はてなキーワード: ポカリとは
近所の朝市に行ってみたら案外よかったというレポ。
増田:20代女 就職を機に西日本の田舎を出て、関東の田舎?都市?に移住して3年目。
きっかけ:コロナで帰省できない代わりにこっちのものをお中元として送ると家族に安請け合いしたものの、名産も何も知らないことに気づく。「〇〇市の名所は?名物は?出身芸能人は?調べてみました!」みたいなサイトを見ていると、自宅から程近い場所で朝市が開かれていると判明。特産品も売っているだろうと思い行ってみることにした。
概観:商品を長机に並べた出店が20前後並び、どこもそれなりに賑わっている。客は常時100人くらいで、その回転サイクルは早い。客層は主婦のおばちゃん〜おばあちゃんがメインだが、小学生くらいの子供連れや一人で来ているおじさんもいた。
出店:野菜農家が全体の半分、豆腐業2、その他パン・果物・生麺etc。出来上がった料理を売る店は少ない。あと運営が無料でポカリを配っていた。
買ったもの:きゅうり、みょうが、パン、惣菜(かぼちゃの煮物)、絹豆腐、カレー、スイカ1/4玉 計2000円ちょっと
感想:
行く前は「農家がくず野菜を安値で売っていてコスパがいいのかな?」くらいのふんわり失礼なイメージを持っていたが、増田が一人暮らしであること・普段利用しているのが激安スーパーであることから、然程お得感はないというのが正直な感想だ。
まず、販売者=生産者ということは、この商品を一番食べているのも売り子である可能性が高い。そういう人が教えてくれる食べ方とか、もう絶対美味しいに決まっている。クックパッドより余程信頼できる。
目の前で捌かれるのを見るのもいい。生憎海から遠いためマグロの解体なんかはないが、スイカが瑞々しすぎて汁が滴るどころか吹き出ているのを見てうっかり1/4玉買ってしまった。実はスイカはあまり好きではないのに。衝動買いである。
また、ちょっと驚いたのが、商品をぼんやり眺めていた私にレジに並ぶ知らない人が「ここの〇〇美味しいですよ」と教えてくれたことだ。客同士のコミュニケーション。孤独死予備軍のぼっちにとっては衝撃だった。だって、普段利用している大型スーパー・ドラッグストア・コンビニではまず発生しないイベントだ。なんだか地域社会に溶け込めたような気分になれて嬉しかった。「アッハイ…ソッスカ…ハハッ」などとコミュ障丸出しの返答しかできなかった自分はクソ。
最後に:
この文章を書いて気づいたが、そもそもの目的である家族に送るための特産品をまったく買えていない。仕方ないので今度は地元の名産を扱っているアンテナショップとやらに行ってみようと思う。仕方ない、いや、正直楽しみだ。ただ住んで生活してあるだけでは気づけない楽しいことや美味しいものが実はたくさん存在していて、私は今日、そのうちの一つを見つけられたのかもしれない。ある意味コロナ禍による移動制限のお陰だ。もし私と同じくコロナのせいで暇を持て余し、とはいえ遠出するのも憚れる人がいたら、朝市などの近場の催しを調べてみるのもいいのではないかと思う。
スイカ、甘くてめちゃめちゃ美味しい。
スポーツをやっている子供のために母親がそのスポーツ飲料を用意して応援しているCM。バックで女性(母親?)の声でがFunny Bunnyを歌うのが入っているのを聞くと辛い。
「君の夢が叶うのは、誰かのおかげじゃないぜ」ってやつ。
私自身、夢を叶えた人間だと思う。そして親からは、いかに親が私に尽くしてきたか、いかに恵まれた環境を私に与えてきたか、私のような足りない人間を支えるのかいかに大変なことかを事あるごとに言って聞かせられてきた。私だっていろいろ諦めて捨てて努力したはずだ。だけど私は自分を認められないでインポスター症候群に長年悩まされてきた。数年前には双極性障害と診断された。病院通いもして、カウンセリングを受けて、親との連絡を最小限にして、やっと少しだけ落ち着いて考えられるようになった。今は親に感謝はすべき点は感謝している。
「子供の夢が叶うのは親が支えたお陰」なんていう物語は世間に溢れかえっている。むしろ美談として好まれてすらいる。
例のCMは、「君の夢が叶うのは、誰かのおかげじゃないぜ」とか歌いながら、親がいかに子供を支えているかが強調されていてその矛盾に吐き気がする。メーカーは、どうせ財布を出すのは子供じゃなくて親だから親の気分を良くさせたいだけなんだろう。
ポカリ買おうっと。
めちゃくちゃ大きい駅?あるいは空港?の中にいた。ひとけはなくガランとしていて、全てが黄土色みたいな鈍い色の金属で出来ていたけど、建築自体は近代的でとにかく沢山のエスカレーターがあった。
