はてなキーワード: 自律とは
ぼーっとする。
「はあ、・・・きょうも体調不良だったな。パニック障害もまたでたし・・・外を歩くの怖いよ」
22時「そろそろアニメ放送が・・・じゃあ、もうちょっとコタツで動画三昧するか」
23時ごろ「明日の準備・・・あ、そうだ、自己啓発用の通信講座もしなくちゃ。。。あ、明日の弁当作ってない。(貧乏なので基本自炊)」
24時半「風呂はいったら・・・頭乾かすのめんどう。きょうもシャワーでペチャペチャでいいや」
1時「げ!寝なくちゃ!」
1時半「布団の用意して、睡眠薬服用」
「寝なくちゃ、寝なくちゃ」
漫画を流し読みしながらだらだらリラックスをするつもりが寝れなくなる
空腹感が増してくる
「食べたらダメだ」
水を呑み込む
「そうだ、抗不安薬もこういうときのめば落ち着くって言われたな」
結局、興奮して寝付けなくて眠れたの3時半過ぎ
7時半起床
「げえ・・・めっちゃねむい・・・昼休みにロッカーでゴザひいて寝よう。みんなにまた変人扱いされるな・・・もういいいや」
~~~~~~
20時
21時
うたたね
23時「え?もうこんな時間?寝てた!」
あわてて飯をかきこむ。
2時頃睡眠薬服用
4時ごろ寝付く
7時前早期覚醒
起きる・・・
「朝食したら腹痛が><」
不調のせいで怖くなった体に恐怖を覚え時々不安発作を起こし、家に帰れずビジネスホテルに逃げ込むことも。
↓
これの繰り返し
「もう、行きたくないや」
服を着て鞄を持ってコート来て出かける準備して玄関先で靴を履いたのに、出かけるのをやめた。
家の中にいる 休んだ。
「どうしよう休んじゃった><。もうだめだ・・・罪悪感ばかりで眠れない」
「もう・・だめだ・・ゾンビの夢を見た。みんなに追いかけられる夢だ」
いま何か努力してモノにしないとこの先生き残れないことがわかっている。しかも今の自由な期間に期限があるということもわかっている。
それにも関わらず、俺が部屋から出ずに何もしないのは、自分の部屋に閉じこもる居心地が良すぎるからで、さらに言えば俺に何かをしたいという動機がかけているからなんだけど、それにつけても俺は何かをしなければならない。
しかし何もしない。いや、正確には好奇心に基づいた何かをしようとする。とりあえず目の前のテキストを読もうとする。タスクを消化しようとする。
しかしスマートフォンが普及した現在、頭を使わなくていいコンテンツが止めどなく更新され続けるようになった現在においては、我々クソワナビの集中力の持続は困難を極めた。
一頁読みすすめるうちにスタミナが回復し、アプリを起動し、30分溶かしたのちに忘れてしまった一頁をもう一度読む。これを何度か繰り返せば図書館が閉館する。さらにこれを数百回繰り返せば一年は消滅する。
ところで、俺が思うに、ヒューマニズムにもとづいた自由社会に向かう現代においては、自律した生産能力のない人間・与えられた課題を50点でこなすことしかできない人間の生き方は虚しい、という価値観が広く共有されつつあるように思う。
虚しいのはよくない。そしてできればそういうものは無くなって欲しい。
そういう集合的無意識の産物こそが、インターネット上に無数に存在する、永遠に時間を潰すことが出来るコンテンツであるのではないだろうか。
Makerブームの本とか読むと、インターネットやいろんな機器の発明によって誰もが好きなものを手軽に作れるようになった現代は最高みたいなことがかいてあると思うんだけど、それは現代の一側面でしかない。誰もが手軽に好きなものを作れる一方で、誰もが手軽に人生を棒にふることができるようになったというのが正しい。
自分の意志で自分の人生を決めることが出来る人間だけが高度な技術でそれを実現し、そうでない人間は高度な技術によって時間を潰し酔生夢死に陥る。そうすることによって無生産な人間は社会的に低い地位へ流れていき、粗末な人生を送る。とうぜん子孫は残せない。
こうすることによって21世紀も後半に差し掛かる頃には、生産能力のない人間は淘汰されきるだろう。
そういうことを考えて、人生が粗末なのは嫌だな、と思ったので、俺はもがくことにした。
