まず、ゲームの名前を記事内では仮に「A」とし、正式な名称は伏せておく事をご了承下さい。
読み終えて尚「なんのゲームについて話しているか分からない」という方がいらっしゃると思うと心が痛むのですが、きっとその方はこのAに関わることの無かった幸福な人だと考えこの形を取らせていただきました。心当たりのある方だけ読んでいただければ嬉しいです。
Aを始める→A内で問題が起こっていた事を知る→Aをやめる→Aを嫌いになる
となります。
本当はここでA内の問題について詳しく語った方が良いのでしょうが、省きます。他の方が丁寧にまとめて下さっているのに私がわざわざ言及する必要もないと思うからです。
私がこの記事で書きたいのは「やめてから嫌いになった経緯について」、その一点です。
やめた当時、私はAそのものにそこまで嫌悪感はありませんでした。ただ「問題を起こしたようなゲームをわざわざ続けたくもないな」という軽い気持ちでプレイするのをやめました。
…「問題が解決したらまたプレイしようかな」位の気持ちは持っていたのです。その日はいつまでたっても訪れてはくれませんが。
嫌いになった理由の多くはAのユーザーだと言っていいでしょう。
Aの問題が大きく取り沙汰された後に当時のフォロワーが口を揃えて言った言葉が「キャラが好きだから」でした。この文を見かける度に私はゾッとしてしまうのです。
キャラクターが好きだから、なんだって言うんだ。やめた私にはキャラクターへの愛が無いとでも言うのか。汚い土壌に好きなキャラを乗せたくないというのは間違っているのか。解決していない問題に目をつぶるのが愛なのか。
そんな事を必死に考えて呟こうとしては消し、呟こうとしては消している内に、好きだった筈のキャラクターさえ歪んだ土の下で育った気持ちの悪いものとして映るようになってしまいました。
私はAのユーザーである彼女らをブロックして、何も呟かずに自分のネット上のアカウントを消しました。
アカウントを消す前に上記の言葉を問いかけておくべきだったと今では思います。ですがあの時は逃げるのに必死でした。「好き」なら擁護される問題が、擁護するユーザーが、怖くてこわくてたまらなかったのです。
ブロックしてから半年経った彼女らが何をしているのか私には分かりませんが、愛とやらから解放されていることを切に望みます。
これが私がAを嫌いになったきっかけです。その後もじわじわと嫌悪感は膨らんでいく事になるわけですが、今回は「嫌いになった話」としてですのでこちらの話に留めさせていただきます。
今では「Aの問題はもう解決している」という文もよく目にします。
私はそうは思えません。問題の解決というのは、双方からの結果報告があって初めて終わる物だと思っているからです。被害者側の意見が見えない状態で加害者側が一方的に「解決しました」と言ったのを信じるのは馬鹿のやることではないでしょうか。
ここまでユーザーを責めるような文が続きましたが、私は何もユーザーが悪いという話をしたい訳ではないのです。悪いのはAのゲームそのものなのですから。
そもそもAが問題を起こさなければ、こんなにも問題解決までの期間を長引かせなければこんな事にはならなかった。Aが問題を起こしたせいでプレイヤーが叩かれているのだから、プレイヤーは怒っていい筈です。
さて、この記事を通して私が現プレイヤーに、Aの問題を知っていて尚Aを続ける方々に問う事があるとすればひとつ。
このままいつか改善される事を信じてプレイを続けても叶う筈が無いことは、一年も経っているのだから分かると思います。
批判を押しきってまでやる必要性が何処にあるのか、ゆっくりと考えてほしい…私からはそれだけです。
乱文失礼いたしました。
2016/3/19