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はてなキーワード: 雑談とは

2020-09-11

anond:20200911005853

別に英語できなくたって、ゲーム実況と歌枠に集中して、雑談は基本スパチャ読みだけ、その上で夜討ち朝駆け配信を高頻度で挿入とかすれば、十分海外向けになりうる。

ゲームや歌は、日本語からない外人でも楽しさを理解できるから、向こうの人らが比較的見やす時間を狙うことで注目されやすくなるし。

逆の言い方するなら、雑談日本時間ゴールデンタイム配信にこだわるスタイルをやめれば、いくらでも可能性はある。


あと重要なのは…声そのものの魅力?

コイツなに言ってんのか全然わかんねーけど、でも可愛いな」

と思わせることができるかどうか。

しろそっちの方がハードル高そう。

2020-09-10

anond:20200910162347

コミュニティ空気を読み、ネタを探し、視聴者を楽しませる企画雑談内容を考えて、メンバーを決め、配信表現する能力、それら全部ひっくるめた総合力が高いことで人気になるのがにじさんじのライバー

そんだけ優秀なのに、世界的に知名度のあるにじさんじライバーが一人もいないのは、一体全体どういうことで?

それこそ「海外ニキ・ネキの英語うっぜーなー」と感じるくらい、コメチャットが国際色豊かなライバーなんていないでしょ?

しかあんだけ人数がいて一人もいないと来ているんだから、人気と言ってもたかが知れていると思うけどね。

にじさんじライバー個人作家の集まりから企画プロでもあるだろ

ライバー配信プロであっても、企画マーケティングプロじゃない。

いやそのへんもプロだろ。

マーケティングビッグデータ分析みたいな技術研究面があるから別かもだが、企画プロではある。

コミュニティ空気を読み、ネタを探し、視聴者を楽しませる企画雑談内容を考えて、メンバーを決め、配信表現する能力、それら全部ひっくるめた総合力が高いことで人気になるのがにじさんじのライバー

まあそれはタイプの一つってだけで、ゲームの腕とか人柄で人気になってるやつもいるだろうがそれらは別の話。


にじさんじの奴らは、小説家シンガーソングライターみたいな個人作家の集まりに近いんだよ。

編集から言われたネタを形にすることがメイン活動の、サラリーマン職人みたいなやり方じゃない。

会社に助言と相談をもらうことはあるだろうし、ライブみたいなクソ金のかかるイベント会社主導だろうけど、基本は個人創作家の集まりに近いのがにじさんじ

箱全体として盛り上がるべきっていう感覚がまずズレてる。

にじさんじファンから○○も好き」じゃなくて「○○というライバーファンであり、そいつにじさんじ所属しているらしい」なわけ。


つーか「APEXのキルリレーという企画を立ち上げた」って、立ち上げたのは数週間前で実際に行われたのは9/5からで、増田投稿された9/9の22時って五日間配信し続けて2434キル達成する頃じゃねえか。

なんなんだいったい。

anond:20200910123804

やりたいことを仕事にしたいと思っているおまえはマイノリティ

初めて「就活」のためのインターンに参加した。グループ短期間で新規事業を考えて社内のお偉いさんに提案するというもの

採用に直結すると明記はされておらず、先輩に誘われたので「面白そうだな」というくらいの気持ちで参加した その結果、就活をすることに全くもって自信がなくなってしまった 

しっかり「なんで就活ってするんだろう」という あるある状態になってしまった ここで私は戦えない、と思った

その理由は主に議論中の様子にある 就活テクニックを見せつけられた、といった感じだった

「まずは仮説を立てましょうか」と数少ない情報から芯をついていないような仮説を立てて根拠となる情報を上げていく、そして気づいたらなんだかそれっぽい大枠の事業案(?)ができていた

ビジネスが専門でもないのでそこは不勉強なのだが、なんだか話は進んでいって気づいたら発表になっていた それっぽい発表になっていた 

その議論空中戦のようで全く本質に迫るものではなかった、と私は感じていたのだけどそのことを声に出せずにいちにちが終わったのでただの戯言であるがここでは無責任に思ったことを書く

ビジネスにおける本質が何かわからないけど、私は誰が幸せになって欲しいかをまずイメージすることが最優先だと考えていたので 制度政策ばかりをつめても誰のためのものでもなくなってしまうななどと思っていた 目の前に当事者がいるのに全然寄り添えていなくて頭の中だけで考えているような、あぁエリートはこうやって頭でっかちから と言われそうな議論だった(実際全員皆有名大学の所属だった)

全くこの議論に入り込めず端っこで議事録ばかりをとっていた私はなんだったのだろう、呼んでもらったのに申し訳ないなと思いつつなんでこんなにも感情が動かないのだろうと考えていた

まだ言語化できていないが以下に書いて見たい

一つ目は、わかりやすく使う言葉が違う みんなカタカナが大好きだ よく言われていることだからまた書きたくないけど、とにかく日本語存在している言葉カタカナで言いたがる、

サムシングニューを作りましょうか、これだとシナジーありそうですね、あ〜それはブラインドポイントですね、ファーストペンギンになりましょう!、おれルーティーンワーク苦手なんで笑、それMECEですか?、これジャストアイデアなんですけど」

新しいものって言え

盲点って言え

今思いついたって言え

お願いだから、、、と思いながらお腹が痛くなって一時間に一回はトイレに駆け込んでいた これは完全なアレルギーだ 自分言葉で語ってくれよと思った 対象から距離を取るようなその言葉いから、対象への愛が全く 本当に全くもって私は感じられなかった 

とにかくそれっぽく、とにかく新しいこと、企業にウケそうな言葉の羅列 何にも惹かれなかった

使っている言葉だけではない、話している内容も企業ありきで本当にしんどかった で、お前は何がしたいの?と何百回も聴きたくなった 本当にお前はこれが好きなの?お前じゃなくて企業が好きなんじゃない?と (思えば就活はその企業にどれだけ気に入られるかなのだからこうなってあたりまえなんだけど)

