はてなキーワード: 鉢合わせとは
自分がすごいめんどくさい人間であると自覚はしているけども、書きたくなっったので書く。
今乗ってる自動車(日産の軽・中古)がそろそろガタついてきたので買い替えようかという時期に来たのだけれど、
たまたまこの時期に、乗ってる車のリコールが来たので日産に電話した。
その後20分くらい、そろそろ車を買い替える時期ですよ、の説明
その後30分くらい、興味アル車はなんですか~?という話が続いて、
しつこいなーめんどいなーと思いながらも、話が進まないので適当に答えて、
で、興味ある車の話をしたら、「じゃあそのうちカタログ持って行きますね」ブツッで切れた。
おい・・・と思いつつ面倒なので後日修理の予約するかーと思っていたら、
次の日の朝8:30に唯一住所教えてる実家に、大量のカタログもって営業が凸。
親に、「ゴミ出ししようとすっぴんで外出たら営業の人と鉢合わせしたわー、あの人なんなん?」
とちょっと切れ気味に言われたので、かなりしつこく押しつけて言った模様。
その後週2ペースで16:30とかに電話くるようになったので、
平日は18:00まで定時じゃゴラァしたら、「うちも定時18:00なんですー」と営業。だからなんなん??
・・・という経緯を全部話して、もう日産イヤです・・・トヨタがいいです・・・
「電話番号念のため書いて貰いますけど、うちから電話することは無いので大丈夫です!」
「○○さんが納得してくれたらまた来てくれたらいいですから!」
と「主任」て肩書きの人に名刺もらいながら話きいたけども、3日後、「次はいつこられますかっ?」と電話。
ん?いや、話聞いてなかったの??と思いながら、土日しか休み無いので~とか答えて終了。
土曜日はなんか忙しいって言ったような気もする。
申し訳ないけど、折り返しもせずに着信拒否した。あんま反省してない。
あのさ、1日何人来てんのか知りもしないけどさ、
「客に寄り添う」とかさ、「客の話を聞く」って基本じゃねーの?
客ごとに、家族構成がどうとか、どういう話をしていったかってメモらねーの?
というか見積とったときに熱心にメモしてたアレはなんなん???
日産にもさ、トヨタにもさ、別にクレーム入れて上司から怒られてほしいわけじゃないのよ。
ただもう本当に、熱心さは分かったので、私はノーサンキューですってしたいだけなのよ。
https://anond.hatelabo.jp/20180108105930 の増田です。
皆すまん。多少ボカしたりして書いてはいるものの、これが概ね事実なんだ…。だから作品にはならんのよ。
仕方ないので暗黒面も書いとくわ。
待ち伏せとかは、ノーカウントにしないと生きていけない。ポストに不審郵便物とかもノーカウント。
家宅侵入、数回。
1回は親族だと偽って大家に入れてもらってた。おおらかな時代だな。丁重に帰って頂いて、すぐに引っ越した。
大家の家族による侵入数回。これがヤバかった。鍵持ってんだもんな。
家帰って顔洗って、タオル使おうとしたら、ファンデーションの匂いすんの。あと、物の位置がちょっとずつ変わってたり。コップとか。この時は彼女なし。
大家の家族とも鉢合わせすることもよくあったから、そこで同じファンデーションだと気付いた。
部屋の電気消して出てるし、居ない時間帯とかも丸分かりだからな。
マジで怖い。警察呼んだ。大家と家族、しらを切り通す。これもすぐに引っ越した。
今なら部屋にカメラとか仕込んで証拠にするとかするんだろうね。
あとは自宅窓へのレーザー照射とか、本当にやばいやつも経験済み。台所に立つと、赤い光がチカチカしてんの。すりガラスじゃなかったら危なかった。
目を隠し気味にして、窓開けたら自転車で逃げて行ったわ。
女性が男性から迫られて怖い、という感覚がリアルに身についている。飲み屋でもどこでも。
なので、会話でも何でも、そういう女性が嫌がることをしない。できない。
そのせいで女性の扱いに安心感を醸し出してしまい、好感度が無駄に上昇。
あとは、そういう危険を未然に防ぐ術を、多少身につけることができるようになった。
SNSでは、位置情報、写真は Exif を消す(基本)。現在地は知らせない。
旅行に行ってもすぐには投稿しない。行って、帰って来てしばらく経った後「そういえば先日〜に行きました!」みたいに投稿する。これも、よく行く場所は投稿しない。通われると危ないからな。
窮屈だが、ちゃんとシェアできるなら、そういうクローズドなとこでやるべし。
今でも多少そうだが、一時期、姿を見せるからいかんのだ。自分の内面を見て好きになってもらえている訳ではないんだ、と思い込み、知り合いの居ない所で SNSをやっていた。
しかし、フォロワー増えるし、会いたいという人も当然出てくる。会うと、またアレなことになる。結局面倒になってほとんど退会。
ネカマをやったら平和で自由なのではないか?と拗らせていたこともある。某 XIV。
しかし、これは最悪な結果を招いた。今度は男に好かれ、複数のユーザから告られる…。
俺がネカマだと知っている、かつ相手も男だと知っている仲間からは、心底同情された。
ただ「いいじゃん、ゲームだし付き合えば?」じゃねーよ。
また無駄に怒りを買いそうだが追記。
小学校の時、毎日一緒に帰っていた女の子は、帰国子女の黒髪メガネ委員長だった(すまん、マジで悪気はないんだ)。幼稚園の時、キスされて好かれていた子に、高校で再会。これはさすがに両者恥ずかしくて、ほとんど話をしなかった。親同士はくっつけたがっていた。
おっさんになった現在、スカウトされる際は、前とは話しかけられ方が変わって来た。「どこかの劇団員の方ですか?もし所属されてないなら、うちの劇団に入って頂けませんか?」とか。
普段の仕事は地味な研究職なので、女性方面での心配なく働けている。
