努力しないブスが嫌いだ。
自分のことをブスとわかっていて、何も努力しないブスが大嫌いだ。
私が自分のことをブスだと気付いたのは高校生になった頃だった。
それまで親族から可愛い可愛いと言われ育て上げられ、すっかり自分は可愛いのだと刷り込まれた脳ミソが、ある日やっと、鏡に映った自分をどうしようもないブスだと認識したのである。
その時のショックは忘れようとしても忘れられない。
自分が今まで生きてきた世界を自分で否定してしまったのだから。
周りの同級生はバレない程度に化粧を施し、可愛く髪をアレンジしている子もいた。
そうじゃない子もちゃんと肌のケアをして、最低限、眉毛を整えていた。
そんな中、私はそれまでの十数年間、化粧水の使い方一つも知らなかった。
アンタはまだ若いから早い、親にそう言われたのを間に受けてなんのケアもしてこなかったのである。
時は思春期、度重なるニキビ軍の猛攻によって肌はボロボロだった。
こんな状態でロクにケアもしないと、顔面が荒れに荒れた戦場地帯となるのはサルでもわかる。
長年自覚のないブスだった私が、ようやく美容に手を出した瞬間だった。
それからというものの自分のお小遣い(月3000円、バイトは禁止されていた)の中でファッション雑誌や化粧品を少しずつ集め始めた。
私は筋金入りの腐女子だったため、化粧品代は同人関係にお金を割く中でのごく一部であったが、そのごく一部の範囲でなるべく良い物を買おう、と@cosme等に張り付くことが多くなった。それに比例して化粧品の知識も増えていった。
途中途中でサボったこともあったが、つけまつげを付けれるようになったり、コンタクトを入れれるようになったり、一重を二重にすることができたり。
自分のできることが増えていくにつれて、自分が少し可愛くなれたような気がして嬉しかった。
と同時に、垢抜け切れない自分に腹が立っていた。
大学に入ってしばらくした頃、自分の顔をきちんと鏡で見ることを心がけた。
今までは、自分の顔があまりにも嫌いすぎて、見るのもイヤだと目を背け続けていたからだ。
こうなりたい!という顔を決め、その顔と自分は何が違うのか、どうすれば近づけるのかを徹底して研究した。
私がなりたい顔は平行二重にぱっちりと開いた大きな目、ぷっくりとした涙袋に高く小さな鼻、薄い唇、シュッとした輪郭の俗にいうドール顔。
対して私は重い一重に開ききらない瞼、小粒で蒙古ひだの厚い目、涙袋は皆無で正面から穴が見える低い鼻、分厚い唇に面長丸顔かつ老け顔。
全く違う。そもそもパーツが違いすぎる。
再び向き合った現実に嫌気がさしながら、来る日も来る日も空いた時間でメイクを練習した。
どうやれば鼻が高く見えるのか、どういう髪型にすれば輪郭がマシに見えるのか……。
涙袋の書き方を覚えた日、鏡の中には、すっぴんの私とは違う人が座っていた。
ようやく一人前に化粧ができるようになってから、街中で声をかけられることが多くなった。
以前は全くされなかったナンパやスカウトも、鬱陶しいくらいにされるようになった。
すれ違った後に可愛いと言われることが現実に起きるなんて、昔の私は信じないだろう。
元の顔が大きなコンプレックスなだけに、今、容姿を褒められることが何よりも嬉しい。
冒頭に戻るが、私はブスが嫌いなわけじゃない。ブスを自覚してなおかつ何の努力もせず、「私ブスだからな〜」「〇〇ちゃんは可愛いから羨ましい」と言ってくるようなブスが大嫌いだ。
本当に脱ブスしたいのなら体毛を処理するところからでも始めればいいのに、と思う。
皮膚が弱いから化粧品使えないという主張も嫌と言うほどに聞いてきたが、正直、何もしないことへの言い訳としか思えない。
肌が弱い人向けの化粧品なんか今の時代はたくさん出ているし、それすら使えないほど弱くてもボサボサの眉毛くらいはなんとかできるはずだ。
元の顔がどんなにブスでも、努力さえすればマシにはなれる。
私の元の顔より恵まれたパーツや配置、輪郭を持った人達がブスに甘んじているのを見ると、私と顔を交換してよ、と無性にイライラしてしまう。
よく言った 君のおかげで化粧文化は男社会の抑圧だーとか抜かしてるネトフェミを黙らせられる
なんか定期的に湧くよな、このテの主張 自分が努力して結果が出て満足してるならそれでいいだろうに 私はブスだろうが美人だろうが、自分のコンプレックスを勝手に他人に投影して説...