二つ目就活グルワ(?)でのスキルを使いたがる 一番笑ってしまったのは、休憩後に話し合い再開しようとしたときに「今の感情言葉にして切り替えましょうか」だ もうこれは もう本当に 腹が爆発しそうになった

多分チェックインをやろうとしたんだろうけど、今 自然に始まろうとしてるんだからいいでしょ そのままやらせてくれや 全肯定雰囲気が流れていたグループだったがこれは流石にみんなスルーしていた

三つ目、「それいいですね」でどんどん話が進んでいく 全くそれはどうなの?という発言がない 議論ではない 馴れ合いに近い (何回も言うがここで全く私は発言していないので言えることではないが、「いいですね」で案ができていく 批判的に刺せる人がいない だから議論が深まっていく感覚がない ずっと横に移動しているような感じだ 私のモヤモヤ中途半端共感ワード、「それいいすね」で片付けられそうで嫌だったので言わなかった

四つ目、常に上から目線だ 多分これは彼らに自覚はない お前は、一体企業に対して、地域に対してなんなんだと思った そもそも部外者で受け入れてもらっている側なのにその態度はなんだ?と。「ここはポテンシャルがありますよね〜うまく使いたいっすよね」と言う言い方で疑いが確信に変わった ここはお前の所有物ではない ゲームしてるわけではないんだぞ たくさんの人たちの気持ち歴史がここにはあるんだぞ、その想像力ないの?ともうまたここで胃がギュルギュル言い始めた。 最低限のリスペクトがない人間と一緒にやっていく自信がない 私もとても恵まれた家庭に育って大学だって通わせてもらっているから君とは同じなのだけど、どんな肩書きの人とも対等で対話がしたいと思うけどそこのところどうなの? まずは一対一の関係性を作ることからじゃないのかな 泥臭くやっている人をたくさん知っているからこそ、無責任青写真を描ける君たちの気持ちがわからないです

議論のあとの雑談でも納得できないことばかりでカルチャーショックを受けた

「おれ、就職するために大学入ったから」

参加者の一人が言った もうこれには本当に絶句した 

マジか 本当に言ってんの? 教育機関ってなんなの?就職予備校

私の大学では起業する人もいれば就職する人もいるし、院進だっている 進路の話をするときは「就活するの?」から会話が始まる それってとても良いことだと思う、それぞれの選択肢尊重している姿勢が見られるから

私は、勉学という生きる術を獲得するために大学に入った おかげで授業は楽しいし、学び合える仲間がいるのが最高だ そこに就職するか否かはあまり影響していない ここに就職したいか勉強する、ではなくどんな人でありたいかを考えながら学んでいる その過程就職という選択肢がある、という認識

でも、彼は、就職をゴールに据えてそれまでのための大学、と言った しかも後ろめたさもなくはっきりと澄んだ顔で言っていた だから本心なのだと思う 心底驚愕したが拒絶はしない 本当に違う考え方なんだと理解した

ある子は現在就活必死にしていて内定を獲得するために志望業界に強いゼミに入り、選考ありのインターン に奔走していた。サマーインターンだけで8社受けるらしい「就活することに疑問を感じたことある?」と聞いたら、「ない」と言われた そりゃそうだよな。就職するためにゼミ選んでるんだもん

一方私は「みんなもやってるからできるでしょ」という浅いモチベーションをもとにサマーインターンに応募し、何件が受かったがなんでやっているのかわからなくなり当日になってメンタルが爆発して吐き気を催し(他にも要因があったが)欠席した こんなんで就職できるのだろうか 

一連の話を大学の先輩に話したら、「そもそもこちら側の人間マイノリティであることを自覚しないといけない」と言われた。そうか、私はマイノリティなのか とわかるようなわからないような気持ちになった ついでに「みんなやりたいことドリブン、社会課題解決したいとかの気持ちでは生きていない そんなのごく少数 でも大きいことをやらないといけないときマジョリティにも声かけなきゃできないか理解しようとすることは大事」と言われた わかってはいたが、あまりにも今の環境では「やりたいことドリブン」の人が多くて感覚が鈍っていた 咀嚼し切れていないがこれが現実なのだろう

安宅さんのブログ精神安定剤だ 彼らはきっと回す側だ スキルがある ただ、私は創る側になりたい 私なりに生き抜く術を探していきたい

https://kaz-ataka.hatenablog.com/entry/2020/09/07/200050

そんなこんなで議事録だけを褒められて終了した私史上初の就活 

大学三年生秋 どうすれば良いかからない

anond:20200910103222

逆に気軽に雑談できないと気まずいからとかね

腐女子短文

マシュマロとかでこの人いつもメッセージくれるな、って人、なんで直接リプくれないんだろう……と寂しくなる。

名は明かしませんが雑談はしたい……みたいなの……? わけわからん……

でもいつも行く飲み屋名前も知らんけどいつも会うから仲良くなって席移動するみたいなことかも……あっ、そうかも……?