そんなとこで。創作だと思ってくれても構わんよ。
ウン年ぶりに地元に帰った。マジで誰とも会ってないし、今日たまたま寄ったコンビニで中学校のときの同級生数人と鉢合わせした。本当にたまたま偶然だったんだけど「ブス」だった中学生の記憶が蘇ってきてうまく笑えなかったし、写真撮る?って言われていや、大丈夫って言って逃げるように帰ってきた。中学生のときに植え付けられた顔面コンプレックスはこの数年をかけてわたしの中でメチャクチャに膨れ上がってたんだなってこのとき実感した。
中学生のとき私は紛れもなく「ブス」だったしあだ名は妖怪だったし、もちろん「かわいい」になんて興味はあんまりなくて「いかに面白いか」に命をかけてたんだけど、「お前ってかわいい」より「お前って面白い」に喜ぶような女だった。今思えば「かわいくない」ことを自覚していた私にとってはちょうどいい自己承認欲求の満たし方だったんだと思う。私はブスキャラで、キモいからって理由で塩をかけられたり、部室に閉じ込められたりしていた。「いじられキャラ」だったんだけどこうやって考えてみると普通にいじめでワロタ。
中学生のとき好きな人がいて、勇気を出してバレンタインを渡したんだけど、それから避けられるようになった。当時仲の良かった「かわいい」のくくりに入っていて、私に過度な「いじり」をしていた女もそいつにバレンタインを渡していたらしく、お返しまで貰っていて、なんか、当時そこまで病んだ記憶はないんだけど、忘れてるだけかも。その女は私を「ブス」にした女で、でもその女のほうが世間に認められてて、思うようになってて、人生ってこんなもんかって思った。
それから高校生になって、色々校則とかが緩くなって、見た目がどうにかできるようになってから、その人からかわいくなったよね、って言い寄られて、見返してやるって気持ちで連絡を返して、ある日、一緒に帰ってきたときに、「お前ってかわいいね」ってその人はニコニコしてて、なんか、人生なんなんだよ、死ね、みたいな思って、だってお前さあ、私のことあんな風に扱っといてよくそんなこと言えたなぁみたいな、そんな気持ちでいっぱいでそれ以降一切連絡しなくなった。見返してやるつもりだったのに普通に虚しさでいっぱいになったんだよね、なんでだよ、死ね
全然関係ない話からいきなり在日はどうこうという話をしだしたり、嫌いな食べ物はキムチで理由は韓国の代表的な食べ物だからと主張したり。
腕に張り付けた湿布は在日を追い出すポスターを毎日貼っているせいだと主張したり、と結構言いたい放題の人だった。
周りの人はみんな彼を避けていた。だから同期の自分に話がよく回ってきていたんだと思う。
職場には毎日ラジオが流れていて、時計の時刻以上にラジオの音を時報代わりに使っていた。
昔からずっとTBSが流れていたらしいのだが、どうにも彼はTBSのラジオが気にくわないらしくすごく不機嫌そうに仕事をしていた。
たまに、ラジオの音声があまりにもイライラするので仕事が手につかない、局を変えてくれと抗議をしていたらしい。
何度かの抗議があったが、結局ラジオは変わらずTBSのままだった。
社長はともかく、先輩は最近入った新人たった一人の思想の問題を仕事場に持ち込まれては困る、という話をしていたのを思い出した。
ネトウヨどうこうという話を見るたびに彼を少し思い出す。
自分はもうやめてしまった職場で、彼はいまも一生懸命仕事をしているんだろうか。
同時に、マイノリティとされている思想を持つ人他の人は、自分の思想と合わない職場に鉢合わせたときにどう局面を乗り越えていくんだろうか、と思った。
知人の女性宅で俺ともう一人の男と3人で飲んでいた。女性とは最近知り合った。酒が好きな美人だ。男は数年前からの飲み友達だ。
その日は近所のよく行く飲み屋にいったらカウンターで鉢合わせた。結構遅くまで飲んで盛り上がった。店が閉まったのでもう一軒行こうと誘ったら、女性は、家が近いので女性宅で飲んだらどうかという。断る理由もなかったので行った。
少し古いマンション、生活感のある女性の一人暮らしの部屋だ。ベッドが脇にあるリビングで地べたに座ってウィスキーを飲んだ。皆いい年なので恋愛の話とかもした。
女性は鳥が好きで、3匹の鳥を飼っていた。鳥籠を開けて、手に乗せて優しく撫でながらソファに座って酒を飲んでいた。
鳥の一匹が俺のほうにきた。人懐っこい奴だ。俺の手のひらに尻を落として座り込んだ。鳥が腰を前後に動かし妙な動きをし始める。すごくいやな気分がこみ上げる。
女性が慌てて鳥を回収した。「ごめん、この子オスなの!サカっちゃって」
犯された、そう思った。あの手の不快感がまだ消えない。書けば楽になるかと思って書いた。
「よかった」にはいろいろな意味がある。
ツイッターで流行った「#東北でよかった」の「よかった」は、純粋な「喜ばしい」の意味だろう。
これらの文では、交通事故にあったこと、空き巣に入られたことを喜ばしいと言っているのではない。
さらに言えば、寝たきり状態や死亡に至らなかったこと、盗人と鉢合わせて怪我をしなかったことは、純粋な「喜ばしい」ではない。
不幸中の幸いだと言っているにすぎない。
そもそもそんな事は起こってほしくはなかった。しかし、最悪の事態よりは被害は少なかった。
そういう意味だということは、声をかけられた方も分かるはず。
社会資本等のですね、毀損もですね、ま、いろんな勘定の仕方がございますが、25兆円という数字もあります。これは、まだ東北で、ですね、あっちの方だったからよかったんだけど、これがもっと首都圏に近かったりすると、もう莫大な、甚大な額な被害があったというふうに思っております。
ここでの「よかった」は、純粋な「喜ばしい」ではない。
東北で地震が起きたことを喜ばしい、とは言っていない。
