はてなキーワード: 金魚とは
●団塊世代(1945~1949)
自分達が日本を作り上げたと思ってる"超"勘違い世代。 お前らが作ったのは借金。キチガイ多し。
行動力や根性は多少は持ち合わせているがたいした事は無い。 唯一評価できるのは繁殖力の高さ。
ただしあまりにも高すぎて未だにエロイ事件を起こすのもこの世代。
団塊と一緒に踊ってただけの世代。自主性なし。下の世代にも疑いを持たず踊ること(Yesマン)を求める傾向あり。
上が団塊で且つ人口減少期に生まれた為競争は緩やかで勘違いが増殖。団塊の劣化コピー版。
●バブル世代(1960~1969)
未だにバブルもう一回とか言ってるバカや、バブル後の脱力感で魂まで抜けた奴が多い。
金銭感覚が狂ってるため消費率は高めなのが救いだがほとんどは無能。企業内でがん細胞化している世代。
世代人口が一番多いにもかかわらず出生率を下げていたりと、 繁殖力は極めて低い。
いたの?
あきらめモード全開。やる気ナッシング。パラサイト多すぎ。 気持ちはわかるが、仕事しろよと。
愚痴らせたり文句言わせたりすると最強な所や、他人に頼りまくるところは団塊そっくり。
セックルセックル!小学生のうちから無駄なセックスしすぎ。おまえら大丈夫かよマジで?あんま期待して無いけど頑張って。
id:Gl17はさあ、法華狼さんの持つ「作画的視点」に何の関心も無いのかなあ。
御存知の通りid:Gl17、法華狼の両名はゴリゴリのはてなサヨクだ。
それでも俺が法華狼さんに好意を持つ最大の理由は「作画的な視点」を持ってるからだ。
アニメ感想もやるブログで「作画的な視点」を持っている所は本当に少ない。大抵が萌え豚視点、酷いと売り豚だ。
法華狼さんは戦争とか政治とか韓国だなんだってのを左視点で語って敵も少なくないが
それでも「作画的な視点」を持っているからこそ、信用に値する人物だと思っている
俺は真剣に世界の作画至上主義化を望んでる。作画的な見所がある奴だけが生き、そうで無い奴は死ぬべきだと本気でそう思ってる。
id:Gl17はと言えば、法華狼さんに金魚のフンのようについてくる「取り巻き」だが、こいつが法華狼さんが作画的視点を発揮してる時に限って完全にスルーしている。
こいつ、法華狼さんが作画的視点を持っている人物だという所からもう認識できてないんじゃないの???
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20080724/1216935242
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20120423/1335112999
この辺りの記事から発せられる法華狼さんの「作画心」を何も理解しちゃいないの?
id:Gl17さん、はっきり言うよ。あんた作画的な見所はねえな!!
いろいろ迷ったんだけど、まあインターネットで知り合った人たちだし、インターネットの見える場所でお祝いの言葉を書くのも悪くないかなーと思って、なんか書いてみることにするよ。わかった人はてきとーに拡散でもなんでもして、ご当人たちの目の届く場所にでもこのURLを届けてください。ま「そういう人」なので、こっそりとどこかで見ていたりはしたわけですけど。
ボトルメールよりはもうちょっと確実性のある手紙でも、ひとつ。
つーか結局は自分語りな。この場合は自分語りしないと伝わらないこともあると思うんよ。
とりあえずそうだなー、びっくりした。びっくりはしたんだけどさ、なんていうか、あんがい意外でもないんですよね。ああ、なんか辿りつくべき場所に辿りついたっていうか。
そうね、まあ「彼」とでも呼んでおきましょうか。
彼との出会いは、俺が以前やっていたサイトの掲示板にまで遡る。俺がしょうもない日記書いて、共同で管理してた友人としょうもない対談みたいな記事作ったりして、まあ全体的にしょうもないサイトだったんだけど、掲示板だけは違ってたのね。エロゲやったりする人の多くがそうであるように、俺にも「青春」とか呼べる時期なんかなかったんだけど、もしあったとしたら、あの掲示板にそれはあったんじゃないかな、と思う。二十代後半だったけど。いいだろ別にいつ青春やったって。周囲に女とかぜんぜんいなかったけど。別にだからそういうのはいいんだって。
インターネット始めるまでは、自分の趣味のこととか話せる相手がいなくて、それで、俺は異常だと思ってたんだよね。こんなにフィクションに異常な思い入れする人間とかほかにいない。いたとしてもそれは同居人くらいで、ほかにはどこにもいないんじゃないか。まあ日本には人間が1億人くらいいるので、確率としてここに二人いる以上、もうちょっとはいてもいいんじゃないかなーと思ってたんだけど、サイト始めてみたら、思ったよりも多かった。そうやって集った同好の士のなかに、彼はいた。
