犬)の数が増えてきた。


その落ちぶれていった人達怨念の塊が、今、徐々に膨らんでいっている。

負け犬に落ちていない側も、少しでも落ち度を見せれば、怨念の塊が足をつかんで引きずり落とそうと狙っているのでオチオチしていられない。

今の日本の状況とは、そんな感じだ。

今も昔も人災が大きいけど、人災の質は変わっている。

状況を整理して、どうしたら良いか考えなくてはいけない。

人間は皆一緒ではないし、個体差もあるので、必然的に頑張るものと頑張らないもの生まれる。

平等にするべき部分と、平等にしてはいけない部分は何なのか?明確にしなくてはいけない。



種の保存の勝者である専業主婦が、独身仕事一筋のキャリアウーマンを袋叩きにする、または、その逆?もあるのだ。

今、日本人に足りない賢さや考え方、学ぶべき事は何なのか?

整理して、それを共有しないといけない。

(自らの選択に個々が責任を持つことだろうか?その選択には常に、光があるのではなく引き受ける負の条件があるということだろうか?)

自らの失敗の原因を見つけて、反省しないと同じことを繰り返すだけ。(いくら人のせいにして、ストレス発散しても、自分引き起こしてるのだから学ばないと何度も失敗する。)

2016-02-10

親知らずの抜歯を病院で行った

二度目だけど医者は大したことないみたいな言い方するけどじわじわ痛いし

ドライソケットとか傷口に食べ物詰まるんじゃないかって怖くて飯食いにくいし

割りと辛いわボケがー!

2016-01-27

iPadが憎い

3歳の息子がiPadに夢中だ

最初は気にしてなかったけどさ

たまに早く仕事終わらせて、帰って、息子と遊ぼうとしてもiPad

さすがにiPadばかりはいかん、と見せないよう妻に伝えたら

洗濯物や料理するときに大人しくしてくれるから見せてるし

取り上げないでという

確かに事情があって、自分1人で息子を見ていたことが一年近くあったので

何かに集中していてくれて、やらなければならないことが済むのはラクだ。超わかる。

でも息子が起きてる時間に帰ってこれるのは滅多にないし

話したり、絵本よんだり、遊んだりしてあげたい。

息子はiPadがいいらしく、自分が帰ってきても無視だ。

でもいかんと思うからiPadより興味がでるような遊びで誘ったりした。

うまくいくときもあったけど、

今日息子に、パパ帰ってこないでiPadなくなるからといわれ

じわじわショックうけてる。おっさん泣きそう。

休みの日は公園いったり散歩したりして楽しそうなんだけど、地味にこたえた。

帰ってこないではキツイなあ……

iPadもうやめさせようと思った。

2016-01-22

死にたい。生きていられる理由が欲しい。

心に真っ黒なものじわじわ侵食してくる。

自分が、死にたい理由は分かっているつもりだ。

物心ついた時から自分マイノリティーの側の人間だと自覚たから。大人になって、かれこれ数十年、マイノリティーとしての人生を歩んだけれど、思い返してみても過酷人生だった。

マイノリティーの側からは、人間の醜さ汚なさがよく見える。

2016-01-20

一番搾り横浜づくりはお得

アルコール分が6%だからお得。

たった1ケース飲んだだけなのに、いつもと世界が違って見える。

外を見ても信号がぼやけて見える。

ぼーっとみてると、信号だけじゃなく車のライトとか色んな光がぼやけてきた。

いろんな光がじわじわ拡散していって、視界を白が覆っていく

ついには光の重なりが一つの光でおおわれる

しばらくこの時間を満喫したいと思っていたけど

次の瞬間色んなものがはじけ飛ぶのが分かったし、

ただガラスキラキラとまた光り出して、

美しいなあと思っていたらようやくはじける音が聞こえて

ニコニコしてしまってこうやって召されるのも悪くないなあと思っていたら死んだ

2016-01-18

漠然死にたいという思いがある。

でも実際に災害事故のような急激な死に直面したら、即死でもない限り、身体がじわじわと変化していって二度と戻らない方向へ向かっているのだということを認識して、抗えないもの支配される恐怖に包まれるんだろう。こんなのは嫌だという感覚のまま死んでいってしまうんだろうなと思った。