自分たちには大した被害がなかったから喜ばしい、とも言っていない。
被害金額の比較として用いている。日本全体として見れば不幸中の幸いだと言っている。
その日本全体という視点、被災地に寄り添っていない視点が問題なのだが、それは後で述べる。
ここで言いたいのは、ブコメでもメディアの見出しでも「よかった」を「喜ばしい」という意味で解釈していたり、そう受け取られる見出しにしている場合が多い、ということ。
単なる「東北でよかった」では「喜ばしい」の意味で発言したと誤解されてしまう。
いくら字数制限があっても、「まだ東北でよかった」とするべきではないか。
先に挙げた「#東北でよかった」のハッシュタグも、それ自体は面白い取り組みだが、あの発言での「よかった」の意味を誤解させるという点で少し心配だ。
東京直撃に比べれば被害は少なかったと言える。それは事実だ。
ではあの発言は問題ないのか?そうは思わない。
先述のように、不幸中の幸いなのは日本全体として見た場合であって、被災者にとっては何の慰めにもならない。
たとえば、夫・妻・息子の3人家族でドライブ中に交通事故にあい、息子だけが骨折で入院したとする。
息子を心配する夫妻へかける慰めの言葉として、「一家の大黒柱である夫が怪我をしなかっただけ、まだよかった」は不適当だ。
夫妻が意気消沈して日常生活もできないほどなら叱咤激励としてありだが、普通は「うちの息子のことはどうでもいいのか?」とカチンとくるのではないか。
ましてや夫がそう発言したとしたら、夫婦喧嘩になって息子も心に傷を負うだろう。
先述の「交通事故にあったそうだが、骨折による入院だけで済んでまだよかったね」のように、個人の枠内で収まる不幸中の幸いを当人に対して言うならば「よかった」を使っても誤解は起こりにくいが、「被害者当人にとっては慰めようもない不幸だが、集団全体として見ると不幸中の幸いと言える」という状況の場合、「よかった」や「幸い」は被害者の疎外感を生む。
使っていいのは被害者本人だけだろう。
「僕は骨折しちゃったけど、お父さんが無事でまだよかったよ」と。
このたとえ話の夫の立場は、今回では首都圏の人々、もしくは中央の政治家。
その中央の政治家の、よりにもよって復興相の発言なのだから重大だ。
それでも、まだ辞任するほどではないと思う。
「まだよかった」と言っているのは人的被害に対してではなく、金額に対してだ。
本来なら、「東北でもあれほどの被害額に上ったが、これが首都圏だったなら...」と言うべきだったが、ついつい、話し言葉として使い慣れている「まだよかった」が口をついて出た。
そういう釈明で収まると思う。
しかし、「あっちの方」という言葉が致命的だ。
復興相なのに被災地に軸足を置いていない。完全に他人事。対岸の火事だ。
これでは言い逃れはできないし、させてはならない。
実際の辞任の経緯は知らないが、私が「これは辞任すべきだ」と判断した決め手はこの言葉だ。
同じ指摘をしているブコメもいくつかあるが、少ないなあと感じる。
どう転んでも辞任は当然なのだから、「まだ東北でよかった」を「東北でよかった」と誤解させるほど文字を切り詰める必要はなかったと思う。
将来、親自民派が「これだからマスコミは信用できない」と吹聴する隙とならないか心配だ。
このはがゆさと違和感を整理しておきたくて文章にしたら長文になった。失礼しました。
自分は就職するのだな、というのが決定的になったのは、大学三年の正月に帰省したときだった。そのとき姉は子どもを身ごもっていて、結婚式の準備を進めている時期だったと思う。両親の住む実家はいつになく浮き足だっていて、居間に鎮座した年代物のコンポが機嫌のよい音楽を流しているのを何年ぶりかに聴いたりした。この雰囲気だったら言っても大丈夫だろうかと思った。家に着いたその晩、おそらく姉の結婚式やお腹のなかの子どものことをしばらく話したと思う、そのあとに切り出した。あのさ、大学院に行きたいっちゃけど。
予想外に、部屋の空気が一瞬で凍りついたのを覚えている。両親は言葉を発さず、コンポから流れる陽気な音楽(荒井由実のセカンドアルバムの六曲目、あなただけのもの、)がいっきに、なにか強烈な、皮肉めいた疎外感のようなものを演出する異物となって浮き上がった感触があった。しばらくして、母が重々しく口を開いた、なん言いようね、そげんお金なかよ。大学院てなんね。行ってなんすると。もとより自分も、大学院で何か研究したいことがあるわけじゃなかった、研究というのが何をすることなのかもよく分かっていなかった。ただサークルや何やで接する先輩たち、自分より二年間長く学生でいられる、その二年間は就職せずにいられるひとらのことがうらやましかった。その程度の動機だったから、突如として部屋に現れた重苦しい空気を前にして、うっかり声に出した気持ちは途端に冷え切り、しぼんでいった。なんでんなか、分かった。話を逸らすような話題もなく、アルバムが次の曲に行ってしまうまえに居間を出て階段を上がった。あのコンポが音楽を流しているのを聴いたのはそれが最後だったと思う。
*
就活ではいろいろな街へ行った。下宿していた福岡から、十分な交通費が支給されるときは新幹線や飛行機(LCCはまだなかったから、スカイマーク)で行き、そうでないときは夜行バスで行った。その土地の知人に当てがあれば泊まらせてもらうときもあり、ネットカフェに泊まるときもあった。神戸の三宮とか東京の蒲田とか、そのころネカフェに泊まったっきり訪れていない街がいくつかある。