2020-09-09

[] 170

 今週の仕事も無事にこなせそうだ。

マッチングアプリゲームも飽きてやらなくなって、相変わらずヒマだ。

昨日まではヒマを楽しんでいたが、ヒマなことにも飽きて、今日はヒマを楽しめていない。

思うに、1日の中で会話するのが上司母親の2人くらいで、それも雑談とかしないで必要最低限のことしか話してないから、普通にコミュニケーション不足なのだ

というわけで、ガールズバーとかメイドカフェとかその辺に行ってみようと思う。

風俗行く方が全然ハードル低いわ正直。

恥ずかしい。ナンパのがまだ気が楽。

お店の前とか偵察してみて、いけそうならいってみよう。

2020-09-07

モテ期だったのかな

学生とき高飛車で周囲から嫌われてる女が居たが特に気にせず普通に接していたら

俺がそいつのことを好きだと思い込んだのか私のこと好きだもんねと言ってきたり地味な女の告白させてくっ付けようとしてきて高飛車な女と地味な女と俺の三角関係作ってみたりしててそいつ言動意味がわからなかった

俺はその他にも接する女全員に同じ対応をしてたし誰も優先にしてなくて友好的な振る舞いをしてただけで何度か告白されたりしてた

背は平均より高く運動は出来て勉強も95-100点は毎回取れてて良くできていて学生生活は男とより女と話す回数の方が多かった

大体は休み時間にやることがないので前の授業の復習とその授業で出た宿題をしたりで勉強していると2、3人が机に寄ってきて話しかけられるから会話をしていたら窓際に立ってる男らはじっと見つめてくるだけで話しかけてこずコミュニケーションは取ることはなく、また別の時には他のクラスの男が乗り込んできて俺の女に手を出してきてんじゃねえぞと体育館裏に呼び出されたり(話しかけてきてたのは女の方からにも関わらずだ)部活の女の先輩らには「かわいー」と言われ時々隠して持ってきたお菓子をもらったりしていたり、修学旅行罰ゲームで俺一人で夜に女らの部屋に行って1時間ほど布団でゴロゴロしながら雑談をしたり班の活動は一人だったので俺以外女だけの班で行動したりという状態で男の友人というものはいなかった

その頃は情緒が発達してなくてコンドームって何?って女に聞いてしまったりするぐらい情緒が発達してなかった。当然子供の作り方も知らなかった。

あの頃情緒が発達してたらモテ期を最大活用出来てただろうに

というかあれがモテ期だったんだろうか

そして、未だに男の友人は居ない

n=1でモノを語ってはいけないのか

かに何か主張するならn=2000はほしいところ

ただそれは予算時間必要になるから気軽にネット投稿ができなくなる

そう考えた時にネット上で何か主張されたときにそれを要求するのはどうなのか

もちろん論文書くときにn=1で書いたらダメだろう

しかネット雑談レベルの主張に対してn=1だから

もっとサンプル数を増やせとか要求するのは野暮の極み

自分生活圏内にあったこと聞いたこから

こうなんじゃないかって語るのは普通のことだし

ネットの誰が書いたかわからんものマジレスするって笑

誰が言い始めたかn=1でも思ったことどんどん書けばいいと思うよ

anond:20200907154627

どう考えてもお優しくてお上品だよ増田

ちんこまんこぱんつうんちガイガイ言っててもな

 

5chの社会板・カテゴリ雑談レベルの闇見ないもん

 

とはいえ、過敏に反応する傷つきやすい人の利用は単なる自傷行為なので

ご利用を控えた方がQOLは上がると思います

anond:20200907103638

はてなには有料質問所も無料質問所も匿名質問所もあるんだが・・・

雑談板で、聞いて相手にお礼もできない状況で、お礼機能があるものと、匿名雑談場所と比べて、誹謗中小というのが素敵なのと

質問無料、答は無料というのが、有料とはいわないが

聞く人がいない人のために、互助会で教えあっている場所に来て聞いてどうする、他社でもいいが、質問場所にいけというのは、そのとおりだが

 

誰かを悪くいわずに、マイルド質問掲示板にいけを言うとどうなるか考えてみな。

 

そして、あきらかにはてな村の増田村に来て、同業他社ともいえる質問掲示板サービス宣伝をしても、おこられない

ということを考えてくれ。

apexやりたい

PCがいきなりこまめにブルスクになるようになって、色々素人ながら試したけど全部失敗してお手上げになったのでドスパラに投げた。

そしたら診断終わるまで2週間まってほしいとのこと。

ゲーミングパソコンまわりの信頼できるショップを知らんので、とりあえず買ったところに投げたわけだけど、今考えるとパソコン工房とかそこらへんを頼っても良かったんだろうか。

ともあれ、出してしまったものしょうがないので、2週間ずっとPCゲーム我慢しているのだが、youtuberゲーム配信を見てるとapex legendsがやりたくてしょうがない。

今シーズンはクソってよく言われてるけど、そもそもほんとにそうなのか知りたいんだよな俺は。

ブルスクと戦いながら1試合だけやったけど、ゲームデータぶっ壊れててテクスチャも光源もぐっちゃぐちゃでそれでもチームの迷惑にならんようなんとか頑張ってたらランパートバグで落ちて復帰しようとしたらブルスクで終わった。こんなので遊んだとは言いたくない。

そんなモヤモヤを抱えたままapexの配信見てると「あ〜〜〜俺ならこうするのに〜〜〜〜」みたいな気持ちになってきてめちゃくちゃやりたくなる。が、俺のゲームPCドスパラである

見ないようにすればいい話なんだが、なんか最近はやってるゲーム配信って自分観測範囲ではfall guysかapexくらいなんだよな。雑談配信や歌配信って見てても虚無なんだよな。雑談は参加しないと意味ないけどコメントするようなことないし、歌配信は見てるyoutuberの歌い方が解釈いであものばっかで聞けたもんじゃない。まあそんなわけでゲーム配信くらいしか見てないのである

せめてPS4が壊れてなかったらパッドなの我慢してやるんだけど、初期型バグにいまさら遭遇してしまい起動するのに画面出ないし。

はやく帰ってこないかなあゲームPC。apexやりたい。craftopia遊んでみたい。少し前に話題になったvtuberのガワで遊んでみたい。やりたいことはたくさんあるのに、俺のゲームPCは今ドスパラだ。