35年勉めて幹部もやった会社を辞めることになったので、愚痴る。

結局何が悪かったのかわかるようでわからんようで、まだ正直気持ちの整理もできていないが、落ち着かせる意味増田に書かせてもらう。

今度、35年つとめた会社退職することになった。いや、正確には一応は役員になっているから、解任か。

解任理由は簡単、

会社人生はいろいろやった。自分なりに会社に貢献してきたつもりだったし、事実、苦しいときには俺がやった事業会社の新しい展開をやれたとは思う。

ただ、その事実のものを、専務の奴は気にくわなかったんだと思う。

もういい加減、愛想が尽きた。今は、あん会社は徐々に腐っていけばいいと思う。

入社したころ

入社したときは、企画職でも営業でもなく事務職だった。ただ、ちょうどその頃会社はその頃の看板商品が大ヒットしていて、人手が足りなくなってた。

そこで、他の部署に応援に回される事になって、いろいろな部署の応援をやった。

人海戦術DM発送、苦情受け付けに倉庫整理、制服の繕い物、展示会の売り子から営業の補助まで、何でもやったよ。その中で、最終的にある製品企画プロジェクトに回された事が転機になった。

そのプロジェクト全然注目されて無くて、一応商品化は済ませていたものの、社長専務の覚えも悪く全然売れてなかった。

ただ会社の景気だけは良かったからお取りつぶしにされる事無く済んでいた。

こんな、他にもいくつかあったプロジェクトの一つだった。一応は責任者という立場だったが部下はいなかった。

プロジェクトに関わってから

会社はどこまで行っても同族企業で、その上社長や専務が強力なコネクションを持って仕事を取ってくるような所があった。

から社長専務の覚えがめでたけりゃ予算をもらえてそれだけである程度売れる。

ただ、そういう所はひたすら専務の言うことを聞いてなきゃだめ、言いなりになってないと駄目と言う感じだった。

一方で、そうではないところは完全に日陰。だから俺がやる事になった所は、商売としてはさっぱりだったが、その代わり注目もされないので専務に横やりを入れられることもなく、自由にやる事ができた。とにかく当時は看板商品が売れに売れてお取りつぶしにするような手間すら惜しかったのだろ。

どうせつぶれるのだろうし、いろいろな場所でいろいろな手伝いをして歩いてずっと考えてたビジネスプランを実行してみることにした。

それが、当たった。ビジネスプランには自信が無いわけじゃないが、時代に当たった運もある。

もちろん、始めはいろいろと難しかったけど、取り組み初めて数年で軌道に乗り始めた。

プロジェクト成功と、時代の流れと、看板商品廃止

ちょうど時代は、昭和という時代が終わり数年たったころ。

バブルの残り香が消え始め、酔いが覚めるように人々はだんだんともうバブルは終わったんだと言う空気感になり始めた頃。そんな時代が切り替わるタイミングというのはいろいろと古い商売と新しい商売が入れ替わっていく。

そんなタイミングにあっても、出た芽は小さくて、昔から商売をしている人にすれば、たまに生まれてすぐに消えるようなものに見えていたと思う。だからそう言う新しいことをやろうとしている人は、今の商売でうまくいっている人々に相手にされていなかった。

そこに俺は、今の商売でうまくっている所の看板を使って乗り込むことで、一気に市場存在感を出すことができた。今流で言うと社内ベンチャーということになるのだろうか。最初は小さかった商売だんだんとうまく行き始めた。

ただ、うまくいきすぎた。いや、違うか、本当に時代が変わっていた。これは悪い事に、これは看板商品の方がだんだん時代に通用しなくなってきたことも意味してた。前の看板商品だんだんと売れ行きが鈍っていく。一方で俺の商品は売れていく。

そうして、あるとき有力な取引先が3つも相次いで路線変更をし、うちの商品のそれまでの看板製品の扱いを大幅に絞った。その代わり採用されたのが俺がやってた路線商品

うれしいと思うよりも、もう必死だったよ。気楽にやってたのにいつの間にか主流の落ちた売上を俺が支えなきゃならない立場になってしまった。必死必死会社を守るために働いた。幸いにして努力は報われてどんどん売上は伸びたが、主流派商品はどんどん駄目になっていった。