就活にかかる交通費は多くの同級生にとって悩みの種だったと思う。専攻柄、東京に一極集中したメディアや広告、出版関係の企業を受けるひとが多かったせいもあったか、とにかくいかに交通費で破産せず就活を乗り切るかはひとつの重要なテーマとして共有されていた記憶がある。自分もそんなに多くの交通費を出せる状況ではなかったので、受ける企業の数をかなり絞っていた。当時の就活サイトが提唱する標準的なエントリー数は二十社くらいだったけれど、自分は十社も受けなかった。それでも度重なる関西や関東への移動はそれなりに負担で、特に東京の会社で選考が進むたびに片道半日以上かかる夜行バスを往復するのは楽ではなかった。
夜行バスが発着するのはたいてい新宿の西口だった。あるとき、行きのバスに乗っていた添乗員さんと、帰りのバスでも鉢合わせたことがあり、乗り込みざまそのひとが、就活ですか、がんばってね、と声をかけてくれた。あのひとはたぶん、その数日間だけじゃなくてずっと、何十往復も、あの片道半日はかかる夜行バスに乗りつづけていたのだと思う、いまも乗りつづけているかもしれない。西新宿のビル街を歩くと時々そのことを思い出す。
支給される交通費で収入を得るモデルを立てていたひともいた。関東の実家や知人のところに滞在しながら、東京の会社をたくさん受け、それぞれの会社に対して福岡〜東京間の交通費を申請して利益を得る手法だったと記憶している。あるいは近場であれば、実際には18きっぷで移動しながら新幹線のぶんの交通費を出してもらう方法もあったらしい。これは静岡の会社に大阪から来ていた子が教えてくれた。会社でいっしょに最終面接を受けたあと、内々定をほのめかす説明会から帰るバスの中でのことだった。その子はすでに他社からも内々定を得ていて、ほんとうはそちらに就職するつもりだと言っていた。第一次安倍政権のときで、少なくとも経済政策はうまくいっていて売り手市場だったから、そのように交通費収入を得る目的で、実際には就職する気がない企業の内々定までを得る学生はその子だけではなかったと思う。二年後にはリーマンショックが起こって、ふたたび新卒市場は氷河期を迎えた(らしい)。もし自分が大学院に進み、二年後に就活をしていたら、たぶん学部のとき受かったところには受かっていなかっただろう。
職を得るためにスーツを着ることは苦ではなかった。それは公立の小学校から高校までをずっと制服で通わなければならなかったのと同じ程度の義務だと思っていた。大卒でそれをしなくてよい人生がどういう仕組みで成り立っているのか、そのころさっぱり想像がつかなかったし、いまでもその仕組みを十全に理解しているとはいいがたい。いずれにせよ、そうしたものは自分には関係のない、自分に与えられた生の可動域からは逸脱するものだと思っていた。もちろん、自分を取り繕って面接官に良い顔をすることとか、所与の経歴と志望動機を矛盾なく有効に繋げる作業を会社ごとに行うこと、そうした虚飾じみた行為への疲れはあった。リクナビやみん就のサイトを見るのも好きではなかった。けれど仕方のないことだと思っていた。ほかに生きられる道があるとも思えなかった、だからメンタツも読んだ、SPIも受けた、そうこうしているうち、他人に自分を矛盾なく説明するために用意したぎりぎり嘘でない物語の数々は、徐々に内面を染めかえ、自分のなかに元々あったそれらと区別がつかなくなっていった。照明がおとされた夜行バスの車中で、自分は眠れずによく手を組んで、いろいろな願いごとをしていたけれど、どうか今度の面接が通りますように、内定が取れますように、そういうこともふつうに願った。
*
先日、はじめて海外旅行に行った。羽田から仁川経由でニューヨークへ向かう機内の十数時間を体験しながら、ああ、これは博多から東京まで夜行バスでかかったのと同じくらいだなと思った。
夜行バスに乗っていたときの自分にとって、海外旅行も宇宙旅行も似たようなものだった。どうせ行けないのだから費用や行きかたなんて調べても意味のない、視界に入れたってしょうがないもの。行けるわけのない外国の遠さよりも、見慣れた田んぼ、そこにある変わらない暮らし、そういったものに思いを馳せるようになるのは、そのときの自分にはごく自然な成り行きだったと思う。だから新宿の街も好きではなかった。東口のネットカフェに泊まったり朝から歌舞伎町の銭湯に入ったりする小旅行を、楽しんではいたけれど、駅の通路に浮浪者の排泄物のにおいが漂っていたのを強烈に覚えてもいた。長く住むところではないと思った、その都市に、けっきょくいまは福岡に下宿していたのよりもずっと長いこと住んでいる。
去年はじめて実際に調べた、二月のヨーロッパやアメリカへ渡る往復航空券の値段は、盆や正月のラッシュのなかを新幹線で実家に戻るのと大差がなかった。どうせ行けるわけがない、他に選べる道もない、と見過ごしてきたものごとの数を考えた。けれど、そのときはたしかに、それが自分の視界に映るもののすべてだった。その視界が十分に広くなかったとして、いまを測るための物差しとしては省みることかもしれない、けれど責められるものではない。いまとむかしの自分は違う、同じものでない、そのことは互いの存在を妨げない。一応は自分のお金で大学院を出て一年が過ぎ、将来の自分から先借りしているお金を返しはじめて半年が過ぎたいまはそう思っている。
昨年から、部内の50歳前後の独身男性社員から、ランチタイムやコピー機などで、偶然を装った付きまといや、わざと視界に入るような行動や、ジロジロ見られる機会が増えた。
こちらがトイレでオフィスからフロアーに出るような時に遭遇するのだが、挨拶をする訳でもなく、黙って私の前を通り過ぎ、私の視界に入るような不気味な行動が目立つようになった。
私は特定の日時に他部署に用事がある時間帯があるのだが、その時間帯をいつの間にかチェックされており、他部署に移動する導線のフロアーに男性社員が待機してスマホを持ちながら立っていたりした。
年末に匿名で上司にそのような事案があることを報告し、暫く様子を見た。 自意識過剰や単なる偶然の可能性もあるからだ。
