はてなキーワード: 住まいとは
恋をし~た夜は~すべてがうまく行きそうで~
江口洋介です。
いやもうこの時間よ。
あまりに仕事が終わらないから途中ランチ挟んじゃいましたのエグチのセットです。
なんでみんな午前中に好き勝手に私にボンボン用事を頼むのかしらと思って片付けてたら
こんな時間なのよ!
さすがにポテトは箸で食べなくない?
ポテチなら分かるけど、
とてもほほほ微笑み増し増しの微笑ましさよね。
でもさ
ああいうファストフード店とかで脂ぎった脂ギッシュな食べ物を食べたときに
まあ箸で食べたいって言うのはすごく分かりみのある話しだと思うんだけど、
みんなあの手で食べた直後スマホとか触ってるし、
画面がベタベタしないのかしら?って
意外とみんな普通にポテトの先でスマホを操作してて器用なのよね。
あれちゃんと画面動くのかしらって
いろいろと不安になるけど、
余計に紙ナプキンを多目に持って来ちゃいたいところだけどね。
私はいつもタマゴ好きなのでエグチマクリマクリスティーなんだけど、
あの焼き固められたタマゴのあの
還元糖とアミノ化合物の加熱した際に香るメイラード反応を私は楽しみにしてるのかも知れない。
結局は何だって良いのかもしれないわよ。
なんでもフライパンで焼いたら美味しくなるって言う、
あのポテトも何故か油で揚げているのに特有のファストフード店の香りと
ポテト!ポテト!ポテト!って節をつけて歌いたくなっちゃうあのブザー音は何なのか分からないけど、
あのポテト!ポテト!ポテト!ってフェスでも流れないほどのビートを刻みながら、
今でも鮮明に覚えているもの。
さすがに酔っ払って群衆で行く
飲んだ後のシメの代わりに
ハンバーガーを頼んで待ってるときのポテトコールの曲がかかったときに
ポテト!ポテト!ポテト!ってコールはしないところはまだ曲として未完成なんだと思うの。
エビバディセイホー!ってコールアンドレスポンスで言われたとき
恥ずかしくて声が上げられない東北の観客のように、
ノリ方が分からないのよねノリ方が。
なんだかポテト1つなのに思い出が走馬灯のように総集編の再放送でもやらないぐらい
半年の放送分を50分で一気に放送しちゃいそうなほどの連続ドラマってのは
役者さんの演技の「間」の妙ってことだと思うの。
あの台詞のない場面のト書きとト書きの行間の台本を想像しちゃいそうで、
ああ今こう思ってるのかしらとかああ思ってるのかしらとか想像しちゃいたいほどで、
あれこれ考えていたら、
コーヒーのおつまみにと食べていたポテトが無くなっちゃったわ。
もうよもう。
すぐ食べちゃったから、
やっぱりここは躊躇せずにMサイズにした方が良かったわよねって
アフターフェスティバルでランチタイムが終わらせることが出来たわ。
また次食べたいね!って美味しさの分量の方がいいのよね。
アメリカ行って張り切ってコーラLLサイズとか頼んでんじゃないわよって。
店員さんが親切で、
そんなに大きいの頼まなくてもおかわり無料だから小さいサイズの方がいいし
しかも冷たいのがいつでも飲めるんだぜって言ってくれちゃうところなんか
私は泣いたわ。
ああ懐かしいったらありゃしない感じで、
な、泣いてなんかないよ
歯が染みただけなんだかんね!
私菜っ葉好きだから菜っ葉よけろ!って言われても絶対買っちゃうわ!
