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はてなキーワード: 蒙古とは

2018-07-19

我昼食蒙古湯麺激辛。麺完食。汁全飲干。美味。

便所脱糞便器赤色糞。尻穴痛。肛門損傷。肛門激熱。

激辛蒙古湯麺攻撃肛門無慈悲。疼。痺。痛。此症状初体験

我後悔汁全飲干。

2018-06-16

人間に毛皮が有ればいいのに

何で人間は毛皮を捨ててしまったのか。

別にあっても困らないが無ければ冬は凍死する動物の最重要アイテムじゃないか

まだ猿で毛皮まみれの頃に他の動物から毛皮を引っ剥がして服を作って自前の毛皮がいらなくなって捨てたのだろうか。

日本アジア人達は寒さに耐えるために進化して目が一重になり、目頭に蒙古ひだが出来、手足は短くなった。

何で毛皮に頼らず寒冷に合わせた進化してるんだ、意味がわからない。

どんなに暑い国の動物でも毛皮はあるのに。

2018-05-06

何がダメなんだろう

私には女性的魅力がないのだろうか?

最近とても不安になる。

私は最近18歳になったばかりの女子高校生だが、もうこの女子高校生という特別ブランドはあと一年もしないうちになくなってしまう。

それなのに、私は告白されたことがない。痴漢をされたこともない。

私の友達告白されたことがあると言う。痴漢されたことがあると言う。

世の中の女の人たちは「痴漢は怖い」「男の人が怖い」と言うし、友達もとても怯えた様子で私に痴漢されたことを伝えてきた。

でも、私はそれを聞いても「羨ましい」と思ってしま気持ちが少なからずある。

男性から性的対象にされているというそ事実がとても羨ましく思えてしまう。

私はデブだった。でも、痩せた。今は摂食障害気味で吐き戻してしまうこともあるのだが、一応標準体重(BMI21前後ほど)で「気持ち悪い」体型ではないと思う。

オシャレを気にしていないなんてことはない。ちゃんトレンド意識した服を着ているし、制服だって校則を守りすぎた長くてダサいスカートになんてしていないし、髪の毛はミディアムロングのストレートを下ろして前髪を適度に巻いている。

一重なのがコンプレックスだけれど、だからといって目が小さいわけじゃない。一重なのがダメだと言うなら私が先ほど上げた痴漢された友達は一重だった。私よりも目が小さかった。

私の顔は極度のブスじゃないと思うのだけれど、自分の顔だからそう思うのだろうか。一重以外にはそこまで大きなコンプレックスになるものはないと思っている。

太っていたときには黒木華に似ているとよく言われた。

今の顔は自分的にはレッドベルベットのスルギに似ていると思う。

口ゴボじゃないし、蒙古襞もないし、東洋人的な顔だとは思うが、ブスと罵られるほどではないと思う。

可愛いか?と聞かれたら違うかもしれないが。

何がダメなんだろう。私の何がダメだというのだろう。

私が気づいていないだけで周りの人間過食嘔吐しているとバレているのだろうか。

オタクから?私がアニメオタク声優オタクジャニーズオタク腐女子からダメなのだろうか?いや、それならやっぱり痴漢されたという友達アニメオタク声優オタクだった。オタクでも痴漢されるし告白される。

私が告白されることもなければ痴漢されることもないのは何が問題なんだろう。

男性性的対象として見られてみたいし、それに対して「気持ち悪い」と言うことすらしてみたい。

自分という存在価値を感じたい。好かれる、愛される、ということを経験してみたい。

見た目に問題がないとしたら(一重が問題ならば整形するという解決方法を試す価値はある)、中身に問題があるのだろうか。

性格にそんなに難があるのだろうか。女友達は人並みにいると思うし、連絡先を交換している男友達は片手程度だがいるにはいる。

友達がいるということを考えるとそこまで過剰に性格問題があるわけでもない気がする。

私の何がダメなんだろう。

きっと私が何も気づいていないだけで全部ダメなんだろう。

見た目も中身も、何もかも。

2018-04-11

anond:20180411135909

蒙古撃退がんばるねう!勝ったらご褒美もらうねう!

2018-04-07

anond:20180407012453

※詳細版

神話時代天照大神岩戸に隠れて真っ暗!!この世の終わりだ!

7世紀白村江の戦いに負けてしまった!唐の大軍が攻めてくるぞ!!

10世紀平将門藤原純友の反乱で日本オワタ!!

11世紀末法の到来だ!!平安京では疫病が流行してる!

13世紀蒙古が攻めてくるぞ!日本は滅亡だ!

15世紀応仁の乱で京の都オワタ!!乱世で世も末だ!

19世紀黒船キター!!日本欧米列強植民地にされるぞ!!

1904年日露戦争に負けたら日本滅亡だー!!

1920年代不況で娘は身売りせんとあかん昭和維新せな日本は滅亡や!

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1945年大東亜戦争が敗北に終わるなんて!日本はもう滅亡だぁああああ

1950年日本でも共産革命が起きるぞ!ヤバイヤバイヤバイ

1960年:米ソ核戦争が起きて日本も巻き込まれるぞ!ヤバイヤバイヤバイ

第2次ベビーブーム:このままじゃ人口増加で資源と食料がヤバイヤバイヤバイ

1973年石油ショック高度経済成長が終わった!日本はもうおしまいだ!

1980年代ソ連アカが攻めてくるぞ!!攻めてくるぞ!!

1989年:今のバブル景気まやかしだ!道徳的堕落した日本は滅亡する!

1991年:そら見ろバブル崩壊した!!驕った日本人に罰が当たったんだ!!

1995年阪神大震災地下鉄サリン事件日本滅亡が始まったぞ!!

1998年北朝鮮弾道ミサイルを開発した!今すぐ戦争になるぞ!!

1999年ノストラダムスの大予言ガー

2001年911テロガー

2003年イラク戦争が第3次世界大戦のはじまりだー!!

2011年福島原発事故ガー

2017年4月4月中に北朝鮮戦争が始まる!!

2017年5月5月中に北朝鮮戦争が始まる!!

2017年6月以降:年内に北朝鮮戦争が始まる!!

2017年12月以降:来年北朝鮮戦争が始まる!!

2020年:○○で日本は滅亡する!!

2033年:××で日本は滅亡する!!

2050年:△△で日本はもうおしまいだー!!

2100年:■■が起きた!今度こそ日本は滅亡だ!!

3000年:◇◇で今度こそ日本オワタ!!

無限に続く予定

2018-03-01

一人で韓国に行って整形してきた

大学1年生女、韓国で目頭切開とエラ削りをしてきました。

韓国に行ったことも整形したことも誰にも話せず、一人暮らしの家で寂しくダウンタイムを過ごしているので色々吐かせてください。

さなから顔がコンプレックスでした。厚ぼったい一重の目に、エラ張り顔というメイクでは誤魔化しの効かないブスの典型です。

絶対に整形しようと、高校生の頃からTwitterで「整形垢」を作って情報収集、様々な手段割愛)での資金集めをしてきました。

大学生になり、親元をはなれ一人暮らしを始めたのでやっと整形できる!とまず埋没手術(ふたえ手術)をしました。

それだけで印象がグッと変わり、アイメイクは楽しくなるし男性に今までされたことのない優しい態度を取られ、

「顔が標準以上の子は、こんな思いを毎日していたのか・・・」と新しい世界を見ることができました。

彼氏もできて、初エッチしました。ブスの頃は一生処女なんだろうなと思ってたのに。

埋没手術は5万。5万円でこんなに世界が変わるなんて、なんてコスパがいいんだろう。

二重になって目はある程度ぱっちりしましたが、次は蒙古襞のせいで垢抜けないことに気づき始めました。

それから、ずっとコンプレックスだったエラの悩みに終止符を打ちたいと、次は目頭切開とエラ削りをすることに。

Twitterには整形垢界隈というものがあり、整形の情報症例、経過写真情報を容易く得ることができます

調べていると、韓国は料金が日本より安い(相場日本の1/3くらい!)上に技術も良く、日本語対応している病院も多かったので

不安はありましたが春休み韓国に行くことを決めました。2月中旬に行ってきて、いまはやっと腫れが落ち着いてきたくらいです。

整形までにやったことは

1)病院選び

2)予約

3)渡韓準備

です。

まず病院選びは、Twitter症例病院HPが載せている情報をみて、自分希望を叶えてくれそうな病院を探しました。

整形垢界隈には韓国病院トレンドがあり、その時評判が良かった病院を全て調べまくって「とにかくナチュラルに垢抜けたい」希望にあっているところを探しました。

ちなみに目頭切開は高須クリニックだと25万。韓国だと3-5万です。技術個人の感じ方によりますが、韓国しか採用していない高度な技術施術方法があることを考えると韓国の方が上かなと思います

予約はカカオトークLINE@で。私は日本語対応していない病院を選んだので、予約はカカオトークGoogle翻訳を片手に韓国語で行いました。

また、日本語が十分にできる先生がいない病院を選んだため、渡韓期間は通訳さんを同行させる必要がありました。現地でついてきてくれる通訳さんの予約も。

渡韓準備として、きちんと希望の目の形が伝わるようにオーダーシートを自作しました。

この目にはなりたくない、この目に近づきたい・・というイメージを紙に印刷してカウンセリングの時に見せる用です。

友達家族には「韓国高校友達旅行行ってくる!」と伝えアリバイ工作

ダウンタイム中に人に会いたくなかったので、旅行の後はすぐリゾートバイト軽井沢住み込みしてくる設定にしました。

そして渡航し、施術し、帰国

滞在期間中は街で会った韓国人のお兄さんに「君が行こうとしている病院韓国では評判悪いからこっちの病院行きなよ!」と話しかけられ結局悪質な回し者だった・・という事件があったり色々大変でしたが、なんとか目と顔を腫らしながら帰国できました。