エスカレーターを登っていくと、最初は駅ビルチックにオシャレなお店が入っているのだが、階層が上がるにつれて狭く、裏路地のような、倉庫か何かのような空間になっていく。徐々にエスカレーターの踊り場に物が放置されているようになり、得体の知らないガチャガチャマシンや掃除道具を掻き分けてドアを開けると駄菓子屋なんだか雑貨屋なんだかわからない怪しいお店がギッシリ並んだ通路に出る。
私はこのガチャガチャ、友達にあげたら喜ぶかもしれない。と思っているのだけれど、何が入っているのかは全くわからない。
ずっと登っていくと急に屋外に出た。巨大なコンクリートの塀しか見えない、埃っぽい道。その塀の一つに穴が空いているのを見つけて潜り込むと、中はだだっ広く、隕石が落ちていた。正確には地面にポカリと穴が空いていて、夢の中の私が「そうか、隕石が落ちたんだ」と思っていた。その穴は全く底が見えず、近寄るのは得策ではないな、と思って私はまた歩き出した。
塀の中には川も流れていて、川沿いの道は意外と綺麗に整備されていた。住宅街のようなものも見えたが、あまりにも遠くて陽炎っぽい。その歩道を歩いている時、誰かが向かいからやってきて、「溺れている人がいる」と言った。見ると確かに誰かが川で溺れている。川の水は泥水と言って差し支えないほど濁っていて、最初に見た時よりずっと川幅が広くなっていた。水量も増しているように見え、汚い白い泡がぐるぐると渦巻き状になっていた。
気づいたら私は川で溺れている人になっていた。それはちょっと酷くない?と思って、まあそういう時は起きちゃえばいいんだけどね、と夢の私が言ったので、私も目を覚ました。
もう書くことないしここみることもないです
仕事をやめてから寮も出て友達と2人、都内の端っこの方でルームシェアを始めた。これは小学校の同級生で、今も一緒に暮らしてる。
彼女は大卒で、就職を機に上京するというので私から話を持ちかけた。家電代浮くし、部屋探しやライフライン周りの手続き全部やるし、ってことで。
ぼんやりニートをして、中々バイトが決まらなくてめっちゃ苦労した記憶がある。給料はそんな良くないけど暮らしていければいいなー、っていうのでクリーニング屋さんでバイトを始めた。
めっちゃみんな優しくてびっくりした。おばちゃん3人と、年の近いお姉さんが1人。駅前にあるクリーニング屋なので今でもたまにあったりする。
その中にめちゃお上品な人が居て、何かと本当に気にかけてくれる。お菓子持ってきたよ~!とか、これお土産!お友達と食べて!とか。未だに道端で会うと「マックごちそうさせて!笑」とか言ってくれる。
常連のクレーマーとかいうよく分からん人に当たって苦労もあったけど凄く良い環境だった。労働時間も5時間ぐらいで短い代わりにたくさん出勤させてくれて稼がせてくれた。
多分おばちゃんたちからすると「有給使って休めるラッキー」くらいだったのかも。就活とかも大丈夫?とか、旦那の会社紹介しようか?って本当優しい人たちばかりに恵まれたいい環境だったなあ。
お盆休みも2週間くらいあった。初めて夏休みが出来た……って思ったくらい。大体半年ちょっと、クリーニング屋で働いてる間にそろそろ就活しよう!と思った。
バイト始めてからは仕事を覚えるので手一杯で、就活するような余裕が無かった。なので、落ち着いてきた秋ぐらい。生活の安定しないフリーターだと友達も不安だろうし、と思ってたまたま母親の紹介してくれた就職エージェント的な人に会った。
ふとフォロワーが「縁切り行けば?」と言ってくれたのを思い出してその日のうちに縁切りに行った。
行った縁切りは於岩稲荷陽運寺。お岩さんの階段で有名なとこ?らしい。縁切りと縁結び、両方あるってネットで見てこれは今の私に最適じゃ~んと思った。
そこで今までの悪縁全部切って、今月中に就職したいです!あと櫻井孝宏みたいな(声の)彼氏欲しいです!!ってお願いした。(櫻井孝宏の声に人生狂わされたオタクなので)
その効果があったのか分からないけど、縁切りに行った3日後に内定が出た。それが去年の10月末のことで、友達も自分のことみたいに喜んでくれた。
今までしたことなかったけど、決まった次の日が土曜日だったのでピザとか頼んじゃって、お酒冷やして、ハロプロのライブみて騒いだ。今までで一番うまい酒だった。
転職先はインフラ系IT企業。警備員だったときの基本給が14万だったので、多分17万くらいだろうな~と思って雇用契約書みたら21万って書いててひっくり返った。ドッヒャー!