しかしそれはいまのところ失敗し続けている。なぜか、それは俺が生産活動を行うためのツール、つまりパソコンなんだけど、これが時間を潰すためのツールでもあるからだ。
たとえばブラウザ上で動くものをつくりたいと思ったとき、web上の気になるサイトの要素を右クリックすればインスペクタでそれがどのように記述されて実現されているのかがしれたり、Ctrl-kを押した後に作りたいものを入力すれば過去の事例や体験談やソースコードがすぐに見つけられたりするんだけど、それとほぼ同じ動作でTwitterを開いたりdアニメストアを開いたりxvideosを開いたりすることが出来る。そしてほとんどの場合、1時間後にはソースコードを読む気力を全て失った人間がデスクの前に座っている。
ブラウザで何を入力するのかということに俺の人生がかかっていて、今のところそれに失敗し続けているということがわかる。
そもそも俺は何かをしたいのか、何もしたくないのか、ということを考える。
当然俺は何かをしたい。できるだけ面白いことをしたい。そしてそれを実現するための方法は広い意味での創作活動しかないように思えて、そのための一番身近なツールがPCであることもわかっている。しかし俺はそれを活かすことが出来ない。何も出来ない自分に苛立つ、しかし結局何も出来ない。
こうして踏まえてみると、俺が何かをしたいとか創作活動をしたいと思っているという最初の欲求自体が間違っていたのではないかと思えてくる。そうなのかもしれない。
俺はできるだけ何も考えたくなくて、インターネットのエロコンテンツを眺めて過ごしたいだけなのかもしれない。しかしこのように明文化してみると、さすがにそれはないだろと思う気持ちもある。
昔の私を見ているようです。
「自分と他人のズレに気付いている」から、辛くなってしまうんですよね。
http://anond.hatelabo.jp/20141030020525
この日記を書かれた方に、何かしらお伝えしたくなりました。
書きたいことをつらつら記しただけの、まとまりのない文章になってしまいましたが…
何かの参考になれたら幸いです。
-----
「自分の当たり前が世間の常識とずれている」と気付けなかったせいで、
でも、実はそれと同じくらい、私自分も苦しみ、辛く悲しく傷ついてきました。
(そうか、自分の欠点に気づいてから、もう10年近くなるのか…)
今は、「自覚のある当事者」として、おだやかに生きていく方法を模索しています。
自分の欠点をおぎなう努力はもちろん、人に気配り・感謝を忘れず、自分にも無理をさせすぎず…
まだまだ課題は多いですが、生きることが少しずつ楽になってきたと感じます。
-----
行ったら、なにかしらの診断は出ると思います。
でも、そこから先、「苦手を抱えながら、どう生きていけばいいか?」というお悩みを解消してくれるような先生はなかなか見つからないかも…。
また、下手なお医者にかかってしまうと、精神病と混同されて精神薬を処方されたりします。
お薬を一旦飲み始めて、次の診療で「まだ辛いです」っていうと、処方が増えたりします。
どうしても薬を飲みたいんだ!という時には、漢方薬がよいかもしれません。
こういう時、病院以外に相談できるところって、中々みつからないですよね。
気軽に話ができる環境がみつかれば、いいですね。
(変な壺とか水とかオーラとか、怪しげな商法にも気をつけてくださいね。)
-----
だったら、フリーランス・個人事業主っていう生き方もありますよ。
職場や通勤での辛いなにかを我慢しすぎて、自殺を考えてしまいそうになったら、
「一人で金を稼いで生きていく」道もあるっていうことを思い出してみてください。
開業するならコミュニケーション能力も磨かないといけません。
そのためには自分で自分を支え成長させる努力が大切になります。
(それができねーから苦しいんだろー!と突っ込まれるかも…^^;)
-----
作者さんは、どうして準備を前もって出来ないのかとか、物をなくすかとか、「原因を分析」されたことは有りますか?