あの掲示板って、ちょうどいまでいうツイッターみたいな空間だったと思うんだよね。界隈の人たちのたまり場みたいな感じ。あずまんが大王の塗装のバスとか出現したっていうんでわざわざ見に行って実況してみたりとか、やってることが本質的に一緒。そんな掲示板のなかで、彼の存在はひときわ異彩を放っていたと思う。寡黙でありながら重量感があり、切れ味も抜群、常に陰のようなものがあるのに、どこかすっとぼけた確信犯の諧謔がある。
同居人ともども彼の書き込みのファンになったね。彼が書き込んでくれるのが楽しみでしょうがなかった。
なんていうのかな、戦友、みたいな意識があった。骨の髄までフィクションに冒されて、二次元のキャラと添い遂げるくらいの勢いで大好きで、ほかに希望なんかなくて、掲示版みたいな場所に吹き溜まっててさ、でもそこしかなかった。ほかの人がどうかは知らないけど(たぶん似たような感情は持ってくれてると思うんだけど)、このクソみたいな世界のなかで、なんとか喘ぐように呼吸して、それこそ酸素に飢えた金魚みたいに口をパクパクさせながらなんとかエロゲとかマンガのなかに救いを求めて、そんでもって掲示版でなんか吐き出してる。ここでは本音で話せる。道端の路地の向こうに、あるキャラクターがいるかもしれない、永遠に会うことができないそのキャラの面影だけ追いかけてふらふらと散歩を続けるような、そんなポエムじみたことや、そういうバカで真剣でどうしようもない自分を笑い飛ばすようなことや、そんなことを日々繰り返して、それでもまあなんとか生きてるよね、別に積極的に生きる理由もないんだけど、とりあえずフィクションあれば俺ら呼吸はなんとかできるよね、みたいなそんな日々。
そんなのがまあ、俺にとっての青春だった。
そんな日々をともに過ごしてきた人たちに対しては、友人というより、仲間というより、やっぱり「戦友」っていう言葉がしっくり来る。
そういう場所を瓦解させてしまった理由ってのは、いくつかあると思うんだけど、まあいちばんは俺が結婚したからだな。
俺、アホだからさあ、どっちかしか取れないんだよね。真剣だったからこそ、ってのはあるかもしれないんだけど、少なくとも結婚するっていう事実の前では、俺はフィクションを捨てるしかなかった。だって、そこに魂の半分を置いてるんだもの。好きになるのも嫌いになるのも、すべてはフィクションのなかにしかそういう対象っていないんだもの。現実の人間なんて書割じゃん。こちらに実害を及ぼす人間だけが脅威で、あとは男だろうが女だろうが、じーさんだろうが幼女だろうがひとしく恐ろしいものだったわけで、それが、たった一人といえども「人間」を選んでしまったわけ。それは「世界を選ぶ」ということとほとんど等価だった。全否定してきて「フィクションを摂取する俺の肉体を生存させるための意味しかなかった」世界のなかで、俺は伴侶を得て歩いていかなきゃいけないわけよ。いいったって悪いったって、俺ひとりじゃない。とにかく俺は世界を切り開いて歩いていかなきゃいけない。
そうやって俺はフィクションを捨てて、書くことすら捨てようとした。
でもねー、書くのだけはやめられなかった。
言ってみればさ、フィクションを捨てること、書くことを捨てること、すべては裏切りじゃん。もちろん周囲の人はだれ一人として裏切りだなんて思ってなかったと思う。複雑な気分を抱えていたことは想像に難くないんだけど、俺が「この世界」に幸福を求めようとすることを咎める人なんてだれもいなかった。
だけどさ、逃げるようにサイトやめて、俺そういう不義理っていっぱいやってて、いつ見捨てられても不思議じゃない人間なんだけど、彼はそんな俺をずっと見捨てないでいてくれた。彼だけじゃない、俺の周囲にはそういうありがたい人たちがたくさんいて、俺は今日まで生きてくることができた。
いまはもうそうじゃなくなったけど、書くことだけが俺にとって救いだった時期ってまちがいなくあった。書いて、読んでくれる人がいる。そのことだけで「ひょっとして俺は生きていることを許されるのではないか」と思えるようなそんな日々があった。
ここに至るまでの十年以上、そのほとんどの歳月を、彼はだれよりも俺の読者でいてくれた。極端にいえば、命の恩人だ。ほかの数人の人たちと同様、彼は俺を生かしてくれた。読んで、なにごとかの感想を書いてくれることで「少なくとも書くことだけでは、生きている理由がある」と伝えてくれた。
でもね、そこにあるのは感謝じゃないんだよなー。いや感謝もしてるんだけどさ、あるとすれば「あのとき俺ら一緒にいたよな」っていう深い感慨だろうか。ああ、俺らはあのころ、あんなに生きるのが面倒でやってらんなくてつらくて、そんでもまあ十数年後のいまも生きてるよな、なんかかなりおもしろめでかつ珍しめの人生とやらをやったけど、まあ死んでねえよな、明日以降もなんとかやってくんだよなー、みたいな。
