はてなキーワード: じわじわとは
ベッキーの件でさ、ベッキーが記者会見で白ブラウス着てんなーと思ってさ
すっげーどうでもいい話なんだけど思い出して不愉快になったことがある
私が昔勤めてた会社でさ、まあクソ中小ブラック企業だったもんでさ
朝は掃除しないといけなかったんだわ
そんでスーツのジャケット脱いで窓拭くなりなんなりしてたんだけど
まあ下に黒いの着てるなあ、というのはわかる程度だったみたいで
黒だと透けるからさ、白いのとかにしてねって
白は白で透けるよね?
てかブラが透けたんならともかくキャミソール透けたくらいでなんじゃい?
と思いつつ、はあ、そうっすか、っていってそれから気を付けるようになった
白いTシャツにジーンズ履いて、いわゆるシャツワンピース上から着てたんだわ
夏だったしワンピースで隠れてたから、Tシャツの下にキャミソールの類い着てなかったんだけど
そば打ち体験かなんかで、そのときは割烹着みたいなのが貸し出されたから、Tシャツジーンズだけになったのはほんの一瞬
だがそのタイミングでブラが透けたらしく
色まで言われた、水色だろ、透けてるぞって
「そうですかすみません、ありがとうございます」位言ってたけど
もちろん常にブラが透けっぱなしとか、スカート短すぎとか
そういう見苦しいもんを見せることを正当化したい訳じゃない
身だしなみを注意する体でおっさんのセクハラに利用されてはなかったか
いや、そんだけなんだけど、くそっ…て夜中になったから書きました
ちなみにその会社ですが、
終電間際にしごとを言いつけられ、終わらないのでおっさん上司がわたしの家まで車で送ってきて
家にいれてよ、嫌ですよ、のやり取りをするのが常態化し始めた辺りで
自律神経が壊れてやめた
その時点でも仕事がきつい、やめたいとは思ってても
おっさんの奥さんが懐妊されたときは「セックスできなくて性欲たまって辛い」話をされたり
抱っこしてたら「よかったなーおっぱい大きいおねーさんにだっこされて」とか言われたり
冷静に考えたらおかしいことばっかりだったのに
当時は怒るって回路がすぽんとぬけてた
その代わり思い出すたびに腹が立つし死ねと思う、
多分今後もこうやって、折に触れ思い出すたびずっと思う
場の責任を引き受ける為に、本当に必要で重要な事に集中している人は、些細なこだわりを全て捨てている。
重要な事とは、未来を予測して対策を立てたり、重要で難しい解かなくてはいけない難問を解くことである。
そういう人は、死にもしない細かい問題なんて重要視していない。だから、細かいことがちゃんとできていない事は多々ある。
にもかかわらず、どうでもいいような些細なこだわりにばかり目を向けている人は、上の様な(大仕事)を行う人間に怒鳴り散らして細かいことをさせようとする。
小事を行う人が、大事を行う人の上に立って、細かい指示を出す。
もうめちゃくちゃ。
立場が逆転するから、小事の人間は、大事の人間にキレまくることになる。小事の人間は本質を見ることができず、細かいところばかり見ている…
なので、大事の仕事を行う人が、欠点だらけのダメ人間に映り評価できない。
重要な難問を解いているにもかかわらず、重要でない部分で手を抜いたばかりに、「出来ていない!」と指摘される。
小事の人間には、「難問」と「優しい問題」の区別がつかず並列にしかみえないから。違いが分からない。価値が分からないのである。
ちなみに言うまでもないが、どこで手を抜くかの手の抜きかたも、プロフェッショナルな技量が必要だけど、小事の人間と大事の人間では、手を抜くところが異なる。なので立場が逆転すると、手を抜くところで手をいれなくてはならず、その逆もあり、めちゃくちゃになる。
効き目の弱い毒を毎日飲まされて、じわじわと殺されているようなものだ。殺人と一緒。
大と小がわかっていても、権力闘争や、嫉妬などで、収まる場所に収まる人間が収まっていないだけなのかもしれないけど…
こうした事も、心にしっかり焼き付けられて、自分をごまかす事はできない。自分で巻いた種はいつか刈り取らねばならないので、その時に、どうか他人のせいにはしませんように。
好きな人に、いい感じの人いる?って聞いちゃった...ううう返事来ない後悔後悔
じわじわ仲良くなって友達になれたきがしてたのに友達ですらなくなっちゃったらどうしよう.........
変な事言うんじゃなかったよーー!!!
男の人はこんな事きかれたらどう思うんだーー!!?