例えばものの置き場について。
作者さん、たとえば小学生の時に、鉛筆やプリントをなくしたこと、よくありましたか?多分、答はイエスだと思います。
では「上履きを毎回違うところに置いた」って経験はありますか?多分、答はノーだと思います。
定位置をしっかり覚えているからではありませんか。
つまり、(努力次第ですが、)意識を何度も何度も繰り返せば、あなたはなんでも片付けられるようになりますよ。
生活パターン(ルーティン)を分析して、「置き場を設定」しましょう。
自分の生活動線を把握したり、モノの置き場をクセづけるまでが大変なんですが、
「本当に改善したい」と思われるなら、張り紙でもなんでもして覚えましょう(^^)
鍵は玄関のここ、服は(脱ぎっぱなしでもいいから)部屋のここ、というふうに、
「モノの住所」を決めておくだけなんですが、結構部屋がスッキリしてきますし、「アレどこだ?」でイライラすることも減りますよ。
自然と体が覚えてくれて、そのうち無意識に定位置へ戻せるようになります。
(ただ、眼鏡は不意に脱着するから、「メガネメガネ」は私もまだよくやります。笑)
自分が何を持っているのか覚えていないほど、物を多く持ちすぎている時は、整理しましょう。
「断捨離」「ときめく片づけの魔法」などの考え方がある程度参考になります。まとめや解説サイトなどを御覧ください。
-----
洗濯物をたたむ時間がなが~いっていうのも、すっっっっごくよくわかります。
タイマーを使ってみませんか。
5分でも3分でもいいので、「このタイマーが鳴るまでたたむ」と決めて、たたんでみるんです。
好きな音楽をかけてもいいかもしれません。
タイマーがなったら、一旦休憩してもいいし、やる気があれば続行してもいいです。
私は、やる気がでない作業の時は、タイマーや曲をつかって、「ゴール」を決めてから行動しています。
-----
片付けや準備のスキルに関しては、育った家庭環境の影響もあるかもしれません。
私の場合は、両親・祖父母共に掃除や整頓がとーーーっっっても下手な環境でした。
(例:冷蔵庫には賞味期限切れのあれこれがどっさり、タンスは常にぎっちぎち、部屋中モノであふれて床が見えない)
まともな「掃除の概念」を持たないまま大人になり、アルバイトや職場でやっと
「へー、掃除ってこうするものなんだー」と常識を知っていったような感じです。
もしも、作者さんに何か心当たりがあれば、それは「障害のせい」ではなく「家庭の影響」なのかもしれませんよ。
ちなみに私は昨年まで汚部屋の住人でしたが、今は掃除大好き人間です。
何歳になっても人は変われると、声を大にしていいたいです。
-----
人付き合いが苦手とか、ひとつの分野に集中しすぎるとか、得手不得手は色々あると思います。
多くの人が楽しいことでも、私はぐったり辛い…ってこともありますよね。
多くの人を比べた中での「少数派だから」という理由で特別視されやすいだけだと思うんです。
発達障害は、ある意味「作られてしまった障害」なんじゃないかな~と感じてます。
「自分の普通」が、普通に通じるところで暮らせるなら、全然辛くないんですよね。
まぁ それがなかなか、難しいんですけどね(^^;)
-----
ちなみに、「障害」っていう言葉は、脚を切断したとか失明したとか、不可逆的なものっていうイメージがあるんですよね。個人的に。
でも、ある程度軽度のアスペルガーとかADHDとかは、思考や行動パターンを調整していくことで、徐々に生きやすくなれると思うんです。
可逆的、といっていいのかな。
良くしていけるものだから、「障害」と断言してしまうのは、なんかしっくりきません。
-----
それと同じように、「多数派との”ずれ”を補正する手段」があれば、生きやすくなる気がしています。
いまの日本では、その「補正ツール」たりうる何かが流通しきれていないから、苦しんでいるだけなのかも。
-----
「人の目を見つめるのが苦手」な人と「血を見るのが苦手」な人がいたとして、
「その苦手と向き合う機会が多くて」かつ「そのせいで社会的な損をする」リスクが大きいのは、おそらく前者ですよね。
苦手なことには人それぞれ違いがあるっていう、それだけのことなんだけど…
画一的な社会では、そのズレが許容されにくいみたいなんですよね。
誰しもが感覚に違いを持っていて、ある種の過敏性を持っていると思うんです。
「パクチーが食べられない」「強い光が苦手」「テレビを付けないと寝られない」「人混みが嫌い」とかね…いろいろあるでしょう…
その特性が、社会的に損をするかしないかは、ただの運次第じゃないのかな…
いまはコミュニケーションが出来ないと損をする社会だから、対人関係の行為に苦手があるひとが、損をしやすい。
それだけじゃないかと思うんです。
だから、発達障害の疑いや診断がある人は、「へーそうなんだー」くらいで気楽に受けとめていいんじゃないかなぁ。
必要以上に自分を追い詰めて鬱々としたり、劣った人間だと思い込む必要は無いんじゃないかなあ~と思ったりします。
-----
(私自身の体験や特性については、テーマからそれるので割愛します。)
私は小中高と学校生活で苦しんだ末、鬱で登校拒否・引きこもりとなり精神科に駆け込みました。
ある所ではうつ病、ある所では自律神経失調症…と、医師によって変わる診断と処方箋に右往左往。
数件目の病院でやっと「発達障害」の話を切りだされ、ショックと同時になぜか安堵したのを覚えています。
それからは、むさぼるようにネット・書籍・論文などから情報を探しまくりました。
WISC-IV 知能検査を受けて、自分のIQを知ったり、「はー、この分野は得意で、この分野は不得意なんだな」という分析は出来ました。
でも、「それだけ」でした。
私はてっきり、知能検査を受けた後には
「あなたが持つ弱点は、こんなシーンで困り感をまねきやすいです」
「だからこういう風に考えましょうね」という風に、
具体的に解説してもらえるんだと思い込んでいたので、なんだかがっかりしちゃいました。
その間1年ほどは、医師に言われるがまま通院していました。
しかし抗鬱剤をどれだけのんでも、苦しみの原因はなくなりません。
「どうして苦しいのか」、根本から解き明かさないと、一生苦しいままだと分かりました。
自分自身と社会のズレ・偏りはなにか、自力で研究を始めました。
そして気付けば10年近く。
これが早いのか、遅いのかはわかりません。
確かなことは、年々生きやすくなってきた、ということです。
また、曲がりくねった人生の中で、世界に一人だけ心から愛せる人と巡り会えました。
この人さえいてくれたら、もうそれだけで十分に幸せだと感じます。
その人に恥をかかせたくないから、きちんと生活できるようになろうと決めたことが、私を変える大きなきっかけの一つになったのでしょう。
苦手なことも、愛する人のためなら頑張れる、それが私の力強い支えになっていると思います。
-----
作者さんが私の日記を呼んでくれるかどうかは分かりませんが、
こんなやつもいるんだよってことに気づいてもらえたらいいなと思います。
苦手なことを「発達障害だから」と断言してしまうのは簡単です。
が、光のプリズムのように、その強弱は加減できることもあるんです。
変わりたいと思ったなら、きっと変われます。
でもどうか無理をしすぎずに。
苦しい時もありますよね。
お互いがんばりましょう。
-----
http://anond.hatelabo.jp/20141031142843
読んでくださった方、コメント下さった方、みなさんありがとうございます。
44歳(男)既婚 ゲイでもオカマでも女装趣味もない一般社会人(170cm68Kg)。
http://anond.hatelabo.jp/20091105205528 / http://anond.hatelabo.jp/20130725031332の、
ブログの存在を知る 乳首だけでエクスタシーを迎えたうちの嫁さんを思いだして
[男にそんなことあるわけないじゃん!って率直に思う]でも本当だったら
スゴイことだなと素直に思う
8/10 チクニー開始 なんとなく感じるが意識は遠い、匿名ブログの内容にいきなり
疑いを持つ(半信半疑なので)
8/11 つねに人目につかないところで触り、軽い刺激をくりかえすように心掛ける
8/16 なんとなく感じる時(ポイント)があるのに気づく
8/20 射精間際に手を離して乳首への刺激を多くして、[乳首で感じる]イメージ
トレーニングをしてみた、入院された経験があるかたはご存知とおり、
起きている状態で寝ながらオシッコをするのは難しい、そこでイメージトレーニング
[目をつぶって近くで水の音をたてて、オシッコをしてるかのようにイメージする、
そうすると寝ながらオシッコできる]そんな感覚なのかもしれない
8/25 就寝時に片乳首と陰部を刺激して、陰部→乳首→勃起を関連付けをイメージング
9/1 [マッサージの仕方を考える]つまむ たたくなどは痛い(女性がよく言う“イタイ
“とはこういうことだと思う)、しかしローターなどの細かすぎる振動ではあまり感じ
ない、非常に敏感なところなので摩擦は無いほうが良く、しかしオイルや潤滑剤を
つかってツルツルでも感じない、[薄布の上から乳首の先端のエッジ(角)部分を軽く
触れるのではなく、軽く圧をかけながらなぞる]こんな表現が良いのであろうか、
非常にゆっくり円弧を描きながら刺激して、たまに優しく早くチッピング
陥没乳首ってあるけどそんな感じで、乳首を押さえこみその上からキネシオテープでカバ
ーすることで、乳首の折れ曲がりを抑制して、先端への刺激をしやすく工夫してみたとこ
ろ成功した感じ?
9/2 刺激後に体へビクビクと軽い脈動感が起こりはじめ、乳首だけでのボッキが非常に
激しくなる
9/7 刺激時に、自然と内股へ力が入り軽いクライマックスがくる、[えっ?もしかして
ホントにいけるの?]って思ったくらい
9/8 刺激して数分後であっても余韻で体が[ビクッ]となる
9/9 感覚としては内股に力を入れる、[内股歩き]と言う行為があるがそんな感じ
家の嫁さんがイク時に伸脚位でイキやすいのを思い出したが、それと近いのかもしれない
9/10 両乳首だけでエクスタシーを迎える(30分くらいで)、初めての経験で
ビックリしたが、確かにいままでの射精とは違い、体や精神への負担がまったくない、
10分以上余韻(長い周期で脈動)が長くつづき非常に穏やかで幸せな感覚、(ちなみに、
私の場合は就寝時ではなくデスク前のイスに座ったままです)、幸せなフワフワした感覚
でほんとうに驚き!
30分後なぜか顔にニキビが突然3個顔にあらわれた、ホルモンバランスの変化なのだと
思う、陰部に比べて脳に近いので刺激が強いのかな?と素直に思った、物理的に見ても
(陰部は1箇所→脊髄→脳)に対して(乳首は2箇所→脳)となるので、刺激は2倍
で脳への到達時間も早く鮮明な伝達がされるのだとおもう。彼が言うようにオキシトシン
が放出されるのだとしたら、それがこころ優しい面(母性)での女性ホルモン・自律神経
を穏やかに調整する情緒抑制ホルモン(仮)を放出するのではないだろうか
9/12 乳首が非常に感じやすくなり、刺激されるだけでビビッと感じるようになった
9/15 短い時間(10分)でエクスタシーを迎える事ができた、両手を乳首に使うので、
射精を受け止めることができないために、あらかじめスキンを装着しておいた。
私は淡白?なタイプですので、普段あまりに陰部へ刺激をされていない方のほうが
導きやすいのかもしれないですね。マッサージの仕方が重要なのだと思いました。
このテクニックをマスターすれば女性には大絶賛されるとおもいます。
こんかい[はてなブログ]にて初めて知ったチクニー、まだ1ヶ月という短時間なので
断定はできませんが・・・会話が苦手な私ですが、昨日の商談も笑顔で楽しく
会話ができたのは事実、とても気持ちの余裕ができた。
先日、身体を壊したのですっかり諦めて卒論に励んでいる。
それでもまだ、昨夜は自棄酒をして満足して寝た。
吐き出す人がいないので、ここに記しておく。
何かにつまづくと、自分のせいにしてきた。
例えば、
テストで満点がとれなかったのは、詰めの甘かった
自分のせい。
発表の日に体調を崩したのは、管理できていなかった
自分のせい。
自分のせい。
だから、就職活動が終わらないのも本気で働こうという気力の起きない
その矢先に、ストレス性の神経痛を発症した。
誰もが一度は発症するものだろうが、
わたし自身、それほどまで追いつめられていたのは知らなかった。
わたしはその時でさえも、自身の肉体を
「甘え」だと思った。どれもこれも、体調管理できなかった
わたしのせい、なのである。
生活がままならなくなり、病院に行った。2日も薬を飲めば完治した。
一日部屋から出ずにアニメを見る、起きればゲーセンへ行く、夜は吐くまで飲む。
リーダーを任され、友人も慕ってお付き合いをしてくれるような
真面目系クズだった。学校の成績も良かった。奨学金もドッサリもらった。
だから、趣味のスポーツもやめて引きこもり、ゲーセンへ行っては金を浪費し
酒に弱いのに吐くまで飲むようなことはしなかったし、できなかった。
太陽さえ出ていれば家を飛び出し、友人と走りに行くような
元気で明るく真面目だった娘が突然寝込んで号泣しだせば、そりゃ驚いたのかもしれない。
夜は眠れず、寒いのに汗をかいて、飯はリバース、頭痛に悩まされる。
自律神経をおかしくするのは、誰にだってある、お前だけじゃない。
そんな強迫観念をわたしは持っているし、それを当たり前だと押しつけるこの社会では
というコメントに、少し傷付いた私が、明日の京浜東北線を止める。
と、反応があれば、そりゃ年間3万人が自殺するのも納得する。
わたしはまだまだ療養中と称して、遊んでいる。
ただ、とりあえず絶望感はなくなった。
それだけでも良い数ヵ月だったと思っている。
よい会社にはいって、よい給料をもらって、あわよくば結婚して…
その先でどうしたいの?と思ったときに、何もない。
面接をしてくれる人事の顔を見て「この人生きてて楽しいの?」と
不思議に思い、その途端にどうでもよくなる。
「何してるんだろう」と思う。
それだけ。
きっと言葉にできないどっかの部分で、そういうものを抱えている。
そう思って、大義名分を掲げて甘やかして、どうしようもなくさせているのは
わたしのせい。
あなたの知り合いの女性で「適齢期までに自律(ゴール)できて、なおかつ適齢期までに結婚できた人」ってどれくらいいる?
私の知り合いは「適齢期までに自立していないけど結婚はしている人」「適齢期までに自立しているけど結婚はしてない人」ばかりだよ。
え、おまえ自律神経持ってねーの?
高度かつ高額な医療技術生殖技術を使ったら男性が出産できるような時代が来るかどうかはわからないが、現実問題として出産は女性しか出来ない。
ことは、コネがあるとか並みの男性よりも高学歴高知能だとか何か卓越した能力を持っているか等の利点があって育児休業産前産後休暇を利用しても問題なく職場に復帰できる労働環境に正規雇用された女性だけの特権だ。
普通の職場で程々の自立した社会的地位を確立すれば、出産で社会から離れても復帰できると考えているのだろうけども、
それほどの地位を手に入れようとすれば出産適齢期が終わってしまうほどの時間を必要とする。
四年制大学を卒業して5年位働いて出産して退職っていうのは、社会をちょっとかじってみただけの年月でしかない。
歴史を追ってみれば、女性に学問は要らないと言われていた時代から、国連や東大女性など男性よりも高度な知性を持った女性を中心に異論が起こって
現在の企業社会での女性の社会進出が進んだ。あくまでも官公庁大企業中心に。お金があるから。
中小零細企業などは均等法以前とあんまり変わりません。お金がないから。企業にとって女性の社会進出は贅沢品なのです。
高校や短大を出て若いうちに出産するのが原則だとしたら、大卒女性が仕事と出産育児を並立するのは官公庁や大企業、女性主体で運営してきた一部の業種職種でのみ可能な例外措置でしかない。
一般的に法律上制度上、企業が女性を雇用するのはデメリットだとされている。
女性と労働について労働基準法均等法育児介護休業法など様々な規制があって違反したら最悪、事業を存続できなくされるのだから。
日経系メディアなどの記事でドヤ顔している働くママの多くが巨大組織に属する高学歴者なことからわかるように、
結婚後も働くことを望むのであれば、早くからそれが可能な環境に入り込む努力をすればよかった。
現状の日本で女性が出来る事はそれだけしかない。出遅れたのなら、雑誌の記事じゃなく自分に可能な選択肢の中から最もマシなものを選ぶべき。
他にもいろいろあったと思う。
それでも勉強はそこそこできたし、家で何度怒られても治らなかったから、次第に家族も何も言わなくなった。
実家が田舎すぎて友人の家が遠かった。その上、私もあまり活動的ではなかったので、あまり誰かと遊ぶことがなかった。
大学に入って一人暮らしを始め、人付き合いが多くなって、上記が問題だったことにようやく気付いた。
それでも偏食は大分治した(少なくとも外食では残さない)し、朝起きられないのも不潔なのも習慣づけを頑張っている。
時間が守れないのがかなり厄介だったけど、所用時間を想定の倍に見積もることで、かなり改善してきた。
部屋は精神状態と忙しさに比例して汚くなるけど、休日にちょっと時間を割けば、生活スペースは確保できる。
ここからが本題。
どうしても治したい癖っていうのは、提出物の期限が守れないこと。
時間があるときは会社でやるんだけど、どうしても無理なときもある。
家でやればいいじゃん、って思うかもしれないんだけど、何故か家で一切手をつけられない。それが仕事だとしても。部屋が荒れていたら倍率ドン。
都合が悪いと嘘をついて逃げようとする癖と、人前で努力したくないという見栄があるので、提出物が出せないという状況は悪化する。
毎日が憂鬱になる→無気力→友人との連絡を絶つ→自律神経の乱れ→不眠→生活習慣の乱れ→無気力→部屋が大荒れ→…っていうループ。
ちなみに物を出したら治る。
やるしかないのに、そう思えば思うほど、逃避しているうちに、疲れ果てて寝てしまう。
ライフハック系の記事も色々読んだけど、行動できないから変わらないままだ。
提出物があることで、毎日が憂鬱になるし、会社辞めたいとも思う。
こんなの周りのだれにも相談できない。
はーあ。どうしようかな、これ。
自分の回りにはいないけど、情報だけは欲しいだけ入ってくる。結果、目だけは肥えて回りが色褪せて見える。だから付き合えない。結婚できない。できても、こんなものが幸せなのか?自信がない。
それでも、知った方がいいものですか?自分を不幸にする情報はシャットダウンして、あえて無知でいることは愚かでしょうか?
全部知った上で、身の丈にあったところで満足する、それが模範的回答でしょうけれど、実際にそれで満足できずに不幸になる人が多すぎませんか?
意識の高い不満足なソクラテスでいることは、プライドを満たすかも知れませんが、異性の情報においても、それは必要ですか?
際限無く無知でいる必要はありませんが、あえて必要以上の情報をシャットダウンする自律心もリテラシーではないですか?
別にヒステリー女やDV男で満足しろとか言ってる訳じゃないです。ただ、そんなん知って何になるの?と言いたいレベルまで情報収集を極めきって嘆いてる人が多すぎる。情報強者のつもりで自縄自縛に陥っている、哀れな人達。
それで合ってる。
一番重要なのは強力で、なんなら狂信的とさえ言えるような理念。
二つ目は「プレイヤーの行動をトレースして、更にそれを仕組みに落とし込み稼動させる」
後者の場合、必要なのは基礎的な能力。幾ら突出した能力があっても、
基礎学力や理解能力に難がある人材は厳しい。オーソドックスな能力をまんべんなく
毎日生きる活動をしながら別のことを考えているようで、5分ぐらい前の行動とか発言の記憶はあるのに自分の体験とは思えないみたいな感じになっている。楽しかったこととか凄かったこととかいろいろあったはずなんだけどどんな気持ちだったか回想できない、きっと楽しいことがあったのに凄くつまらないことを考えてたせいだけどそれすらあんまり思いだせない。
気分が良くないとお前はクズだとかゴミみたいなことを頭の中で俺から俺にいつも言っていて、酷いときは1日に何百回も言っていていると思う。言う方の俺は鬱憤の発散になるけど受け取る俺は辟易してなるほど死にたいという気分になる。俺を罵る俺は当時から既にダメ人間でどうしようもなかった少年時代の俺が俺を自律するために作ったようなものなんだけど、何年も経って成長して早く死ねとかお前はクズだとかしか言わないやつになった。
そんな感じに毎日お前死ねとかお前クズとか言ってる(言われてる?)せいでいわゆる自尊心というやつがこれっぽっちも無いんだけれど、そのせいか人とのコミュニケーションがなかなか取れない。そもそも俺が他人にあんまり興味がないからというのもあるかもしれないけれど、俺が糞つまらないゴミ人間だと自覚していると声も出なくなる。必要にかられてコミュニケーションを試みても語彙を正しく選択できない(辞書的な意味をわかっているのに誤用したり言葉を忘れしたりする)し、会話の文脈を捉えることができなくて頓珍漢な発言をしてしまうこともしばしばで、話す度にどっと疲れがたまるので喋ろうとする気が失せてしまった。これは面と向かっての会話に限定されなくて、インターネットでラインとかツイッターとかしていても人に話しかけたり話しかけられたりするのがとても怖い。いわゆるぼっちとか非リア充を自称する人がその集団で集まって会話していたりツイッターで自分からリプライを飛ばして会話しているのを見るたびにやるせない気分になる。
昔楽しんでいた趣味もほとんど興味が失せてしまって、例えばプログラムを書くのとかそこそこ好きだったはずなのに今は頭が悪くなってしまって思ったように書けないし、そもそも作ったものを発表してツイッターとかはてブなどで承認を得るためにやっていたところがあるので大学生になってあまりやらなくなった。あまり自分についてこれから話さなかったからか、自分がそれっぽい態度をとっていたからか、変に周りから持て囃されて過大評価中身の無い評価を与えられて、それに俺も満足していたらプライドのお化けになってしまった。
何もかも俺に全て原因があって、他人の同情をいただけるような悲劇にはなっていないし、転機になりそうな事態とか人との邂逅を全部俺が無意識に一方的に台無しにしているので本当に自己責任自業自得だった。助けを呼ぼうにもこんな話誰にも口で話したくはないし誰も興味を示さないと思われるのでいよいよどうしようもないという気分になってきた。どうしようも無いのにあと5年生きても50年生きても同じような感想しか持てない人生をだらだら生きると思うと少しぞっとする。
一年前交差点を見るたびに車に轢いて欲しいって反射的に思ったりとか、駅のホームで線路に吸い込まれる感じがしたので大学の施設に相談に行っていくらか薬を貰ったけど、一回診察に行き忘れたから怖くなって行かなくなった。俺も自分の状態について説明できなかったし、あそこは本当に困っている人が行くべきで俺みたいな中途半端な人間は行く権利など無いと感じたというのもある。同じ理由でリスカとかもしなくなったけど、本当に辛いときは頭をボコボコ殴るなどして解決している。
生きたくも死にたくもない。いよいよ自分が何を考えているのかもよくわからなくなっている。自分が遠ざかっていて、曖昧なものになりつつある。俺が何者なのかわからない。もうあんまり物を考えたくない。