ちなみに高須では100万円以上するエラ削り、韓国では安いところだと15万くらいでできます。繰り返しますが品質が悪いわけじゃないです。

誰にも相談できず一人でここまでやったの、結構誇りです。

就活も結局顔見られるし、今やって良かった。

娯楽にお金を落とさない&ネット一般化で顔写真一枚の影響力が強くなったこ時代

整形の需要って高くなっていくと思うんで整形おすすめです。

親にもらった体にメスを〜みたいなお説教はいらないです。

2018-02-26

蒙古

チンギスハン本人が文句を言ってきたのなら兎も角

そうでない人が何を言って来ようと無視していいと思う

2017-11-25

私は皇太子さまに似ている

女で厚ぼったい一重なんだけど現皇太子激似。ついに母親から整形するならお金出してあげるよとまで言われた……

母親も弟も蒙古ひだなしの大きな目の二重。母も弟もすごく美形。私とは全く似ても似つかない。父は少年隊東山紀之みたいな一重。私と雰囲気は似ているが目頭切れてて蒙古ひだなしでまあまあかっこいい。私は蒙古ひだまであって本当に附子。いやブス。今までborn ths wayだし芸能人についてなるわけでもないから!とポジティブに考えてきたけど母親に整形勧められるのはさすがにちょっとまいってしまっている

2017-01-19

ジンギスカン北斗の拳

オッサンです

ジンギスカンの曲が耳に残る、ってトゥギャッター北海道ジンギスカンを聞いてショックを受けたついでに

昔の方の、皆さんご存知の方の、ジンギスカンをツベで久々に聞いたんだけど

あのメンバー衣装ってコレ北斗の拳元ネタになってますよね?

南斗っぽい白い衣装、素肌にベストスタイル

マッドマックスは知ってたけれどもこっちは当時も近年もさっぱり気が付かなかったぜ

考えてみたら蒙古極道とかわりと唐突に出てきた感じはジンギスカンオマージュですよと

知ってる人に伝わればいいということだったのかなあ

2016-12-20

ブスはどうやって生きていけばいいのだろう

私はブスだ。

白くも黒くもない中途半端に血色の悪い肌色をしていて、

目は小さくて蒙古襞があり一重である

出っ歯上下顎前突の口ゴボでしゃくれ。

から突き出てるので正常な口にするには手術で上下の顎を切り取るしかない。

顔のバランスおかしい。

目が上に付きすぎているのでAKB柏木由紀みたいに目から下が長いのだ。

(柏木由紀は目が大きくて他のパーツが整っているので社会から許されている)

社会に出てみて思ったことはブス女への風当たりが厳しいということだ。

男性から見て

容姿の優れた女>容姿の優れた男>ブス男>>>>ブス女

の扱いをしていると感じる。

最下層のブス女など人間扱いしてくれない。

人間じゃないもの」として扱われる。

私は学生時代大人しい女の子たちのグループに入れてもらってひっそりと生きていた。

クラスの他グループ女子とも必要以上に会話しない、持ち物も無印良品のような無地で地味なものを持つようにする

授業中の音読では変な発声をしないように気を付ける、

変な動きや歩き方をしないといったように

目を付けられないようひっそりひっそりと生きていた。

だがある日、話したこともないクラスボス女の子から

物を隠される持ち物を捨てられる机から動けば実況付きでネタにされる新しい持ち物を持っていけば酷評されて全否定されるといったいじめを受けたが周りの人たちはスルーだった。

一挙一動が笑われるのでまともに話せなくなったし笑えなくなった。何をしてもネタにされるのでペンケースや消しゴムを新調することさえ心臓バクバクだった。

毎朝吐いて登校して帰宅してまた吐いていた。

そんなある日のことだった。

同じクラス可愛い女の子いじめられたら

男子生徒、男性教師一丸となっていじめはやめよう!と躍起になりはじめた。

私のあれはいじめではなかったのか?と思ったがまあそういうことなのだろう。

ブスは人間扱いされない。

まとめサイトを見ているとこんなに女の容姿を気にしている若い男性が多いんだなと思う。

たとえばラビット速報みたいなまとめサイトでは

「このレベルの女は抱ける?」「この有名人劣化した」「付き合えるギリギリの顔の女ってこれぐらい」といって画像を貼り付けて、

男性画像女性批評していく記事ばかりである

批評している彼らは容姿レベルはすごいのか?

そうでもないだろう。彼らは一般人だ。

大学社会に出てみて男性特別容姿が優れているということはないことを知った。

大抵は並みのレベル容姿をしている。

うpされた画像女の子たちと付き合えるレベルでもない。

じゃあ、どうして容姿評価しているのか?という話になるが

男性にとって女性評価基準第一容姿なのだと思う。

女性場合性格や波長が合えばブス男でも付き合うが、男性場合それは滅多にない。

「でもブスじゃん」という言葉がある。

女性を褒めたり、その姿を見ているときによく使われる言葉だ。

この言葉を使われると、その場で対象女性評価はどん底まで落ちる。

その女性がどんなに性格がよくて、いい匂いがして、料理上手で頭がよかったとしても、

女性否定するには「でもブスじゃん」の一言で十分なのである

容姿欠点カバーしようとそれ以外を必死に頑張ったところで

最後にくるのは「でもブスじゃん」という容姿への評価なのである

容姿が悪ければオリンピック活躍したとしても柔道女性選手たちのように

クリーチャー扱いされる。

容姿がよければ違法薬物を使ったとしても酒井法子のように

許される。

では、ブスでなければいいのか?

可愛くなろうと努力すればいいのだろうか。

根性論好きな人努力が足りない、と言う。

そんなに辛いのならばもっと努力して容姿を磨けばいいと言って自己責任烙印を押す。

だが反比例して男性たちは化粧を悪として見ている。

上記のまとめサイトでも「すっぴん詐欺」「化粧で誤魔化してる女は詐欺すぎて本当にムカつく水ぶっかけて顔こすってやりたい」とよく書かれている。

男性にとって化粧は悪で、ブスも悪なのだ

世間から虐げられないために化粧という盾を持って身を守ることも

罰せられるべきこと、法律違反したり他人迷惑をかけたかのようなレベルで叩く。

自分の女が化粧落として顔が違ったら嫌だから化粧は禁止にすべき」

「生まれ子供の顔が違ったら嫌だから化粧は禁止にすべき」

とよく上記まとめサイトおよび2ちゃんでそういう風潮がある。

この世のすべての女性とベッドを共にするわけでもなし、

この世のすべての女性を孕ませて子供を産ませるわけでもなしに、

自分の女』がそうだったら嫌だからという理由禁止しろと言うのだ。

自分の女』になる女性の数なんてたかが知れているのに、

それだけですべての女の化粧を禁止しろというのは暴論ではないだろうか。

ブスは幼少期から顔面批判により自己評価が圧倒的に低くなり

自分社会で最も価値のない存在だと自覚しているし、

人並みに結婚できるなんて考えてもいない。

身寄りもなくホームレスとして孤独死する未来が見えているのだから

ブスの化粧ぐらいは許してほしい。

私がこんなことを書くきっかけになったのは

昔のことを思い出したからだ。

今の私は顎を切らないまでも五十万以上かけて歯の矯正をして

目元の整形をして

詐欺レベルメイク研究して

カーネギー人を動かすみたいな類の本をたくさん読んで、

上品動作の本をたくさん読んで、

パーソナルカラー診断をして骨格診断をして、

資生堂の一回につき一万円以上するビューティーレッスンに通って、

女子アナ系の服装研究して、

一万円の美白美容液トマトジュースビタミン剤毎日飲んで美白して

何とか他人から虐げられないレベルにはなった。

もちろん一般レベルではない。

それより劣っている。

存在ギリギリ許される、というレベルだ。

先日、私のことを好きだと言った男性

道端の女性を見て、

「許せないのはブスだよ。ほんとブスだけは無理」と言った。

彼は平凡の容姿の男だ。

どの口でブスなんて無理、と言うんだろう。

私は悲しくなった。

こんな男に少しでも心が傾いた自分にそんな男から好かれるような安い女である自分に。

はじめて人を愛してみようと思ったが

ブスには大それたことだったのだ。

個人性格問題じゃない。

私の生まれ世界がこうなのだ

ブス女に厳しい。

好きでこんな顔に生まれたわけじゃない。

恋をして子供産んで、人並みに生きていたかった。

私には何もない。

青春時代の甘さも酸っぱさも知らないまま生きてきた。

人生における喜びを甘受することもこの先できないだろう。

ブスはどうやって生きていけばいいのだろう。

2015-09-30

私はブスが嫌いだ

努力しないブスが嫌いだ。

自分のことをブスとわかっていて、何も努力しないブスが大嫌いだ。

私が自分のことをブスだと気付いたのは高校生になった頃だった。

それまで親族から可愛い可愛いと言われ育て上げられ、すっかり自分可愛いのだと刷り込まれた脳ミソが、ある日やっと、鏡に映った自分をどうしようもないブスだと認識したのである

その時のショックは忘れようとしても忘れられない。

自分が今まで生きてきた世界自分否定してしまったのだから

周りの同級生はバレない程度に化粧を施し、可愛く髪をアレンジしている子もいた。

そうじゃない子もちゃんと肌のケアをして、最低限、眉毛を整えていた。

そんな中、私はそれまでの十数年間、化粧水の使い方一つも知らなかった。

アンタはまだ若いから早い、親にそう言われたのを間に受けてなんのケアもしてこなかったのである

時は思春期、度重なるニキビ軍の猛攻によって肌はボロボロだった。

こんな状態でロクにケアもしないと、顔面が荒れに荒れた戦場地帯となるのはサルでもわかる

長年自覚のないブスだった私が、ようやく美容に手を出した瞬間だった。

それからというもの自分お小遣い(月3000円、バイト禁止されていた)の中でファッション雑誌化粧品を少しずつ集め始めた。

私は筋金入りの腐女子だったため、化粧品代は同人関係お金を割く中でのごく一部であったが、そのごく一部の範囲でなるべく良い物を買おう、と@cosme等に張り付くことが多くなった。それに比例して化粧品の知識も増えていった。