皆が思っていたイメージとは違っていただけだ。
1990年代にも、終末の予言はノストラダムスだけでなく、いくつも知られていた。マヤ予言も、徳川の予言も、年代はそれぞれ違っていたけど、しかし立て続けに、2000年を過ぎた辺りで集中しておこると言われていた。このことから、終末は1回の事件ですべてが終るのではなく、複数の事件が何度ももたらされることにより、じわじわと起こることが、その時からイメージできたはずだ。
ノストラダムスの予言は、終末予言の中でも一番まっさきに始まる。1999年。ひとつ目の鐘が鳴ったにすぎない。
予言マニアなら、信じるに値できる想定内の範囲だ。当時は文献をちゃんと読んでいない、予言をあまり知らない人が騒いでいただけだった。当時、情報を得るのには、本かテレビしかなくインターネットはなかった。
そして、1999年付近で、終末を連想させる事件には9・11がある。
時間のずれはあるけれど、
この計画が水面下で決まった日にちは誰も知らない。
皆が思っていたイメージとは違っていただけだ。
1990年代にも、終末の予言はノストラダムスだけでなく、いくつも知られていた。マヤ予言も、徳川の予言も、年代はそれぞれ違っていたけど、しかし立て続けに、2000年を過ぎた辺りで集中しておこると言われていた。このことから、終末は1回の事件ですべてが終るのではなく、複数の事件が何度ももたらされることにより、じわじわと起こることが、その時からイメージできたはずだ。
ノストラダムスの予言は、終末予言の中でも一番まっさきに始まる。1999年。ひとつ目の鐘が鳴ったにすぎない。
予言マニアなら、信じるに値できる想定内の範囲だ。当時は文献をちゃんと読んでいない、予言をあまり知らない人が騒いでいただけだった。当時、情報を得るのには、本かテレビしかなくインターネットはなかった。
そして、1999年付近で、終末を連想させる事件には9・11がある。
時間のずれはあるけれど、
この計画が水面下で決まった日にちは誰も知らない。
ること。
先週金曜日、12wにして血液検査により稽留流産の診断がおりた。
先月初旬から、胎嚢が育ってない週もあり、宣告されたときは「ああ、やっぱり」と思った。
1ヶ月以上時間与えられたものだから、少し気持ちの整理が出来たからかもしれない。思ったより冷静に宣告を受けれた。
そして今日12/11、日帰りで子宮内除去手術(そうは手術)を受けてきたのでここに可能な限り情報と経過を記す。
手術を受けるその時まで、ずっとネットで同じ手術を受けた方の体験記を読んでだいぶ助かったところもあったので。
夫、私とともに20代後半。出産・中絶経験なしの今回が初めての妊娠。
10月下旬に妊娠検査薬で陽性が出て、病院でエコー検査により妊娠確定。
最終生理開始日を妊娠0日と換算すると、宣告時は12w。ただし生理周期が不定期なため、実際の排卵日(2wと計算される)は予測不可。
11月初旬から胎嚢の大きさは7~9wの間で変化。卵黄嚢は確認できるも胎児・心音ともに確認できず。子宮内で出血のようなものが見られ、2週間ほど止血剤を飲んだ。
2週間ほど前から繋留流産の疑いあり、基礎体温をつけた。36.3~36.6の間で高温期にはなっていない。つわりは継続中。
確定させるために先週月曜日と金曜日で血液検査を実施し、HCGホルモンの数値(安定期にまでは絶対に下がらないもの)を確認。この間ホルモンの値が下がり、診断。
1周間経過観察をして自然流産を待つものの、出血もなくこれ以上待っても母体へ影響がある場合を考え手術を決断した。
自然流産を推奨する医者もいるので、そこはどちらが自分にとって良いか、よく医者と相談するべきだと思う。納得出来ないときはセカンドオピニオンもおすすめする。
私は、自然流産でもかなり痛みは伴うし、いつ始まるかわからない上完全に排出しきらない場合もあり、そうなると結果手術は避けられないというデメリットが大きいと思ったので手術に踏み切った。
この時間から絶食。水とお茶に限ってはごくごく飲まなければ当日6時くらいまでならおk。
18:30頃に、その日来てくれていた実家の母が取ってくれた特上寿司を夫と2人で食べていたので、お腹は満腹。
ただ自由に飲めないという制約のせいか微妙に喉が乾く。ごまかすために歯を磨いたり口を濯いだりする。
手術したその日は入浴もシャワー浴もできないため、念入りに洗った。
手術への半端な知識のせいで、痛みへの恐怖が拭えずほぼ不眠。時折ウトウトする程度。この時間に布団から起き上がる。
夫が朝食を食べている横で、着替えを済ませ準備物の確認。()は個人的に用意して役に立ったもの。
・手術同意書
・サニタリーショーツ
(・袖がない綿入れ)
水筒がなかったので、ペットボトルを用意した。寝ながら飲むことになりそうと言われたので、ストローつきのキャップを事前に購入して装着。100均などで買える。
着いたと同時に、今日1日過ごす部屋に通される。隣は手術室。
セミダブルサイズのベッドで個室。待合室も兼ねているので、夫がくつろぐスペースもありありがたい。暖房がきいてとても暖かく快適だ。
入院着に着替えて診察室へ。
点滴(ラクテック)装着。血管が細すぎる上、つわりのせいで栄養状態が悪く、利き手じゃない方に4回入れて失敗。手の甲に失敗されるのはやっぱり痛いぞ。
以前入院していたときも同じことがあったので、利き腕の関節にある静脈に挿してもらう。針がずれないように腕を固定しないといけないから嫌がられるけれどしょーがない。
利き手が固定されてスマホいじりづらいなーって思っていたら、主治医の先生に呼ばれ内診へ。
経膣エコーで再度子宮内を確認、前回と胎嚢の大きさ変わらず7w程度しかない。卵黄嚢は見えても胎児や心音はやっぱり確認できず。
そのまま前処置開始。
麻酔なしで子宮口にラミセルをつっこむこの処置、とにかく痛い、激痛と評判で、これだけはしょうがないから頑張れと言われたもの。
ラミセルとは時間が経つと膨らんでいく性質のもので、子宮口を開くときに使うものである。同じ役割を果たすものとして海藻が成分のラミナリアがあり、後者のほうが一般的だ。
ラミセルを使い、普段赤ちゃんが出てくることのないよう固く閉じている子宮口をゆっくり開き、手術中に器具が入りやすい状態へ導く。男性は、体の中にある肛門(大便が漏れないよう固く閉じているイメージ)を器具を使って開くと考えるとわかりやすいのではないか。
先生が「今から入れるよー」と言った瞬間、なんとも言えない不快感。
痛い?ような?でもとにかく気持ち悪い。思わず「先生痛いよ~」って言ってしまう。