ふと思ったんだけど、
ジャスミンティーの本場はジャスミンティーをどうやって煎れるのかしら?って思うけど、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
仮に東京都心住まいでも北関東とか甲信越地方まで電車で2時間もすれば農村地帯に行けるし、そこで耕作放棄地を借りて週末通って人力で開墾すればいい。
耕作放棄地は地域の悩みの種だから、雑草を刈り取るだけでもメチャクチャ歓迎される。
刈払機が2万くらい、耕運機が5万くらい、物置を5万くらい、あとは細々とした道具を揃えるのに2万。最初期の設備投資はそれくらいでいい。全部ホムセンで買える。コメリとかで買えば運ぶための軽トラを貸してもらえるから、車を買う必要も無い。
それで時間をかけて作物を作って、慣れたら農地を増やして、定年後はそれを本職にすれば老後資金の心配もかなり少なくなる。
体を適度に動かすので健康にも良い。
配偶者と実母の不仲が不快のため、帰省が面倒なため、配偶者の実家近くに転居することにした。
相談したら、子に譲ろうと思い、保有していた土地に建てていいと、義父から言われた。
しかし、結果的に同じエリアの土地を買って建てたほうが総額は安く済んだ。家庭菜園としか使っていなかった更地に家を建てるのは面倒だ。
さて、本題。
その建設地と今の住まいと新居は、見つけた「ウェブ地図で緯度・経度を求める」によると、
「北緯○○度☆☆分△△秒東経○○度☆☆分△△秒」のうち、「東経○○度☆☆分」が一致してている。
Wikipediaによると、日本の経緯度原点による、経度1秒の長さは25.153129m。つまり25mプール1つ分ずれただけ。
つまりほぼ真北。こんな偶然があるのか? ちなみに緯度は21度違う。
道は直通ではないので、高速道路を使わないと2時間20分、高速道路をフルに利用すると1時間10分くらいかかる。
配偶者はよほどの用事がない限り、もう来ないと言っているが、北海道や東北あたりなら隣のエリア扱いとなる近さではないだろうか。
しかし、引越し業者も市役所の職員も、おおむね新居の住所が読めない。私も配偶者と知り合うまで、存在を知らなかった。
配偶者のほうがニュースをきっかけに割と早くから知っていたそうだ。
間に何市か挟んでいるとはいえ、真北(真南)だぞ。
きっと地元民の大半は、北のほうは、もはや人がほとんど住んでいない「山」だと認識しているのだろう。
同様に、転居先住人に、南のほうは海という認識があるのか疑問である。ちなみにずっと南下して赤道を超えるとニューギニア島になるようだ。
我が市とせいぜいその周辺、都心しか名前も知らない。興味も持たない。これが何の特色もない首都圏郊外の不人気都市の現状。
※色々ぼやかす
↓を書いたものです
https://anond.hatelabo.jp/20191224184217
これを書いた後吊ろうと思ったが泣いてる母親思い出してやめ元旦母親に顔見せに行ったら
思い出した母親は映画かなんかで見た大竹しのぶの泣いてるシーンで別人であった
私を轢いた子を恨んでいないのは小さい頃から知っているご近所さんでその時彼女に火急の要件があったのを知ったから
この現状を知られたくないのでこれ以上は書きたくない
元旦帰るついでに実家に住めるか確認したが運転免許返納済みの私は田舎で今以上に積む事を実感した、とはいえ現状のままだと住む所もなくなる
新しい家も借りれないだろうし公営団地住まいになるんだろう、昔団地に住んだ時はあまりの生活環境の悪さにノイローゼになった本当に積んでいる
多分お医者様は好意のつもりで精神障害者手帳を勧めてくれたんだと思う
だが先生方は現状を全く知らないだろう(責める気はない)精神障害者には本当にメリットがない
出歩けないため映画が安くなろうと交通が無料だろうと就職先はないし2年に一度更新でそれ以上にお金がかかる
某有名大学病院の権威の先生でこれなので今の希望はもう一度障害者年金をもらえるよう頼み通る事だがあの感じだと厳しいだろうな
転院も考えたいが便利な近所なのとどこまでも気力が湧かなくなってきている
不条理と戦う行動はしないでいい
もしもこれ読んだ方で周りにお医者様がいたりしたら善意で渡した手帳は地獄への片道切符になりえると不快なスパムにならない程度に広め伝え願いたい
今年の初めに結婚する予定。
ようやく正規の公務員になったり、彼女が再就職したりとバタバタしていた2019年だったけど、ここから本格的にお金のことを考えないといけないと思ってメモする。
来年これを読み返して改めて考え直そうかと思ってる。
[俺]
・ドコモ
[彼女]
・同居 軽自動車あり(ローンなし)
・ドコモ
[住居]
・1LDK 6万/月
[保険]
[銀行]
[クレカ等]
[家計簿]
・zaim
お金関係は俺が担っているので、俺のやりやすい形にしようと思う。基本的に家賃は俺の口座から引落とし、電話代等に関しては家族カードでいいだろう。彼女名義の家族カードを今後作り、それは電話代等にのみ充てる予定。