途中途中でサボったこともあったが、つけまつげを付けれるようになったり、コンタクトを入れれるようになったり、一重を二重にすることができたり。

自分のできることが増えていくにつれて、自分が少し可愛くなれたような気がして嬉しかった。

と同時に、垢抜け切れない自分に腹が立っていた。

大学に入ってしばらくした頃、自分の顔をきちんと鏡で見ることを心がけた。

今までは、自分の顔があまりにも嫌いすぎて、見るのもイヤだと目を背け続けていたからだ。

こうなりたい!という顔を決め、その顔と自分は何が違うのか、どうすれば近づけるのかを徹底して研究した。

私がなりたい顔は平行二重にぱっちりと開いた大きな目、ぷっくりとした涙袋に高く小さな鼻、薄い唇、シュッとした輪郭の俗にいうドール顔。

対して私は重い一重に開ききらない瞼、小粒で蒙古ひだの厚い目、涙袋は皆無で正面から穴が見える低い鼻、分厚い唇に面長丸顔かつ老け顔。

全く違う。そもそもパーツが違いすぎる。

再び向き合った現実に嫌気がさしながら、来る日も来る日も空いた時間メイクを練習した。

どうやれば鼻が高く見えるのか、どういう髪型にすれば輪郭がマシに見えるのか……。

涙袋の書き方を覚えた日、鏡の中には、すっぴんの私とは違う人が座っていた。

ようやく一人前に化粧ができるようになってから、街中で声をかけられることが多くなった。

以前は全くされなかったナンパスカウトも、鬱陶しいくらいにされるようになった。

すれ違った後に可愛いと言われることが現実に起きるなんて、昔の私は信じないだろう。

元の顔が大きなコンプレックスなだけに、今、容姿を褒められることが何よりも嬉しい。

冒頭に戻るが、私はブスが嫌いなわけじゃない。ブスを自覚してなおかつ何の努力もせず、「私ブスだからな〜」「〇〇ちゃんは可愛いから羨ましい」と言ってくるようなブスが大嫌いだ。

本当に脱ブスしたいのなら体毛を処理するところからでも始めればいいのに、と思う。

皮膚が弱いから化粧品使えないという主張も嫌と言うほどに聞いてきたが、正直、何もしないことへの言い訳しか思えない。

肌が弱い人向けの化粧品なんか今の時代はたくさん出ているし、それすら使えないほど弱くてもボサボサの眉毛くらいはなんとかできるはずだ。

元の顔がどんなにブスでも、努力さえすればマシにはなれる。

私の元の顔より恵まれたパーツや配置、輪郭を持った人達がブスに甘んじているのを見ると、私と顔を交換してよ、と無性にイライラしてしまう。

だって脱ブスするチャンスはいつもそこらに転がっていて、それを生かすも殺すも自分次第でしかないのだ。

2014-07-12

性のファンタジー

よくあんじゃん。

AVとかで、よだれ垂らしながらイキまくる、とか、エロフィクションで、「ンギモッチイイ!」とか。

あれを実生活体感したヤツってどのくらいいるんだろうね。男女ともに。

もちろん俺はそんなの体感したこともないし、あなたのじゃなきゃイケないのとか言われたことないし。

そういうの、全部フィクションだと思ってるし。

でも言われてみたいんだよ。自分のカラダでそうなる女性の姿を見てみたいんだよ。

主観として体験してみたいと常々思っている。

数日前の増田で「スポーツ選手セックスは体力があって気持ちいい」とか、女性が書いたと思われる記事があったけど。

寝取られ系の2chまとめとかで、イキまくった体験を書いているケースとかあるけど。

頭が真っ白、とか、自分自分じゃないみたいで狂いそうだった、とか書かれてるけど。

そういうの見るたび、俺にはそんな快楽女性に与える機会が訪れることはないのだな、とぼんやり諦念を感じている。

だがどこかであきらめきれない自分がいる。

まるでフィクションのようなセックスがしてみたい。

ひとりの男として、女性に最高の快楽を与えてみたい。

それはひとつファンタジー現実願望と地続きの、うす壁ひとつ隔てたファンタジー

俺も努力するから、みんなもがんばれ。

獣のようにまぐわって、キメセクさながらの快楽を与えるために、蟻の戸渡りあたりに、常日頃から力を込めるのだ。

それとも、俺が目にした数々の情報は、ただのフィクションなのか。

快楽主義者の嘘吐きなのか。

セクシャルファンタジスタなんていないのか。

だとしても、みんなに「分かる」って言ってもらいたいんだよね。

一人の快楽主義者として。フィクションに影響を受けやす愚か者として。

ではこれから、あかひげ薬局に行ってきます

追記

こんなクソ増田ブコメやらトラバやらありがとう

書き方がたいへん悪かったが、自分絶対的快楽を得たい、というのではないのだ。

自分の性技によって、女性に忘我の快楽を与えたいという願望があるけれど、

そんな状態へ導くのって、男にとってのファンタジーだよね?現実じゃそうはいかないよね?そうだと言ってよバーニィ、というのが要旨です。

しかし…


それって、現実にあるよ。フィクションじゃないよ。(中略)そういう相手に出会えるか、運だけだと思う。さいわいにも自分場合出会えた。今はもう別れてしまったけど、いまでもあのときセックスを思い出してオナニーしてる。

ライフセーバー女の子とのセックスは凄かったよ。体力あるからこっちがダメなっちゃって、

手足縛って、バイブツッコンでウィンウィンさせて放置して、自分が復帰したらはめてあげた。

完全に狂ってた。アへ顔っていうの、初めて見た。

ファンタジーじゃないよ。テクをみがけば、そういうことが可能になるよ。

童貞を奪ってくれた相手が、そのときヨダレこそないけどイキまくってたな、アニメ声で。




うそう!こういうのですよ!!こういう現実を知りたかったのですよ。

こういうリアル垣間見ると、なんか自らの未熟さを感じ、その領域に達したいと思うんですよ。

でも残念ながら俺にとってはファンタジー、っていうね。

で、そのファンタジーに毒されて自らを否定しているか、というとそうではない。

空から女の子が降ってきてないから俺の青春ダメだった、というのではなくて。

そうした性の快楽を与えることができる男たちが現実存在することを知って、それでもファンタジーだよね、と現実を否定したくて、でもどうやら現実らしくて絶望してる、という状況。

いわば、圧倒的強さを誇るサイヤ人やZ戦士(=絶倫戦士)の戦いを目の当たりにして、自爆せざるを得ないチャオズの心境だ。

さよなら…天さん」である

チンギス・ハンが広大な蒙古帝国を築いたのは、周辺国の王女を犯し孕ませる性癖があった故、という一説を耳にしたことがある。

そういうのを聴くと、自らの欲望が反応する。

支配欲なのかなあ。征服欲なのかなあ。

そうした欲望は、現実的ファンタジーで留まっていたほうが良い領域のだと思うが、せめて自分セックス範囲では実現したいと思う。

だが、自分はZ戦士の戦いに参加できないと知って、絶望している。そんな状況だ。

浅学にして、「はてなオフ会」についてはあまり知らないが、倒錯した性癖の持ち主やらZ戦士が集まる場なのだろうか。

だとしたら、俺は参加する資格はない。せめてイチジク浣腸差し入れるのが関の山だ。

精神と時の部屋修行してから臨みたい。


さよなら…所長…」(自爆

2013-06-12

自分ルーツ蒙古ひだ

蒙古ひだが嫌いだ。

蒙古だっていうのは、目頭にあるヒダのこと。日本人なら結構ある人が多い。

整形手術で取ると、目が大きく見えて可愛くなれるよ、とかって宣伝してるアレ。

俺は良い年の男だから、可愛くなりたいとか思ってるわけじゃない。

俺は母親家系アイヌで、父親の家系和人だ。

俺の顔は濃い。堀が深くて、鼻がでかくて、唇も分厚く、肌も浅黒い。

アイヌっぽくて良い顔だ。

でも、目だけは嫌いだ。

目には父親ゆずり蒙古ひだがついている。あぁ、なぜ似なくて良い所で似るんだ。(優性遺伝なんだって。仕方ないね

俺は幼いころに生き別れてしまった父親を憎んでるし、アイヌだ、アイヌだといじめられてきたからか、純和風な面してる和人も嫌いだ。(なんて意地悪そうな顔してるんだ、死ね一重)

からか、俺は母親家系人間でありたいといつしか考えるようになっていった。

そうやって、色々あってアイデンティティを長年かけて築いてきたのに、鏡を見るたびに蒙古ひだが「お前はまぎれもなく和人だ」と語りかけてくる。

あぁ、幼い頃はアイヌであることが嫌だったが、今は和人であることが嫌だ。

こんな物凄いどうでもいいことだが、俺はずっと悩んでいる。

周りにアイヌはいない。

誰かに相談したくてたまらない。

俺は結局、民族としての誇りを、何に持てばいいんだろう。

やっぱ日本人なのかな。よく分からない。

2013-05-04

http://anond.hatelabo.jp/20130504093943

「付き合わない」という選択肢は、ない。いいか?「付き合わない」という選択肢ない

この国際化の時代付き合わないなんて選択肢はないの。それこそファンタジー妄想、夢想のレベルありえないの。


まずそこを理解しよう。


次に、「武器」はどっちももってるの。しかも「武器に、より金をかけているのはこちら」なの。それでお互い相手のもってる武器ケチをつけてるの。どっちがどうと言える話ではないの。