そんな彼が結婚する。
別に「結婚」っていう単語に無条件で反応しておめでとうなんて言う気はさらさらないんだけど、とにかく、彼は「見つけた」んだというひとつの明確な証拠ではある。結婚という形式に付随してくっついてくるいろんな義務とか権利とか、ようわからんけど、いろいろあるものをすべてひっくるめて引き受けて、たった一人の人を死ぬまでの伴侶として選んで、生命が終わるときまでは生きていくんだという決意の表明だ。そういうものとして「結婚」っていう形式はなんとも明瞭だ。
彼はそれを選んだ。
だからさ、変な話なんだけど、俺の感情としては「安心」っていうのがいちばん強いのかな。彼の生み出したさまざまなものの魅力の大きな源泉は「孤独」だったけど、それゆえに彼にはいつも荒野を歩いているような感じがつきまとっていて、もちろんこんなもん言葉になんてしないんだけど、その孤独のデッドエンドを彼が見てしまったらどうしよう、みたいな漠然とした不安はいつもあった。
そう、彼はもうひとりじゃない。
これかな。そうだ。あなたはもう、ひとりじゃない。ひとりでなければ、ふたりであれば、それはきっと世界を手に入れたも同然なんだ。この広大な世界を歩くのに、ひとりっていうのはなんともつらい。あまりに大きい。世界がその美しさの片鱗を見せたときも、厳しさのかけらを降り注がせたときも、たったひとりでは言葉すら虚空に消えていく。
あなたは、あなたの見た世界の美しさを伝える相手を得た。いや、最初からそれをふたりで見ることになるんだ。
それがどれだけ素晴らしいことかなんて、もう言葉にはできない。
たったひとりのための、あなたであるように。そのことがそのままであなたを幸福にするように。あなたと、あなたが選んだ人の幸福が、そのままで世界の美しさにつながる回路を形成しますように。
ちなみに、お相手の方もネットを通じて決して存じ上げぬ方ではございませぬ。存じ上げているっつーよりはもうちょっとよく知ってる。
なんで、この場を借りてお願いなど。
まあ、俺がいまさらこの場で言うことではないかもしれませんが、幸せにしてあげてください。言われるまでもねーよカスwwwと思われるかもしれませんが、それを承知でなお俺はそう言いたいのです。彼の孤独や、彼の傷つきやすさや、それでいてあんがい飄々としているところとか、飄々としているようでいて、もっと深いところで傷ついてたりするところや、そういうものをほかの人間よりは多少はよく知っている人間として。
なんかねー、ひとの旦那つかまえて俺のほうがよく知ってるヅラすんじゃねえよって叱られそうだけど。
そんでもまあ、そういうこと思っちゃうくらいには、彼は俺にとってかけがえのない人だったりするんですのよ。
あと還暦になったらクソどうしようもねえ鼎談とかやる予定なので、そこは多目に見てください。あなたもご存知の友人の環境が非常に劣悪です(もう一人の畏友とじょじぱんつのゴムを両端で引っ張ったり縮めたりしながらにやにや笑っている)。
まあ、なんですか、直接に会ったら俺のことだからビシッと決めて「おめでとう」とか言えそうもないんで、いまここで言っときます。ほら、しゃべるよりも文章のほうがうまいこと自分の考えてること言える人だから。
おめでとう。
つーかまあ、びっくりした。
新婦の方には俺も会ったことないんで、まあそのうち会いますかね。
第一報を知ってからすぐにうちの奥さまに知らせようとしたんだけど、あの人、ここんとこあるゲームにはまってて、仕事してる時間以外、寝るかゲームするかしかしてなくて、いま爆睡中。起きたら知らせるつもりですけど、たぶん反応はこんなもんすよ。
ある日、昼で仕事を体調不良で早退して、御堂筋線に乗って家に帰宅しようとしたところ電車にいきなり飛び込む。
その後、怪我は頭に2箇所、全身打撲。警察と鉄道警察に保護され警察署へ。ダイヤへの遅れは出なかったそうだ。
警官2名に両手を拘束されて、ワゴン車のような車でいきなり2時間ほど大阪市中心部から走ったところにある
最初は診察室で診察。医師に「あなたはここで入院することになります」と言われる。
最初、ナースステーションの中にある、全面透明なガラスで覆われた部屋に案内される。お手洗いは、部屋の外。
お茶だけ飲んでつき返して終わる。
翌日ドアが開けられ、朝食だといわれロビーのようなところへ。
オーブントースターが置かれていて パンとジュースを渡される。
患者たちは仲良くみなで話し合って食事を楽しそうにとっているが。
ちなみに治療に必要な薬は時間ごとにワゴンにのせられて各々の病室に配られる。薬の管理は自分ですることができない形になっている。
そこで見たのは、老人の山。山。山。 老人ホームかと思った。