銀行口座は双方が所有していて振込手数料が無料になるSBI銀行が適当だと思われる。これに紐づけているミライノカードで家賃・光熱費・保険・通信費を支払う。簡易計算で年100万を超えるので、今度ゴールドカードにしよう。年会費をペイできる上に旅行の保険が自動付帯する。それにSBI銀行の無料枠は捨てがたい。地方都市なのでメガバンクが近隣になく、コンビニで使えるネット銀行は大変重宝するのだ。
残念ながらミライノカード(JCB)には家族カードがない。Masterの方にすることも考えたけど、年会費1万が果たして妥当か怪しい。保険料と考えるなら3000円のJCBでいいと思える。ので、JCBをゴールドにして引続き使用したい。
そうすると家族カードをどこにするかが悩む。といってもこれ自体はどこでも良い気がする。なぜならどこのカードもポイント還元は似たりよったりで、しかも○○PAYに力を注ぎすぎだから。各種Payは静観を決め込んでいるし、日常で使うのは専ら近所のスーパーとホームセンターくらい。なので現在のdカードで家族カードにしてしまおう。dカードゴールドはポイントが魅力だけど、キャリア系はそろそろ解約するべきかと思っているのでシルバーで継続。
携帯キャリアはどちらもdocomoなので家族割を使う予定。現在加入の料金プランも9500円程度と割高なので、ギガホにした方が良いのだろう。尤も、MVNOに切替えるのも視野に入れているが、通信量やGPSの正確性を考えるとキャリアが合っている気がしている。ここは今月中に決めよう。
保険は、自動車保険に二人がそれぞれ入り、俺が死亡保険とがん保険についこの間加入した。まあガンは時期尚早かもしれないけど。
彼女の保険は親名義なのでできるだけ早めにこちらに移す予定。しかも彼女の医療保険?はカンポらしい。なんでや。
まだ若いから定期保険で充分だろう。終身は10年後からスタート。いちおう俺が公務員なので医療保険は特に定めていない。
問題は家賃。今の家は6万弱の1LDKでかなり快適な設備なのだけど、さすがにこのままで結婚すると手狭になりそうだ。というかベッドが1個しか置けないので俺が布団を使っている状態。来年の更新に合わせて2LDKに越したい。
二人の手取りが合わせて35万程度しかないので、7.5万前後を狙っている。それでもやや高いかもだけど、駐車場2台分を含めた金額なので妥当ではないか?
食事関連は俺がメインで作るので、必然的に食料の調達も俺が行なっている。月3.5万以内をキープできるようになっているのでこれは継続。
子供関連だけど、未知数すぎてどうしようもない。二人とも親元から離れているから子供を預けるのは難しい。できるだけ貯金をしなければ。
大雑把すぎるけど、こんなところかな。
ドラッグストアで買い物をしていると、お風呂用のボディタオルがへたってきていることを思い出した。ずいぶん前から使っていて、もう何本も糸がほつれているのだ。僕はボディソープ売り場の横に、ボディタオルが置かれているのを見つけた。男女兼用のものもあったが、だいたい中段より上が男性用、下が女性用になっているようだ。そして、僕は中段より上に、"それ"を発見した。
パッケージにはそう書かれていた。僕はこの商品をみて、違和感を感じた。商品名や黒とシルバーの地味な配色から、男性向けの商品であることは明確だった。しかし、僕はどうしてもその商品、ひいてはマーケティングが僕に向けられたものではないような気がした。
特に、僕がどうしようもない違和感を感じるのは、"彼氏の"の部分である。
男性が自分のことを"彼氏"であると、普段から認識しているだろうか。たとえば僕は、これまでも誰かの"彼氏"であったし、現在も誰かの"彼氏"である。しかし、自分を表す代名詞として"彼氏"を持ち出されると変な感じがする。"彼氏"は僕の"彼女"が使う代名詞であって、僕や、どこの馬の骨かわからない企業が僕のことを"彼氏"とするのは間違っている。これは一般的な感覚だろう。これらから、この"彼氏の"は男性ではなく、女性、つまり"彼女"に向けて書かれた言葉であることがわかる。
この一文節には、さらに重要な情報が含まれている。"旦那"ではなく"彼氏"と書かれていることだ。ここから彼女は未婚であり、現在同棲中か、あるいは半同棲中であることがわかる。
これは僕の想像だが、半同棲中という方が近いだろう。二人で家を借りて本格的に同棲をするというのであれば、ボディタオルのような基本的な日用品は、すでに買っているはずだ。そして、それは買い換えられることが少ない。一般的なボディタオルは、一般的な男女の関係よりも丈夫にできている。
彼女は、彼氏のボディタオルを買い替えに来たのではなく、ないから買いに来たのだろう。ボディタオルがない、ということは、彼らはお互いに別の住まいを持っている。つまり、彼女の家にボディタオルが必要なほどの頻度で男が出入りしている可能性が高い。