それから、「お前のものは俺のもの」について言えば、どちらかと言えば「それを『した』のはこちら」なの。

有史以来数千年間のスパンで考えれば、大陸列島への侵攻は、鎌倉時代の一度(まあ2回と計算しても良いけどさ)。一方、列島半島大陸への進出を図っての出兵は、百済の件、秀吉の件、そして明治時代には一時的に成功して国までぶっ建てたの。百歩譲っても「お互いさま」と言われれば感謝されるレベル。むしろ、「蒙古系(元)のやったことへの文句はモンゴルに言え。オレらは有史以来一度も列島へ侵攻なんかしたことねえ」って中国半島の人々に言われても何も言えないの。

まあ対馬に関しては「何言ってんだこの○○○○」と俺も思いはしたけどさー。でも、ちょっと調べてみると、対馬を代々支配してた連中も結構怪しいぜ? 連中、密貿易私物化して儲けるために日本列島半島の間でうまく双方の権力者に顔を使い分けながらコウモリかヌエ的な感じでいろいろ小細工してるんだよね。それ考えると、せいぜい、この前ニュースに出ていた「日本は元宗主国として台湾独立に力を貸す義務があるのでは?」とかいう、台湾独立派の与太程度には聞き流せる話だと思う。

一応、論理的思考力はあるようだから、この辺を手掛かりに、再度結論を組み立て直してみてはどうかね。そうしたら少しはその人の言うことも分かるんではないかな。

まあね。君が中国大陸朝鮮半島の国やその人々に対して「何考えてんのか分かんねえ。信用なんてできるわけねー」ってのは分かるよ。でも、それは向こうも同じ。日本安全な国なのか? 日本人は何考えてんのか、なんて、向こうにだって分かるわけないわな。違う文化に生きてる違う人間なんだし、そもそも日本が侵攻を企てているかいないかなんて、本当のところオレにも分かんねえもん。なんであれだけの事故があっても原発がなくならないか。半ば公然と「いずれ核開発するためだ」なんてことを、真顔で公人が言ったりする国なんだぜ? 国際的に見て、日本人がおおむね安穏でノンポリ馬鹿エロくて、でもって愛すべき文化をもつ人間だということは重々オレも実感しているけれども、かといって日本という国が周囲の国にとって公正で平和的で安全な国と言えるかどうかは、オレには分かんねえ。新聞とかTVにさーっと煽られたら、あっという間にこの国はまた正義なき戦争であっても突き進むんじゃないかという不安は常に抱えてる。どこの国も、そんなもんじゃいか


そんな世界で、お互いに相手を「武装したキチガイ」扱いしていたら、その次に何が来るか想像できないかい?

2012-06-29

将来整形して人生変える

私、今中学生なんですけど、顔がすごいコンプレックスです。

母親は、昔モデルをやっていたくらい美人です、正直娘の私でも「わあ綺麗!」って思ってしまうくらい。

ぱっちり二重・高くて細い鼻・小顔

でも残念ながら私は父親似でした。

なぜ、できるだけ美人遺伝子は組変わらないんでしょうか・・。ああ、遺伝子容姿なんて関係ないんですね、わかりません。

もう、卒業式がゆううつでたまらない・・父親似だって思われたくない、言われたくない。

細くて脂肪が分厚い目・低い鼻・大きい顔・・みればみるほどそっくりで正直話しかけないでほしい。

もう14年いきてきて一回も告白されたこともなく。死にたい

毎日毎日顔のことばかり考えてしまう。一度整形して新しい気持ちで人生を生きたい。顔以外のことを考えていたい。

私の友達可愛いこばっか。一番可愛い子はむしろ美人ちょっとつんでれな性格モテモテ

友達なのに、近くにいるのに、あの子ばかりが男子に話しかけられて、彼氏ができて。

私は?男子には自分からじゃないと話せない、彼氏なんてもってのほか、ずーーっと片思いの人にすら振り向いてもらえない。

今までのの友達もなぜかかわいくてモテてる子が多かった。つらい、なんで可愛い子ばっかと友達になるんだろう。

でもみんな性格までいいかさらに辛い。

将来は、高校、せめて社会人になるまでバイトお金を27万円くらいためて、高須クリニックで全切開法の二重手術をしたい。

元々は奥二重なんだけど、もっと幅が広くて大きくて脂肪の少ない綺麗な左右対称の目にしたい。

目頭切開は、お医者さんに相談自分ではそんなに蒙古襞がかかってない気がするんだけど、自分じゃわからいから・・。

上向きの鼻もどうにかしたい。あと、鼻を小さくしたい。

あと、涙袋を真顔でもできる状態にしたい。エラボトックスも打って、小顔にしたい。

でも、絶対失敗しないように、お医者さんにちゃんと相談して、不必要な所は絶対いじらない。

絶対綺麗になりたい。整形したら全部完成するように、今からお肌やできるだけ小顔に、目を大きくする運動とかダイエットとかガンバル。

男見返したい。今までばかにしてきた人たちとかも見返したい。整形整形言われても正直綺麗になれたらいい。

2012-03-10

南京事件初心者の疑問

これみた。

たかじんのそこまで言って委員会」の南京事件検証動画が秀逸すぎる。 | ねとうよ速報

http://netosoku.net/blog/others/takajin_nankin_kensyou/

南京事件否認論の恐怖。 - Something Orange

http://d.hatena.ne.jp/kaien/20120308/p1

捏造写真や被害誇張が多すぎるとか、中国が国をまとめるためのプロパガンダとか、でも戦争なんだから規模はともかくやってるに違いないだろとか、外国人が書いた一次証拠もあるだろとか、これを全部正しいとしても関東軍虐殺動機がよくわからない。たとえ数万人でも虐殺は軍の指示がなければ無理だ。関東軍は何か深い民族的恨みでもあったのか?

南京事件 (1937年) - Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E4%BA%8B%E4%BB%B6_(1937%E5%B9%B4)

南京事件なんきんじけん)は、日中戦争支那事変)初期の1937年昭和12年)に日本軍中華民国首都南京市を占領した際(南京攻略戦)、約6週間から2ヶ月にわたって中国軍投降した便衣兵、一般市民などを殺した事件。



でも、この前に満州事変とかで国作ってるんだよね?

満州国 - Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E6%B4%B2%E5%9B%BD

1932年から1945年の間、満州現在中国東北部)に存在した国家

満洲国は建国にあたって自らを満州民族漢民族モンゴル民族からなる「満洲人、満人」による民族自決の原則に基づく国民国家であるとし、建国理念として日本人漢人朝鮮人満洲人・蒙古人による「五族協和」を掲げた。




とすると、傀儡政権日本人優位とはい中国人(満州族)とも一緒に暮らしてたわけだ。その後国を運営しながら5年かけて南京まで領土を拡大。ならなおさら軍命令で虐殺する意味わからん南京の人とも一緒に暮らすだろうし国民国家労働力ではないのか?

と思ったら、詳しい解説サイトがあった。

南京事件 初歩の初歩

http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/shoho.html

まずよく誤解されるのですが、南京事件」というのは、例えば数万人なり数十万人なりを一箇所に集めて、まとめて機関銃なり銃剣なりで殺した、という事件ではありません。基本的には、数多くの中小規模の「事件」の集積です。

 また、民間人巻き込まれの責任便衣兵戦術をとった中国側にある」との暴論も見かけます。そもそも南京では「便衣兵戦術」の存在は確認されていないのですが、例え南京戦以前の上海戦での「便衣兵」を問題にするとしても、日本軍責任は免れません。日本軍は「民間人混入」のリスクは十分に承知していたはずです。殺害しなければならない切迫した事情もなかったのですから、そのまま生かして「捕虜」としておけばよかっただけの話でしょう。

秦 南京事件場合日本軍にもちゃんと法務官がいたのに、裁判をやらないで、捕虜を大量処刑したのがいけないんです。捕虜のなかに便衣隊、つまり平服のゲリラがいたといいますが、どれが便衣隊かという判定をきちんとやっていません。これが日本側の最大のウィークポイントなんです。

秦 捕虜資格あるかないかはこの際関係ありません。その人間が、銃殺するに値するかどうかを調べもせず、面倒臭いから区別せずにやってしまったのが問題なんです。

秦 捕虜としての権利がないか裁判抜きで殺していいということにはならない。自然法に照らしても不法でしょう。古代の暴君ならともかく、こいつは悪い奴だから、その場で処刑していいというのは、文明国がやることではない。捕虜の扱いはお互い様ですから、それなりに尊重し、労働をさせれば一定給与を与え、自国の兵士と同程度の食料を与えるのは交戦国の義務でした。


中村粲

武器を棄てて我軍の権内に入つた段階では捕虜なのであり、秩序や安全を脅かすことのない限り捕虜として遇すべきもので、重大な理由なく処断するのは戦時国際法違反になるであらう。

 軍司令官には無断で万余の捕虜銃剣刺殺された。それを「便衣の兵は交戦法規違反である」と強弁してはならず、率直に(それは)戦時国際法違反であり、何より武士道に悖る行為であったことを認めねばならぬ。

原剛氏

しかし、本来、捕虜ならば軍法会議で、捕虜でないとするならば軍律会議で処置を決定すべきものであって、第一線の部隊が勝手に判断して処断すべきものではない。

松本健一

捕虜でないからという理由で捕まえた敵国兵士戦場裁判にもかけずに勝手に処刑することは国際法からも容認されていないはずです。

北村稔氏

筆者の見るところ、「ハーグ陸戦法規」の条文とこの条文運用に関する当時の法解釈に基づく限り、日本軍による手続きなしの大量処刑を正当化する十分な論理は構成しがたいと思われる。


私見ですが、「安全区掃討」の是非は、「国際法」のややこしい議論に突入するまでもなく、「常識」で考えればいいことだと思いますもう戦闘は終了しているのに、戦闘意欲を失った元兵士を片っ端から引っ張り出し、そのまま何キロも歩かせてまとめて殺害する。しかもその中には誤認連行された民間人も大量に存在している。虐殺」だと感じれば、普通感覚でしょう。