2020-09-06

今月、仕事をやめる。

今月、4年半続けた仕事をやめる。

どうしても感情の整理がしたかったのでここに場所をお借りして書き連ねる。

退職理由は「職場雰囲気が悪いことと、未来が見えなかったから」。

今、私は一般的事務仕事職場で働いている。

つらつらとこれまでの足跡を紡いでみたい。

1年目、配属された時はとても良い職場だった。

年代若い先輩が多く、職場は明るい雑談で盛り上がり、コミュニケーションを多く取りながら仕事が出来る職場だった。

若手の研修・育成もそれなりにしっかり行える環境で、仕事必要知識半年程度で学ばせてもらった。

先輩達は私を明るく迎え入れてくれ、飲み会や遊びも沢山連れていってくれた。とても楽しく過ごしていた。

1年目の秋から、その年度に新しく移動してきた支店長が、組織改革に乗り出した。その支店長は、別の支社から来た人間で、完全にパワハラ気質だった。

部下の部長課長を怒鳴り上げ、萎縮させて無理な目標仕事をどんどんさせていった。

その頃から少しずつ組織歯車が狂っていった。

支店長が掲げた組織改革は、俯瞰的な目で見れば確かに組織のタメになるものだった。ただし、余りに急なスケジュールで、組織仕事リストラに近いものであったために、現場社員士気はどんどん下がっていった。

私の係から組織改革担当を2人抜かれて残った私はわからないながらも先輩1人と四苦八苦しながらなんとか仕事をこなしていった。

2年目になると私の仕事は徐々に増えて、単純に業務量に押し潰されるようになり、残業も増えていった。

私は元々要領が悪く、コミュニケーション力に乏しいため、「何でそんなに残っているの?」と係長から度々言われる度に更にどんどん自分仕事の報告が出来なくなっていった。また、隣の出来る先輩にどんどん仕事が集まっていき、私はどんどん職場で信頼を失っていった。

それと同時に、職場組織改革に反対する人達毎日文句を言うようになり、少しずつ職場雰囲気が悪くなった。人材育成や新たな投資に対する予算も付かなくなり、前向きな仕事は無くなっていった。

2年目の夏頃から、私は「何でこんなに仕事が出来ないのだろう」と悩み続けて、休日も引きこもることが多くなった。それは思い込み言葉にならない抽象的な不安であることも多く、友達や同僚に相談することは出来なかった。いや、それすらもわかってもらえないだろうと諦めていたのかもしれない。

いつからか、すっかり自分に自信をなくしてしまい、何とか仕事に向かっては、負の感情が延々とループして、思考力をすっかり失った脳を酷使しては、何とも言えない成果を残して春を迎えた。

3年目に、運良く子会社出向の打診を受けて、プラント現場技術員として3年間限定で出向となった。この職場自分にぴったりで、プラント故障対応や、効率的運転を考えたりと、誰かに相談することな自分の考えたことが目に見える成果として出ることに喜びを感じるようになっていた。去年抱えていた悩みが嘘のように、毎日ストレス無く過ごせていたと思う。

出向2年目になった4年目は、プラント設備に熟知したことで、仕事マンネリ感を感じ始めていた。

新しい仕事に取り組みたい気持ちが強かったが、出向先が「3年間で帰る人間に新しい仕事をさせても」といった感じで、私の仕事は、日々同じことを淡々と行うだけになっていった。自社のプロパー社員を多く育成する時期でもあったため、また私から仕事が減っていくことになった。

4年目頃から転職について本気で考え始めた。

マンネリ感を打破しなければならない強い危機感を感じていた。しかし、怠惰な私は日々の淡々とした仕事に流され、何となく仕事をこなし4年目が終わろうとしていた。

そんな時に、出向元から契約を1年残したまま支店に戻るように通達があった。私は強烈に反発した。

合わない仕事を何故させるのか、契約は1年残っていたのではないか、どういう人材育成プラン評価で戻すのか…たくさん疑問はぶつけたが、回答はなかった。

そして今年4月支店に戻ってきた。

かつてのパワハラ支店長は別の支店に異動となっていたが、組織はもはや陰鬱とした状態となっていた。

組織改革は未だに続いており、組織改革チームの人間も当初から入れ替えられ、若手も組み込まれていた。

組織改革は、組織の目指すべき目標としては浸透しておらず、全員がただ、「やることだけが決まったこと」だけに対してゾンビのように働いている。

組織改革チーム以外の係にも、依然として前向きな仕事はなく、毎日全員が異動したいだの無意味仕事だの呟くような有様だ。

僕は4月からこの職場でやっていけるかがそもそも不安で、自信もなかったため、転職について本気で動き始めていた。さらに、陰鬱職場雰囲気が私の心理にも作用し始めて、2年目のようにどんどん自信は失われ思考力は日々低下していき、6月頃になると社内ニートのような状態になった。でも、もう辞めるし良いかなと開き直り始めていた時期でもあった。