後でその老人たちには少々痛い目にあうことになる。
一般病棟にうつっても個室の病室なのでさほどかわらない。自分はお茶を部屋にいれ寝て過ごしていた。
スルト「ドンドンドンドンドン」とたたく音。医者の往診かと思うと違う。
まったく知らない老女が立っている「ここは私のお部屋なんですよ」とにっこり。
しかし部屋移動が行われていてネームプレートは私の名前になっている。その人は別の部屋になったのだろう。看護士を呼び、
そのまま誘導をお願いする。が ニコニコその老女は後をついてくる。「@@ちゃんが遊んでくれるって!」と
あとで聞いた話だが、この病院では老人患者(認知症)を多く抱えており。その認知症患者の世話を比較的若く軽症の患者に任せているそうだ。
実際この老女はずっと退院まで、お手玉だの折り紙だのにくっついていた。まさに金魚のフン状態。
どこにいくにもついてくる そんな感じだった。
しかし。精神的に私は検査を経て「統合失調症(破瓜型)」と診断されていたのですが 実際に「他人(老人)の部屋など見られるはずがない。
かなり疲れ切っているのだし、他人にまで注意はいかない。私のように、老人の世話を任されていた若い患者は数人いたらしく、みなやはり
一様に疲れ切っていた。老人によっては性的なことまで行おうとセクハラまでしていたという話も聞くし、深夜まで元気な老人は多かった。
そして老人の世話を押し付けられていた患者はみな一様に調子はよくなかった。自傷に走っていたものもいたし、首をトイレでつった人もいた
それでなくてもベッドでずっと休み続けている人も多かった。何より目がつかれきっていた。
自分もやはり疲れきってしまい、老人と唯一離れられるトイレで、ストッキングを使い、荷物をつけるひっかけ棒を使い、首を吊ってしまった。
意識はなくなってしまったらしい。数日その間保護室に入れられた。
保護室には老女から覗ける位置のドアがないため解放されることができた。
入院からまた2ヶ月ほどが過ぎたが、次々とやはり人が押し付けられてくる。
「@@さん(私のことは)世話が上手だからね~」冗談じゃねえよ。死ねよ。
胸を毎日執拗に触ったり下着の色を聞いてきたり服を脱がそうとする男性老人
などが私にはあてがわれた。
なお服を脱がそうとした男性老人は、私が怒りを覚えてしまい、頬をけりとばしてしまった。
そんな入院から3ヶ月。一応もう実家に帰るという形で入院の方を終えた
とはいえ、自力ではほとんどまっすぐ歩けず、もう薬の副作用で常に眠気が抜けず
症状は治まっていない状況だった。
※なおこの本人は。その後も療養生活を続け
昨日朝、11時ごろ 自力で農薬を飲み亡くなられたとの事です。合掌
そう考えて眠りにつくのは6年ぶりくらい。
久しぶりに家にいたくないと思って出かけた。
実家なのにね。
1年半前まではじいちゃんがいた。
その1年前にはばあちゃんもいた。
母が亡くなってもう何年だろう。
いや、死んだのを見つけたのが今日。
ごめんね。
一緒に選んで、驚くほど大きくなった子なのにね。
じいちゃんが昔魚釣ってた川に流してきた。
向こうで会えるといいな。
じいちゃんとばあちゃんと昔飼ってた犬と仲良くできるかな。
母代りになろうと頑張ってくれたばあちゃん、
二人とも大好きだよ。
喫茶店で何でも好きな物頼めって言ってくれたけど、遠慮してごめんね。
メニュー見てもよく分からなかったんだよ。
ばあちゃんが喋れなくなってもマッサージして、唇読もうと頑張ってたね。
俺の掌に文字書いて伝えてくれてたね。
もうあと数時間って医者に言われて、ほとんど意識ないのにじいちゃんが水をあげたら飲んでた。
ごめんね、ばあちゃん。
あの日俺もっと早く帰ってたらじいちゃん助かってたかもしれないんだよ。
前日から風邪気味で調子悪いって言ってて、当日の朝はびっくりするくらい大きな音量でテレビ見てた。
きっとあれは前兆だったんだ。
なんであの日昼過ぎに家に帰りたいって思ったんだろう。
ごめんね、じいちゃん。
曾孫に買ってあげたランドセル、背負うの見てないよね。
買ってあげたピアノの音も聞いてないよね。
アレルギーで困ってた方は、今じゃもう何でも食べれるよ。
この前、お月様にむかってじいちゃーんって言ってたらしいよ。
じいちゃんは空に行ったって言ったらそうしたんだって。
じいちゃん、ばあちゃん、
会いたいよ。
おハロー。
聖おにいさんはオサレというのよりサブカル臭。それも悪いタイプの。
http://anond.hatelabo.jp/20081210172325
とても根が深いサブカルミーハー問題。『このマンガがすごい2010』を読んで。
http://anond.hatelabo.jp/20091216230059
「このマンガがすごい!」は罪深い延命装置。もう犠牲者を増やすな!!