南京事件 初歩の初歩、了解。

ひとつ思いついたけど、この国際法を守る「普通」の感覚があれば、中国軍世界を支配できる簡単な方法がある。10億人中の数十万人を各戦場投降させたらいい。そしたら敵軍はその「捕虜」を戦時中に食べさせて管理して働かせても、食料を作る時間的な差で補給がままならなくなり、暴動が起こらないような高度な管理にも相当な軍人を割かなければいけない。その間に本隊で攻撃をすれば勝てる。相手が国際法を守るなら。

当時の中国ちょっと普通」じゃないのは、ケタ違いの人口を誇るのに日本と比べて近代的な武器を持ってないこと。

満州事変 - Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E5%A4%89

戦力

国民革命軍160000

大日本帝国陸軍30000 - 66000

16万の軍隊が、3万から6万6千の関東軍に負ける。ランチェスター戦略ではまずありえない。

捕虜」の感覚も「普通」だと人数の少ない軍隊が負けて、戦いに生き残った少数が「捕虜」になるという感覚なんだが中国相手だと

南京事件 初歩の初歩

http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/shoho.html

 「南京事件」中、最大規模の「捕虜殺害事件」として知られている事件です。

 十三師団山田支隊は、南京城北部を進軍中、大量の投降兵に遭遇しました。その数は、当時の公式発表に従えば一万四千人余りと伝えられます。この捕虜はいったん幕府山周辺の建物に収容された後、12月16日から17日にかけてほとんどが殺害されてしまいました。

12月13日、日本軍南京占領しました。逃げ場を失った中国軍兵士は、大挙として軍服を脱ぎ捨て、難民避難していた安全区に逃げ込みました。

 14日から16日にかけて、日本軍は、避難民の中から兵士とおぼしき人物を選別し、そのまま揚子江岸などに連行して殺害しました。歩兵第七連隊戦闘詳報によれば、その数は七千人弱、と伝えられます。その選別方法はアバウトなもので、その中には大量の民間人が混入していたものと見られます

 さらに17日の入城式後も、「安全区掃討」は続きます佐々木到一少将によれば、1月5日までに、さらに二千名が摘出されました。



結果、数万人虐殺してるんじゃないかという予測ですが、普通感覚なら戦時中はいえやはり全員ちゃんと食わせて、ひとりひとり裁判にかけて、きちんとした管理の中、この数万人を戦争が終わる8年間(1945)まで捕虜として扱うべきだったのでしょう。虐殺するほど軍人最低限のモラルもなくなるでしょうし。

たかじん動画でありますが、台湾攻撃した時は虐殺なんかしてない。満州事変ときも、満州族とその地域を一度に支配したのでその必要がなさそう。南京陥落のとき戦闘継続中の「中国軍」だったので一気に中国を支配できなければ投降は「捕虜」にするかその数万人を扱う余力がなければ虐殺するしかないということでしょうか? 日本軍には「投降」という概念がなさそうで、なおさら大量の捕虜を信用出来そうにもないという文化の違いもありそうですが。


南京事件の初歩の初歩までの理解ですが、右の言う捏造写真や被害誇張が多すぎるとか、中国が国をまとめるためのプロパガンダとか、動機がないとか、虐殺する弾薬や労力が無駄とか、左の言う、でも戦争なんだから規模はともかく心壊れてどこかでやってるに違いないだろとか、外国人が書いた一次証拠もたくさんあるだろとか、これは結局、関東軍が対人口比の極端に多い中国に勝ち進んだという「普通」じゃない状況が大量の「捕虜」を扱いきれず一般人も巻き込んで虐殺したことで、「普通」の時代の人から批判されまくってるという解釈で初歩の初歩はOKですかね?


あの当時、数十人の管理人でも数万人の「捕虜」が暴動起こさないような設備システムを作って、人権も守りながら低コストで、食料もすぐに自給自足管理させ、ひとりひとり裁判もできたら良かったんでしょうけどね。

2010-10-11

蒙古タンメンいってきた

冷やし味噌ラーメン鬼畜すぎる

辛いとかいうレベルじゃねぇ

冷やし五目か冷やし五目蒙古くらいにしておくべきだった

まだまだ鍛錬が足りなかった・・・

2009-03-30

田母神論文

あまりに今更だが、所謂「田母神論文」を読んだ。

http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

これは酷い。

一方日本は第2 次大戦前から5族協和を唱え、大和朝鮮、漢、満州蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。

日本が夢に描く?日本って誰だよ。仲良くってなんだよ。至る所に[要出典]を貼りたくなる。

随筆を「論文」と呼ぶのはやめてくれ。

歴史研究者がこの「論文」を見る時の感触は、理系研究者似非科学を見て皆で失笑するのと同じ感覚なんだろうか。

それともテーマがもろに政治的なだけに、研究者の間でも変に論争になったりするものなんだろうか。

2008-11-30

今どき仮面ライダーを見るのは別の意味でみっともないと思ってしまう

はてダに、

という記事があったのだけれど、これを読んで、そう言えば平成ライダー見ている人は本当に少なくなったなあということに思い至った。

ぼくは、毎日サークルで新入部員とよくおしゃべりをしているのだけれど、最近は「昨日、キバで次狼さんがさ」なんて平成ライダーの話題を持ち出す人というのをとんと見かけない。特に若い人ほどそうだ。

よく出るのはやっぱりYouTubeとかニコニコ動画で仕入れてきた話題だ。一番はゴッドマンとか東映スパイダーマンの話だ。ハヌマーンがどうしたとか、ウルトラファイトみたいな円谷の話題を持ち出す人もいる。

次によく見るのが昭和ライダーの話で、ライスピかS.I.C.から入った人も見る。これはけっこういい歳をした大人も話題にのってくる。普通の勤め人が「ライダー必殺技キックしか認めない」「悪のライダーなんて論外」とか熱弁したりして、昭和ライダーの素晴らしさが広く一般に普及しているというのがあれを見るとよく分かる。

それからたまにゴジラの復活を望んだり牙狼などの深夜作品を例に出して本来特撮は大人のものだと語ったり、あるいは宇宙船バックナンバーを読んで知ったマイナー特撮の知識を持ち出す人を見かけるのだけれど、平成ライダーの話をする人というのはほとんど見かけなくなった。

かく言うぼくは、昔は本当に仮面ライダーを見た。特に学生の頃は、朝から晩までライダー漬けだった。

その頃のぼくは、ほぼ毎日、もう何百回も見たお気に入りのシーンをコマ送りで再生して、大野剣友会殺陣コピーするのが習慣となっていた。当時、ぼくはサークルの先輩と一緒に暮らしていたのだけれど、彼はどちらかと言えばライダー戦隊に否定的で、崇高な特撮ファンがジャリ番ばっかりを見るのは、みっともないと言って眉をひそめた。そうしてぼくには、この時代はまだロクにビデオリリースされてないからぎりぎり許されるけど、大人になってまでまさか「日蓮蒙古大襲来」や「ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐」を見ないようなことはないよね?と、遠回しに釘を刺してくるようなところもあったりした。

しかしその頃のぼくは、次世代メディアが普及して特撮オタク純粋な知識量が重宝されない時代になったらどうなるかなどというのはちっとも考えたりしなかったので、そんなふうに言われても、何かを思ったり考えたりすることはなかった。

それから長い歳月が過ぎて、東映はいつの間にか電王を三度も映画化していたのだが、気がついてみると、全くと言っていいほどライダーを見なくなっていたのである。つまり、先輩が望むような特撮オタに、一応はなれたわけだ。

ところで、ぼくがライダーを見ない理由は一つしかなくて、それは面白くないからである。ぼくは今、本当に見たい思える特撮ヒーローというのがほとんどなくて、最近の大人の鑑賞に堪えうる特撮ヒーローは「仮面ライダー響鬼」と「ウルトラマンネクサス」と「特捜戦隊デカレンジャー」だけだ。評論同人誌を作るなんて本当になくなった。だから、ネットや飲み屋で仮面ライダーディケイドのネタバレ画像を面白そうに語るオタを見かけると、「最近特撮ファンは……」とは思わないけれども、面白さの感性みたいなものは疑ってしまうのである。「どうしてあんなくだらないジャリ番に、貴重な時間を使えるのだろう?」と。

面白さなんて人それぞれという考え方もあるけれども、スーパーヒーロータイム視聴率は本当に落ちているらしいから、単純に「人それぞれ」で済まされる問題でもないと思う。どうひいき目に見たって、やっぱり今の平成ライダーは面白くなく、だから見る人が減ってるのだろうし、ぼくも見なくなったのだろう。

そういう意味で、いまだに平成ライダーを見ている人とか、そんなものを作るのに人生を賭けている人に対しては、「いい歳をして」という意味ではないのだが、面白さに鈍感な人だなあという意味では、やっぱり「みっともない」と思ってしまうところはあるのである。本当に便利なテンプレートだと思う。

関連

2008-11-05

日本は侵略国家であったのか」を読む 補遺

http://anond.hatelabo.jp/20081101232814

 こんにちは元増田です。

 その後、台湾外交部からも抗議声明が出されたようです。

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20081102-OYT1T00492.htm

 しかし、田母神氏ご本人は、「誤っているとは思わない」「(論文の内容について)今でも間違っていない」、

http://www.asahi.com/national/update/1103/TKY200811030159.html

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20081103-OYT1T00526.htm

とおっしゃっておられるようであり、

近現代史の一面的な見方を見直そうという動きが各方面から起きていたが、その象徴的論文

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081103/plc0811031834005-n1.htm

という新聞もあるので、ネット上にある反論ソースをあげておくのも意味ないことではないと思い、対中外交について落ち穂拾いをしてみます。今回もネット上にあるものだけを参照しており、私はこの時代の一次史料を読んでいませんので、「ちらしのうら」であることに変わりはないですが、根拠を何も示さない所論よりはましだと思っています。