"彼女は健気にも、半同棲中の彼氏のためにボディタオルを買いに来た"というわけだ。
これも想像だが、彼女は彼氏に主導権を握られているはずだ。僕のような気弱な男は「ボディタオルがほしいなぁ」と思ったら、自分で用意する。仕事がめちゃくちゃ上手くいった日に、血迷って「ボディタオル買ってきて」と頼んだとしても、主導権が彼女にあるなら「自分で買ってきなさいよ」と言われてしまうだろう。彼女にボディタオルを買わせることができるのは、主導権を持った男だけだ。
そして、これは商品名が"旦那"ではなく"彼氏"であることにもつながる。旦那に「ボディタオルを買ってきて」と言われて買いに行く嫁は、ごく少数ということだ。
"彼女は健気にも、半同棲中の主導権を持った彼氏のためにボディタオルを買いに来ている"ということになる。
黒とシルバーの地味だと思っていた配色が、どこか攻撃的に見えてきた。
さらに想像を深めていこう。「ボディタオル買ってきて」というセリフを例示している通り、彼女は自発的に、ボディタオルを買いに来たのではないかもしれない。いくら気の回る人でも、人は他人のボディタオルにまで、気はまわらない。
彼女が彼氏のために、食器を用意したり、シャツにアイロンをかけてあげることはあるかもしれない。しかし彼氏が、風呂という限定的なシチュエーションにおいて、身体を洗いにくいかもしれないと想像して、ボディタオルを用意する彼女はさすがに出来すぎである。
"彼女は健気にも、半同棲中の主導権を持った彼氏に「ボディタオル買ってきて」と言われ、ボディタオルを買いに来ている" かもしれない。
そして、ボディソープ売り場でようやく目にしたのが、「彼氏の♂あわシャリボディタオル」。
ここまでくれば、あとは適当な情報を付加すれば、ペルソナが見えてくる。 <h3>o- *</h3>
彼女は今年の四月から新社会人になった。新しい人間関係、初めての仕事、そして、初めてのひとり暮らし。期待に胸を踊らせたのは、もう数ヶ月前だ。いざ入社してみると、雑用のような仕事や接待に追われる日々が続く。自分が大学生の頃に描いた、キラキラした社会人像との差に、ため息が漏れる。
そんな彼女にも、三ヶ月前に彼氏ができた。少し年上で、あまり自分を曲げないが、優しい一面もある男だ。彼女はこれまでも、恋人ができたことはあった。それは所詮、学生同士の付き合い。彼女の家は厳しかったので、ずっと一緒にいられたわけでもないし、深いつながりを感じたことはない。
しかし、今回は違った。彼女と彼氏が望む限りは、何時間だって一緒にいることができた。彼女は、彼氏と過ごす中で、深い心のつながりを感じるようになった。彼女は、彼氏に夢中になった。やがて週に三日は、彼氏が泊まりに来るようになった。彼氏との生活は、本番のおままごとみたいに、楽しいものだった。
最近、そんな幸せな関係に陰りが見えはじめた。彼が泊まりに来る頻度が減ってきたのだ。彼氏の態度も少し冷たくなったと感じる。初めは料理を作ってあげると、嬉しそうにしてくれた彼氏だったが、今では、食べ終わるとだまってスマホをさわり始める。私はあなたの奴隷じゃないのよ。そんなことは言えるはずもなく、緩やかな怒りと悲しみを感じた。彼女は、彼氏ともう一度、あの頃のような関係にもどりたいと思っていた。
「うん、わかった。今度買ってくるね」彼女は明るく取り繕ったように言った。
彼女は考えた。誰しも、他人の家というのは、自分の家ほど居心地が良くない。彼氏は、風呂に自分のボディタオルがなくて、不自由に感じていたのだろう。私は、そんなことも気がつけなかったのか。彼氏の居心地がよくなるよう気を使えれば、もっと一緒にいてくれるだろうか。
彼女はドラッグストアで買い物をしている最中に、そのことを思い出した。
「ボディタオル、買わないと。」
彼女はボディソープ売り場の横に、ボディタオルが置かれているのを見つけた。男女兼用のものもあったが、だいたい中段より上が男性用、下が女性用になっているようだ。そして、彼女は中段より上に、"それ"を発見した。
ラジオを聴きながら書こうと思ったけど、
なんかそっちに耳持って行かれちゃって書くのに集中出来ないというか。
ヒーコーを淹れてきたところだわ。
とにかく朝は寒くって広い事務所は暖房が効くまでもうしばらくかかりそう。
今日は一人なので自由に何でも片付けだとかひっそりと出来る感じがまたいいわね。
結局年賀状も書いてなくって、
ちょっと気が向いたら
年賀状考えなくっちゃとも思う、
今頃になるといつもそのネタにも困るのよね。
決まっていたらいつもの絵柄のローテーションでいいじゃないって思うけど
令和が発表される前のソワソワしていたカレンダー暦業界もきっとそんな思いだったんでしょうね。
とりあえず
早速印刷しちゃいたいところ。
なるべく自分で書くところが少なくなるような一面一杯一杯のデザインなんか大好きよ!