しかし、先日、私の退社時にエレベーターホールで待機していたら、そのタイミングを狙って居合わせたり、いつも決まった時間に社食にいく時間をわざわざズラして私に合わせる行動が見られた。この2つの事案が決定的な付きまといだと判断した私は上司に報告した。
この時点で、すでに精神的に疲弊していた私は、業務内に舌打ちしたり、男性社員の前を通り過ぎなければならない時に足音が大きくなったり、感情が乱れたりし、平静でいられなくなった。周囲もその異変には気付いていた。
最終的に人事部による事実調査などの面談があった。その結果によると、トリガーとなった2つの事案は、偶然鉢合わせたという裏付けを証明され、私の被害妄想ではないかとの結論で片付けられた。裏付けとなる根拠も妥当だった。
確かに、2つの事案は本当に偶然だったのかも知れない。ただ、私自身、過去に渡って付きまとわれた経緯があっただけに、とても偶然とは思えないほど精神的に疲弊していた。
その経緯についても、たまたまではないかと片付けられ、被害者であった私は一転し、加害者になってしまった。
男性社員は一昨年、私がうつ病から復帰し、異動した際に隣の席だった。その時は特段付きまといなどの問題はなかった。リハビリ勤務だった私は、部署に慣れ、周囲との調和を図るために、その男性社員とも積極的にコミュニケーションを取るよう心掛けていた。
男性社員は内向的な性格で、社内外に友達もおらず、社交性に欠ける。立食パーティーなどでみんなとワイワイ会話できず、隅っこでひとりぽつんと食べ物をひたすら食べているタイプだ。ただ、学歴だけはあるのでプライドは高く、瑣末な1つのことに異様なこだわりを持つ。
私はそんな性格を把握しながらも、相手の価値観を否定せず、適当に会話を合わせていた。私は気に入らたようだった。どうやら地図と鉄道オタクのようで、私自身、その手のオタク話の合いの手になるようなライトオタク的な要素があるからだ。
昨年の夏にレイアウト変更で席替えをし、物理的に男性社員とは距離ができた。付きまといが始まったのは、その頃からである。
距離ができたので、必然的に会話しなくなった。男性社員は私と会話したかったように見受けられる。
正直、その男性社員の価値観に沿った会話を展開するのは非常にウザいのだが、社交辞令だと思えば、同僚と共にランチ程度をご一緒するなら、何とか凌げる。
しかし、男性社員は社交性に欠けるため、私をランチに誘うことなどできるタイプではない。まず無理だ。逆に私が同僚と共に男性社員をランチに誘ったところで、必ずむっつりとした表情で断るだろう。社交性や対人関係の間合いが小学生の男子のまま、成長していない。恐らく女性経験もないと思われる。
直属の上司は、私が男性社員と隣の席だった時に、積極的にコミュニケーションをして潤滑油になっていたこと、性格が性格だけに、気に入らたら、婉曲的につきまとうようなタイプだということは理解されたが、事実調査の結果に基づく限り、メールなどで付き合いをほのめかすというような決定的な証拠がないため、あくまでも私の思い違いという結果になってしまった。
男性社員は、付きまとい行為が付きまといであることすら無自覚で、私が不気味がっていることすら意識していない。他人に不快感を与える自覚がないのだ。
部署管轄の本部長は表面的には中立の立場を保ちながら、私の思い違いということで、問題がなかったこととして片付けたい気持ちが強く伝わってきた。私の昨今の感情の乱れは部署の風紀を乱しており、落ち度として厳しく指摘され、威圧的な態度だった。本部長のその態度は非常に傷ついた。まるで私が加害者であるかのような扱いは心外であるということは指摘した。
部署の不祥事は賞与の査定に響くし、自身の出世に少なからず影響を与える。どの会社もそうだと思うが、昨今は業績以上にコンプラ違反や、セクハラパワハラ問題の方が重視されている。マイナス金利下で低迷している業界のバックオフィス部門の業績評価は、減点主義以外の評価はない。
今後も男性社員のランチタイムなどの付きまとい行為や、コピー機の付近で無駄にジロジロ眺めたり、接近してくる態度は継続されると思われる。
アラフォー後半の私は年齢的にも、キャリア的にも転職はできそうにもない。外資系の同業他社もあるが、今のポジションは求人が殆ど無く、むしろ、今の勤務先にアウトソーシングしているくらいだ。あとは異動しかないのだが、使えなくなった50代の出向社員の受け皿組織のため、身動きが取れない。
今の私にできることといえば、感情の起伏の激しさを抑制するカウンセリングやら、コーチングくらいか。また、どんなにジロジロ眺められたり、偶然を装ってフロアーですれ違ったりしても、反応しない耐性も身に付ける必要がある。
しかし、そのようなことに果たして労力や、多額のお金をかけるべきなのか、否か、判断できない。いや、そんなお金をかけるなら、洒落たレストランでビールやワインを飲んでいた方がいい。
今月で同棲で解消することになった。
5回目の春を迎えそうな時期に、僕らの関係は大きく変化した。
第一印象は、酒の強い女だということ。そして、顎のラインがとてもきれいだということだった。
100人近くの内定者が集まりひどく飲んでいたこともあり、正直顔をあまり覚えていない。
4月。新卒研修を終え、研修で唯一仲良くなった同期に飲み会に誘われた。
その飲み会で、次々と日本酒をあけて目立っていたひとりの女性。彼女だった。
前述の同僚以外、研修で数回話したことがある程度の参加者たちしかいない飲み会は居心地も悪く、つい酒を飲みすぎた。
座敷席にこれ幸いと横になっていた僕を覗き込んだのが彼女だった。顎がきれいだ。よく見ればまつげが長い。
彼女とは配属先の部署は違ったものの、同フロアにいたため何度か顔を合わせた。