http://anond.hatelabo.jp/20111224192828
を書いたぼくだよ。みなさん自意識丸出しでごちゃごちゃ言ってくるんで、胸焼けするぐらい非常に切ない気持ちになりました。なんというかもう……。
「かわいそうだね?」
って言葉しかでてきません(おっと、つい芥川賞受賞作家ネタが飛び出しちゃったよ。やべー、まさかここで芸術に携われる人間だったら絶対にチェックしておくべき、芸術を理解できないやつは興味ないふりして精神防衛していることでお馴染みの芥川賞のネタが飛び出すとは、俺のセンスパねえ)。
はてなブックマーク、およびツイッターの皆様がたは心のホメオスタシス機能をフル稼働させて自分の殻に閉じこもっちゃっていますね。みなさん図星を突かれたことを必死に隠そうとしていますけど、何で等身大の自分を直視できないのかねえ。
「格好をつけないことで、格好をつけている」
「「ホメればセンスいいと思われる記号」を批判すればセンスいいと見られると思ってる人の典型的批判」
やれやれ。春の熊に全員屠殺してもらいたいよ(センスある村上春樹ネタ)。
ぼくはきみたちの断末魔の叫びで心が汚れちゃったんで、ストラヴィンスキーを聞いて洗い流していました。グッドなアートはエバーグリーンな輝きでディ・モールト・ベネだね。
ということで、本題。反応を見ていると、ぼくが批判したい対象がイマイチ伝わっていないようなんで、ここでまとめて表明してみようと思う。
これ以上、この惨状を放置しているとホント取り返しのつかないことになるからね。砂漠に水を与えるようなものだけど、何もやらないよりはマシ、かな……。
きみらの軽い脳みそでも理解できるように4つに大別してあげているから熟読してほしい。2010年代はこういう奴らをいかにカルチャーシーンから排除するかにかかっているので、宇野常寛さん、荻上チキさん辺りは参考にしてほしいね。東浩紀さんは河原で石でも積んでてください。
では、いきますよー。
「ボンクラ」なんていう安っぽい価値観で連帯して、「中学生マインド」なんていう恥ずかしい心性を至上価値にしちゃっている一派。やっていることはひよこのオスメスの仕分けみたいなもん。ライムスターの宇多丸や町山智浩辺りが「いい」といったものを「味方」と見なして手放しで褒め称えて、けなしたものを一緒になって叩けば、「センスあるポジション」にいられると思っている。
「売れてる邦画はテキトーに叩いておけばおk」みたいな頭からっぽな行動も平気でしちゃう。そんで周りも見てもいないのに賛同しだすから目も当てられない。
中身をまともに分析しないで「大沢たかおが出演しているから、これはクソ映画だ」みたいな論理で動いていて、そんで「バカな大衆」と「審美眼のあるセンス抜群の俺」という謎の対比をしだすんだよね。「なぜこういう内容の邦画がいま売れるのか」なんていう深遠なトピックに触れることは一切ないし、考える頭もない。
自分の物の見方だとか価値観だとかが一切抜け落ちた、ゾンビみたいな奴ら。サブカル年長者の金魚のフンをやることに、羞恥心の欠片もない。「独自な物の見方をする人間」についていけば、「独自な物の見方をする個性的なわたし」が出来上がると思っている。
彼らの反応は非常にわかりやすい。ちょっと宇多丸のラジオを聞いただけで、習性がまるわかりで、「ああ、この映画はこいつら叩くだろうな」ってことがすぐに判別可能になる。その分かりやすさが蔓延の原因だといえよう。映画リテラシーがないのに、センスいいと思われたいやつらの格好の逃げ場になっている。
そんで、こういう奴って美意識がないから恥ずかしげもなく部屋に映画のポスターをべたべた貼って、ダサいバンドTシャツを着ていたりするんだよね。それでいて、オシャレに過剰なコンプレックスを抱いているから、「無理してオシャレしているやつは上辺だけの中身のない単なるカッコつけで、ちょっとダサいくらいの自分が本当は一番センスいいんだ病」にかかっていて非常に厄介。自分のダサさまで理論武装しなきゃ生きていけないなんて、ほんとに可哀想だ。
この病気を完治させるには映画について語りだすたびに「それ、ウィークエンドシャッフルで宇多丸が言っていたことだね」って言い続けるしかないと思う。「あ、その映画、町山智浩がキラキラで紹介してたやつか」、「昔、みうらじゅんがその映画をネタにしているのを見たことあるよ」でも可。