「◯◯さん不安そうな顔していたけど、この処置が怖かったでしょ~?色々調べていたみたいだからねえ。大丈夫もうすぐおわるよー」「がんばれがんばれー」と先生や看護師さんが話しかけてくれて気が紛れた。これはものすごくありがたかった。
数分と経たずに前処置終了。何本入れたかは敢えて聞かなかった。緊張が一気にほぐれて饒舌になる私。頑張ったねーとほめてくれる先生、いい方である。
待合室で待っていた夫が「一気に顔色良くなったね」と笑う。
ラミセル挿入後は、評判通り生理痛のようだ。私は生理痛がかなり重い方で、これなら普段より軽いくらいだな~と感じた。ずーんと重いけれど、寝転んでいれば耐えられそうな感じ。
病室へ戻りベッドへ寝かされる。鎮痛剤いる?と聞かれたけれど我慢できそうだったので断った。
今日は外来(個人病院で婦人科の他に内科もやっている)が多いので、そちらが少し落ち着いたら手術を始めますと言われた。なんとなくそうだろうなーと思ったので軽く了承。
うーん、我慢できるとは言え痛いなあと思いつつ、寝転がるより体を起こしている方が楽だと気づきそうしていると、途中点滴の様子を見に来た看護師さんにびっくりされた。
寝てていいんだよ!?って言われたけれど、体起こしている方が楽で…って言うと、背中が楽になるように枕をもう1つ持ってきてくれた。親切だな~。
その後は夫と2人でぽつぽつしゃべりつつスマホいじって時間を過ごす。暇な時間が多いと予測されたので、文庫本を持って行ったが正解だった。病室にテレビがなかったし。
待つ時間が結構長い。いつ呼ばれるかわからないので外出も出来ない。付き添う旦那がお腹空くのではないかと気の毒だったので、パンでも持ってくるんだったなーって思った。
午前中の外来が終わったようで、手術室へ呼ばれる。トイレを済ませ下着まで全部脱いで行く。
やぱり麻酔かけるとはいえ緊張してくる。手術台へ上がると、心電図をつけられ、両足を開いて固定したところで主治医の先生がいらした。
「静脈麻酔をかけるけど、前に言ったとおり血管痛があると思います。でもその後は大丈夫だから安心してね」
「はい」
「じゃ、入れます」
点滴に何やら先生が注入した(術後説明でソセゴンとセルシンと判明)
痛くなるよー、と言われたけれど感じられず。ここ数年注射は慣れっこだから鈍感になったのかな?と思ったところで上半身がカッ!と熱くなった。
以前肩こり解消のために処方された薬を飲んだ時のようだ。筋肉が弛緩しているのを感じる。
まったく眠くならない。むしろ意識がはっきりしている。あれ?いつ意識落ちるの?と思いつつも、そのうち落ちることに期待をしていた。
しかし。
「お腹ちょっと冷たいよ」と先生が言って少し経った後、子宮付近?とにかくお腹の中に激痛。さっきの前処置とは比べ物にならない。
と言うも止まってくれない。そうだよな…と冷静に思う自分はいるけれどとにかく痛い。ギリギリ我慢できないほどの疝痛。
「◯◯さんがんばって、ごめんね、もうすぐ終わる、綺麗に取れるよ」
「◯◯さんもうちょっとだよ~」
先生も看護師さんも励ましてくれている中、お腹の中で何か動いて吸い取っているのがわかった。かき回される感じもする。
ようやく終わった。
麻酔、効いてくれなかった…………
病室へストレッチャーで運ばれる。夫の心配そうな顔が見えたけれど何も言う気力がなく、手術が終わった後もお腹はズキンズキンと痛んで泣きそうになりながらベッドへ移される。子宮が収縮しているようだ。
「ちょっと麻酔がうまく効かなかったみたいで、もう少ししたらお腹の痛みも落ち着くと思いますが、耐えられなくなったらナースコール押してください」と夫か私かに説明する声が聞こえた。
大丈夫?と撫でられるが答えるのも嫌で首をふる。手を握って貰ってひたすら丸まって痛みに耐えた。
なんで麻酔効かなかったんだ、なんのための麻酔なんだよ、と悲しさが頭をぐるぐる回る。
しかし、しばらく目を閉じていたら、少しずつお腹の痛みを癒え、起きることができた。
1時間位して看護師さんが見回りに来た時は、喉が乾いているんで持参したお茶飲んでいいですか?と聞いてたくらいには元気に。
枕もなく寝転ぶのがきつくて、枕を使う許可求めたけれど両方ダメ。ぐぐると麻酔後はどっちも落ち着くまでは喉に何かをつまらせたり気管を圧迫する恐れがあるためダメらしい。
おまけに前日夜から絶食してることもあってお腹も空いてきた。帰ったらカツ丼かラーメンかカレー食べたいなと考える。
途中看護師さんがトイレの介助に来てくれたが、殆ど助けもいらずスタスタ歩けた。ふらつきもなし。
そのご先ほどと同じように元気になってから2時間くらいは、夫としゃべりつつ先生の診察を待つことに。
主治医の先生が病室へいらして、診察と手術後の説明に。膣に入れてたガーゼを抜いてくれるとき、申し訳ないとひたすら謝ってくれた。
「私不運でしたねえ」
「我慢してくれたおかげで、子宮内は綺麗に取ることができたよ」と、手術後のエコー写真(いつ撮ってたのかわからないが手術後すぐに撮ったっぽい)とカルテに記載してくれた図をもって詳しく説明してくれた。
「この後出血が続くけれど、正常だから。薬出しておくので1週間後にまた来てください」とのこと。
術前の説明だと4日後だったけれど延びたらしい。やったぜ。
薬の内容は、止血剤(トラネキサム酸・オダノン)と子宮伸縮薬(メテルギン)と抗生物質(セフジトレンピボキシル)。
「しかし、麻酔後にこんなしっかり受け答えできてふらふらしたり嘔吐したりしないのってすごい」と感心された。術後の具合悪さは覚悟していたのだが、まったくない。
まあ、痛みが取れなかったのと考えればプラマイ0かなあと考えることにした。
前回の診察後に総額2万弱だろうと言われていたが、実際は薬と合わせて1万程度だった。
主治医の先生は、初診の頃から雑談を交えて親しげに話してくれる方だった。
色々勉強してくる妊婦さんは好きだからと、質問をしたり、経過観察のときに症例を挙げて詳しく説明してくれたり、いい先生に巡り会えたと感じる。
ただ、今回の手術を説明する用紙にデカデカと"人工中絶手術"と書いてあって閉口した。今回私が受けた手術とやり方が同じということは事前に知っていたとはいえ。
慌てて看護師さんがその文言を消してくれたが、書式2つ用意しておいたほうが神経質な妊婦さんにはいいのではないかなと思ったり。
手術も蓋を開けてみれば、一番怯えていた前処置より子宮内除去のほうがよほど痛くてびっくりした。
麻酔かからず激痛だった方の体験談は読んでいたけれど、かなり稀なパターンと聞いたのでまさか自分に降りかかると思わなかった。