気まずさをかき消すように例の飲み会をネタに話をしたが、自分の失態を掘り起こしてしまい苦い思いをした。
付かず離れず、顔を合わせれば挨拶や雑談をする程度の仲で2年が経つ。
この日もエレベーターホールでいつまでも来ないエレベーターを待っていた。
「私、来月いっぱいで会社辞めるんだよね」
同期のなかでも何人かすでに退職者はいたので別段驚きはしなかったが、少しさみしい思いもあった。
「じゃあ今度、送別会代わりに飲みでも行こうか」
そう口からこぼれたのは、ほとんど無意識。なんなら社交辞令に近かった。
ビール、ハイボール、日本酒と矢継ぎ早に空ける彼女の飲みっぷりは、清々しかった。
会社を離れて初めて二人で飲む。他愛もない話から恋愛まで、話は尽きない。
中盤からは手酌をさせてしまっていたが、徳利を傾けおちょこにお酒を注ぐ彼女の所作が美しいと思った。
もっと見ていたい。
彼女が仕事を辞めたあとも何度か飲みに出かけ、僕らが付き合いだしたのはごく自然な流れだった。
付き合って1年くらいが経過したころ、家賃更新のタイミングとなった。
それまで1時間かけて通勤していた僕は、会社に近い物件を探した。
しかし、都心に近い部屋は高い。相変わらず赤ちょうちん系居酒屋で飲んでいた時、彼女に東京は家賃が高いとぼやいた。
彼女は事も無げに同棲を提案した。僕はその決断力に感動し、すぐさま共に住むことを決めた。
彼女のご両親に同棲の挨拶をしたときは緊張した。父親が好きだという日本酒の一升瓶を手土産に持っていったところ、すぐに了承をもらえた。彼女と父と母と僕。みんなで飲んだ。彼女の両親はもちろん酒豪で、日本酒は一本では足りなかった。
毎日彼女が作ったおつまみで晩酌をした。ときどき、デパ地下で美味しそうなおつまみを見つけたら買って行った。美味しいと目を細める彼女の姿は愛おしかった。我ながら陳腐だが、この時間が永遠に続けばいいとさえ思った。
一昨日、彼女が突然、酒を飲まなくなった。胃が受け付けないらしい。病院へ行くよう薦めて出社した僕のLINEに、彼女からの連絡が届いたのは、その日の昼だった。
「妊娠してた」
心当たりがなかったわけではない。じつは一度避妊に失敗していた。
言い出せない臆病な自分が情けなかったが、僕は彼女と結婚したかった。
「きっと一升瓶を2本持っていったら許してくれるよ」
飲む人がひとり減ったのに勘弁してくれと苦笑した僕の心は、すっと軽くなっていた。
俺がMTGをプレイしていた頃周囲には黒使いが数名おり、その皆が皆俺に懐いていた。ほっとくと寄ってくるのだ。そして必ず彼らは自分のデッキについて話し始める。「俺のデッキは○○で××で…」と。まぁここまではどうでもいい、そういうプレイヤーも多いから。
だが大体次のセリフはこう。「黒には△△が足りないんだ、くれてもいいじゃないか」とべらっべら話し始めるのである。記憶にある限りで思い浮かべると、
スタンダードに「暗黒の儀式」「思考囲い」「ファイレクシアの抹殺者」「憎悪」「各種墓地対策」「滅び」「苦花」「デモチュー・ヴァンチュー」「神ジェイスや遍歴ぺス級の強いプレインズウォーカー」
レガシーに「強いプレインズウォーカー」「ストーム対策」「1マナの追放除去」「強いフィニッシャー(墓所のタイタンやワムコがいたにもかかわらず「黒使いの美学に反する」らしい)」他にも歴代の強いキーワード能力を節操無しに求める。
あとはぼくのかんがえたさいきょうカードとして「Φマナで払う代わりにライフロスのない思考囲い」「青命令並に強い黒命令」「有益なエンチャント対策」「有益なアーティファクト対策」、当時はまだタルキール発売前なんで「探査フィニッシャー」「探査除去」なんてのも聞かされたっけ。
彼ら曰く「黒は色の役割を奪われ続けている不遇な色なんだ」とのことだったが、別の色については脊髄反射でテンプレを返す。赤は稲妻、緑はタルモ。そして二言目には「贅沢を言うな、黒は奪われてる色なんだよ」。贅沢言ってんのはどっちだよ。当時「黒使いの欲しがるもん全部与えたらしまいには対抗呪文と稲妻も欲しがるに決まってるよ」とこぼしてたプレイヤーがいたけれど、まぎれもなく事実だと思ったものだ。
他にも「俺のデッキは○○で××で…ここで聞くけど、これってどういう戦術を意図してると思う?」とやたら尋ねる。俺も最初は人の話を聞くのが好きだったから「これかい?」と答えるのだが、彼らは…そう、1人じゃない。みんなが…こう答える。「違うんだよなぁ、あんたは黒を分かってない」
そりゃそうだ、黒なんて使わないからね。相手もおそらくそれを分かってる、だから話し相手に俺を…相手の話をバカみたいに聞く俺を選んだ。「バカなお前に俺がご高尚な戦術を教えてやろう」みたいな感じで、承認欲求でも満たそうとしているのだろう。
1人のプレイヤーだけじゃない。黒使いみんなそうだったのだ。そしてそれをしてくる相手は黒使いだけだったのだ。最初の内は単にこいつは性格がきっついだけだと流していたのだが、俺だってバカにされるために生きているわけじゃない。次第にムカついてきたんで他の黒使いから聞いた話をそのまま横流しすると、「違うんだよなぁ、あんたは黒を分かってない」である。そりゃてめぇの同類から聞いた話だよ、と言っても「あんたが黒を分かっているならそれが不適当だと分かるはず」とか言い始める始末。
そんなに分かっているプレイヤー相手に話したいんだったら黒使い同士で話せばいいだろう!と内心相当トサカに来ていたのだが、ある時そんな俺にまとわりついてくる黒使い2人を店で見かけた。2人には面識がないのでこの2人を鉢合わせて「あとは黒使いのお二人でごゆっくり」と席を外した。そして別の知人と話している時、その知人とこんな話が出た。