「人生で大切なことは、すべて伊集院光のラジオから教わった」とか真顔で言っちゃう恥ずかしいやつら。
映画秘宝系との違いは、映画を見たりする気力も何もなくて、横になってラジオを聞くぐらいの体力しか残されていないのに、自分が第一線にいることを疑わずに最新のカルチャーを必死に否定してくる。「最近のアニメって萌えばっかりで中身がないよね」って見もしないくせにしたり顔で口を挟んでくるのがこいつら。
自分が中年化し、ついていけないことを認めることができなくて、漫画やアニメは伊集院が褒めるものだけが絶対だと思っている。『わたしは真悟』だとか『アストロ球団』だとかね。
映画秘宝系はまだ自分の足で作品を鑑賞しようっていう根性があるけど、こういう奴らにはそれすらない。平気でCMカットのMP3音源を違法ダウンロードして、「やっぱり伊集院さんって聡明だよなあ」なんてアホ面下げてる。その続きはもちろん「本当に頭が良い人って伊集院さんのことを言うんだよな。やっぱり人は学歴や職業じゃなくて、物の見方で頭の良さが決まるんだよな~」なんて考えいて、「ダメな自分は本当は感性が鋭くて、周りのくだらない奴らよりもずっとずっと頭がいいんだ!」って泣きながら自己肯定をしている。
もうなんでもあり。
こういう奴らのためにはっきり言ってあげるけど、「感性」っていうのは行動で示さなきゃ形にならない。布団のなかで自分を慰めるための感性だなんて、ありゃしないよ。ゴミクズよ、もうよせ、こんな不毛な自己肯定は。
「センスがいい」というタグを貼られた商品を必死に買い集めて、なんにもない空っぽな自分を必死にデコレートしようと頑張っている。ビレバンに下駄を履かせてもらわなきゃ、外を歩くことすらできない可哀想な人。自分がビレバンから与えられる餌を食べているだけの家畜だってことに気づけない。
こういう奴がセンスいいと思われたい一心でカルチャーシーンを引っ掻き回して、むちゃくちゃにしていく。「このマンガがすごい!」で上位に入る漫画が悲惨な犠牲者なのは、前の記事に書いた通り。
なんにも作り出せない、作ろうともしないくせに、必死に消費物で「ぼくちゃん、クリエイティブなんだじょ!」とアッピールしたい厚かましい愚鈍なマリオネットたち。
こういう奴には「お前、ひょっとして浅野いにお漫画の登場人物を気取ってない?」って聞いてみよう。ズレてない眼鏡を何度も押し上げながら、「き、きみぃ、いにお漫画はね、単なるセンチメンタルじゃなくて実験的な手法にも取り組んでいて云々」って聞いてもいない作品論を震えながら語りだすぞ。
さらに「そのボブ、もしかしてつぶやきシローをリスペクトしているの?」って言ったら卒倒しちゃうので注意。
もし友人にこの手合いがいたら適度に自意識を潰してあげて、「やっぱビートルズが一番だよな」ぐらいのレベルに留めさせてあげるのが吉。弾けもしないのに部屋に置いてあるギターは、親切心で河原で燃やそう。
そう、お前らだよ。お・ま・え・ら☆
はてブやツイッターなどの安全圏からお手軽に一言批判して、「ふふ~ん、ぼくちゃん、こいつらよりも頭がいいもんね~。見てみて! ぼくこの人否定しているよ!! こいつより頭いいんだよ!! ほら、見ろよ、もっと! 見ろっ、見ろぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!」と汚い欲望を身体中の穴から漏らしている。
文字数制限を盾にして根拠もなにも示さずに、自分の頭で否定できる一文をなんとか見つけ出して、「やれやれ。きみはなんにもわかってないね」とただ否定するだけ。熟議に何の貢献もしない、耳を汚すだけのノイズ。
大抵のバカなネットユーザーは脳の大部分が「最新情報の暴飲暴食」でスカスカになっているため(俗に言う「グルーポンおせち状態」)、比較検証なんていう基本的なこともできない(本人は「できない」とすら気づいていない。そこを突かれると「時間がないから」「忙しいから」と言い訳して、何も届いていないメールボックスをチェックしだす)。だから、「最後に勝利宣言をした人間」に説得力があると思っちゃう。