研修中にCCNA取得して、12月中はなかなか常駐先が決まらず、月末頃にやっと決まった。その間は本社で研修のお手伝いとか電話番とかしてた。この時ぐらいにマッチングアプリで彼氏と出会ってお付き合いに至る。
なお、櫻井孝宏みたいな声ではぜんっぜんない。ただ、名前が「ささき たかひろ」という。名前に寄せろって言ってないんだけど~!?wwwwwwみんなもお岩さんにお願いするときは絶対ちゃんと細かく指定したほうが良い。
私のようなニアミスを起こす人が出ないことを祈ります。ただ彼氏お酒は苦手、タバコは吸わない、ギャンブルもしないっていう良い人なんでオッケーです。
年明けからは常夜勤、土日祝休みの超ホワイトな現場で働き始めた。最初は何が何だかよく分からん~ってなってたけど先輩は優しかったし、「僕もよく分かってないこと多いです」って言ってくれた。本当にこの言葉に助けられた……
初めての夜勤で最初は辛かったけど警備員時代の体力で普通に乗り切れた。仕事も慣れてきたら楽しいし、現場におじさんが多いのもあってお菓子とかよく貰った。優しくて厳しい人たちだった。
夜勤のうちは本当に良かった。満員電車に乗ることも無く、コロナが流行りだしてからも通勤があったけど人がさらに減ってラッキーぐらいに思ってた。でもコロナのせいで、夜勤で出来る仕事がなくなって日勤に移動になった。
それと同時に、現場の人は変わらないが場所だけ移転となった。今まで通っていた場所までは1時間だったのが、通勤に1時間半かかるようになった。
夜勤は広いフロアに20人しか居なかった。日勤は常にたくさんの人で溢れかえっていた。常にどこかピリピリした空気が漂っていて、人多いな~、嫌な感じだな~くらいだった。
通勤の時も満員ほどではないけどほぼ満席、それでも毎日座ることは出来てた。日勤になってから、徐々に徐々に、自分でも気付かないうちにストレスが溜まってたのかもしれない。
日勤に移動したところで仕事はほぼ無く、暇な時間を過ごすことが多かった。何もやることも、出来ることもなかった。
この頃からなんとなく自分の体調がおかしいことに気付いてた。なんとなく落ち込んで、イライラしてしまう。生理前だからだろ、って勝手に解釈して片付けてた。
食事を摂らなくなって、早朝覚醒が多くなったのはこのへんからだと思う。
これが、5月20日頃の話。
私の心と体のバランスが完全に取れなくなったのは緊急事態宣言解除後からだったと思う。
今までにないくらいの満員電車、職場の人の多さ。思い返してみると6月中はずっとピリピリして彼氏に当たり散らしてた。先月までの私は口を開けば愚痴ばかりの女で、何をきっかけに怒るか分からない。そういうヤバい人だった。
コロナの中での通勤、3密を避けられない満員電車、新しい場所の現場、常にピリついた雰囲気、人の多さ。これが私のストレス源になってたんだと思う。
6月10日の夜。
気が付いたら自宅のベランダ、3階から飛び降りていた。幸いなことに怪我は打撲と切り傷しかなかった。痛くて涙が出て、その時に「もしかして私は限界なのでは?」と思った。もしかしなくても限界である。気付けバカ、と過去の自分に言いたい。
痛い……って思いながら階段登って家に帰った。次の日、寝て起きて普通に出勤した。今思えば普通に病院行けって感じだけど、とにかく私は出勤しなきゃと思った。
そこで初めて飛び降りたことは伏せて「気持ちの具合が悪い」的な感じで先輩に相談すると「早めに医者には行くほうがいい」と言われる。先輩も前の会社をメンタル病んで辞めた人だった。
日勤はやることが殆ど無かったし、そういう日は先輩に時々相談したり、LINEの自殺相談チャットとか、自殺相談の電話とかを週に2、3回してた。
6月10日の週や、その前の週は「私は何もしてないのに周りは仕事をしている」。というので落ち込んでた。勝手に周りと比較して、勝手に会社の中で泣きそうだった。
15日以降は通勤の電車の中で泣きそうになった。「この人達は今から出勤して働くんだ、なのに私は今日出勤しても何もやることない。その上通勤するだけでもう泣きそう、なんてダメなんだろう」って思った。
確か出勤したのは17、19の2日間だけ。あとは休んだ。休んでしまう罪悪感で押し潰されそうだった。夜中、車や大雨の音が怖くて怖くてたまらなかった。
22日はコロナの抗体検査を受けるように、と言われて抗体検査の会場に会社の人たちと向かった。昼からだったので午前休を取って、会場に行った。