日本は・・・(中略)・・・相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない」のか

見出し引用の出所は、田母神俊雄日本は侵略国家であったのか」2008年

http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

それでは、公開されている次の論文を紹介する形で反論します。

古屋哲夫「対中国政策の構造をめぐって」『近代日本における東アジア問題』古屋哲夫山室信一編、吉川弘文館2001年、をPDFHTML化したもの(単行本にはあたっていないことをおことわりしておきます)。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/pdf/75.PDF

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 まず、日露戦争後の日本中国権益についてみてみましょう。そもそも初期条件は清の関与できない日露両国の話し合いで設定されました。

日露講和条約によって日本が獲得した在満権益とは、ロシア権益の残りの期間を、「清国政府ノ承諾」を条件として、譲り受けたものであり、具体的には 1923年大正12)に満期となる(露清原条約の期限が25年)遼東半島租借権と、運転開始から36年後の1939年昭和14)年に中国側に買戻権が生ずる南満洲鉄道経営権を中心とするものであった。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 清の事後的同意が必要とされたこと、租借権と経営権には期限が設けられていたことは留意されるべきでしょう。

 後の関東軍へとつながる駐兵権の話も、この段階で出てきます。

それは清国の了解なしに、その主権を侵害する鉄道守備兵駐兵権を設定したものであった。それは現に軍隊存在しているという既成事実を権益に転化させようとするものであり、日露両国は清国の主権侵害の共犯者となったことを意味し、また、以後の満洲支配についての日露共同行動の可能性をしめしたものでもあった。ところで講和条約ロシアから日本への権益の移転譲渡は、「清国政府ノ承諾」を条件とするとしており、それにもとづいて、1905年11??12月にそのための北京交渉が開かれたが、そこで清国側がもっとも強い反発をしめしたのは、この鉄道守備隊の問題であった。・・・(中略)・・・結局この問題は日本側が、ロシアが撤兵を承諾したときには、日本も同様に撤兵するという条件を付けただけで押し切ってしまうが、小村寿太郎全権は、ロシアの撤兵など起こりえず、したがって日本の撤兵もありえないものと考えていた(5)。この鉄道守備兵が、租借地守備兵とともに、後の関東軍を構成することとなる。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 先に既成事実があって後に法的に問題を確定させようとしていることは留意されるべきでしょう。

このようなやり方が、相手側に不満を生じさせ、後の紛争の種となるのも当然でしょう。

日露講和後の清国に対する交渉において、もっとも紛糾したのは、前述の駐兵権問題についで鉄道権益をめぐる問題であった。・・・(中略)・・・その結果、1905年12月に調印された、「満洲ニ関スル日清条約」(実質的内容は附属協定)では、吉長線も新奉線も協定附属の取極に譲らざるをえず、前者は清国の自主建設により、資金の不足分を日本からの借款による、後者日本から清国に売渡し、その改築のための費用を日本より借り入れる、という譲歩をよぎなくされている。結局協定本文には、安奉線が残されただけとなったが、これも軍用軽便鉄道商工業用に改良することは認めるが、18年後には清国に売り渡すべきことが規定されていた。それは安奉線についての日本の権利が、長春旅順間の鉄道とは全く異なるものとして協定されたことを意味していたが、日本側、とくに現地の実権を握る陸軍は、条約には目もくれず、安奉線を駐兵権や附属地を持つ満鉄の支線とすることを 実力で押し切ろうとしていた。

 実際に、満洲よりの日露両軍の撤兵期限である1907年明治40)4月になると、遂に、安奉線上の本渓湖の市街に新たに日本軍が進出し、同時に日本警察官出張所が設置されたとして、清国側からの抗議が提出された。これは前年8月陸軍が主導して在満権益を管轄するために設立された関東都督府(都督は陸軍大将または中将、初代は 大島義昌大将)が、既成事実を作り出しはじめたことを意味した。そして外務当局もこれを追認する態度を示している。日本側のやり方を条約違反とする清国の抗議に対して、同年5月18日林董外相は、安奉線は満鉄の支線であり、守備隊の駐屯や警察官派遣の権利も満鉄と同様だとの態度をとるよう奉天総領事に指示している(7)。それは条約よりも既成事実押し通せ、ということであり、対満洲政策の一つの性格が早くも形作られつつあったことを示している。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 上記のような「条約よりも既成事実押し通せ」という態度は、国際法にのっとった正当なものと言えるでしょうか。

軍と外務当局との関係については、一致することも異なることもあったでしょうが、ここでは両者ともに既成事実化をはかっています。

軍だけに責任を負わせることはできません。

安奉線が朝鮮半島満洲を直結するものとして重視されたことはいうまでもないが、日本側は他面では、韓国北東部に隣接し多数の韓国人が居住する間島地方に、領事館及分館を設立して、韓国人に対する領事裁判権を行使することで、日本の勢力を浸透させることを企図していた。そして清国側が容易に実行しないことを予期しながらも、日本希望を記録しておく意味で、前記「間島ニ関スル協約」に、清国が吉林から間島を経て韓国北部の会寧に達する鉄道建設する際には、吉長線と同一の弁法によることという一項を押し込んでいる。しかし中国側は辛亥革命後も、一貫してこの吉会線構想を拒否しており、満洲事変以前には交渉が成立する見込みさえも立たなかった。

 つまり、日露戦後の対中国政策は、その基礎に、「交渉」によっては解決しえない部分を抱えこむ形で出発しているのであり、この時点においてすでに、中国との平穏な交渉によって、利権拡張を図ることは不可能になっていたと言える。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 ここまであげてきた行為から、相手国の了承などどこ吹く風といった態度があったことは明らかではないでしょうか。

 つづいて、中華民国期に入ります。

ところで日本が主導しえなかったこうした〔引用者注辛亥革命以後の〕経過の中でも、日本の対中国政策のなかに、様々な特徴が蓄積されてくる点に注目しておかなくてはならない。その第一は、中国全体の情勢を制しえないならば、むしろ分裂を促進して日本が操作しうる地域を造りだそうという発想が生まれてきたという点である。たとえば、在清国公使伊集院彦吉は、1911年10月18日の時点で、清朝にもはや中国全土を統治する力はないとして、「中清ト南清ニ尠クトモ独立ノ二ケ国ヲ起シ、而シテ北清ハ現朝廷ヲ以テ之カ統治ヲ継続セシムヘシ」「何レノ途北清ノー角二清朝ヲ存シ、永ク漢人ト対峙セシムルハ帝国ノ為得策ナリト思考ス(10)」 との意見外相におくり、さらに11月19日になると、清朝の情勢がより困難となりこの三分案の見込みもうすれたとし、第二案として清朝をして「十八省以外満蒙等ノ地域」に国を保持させる、それも駄目で清朝滅亡の際には第三策として新共和国首都を武昌など中国中央に置かしめ「満蒙ノ地域ヲ遠ク辺外二置キ漸ク閑却セシムル(11)」との意見を具申している。それは親日地域の確保のための中国分割という発想に行き着くことになろう。さらに翌12年2月になると、いわゆる大陸浪人川島浪速らが、参謀本部関東都督府と連絡しつつ、北京より脱出させた清朝親王を擁し、蒙古の王公らをも参加させて、満蒙独立国を造り出そうとする画策が実際に行われるに至っている。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

ここでは、一外交官、一大陸浪人の例しかあげられていませんが、後にみるように、国の分裂を促進させようというのは国の政策となっていくのであり、その萌芽がみられることは留意しておくべきでしょう。また、ここでも軍のかかわりがみられるようです。もちろん、他国を分裂させようというのは、相手の了承を得た、国家間の条約を尊重する態度とは言えないでしょう。

この間〔引用者注革命後、1910年代前半の中国情勢の混乱〕に付加された対中国政策における第二の特徴として、中国現地において日本軍人が侮辱されたと日本側が解釈した場合には、「原因の如何にかかわらず」、中国側に責任者の処罰と謝罪を行わせて、日本軍威信を守るという方式が打ち出されてきたことに注目しておかなくてはならない。いわゆる第二革命の 時期に、日本人が被害を受けたとする、漢口・エン州・南京の三事件がおこっている・・・(後略)・・・

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 漢口事件について、古屋論文に基づき、要約します。

 まず、陸軍少尉中国軍の制止を無視して戒厳地区に進入し、一時抑留されました。

 軍からの報告は、「無抵抗の西村少尉らが、理由もなく暴行を受け、軍服をぬがされるなどの侮辱を受けた」というものでしたが、日本の総領事は「これを信用せず、自ら調査して西村らの横暴と暴行について牧野伸顯外相(第一次山本内閣)に報告」しました。しかし、「陸軍中央部は、現地の調査も行わずに、「日本将校凌辱事件」として」、謝罪と賠償利権を要求し、結果として中国側に処罰・謝罪させたものです。

 古屋論文は、このような事例が満洲では蓄積されていたであろうことを指摘し、「このような先例の蓄積は、「日本軍威信」の確保を第一義とするという条件によって、日本の対中国政策が実質的に拘束されるようになってゆくことを意味していた。そしてその翌年の第一次大戦への参戦は、対中国政策にさらに決定的な影響を及ぼすこととなった」と評価しています。