そして…主流派商品がついに販売できなくなった。

よく覚えている、阪神淡路大震災があり、オウム真理教事件があった頃だ。

専務が関わっていた主流派の方は、既存設備が無理がたたって主力品が販売できなくなった。

一方で、同系統代替品を用意はしていたが、売れない。それはそうだ。時代の変化について行けなくなったから。前と全く同じ商品だったから売れていただけで、時代に合わない違う新製品を出しても売れなくなっていた。

会社は支える事ができた、ただ、それが…

一方で俺の方の商品は順調に売れていた。そこで、俺はよかれと思って、俺の方の商品に、主流派商品をセット販売を少しずつ始めていた。どうも専務たちはそれを本当はやりたくないような雰囲気が合ったが、当時は完全に俺の商品以外は赤字になっていたからだ。

また、この新しい商品ノウハウは社内にも公開した。当然だ、秘密にする理由がない。

これで、だんだんと社内の方にも広まり始めた。

これによって主流の方のラインだんだんと復帰し始めた。

ただ、ここまで来ても俺がやっていた方のラインは、メインのラインと完全に交わることはなかった。ただ、スタッフ交流は行われていたし、現場レベルでは別に完全に分離されているわけじゃなかった。

社長専務が主流の方に力を入れていて、こちらに何も言ってこないのは以前からだったし、何よりもそう言う体制があったからこそ、時代の流れの変化に会社として対応ができたから、それはそれで好ましいと思って、特に気にしなかったんだ。

ただ、今思うと、だんだんとひずみが蓄積していったのだと思う。

新しい時代の変化と、決定的な出来事

いくつか時代象徴する出来事というのがあるが、オウム真理教事件が以前の時代の節目を象徴したものなら、俺にとってのその次は、リーマンショックだったと思う。

この頃から市場環境が再び大きく変化し始めた。商売環境が再び変化し、90年代確立しつつあったやり方が再び通用しなくなった。顧客予算配分が大幅に変わり、そもそも市場が縮小し始めた。これにより売上が頭打ちになり始めた。当然手は打っている。手を打ったから大幅な売上減少にまでは至らなかったが、このままではじり貧なのは間違いが無い。

そして時代が回るうちに、うちの会社で主流派社長専務がやってきていた古いスタイルが再び受けるようになってきた。主流派は、こちらが作り上げ、提供したやり方と、80年代からやっている古いやり方両方を知っているため、堅調に伸び続けた。

当然、我々も後を追おうと考えた。

しかし、ここで、2つの決定的な出来事が起きた。

  1. こちらから流派側に協力を求めたが、拒否された。
  2. 再び来た時代の節目に、打とうと考えた新たな手を禁止してきた。

この二つのうち、どちらかを認めてくれるのならば、まだ耐えられた。ただ、両方とも封じられてしまったら、もう手も足も出ずに、座して沈んでいくのを待つしか無い。

しかし、もう問題は俺だけの問題でも、俺の部下だけの問題でもなく、供給責任として商品を届ける取引先や、それに連なる経済生態系に対して責任が及ぶようになってしまった。

そこで俺は、ここへ来て明確な指示への違反をした。いろいろと問題にならないように配慮をしつつ、せめて影響が小さくなるように、できる限りの手配をし、できる限りの手を打った。

専務からは何度も話は合った。そのたびにできる限り社の方針に従いながらも、しか責任は果たすように新しい方向に舵を切っていった。

とどめとなった「うわさ」

専務からの締付は強くなってきてはいたが、専務はそもそも会社愛が非常に強い人間でもある。ある程度の自制は効いていたのか、俺や幹部には強く当たるが、実際に決まった業務に影響が出るようなことはなかった。関係性は冷え込んで、それは取引先にまでしれるような状況になっていたが。

均衡状態が一気に動いたのは、ある噂だった。

それは俺が、独立するというものだった。

タイミングとしては最悪だった。社長専務はもう高齢で、後継者の話がでて、専務の娘が会社に入り、次期社長に決まっていた。そこでいろいろな整理が始まっていた頃だった。

もちろん、俺にはそんな気は全くなかった。弁解もした。ただ、これが「とどめ」になった。

専務からの指示はどんどん強くなっていった。それは俺に言うだけではなく、従来は現場レベルではある程度協業できていた末端の業務にも影響が出始めた。

そして去年の1月専務に呼び出された。慌てて向かうとそこには専務の他に取引先の人間と、会社顧問弁護士がいた。専務取引先の人間に、独立する気も社長の座をねらってもいないと直接説明するように求めた。