でもさ、
年賀状やり取りしてる人で、
この人誰だっけ?ってじっくり考えたらあとで思い出すんだけど、
そう言う人と買って何も接点ないから、
タダの惰性だというのかどうだか分からないけど、
きっと向こうもこの人誰だっけ?ってなってると思うのよね。
延々とベルトコンベアに乗せられて年賀状ファクトリーから送られてくるその年賀状はちょっとSFチックでもあり、
いったい本当に年賀状って機能してるのかしらって?あの元旦の挨拶の風習よね。
でも私の住所が変わったことはちゃんと更新されて新しい住所に届いたりしてるから、
生きとし生けるものとして、
誰に送るのかも分からないまま。
そう考えるとなんとも言えないけど、
でもさ、
結局頂いた年賀状ってどうしてる?
風水か水風か分からないけど年賀状をずっと持っておくのってよくないよって行ってて、
年賀状を保管する年賀状ホルダーを探していた彼氏に講釈をかましていたわ!
水風の考えでは古いものこそにパワーがあるっていう説もあり、
ああ、またこの手のあったらいいな説となくてもいい説のパラレルワールドで
あったらいいの方は小林製薬で充分よ!
でさ
また普通に疑問に思うんだけど
量子コンピュータのどちらでも0でもあり1でもありってところまでは、
なんとなく理解出来るじゃない。
それが演算器に入るときと入った後でのどちらが0だったのか1だったのか?って考えるとどうやってまた区別して戻すのかしらって?
年賀状どころの騒ぎではなくなってくるし、
こういう時何故かまた部屋の片付けが捗りマクリマクリスティーだったりするし、
やらなきゃ行けないと分かっていればいるほど
マンガが面白く読めちゃうという王道のあるある選手権ではもはや優勝出来ないほどのあるあるで、
でさ
いまなら電子書籍端末に65536冊ほど上限までパンパンに本いれられるじゃない
だからもう
物理本ならこの続きの巻どこにしまってたっけ?って探して見つからないときが、
それを失わさせるVR没頭感読書はすごい電脳館別館をも彷彿させる本館のラインナップだと思わない?
私も最近は電子書籍はと思いきや目に付いたときまだ電子書籍されてない本だったら
あれって
発売日も同時にして欲しいところ満載じゃない?
何故それ出来ないかはきっと大人のご都合主義の秘密大国なのかも知れないわ。
私住所録のデータどこにしまってたっけ?ってまた探すことになるわ。
ペーパーレスで紙は少なくなったな!ってもの凄い高いところから言ってるけど、
それ自分だけじゃーんって思うわ。
本当にみんな自分の都合のいいところの話しかしないから他人なんて他人なのよね!って当たり前のことを思っちゃうわ。
こっちも紙で進行表チェックする方がいいと思います!はい!はい!はい!って元気よく手を上げて提案したにも関わらずよ。
A4一枚に図で書かれて親交度合いが分かる様に終わったところにミシン目が入ってるからちぎって進捗箱にいれておけば
この作業はどこまですすんでる?って現物を見なくてもチェック出来る素晴らしいアイデアだと思ったんだけど、
もう今日のところはここでドロンさせて貰うわ!って言う人もいないし
いい加減締めてドロンしたいところ。
私漫才で一人は終わろうとしてるのに、
もう一人はまだ終わりません!ってやり取りしてる漫才って好きなのよね。
一人は帰りたがってるのに一人はまだネタ続けようとしているやつ。
ああいう繰り返しに弱いわ。
ロッチさんのステージのショートコントで何本か一気に見たとき何回車に轢かれるんだよ!ってじわじわその面白みにハマってしまうぐらいよ。
モナカやないんやないかい!モナカやないかい!ってモナカ相関図が最後出来たところで抱腹絶倒だったし
そろそろ年賀状作りに戻るわね。
今年は猪突猛進って言えたけど、
来年のは窮鼠猫を噛むって言っていいのかしら?