「どうして黒使いってみんな『ああ』なんでしょうね?」「やっぱ君もそう思う?あいつらの話聞くと疲れるよ…この間なんてスタンに暗黒の儀式よこせって言ってたし」「○○さんですか?」「いや、××さん」
「マジかよ。どうしてみんなそうなんでしょう?」「俺も聞いたよ。そしたら黒のカラーパイがそれだから、だって」「ゲームの中の登場人物になったつもりなんですかね?」「だとしたら俺達、救えないバカってことになるよねぇ」
その後ショップの大会に出て帰ろうとすると、黒使いの片割れが俺にくっついてくる。いい話ができてさぞご満悦だろう、だからもう付きまとわないでくれ、と内心げんなりしてたら彼は一言。
「彼とは合わないよ。俺は君が好きだよ、君は相手の話に敬意をもって聞いてくれるから」
知るか!てめぇには敬意がねぇんだよ!と内心本気でぶちのめしてやろうかと思った。そしてもう片方と別の時に店で会った時も同じようなことを言われた。
そのくせ赤の自虐にはホントに脊髄反射みたいな答えしか返さないし、あいつら自分語りしたくて仕方なかったんだろうね。もう話を聞くのがつらいのなんの。
そんな昔話を経験して数年。ニコニコでMTGのプレイ動画や某店の黒使いのコラムなんかを見てるけれど、黒使いのそれはやっぱり一線を画するものがある。スパイク崩れの彼らには強烈な自己陶酔がある。あの強烈な自己陶酔を俺は黒使いでしか見たことない。
いったい何なんだろうね?良い意味でも悪い意味でも黒使いってのは本当に自分に対する矜持がやたら高いのだ。
ある白使いのプレイヤーが動画で「できないことを愛せるようになるのが単色マスターへの一歩だと思っている」と言ってたけれど、本当にそう思う。黒使いの彼らはその域に全く到達できていなかったというわけだ。これは冗談にしては「RTAの些細なミスに対する再走要求」並に品が無いと思うし、冗談じゃなかったとしたら単なる性格悪いだけの欲しがり屋だし、「それが黒という色のカラーパイだ」というのなら「それはゲームの中の設定に過ぎないけど、あんたはゲームの中の生き物なのか?」と尋ねたい。黒スレの印象で「黒使いは面白い人!」ってイメージがまかり通ってると思うけれど、あの黒スレだって別の色使うプレイヤーからは「隔離所」「巣」などと呼ばわれて嫌われてたし。ラベリング効果で「自分のことを○○だと思い込んでるクソオタク」状態になってたってワケさ。
ただ黒使いにもいいところはちゃんとあって、俺は彼らによってたかってバカにされたが、彼らは決して「不正行為はしなかった」のだ。…いるんだよ、ショップ大会程度で不正する奴って。彼らはそのレベルではなかった、そこは認めていきたい。これは「奴らはあくまで人間だ、サルではない」みたいに言ってるように思えるだろうけど、ほんとにMTGに命かけてる不正奴って結構いるんだよ…。
自分が交差点を渡ろうとしたところトラックが左から曲がってきたため一旦立ち止まったら、そのトラックが急停止した。ブレーキの音だけでなくなんか嫌な音がした。
トラックから運転手が急に降りた。何かと思ってまず道路を渡りきろうと自分は横断歩道を進んだら女性が倒れていた。流血の跡もなく幸い目立った外傷はないようだ。「青信号だったでしょう、あなた」と介抱に向かったトラックの運転手に話しているが、段々ぐったりしてきている。そもそも立ち上がることもできずにいる。
トラックの運転手は20代前半の若い人のようで、衝突した女性に「大丈夫ですか」と手を握って言う以外できず、周りが見えなくなっているようだ。
偶々鉢合わせた自分とスーツ姿の男性と二人で警察と消防にそれぞれ連絡。交差点はトラックの立ち往生で通行止めの状態になってしまっていた。とりあえず女性は救急車で運ばれ、トラックの運転手は警察と一緒にどこかへ移動した。
8月の免許更新の際お約束の交通安全のVTRにあくびをしていた自分も、やはり今回のように事故を目の前にしてしまうと、交通「安全」を意識せざるを得なくなった。
また事故が起きても冷静な自分に驚く一方、冷静だった割に内面ではアタフタして何もできず、例えば発煙筒で事故を周囲に知らせること或いはトラックの運転手にまずは車を移動させ交差点の交通を回復するといったことが提案できなかったのが悔しい。
最近はもう下火になってきたけど、
見た目の好みって話になるけど、自分なんかはたけのこの里を買ったことがなくて、この対立ネタで初めて、たけのこの里って人気なんだなあと思ったものだった。
最初の頃はどちらの推しも楽しく見ていて、売上とか、人気投票とか、そういうのでたけのこの里の方が人気なのだ、というのがわかって、なるほどなーと思ってたけのこの里も買ってみたりもした。
で、そんなこんなできのこたけのこ戦争も、たけのこの圧勝ってことで終わった、という認識でいたわけなのだけど。
それが終わってからも、たけのこの里ファンらしい人からのきのこの山を格下だからとバカにするような発言が当たり前みたいなものに鉢合わせすることが増えた。
ちょっと「これが正義」みたいなノリでコメントする機会があった、
きのこの日だった、
そんなことで、凄く当たり前のように「きのこはクソ」みたいな「きのこの山持ってる!大問題!」みたいな発言が出てくる。
先日のきのこの日のツイッターだって、きのこ(きのこの山とか関係なく)についてわいわいやってるところに、わざわざきのこの山を買ってきて、たけのこの里で包囲した画像を載せてる人とかいた。
悪趣味すぎて、うえッてなった。そこまでして馬鹿にしたいのか。お菓子とか関係ないところでまで、わざわざ用意までして。
きのこって単語が出たら否定するのが当たり前に、いつからなったのかな
たけのこの里について、自分は好きでも嫌いでもないし、かと言ってきのこの山至高とか言うつもりもない。
それぞれが好きなものがあるって話で、なんでいけないんだろ?