 交渉ごとにおいて、譲歩できないものを必要以上に多くすることは、カードの手札を事前に少なくしているのと同じではないでしょうか。

 つづいて、第一次大戦下の部分をみていきましょう。

第一次大戦下で目に付くのは、前述した鉄道付属経営権や、軍の威信を確保する事件解決方式など、条約面に現れない既得権の高圧的行使や、軍を背景とし、あるいは軍に依拠した陰謀的行動の横行であった。とくに袁世凱が自派による帝政運動組織し、1916年1月1日帝位について洪憲元年と称したのに対して、反対派が第三革命に立ち上がるという事態に対応して、大隈内閣が反袁運動支援の方針を決定したことは、こうした傾向を著しく促進することになった・・・(中略)・・・この〔引用者注内閣の〕方針は具体的には「適当ナル機会ヲ俟テ南軍ヲ交戦団体ト承認スルコト」などをあげているが、実際には山東に居座った日本軍(侵攻以来ワシントン会議後 まで7年以上駐留)や、満鉄守備隊を含む関東都督府の現地軍が関与あるいは支援したことが、最も重要であったと見られる・・・(中略)・・・大隈内閣の反袁政策は、結局のところ、現地日本軍と其の周辺の日本人の横暴への反感を広めただけに終わったようにおもわれる・・・(中略)・・・第一次大戦下の日本の対中国政策は、侵略性の膨張として特徴づけることができるが、列強のすべてが参戦し、中国に手を出すいとまがないという条件のもとで、初めて実現したものであり、従って戦争の終結とともに転換を迫られることは必至であった・・・(中略)・・・日本軍は、青島を攻撃・占領する以前に、ドイツ兵に守られているわけでもない中独合弁の私立会社経営する山東鉄道を占領(26)しているのであり、日本の参戦がたんにドイツ軍事力の打破のみでなく、新たな権益の獲得を目指していることは明らかと見られた。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 ここでは、中国の内部分裂を促進させる政策を内閣採用しています。政治が、権謀術数やパワーゲームというのはその通りなのかも知れませんが、これに対する中国の、その民衆の反発は至極まっとうなものでしょう。ベルサイユ講和会議における中国の要求が退けられたことから、五四運動へとつながります(中国ベルサイユ条約への調印を拒否しました)。周りにいくら根回しをしても、当事者同士に納得が得られなければ物事は進みません。

 そして、アジアの国際秩序について話しあわれたワシントン会議では九か国条約が結ばれます。

中国政策全体は、領土保全・門戸開放・機会均等というアメリカの主張を柱とする九か国条約規制されることになり、そこには勢力範囲政策を排除することも明文化されていた。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html


 このような流れのなか、詳細は省きますが、古屋論文では、「国際的に通用しなくなって」きた「特殊権益」、「勢力範囲」にかわり、「満蒙治安維持」という、関東軍の謀略による満洲事変につながっていく「政策理念」が出てくるとされます。

しかしそれ〔引用者注:満蒙治安維持〕は、他国の一部を自国の利益に従属させるという点では、勢力範囲と同じことであり、中国との対等の関係確立するためには、破棄しなければならない要求であった。しかしそのことは、幣原外交においても、ほとんど意識されることはなかったように思われる。

 それは幣原外交もまた、国民の対中国意識のあり方に規制されていたということであろうか。第一次大戦中に強められ広められた中国に対する侮蔑を基礎とする優越感は、大正デモクラシーによっても解体されることはなかったし、さらにその基底では、満蒙を20万の将兵の血と20億の巨費であがなわれた明治天皇の遺産とみる天皇制意識が形成され、大衆呪縛していたことであろう。現地軍における統帥権独立と、国内における大衆中国侮蔑感とは、対中国政策の構造的改造を困難にするものであった。そしてその大衆意識は、満洲事変への共鳴板として鳴りはじめ、状況を一挙に転換させることになるのであった。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 ここまでみてきたような、日露戦争から満洲事変にいたる流れをおさえてなお、「相手国の了承を得」た、「条約に基づいた」と表現することが妥当なのでしょうか。ご覧の通り、日本大陸政策に対する軍の関与は明白ですが、まさか防衛大を卒業された方がこの程度の知識をご存知ないとは思いませんので、あの「論文」の内容とどのように整合性をとられているのか興味深いところです。

 さて、このように、一つの論文をみて、「論文」の一部の所説を検討するだけでも結構な手間がかかります。歴史勉強はそれほど甘くはありません。粗雑な「論」を示して誤りはないと言われても困ります。また、「事実小説より奇なり」ということもありますし、歴史学においては、「神は細部に宿る」こともあるので、個人の感覚からおかしいと言うだけでは有効な批判にはなりません。また、学問においては、勉強が足りずに事実認識が間違っているのは、明らかに勉強が足りないことに非があります。今は勉強不足で根拠が示せないというのであれば、その主張は根拠がないゆえに認めれらないのです。いつか証明されるのかもしれませんが、そのときが来るまでその主張に強度はありません。

 ところで、古屋論文の最後に、「国内における大衆中国侮蔑感」の問題が出てきました。今もまた、中国に対する偏見百害あって一利なしであり、中国の実態を虚心にみつめ、評価しなければならない、と私は考えています。

 その意味で、中国の民衆運動について、興味深い論文をみつけたので最後に紹介します。

しかし,中国民衆のナショナリズムとは,つねにそうした「暴力」をともなうものとしてしか実現されなかったのであろうか。そこには多くの場合,「暴力」の受け手の側からするバイアスがかかってはいないだろうか。一昨年の,「反日デモ」についての日本マスコミ報道が,デモの「被害」を強調し,一面的な批判に終始したことも想起される。「歴史」と「現在」を同時に射程に入れねばならない現代史研究者にとって,そして,民衆の運動対象であったわれわれ外国研究者にとって,必要なのはこうしたバイアスを克服し,実証的に中国の民衆のナショナリズムの実態を注視することではないか

江田憲治「民衆運動ナショナリズム1925年の五・三〇事件を手がかりとして―」『現代中国研究』21、2007年、27-28ページ。http://modernchina.rwx.jp/magazine/21/eda.pdf

 私はこの問題意識に全面的に賛同し、実証的な近現代史の議論が進められることを希望するものです。

またしても、このような長文をお読みになってくださった方に感謝します。

2008-11-01

日本は侵略国家であったのか」を読む

 田母神俊雄氏の「論文」が問題になっています。原文は↓からDLできます。

http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

親切に英訳までしたようです↓。そのおかげか、さっそく海外でも反響を読んでいます↓↓。

http://www.apa.co.jp/book_report/02.html

http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/7702374.stm

http://www.independent.co.uk/news/world/asia/japan-to-sack-air-force-chief-over-wwii-views-981051.html

http://www.guardian.co.uk/world/2008/oct/31/japan-secondworldwar

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/10/31/AR2008103101475.html

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/10/31/AR2008103100989.html

http://www.nytimes.com/2008/11/01/world/asia/01tokyo.html?_r=1&ref=world&oref=slogin

http://www.thestandard.com.hk/breaking_news_detail.asp?id=8886&icid=4&d_str=20081031

http://www.straitstimes.com/Breaking%2BNews/Asia/Story/STIStory_297008.html

http://www.straitstimes.com/Breaking%2BNews/Asia/Story/STIStory_297257.html

http://timesofindia.indiatimes.com/World/Rest_of_World/Japans_air_force_chief_sacked_over_WWII_comments/articleshow/3659583.cms

 ローズベル陰謀論が結構とりあげられています。どれだけ「国益」を損ねているのだろう。やれやれと、日本報道に対するブコメ日記を見てみたら、田母神氏の「論文」の内容に肯定的な人もそれなりにいらっしゃるようです。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081031-00000123-jij-soci

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.asahi.com/politics/update/1031/TKY200810310298.html

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008110102000087.html

 私も別に現代史に詳しいわけではないです(気の向いたときに、中身が増えてきたCiNiiGoogle Scholar、各研究機関の学術リポジトリを漁ってみる程度)。しかし、その限られた知識から見ても、問題の「論文」はその形を為してすらいないと思いました。そこで、現在パラパラと集めている関連文献の整理をかねて、「論文」原文に逐一つっこみをいれてみようと思い、エントリを書いてみることにしました。はてな記法引用した部分は、断りのない限り田母神氏の「論文」からです。原文の全角数字は全て半角に直したことをおことわりしておきます。

 アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。

 駐留を認めることと、「(被害をこうむる方にとっては)侵略(といわれているが田母神氏はそうではないとされる行為)」を認めることは違うでしょう。軍隊に攻めこまれることに了承を与えていたというのは、どのような根拠に基づいているのでしょうか?

 「知られていない」ことを明らかにするのが行論の目的ならば、「新事実」(この場合は具体的な条約の内容や運用)を具体的に提示し、典拠となる史料を明らかにするのが論文の作法です。主張の根拠を示すのは、論文イロハのイです。しかし、残念なことに、この「論文」では全体的に守られていません。関連して、「・・・・・・という人」とありますが、論文で先行研究に言及するときは、注をつけて批判対象を明らかにするルールも守られていません。

 この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日本存在する米軍横田基地横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石裏切られるのである。実は蒋介石コミンテルンに動かされていた。1936年の第2次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党ゲリラ国民党内に多数入り込んでいた。コミンテルン目的日本軍国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党中国大陸を支配させることであった。我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937年8月15日日本近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻を膺懲し以って南京政府反省促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。

 スターリン毛沢東がそれほど仲が良かったとは知りませんでした。コミンテルンにそれほどの影響力があることも知りませんでした。繰り返しますが、オリジナルな主張には、その土台となる史料の裏づけが必要です(「実は??」と書いているのですから、普通は知らない新しいことなのですよね?)。大事なことなので強調します。「新しいことを主張するためには、根拠を示さなければならない」、これは学問の基本です。

 1928 年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ(誰も知らなかった毛沢東)(ユン・チアン講談社)」、「黄文雄大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け(櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。日中戦争の開始直前の1937年7月7日の廬溝橋事件についても、これまで日本中国侵略の証みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判最中中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦争岩間弘、岩間書店)」。もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。

 ようやく文献をあげられましたが、刊行年と該当ページも明示するのが一般的な論文ルールですよね。それは百歩譲るとしても、示された著者のなかに査読つき学術雑誌に報告された方が一人もいらっしゃらない。これは信憑性をさらに落とすものではないでしょうか。また、人の発言を引くのであれば、それが掲載された媒体を明示するのもきほんのきですよね。