ひそかに進めていた転職活動が身を結び、8月終わりに10月から転職が決まった。

職場に報告すると、全員驚いていたが引き止められはしなかった。君がいなくなると困る、と言ってくれる人もいないのが、逆に胸をスッとさせた。

私は、来週を終わりに有給消化に入る。

転職と同時に、実家のある大都市に帰ることになる。

退職日までのモチベーションは無い。

本当はずっと休みたい。

ただ、社内的にまだオープンに出来ないらしく、このタイミングでの有給取得は不自然からやめてくれと言われて、渋々出社する。特に引き継ぐこともない。

この半年は、何も得られなかった。

何も得ようとしなかったのかもしれない。

とても空虚ストレスにまみれていた。

自分感情を押し殺して、ただ何となく存在していた。

仲の良い友達には、ささやか送別会をしてもらった。

友達と離れ離れになることは寂しいけれど、このままだと自分ダメになるから、仕方がない。

何が得られたのだろうか、この4年半、本当にしたい仕事は出来たのだろうか。何かの目標に向かって進めたことはあっただろうか。

私は元々、内向的で夢見がちで傷つきやすい、いわゆる「生きづらい」タイプ性格をしている。

この転職も「青い鳥」探しにならないだろうか。

次の転職をまたすぐに考えやしないだろうか。

私の感情思考はどこに向かうのだろうか。

何を目標に生きていくのだろうか。

とにかく、自分の信念に従って進んでいけば

きっと何かが見えてくるのだろうか。

からいから、今日は寝ることにする。

ホロライブマイクラ

マイクラ復興企画してるけど今さらゲームスピード遅い実況されてもな

今のトレンド雑談1時間スパチャ読み1時間が最大効率

マイクラしても上位勢のスパチャに追い付かないか雑談マストなんだよなぁ

anond:20200906193727

パチ屋で働いてたけど(店舗スタッフじゃないです)

タバコ騒音と足腰はフツーに大変だと思う

スタッフ難聴になったって子はいたよ

難聴にならずとも人は騒音に思っているよりも疲れを覚えるよ

お客さん相手雑談は思っているよりも発生すると思って良いが

ホストホステスや高級ディーラーでもあるまいしわざわざ警戒するほどでは無い

 

あと通常のお店では出くわさなレベルの困ったお客さんは必ず発生する

困ったお客さんに危害を加えられることはほぼないので

女性なら害のないことに過敏に反応しないという心構えだけで良い

男性対応する必要あるからメンタル弱めだったらなんとも言えんね

 

働いてるスタッフ増田の親の世代だとワケ有り者みたいなイメージがあるとおもうけど

現代めっちゃクリーンというかむしろわりかし厳しい方だよ

お金扱う仕事からリファレンスチェックがあるよ

現場スタッフレベルでもたぶんあるんじゃないか

パチ屋専門の人材屋がいるよ

 

ワケありの人はいないけど

働きやす環境かどうかは世の中の全ての会社と同様にその職場ボスによるからなんとも言えない

ただ、基本的には高給だよ

ワイちゃんGAFAにおったときよりも貰ってたよ

anond:20200906172200

政治厨が集まるとこばかり的確に選んどるやんけ

 

増田でいいじゃろ。もしくはマストドン

 

MMO雑談を楽しむもありっちゃありだけど、

5chの「カテゴリ雑談 」と 「社会」の板レベルの闇に割と頻繁に遭遇する

 

増田いちばん平和

 

まぁ増田ブクマカする方々に呆れて見る気無くすことはよくあるけどね

10年かけて父は死んでいった

私が30歳の時に両親が離婚した。

その10年後、夫の後妻から連絡がきた。脳出血で倒れ、高次脳機能障害静脈瘤を患い、あなたに会いたいと言っているから来てくれないか

両親は長いこと仲が悪かった。あとから振り返れば「仲が悪かった」の一言で済むが、私が10歳の時から30歳になるまで、子供の前ではまともに口をきいていなかった。年金借家更新手続きなどはすべて娘を介してやりとりが行われた。娘の立場としては別れて当然だと思っていたが、よくある「妻が働くことをよしとしない夫」と「専業主婦を望まれて家庭に入り、まともに職歴のない妻」の組み合わせが崩壊すると、子供を養ってはいけなかったのだろう。

そして父には恋人がいた。愛人と称するべきなのだろうが、どうもなじまないので恋人とさせていただく。母によれば、口を利かなくなる前に、離婚歴があり一人で子供を養っていて立派だと、よく話していたそうだ。となると私が10歳の頃くらいには関係があったのだろう。私の前ではその人の話はしなかったから。

私が大学に入ると、恋人の子供の家庭教師というアルバイトの口があてがわれた。子供は親同士の関係を知ってか知らずか、どの教科を教えても手応えはなく、頭がいいのか悪いのかもわからなかった。家庭教師として恋人の自宅にお邪魔すると、その両親が出迎えてくれる。おやつ飲み物と軽い雑談、成立しない家庭教師役、私はうっすらと事情を察した。恋人の両親はよく父を褒めていた。頭が良くて、気が回って、本当に立派な人だ。どこの世界の人だろう、と思った。家では無口で、たまに自分を連れてファミリーレストランに行って。もっと小さい頃の思い出はたくさんあるが、10歳以降の思い出は数えるほどしかない。思えば自宅で風呂に入らないのが不思議だった。そうか、この家で風呂に入っているのか、と考えた。もちろんラブホテルの時もあっただろう。私は当時、まるで子供だった。母はアルバイトに対していい顔をしなかったし、その家で食事を勧められることをいやがっていた。今考えれば当然だと思うが、私は両親の中が悪いことは知ってはいても、両親の心境にはとんと疎かった。考えるのをシャットアウトしていたのではないかと今なら思えるが、何を考えているのかわからなかった、不可解だったというのが正直なところだ。

大人同士の機微を読むのが面倒になって、勉強が忙しいからという理由アルバイトを辞めた。

就職し、家にお金を入れ始めるようになった頃、父親が月に1回手渡してくる生活費の額ががくんと減った。バブル期でも不景気な時でもあまり額の変動はないようだったが、バブル期にはかなり儲かっていたらしく、自分の親戚にみかんを送る箱の数を間違えて発注し、4箱のはずが14箱届いたという電話を受けたことがある。父は子供に話すわけにもいかず、ましてや母に話せるわけもなく、一人でぷりぷり怒っていた。かなり面白かった。そんな状態だったから、額が増えても減っても母と私にはどうすることもできなかった。生活費がない月もあった。その頃から、父は何を思ったか子供がいない時に外から家によく電話をかけていたという。私は母の証言しか聞いていないが、母に働けと言ったり、お前が浮気をしているのは知っているんだと怒鳴ったり、大変そうではあった。母は事態かいつまんで話してはくれたが、父は何も言わなかった。ますます、何を考えているかからない両親だなとしか思えなかった。母が浮気をしていたかどうかは私にはわからないが、一度ぶっちゃけどうなの、と聞いた時には、本当に父親一人しか知らない、他の人に好意を抱いたことはあったが子供が生まれる前だった、と言っていた。真偽はどうでもよかった。なぜか父の恋人が家を訪ねてきて「あなたも働いたらどうですか」と母に説教してきたそうだ。私から見れば、母の化粧や外出、外で働くことの検討を嫌がっていたのは父の方だった。私にとってはすべてが藪の中だった。ただ、このままの両親が年を重ねていくのなら、私がずっと生活の面倒を見るんだろうという覚悟けがあった。