私自身アルコールはかなり弱いし、アルコール弱い人は麻酔にかかりやすいはずなのになあ。
耐えられたけれど、もう二度と経験したくない。
今これを書いている現在、じわじわと子どもを亡くした悲しみが襲ってきている。正直のところ今日までは手術の痛みの恐怖に怯え、悲しむ余裕がなかった。
初期流産の殆どの原因は染色体異常によるもので、母体がどうだったとしても防げないものだとは説明を受けた。
母も双方の祖母も、叔母も流産経験者で、おまけに義母もそうだった。知らないだけで経験してる方は多いのだなと思う。前もって知っていたので、何で私だけ!というショックは少し和らいだような気がする。
妊娠中、コウノドリという産婦人科医の漫画を読んだこともあって、子どもが無事に生まれてきてくれるというのは奇跡だなと身を持って知った。
初めて流産の疑いがあると言われ、怯えて過ごし次の週検査に訪れた時胎嚢が育っていて大喜びして泣いてしまったことがある。
そのとき先生が「産んだ子どもが成長していく過程で、やれあの子より成長が遅い、あの子より成績が悪いと嘆くことがあるだろうけれど、その時無事に育って生まれてきたときの喜びを思い出してみてね」と言ってくれた。
今更感があるがこれは革命。
ルンバのおかげで部屋に物がとっちらかることもなくなり、カーペットは帰ってくるといつも綺麗になっている
プラズマクラスターがどうかはよくわからんがこれをつけていると髪の毛が絡まらなくなった。
まじで煙草においがしなくなり感動。カバンの中の匂いもさっぱり。
NEMOというラインのもの。20代も半ばになると結婚式へ出る用事が増えるが
こいつはお札入れも小銭入れもあり、カードまで収納できてめちゃくちゃちっちゃい。
デザインが可愛すぎて普段ではもてないがお祝いの席なら全然オーケー。
ダミエのを買ったが雨の日とかすごい重宝する。
濡れても平気なそれなりの体裁を保っているバッグってすげー便利。
ただできればあの素材で無地の奴だしてくんないですかね・・・
5ユーザだったんだけどとうとうハマグリ化したのでこの際変えるか・・・と機種変した。
最初は気にならなかったがじわじわと重さが気になるようになった。やっぱバッテリー交換して5を使い続けるべきだった。
いままで使っていたのがいよいよ寿命だったので変えた。
節水モードをやめて水量MAX、洗剤は気持ち少なめ、洗濯物も少なめで解決した。
服の傷み方も今までとそんなかわんないしその割に気を使うので次はまた縦型のに戻すと思う。
お互い物ぐさなもんであのでっかい袋を出したりしまったりするのが面倒になり結局使っていない・・・
小雨程度であればお洒落だし細いのでさしていても持ち運んでも負担にならないし楽。
ただ日本の豪雨には対応できないね。まあイギリスの傘だし当然っちゃ当然でした・・・
こうしてみると今年は家電を良く買った年だったなあ。
2chまとめサイト文化が隆盛を極めた時期、私は高校生で、流行りのそれらを暇つぶしに読んでいた。
そのうち、2chの一部住人達はどうやら女性という存在を毛嫌いしていることに気が付いた。
正確に言うと女体は好きだがその中身が大嫌いらしい。そういう空気が当たり前のように共有されている。
特におかしなことをしていない女性にも、「女だから」という理由で下衆な勘繰りをして叩く。
時には下衆な勘繰りすらもなく、「女だから」のみを理由に叩く時もある。
自ら選んだわけではなく変えることのできない属性をひたすら攻撃対象にされている。
別に叩かれている人は私ではない。しかし、仮に私がこの人達の目に留まる場所で何かをすれば
それがどんな行動であれ性別を理由に何かしら文句を言われ、笑われ、醜い言葉をぶつけられるであろうという想像はついた。
これが世の男性の総意ではないということは当時からわかっていたつもりだったが、身近な男友達がいなかった私は心の底で
「もしかして、これが世の中のほとんどの男性の本音なのでは?」と疑うようになった。
それから、女性が叩かれていそうな記事が目に入れば進んで読みに行くようになった。
嫌な気持ちになるのをわかっていてそうしたのは、稀に記事に混ざる女叩きの流れに否定的なコメントを読みたかったからだ。
あまりにも無根拠すぎたり限度を超えた暴言には、「そんなことはない」「いくらなんでも女を目の敵にしすぎ」という否定意見が書かれることがあった。
まとめ内に一つ二つあるそれらや、ブログのコメント欄に書かれる記事の流れに否定的な意見を読んで、
ネット住民の誰もがこの「女にならいくらでも暴言を吐いていい」空気に同調しているわけではないということを確認したかった。
しかしわずかな否定意見を確認するためにその数倍数十倍もの女性に向けられた暴言を読んだ結果、私の心は少しずつ歪んでいった。
最終的にはたまたま目に付いたものを見に行くだけに留まらず、そういう記事を乗せていそうなところを探したりまとめられる前の2chのスレッドまで読みに行ったりした。
それらの記事を読むたびに、心にじわじわ毒みたいなものが広がっていくのがわかっていながら、やめられなかった。精神的な自傷のようになっていた。
女叩きと無縁な場所はネット上にたくさんあったが、まとめ記事のような女叩きが行われている場所そのものに対して直接「おかしい」と意見を言う人達は少なかった。
いても、それを一つの場所でまとめて観測することはできなかった。
女性に対する理不尽な暴言が書き連ねられたまとめ記事に付いたはてブのブクマコメントは
無根拠な女叩きに否定的なものが多勢を占め、それらの意見にたくさんのスターが付けられていた。
しかも否定的なコメントを付けている人の中には男性であろう人がたくさん居た。女性だけが女性への暴言に反論しているのではない場所だった。
私の辿り着いた中で、そういった空気のある場所ははてなだけだった。そしてその空気に救われた。この場を借りてお礼を言いたい。
はてなとの出会いもあり、私の女叩き記事漁りは徐々に落ち着いた。
今は2chまとめブログを読むことはほとんど無くなったが、女が女というだけで理不尽に叩かれていそうな記事のタイトルが目に入るとつい読みにいってしまったりする。
記事を読んでも当時のように大きく心を揺さぶられることはなくなったし、読みながら自分の心にざくざくナイフを突き立てて自傷しているような気持ちにもならない。
しかし一度付いた歪み、それも思春期の頃に付いた歪みは簡単に直らないらしく、
私は男性から女性扱いされることと好意を寄せられることに拒否反応を持つ人間に育ってしまった。
頭では全ての男性が女性を見下しているわけがないということはとっくにわかっているのだが、いまだに心の底では男性を信じられていない。