自宅で玄関を開けるだけで手が震えて、最寄り駅に行くまでの間で泣きそうになった。すれ違う人が怖かった。行かなきゃ、使命感みたいな義務感で向かった。
その会場がよくなかったのかもしれない。今まで行ったことがない場所で、たくさん人が居た。検査結果はオール陰性で、これから会社に行こう、って向かう駅の改札前で具合が悪くなった。
突然目の前が真っ暗になるって感じかもしれない。フラフラして、しゃがみこんだ。すぐに駅員さんが椅子持ってきてくれて、先輩がポカリ買ってきてくれた。
流石に改札前じゃ目立つ、って思って駅のホームの椅子に座って、半泣きで先輩に色々話した。
先輩が教えてくれたのは「いい意味で休んでも大丈夫。休んでも今みんな暇だから代わりにやってくれる人はたくさんいるし、みんなやりたがる。だから一度休んだほうがいい」。
その先輩は色々限界な人だったらしく、一時期生活保護貰って生活してたこともある、生きてたらなんとでもなる、と言ってくれた。出会って半年くらいの小娘にここまでいろんなことを教えてくれるいい人だった。
やっと自分が限界なのを悟って休職に踏み切った。心療内科に電話して、予約を取って、人生二度目の医者にかかった。
最初に看護師さんとカウンセリングをした。その時今ここに書いてあるようなことを喋った。生育歴、というらしい。
カウンセラーさんには「うーん、親離れが出来てないのかも?」と言われてめちゃくちゃ衝撃を受けた。
私は今までの人生、母親の言うことは絶対だと思って生きてきた。何なら今もそう思ってる節はあるかもしれない。
お母さんが言うから女子より男子の多い学校に行って、お母さんが言うからAOで入れる学費の安い専門に入って、お母さんが言うから仕事を社員寮のある場所にして、お母さんが言うから前の会社を辞めた。
私は無意識にそういう話し方をしていたらしくて、自分でも無意識のうちに、母親の言うことにずっと従ってたらしい。あまりの衝撃に呆然とした。待合室でぼんやりしてた。
他にもいくつか心理テストみたいなものも行った。自分の思ってるものに近いものに丸をつけましょう、みたいなやつ。
その後の診察でお医者さんに言われたのが、「まあ、いわゆるうつ病ですね」だった。自分でも「ですよね」って思った。多分、ホッとした。
心理テストの結果で点数が出るらしい。その数値は「平均的なうつ病」らしい。平均的なうつ病、有る種のパワーワードだなと言うのが率直な感想だった。
そして、休むことに対する罪悪感が大きい、と告げれば「うつ病の一種に過剰な罪責感って項目があるのね。だから病気のせいだよ」と言われた。それと同時に、「多分あなたの場合はお母さんからの言葉があるのかも」と言われハッとした。
「休むことはサボり」という価値観は、母親に植え付けられたものだった。職場にいるのに仕事をしない=サボってる状態、と無意識に解釈してたのかもしれない。それで疲れていたのもあったのかも。
元々うつ病の素質(警備員時代)があったこと、環境の変化がストレスに繋がりやすいタイプなこと。今回は後者がきっかけで表に出てきたんだろうね、と丁寧に図を使って色々説明してくれて、休職の診断書を書いてくれた。
私に言い渡されたのは3ヶ月間の自宅療養だ。
会社の人とオンラインでの面談なんかを済ませ、なんだかんだ休職して1ヶ月近くが経過する。
一緒に住んでる友達は「お父さんがうつで休んでた事あるし、私は私で生きてるから大丈夫。今はめっちゃ休んだらいいぞ」と言われた。理解の有る友達で一生大事にしたい。
最初の1週間は何したらいいんだ…?って凄い焦ってたし、休むことに対する罪悪感が大きかった。
でも、彼氏や友達、お医者さんにも「休むことは権利として存在してる。そうじゃなかったら公休以外の有給や祝日は存在しない」と言われた。
そしてお医者さんには「休まなきゃ人間は病む」と言われた。医者が言うならそうなんだな!って思える単純な脳みそで良かった。
薬のおかげもあってか、死にたいとか思うことは無くなった。段々夜も眠れるようになった。外に出るのが苦にならなくなった。休んでも良いんだと思えるようになった。
何より説得力があったのは「警備員時代に休めなかった分休むと思えばいいんじゃない?」という彼氏の言葉だ。月3、4休みの1年半。3ヶ月休んでも多分足りないんだよな~!