私が30歳になる頃、父母の電話での言い争いは激しくなったそうだ。どこまでも伝聞だ。母は不毛な言い争いに疲れ、離婚届を準備していた。証人欄ふたつのうちひとつには私がサインした。特に感想はなかったが、これで父が恋人再婚すれば、将来の面倒を見るのは母一人でいいのか、助かった、と思った。

父は離婚届にサインして、いくつかのアルバムだけ持って家を去った。私への連絡はなかった。携帯電話版号も、メールアドレスも知っていたのに、特に娘に伝えたいことはなかったのかと、不思議だった。不思議ではあったが、謎の両親の電話――本当にそういうやりとりがあったのか、私は知らない――で二人で決めたのなら、私は意見文句も言うまい、夫と妻の間の話だ、と思っていた。

それから10年間、父からの連絡はなかった。戸籍謄本から辿れば現住所が分かることは知っていたが、特に話したいことはなかったし、非常時にはいくらなんでも連絡くらい来るだろうとたかをくくっていた。結婚した時も報告しなかった。子供ができていたら連絡しただろうか?幸か不幸か、子供はできなかった。「仲の良い夫婦とその子供」というサンプルを知らない私には子供を持つのは厳しいだろうと思っていたが、ごく自然にできないままだった。

10年経って、父が脳出血で倒れたという連絡をよこしてきたのは、一度だけ親族葬儀で顔を合わせた父方のいとこと、父の恋人の兄だった。Facebookで探し当て、メッセージを送ってきたそうだが、Facebookメッセージを受け取る範囲を絞っていたので、気づいたのは倒れてから半年後だった。死んでいればさすがに親族から母に連絡があってもよさそうなものだったが、そういう話は聞いていなかったので、母には何も言わずメッセージに返信した。手間をかけてすまない、父の具合はどうか、非常時にはこの電話番号とメールアドレスに連絡をくれ、いざとなったら先方に伝えてもらっても構わない。それくらいの簡単ものだった。

ところが、携帯電話にかけてきたのは父の恋人だった。私は瞬時に、失敗を悟った。留守番電話に残されていた最初メッセージは「連帯保証人になってくれ」だった。SMSには再婚したこと、病状、娘に会いたいと言っていることなどが断片的に送られてきていた。どう出ればいいか迷い、しばらく自分からコンタクトを取るのは控えておこうと思った。

次の日、会社の始業時間から終業時間まで、というのは単なる偶然だったのだが、1時間おきに着信があった。これを書くのは本当に恥ずかしいが、狼狽した私は電話留守番電話の通知が恐ろしくなり、不安障害発症して心療内科に通うようになった。簡単に連絡先を教える自分がばかだったし、想定できたはずだったのだ。1日考えて、父の後妻(結婚したことがわかったのでこう書く)の番号を着信拒否にした。着信拒否にすることで逆上されかねないとも考えたが、このままでは自分生活が壊れると思った。夫には全部ひとりで決着をつけたいと言った。

次は父の携帯電話から着信と留守番電話があった。さすがに1時間おきではなかった。留守番電話を聞くのに心の準備が必要だった。何を言われるんだろう、何をふっかけられるんだろう、本当に怖かった。父よりも後妻の方が怖かった。留守番電話は2件あり、1件目は「ほら、◯◯ちゃんよ」という後妻の声の後に父が「◯◯◯◯(父のフルネーム)です、こんにちは、どなたですか」と言った後に電話が切れた。2件目は直接父が発言したようで、「◯◯、元気か。会いたいな。子供はいますか、元気ですか。連絡くれるとうれしいです」という、私の主観では「何かを読み上げた」ような内容だった。

2件目を聞いた時に、高次脳機能障害というのはこういうことなのかと腑に落ちた。私のことがわからない父も、私に会いたいという父も両方混じっている。人前でしかさない、機嫌のよい時の父の声で「どなたですか」と言われたこと。この10年一度も親から子への連絡をしなかった父が、私の10年を何も知らずに「子供はいますか」と無邪気に尋ねること。一瞬気が遠くなった気がした。そして私のことをきちんと認識している父はもういない。いなくて当たり前だ、10年かけて私の中でゆっくり父の不在から父の死へ変化していったのだから。私の中で既に父は死んでいた。正確には「死んでいたということがわかった」。私はもう父の家族に、といっても後妻しかいないけれど、一切関わるまい。そういう決心をしながら、そういえば私が家庭教師をしたあの子供はどうしたんだろう、という思いがちらりとよぎった。

父の番号を着信拒否してから、1年に1回ほど、後妻からメールが届いた。「賢くて頼りになるお父さんのことを思い出します」。頼りになる? あなたにはそうだったんだろう、私にとっては違ったけれど。いとこからメールがきた。「今度静脈瘤の手術をするので連絡してあげてください。私の母が死んだ時にお世話になったから、恩返しをしたい」。つまり私にとってのおばがこの10年の間に死んでいて、私に連絡がこなかったのだから親族扱いされていなかったのは私の方では? 誰も彼も何を言っているんだろうと思った。怒りはなく、ただ不可解さだけがあった。両親がなぜか電話意思疎通(といっても口げんかだったそうだけど、私は聞いていないからよくわからないままだ)していたこと。すべてにおいて排除されていたのは私ではなかったのか。そして父が死にそうな時にだけ連絡が来る。不可解だった。どのメールにも返事をしなかった。