とりあえずそれを四文字熟語に仕立てたら来年の意気込みとして使えそうだから
うふふ。
饂飩の旨さには変わりないわ。
お昼や夜は混み合ってるのでこみ上げてくる思いとこらえながら、
朝行くうどんはまた格別よね。
美味しく頂けました。
ジンジャー削ってこれでいいんじゃないかーってぐらいたっぷり入れてもいいじゃない?
スライスでもいいし、
必要によってはよりによりを掛けて丁寧にスプーンですくったハチミツハニーをくわえてもいいわね。
粉末ジンジャーでもいいけど、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
下記ねほりんぱほりんの児童虐待回まとめを読み自分のことを書く。
https://togetter.com/li/1438906
私はこの家とほぼ同じ環境で育った。結論から言うと小学校二年の時に両親は離婚した。そこに至るまでの話をする。
母は結婚した時から父の暴力やモラハラを受けてきた。そしてセオリー通り貧困の中子どもを産んだ。
そのうち父はギャンブル三昧になり家に帰らないことが多くなったが、帰ってくると服のたたみ方が雑などイチャモンをつけ暴れるようになった。
これは別居する少し前の話。
姉と私は当時小学校二年と幼稚園年長。意思などあってないようなものだ。
ただ単に不安だったからだ。そして離婚した後の生活が何も見えておらず、安心が約束されていなかったからだ。
暴力を振るい気に入らなければ家でも外出先でも暴れ、大声で怒鳴る父を好きなわけはない。もちろんそんな生活から離れたかった。
ただ、離婚したらどうなるのかわからない不安の方が大きかっただけだ。
母は職歴などないに等しく妊娠を期にパートを辞め専業主婦になっていた。
子どもの私は言語化できる範囲が狭かったため、どうやって母ひとりでお金を得て家庭を保守・運用していくのかというところまで想像が及ばなかったが、つまりそういうことだ。今後の人生の安定が全く保証されていないことが不安の根幹にあったと今ならわかる。
また、遺伝子に埋め込まれた心理の作用で父と離れてしまう寂しさもあった。上で述べたように暴力やモラハラなど酷いことをされてもなお、ごく一部の普通の人に近い振る舞いを思い出し父を受け入れようとしていた。
怒鳴るし嫌なことたくさんしてくれるけどこないだクレヨンくれたし…とか。
(そのクレヨンは5色入りで絵を描けるカラーバリエーションはなかったしパチンコの景品だと何年か後に母から教えられた)
小学校一年の途中で母の実家に姉と3人で住まわせてもらうことになり束の間の安堵を得た。
その後母は離婚を決意し私と姉にこう言った。
「お父さんと離婚する。離婚したら苗字が変わっちゃうけど、法律で離婚しても今の苗字を使えるの。あなたたちどうしたい?」
と聞かれた。
姉と私は当時小学校三年と一年。やはり意思などあってないようなもので言語化する力も乏しい。
私の姉もいやだというようなことを言った。
理由はただ単に変化を恐れてのことだった。片田舎だったため名字が途中で変われば離婚したと周りにバレてしまう。恥ずかしい。いじめられるかも知れない。
みんなが持っている両親の揃った家庭を失っている時点で惨めなのに、惨めが可視化されることに耐えられなかった。
もちろん母の実家住まいという時点で大人からはお察しではあるが、子どもの狭いコミュニティでは名字が変わったことが決定打となる。
そしてこれは完全に子ども特有の理不尽なわがままなので理解し難いかもしれないが聞いて欲しい。
この時私は母に名字を旧姓に戻したい理由を述べて説得して欲しかったのだ。
悩んでいるが故に父のことしか見ていなかった母がやっとこちらを向いてくれるようになった。やっとかまってもらえる。うれしい。そういう気持ちだった。
しかし、共依存でハラスメントを受けやすい人間特有の自分の意志のなさで母はすんなりOKしてしまった。
(のちにわかることだが母は重要な決断を他人に仰ぎ、何か不都合なことが起こると他人のせいにするという女だった)
話は最初に戻る。