このような「つぶやき批評家(気取り)」と「情報ジャンキー」はまとめてネット中毒矯正院にぶち込むべきですね! そこで『アルプスの少女ハイジ』でも見せて、少ない情報をいかに咀嚼するかを学ばせたほうがいい。こいつら、醜く太っていることが勲章だと思っているからさ。
以上、今すぐカルチャーシーンから撤退すべき害毒な消費者4タイプでした。こういう奴らが蔓延っちゃったのは「個性が大事」という間違った教育と、「作品の解釈は受け手が決める」なんていう甘やかしの成果だと思う。
確かにある程度の解釈は読者に任されるだろうけど、それを理由に笑っても怒っても何しても構わないなんてことはない。それだとスタンリー・キューブリックの『博士の異常な愛情』を見て、原子力礼賛だと思っちゃうようなことを許してしまう。
ぼくのような高い視座に立てているクリエイターって本当に少ない。名前を挙げるとしたら、映画監督の紀里谷和明か、小説家の岩崎夏海くらいか。
特に岩崎夏海の『「小説の読み方」の教科書』は上記であげた連帯のためだけや、センスいいと思われたいだけに消費する行為の解毒剤として最適なので、みんな読みなさい。早く読まないと、時代に取り残されちゃうよ。2010年代のクリエイターズ・バイブルだね、この本は。
みんなもうさ、中身のない自分を無理やり肯定するためにアートを利用するのはやめようよ。空っぽな自分を直視して、中身ある人間になるために努力するべきじゃない? ソクラテスもプラトンも、みんなそうやって大きくなっていったんだよ。
今朝のこと。電車が遅れていたし、ラッシュ時だったから、目撃した人も多いだろう
井の頭線に乗り換える人でごった返す中、おもむろにズボンをさげ、そいつは歩きながら、 金魚のように脱糞を開始した。
真後ろを歩いていた人は、とっさに起きたまさかの出来事に対処できず、自分だったら死にたくなるような被害を被っていた。後から続く人達も、まさかそこにそんなものがあるとは知らず、急ぎ足で飛び込んでいた。 そいつは、金魚状態を続け、便秘だったのかと思うほど大量に糞を出し続けた。 駅員が掃除に来る頃には、被害者は相当数に。 そいつがどうやって尻を拭いたのか、捕まったのかは確認できなかった。 被害は、井の頭線のホームまで続いていた。 下痢でもないのに、どうしてホームで脱糞なんかしたんだろう。また、自分のズボンは無事だったのだろうか?
捕まったとしても尻くらいは吹かせてもらえたんだろうか?
写真は撮ったがさすがにアップするのは気が引ける。ほかにも目撃した人がいたら報告してほしい。
実は、女なのか男なのかも確認できなかった。
いるなら連れてこいよ。
ひ孫にランドセル買ってあげたのに、背負ってるの見る事もなく3月に亡くなったじいちゃん。
姪っ子は、同じく祖父ちゃんが買った電子ピアノでいっぱい練習して、ちゃんと発表会やったよ。
間違えなかったよ。
植木鉢の奴枯らせてごめんな。
いつも桃売りに来るおばちゃんも来てるよ。
夏用のパジャマ捨てるよ?
いっしょに買いにいった靴は捨てられん。
金魚はまだ元気やよ。
じいちゃんが建てた家、ちょっと床が心配になってる。
遺産でなんとかするけど、遺産の処理やりたくない気持ち分かるやろ?
じいちゃん。
蕎麦が大好きで、でもこの時期はいつも冷やし中華にトマトのっけて食べてたじいちゃん。
本当にいないの?
去年の春までばあちゃんがいた病院行ったら、もしかしたら二人ともいるんじゃないの?
いつもジュース飲んでたじいちゃん。
じいちゃんが水を含んだスポンジを口に当てると嬉しそうに吸ってたばあちゃん。
二人とも本当にいないの?
さみしいよ。
一人でご飯作ってもおいしくない。
酒屋に勧められた酒もだめだ。
サザエのシーズン来てるよ。
やっぱりじいちゃんとばあちゃんあって俺だったんだよ。
それから母代りに見てくれたばあちゃん、
ほんとに俺があかん事した時以外は全然怒らなかったじいちゃん。
十数年支え続けて、もうどうしようもない所まで自宅で看病したじいちゃん。
それを受け入れたばあちゃん。
今、俺は全然だめだよ。
ばあちゃんが亡くなって、ちょっとして仕事辞めた事知ってるやろ?
でもじいちゃんが亡くなってから、もう何のやる気も出ない。
彼女も作ろうとしてみたけど、
どうしても結婚しようって気にならん。。。
聞きたい事、報告したい事、いっぱいあるよ。
じいちゃん、ばあちゃん。
本当にいないの?