 張作霖爆殺をコミンテルンの仕業とする説に対しては、特に『マオ』について、中国現代史研究者から根拠に疑義が出されています。

 「関東軍高級参謀河本大作らがこの事件を企画し実行した固い事実を、この程度の「スパイ情報」で覆せるものか」(矢吹晋「書評『マオ―誰も知らなかった毛沢東』」『中国情報源』21世紀中国総研編、蒼蒼社、2006年、225ページ。http://www25.big.jp/~yabuki/2006/mao-rev.pdf)。

 盧溝橋事件についても、「計画」説に対する批判的研究が出ているようです。

 「日本の一部の論者が唱える「中国共産党計画」説と,中国側の唱える「日本軍計画」説がともに誤りであり,盧溝橋事件が日中双方にとって「偶発」的なものであったとする」(加藤陽子「書評 安井三吉著『柳条湖事件から盧溝橋事件へ―1930年華北をめぐる日中の対抗―』」『アジア経済』45(9)、2004年、65ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7473/1/kato45_09.pdf)。

 最後に、既にたくさんのつっこみがブコメで入っていますが、みんながやっていることだからといって、行為に対する責任がなくなることはないでしょう。

 我が国は満州朝鮮半島台湾日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。満州帝國は、成立当初の1932 年1 月には3 千万人の人口であったが、毎年100 万人以上も人口が増え続け、1945 年の終戦時には5 千万人に増加していたのである。満州人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。朝鮮半島日本統治下の35年間で1千3百万人の人口が2千5百万人と約2倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。戦後日本においては、満州朝鮮

半島平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府日本軍努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。

 「同じように開発」と主張するには、開発の指標を定め、比較する必要があります。共通の比較の基準が示されていません。データもです。内地、満洲、朝鮮台湾、他の植民地宗主国本国、その国の植民地それぞれについて、共通の尺度ではからないと比較にならないのではないでしょうか。それをせずに外形が拡大したと言うだけでは、中国の「共産党政権チベットを・・・・・・」に反論できなくなってしまいます。

 「内地化」も定義を明確にして使うべき用語ですね。

 また、現実にも、「帝国日本植民地支配の歴史には,「外地」を法制的・政治的には明白に異域に置きながら、イデオロギー的には「内地化」を標榜するという,理念現実の「二重性」がその当初からつきまとっていた」(山本有造「植民地統治における「同化主義」の構造」『人文学報(京都大学人文科学研究所)』83、2000年、70ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48550/1/83_57.pdf)、「「満洲国」の掲げた「五族協和」にしろ「王道楽土」にしろ,関東軍による露骨な軍事支配を隠蔽するイデオロギーという以上の意味を持ちえなくなる」(山室信一「「満洲国」の法と政治―序説」『人文学報(京都大学人文科学研究所)』68、1991年、150ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48355/1/68_129.pdf)といわれる植民地統治を、「極めて穏健」と評価するにもまた、基準とデータの比較が必要です。

 また、人口の増加は支配の善さを担保しません(チベット・・・・・・)。

 我が国は満州朝鮮半島台湾学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路発電所水道など生活のインフラも数多く残している。また1924年には朝鮮京城帝国大学1928年には台湾台北帝国大学を設立した。日本政府明治維新以降9つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6番目、台北帝国大学は7番目に造られた。その後8番目が1931年大阪帝国大学、9番目が1939 年の名古屋帝国大学という順である。なんと日本政府大阪名古屋よりも先に朝鮮台湾帝国大学を造っているのだ。また日本政府朝鮮人中国人陸軍士官学校への入校を認めた。戦後マニラの軍事裁判死刑になった朝鮮出身の洪思翊という陸軍中将がいる。この人は陸軍士官学校26期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。朝鮮名のままで帝国陸軍中将に栄進した人である。またその1期後輩には金錫源大佐がいる。日中戦争の時、中国大隊長であった。日本兵約1千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国中国軍を蹴散らした。その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。もちろん創氏改名などしていない。中国では蒋介石日本陸軍士官学校卒業新潟高田連隊で隊付き教育を受けている。1期後輩で蒋介石の参謀で何応欽もいる。

 前の段落と同様に、「多く」の中身が不明確に過ぎ、検証のしようがありません。また、植民地宗主国の支配の下で「植民地近代」化したのはその通りだと思います(松本武祝「’’朝鮮における「植民地近代」’’に関する近年の研究動向」『アジア経済』43(9)、2002年、31-45ページ。http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Ajia/pdf/2002_09/note.pdf)。私はこの辺り特に勉強不足です。各国の軍制についても同じくよく知らないので飛ばします。

 孫文をはじめ、アジア各地の革命家日本に集まったことは特に新しい論点ではないでしょう。ファン・ボイ・チャウの失望も有名な話ですね(白石昌也「ファン・ボイ・チャウと日本」『東南アジア学会会報』25、1975年、1-3ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0004923536)。

 李王朝の最後の殿下である李垠殿下陸軍士官学校の29期の卒業生である。李垠殿下日本に対する人質のような形で10歳の時に日本に来られることになった。しかし日本政府殿下王族として丁重に遇し、殿下学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。この李垠殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子妃殿下である。この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李垠殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。因みに宮内省はお二人のために1930年に新居を建設した。現在赤坂プリンスホテル別館である。また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀殿下弟君である溥傑殿下のもとに嫁がれたのは、日本華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。

 旧領主の家系の存続という意味であれば、インドの藩王たちも手厚く身分を保証されていましたね。ベトナムバオ・ダイフランスグランゼコール教育を受けていましたね(英国人とインド人の婚姻には宗教問題がありますし、バオ・ダイ渡仏時のフランス共和制だから王室はないですし、この段落については適切な比較が可能な問題設定なのか疑問です。個人的にはそもそも宗主国の王室を嫁がせることが恩恵という考え方がどうなんだろうと思います)。

 これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本満州朝鮮台湾に対する思い入れは、列強植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。イギリスインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリス士官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。これはオランダフランスアメリカなどの国々でも同じことである。一方日本は第2次大戦前から5族協和を唱え、大和朝鮮、漢、満州蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。第1次大戦後のパリ講和会議において、日本人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスアメリカから一笑に付されたのである。現在世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になっている。

 ロイヤルファミリー婚姻の件で共和制アメリカを並べているのは不適切でしょう。既に述べましたがフランスも時代によって共和制です。

 エルフィンストーンカレッジ(1856年設立、現在ムンバイ大に)、カルカッタ大学マドラス大学(1857年設立)というように、大英帝国植民地支配の拠点に大学その他の教育機関を設立していますね。

http://en.wikipedia.org/wiki/Elphinstone_College

http://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Calcutta

http://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Madras

 「五族協和」が実態をともなわなかったことについては、前掲山本論文および山室論文を参照。

 人種差別撤廃についてはよい提案をしたということに同意いたします。ただし、繰り返しますが、現実施策がともなわなかったことについては残念です。

 時間は遡るが、清国は1900 年の義和団事件の事後処理を迫られ1901 年に我が国を含む11ヵ国との間で義和団最終議定書を締結した。その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初2600名の兵を置いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦東京大学出版会) 」。また1915 年には袁世凱政府との4ヶ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、いわゆる対華21箇条の要求について合意した。これを日本中国侵略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わない。中国も一度は完全に承諾し批准した。しかし4 年後の1919年パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで対華21箇条の要求に対する不満を述べることになる。それでもイギリスフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「日本史から見た日本人昭和編( 渡部昇一祥伝社)」。また我が国は蒋介石国民党

との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。常に中国側の承認の下に軍を進めている。1901年から置かれることになった北京日本軍は、36 年後の廬溝橋事件の時でさえ5600 名にしかなっていない「廬溝橋事件の研究(秦郁彦東京大学出版会) 」。このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。

 今回は表現からつっこんでみます。「完全に承諾」というように形容詞修飾をするときには、それが表す具体的な内容を補足して、互いの印象の差を埋める努力をすべきというのが、私の受けた指導です。どうしたら「完全に承諾」したことになるのでしょうか。一番肝心な相手に過大な要求をつきつけ、排日運動を燃えあがらせて宥和に失敗したのは外交の失敗であり、恨み言をつぶやいてもごまかすことはできません。

 日中戦争については、派兵前の人員の少なさを根拠に「形の上でも侵略にはほど遠い」と主張するのは無理筋にみえます。

(再々追記)また字数超過?で切れたので、つづきへ (さらに追記)補足エントリをTBしました。 (また追記)補遺エントリをTBしました(11/5)。

2008-04-13

マッチョ(笑)アルファブロガー(笑)チベットについてふと思った

最近はてな村で大人気のマッチョアルファブロガー(例としてid:dankogaiid:fromdusktildawnを挙げさせてもらう)

彼らの主張は概ね「自分の意思で環境を変えるべく行動しろ」「恵まれない現状を人のせいにして嘆くのはウィンプ」と理解している。とりあえず私は。

じゃあ、彼らは今まさに弾圧を受けているチベット民族達にも(もちろんウイグル族、蒙古族、満州族も含む)にも同じことを言うのかな?

ちなみに、自由を求めて「自分の意思で行動する者」は容赦なく処刑されちゃうんですがね・・・

環境を変えるため亡命せよ」とでも言うのだろうか、それはあまりにもナンセンス

漢民族の支配の元で成長せよ」とか?日本が侵略されても同じことを言えるのでしょうか。

自称他称に関わらず「マッチョ」な人たちがチベットでの悲しい出来事について言及しているのを見たことが無いけれど、本当のところはどう思っているんだろうか。

ちなみに私の主張は一つだけ

チベットに自由を!」

2007-09-15

http://anond.hatelabo.jp/20070915173009

なんだ末っ子か。

じゃぁ19歳のまだケツの青いがきんちょか。


というか蒙古判ってモンゴロイドにしかないらしいんだぜ。

海外出産するときには看護婦が勘違いするから注意が必要だぜ!

2007-08-26

朝青龍vs白鵬

横綱朝青龍蒙古で英雄扱い(親大統領派)だというのはわかったんだけど、

横綱白鵬蒙古での立場って朝青龍のそれより歯牙にもかけられないほど低位置なの?

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