最初コンタクトがあってから4年後、おそらく戸籍の附票からたどったと思われる封書が後妻から届いた。ざっくり言えばもうそろそろ死にそうだから、面会に来てほしい。相談したいこともあるから連絡してほしい。会っていなかった10年を埋めることもなく、ただ死にそうだという連絡だけが来る、それがなんだかおかしかった。

そのさらに1ヶ月後、今度はいとこから、父が死んだこと、告別式の日時と場所の連絡があった。私は即座に相続放棄手続きを開始した。お金について計画性があったとは思えないので、相続手続きをしたところでたかが知れている。相続手続きには相続人全員の承諾が要る――つまり後妻と私は何らかのコンタクトを取る必要性があるだろう。弁護士を挟むにしても。私は一切後妻と連絡を取りたくなかった。分かり合える何かがあるとも思えなかった。年を取ってから再婚なんだからそういうこともあるだろうに、なぜ死んだからといって関係性が生まれるのか。丁寧に必要書類を集めて回り、家庭裁判所相談員の人と会話をして、「よくご存じですね」と言われた。そのことだけが、この一連の騒動の中で、本当に感情を動かされた。つまり、うれしかった。誰も彼もが私を都合良く(といってもきっと善意なんだろうけど。地獄への道は善意で舗装されているのだった)使おうとする中で、事務手続きを挟んだ人だけが、私のことを褒めてくれた。

相続放棄の申立は無事受理された。

父の名に大きく×がつけられた、後妻の名前も入っている住民票を見て考える。父にとって私はなんだったのか。かわいがってもらった記憶も、愛情をかけてもらった記憶もあるにはあるけど、空白の10年間、私が気を遣って父にコンタクトを取るべきだったのだろうか。いやそんなことはないはずだ。父は父の意思で私を家族から外したのだと思いたい。私が一連の話の中で一番ショックだったのは、面識があったはずのおばの葬式に呼ばれなかったことだったのだから

父と母と私の欄に「除籍」と書かれ、後妻の名前が連なっている戸籍謄本を見て考える。一番コンタクトを取りたくない相手名前が、同じ書類の中におさまっている。後妻の生まれた日も、両親の名前も、続柄も、再婚した日も書かれている。そういえば再婚したという報告すら父からはこなかった、それは当たり前だろうと思う。別の誰かとの再婚ならともかく、母との婚姻継続中に家族の中に割って入った人。割って入ったことすら気づくのが遅れた人。

家庭裁判所から送られてきた「相続放棄申述受理通知書」と「相続放棄申述受理証明書」だけが、私にとっての宝物だ。家庭裁判所の人はやさしかった。見知らぬ私のために、書類についてあれこれ教えてくれて、印紙が売られている一番近いコンビニエンスストアまで紹介してくれた。人のやさしさってあるんだなと思えた。

長くなりました。読んでくださってありがとうございます

QBハウスみたいなマッサージ店ない?

雑談したくないんじゃ。

希望時間と部位を伝えて後はされるがままになりたい。

痛すぎないか事務連絡はOKだが趣味とかの雑談を強いられるのやめてほしい。

2020-09-05

みんなー おらに もっと雑談をー

くだらないねたー

2020-09-04

コロナ禍の就活で思ったこ

就業率とか失業率とか、いろいろ日々思った。

祈りメッセージ怖くて就活サイトメッセージ見るのも嫌で。

ここまでお祈りメッセージ続くと、自分価値ってないのかなってへこむ日々。

面接に行っても面接かこれ?みたいな雑談されて。

なんで面接官の過去話とか苦労話きくためにここまで来たんだろうと思いながらも、神妙な顔して相槌打ってた。

疑問すぎる会社もいっぱいあって、後からみて笑えるように残そうかなって。

面接でいきなりマスクを外す面接

なんでや!?突っ込み入れたかった。

採用通知きたけど、雇用契約書よりも先にお泊り研修

え?雇用契約内容の確認は?あと県をまたいで研修って、この(緊急事態宣言)ご時世に?

面接時に一週間ほどで合否の連絡しますねってサイレントお祈りした会社

嘘つきー!!!

仕事内容にはOJTですぐに聞ける環境ですってあったのに、面接いったら業務個人で覚えてねって言われる

嘘つきーー!!!

家族構成は?兄弟は?地元は?今はだれと暮らしてるの?賃貸?持ち家?

あれ?婚活かな??ってか、それ最近だと面接NG質問集じゃないの?(https://partners.en-japan.com/qanda/desc_9)