とっくに高校を卒業して社会人をやっている今になっても直る気配がなく、一生独り身の覚悟を決めている。
進路を決める前の時点でこの思考に毒されていたため、一人で生きていけそうな人生設計を立てられたのが不幸中の幸いかもしれない。
以上までが前置きで本題は以下。
私は今回ののうりんポスターの件や碧志摩メグの件で寄せられた批判はオタク叩きの意図や、まして男叩きの意図で出てきたものではないと思っている。一部の極端な人を除いて。
しかし今回の件とは別の、女性差別批判やセクハラ批判の文脈では男性を一くくりにして「悪」「加害者」のカテゴリに入れる意見を目にすることがある。結構ある。
一つ具体例を上げると、少し前の話になってしまうが
女性が男性を食べる世界 - Togetterまとめ: http://togetter.com/li/892195
このTogetterの中に出てくる例え話は、設定としては面白いと思う。単純に性別を逆転しただけでは伝わらないという気持ちも痛いほどわかる。
しかしこの世界に出てくる「女性」はほぼ「男性の気持ちを考えず自分の欲望を押し付けてくる下衆」しかいない。
つまり「現実世界の男性はほぼ女性の気持ちを考えず自分の欲望を押し付けてくる下衆しかいない」と言っているのと等しいことになる。
恐らく男性に理解してもらう為に書かれた例え話なのにも関わらず。
こんな風に男性を一まとめに「悪」「加害者」にカテゴライズする人は、今まで男性に不愉快な思いをさせられた経験があるんだろう。
でも、自分が女性であるという理由で受けた不愉快な思いをそのまま男性という性別を持つ別の人に投げ返したって、それはただの八つ当たりで、嫌な思いをする人が増えるだけだ。
自分に不快な思いをさせた人間を批判したいならきちんと範囲を狭めて、誤爆のないようにしてほしい。
セクハラをされたなら「私にセクハラをしてきたあいつ殺す」でいい。
同じ行為をしている人間を牽制したいなら「馴れ馴れしく下の名前にちゃん付けで呼んできやがる上司死ね」くらい具体的に書いてほしい。
もちろん女から男だけではなく男から女への批判も同じようにしてほしい。わざわざ性別なんていう人類の半分が当てはまる範囲まで広げる必要はない。
広範囲な批判が傷付けるのは大抵本当に批判されるべき人間の方ではなく、何もしていない無関係で自己評価の低い人間だ。
2chで暴言を書き散らす人達は、あえて広範囲に悪意をばらまくことで無関係の人間ごと傷付けてやろうと思っている人が多そうだが
(そしてそれに見事に引っかかってしまったのが私なわけだが)
そういう意図を持たない人は、自分の言葉が無意味に人を傷付けていないかどうか考えてから発言してほしいのです。特に真面目に議論を交わすような場では。
以前、「特定の個人を叩くより性別に範囲を広げることで暴言の効果は薄まっている。
こっちの方が人を傷付ける可能性が低い」と言っている人が居たが、そんなことはないと思う。
自分では変えようのない属性で括られて身に覚えのないことで叩かれ続けるだけで、想像以上に人の心はダメージを受ける。
あなたがサンドバッグにして殴っているそれは、殴っている側には性別という大きな括りまで広げた時点で
ただの概念になったように見えているかもしれないが、中にはきちんと人がいる。
性別に限ったことではなく、批判を属性に広げて無関係の人を巻き込むのをやめてほしい。
あなたが批判したい特定の個人がいるなら、その人にだけ的を絞ってほしい。
そして自分の属性が一まとめで叩かれているのを見た人は、無関係な物ごとひっくるめて真に受けすぎないでほしい。
高校時代という貴重な思春期を下らないことに浪費してしまった人間からのお願いです。
長くなったので要約。
女が配偶者選びにおいて重視すべき10項目 という記事がホッテントリになった。
ここで、次の記述が目を引いた。
「隠れ保守」「潜在的家父長」は,高学歴男性に割と多い印象である。彼らは高い教養を身につけているから,表向きにリベラルを「装う」ことの重要性は承知している。しかし付き合いが長くなるにつれ,彼らはその保守性を露わにし始める。私の友人たち(東大卒)がその元彼たち(東大卒)から言われた言葉の例はもう,口にするのも恐ろしくてここには書けないくらいだが,まあ要するに,「男と女なら,女が仕事をやめるのが当然」みたいなことを平然と言い出す。相手がいかなる「バリキャリ」と言われる部類の女性であろうともである。しかしながら,当然ながら知り合いたてや付き合い始めの時点においては,彼らはリベラルなフェミニストを装っているので,非常に見極めづらい。まあ,遅かれ早かれボロは出るので,そこは友人の言う通り,「じわじわ探る」しかないのだろう
しかしこれは、女性の見る目が間違っているとしか言いようがない。
「リベラルなフェミニスト」というのは、世間一般の風潮に対する態度であり、他人に対する態度である。自分自身のことではない。特に、家庭における自分の個人行動のことではない。「女性一般の権利を尊重する」ということと、「自分の女房の権利を尊重する」ということは、まったく別のことだ。前者はフェミニズムで説明できるが、後者はフェミニズムとは全然関係がない。
では何を見ればいいか? それは、男と女の相性だ。付き合えばすぐにわかるが、高学歴男性は女性に対して、ジェントルマンな態度を取ることが多いが、そこにも二通りが見られる。
このどちらであるかを見極めることが大切だ。こういうのは根っからの性格(および相性)なので、あとでどうなるかというものではない。最初から決まっている。
で、女性の多くは、最初に「リードしてくれる男性は頼りになる」と思うことが多い。そう思うのだったら、ずっとリードしてもらうしかない。つまり、女性は従うしかない。
一方、最初に「リードされる男性は頼りにならない」と思うこともある。そう思うのだったら、自分がずっとリードするか、その男と別れるか、どっちかだ。
頭のいい女性ならば、自分がずっとリードする方を選ぶだろう。「あさが来た」のヒロインみたいに。
一方、この男は頼りにならないと思うなら、あとで頼りになる King タイプを選ぶはずだ。そのときは、相手にリードされるしかない。
だから、女性は、最初にどちらのタイプの男性を選ぶかを決めるべきだ。現実には、頼りになる King タイプを選びながら、「 knight タイプみたいに好き勝手にやらしてくれない」と文句を言う。しかし、King タイプを選んで、「 knight タイプでない」と文句を言うのは、自己矛盾だ。