自分は子供の頃に買ってたのが、きのこの山だったから感じる違和感なんだろうか。
子供の頃は、見た目できのこの山かコアラのマーチを買ってた。きのこの山じゃないと!みたいな思い入れは別にない。
ただ昔買ってたなあってだけで、今積極的に買うか?って聞かれても別にいらないかなって思う。
見かけるたびに、考えてみる。
ただ、なんとなくたけのこの里を買ったことがなく、なんとなく食べなかったからたけのこの里に愛着もなく、きのこの山にもこだわりはない。
きのこの山よりたけのこの里が人気で、たけのこの里の方がおいしいって結論でも別にいい。そうなんだなとしか思わない。
別に嫌いでたけのこの里を買わなかったのではなく、たまたまそういう機会がなかっただけで、たけのこの里をもらったら多分それはそれで喜んで食べたろうなとも想像がつく。
けど、無意味に「きのこの山はdisってもいいもの」みたいなノリでたけのこの里ファンがきのこの山を揶揄うのなら、
たけのこの里はクソだなと思うし、買う気にもならないし、たけのこの里が好きって人がきのこの山を気軽に否定して笑ってるなら、その人とは関係を続けたいと思わない。
誰がたけのこの里を好きでも、誰がきのこの山を好きでも構わないんだけど。
それを嗤って馬鹿にするのが普通って思う風潮、よくないと思うんだよね。
些細な事に何を、と思われるかもしれないけど、たけのこの里について好きでも嫌いでもなかった人間が、
少なくともここに1人、たけのこの里派の意味のないヘイトのせいでたけのこの里に嫌悪感を覚え始めてるってのを誰かに知って欲しい気がした。
自分はたけのこの里が好き、あの人はきのこの山が好き、それでいいじゃん。
たけのこときのこで競り合ったことがあるけど蓋を開けてみたらたけのこの方がメジャーだったらしいよ、でいいじゃん。
他人の好みをバカにして、その相手も、関係ない人間も不愉快にして、何になるのだろう。
たけのこの里派って、ただたけのこの里が好き、ってだけでしょ?
そういう好きだってだけのことで、そうじゃない人間をなんでそんなバカに出来んの? それが好きな人がいるのに、バカにするような画像作って笑ってられんの?
何気ない会話で他人の好きな物を貶めて、ほんわかするとか盛り上がるとか、コメント稼いだりとか、意味が解らない。
ニコ動とかで楽しく動画見ててもこういう発言あると一気に冷めるし、ツイッターでそういう発言してる人は好意的に見れなくなってきてる。
楽しくネットで遊びたいのに、嫌なら見るなと言われても唐突に無関係に嘲笑ってるのを見ると、通り魔にあったような気分になって陰鬱とする。
そんな感じだから、これからもたけのこの里が売ってるのを見ても、思い出した気持ち悪さや不快感で、買うことが出来ないのだろうなあとぼんやり思う。
銃は電動になり、玉は一度に数百発充填できるので、何も考えずに撃ちまくっていい。
大自然の中を普段味わえない緊張感の中で駆けまわるのは素直に気持ちがいい。
走る、跳ぶ、しゃがむ、這う、登る。
今までランニングやボルタリングで培ってきた肉体能力を存分に発揮して、闘争本能むき出しで楽しめるのだ。
会場にさえついてしまえばあとは現地に全て用意されている。
高価な銃や装備を揃える必要もないし、汚れた服の洗濯を心配することもない。
よほど至近距離で悪意ある射撃をされなければ、怪我をするようなことはない。
同じく銃をもった相手とどのように撃ち合えば勝てるのか、大半の初心者はこの部分を誤解している。
なぜなら、ドラマなどの影響によって間違った知識を植え付けられているからだ。
今日はその誤解を解いていきたいと思う。
そしてその誤解が解かれた時、あなたがテロリストに遭遇した時の生存率は10倍以上に高まっていることだろう。
これこそが最初にして最大の誤解だ。
障害物に背中を向けたところでプラスになることが一つもないどころか、次の射撃までに余計な動作ばかりが増えてしまう。
つまりこの行動は、隠れているということを強調するための演出でしかないのだ。
正しくは、障害物に対して30~50cm程度離れて正面にたち、銃は構えたままの姿勢で待機だ。
そうすれば、障害物から少し顔を覗かせるだけで相手の行動を確認次第射撃できる。
敵に後ろなど見せてはいけない。
絶対に駄目というわけではない。しかし、この行動の最大のリスクは、相手に気づかれるということだ。
広いフィールドの中に早く動く存在があればすぐに気づかれてしまう。
移動は基本的にゆっくりと行い、相手より先に見つからないことが重要だ。
これは障害物に隠れている時も同様だ。
相手の様子を伺おうと素早い動作で顔を出し入れするということは、すなわち自分の居場所を教えているようなものだ。
相手に気づかれているかどうか判断できないときは、ゆっくりと顔を出し、たとえ相手の存在を確認できたとしてもすぐに顔を引っ込めるのではなくまずはしっかりと観察するのだ。
広いフィールドにおいて、何より動いているものが最も目立つということを忘れてはいけない。
・誤解3:相手との銃撃戦になった時に、身を守るためにいち早く隠れる。
もし相手と鉢合わせた時に、撃たれたくない一心ですぐに障害物に身を隠そうとするのは大きな誤解だ。
なぜなら、もし相手がその姿をしっかりと観察していたとするならば、相手は隠れる必要がなくなるからだ。
自分が隠れているということは相手は隠れる必要が無い。次に自分が確認しようと顔を出した瞬間を狙い打てばいいからだ。
相手と鉢合わせてしまったときは、まずは軽く威嚇射撃を行い相手に顔を向けたまま身体だけ安全に隠れるようにする。
その時に弾道を相手に近づけながら射撃しつつ相手の行動をよく観察するのだ。
自分はしっかりと銃を構え、相手が確認のために顔をだす瞬間を狙えばいい。
そうして少しずつプレッシャーをかけていて、逃げるなり攻めるなりの状況判断を行なうのだ。
さぁ。
それはつまり、目の前で銃撃が行われている時に背中を向けて逃げ出すことが、最も危険な行動だということを知ることができたのだ。
隣人に突然銃口を向けられることだってあるだろう。
訓練されていない人間が扱う銃の精度は思ったよりも全然低く、無防備な状態でなければ避けることはさほど困難ではないのだ。
もし街中で危険と遭遇してしまったときは、慌てず騒がず、落ち着いて相手を見ながらゆっくりと移動するのだ。
背中を向けて逃げること。急いで物陰に隠れようとすること。相手よりも先に隠れてしまうこと。
これらは全てあなたの命をより危険に晒す行動にほかならないのだ。
よし!