今は買い物に出るぐらいは出来る。ただ、人が多いとパニック状態になってしまうのでオフピークや、パニクったら一人になれる場所に行く、とかで対策してる。
外で店員さんと話すのとかはちょっとまだ不安なことが多いけど一時期よりは随分マシになった。
当面の課題は電車に乗れるようになる、あとは選択肢が多すぎるとパニックになるのを克服する。この2つかな、と思う。
徐々にだけど良くなってきたので無理せず今はやりたいことをやって行こうと思う。
最後にこんなアホ長文読んでいただいてありがとうございます。何かの役に立てば幸いです。
まさか、自分がなるとは思っておらず、「これは熱中症じゃなくて食中毒なのでは?」と疑ったほど。
先ほど病院で点滴を打ってもらってから、どうにか回復し、まっすぐ歩けるようになった。
以下、昨日の状況を羅列する。
・不織布マスク着用。ただし、半そでのオフィスカジュアルで、デスクに小型扇風機を置いていた。一日中稼働。
・昨日はクーラーがついてない(ついていたかもだが、温度が高かった?)せいで暑くはあった。ただ扇風機のおかげで腕は寒いほど冷えていた。
・朝昼晩は食べていた。水筒もコーヒーと水をそれぞれ持参。時々、おかきやせんべいなどのしょっぱいお菓子を食べていた。
・通勤は駅から駅の間に徒歩十分と、オフィスまで徒歩十分歩く程度。人が少ないときはマスクをずらしていた。
人並みには暑さ対策を取っていたにも関わらず、昨日の帰宅時に駅のトイレで嘔吐。酷い倦怠感に襲われ、自宅でポカリなどを飲んでもめまいや倦怠感、吐き気が
収まらなくなった。
今日の朝も気分が悪かったため、会社を休んで病院へ行くと「熱中症ですね~」とのこと。
なお、私の隣の席の男の子も昨日は早退し、今日熱中症と判明していた。
主に職場でクーラーがついていないことが要因ではあるとは思うが、だとしても、周りも「少し暑いね~」と言う程度だった。
自分は体力がないほうじゃなく、着ぐるみバイトや、炎天下でティッシュ配りなどのイベントスタッフとして働いていたので、暑さに強いほうだと自負していた。
すでに熱中症で搬送された患者が例年以上にいるという、来月からどうなるのだろう、このままじゃ熱中症で死ぬんじゃないか、と不安を抱えて日々を過ごすことになるかもしれない。
えー、初めまして。年齢はそこそこ。結婚する気はない人種です。
まず最初に、今ある仕事をやめて視野を広げたいと言うので、こちらにきてはどうかと提案しました。彼女は地方で私はどちらかといえば都会の方です。
1回目の面接を落ち、2回目の面接で見事就職が決まりました。さて、住む場所をどうしよう?私は(今となっては最大な誤算であったが)彼女は気配りもでき、年上の私をリスペクト(同じブランドの服を買ったりなど)してくれる子でしたので、彼女を我が家にすまわせる事にしました。
我が家は1LDK、はっきりと言って家賃としては高いです。そして彼女は就職前にこちらへ引越し、無職の間は私が家賃、光熱費等を全て負担いたしました。
ここで引越しの件。もしあなたが自分の愛娘を他所様のお家に預けるとして、一体何をするでしょうか?私であれば菓子折など、もしくは夕飯を御馳走したりなど、少しでも感謝を伝えたいと思います。
そしてそれは一切ありませんでした。彼女は私のベッドで寝て、引越しを手伝った父親は来客用の布団で寝、私はソファーで寝ました。
そして彼女がやっと仕事を始め、家賃として渡されたのは総額の3分の1でした。
それは構わないです。それぞれ給料が違いますから、でも何も相談なしに3分の1はおかしいと思いました。私であれば半分は行かずとも、4割は払いたいと思います。だってすまわせて貰っている状況ですから。
さておき、ここから彼女の態度が一変していきます。まず家に帰れば部屋が真っ暗で寝室を占拠している。
休みは別なので、私は土曜、それこそ家事に勤しみました。掃除機をかけたりトイレ掃除など、しかし共通の休みである日曜日、彼女はまだ寝室を占拠。
彼女曰く、私が10であるならば己は2であるとのこと。納得いかないままも、私は元気が有り余っているので笑 それでいいと承諾しました。