もっと面白いのとか疑問に思ったのもあるけど、とりあえず今は元気です。

2020-09-03

anond:20200903205428

そりゃネット上の雑談権利義務関係が発生するわけがない。

俺が答えないならお前に対してコイツアホやなという評価を下すだけだ。

2020-09-02

田舎コミュニティを抜けて半年以上が経った

私は田舎出身だ。

年に一、二度、数日帰省する程度の生活をして、もう20年程経つ。

今年はコロナの影響でお盆には帰っておらず、春になる前に1泊したきりだ。

特に何もない田舎

パチンコラブホ田んぼしか無い田舎

その田舎コミュニティを抜けた理由は、幼少期からの友人、幼なじみだ。

最後帰省したとき、仲の良い友人と30分程会ってきた。

その時、これまでその友人にしか話していない話に対して「みんな心配してたよ」と言われた。

聞いた瞬間、

えっ何でみんなが?うわっえっ気持ち悪い えっ

そんな感想しか出て来なかった。

誰にも何も伝えてないが、私がこの友人にも、「みんな」にも会う事はもう無いと思う。

帰省は親家族に会う時だけに留めると思う。

帰省することも、親家族しか言わない。

田舎での噂話はすぐに広がる。

当人たち的にはちょっとした雑談の種なんだろうけど、私にはそれが気持ち悪くて仕方がなかった。

私は「その場にいない人の話」をする人が苦手だ。

こいつもそうなんだな、と思ってから、もう話せなくなった。

Twitterでの繋がりもそろそろ断とうと思っている。

こういう気持ち悪さ、性の合わなさから田舎を離れる人は少なくないと思う。

娯楽と仕事でいっぱいの場所に出たら、他人ことなんて気にしてる暇はない。

閉鎖的なコミュニティに嫌気がさしている人は、迷わず逃げよう。

自分の安らぐ場所に行こう。

2020-09-01

今日社食確認するのが好きだった。

誰かが旅行に行ったお土産をもらえば、「どうだった?」「あそこいいよね」とお土産話に花が咲いた。

締め切り前の辛い作業も、周りの頑張ってる姿を見て踏ん張れた。

何気ない雑談からメンバーの意外な面を知ることが出来た。

会社に行かなくても仕事はできる。そういう業種だ。おそらくもう毎日会社に行く未来は来ない。お世話になった先輩も、直接顔を合わすことの無いまま異動していった。久しぶりに連絡したら、異動先の人と顔を合わせたことがないらしく、毎日一人で粛々と仕事をしているそうだ。

この環境下で在宅勤務ができるのはありがたいのだと思う。でも在宅勤務前提で選んだ仕事と、強制的に在宅勤務でやる仕事は違うとも思う。誰とも会話せず、朝から晩まで一歩も外に出ず、管理が出来ないからという理由残業代も1円も出ず、ただただ毎日仕事に向き合っている。

正直もう嫌だ。コロナ前に戻りたい。

結婚子供もいらないと気付いた話

新卒就活の時の希望は「結婚しても出産しても長く働ける会社」だった。

民間企業だと難しい条件だと思ったので、1年かけて公務員試験勉強をして、公務員ではないけどそれに近い団体職員になった。

カレンダー通り休めて、有給消化もばっちりで、子持ちの女性もたくさん働いている希望通りの会社だ。

「あがり」だ。私はそう思った。でもそこはある種の地獄だった。

結婚出産キャリアに影響しずらい分、女性に対する結婚出産圧力がすごい。しか男性からではなく、女性から圧力がすごい。上からからから、私はまるで男と番って子供を産むために存在するかのようだ。職場結婚も多いので、男性職員雑談してるのを目撃されただけで「付き合ってるのでは?」と噂が立つ。

子供を産めば産んだで、旦那子供に対する詮索が始まる。どこに勤めてるの、どこの学校に行ってるの、兄弟構成は、子供恋人は(!)、などなど。しかし詮索する方もされる方も「旦那子供スペック=女の価値」と思ってるので、旦那愚痴と「子供をどうすれば”まとも”に育てることができるか」への執心がすごくて「まともじゃない子なら自分の手で殺したい」という人を見かけた時は戦慄した。

あと家族主義がすごい。すぐ実家に帰るし、実家に帰る頻度を聞かれるし、結婚出産圧力も結局は「ご両親を喜ばせるため」だ。人の親である人が多いので、私に自分の娘息子を重ねてるのかもしれない。やめてほしい。

女性が働きやす職場」の現実を見て、あまり気持ち悪さに転職を考えた。それにあたって、なぜ自分新卒時にこんな職場を目指したのかを考えた。

私は子供の頃から鈍くさくて不器用な子で、人間関係でつまずいて小学校とき不登校になった。「まともじゃない子」だ。

大人仕事をするのが義務子供学校へ行くのが義務義務を果たさな人間に居場所はないんだよ」と両親は言った。唯一勉強が得意だった私は、「学校には行ってないけど、学校に行った子より成績が良いよ」と返した。実際そうだった。

その後学校に行けるようにはなったけど、何度も学校生活につまづいた。頑張っていた甲斐もあって成績は良かったけれど、両親の望むような快活な優等生ではないという自覚があり、彼らの胸先三寸で私の「居場所」はどうにかされるのだといつも思っていた。私に出資する価値はありますよ、不登校にはなったけどあなたたちの求める「まともな子」になれるんですよ、というアピールとして「たくさん勉強して良い大学に入って、女性でも長く働ける職業に就きたい」と主張して、大学に入って就職した。仕事結婚出産介護、娘という存在可能価値の最大化をしてみせないと進学させてもらえないと思ったからだ。

結局私は、サーカスの象がエサのために芸をするように、勉強就職をしていただけにすぎず、それのヴァリエーションとして結婚出産があっただけなのだ

それに気づいたとき、私はなんて荒涼とした価値観で人生を歩んできたのだろうと思った。ここまで頑張ったけど、私は両親のことも、勉強していた学問のことも、仕事も、男性も、まったく好きではない。ただ義務しかない。そしてもう義務感だけで何かを成せるとは思わない。

ということで、私は自分人生から結婚出産と、ついでに両親を外すことにした。

転職先は拘束時間が長いこともあって、家庭を持って働いてる人は非常に少ないし、子持ちの母親はいない。申し訳ないけど、この環境にすごく心の安らぎを感じてしまっている。

しかたらこの先、本当に他人を愛せて、家庭を作りたいと思う時が来るかもしれない。その時は結婚出産のことを考えたい。もう子供を望めない年齢になってるかもしれないけど、昔の自分のような虚無を生み出すよりははるかにましだと、私はそう思う。

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