俺は求められたように、何度も繰り返していた同じ話をした。そんなつもりは全くない、これからもやっていくつもりだと。事実として、社長専務戦後直後から作り上げた偉大なブランド力と、会社の巨大なシステムがなければ商売は続けられないし、それを辞めるメリットはどこにもなかった。冷静になれば誰にでもわかることだ。

ただ、専務はその取引先がいる席上で、そういった説明だけではなく、俺がやっている商品がいかに駄目か、いくらやっても会社の主流は専務商品であり、劣った亜流であるかを演説し始めた。顧客まで馬鹿にするような発言。はっきり言って事実じゃない。そうして言ったのだ。主流になっているラインと、俺がやっているラインが分かれて摩擦がある事そのもの存在せず、もし存在しているとしたら刃を向けているのと同じだから、辞めてもらうと。

話はあっという間に広まった。

言い分。

わかっている。いくらやっても主流になれないことは。

だが、会社問題になったときに、古いやり方に固執して市場変化に対応できず、それでも売ろうとして製品を壊してしまったの誰なのか、収益を上げて会社を支えたのは誰なのか、それぐらいは人気視していると思っていた。

専務後生大事に掲げる理想ははっきり言って利益になってない。それは我々が作り上げた売れ筋の土壌の上にしか存在できないものだ。それを認めろとは言わないが、否定するということはどういうことなのか。

主流になりたいと思ったことがないと言ったら事実ではないが、主流にしてくれと言ったことはないではないか。それでも何故、敵視してくるのか。

専務の言い分、それがすべてでたらめとは言わない。もっともな指摘はあるだろう。古い伝統理想を掲げることは大事だ。

しかし、古い理想を古いやり方が再び流行が回るように時代の流れになったからと言って、それは合っていたとは言わない。

止まっている時計は必ず一日に一度は正確な時間を示す、しかしそれは時を動かしているものいるからだ。止まっていることと動いている事は全く違う。

正直愛想が尽きた。

今、会社は手足、足かせをして新しい手法を認めていない。

この方針は続けることになるだろう。少なくとも社長専務がいる限りは。その娘がいる限りは。ただ、誰の目にもその方針でいつかは行き詰まることはわかりきっている。消えてしまうことはないだろうが、市場は大幅に縮小することになるだろう。

専務取引先がいる席上でこう言った。「辞めろ」と。本流と一緒にやろうとしたとき、それを拒否し壁を決定的にした本人が、摩擦が存在するならば、辞めろと。ならば辞めてやろうと思う。

今後について

ただ、そう決めたからと言って、いきなり出社しないとかではなく、いなくなっても問題が無くなるまで引き継ぎをするあたり、結局俺は小物なのだと思う。

あいつが勝手に辞めたか会社が駄目になったとか言われるのも癪に触る。部下が困るのも本意では無い。結局一年かかってしまった。

希望を言うならば、ただ、進行の遅い癌のようにじわじわ会社をむしばんでいって、最後どうにもならなくなった時に、あのときあいつが残っていれば違ったのだろうなと言わせたいと言う程度の希望はある。(これは呪いでもある)

金なら十分すぎるほどあるし、仕事しかしてこなかったから養わなきゃならん家族もいない。これからは気楽にやろうと思っている。

悩み事としては、俺が辞めるではなく独立して新しい会社を興そうと考えてると勘違いして、ついて行きますと言ってる部下をなだめるのに苦労している。

俺も、それなりに人望はあると思ったが、そこまでとは、正直感動した。

感動したが、部下たちもあん会社でそんなことを言ったら会社での立場が完全に駄目になることはわかりきっているのに言ってしまった。だからといって本当に会社を興してうまくいくとは思っていないので彼らを拾うこともできない。

もう噂になっていると言う所で頭が痛いが、最後奉公だと思って(会社はどうでもいいが、部下や取引先は大切だ)各方面にこの下げなれた軽い頭を下げに行ってくるつもりだ。

(この話はフィクションです。現実団体、そのほかとは関係がありません。よく似ているものがあっても、無関係です。)