体調が悪い時はポカリなどを買って帰り、簡易湯たんぽなどを作り彼女を解放したこともあります。
逆に私が生理痛で布団に横になっているとき、30分ほど経ってようやく小さな湯たんぽを投げてきました。
そして半年が過ぎ。我が家のヒエラルキーは彼女が握っていました。
私は給料が不安定な職業でしたので、彼女に4割を負担してくれないかと頼みました。そして給料日、彼女が渡してきたのは3割でした。「いや、4割だって言ったよね」と言うと彼女は渋々残りを渡してきました。
そしてその月に私は自分のスニーカーが少しボロボロになっていたので、ネットショッピングで割引になっていたものを注文しました(ナ●キです)
元々厳つめのハイカットが好きな上に、セール価格で買えて有頂天の私に彼女は言いました「増やした家賃で靴を買ったように思える」
いや、それ関係ねーから。そもそも私が多く負担しているの気づいていますでしょうか?水道代、電気代、NHKの支払い。その他もろもろ。
そして体調が安定したのか、彼女は毎晩モンスターをハンターするゲームに夢中でした。私もそれを買っていたため、一緒にやりたいと言っても四人集まっているから無理。まれに参加できても、その防具でよく行こうと思ったね。など、ライトユーザーを無碍にしました。
そうしたら彼女と、共通の友人である二人から責められました。何がしたいのかわからない。
私はただ、これ以上面倒な事になるなら、卒業すればいいと思ったための行動でした。
そして共通の友人(Aとしておきましょう)は酷く怒り、私の弁解を聞く気もなく。Aとは10年の付き合いです。さすがに勿体ない、と思い彼女に仲裁を頼む事にしました。
そして仲裁を実行されたのが彼女がAの家に泊まりに行った時です。どう考えても公平ではない。人間、側にいるものに対してそちら側に夜のは当たり前です。
そうして私は10年友人であったAと切れました。
そして「側にいるもの〜」に対して友人に指摘した時彼女は「私は中立である。そうできている」と言いました。いやいやおかしーだろうがよ笑
これから彼女の行動はエスカレートしていきます。毎日ゲームをし、それこそ大声でボイスチャットです。家主の私は静かにダイニングテーブルでイヤホンを挿し、youtubeなどを聞いて過ごしました。
たまに、同じ趣味であるバラエティを一緒に観よう?と誘ってみてもゲームやるから観ない。とのこと。
そしてようやく彼女が新居を見つけたと言う時、引越し前だと言うのにやはり大声でゲームをしていました。
(余談ですが、彼女の具合が悪い時や寝ている時は部屋を暗くし、イヤホンでゲームなどをしていましたが、逆に私の具合が悪い時、彼女は大声で2時まで電話をしたり明かりをつけっぱなしで遊んでいました)
私はSwitchを買ったと言う距離の離れた友達と、やっとあつ森ができると言うので、ラインで会話をしながら久しぶりだね!などと話していました。そうすると友人は立ち上がり、うるさいと述べ、イヤホンをしろと要求してきました。
友達はそれに遺憾し怒っていましたが、仕方なくイヤホンをし、二人で島生活を楽しみました。
この時点でヒエラルキーの頂点は彼女です。周りは私が優しいばかりに…と慰めてくれました。付け上がらせる要因があったのは仕方ないと思っています。
そして彼女が家を出て行った後。(なぜか大量の燃えるゴミを処分させられたのは言うまでもありませんが、甘えんなよ)
私はふと、家賃で靴を買ったと言うことを他の誰にも言わないように、と思いました。
何分、誰しもそんなことを言われればかなり腹が立ちます。私は言われた時に聞こえていないフリをしましたが、もし他人であれば大喧嘩になること間違いない上に、彼女の質さえ下げない言葉です。
今思えばこの考えは浅はかだったかもしれません。
その旨をラインで送り、帰ってきた言葉は論点がずれている、だの物事を歪曲されて捕らえられるの嫌なの、など。
まずこの時点で私の忠告を聞く気がないのがわかりました。私は冷静に説明をしますが、彼女はバーサーカーモードで一切こちらの話を聞きません。
私の善意はただのお節介だったようで、全く響かず、向こうが先にこんな事に時間を割いてられないと放棄しました。