ねほりんぱほりんに出演していた女性は子どもの「離婚して欲しくない」という言葉に動揺しているようだがはたしてそれは子どもたちの本心なのか。
この場合、子どもの言葉を理由に楽な方へズルズルと行き離婚しないまま生涯を過ごすのかも知れない。わからない。
(楽な方というのは離婚は疲れるのでダメになっている人ほど決断できないという意味で使った)
もし同じように離婚しないで欲しいと言われている人がいたら、子どもの言葉を鵜呑みにするのではなくいま一度自分の頭で考え客観的な判断を下して欲しい。
そしてまた、あらゆる不安に苛まれ打ち明けられる人もおらず、言語化もできない子どもがかつて存在したことをできれば忘れないで欲しい。
以下は余談。
父の苗字は画数が多い上に書きづらい。私の名前は父が考えたものでやはり画数がとても多い。あれから30年近く経つが何かにサインをするたびに父のこと、受けた暴力、離婚後の貧困生活などを思い出す。
母は「あんたたちが苗字変えたくないって言うから変えなかったのよ、お母さんは変えたかったのに」と未だに何度も吐き捨てるように言う。
姉との仲は悪くなくごく普通といった関係だ。だが当時も、大人になった今も父の暴力や離婚後のつらさについて考えを分かち合ったことはない。
父が家で暴れ母に部屋に戻りなさいと言われ、二人で一枚の布団をかぶり息を殺していた時も私たちは何も話さなかった。
子どもの頃はクラス名簿に住所・電話番号と並んで両親の名前も書いて配られていた時代で「片親」(という言葉が当時あった)と面と向かって言われることもあった。
フィットネスクラブと言うのかフィットネスジムと言うのかフィットネススタジオと言うのか。
どれが正しい名称なのか、それぞれ何か違いがあるのか知らん。
が、この類の施設がやたらと増えてる。
ロードサイドの空き店舗やパワーセンターの空きテナント、改装が始まったと思ったらフィットネスになってる。
ライザップの成功を扱う記事ははてブで見かけたが、フィットネス全般の流行について扱った記事、ホッテントリで見た記憶がない。
急増の理由はなんなのか?
ざっとググってみると、
・夜間はスタッフ不在で24時間営業する業態の開発により若者の利用が増加
・SNS映えする体作りのために
あたりが理由らしい。
が、いまいちピンと来なかった。
改装のためにしばらく休業してた。
DVDレンタルと本のコーナーは縮小され、フィットネスなんたらが新設されてた。
そういうことかと納得いった。
本はネット通販や電子書籍、DVDレンタルはストリーミング配信にやられてるし。
運動や食事のメニュー作ってチェックしてもらうだけならネットでも出来るだろうけど。
ごきょうだいで来てくれて良かったと思うことは
ふたりでずっと遊んでくれることだ。
時には猫じゃらしやボール投げで参加を許して貰うのだが
その際もごきょうだいで探索されている。
何か異常を感じると、ふたりでダッタカダッタカと居間まで走って戻ってくる。
愉快そうだ。
わざわざ足元で小ネズミおもちゃで戯れてみたり、ソファーでプロレスしたり
アピールにあざとい所も見ていて退屈しない。
ホットカーペットを買ってあげないと。
下記ねほりんぱほりんの児童虐待回まとめを読み自分のことを書く。
https://togetter.com/li/1438906
私はこの家とほぼ同じ環境で育った。結論から言うと小学校二年の時に両親は離婚した。そこに至るまでの話をする。
母は結婚した時から父の暴力やモラハラを受けてきた。そしてセオリー通り貧困の中子どもを産んだ。
そのうち父はギャンブル三昧になり家に帰らないことが多くなったが、帰ってくると服のたたみ方が雑などイチャモンをつけ暴れるようになった。
これは別居する少し前の話。
姉と私は当時小学校二年と幼稚園年長。意思などあってないようなものだ。
ただ単に不安だったからだ。そして離婚した後の生活が何も見えておらず、安心が約束されていなかったからだ。
暴力を振るい気に入らなければ家でも外出先でも暴れ、大声で怒鳴る父を好きなわけはない。もちろんそんな生活から離れたかった。