女性が自分の好きなような人生を歩みたいのであれば、(頭でっかちな)フェミニストの男性を選ぶのではなく、(常に一歩引き下がるような) knight タイプを選べばいい。ちなみに、そういう男性は、理系にはたくさんいる。
pollyanna 今40代以上の東大卒男子における「隠れ保守」「潜在的家父長」率の高さハンパないよね(なまじリベラルを装ってるのが卑怯)(再燃する怒り
http://b.hatena.ne.jp/entry/mephistopheles.hatenablog.com/entry/2015/12/02/000000
こういうのは、文系の男性から選ぶから、こうなるのだ。文系だと、権力志向の人が多い(¶)から、King タイプが多くなる。一方、理系ならば、 knight タイプがいっぱいいる。はてな の男性にも、そういうタイプは多いはずだ。
女性が見るべき点は、King タイプか、 knight タイプか、だ。そこを間違えてはいけない。そこを理解しておけば、「リベラルなフェミニスト」なんてのは、何の判断基準にもならないとわかるはずだ。
¶ 「文系だと、権力志向の人が多い」という表現に対して、「そんなわけがない」というブコメが来た。
失礼しました。「東大卒では」特に「東大の法学部と経済学部の卒」という限定を付けて読んでください。つまり、権力を握ろうと思えば握ることができる、という立場にある人の話。一般の文系の人の話ではありません。
引用した元記事とブコメが東大卒の話だったので、それに対応しています。
以下、ブコメへの解答。
まあ、ネタでしょうけど、一部だけ切り取ってもダメですよ。「そう思うのだったら」という条件下での話です。私の結論は「タイプを見極めよ」です。お間違えなく。
それは当り前。ただ、元記事やブコメでは、「東大卒は家父長タイプばかりだ」と書いてあったので、私の観測範囲(東大・理系)では、「東大卒は家父長タイプばかりだということはない」というふうに、元記事やブコメを否定しています。奥さんの尻に敷かれている東大卒って、いっぱいいますよ。そういう話。
人を「フェミニスト」「保守」「高学歴」とカテゴライズすると確かにわかりやすくなるけど、実際にはそんな簡単なカテゴライズで語れる話ではないと思う。
まったくその通り。元記事は、「フェミニスト」「保守」「高学歴」とカテゴライズしていたけれど、そういう既存のカテゴリーでは説明が付かない。だから新たに「 King/knight 」という対立軸を新設したわけです。
http://mephistopheles.hatenablog.com/entry/2015/12/02/000000
5.言わずもがなだけど,女性が働くことを当たり前と考えているか(しかし,建前と本音が違うこともあるし,いきなりこの話題されても困るだろうから,じわじわ探る)
要約すると結婚してすぐ夫が転勤で別居婚、その後も転勤続きで同居出来ず今後同居出来る見込みもない、
奥さんは仕事辞めて転勤について行きたがっているが夫がそれを許さないと言ったら
奥さんが離婚したいと言い出した、って話。
「女性が働くことを当たり前と考えている」男だと、最終的にこうなる事もあるわけで。
なんかそれぞれだよなと思った。
どうしてもほかの人から言われる「楽しかった」「ありがとう」みたいな言葉が信用できない
どうせお世辞で言ってるんだろうなと、その時は喜んでもあとからそういう考えがじわじわ侵食してきてすごく憂鬱
こういう風に言ってもらえた、って素直に喜べていたころに戻りたい
付き合っていたころもだんだん相手のかわいいとかいろんな言葉が全部お世辞に思えてきてしんどかった
本当はそんなこと思ってないのにみんなお世辞で言えるんだもんな、自分だってそういうことあるしさ、仕方ないんだけど
誰が本当のこと言ってるのか全然分からない 本当は皆私のこと気持ち悪いと思ってるのに付き合ってくれてるだけなのかもしれない
辛い
私は、エッチをしないと相手を好きになれない。
体の関係をもたないで、本気で好きになった人なんて、小学校のときに6年間好きだった男の子、中学校のときに3年間好きだった男の子、高校のときに3年間好きだった先生、大学のときに4年間好きだった先輩の4人しかいない。
デートを重ねて、相手のことを知るたびに上から目線で吟味してしまう。自分自身が「求められる性」だという自覚があるのがいけないのだと思う。
デート中、ほんのすこしの悪い部分が見えてきて、取るに足らないことなのに、どんどん好きじゃなくなっていく。
相手のいいところももちろん見つけられるんだけど、それを「好き」に繋げることができない。欠点はすぐに「嫌い」になるんだけど。
初めて会ったときにエッチさえしていれば、あばたもえくぼに見える。いくらでも好きになれるのに。
今日、私に好きだと言ってくれた人は、優しくて、真面目で、正義感が強くて、いい人なんだ。
初めて会ったときは、この人と付き合ったら楽しそうだなって思ったんだ。
でもデートするうちに、ちょっと背が低いな とか、ズボンがダサいな とか、鼻声だな とか、そんな取るに足らないことばかりに目が向いてじわじわと嫌いになっていった。
この人と付き合ったら、きっと幸せにしてくれる。
エッチしてから付き合った人は、1人を除いて全員、私に相応しい、クソみたいな男ばかりだった。
デートを重ねて、嫌いになってから、でも断れずに嫌々付き合った人は、もれなくまともだった。でも、結局好きになれなくて、すぐに別れてしまった。
ぜんぶ私が尻軽なのがいけないんだけど、抜け出せないんだ。エッチをしないと、好きになれないんだ。
旅行や出張などで見知らぬ駅に降り立ったとき、真っ先に確認するのは北の方角。
どうやら常に北の方角をゆるーく意識しているらしく、初めて目にする景色でも「北はきっとあっちに違いない」と決めつけてしまう。
8~9割方は合っていて、ものすごい安心感に包まれるんだが、まれに間違うときがあって、そんなときは地面がぐらぐらするような感覚におそわれる。
自分の思い込みと実際の方角を調整するのは、思いのほか大変だ。遅れてしまった古い時計台の歯車を直すように。
深呼吸をしてじわじわと内なる方角を調整し、地図上の方角とぴたりと合わせてから目的地へ向かって歩き出す。
普通の鉄道だと内なる方角が狂うことはまずない。乗車している間、無意識に方角を調整しているのだろう。
危険なのは地下鉄だ。エレベーターや階段を何度も折り返しているうちに方角を見失うことが多い。
もちろん、カーナビの画面は常に北が上。カーナビの機能で最も優れているのは、北を指し示してくれることだと思う。