(ちなみに、心療内科の先生に見せたところ、向こうの論点が外れまくっているとのことでした)
こちらの話も聞かない。忠告を忠告と受け取らない。何か言えば屁理屈で帰ってくる。そもそも会話が成り立たない。
と、言うわけで、私は彼女に最終宣告をしました。お前とは一緒に酒を飲むような仲になっても不快だよ。と
いや〜〜〜すっきりしました。その後Twitterで「人の話を曲解しまくって悲劇ヒロインぶって最後には同族しか残らない」
好意でパスタソースを引越し前に渡したら「私もいらないパスタソースでただのゴミ」といっていたそうです。私はともかく食べ物にゴミはねえだろ。
半年以上、彼女に気を配り少しでも楽になればと手助けしていた私の好意は一瞬で無駄になりました。
はい、と言うわけで、猫被りちゃんが同棲してみたらクソ野郎だった話でした。
(ちなみに、友人からはそれDVだよ。と言われ…これがDVかあ…と、DV処女を卒業した事に気づいたのはそれから少し経ってのことでした笑)
やっほ〜!皆さんこんにちは!!
私ですか?
いやね、昨日ちょっと飲みすぎたんですよ。
結論から言うと「好きな人にフラれようとしたのにそうしてもらえなかった」んですね。
彼のことは便宜上Aと呼びましょうか。
で、私その間2年間遠方に住んでたんですね。
その間に結婚まで考えた彼氏ができたりしたんですけど。色々あって破談になったり。
彼氏がいた期間中も駄目だなーと思いつつ、うっすらAのことは好きでした。
まぁAはAでその頃には彼女ができてたんで、一生懸命考えないようにしてたんですけど。
(戻ってくる前に2週間ホテルで過ごしたりして対策しました。念の為。)
実家に帰ってきてから2ヶ月くらい不要不急の外出をせずにいました。
あつ森やったりリングフィットアドベンチャーやったり資格試験受けたり。
でもやっぱり家族以外の人間にほとんど会わずにいると人恋しくなるもんで。
友人にそう話したら「マッチングアプリで彼氏探したら?」と言われたんです。
その友人もマッチングアプリで出会った彼とよろしくやっているそうで。幸せになれよ。
まぁ私も29だし?男の一人や二人作ってそろそろ結婚すっか〜?
かーっ出会ったキッカケがマッチングアプリって親はどんな顔すんだろうなー!つって、
完全に良い男見つける気満々だったんですよ。
実際何人かとはメッセージのやり取りをしたり電話したりもしました。
でもねー、どんな人と話してこの人だったらどんなところにデート行ってーとか考えてても、
それに気づいたとき、こう思ったんですね。
「これはもう1回Aにフラれないと駄目なんだ」って。
もう1回っていうのはお互いフリーだった時期に1度告白して玉砕してるからなんですけど。
Aが彼女と別れて私を選んでくれるなんてことは1ミリも期待していませんでした。
彼女さんのことを私は知らないけど、お互いを選んで一緒になったということには間違いないでしょうから。
だけど、自分の中の恋心に蹴りをつけないと前に進めないなと思って。
だからAにとどめを刺してもらわないといけないと思ったんです。
Aとは住まいがそんなに離れていないので、
色々落ち着いたら飲みに行きたいねーって話したりしてたんですけど。
それが昨日だったんですね。
私が勉強していた資格試験が終わったのと、そろそろ外食もご時世的にはセーフになったかなということで。
(一応店は換気のシステムがしっかりしているところを選びました)
この日のために通販しまくったコスメで自分を可愛くしていきながら、
終わりを迎えようとしているカップルの、それでも彼を繋ぎ止めようと健気に努力した女性を描いた素敵な歌。
私も「自分でできるいちばんかわいいわたし」になって会いに行こう、それで全部終わらせようと思いながら化粧をしました。
で、Aと会って、しこたま飲んで、2年分色々話して、楽しい時間を過ごして、
帰り際、「改めてだけど、お帰り」って言ってハグしてこようとしたんですよ。
そういうことをサラッとしちゃう人なんですよね。好き。
思い出せ、夜な夜な布団の中でフラれるための言葉をイメトレしたことを!