ただ、離婚したらどうなるのかわからない不安の方が大きかっただけだ。
母は職歴などないに等しく妊娠を期にパートを辞め専業主婦になっていた。
子どもの私は言語化できる範囲が狭かったため、どうやって母ひとりでお金を得て家庭を保守・運用していくのかというところまで想像が及ばなかったが、つまりそういうことだ。今後の人生の安定が全く保証されていないことが不安の根幹にあったと今ならわかる。
また、遺伝子に埋め込まれた心理の作用で父と離れてしまう寂しさもあった。上で述べたように暴力やモラハラなど酷いことをされてもなお、ごく一部の普通の人に近い振る舞いを思い出し父を受け入れようとしていた。
怒鳴るし嫌なことたくさんしてくれるけどこないだクレヨンくれたし…とか。
(そのクレヨンは5色入りで絵を描けるカラーバリエーションはなかったしパチンコの景品だと何年か後に母から教えられた)
小学校一年の途中で母の実家に姉と3人で住まわせてもらうことになり束の間の安堵を得た。
その後母は離婚を決意し私と姉にこう言った。
「お父さんと離婚する。離婚したら苗字が変わっちゃうけど、法律で離婚しても今の苗字を使えるの。あなたたちどうしたい?」
と聞かれた。
姉と私は当時小学校三年と一年。やはり意思などあってないようなもので言語化する力も乏しい。
私の姉もいやだというようなことを言った。
理由はただ単に変化を恐れてのことだった。片田舎だったため名字が途中で変われば離婚したと周りにバレてしまう。恥ずかしい。いじめられるかも知れない。
みんなが持っている両親の揃った家庭を失っている時点で惨めなのに、惨めが可視化されることに耐えられなかった。
もちろん母の実家住まいという時点で大人からはお察しではあるが、子どもの狭いコミュニティでは名字が変わったことが決定打となる。
そしてこれは完全に子ども特有の理不尽なわがままなので理解し難いかもしれないが聞いて欲しい。
この時私は母に名字を旧姓に戻したい理由を述べて説得して欲しかったのだ。
悩んでいるが故に父のことしか見ていなかった母がやっとこちらを向いてくれるようになった。やっとかまってもらえる。うれしい。そういう気持ちだった。
しかし、共依存でハラスメントを受けやすい人間特有の自分の意志のなさで母はすんなりOKしてしまった。
(のちにわかることだが母は重要な決断を他人に仰ぎ、何か不都合なことが起こると他人のせいにするという女だった)
話は最初に戻る。
ねほりんぱほりんに出演していた女性は子どもの「離婚して欲しくない」という言葉に動揺しているようだがはたしてそれは子どもたちの本心なのか。
この場合、子どもの言葉を理由に楽な方へズルズルと行き離婚しないまま生涯を過ごすのかも知れない。わからない。
(楽な方というのは離婚は疲れるのでダメになっている人ほど決断できないという意味で使った)
もし同じように離婚しないで欲しいと言われている人がいたら、子どもの言葉を鵜呑みにするのではなくいま一度自分の頭で考え客観的な判断を下して欲しい。
そしてまた、あらゆる不安に苛まれ打ち明けられる人もおらず、言語化もできない子どもがかつて存在したことをできれば忘れないで欲しい。
以下は余談。
父の苗字は画数が多い上に書きづらい。私の名前は父が考えたものでやはり画数がとても多い。あれから30年近く経つが何かにサインをするたびに父のこと、受けた暴力、離婚後の貧困生活などを思い出す。
母は「あんたたちが苗字変えたくないって言うから変えなかったのよ、お母さんは変えたかったのに」と未だに何度も吐き捨てるように言う。
姉との仲は悪くなくごく普通といった関係だ。だが当時も、大人になった今も父の暴力や離婚後のつらさについて考えを分かち合ったことはない。
父が家で暴れ母に部屋に戻りなさいと言われ、二人で一枚の布団をかぶり息を殺していた時も私たちは何も話さなかった。
子どもの頃はクラス名簿に住所・電話番号と並んで両親の名前も書いて配られていた時代で「片親」(という言葉が当時あった)と面と向かって言われることもあった。