会社の車なんかだと、先に乗っていた人が進行方向を上に示す画面表示にしていることがあって、そんなときはひどく混乱する。画面がぐるぐる回るとか正気の沙汰ではない。
あのようなぐるぐる画面を頼りにしていたら、いつまでたっても道を覚えられないと思うんだが。
うーんきっとその糧は無くならないと思う。
すごい本とか行ったことない土地なんて膨大にあるし、消費?スピードが追いつかないんじゃないかなと思ってる。
本が読めなくなるーとか、寝たきりになるーとかになったらどうなるか分かんないけど。あ、でも社畜になったりして自由時間無くなったら確実に積む。
あと、年とったら草花とかもっとありきたりなものを新鮮に感じられるようになる気がしてる。
最近友達の子供がなんでもない道路をうわあーって目キラキラさせてるの見てじわじわ新鮮な気持ちになったりする。
「生きられる」期限が過ぎた後落ち込むーってわけでもないんだよね。あ、きれたーという感覚もない。
「”○○日生きられている"という実感」が明確にあるわけじゃなくて、「”○○日生きられる"気がする」っていう感覚。
ふわふわしててすまん。。。
ラノベ原作アニメとしてはキャバルリスクの被りっぷりが話題になっているけども、鎌池和馬原作『ヘヴィーオブジェクト』の酷さも相当なものであると思う。
ヘヴィーオブジェクトのアニメを見た、まともな人間はこう思うはずである。
喋りすぎだ、と。
この点に関しては、同原作者による禁書目録の主人公、上条さんの長台詞=説教を参照して「鎌池だから仕方ない」という意見が少なからずあるようだ。
しかし俺は、上条さんの説教は「味」として楽しむことが出来るのに対して、ヘヴィーオブジェクトの長台詞は単に冗長なものとしか思えない。
本稿は、上条さんの長い説教は「アリ」なのに、ヘヴィーオブジェクトの長台詞は「ナシ」なのはなぜかということを考察するものである。
ちなみに俺は禁書目録は数年前に十数巻あたりまで読んで、ヘヴィーオブジェクトはアニメ3話まで観てから原作1巻の該当部分を読んだだけなので、思い出補正とかが作用している可能性は大いにある。
ヘヴィーオブジェクトアニメ3話までで最も問題になるのは、2話の「お姫様救難信号出してるのに長々喋りすぎ問題」と、3話の「敵基地に潜入してるのに大声で喋りすぎ問題」である。
================
ヘイヴィア「だったらお前は、あのオブジェクトと戦えんのかよ! あの化物にたった一人で立ち向かって、お姫様を助けだすとかそんなのできたら最高だよ!! でも実際にどうにかできんのか! えぇ!? 人間なんか、レーダーに補足された瞬間に塵になっちまう。もう俺らに出来ることなんかねぇんだよ」
クウェンサー「あのお姫様は、そんな化物と戦ってくれてたんじゃないのか? 大の男がこれだけ集まっても震え上がるような、照準合わされただけでショック死しちまうような、そんな化物から俺達を守るために、たった一人で戦ってくれてたんだろうが!! 貸せ!! 貸せ!! そのライフル!!」
================
この部分は原作だとこうだった。
================
「だったら、テメェはあのオブジェクトと戦えんのかよ!?」
「綺麗事だったら誰でも言える!! あの馬鹿デカいオブジェクトにたった一人で立ち向かってお姫様を助け出すとか、そんなの出来たら最高だよ!! でも、実際問題どうにかできんのか!! あんなもん、レーダーで補足された瞬間に生身の体なんか塵も残さず吹き飛ばされちまうじゃねえか!!」
ボロボロになったヘイヴィアに両肩を掴まれ、クウェンサーは思った。
(……ちくしょう)
どうしようもない、恐怖だった。
(怖いに決まっている。誰がなんて言ったって、どれだけ希望的な観測を並べたところで、度胸なんか湧くかよ。オブジェクトなんて化物だ。あんなもん相手に真正面から立ち向かうなんて間違ってる。少しでも近くにいたくない。ヘイヴィアの言う通りだ。どんなに綺麗事を並べたところで、この気持ち悪さがそうそう簡単に消える訳ないだろ……)
だが、クウェンサーの足は退却するためには動かなかった。
「……あのお姫様は、そんな化け物と戦ってくれていたんじゃないのか?」
「ッ」
「大の男がこれだけ集まっても震え上がるような、ちょっと照準を合わせられただけでショック死してしまうような化物から!! 俺たちを守ってくれるために、たった一人でオブジェクトに乗って戦ってくれてたんだろうが!!」
そう。
たとえオブジェクトなんて馬鹿げた兵器に乗っていたって、怖いに決まっている。あんな化物と立ち向かうのに、恐怖を感じない訳がない。
あの少女は、出撃の直前にこう言っていた。
勝てるかどうかは分からない、と。
特に真剣な調子ではなかったから、深い意味などないのだと思っていた。だが違う。もしもあれが何気ない表面にまで噴出してしまうほどの、大きな不安を抱えていたせいだったとしたら。とにかく誰にでもいいから言葉を放って、少しでも不安を払拭したいだけだったとしたら。
クウェンサーは思う。
自分はここでどう動くべきだ。
「……貸せ」
怪訝な顔をするヘイヴィアにもう一度、
「貸せ!! そのライフル!!」
================
長い。長すぎである。アニメが原作の台詞を助詞レベルまで削っていたということがわかる。
しかし、俺は原作を読む最中はアニメほどには「喋ってないでさっさと行動しろ」と感じなかった。
それは恐らくセリフに輪をかけて地の文と括弧書きの心内文が長いためである。
地の文と心内文に関しては、どれほど長くても読者は東京大学物語のごとく(その間0.1秒)などと都合よく解釈することができる。特にここで描かれるような緊迫した場面では尚更である。
そのプロセスを経て文字数に対する時間感覚が混乱した状態であれば、長台詞を発語するための時間も無視することができるような気がしてくるのである。
この小説マジックを用いたシーンをそのまま映像にすれば「何くっちゃべってんだ」と思われるのは当然であり、これは脚本と監督の落ち度である。
では、作者に落ち度はないのか。
そんなことはない。以下はアニメ3話で「敵基地に侵入しているのに大声で喋りすぎ」と言われた部分の原作における描写である。
================
「タイムオーバーだぜヒーローッ!! 三〇秒でここから出ないと袋の鼠だ!!」
「一分待て!!」
「何をゴソゴソやってんだよ! 爆破できねえのは分かったろ!?」
「あと四十五秒だ!!」