こんなことをお願いするのは申し訳ないんだけど、もう1度フッてください。
そしたら黙っちゃって。すごく悩みながら。
「1ヶ月待ってくれない?」
もう、もうね、私は完全にフラれることしか考えてなかったんです。
あとは天地がひっくり返ってもありえないだろうけど、彼女とは別れるから付き合おうって言われるとか。
でも答えはそのどちらでもなくて。ていうか1ヶ月って長くない??
いや私も普通に言いましたけどね。「1ヶ月は長いよ!」つって。素で。
でもAは自分の主張を曲げなかったんで、私がとりあえず折れて。
1ヶ月待つことになりました。何を?
終バスなんてとっくに過ぎてしまっていたので歩きで家に帰って。
もう何もわからなくなって、だって決死の覚悟が肩透かし食らったわけですからね?
しかもニートの1ヶ月を舐めてはいけません。1ヶ月なんて永遠みたいなもんですよ。
だからヤケになっちゃって、道すがらコンビニで缶チューハイを買って飲みながら歩いて。
それを飲み干した頃に2件目のコンビニでもう1本買って。
どちらも度数9%のストロング系チューハイ。意味分かんないくらい飲みやすくて。
それがマズかった。
自室の床で倒れてたんですけど。あー気付いたら寝てたなー気持ち悪いーっつって。
とりあえず来てた服を脱いで寝直そうと思って履いてたジーンズに手をかけたら。
濡れてたんですね。しっとりと、でも全体的に。
あ、私おしっこ漏らしたわ。
真っ暗な部屋の中で。
立ったまま。
「あああ〜おばあちゃんごめん〜!!」って思いながら。
祖母も自分が寝ている隣の部屋で29にもなった孫娘がおしっこ漏らしてるとは思いもしないでしょう。マジでごめん。
部屋にかけてあった無実のTシャツが自分の下敷きになってました。
いやこのTシャツまだ買ったばっかりのヤツ〜!ていうか着てた服がそもそもAと会うのに備えて新しく買ったヤツ〜!!
などと思いつつも、その時点で強烈な気持ち悪さに襲われていたので、
とりあえず服を脱いで適当な部屋着に着替えて寝直しました。汚い?分かっとるわ。
数時間後に目覚めて、めちゃくちゃに吐いて、またしばらく動けなくて、
「孫の二日酔いの世話をすることになるとはねぇ」って笑われたりしたんですけど。
一緒に笑いつつ「ごめんね、孫は夜中におしっこ漏らしてその汚れた服の片付けもできてないんだよ…」
「いま部屋に戻ればそこにあるのは”最悪”を絵に描いたような状況なんだよ…」と後ろめたく思っていました。
さすがにおしっこまみれの服を祖母に片付けさせることはできなかったので、
ある程度回復してからこっそり自分で洗濯しました。床も除菌しました。
勝負服は白いシャツワンピだったんですけど、Tシャツのインクが色移りしてたんでちょっと泣きました。
とりあえず「ヤケになってる時にストロング系チューハイなんて飲むもんじゃない」という知見が得られました。
俺も糖尿病一歩手前だよ警告で10キロ落としたけどめっちゃ苦しかった
俺はちょうどその頃大好きな子に振られてしまい、いい感じで食欲とかわかなくてそういうのを利用してダイエットしてた
朝はサラダのみ、昼はささみとか乗ってるサラダ+おにぎり+あと何かおかず、夜はポカリだけ、1日1時間膝を壊さないようにゆっくりジョギングやってた
10キロ落とすのがだいたい半年くらいかかってたんだけど、半年もたつと失恋の痛みとかすっかりなくなるので
一応定期健診ではこの数値を維持できるなら健康の範囲ですよと言ってもらえたのもあってなんとか維持を保つようにはしてるが食欲との戦いは続いてる・・・