2016-01-14

人工中絶率は今くらいが限界じゃね

出生数(A) 中絶件数(B) 中絶率(B/(A+B))

1955年 173万0692 117万0143 40.3%

1961年 158万9372 103万5329 39.4%

1971年 200万0973 73万9674 27.0%

1981年 152万9455 59万6569 28.1%

1991年 122万3245 43万6299 26.3%

2001年 117万0662 34万1588 22.6%

2011年 105万7000 20万2106 16.1%

おまえのばーちゃんかなりの確率堕胎してんぞ中絶大国日本ってとこからよくここまで減った。

毎年じわじわ減っているがこの辺が限界なのでは。

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2247.html

国際的に見てもかなり少ない方だし、日本は闇医者堕胎がないしなぁ。

あとは目指せドイツになるんだろうが、あんまりガチガチ避妊した結果堕胎が減って出生率か下がるのも困るしなぁ。

2016-01-10

ブラウスに黒キャミソール

ベッキーの件でさ、ベッキー記者会見で白ブラウス着てんなーと思ってさ

すっげーどうでもいい話なんだけど思い出して不愉快になったことがある

ただの自分の話でベッキーは一ミリ関係ない。ごめん。

私が昔勤めてた会社でさ、まあクソ中小ブラック企業だったもんでさ

朝は掃除しないといけなかったんだわ

そんでスーツジャケット脱いで窓拭くなりなんなりしてたんだけど

そのとき白いシャツのしたに黒いキャミソール着てたんだよね

別にシャツも薄手のではなかったはずだけど

まあ下に黒いの着てるなあ、というのはわかる程度だったみたいで

おっさん上司にニヤニヤしながら注意されたんだわ

黒だと透けるからさ、白いのとかにしてねって

白は白で透けるよね?

てかブラが透けたんならともかくキャミソール透けたくらいでなんじゃい?

と思いつつ、はあ、そうっすか、っていってそれから気を付けるようになった

その後、社員旅行があって、そのとき私服参加だったもんで

白いTシャツジーンズ履いて、いわゆるシャツワンピースから着てたんだわ

夏だったしワンピースで隠れてたから、Tシャツの下にキャミソールの類い着てなかったんだけど

たまたま一瞬そのワンピース脱ぐ機会があった

そば打ち体験かなんかで、そのとき割烹着みたいなのが貸し出されたから、Tシャツジーンズだけになったのはほんの一瞬

だがそのタイミングでブラが透けたらしく

それもそのあとおっさん上司からニヤニヤしながら注意された

色まで言われた、水色だろ、透けてるぞって

あのとき自分意識が低いのか、そうかと思って

「そうですかすみません、ありがとうございます」位言ってたけど

なんか今思うと…セクハラでは…?と思ってイライラする

もちろん常にブラが透けっぱなしとか、スカート短すぎとか

そういう見苦しいもんを見せることを正当化したい訳じゃない

けど、わたしの身だしなみはそんなにおかしいもんだったか??

身だしなみを注意する体でおっさんセクハラに利用されてはなかったか

いや、そんだけなんだけど、くそっ…て夜中になったから書きました

ちなみにその会社ですが、

終電間際にしごとを言いつけられ、終わらないのでおっさん上司わたしの家まで車で送ってきて

家にいれてよ、嫌ですよ、のやり取りをするのが常態化し始めた辺りで

自律神経が壊れてやめた

その時点でも仕事がきつい、やめたいとは思ってても

セクハラおっさん死ねとは思ってなかった

セクハラの怒りって三年後くらいにじわじわ来るんだよな

おっさんの奥さんが懐妊されたときは「セックスできなくて性欲たまって辛い」話をされたり

お子さんが生まれとき部署みんなでお祝いにいって、

抱っこしてたら「よかったなーおっぱい大きいおねーさんにだっこされて」とか言われたり

冷静に考えたらおかしいことばっかりだったのに

当時は怒るって回路がすぽんとぬけてた

その代わり思い出すたびに腹が立つし死ねと思う、

多分今後もこうやって、折に触れ思い出すたびずっと思う

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん