はてなキーワード: 求人とは
ダメな私です。
辞めた会社はどんなところだったのかと言うと、某事業会社のシステム子会社でした。
数年前までは事業会社にシステム部門があって、新卒入社時は私もその事業会社の方に入社をしたのですが、システム部門に配属となり、
そしていつの日にかそのシステム部門が丸ごと子会社化され、システム子会社に転籍する形となり、もう2度と事業会社の方に戻ることはできなくなってしまいました。
元々SE志望でもなく、超文系の私でしたが、システム部門に配属され、多くの失敗をして、色んな人に迷惑をかけて、10年間なんとか働いてきました。
その1:仕事が出来なさすぎた
コーディングしてもバグだらけ、ドキュメントを作ってもミスだらけ、人前で話させても要点が纏まってなくて何を言ってるのか分からないと言うレベルで仕事ができません。
病的なくらい仕事ができませんでした…これでよくクビにならなかったと思います。
全然仕事ができないので、チームの成果に全くコミットできず、自分の存在が申し訳なく感じるようになり、会社を辞めようと思いました。
こんなにも仕事ができないのに、何の成果も出していないのに、年功序列で幹部になれと言われたことも理由の一つです。
同じ部署のメンバーの年齢構成が、50代ばかりで、30代、40代のミドルクラスのメンバーが私しかいないため、どうしても幹部にさせないとダメと言う背景があったようです(みんな定年でいなくなっちゃうから)。
普通10年も働けば、それなりに実績も出して、自信を持って仕事をしている人もいるだろうけど、私は違いました。
会社に行けば行くほど、「人」の視線が怖かった、自信を持つことが、どうしてもできませんでした。
出世する気もないのに、会社にいてもいいのか、否良くないと判断し、会社を辞めようと思いました。
その他、細かなことは色々あるのですが、大きくはこの2つです。
こんなダメな私ですが、10年間も働かせてくれた会社には感謝しかありません。
ただ、何の役にも立てずに、何もコミットできずに、去ってしまってごめんなさい。
ダメなのに10年もいたんだから、そのまま居座ればよかったのに。
辞める時、多くの人にそう言われました。
でも、ダメなやつがこの先もずっと会社にい続けられるか、そんな甘い世界などあるわけなく、いつかきっと壁にぶち当たると思います。
そして、こんな気持ちのまま、これ以上この会社に居続けることが、私には無理でした。
さて、次の再就職先ですが、転職サイトに登録し、転職エージェントとどんな仕事を探しているかなどの話を先週あたりからしています。
先週あたりから転職エージェントに履歴書と職務経歴書を送り、求人を紹介してもらっています。
働いていた時は全然仕事ができないなと思っていたのですが、いざ職務経歴書を作ってみると、様々プロジェクトに携わっていたことに気がつきます。
今はそれらの経験したプロジェクトを羅列して、どんなことをしたのかを羅列しただけなのですが、
深掘りしていくと、きっとうまく行ったこと、行かなかったこと色々あるかと思います。
そう言ったことを掘り下げて行って、私はどんなことが得意だったんだっけ、何が苦手なんだっけ、と言うのを今整理しているところです。
得意なところが見つかったと思いきや、別の場面ではそれが苦手なところに変わってしまったり、一貫性がなくて、自分でも苦しいところがあります。
コロナで各社採用を渋っているようですし、就職先が見つかったらラッキー、
見つからなかったら失業保険と生活保護のお世話になるか、実家に帰ることも視野に入れて、のんびりと仕事を探そうと思ってます。
よく退職エントリーとか見ていると、みんな華々しい経歴で、目を見張るような成果がありますよね。
私のような、ダメな人の退職ブログってあまり見かけることがなく、今回ブログにしたためてみました。
こんな時に会社を辞める無計画な私のブログを読んでいただきありがとうございました。
以上
「〇〇さんを採用させて頂きたくご連絡でした。」
神よ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!泣
親に頭下げて借りたお金も返せる
去年までは2ヵ月に一回は切ってた髪も
半年ぶりに切れる
税金の支払いの期日に怯えなくてすむ
ハローワークより:求人票は雇用契約書ではありません。採用時は必ず、書面により労働条件の明示を受けてください。
はっきり言わねば!労働条件通知書を寄越せ話はそれからだと!!!!
「採用のご連絡ありがとうございます。
こちらとしては慎重に検討したく、労働条件等を書面かメール等で確認したいのですがお願いできますでしょうか?」
「…条件とは?」
え
「今は経理担当も社長もおりませんので明日確認してまたご連絡します」
何年も経ってたら自分が入社した時に労働条件通知書貰ってることも忘れるよねうんうん
2年前くらい前にも人雇ってるけど忘れちゃうよねうんうん
お姉さん面接のときとだいぶ印象ちがうけどそういうこともあるよねうんうん
どんくらいちがうかというと真夏の京都と真冬の京都くらいちがう(盆地?)
えっえっえっ内定承諾前に書面で労働条件知りたいのって駄目だったかな
残業手当ての記載がないのは払うのが当然だからだよね?!だよね?!?!
これは諸々の疑問が解決しないタイプの労働条件通知書が送られてきて更に困る予感だわ
アワアワアワアワアワアワ
早く髪きりたい
着信!
この間23分!
23分間の後悔!
死んだ???
やっぱ内定承諾前に労働条件通知書寄越せはまずかったか〜〜〜???!!!!
そういえば今まで寄越せって言ったことないわ言う前にくれたからな!!!!
全部自分が悪いで片付けたい
人を見る目のない自分が悪い
でも今はただあらゆるものに優しくされたい
風よ雨よ陽の光よ
我を護りたまえ〜〜〜〜〜〜
ああああああああああああああああ!!!!
早く髪切りたいな〜
【何にも良い方に進んでないけど後日談】
やっぱりハロワの人には、信頼関係もない中いきなり書面で欲しいって言うのは会社的には心証悪いと思うよって言われて一理あるぅぅぅぅぅうううううYeah!としわしわのピカチュウみたいな顔になった
でも貴方がそういう面できちんとした会社がいいって言うのは普通だし当然だし考え方の不一致だねぇといろいろな考え方の会社があるから…と
労働条件通知書は内定承諾→雇用契約書にサインのときに提示っていう会社もいっぱいあるって
ハロワには採用の連絡をしたが労働条件面で他と比較したいと言われたため採用見送りと連絡があったそうな
※他と比較したいなんて言ってない
次おんなじ展開になったら書面で欲しいって言わない方がいいんですかね…って相談したらそれは貴方の考え方によるって言われしわしわのピカチュウみたいな顔になったピッピカチュウ
毒にも薬にもならんこと言われて
嘘です帰り道の時点で既に泣いてましたマスク万歳私を守ってくれてありがとう愛してる!!!!!!!!
皆さんに良いことが沢山起こりますように
環境もいいし、まだまだ未熟者だと思う。
個人としては、早く辞めたい。
車通勤で帰りに飲みに行くこともできなければ、人と関わる趣味もない。マッチングアプリをしてみたら、子供部屋おじさんばかりが出てくるような状況だ。
マッサージしてくれる女性の姿は、キャミソールと下着で、局部にオイルつけて揉んでくれるような店。客の男は、紙パンツを最初履かされるタイプで、ほんで待たされて、普通のマッサージから徐々に..って感じだったんだよな。
なんかこう、南国風のインテリアでコーディーねーとされた部屋で、マットレスが置いてあって。高い金を出すと、浴室風の部屋になって垢すり的なこともしてくれるよなお店。
だったんだけど、夏は季節限定で、Tバックという名のオプションがあった。
思い切って、千円追加で払うんだが。
大いに期待した。
ところが、「はい、これはいてね」と女性のマッサージ嬢から布きれを渡される...。
すなわち、それは男の方がTバックで、女性のマッサージ嬢はキャミソールと普通の下着ままだったっていう。
いわゆる『脱がない』『なめない』『触らせない』の3ナイなタイプをうたい文句にしてる系の求人だわなぁ。特に、サービスが良くなるわけでもなく。
なんか、そんなオジサンでも騙された話を、今日、19才には、教えて上げたくなった。。 (それでも。犯罪は、しちゃダメだよな。)
...それでも、貞操観念が堅くないオバサンに当たると『内緒ね♡』と言って、めちゃくちゃ良いサービスもしてくれるってことも4年ぐらいに一回はあったかなぁ。
もともといずれは地元の地方都市へUターン志望ではあったけれど、
仕事は東京の方がおもしろいしどうしようかなと数年単位で二の足を踏んでいた。
30代前半になり、独身だし、このまま東京で転職でもと一瞬は思ったが、
やっぱりこの半年間で「地元だ!」という気持ちが一層強くなった。
(親の高齢化というのも大きい。私はお母さんが大好きなんだ)
私はクリエイティブ職だ。
今の会社は零細企業だけれどもクライアントさんとの関係は良好で、
それなりに評価をされる機会も多く、仕事はやりがいを持ってやっている。
クリエイティブにしてはかなり珍しく残業もほとんどしておらず、
体調もすこぶる万全。ここ数年の毎日は本当に健やかそのものだった。
※過去に鬱病になったり体調こわしたりで体力もメンタルも本来強くない。
独身も身軽な感じが心地良く(今までは)この生活に特に不満がなかったんだ。
でも、いざ転職しようと思って気づいたのは「私ってなんのスキルも無い」だ。
いざ大手求人サイトで求められるスキルはなにひとつもっていない。
その会社にとっては「不足」だったのだろう。
それだけではないと思う。
私が足りないのだ。
私は、地元で「働きたい」と私が思う企業に歓迎されるスキルがない。
人事の経験もない。
大卒でもない。
PRの仕方もしらない。
デザインもできない。
給与計算もできない。
なんにもできねーじゃねえか。
今の環境はラクだし、楽しいし、忙しくないし、やりがいもある。
でも、40代が見えない。30代はまあこのままやっていけるかもしれない。
あああ、つらい。
コロナ鬱なのかもしれないし、30代になって今までのツケがきたのかもしれない。
みんな勘違いしがちだが、エンジニアの技術は資格みたいなもんで大半は一定水準以上あれば伸ばす努力はしなくていい。
つーか、日本なんて技術求めます!って求人でも蓋開けると大したことなかったりするからw
なので、必要なのはまず「空気読む」なんだよ。本当にとにかくこれで空気読んで相手の事情を鑑みて行動することが大事なんよ。
勘違いエンジニアは理想ばっかり求めて職場で浮いてやめていくんだよな。まあ、そういう奴は本人にとってもやめた方がいいんだろうけどね。
で、空気が読めるとあとは説明力と交渉力。この能力がめちゃ必要なんだよ。俺たちエンジニアは工期から逃れられんので、これがないと常に厳しい立ち位置になる。数年前までITがブラックの代表格にいたのはこの能力が低過ぎ&軽視したのも要因だ。
自分が出した見積もりに対して、なぜそれだけ必要なのかをちゃんと理由づけて説明できないと信頼を得れない。信頼があるのとないのとでは仕事のやりやすさが全然違う。その辺は普通のサラリーマンと同じだ。
しかし、これらの能力があっても職場がクソなら無意味なので、ちゃんと転職できるように業界のトレンドはある程度追っておけよ。頑張るのはここくらいだ。
最後に言っておくがITエンジニア自体は大した価値はない。変な意識持ったエンジニアは自分がいかに素晴らしいか語るけど、本当にバカバカしいと思う。
転職エージェント登録したけど履歴書も職務経歴書も問題ありませんでしたとか言って特に改善もなかった。
求人送ってくるけどだいたいHPいったら公開求人として直接応募できる。
それをリストアップしてくれるのと日程調整は助かるけど年収の三割も払うのは感覚とは合わない。
優秀だったらたぶん使わないで転職できるんだろうけど使ってるのは優秀じゃないし転職活動が下手だと自認してるから。
それをサポートしてくれて初めて年収の三割とかの価値があると思う。
陰ですごい交渉とかしてくれてるんだろうか。
受からなそうなとこでもごり押ししてくれたりするんだろうか。(それで入社まで行けるとは思えないけど)
別に暴力を振るうわけでも、家族の金を使い込むわけでも、犯罪を犯して迷惑をかけるような人でもない。
ただただ、人と関わることを避けて引きこもっているだけで、
同居するわけでもないので今は何も実害はないのだが、結婚して家族になれば将来はどうなるかわからない。
反対に私は大人しくしていられないタイプの子供だった(トンボを握りつぶしたりしていた)ので、
母は性別が反対だったらよかったと心配したくらいだったらしい。
そんな兄でも大学までは少ないけど友人もいたようで、
一般的な大学生らしい生活というよりかはほぼ大学と家との往復だけだったろうが普通の生活をしていた。
しかし、就職活動がうまくいかなかったのを機に段々部屋に引きこもるようになってしまった。
当時は明らかに体調を崩しているのがわかったのでそっとしておいたが、
時がすぎて私のほうが先に社会人になり、家を出た。
落ち着いたころ、帰省した時に母にも相談されたので一緒に求人雑誌を見たりした。
当時は兄も体調がいい時は実際求人の応募したり、ハローワークに出向いたり、
資格を取ろうと勉強していたりと職につくための努力をしているようだった。
口数は少なく、めったに笑うこともないが無視されることはなかった。
それでも帰省するたび、兄の状況がよくなることはなく、段々母から、
兄は神経質だから就職関係の話はしないようにと釘をさされるようになった。
そのころから兄は私ですら避けるようになり、食卓を囲んだ時に、
何気ないことで話しかけても返事をしてくれなくなった。
福祉機関に相談してまずは自立した社会生活を送れるようになるための支援を考えるべきなのではないかと。
母の返答はいつも「ごめんね。あなたには迷惑かけないようにするから。」だった。
母に親としての責任をとれと責め立てているつもりではなく、
それでも母の傷をえぐる話で、話したことを後悔した。
結局今も、時だけが過ぎて引きこもりニートの兄がいる事実は変わらないままだった。
義両親も家族としての苦労を労ってくれたぐらいだった。
もちろん結婚式に出席してくれるようお願いはした。
お互い親族になるからには挨拶ぐらいはしないといけないだろうけど、
別にどこに勤めてるか話さないといけないわけでもないし、恥ずかしいと思うことはないと話した。
初めは父も「家族なんだから、妹の結婚式に出席しないなんてことは許されないだろう」と
引っ張ってでも出席させるつもりだったようだが、
私が嫌いなのかもしれないし、ただ他の人に会いたくないからかもしれないし、
自分が出たら妹に恥をかかせると思ったのかもしれない。
夫は一人っ子なので、私はいずれ義両親の面倒も見なければいけず、地元からは遠く離れることになるだろう。
両親が死んだら兄をほっとくわけにもいかないが、少なくとも兄の面倒を見る余裕はない。
年金は親が払ってるし、家もあるし、最低限生活に困らないようたぶん保険もかけてるだろう。
実家を事故物件にしたくないしとも思う一方で、納得いかない気持ちもある。
また起き上がって必死に生きてるし、躓かないよう気をつけたり我慢したり努力もそれなりにしてきた。
出自や環境の違いでできてしまった格差や失敗を自己責任と言うのは酷だが、兄は何だったのか。
八年くらい前の話。最近無くなった、テレビCMもやっていた求人サイトで夜のお仕事の求人を検索して、キャバクラの面接を受けに行った。
スタート時給5000円。オープニングスタッフ。私の住んでいる地域からは離れた場所にあるけれど、寮完備、一ヶ月は寮費無料。お金に困っている人は相談してください、相談に乗ります、と記載あり、他の求人にはこんなこと書いてないのにと小さな違和感は感じたが、webから応募したら、翌日には担当者から電話連絡があった。かなり気さくな人で、夜の仕事の経験あります?どこで?そこなら客層悪い地域なんで大丈夫です!ここの地域の方が客層いいんで楽勝ですよ!と言われ、面接を受けに行った。系列店が働く予定の場所と私が住んでいるところの中間くらいにあり、そこで面接することになった。
面接交通費支給と書いてあった。電車で一時間半はそれなりに遠かった。駅に着いたら連絡くださいと言われたので、連絡したら面接官の人が迎えに来てくれた。太ってはいないが肉付きのいい、パッチリ二重の人だった。貫禄ある。喋り方や立ち居振る舞いがすごく丁寧だった。世間話をしながら歩いて、まあまあ立派なオフィスに入った。店で面接しないのか?と思った。※面接官は最初に電話した気さくな人とは別の人です。
住民票の写しと免許証を渡した。一枚のプリントを渡された。質問がいくつか書いてあった。内容はあんまり覚えてないけど、心理テストみたいなものと、お金恋人仕事家族を大事な順に並べてくださいみたいな質問が印象に残った。一番はお金にしたんだよね。
貫禄のある人の名刺を貰って、普通の面接っぽく志望動機や今までの夜の仕事の職歴などを聞かれた。履歴書は不要だった。アットホームな夜の仕事しか経験がなく、ノルマに必死にならなくて良かったことについてやたら言われた。よかったね。うちの店とは違うよみたいに。
うちの店は基本待機時間がなくて、オーラスでお客さんに付きっぱなしになる、忙しいよですよ!と言われた。ガラケーに電話がかかってきて瞬時に面接官は電話に出た。今面接中でー、うんうん、まだ分からないと言っていた。
お店の説明が続いて、ここさ、キャバクラにしてはスタート時給いいと思わなかった?五千円だよ?と聞かれたので、そうですね、と答えた。どうしてだと思う?分かりません。服の上からお客さんがおっぱい触ってもいいお店なんだよ、店の女の子はみんなノーブラで働かないとダメなんです、と言われて絶句した。こんな真面目そうな顔でおっぱいとか言うんだ。て言うか、求人に書いてあったことと違う!と思い更に絶句。すると、おっぱい出しちゃうと警察来ちゃうからさ、だから服の上から、とその人は言った。それは、セクキャバとして申請してないキャバクラに見せかけたセクキャバでは?と思ったが、何も言わなかった。
何かお金を貯めたい理由がありますか?と聞かれたので、目標額と貯めたい理由を言った。それなら二ヶ月あれば大丈夫!!と何故か元気に言われた。いやー、でもその金額は昼のお仕事では難しいね。君は夜の仕事するにはラストチャンスじゃないかな?年齢的に。前の職場はノルマ無かったらしいけど、経験あるだけ大丈夫。需要あるよと言われた気がする。頭がよく回らなかった。スライド式で時給が決まるので、最初の一ヶ月で指名が取れなかったりすると、二ヶ月目の時給が3000円になるらしい。やる気出なさそう過ぎる!
寮が空いてるか聞いてみますと言って勝手に電話をかけ始めた。電話が終わって、一部屋空いてるそうです!どうしますか?今なら一人で住めますよ!普通のキャバクラだと思って面接にきて働く人もいますよ!と言われた。
その場で断ると怖い人が出てきそうだなと思って、少し考えて連絡しますと言った。少しとはどれくらいですか?(面接したのが木曜だった気がする)じゃあ月曜日で。もし断ろうと思ってるなら、今言ってくれて大丈夫ですよと言われたので、働くのはやめにします…と断った。理由聞かせてもらってもいいですか?そんなの、完全に詐欺だからと答えたかったけど、普通のキャバクラで働きたいと思ったので。と答えた。
分かりました。でも気が変わったらいつでも連絡くださいね、渡した名刺に連絡先書いてます、待ってますよと言われた。交通費は片道だけくれた。駅まで送ってもらって帰った。
帰りの電車の中で、一部始終を友達にLINEで話した。その友達はセクキャバで働いたことがあったから、どう思う?と聞いたら、キスするか聞いた?と言われて、へえええ?!!と思った。おっぱいで頭がいっぱいになって何も考えてなかった。多分キスはさせられる、服の中に手を入れてくるやつもいる、下も触ってくる奴絶対いるよ!!と言われた。
断って良かった。お金に目がくらんで、一瞬考えたよね。友達に、どうしてセクキャバで働いたの?と聞くと、普通のキャバクラでも無理矢理触ってくるやついるし断るの面倒だし、それならお金多く貰った方がいいじゃん!と言う答えだった。
電車の中で更に冷静になり、寮が一部屋だけ空いてますは多分嘘だなと思った。オープニングスタッフで人足りてないんだろう、どうしてピンク求人に載せないの…。求人サイトに直接、嘘の求人載ってますよと連絡してやろうかと思ったけど、100%私の仕業だとバレそうだからやめにした。これからも、普通のキャバクラだと思って面接を受けに行く女の子いるんだろうな、そんなことを考えながら家に帰った。
翌週、昼の仕事の面接を受けて、それからは昼の仕事しかしていない。お金が欲しかった目的(滞納していた国民年金の返済)も終わって、お店がどう稼働しているか気になって検索した。お店に行った人のレビュー日記があり、キスしまくれる、耳舐めてもらえるー!と書いてあった。断って良かった、そう思って名刺を破って捨てた。それ以来検索はしていない。お店の名前を忘れてしまった。
コロナ禍で今お店は繁盛していますか?絶対に行くことはありませんが。
今、私は二年目で大学院を中退して、既卒生として就活をしている。学部も大学院も(2chでどういわれているかはともかく)比較的知名度の高い大学だ。受験勉強をしたことがない人でも知っているような大学に所属していた。
大学院を中退した理由は大量にあるが、誤解を恐れずに言うのであれば、同意なく、しかもコロナに関係なく親に学費を使いこまれたことに起因する。中退に至るまでの経緯でまた記事が2本は書けるぐらいには内容が濃いので、ここでは取り合えず割愛することとする。ただ、私の中退が親に学費を使いこまれていたことに起因することは、断言できる。
さて、既卒生として就活している私だが、まるでエントリーシートが通らない。コロナ禍の影響もあるのだろう。ただ、それを抜きにしても所謂大企業なんていうところには見向きもされない。中小企業でさえほぼ通らない(ただ、一定選り好みはしているが)。
企業にも勿論嗜好があるのだろう。それは当然のことであるし、理解も共感もできる。
が、私の今の就活を顧みると、面接で落とされるのはともかくとして、書類で切られまくっていると疑問しか浮かんでこない。一部上場企業の中にも、面接まではこぎつけてくれる企業もあるにはあったが、1つだけであった。
当記事は、私のこの疑問を延々と書き綴るものである。良く言えば「私の考え」ではあるが、実態は「恨みつらみ」でしかない。ただ、やはりこれを不特定の人間には知ってもらいたい。このように強い思いとそれなりに過酷な経験をしている人間でさえ、既卒となると就活で苦労するというのを知ってもらう必要もあると考えている。
私は、偏差値50少しの高校から、「有名大学」と世間で言われる大学に現役で入学することができた。そして、これまた現役で卒業をし、そのまま大学院へと進んだ。大学院では、英米(のどちらか)の大学院へ一か月留学し、研究もした。
中退という部分を隠して読めば、比較的キレイな学歴をしていると思う。
ただ、先述の通り親に奨学金を使いこまれ、中退をすることとなった。奨学金で生活をしていたし、親の支援ももう期待できないことから、取り合えず就職しようという段取りとなった。
就活経験について、実は全くないという訳ではなかった。学部時代に友達のウェブテストを替え玉しまくり(10社弱分は受けたと思う)、ESや面接の準備・添削を手伝うこともあった。時にはESを全くのゼロから作ることもあった(!)。当然、私はその企業に応募もしていないし、興味もなかった。
そして、当時は大学院に進学する予定であったので、私個人が自発的に就活をすることはなかった。
さて、私は無事に大学院の合格通知を得ることができた。確か9月か10月であったと思う。経緯は割愛するが、大学院進学ではなく就職する方がより良い選択ではないか、と思わざるを得ない状況となった。
そういう訳で、秋採用も終わりかけている10月頃になって、就職活動を始めた。
ウェブテストについては、替え玉した人の分が全て通っていたので、無対策でも問題ないだろうと思い特に勉強はしなかった。
結局、私がした就職活動は、企業分析・業界分析、自己分析、ESの推敲であった。その結果、どうやら私は金融に向いていそうだということとなり、マザーズに上場している中規模投資銀行と三井住友銀行に応募してみることとした。
三井住友銀行は、私がウェブテストの期限を勘違いし、人事に無理をいって期限を特別に延ばしてもらった上で完了させた。このような経緯で許してもらったウェブテストであったことから、結果に関してはもういうまでもない。
投資銀行については、説明会兼選考会をやるからリクナビだかマイナビだかから予約してね、という具合だったので、早速応募をしてみることとした。
さて、投資銀行については、私の履歴書が余程面白く映ったのだろう(「債権の回収」や「担保」という単語、飛び級入試での大学院合岳経験があることを多いに盛り込んだ)、人事部との一次面接は私の履歴書に打ち出された単語が面白いだの、ペットは何を飼っているのか、という悪く言えばくだらない話で終わった。二次面接は、確か営業部長と執行役員だかとの面接だったが、面接というよりは議論に近かった。コンサルでよく聞かれるケースに基づく議論のような雰囲気だ。「君の理解は間違っている」とドストレートに言われるも、「いえ、私の理解はこのようなもので、そのようにお考えになったのは貴方の誤解です」というようなことを言い返していた気がする。よくあんなこと言えたな、と今では思う。議論だったとしても、こんなこっ恥ずかしいことをプロに対して言うべきではなかったと強く反省している。
そんなこんなで一週間しないぐらいの内に、「どうぞ最終面接へお越しください」と言われた。就活をほんの1か月したぐらいであったが、会社勤めは性に合わない、資格を取ってプロになろう(特定のため、ぼかした表現にはしている。この資格を取り、こういうキャリアパスを経よう、という設計は既にしていた)、と決心していたので、選考を辞退することとした。少し申し訳ない気持ちがした。
と、学部時代は比較的わかりやすい就活をできていたので、既卒就活も既卒というハンディキャップを除けばそこまで大きな負担にはならないだろうとかなり楽観的になっていた。
既卒就活の結果は、冒頭に書いた通りである。そもそもエントリーシート自体が通らない。コロナ禍の影響もあるであろうが、それでも何かおかしいと直感的に感じる。
学部時代より、より入念にESを作成するようにしていた。就活のハウツー本を5から6冊程は読みまわしながらESを作っていたと思う。それでも通らないのだ。ウェブテストは学部時代の経験からすると、落ちる要素がない。替え玉当時、私が受けたメガバンクや野〇證券などが通っていたので、決して正答率も低いはずではなかった。
他に落ちる原因は何か。ESとウェブテストで抜かりなくしていたのであるなら、何か。年齢か。新卒切符は24歳まで有効と聞いていたので、年齢も問題はない(はず)。そうすると、やはり既卒という略歴ではないか。
さて、既卒という略歴が問題ではないか、ということで早速情報収集を始めた。結論から述べるが、やはり既卒という略歴が多大であるように私は思う。
というのも、まず、既卒生の就活記事やハウツーといったものが極めて少ない。結局、「この就職エージェントに投げてね☆」というものに落ち着くものか。「情報収集を徹底的にやれ、新卒の倍は動け」という根性論に終始するものばかりである。既卒生の就活成功談を見ない。
そして、「所謂大企業であっても、既卒は受け入れている」という記事を見かけるが(私に言わせればそんなこと就活を始めた当日に知ったことである)、「既卒で大企業に就職できた」という記事は見ない。クラシックなオタクなので、「ググる能力」に関しては絶対的な自信があるが、やはり記事は見なかった。「既卒で就職できたよ!」という記事もほぼ見ない。
勿論、私もバカではない。猫の手を借りるぐらいのことはする。就職エージェント4社程を利用して、求人を紹介してもらったが、明らかにおかしいものばかりであった。例を挙げだすとキリがないが、ブラック企業といって差し支えないようなものばかりであった。中にはそうでないものもあったが、私の志望する業界・職種でないことから断っていた。
話が右往左往して恐縮であるが、私は学部時代はかなり頑張っていた。
学業においては、学部上位5%以上の英語のクラスを、90点以上で合格した。優や、A+、A、Sという風に評価されるものだ。英語に関してはスピーキングはからっきしだが、リーディングリスニングについては比較的自信はある。今でもタイムズ紙ぐらいなら読める。
二年生の頃にフィールドワークを経て執筆した論文は、担当教授に奨学金論文として推薦された。奨学金論文として推薦されるのは、優秀卒論を除けば、各学年2名までだ。極端な表現だが、私は学年で少なくとも2位の成績を得たということもできる。
ゼミについては、正課としてのゼミと、潜りとしてのゼミの2つを取っていた(勿論、両教授からの了承は得ている)。卒論では、その2つの領域にまたがる論文を執筆した。担当教授からメタクソに批判され、時には(マジで)泣かされたが、結局、80点以上の評価で単位を授与してもらえた。
学業に関してはこのような感じだ。基本的には単位だけ取れていれば良いというスタンスであったが、力を入れるべき部分ではきちんと力を入れて評価は取っていた。
課外については、私は文化系のサークルに所属して活動をしていた。大会では代表を二度務め、一つは四位、一つは二位へと入選している。可もなく不可もないとは思う。
役職には2つ就いており、1つは、企画系の役職の長に就き、もう1つは、サークル内研究会の会長を務めていた。
サークル内研究会会長については、基本的に後輩の勉強の指導をしたり、同期と議論をしたりがメインであったので、かなり楽しかった。正直、会長とは名ばかりのものであった。責任のある業務もほぼなかったと思う。
ただ、企画系については、一筋縄ではいかなかった。まず、50名規模で開催する合宿を全て私一人で仕切った(相方はいたが、とんでもないポンコツだったので、仕事を一切振らなかった)。具体的には、合宿の企画発案や、旅行会社・ホテルとの交渉、参加者を集めるための広報や、経理との予算調整などだ。経理が通帳を握ったまま飛びやがったので、家まで通帳を取り立て行ったりもした。夏休みに行う合宿であったが、冗談抜きで7月から9月半ばまでは、土日以外は永遠に合宿の準備をしていたと思う。テスト前日に宿の内見に行ったりもした(この時だけではあったが、役職に関係なく同行してくれたK君には頭も上がらない。ありがとう)。
大変であったが、企画の発案や参加者の誘因等の難しさ・楽しさを得ることができ、なんだかんだとは言いながら充実感は感じていた。ようやく院試勉強に集中できる、と一息ついたものだ。
…というのも束の間、OBOG会の会長から10数年ぶりにサークルのパーティーを行いたいとの申し入れが顧問を経てやってきた。何故会長じゃなくて俺にそのことを伝えたんだ、と同期に愚痴ったりもしたが、顧問曰く、「貴方と連絡をしていたからそのまま伝えた」とのことだった。当時は「俺に信用力があるからだ」と前向きに考えもしたが、2か月半程動き続けた身にひょいと投げていい申入れではないだろう、と大きく溜息をつきもした。
さて、このパーティーが非常に厄介であった。まず、OBOGに招待状を送らなければならないが、こともあろうに会員名簿の更新が15年程されていなかったのだ。直近の先輩方の住所や電話番号なんかも分からないまま、どうやって招待状を送るんだと頭を抱えた。開催が2か月後ということだったので、もう当たって砕けろの精神で「3年生の〇〇ですが、こういう下りでパーティーをすることになりました。先輩からまた直近の先輩へとご連絡してもらえると助かります。参加を希望される方がいらっしゃったら、私にまでご連絡をするように併せてお伝えください」というメッセージを飛ばしまくっていた。完全にマルチ商法のそれと同じだが、時間がない以上仕方が無かった。名簿に残っている方でも、中には既に老齢で亡くなられていた方もいらっしゃったようで、カジュアルに連絡をすることもままならなくなってしまっていた。体力的にはそこまで大変ではなかったが、精神的にはかなりきつかった。
精神的にきつかったところに更に肉体的にきつい仕事が増える。名簿の更新をしながら、OBOG会にあったパーティー運営組織をOBOG会から当サークルへと移譲したいと言われたのだ。何が分からないのが分からない状態から始まっており、そもそも相手はOBOGだ。「じゃあ昼飯食った後部室でね」が通用しない。逐一メールをしながら、何月何日、どこそこの店で打ち合わせをしましょう、という風にするしかなかった。苦学生でバイトしまくっていた身としては、この打ち合わせ日時に合わせることがかなりしんどかったし、運営組織の移譲に伴ってするべき後輩への引継資料の作成が本当に苦痛だった。当然、在学生の参加者を募るための広報もしなければならない。
このように働きまくっていた結果、十数年ぶりの開催であるにも関わらず、どうやら歴代最多数の参加者を得ることができたようだ。しかも、参加者の半数近くが在学生だったということで、企画をした私の誘因力を大いに褒められもした。結果は出せたと思う。数字だけでなく、これだけ頑張ってくれたのだから、ということで部室に設置してあるパソコンやプリンターといった周辺機器も一新してもらえた。大変有難かった。
さて、「どうだ、俺は凄いだろう」というエピソードをこんなにも書き連ねた訳だが、やはり当時は大学生なりにはかなり頑張ったと私は思う。このような経験や思いがあるからこそ、もっと挑戦をしたい。内定が難しいと言われている企業へ応募して挑戦もしてみたい。しかしながら、そもそもエントリーシートが既卒だからという理由で(私はこれが原因と考えている)切られるようであれば、どうしようもない。私は満足に挑戦すらできていない状況で諦めたくないのだ。そのような状況で不満のある待遇に甘んじたくはないのだ。
勿論、就活では上記のエピソードをいわゆるガクチカなんていうものに盛り込んでアピールをする。就活構文と私は密かに呼んでいるが、「結論→理由」「動機→行動→結果」といった構文も遵守した。多少は盛りはしているが、「やらされていたこと」を「やるべきだと考えた」と変換する程度のものだったし、面接でもこの点についてボロを出さなかったので問題はないと考えている。
成績も特別に良いというわけではないが、学内平均よりかはずっと高い。
ウェブテストやESについても、学部時代に手伝っていた(というより最早やっていた/書いていた)経験から、突飛なことはやっていない。
でも、シンプルに留年したとしても新卒でさえるならば、トンチンカンな奴でも内定を得てしまうのが非常に納得がいかない。彼彼女らなりに留年した理由付けはしているとは思うが、人事は恐らく見抜けないのであろう。
形式面では既卒より優れているというのが極めて不服である。留学やインターンであるならば経歴や職歴に書けるが、そのようなものが書けないシンプルな留年であっても、新卒は新卒である。既卒には劣らない。
私は、大学を四年間で卒業し、大学院で一年半勉学を修めた。学部在学中は勉学にも課外活動にも励んだ。
但、冒頭で述べた通り、私は親に学費を使いこまれて大学院を退学をせざるを得なかった。
それでも、私は形式的には新卒より劣っているのだ。同等ですらない。
新卒至上主義と私は読んでいるが、この点についても非常に疑問がある。また記事に起こしたいと思う。
この記事は、あくまで私の一個人の考えを知ってもらうことだけに価値がある。従って、読者がどのように思うかは勝手であるし、読者に思考さえしてもらえれば、私の願いは成就したと考えている。
特に就職をする予定でいる大学在学中の学生諸君は、是非一度自分のキャリアルートについて考えてみて欲しい。貴方が思う以上に、新卒既卒という区別は残酷なものとなっている。