多くの足音が近づいてくるのを、ヘイヴィアは耳にした。恐らくクウェンサーは、目の前で取り上げられそうな希望にすがろうとして、冷静な判断能力を失っている。もう殴りつけてでもここから脱出しようかと考えたその時、ようやくクウェンサーがヘイヴィアのところまで戻ってきた。
「行こう。まだ間に合うか!?」
「どっかの馬鹿が道草食ってたせいでスリリングなことになってるよ!! こっちだ!!」
================
アニメだとここは全力で叫んでいる。だが、少なくとも声優は悪くない。語尾に「ッ!!」が付けられていたならばそれは叫び台詞であると考えるのは当然である。
ただ、この部分を読んだだけなら、ニコニコのコメントが言うように「※実際は小声で話しています」というフォローが辛うじて出来ないでもない気がする。それを掬い取れなかったアニメスタッフが悪いのだ、と。
しかし原作はそんな幻想もぶち壊してくれる。原作では、小声の台詞とそれ以外はきちんと区別して表記されているのである。
以下は原作では35ページ、アニメでは1話にあった、和服上官に呼びつけられた時の二人の会話の原作における記述である。
================
「(……どうするんだよヘイヴィア! だからやめようって俺は言ったんだ!! これならレーションどころか三日間雪の塊だけ頬張ってた方がまだマシだったんじゃないか!!)」
「(……うるせぇな畜生!! くそ、ほんとに一八歳かこの女。今時の洗浄に生身の兵隊は必要ねえとは思ってたけどよ、あいつに限って言えば握り拳でオブジェクトと戦えるんじゃねえのか!?)」
================
この台詞はアニメでもきちんと囁き声で演じられている。他にアニメ3話の敵基地で捕縛されたシーンでも「(……俺が飛び出したら伏せろ。そっちに除雪用のトラクターあるだろ)」などと書かれている。
要するに、原作に従えば主人公たちは敵基地で相手の足音が聞こえる位置にいても実際にお互い叫びあっていたのであり、アニメスタッフはそれを忠実に映像化しただけなのである。
では、ヘヴィーオブジェクトにおける長台詞は、上条さんの「説教」と比べて何がダメだったのか。
俺はその原因を「鎌池の長台詞癖と、主人公をペアで行動させることの食い合わせの悪さ」に求めたいと思う。
上条さんは基本的に一人で行動するので、その長台詞=説教の相手は、自分がまさに直面している相手≒敵(ステイル、御坂、アクセラレータ等)であった。
無論その場合も、「うるせえ話長えよ(グサ」となる可能性はあるのだが、その可能性はむしろ「殺される可能性と引き換えにでも相手を全力で説得しようとする上条さん馬鹿だけどカッケー!」という評価に繋がっている。
しかし主人公をペアで行動させると、その長台詞=説教が敵ではなく相棒に向かってしまうために「馬鹿だけどカッケー!」ではなく単に「こいつ馬鹿じゃね?」というシーンが出来上がってしまうのではなかろうか。
禁書目録と毛色を変えたかったのは分かるけど、主人公をペアで行動させたければ、鎌池の説教体質も変えなければならなかったのではないかと思う。
立て続けに結婚式に何度か出席した。
人生最良の日、というワードが連呼されているのを見て、わたしにはそんな日は訪れないのではないかと思えてきて、拍手をしながらも胸がどきどきした。
わたしは26歳で身体的にも女性で性自認も女性で、ヘテロセクシャルで、そして誰かと交際するという経験がない。
それはわたし自身が偏屈で頑固で、狭量であることにも起因するし、父のせいにしたくなるところがある。
わたしの父はブラック企業に勤めていて、そこの方針にどっぷり頭まで浸かっているような人間なので、今まで有給休暇をとっているところを見たことがない。土曜日も毎週出勤していて、夏休みも取らないので休みはほぼ日曜日と祝日だけの生活を、わたしが物心つくころから続けている。
その割によく幼少期の子どもたちを遊びに連れ出してくれる人で、毎週のように動物園だのアスレチックだの、博物館だの、プールだのに行ってくれていた。
中学受験の時には、お迎えと寝る前の勉強、土日の勉強にも付き合ってくれていた。
わたしは仕事のことなどありながらも、父なりに愛情を注いでもらっていると思っていたし、その瞬間はそれは事実だったんだと思う(思いたい)。
そういった面倒見の良さがあった反面、それは普通なのかもしれないけれど、小さいころから夜中にアダルトビデオを見ていたり、パソコンでそういったサイトの履歴が残っていたりしている脇の甘さもあるひとだった。
高校生くらいのときには偶然、着信した画面から携帯電話で飲み屋の玄人さんと思われるひととメールをしている様子を見てしまった。
あれ?と思って考えてみると、バレンタインにやたら高級なチョコレートを持ち帰ってきたり、突然いらなくなったからとアーカーのハート形のネックレス(もらってもらえなかったのだろう)をくれたりして怪しいそぶりはあったんだった。その後もそうしたやり取りは同じひとだったのかはわからないけれどずっと続いていて、家族で旅行に行けば写真を撮りその人に送っていたし、携帯電話を眺めている頻度が多い父をその後もしばらくずっと放置していた。
平和で仲が良い家族、を続けていくことに私自身も固執していたし、母はもしかしたら気づいていなかったのかもしれない。
しかし、そうして降り積もった父への嫌悪が決定的になったのは、数年前の事件だった。父は相手の女性の自宅に押しかけ、玄関前まで侵入して中を覗いているところで、相手がたの家族に捕まったのだった。
父から電話で自宅に連絡があり、電話を代わった母が相手方の家に泣きながら、叫びながら通報をやめてもらえるように押し問答している様を見ていた。心臓がばくばくして死ぬんじゃないかと思ったし、こんな物語みたいな筋立てが起こるということに人生って不思議だと妙に覚めてもいた。
結局のところ、父は警察には通報されず、後日200万円というお金を相手方の家に、母が土下座して支払いにいって、ことは解決したのだった。
ふたりは離婚するのではないかと思っていたが、その事件があった後もそのままの家族ごっこが続いている。
わたしはどうしても、父のことが許せない。
そのことがあってから男性に対してもじわじわと嫌悪感が増していて、電車の中で肩を合わせているのも、疲れている時は気持ちが悪くなってしまう。
母みたいに裏切られるなら、あんな気持ちになるのならばそんな関係性は必要ない。
そう思いながらも、ひとりで生きていくということに不安になり、婚活パーティに行き、うまくいかないということを繰り返している。
不毛だ。
わたしは、どこに向かって泳いだらいいんだろう。