後ろから肩たたいて欲しい。
おい、〇〇~って声かけて欲しい。
俺も、の~、じいちゃんって言いたい。
うら、この問題分かるわ~って自慢したい。
幽霊がいるとか言う奴は全員市ね。
いるんなら俺のじいちゃんとばあちゃんとお母さん出してこいや。
生前の想いがーって言うやつは、8代呪われろ。
31歳で7歳と5歳の子供を残して亡くなった母。
祖母を送ったけど、姪っ子の入学式も甥っ子のアレルギー克服も見ずに逝った祖父。
しょーもない恨み抱いて死んだカスよりよっぽどうちの家族の方が気持ち深いわ。
じいちゃん、ばあちゃん、お母さん、
会いたいよ。
じいちゃん、頼むわ。。。
今私は、鬱状態で仕事を休んでいる。フリーランスのアーティストとして10年ほど。その半分以上を海外でくらし、今もヨーロッパの片隅にいる。
カオスラウンジというグループ、全く知らなかったが、なるほど、人々の怒りがよく分かる経緯だった。
面白いので、コラにはコラに対抗ということで、代表藤城嘘の作品や彼の写真をphotoshopで10分ほどやっつけでコラした絵をPixivに投稿。説明なしのアカウント削除→IPアドレス指定拒否→串刺しIPでの再UP→瞬殺アカウント死亡 などを繰り返して遊んだ。
http://www.rupan.net/uploader/download/1311933348.jpg
で、私の意見。
これ、日本の芸術にたいするマーケットのあり方や、芸大における教育とか、そういうことが根本にある。
まずマーケット。
これは日本だけでないけど、マーケットって、ようはお商売の世界。売れればいいの。芸術家も、批評家も、生活あるから、お金にしなくちゃいけない。
で、やっぱり、売れたものはみんな金魚のふんみたいについていくの。それは仕方ないこと、どこでも。
そのために役にたつのが権威(power)。カオスラウンジは村上隆と美術手帖がそのicon。
私は両方とも死ねと思っている。(殺害予告ではありません… 念のため) 正直。
村上隆は売れた。それはいい。オメデト。尊敬。でももともとサブ・カルなのに、権威的にふるまう?どうして?
本流に対してのalternativeなありかたとして出した、その経験の意味は?
美術手帖。いつも売れ線をおっかけ。責任おわない。コンテクストが脆弱(消極的な取材が透けて見える)。しょうがないけど。お商売だし。でももうちょっと、光を見せてよ、せっかく日本のマーケットで権威もっちゃったんだから。
僕は90年代に青春をすごしたから、今の日本の若い人とちょっと感覚ずれてるかもわからないけど、その時の感覚からすれば、分かる。
日本の人って、権威に弱い。テレビとか、どっかの大学の先生とか、批評家とか、マーケットとか、あとは身近な友人や家族なんかの意見にも。
もちろんどこでもそうだけど、日本はちょっと過剰だなーっておもう。
今自分が見てるもの、聴いているもの、食べているもの、感じているものを、どうやって、「いい」か「悪いか」判断できるだろう?
日本の人は、まず周りをみる。周りの様子にノル人、ソル人…
僕が暮らしいるところの人たちは、まず自分のフィーリングを聴く。で、それから周りの人も見る。それから、どうするかと考える。
yap, subjectは結局おなじなんだけど、順番が違うんだよね。僕がくらしている人たちは、まず自分の意見が先にくるんだよ。
例えば、スーパーマーケットにいって、入り口に物ごいがいる。ああ、かわいそうだなって思ったら、こっちの人はお金渡す。
日本の人は、まず、お金わたす自分の姿が周りからみてカッコワルイ、アタマヲカシイ?、ってかんがえて、無視する。
全員がそうでないけど、そういう傾向が、ある。
この順番が、カオスラウンジの人たちの行動にもよく見える。
http://d.hatena.ne.jp/lie_fujishiro/20110625
端的にいうと、ダサい。カッコワルイ。
同じ芸術家として、引用とかサンプリングについての立場はちょっと分かるよ。ちょっと。
でもさ、想像力って彼らは持っているんだろうか?
例えば満員電車の中で私が突然うんこしたら、みんな嫌がるだろーなーって、なんか創造できる、だから私はうんこしない。
やべぇ、うんこもれそう、もうしぬぅーーーーってなっても、みんな嫌がるだろーなーっておもうから、我慢して、次の駅までまって、でダッシュ。
ま、動機はカッコワルくなりたいってのもあるだろうけど、まぁおんなじように。
で、カオスラウンジの人たちは「ウンコしたい」で、すぐウンコしちゃってる。ブリブリ。
ネットのオタク文化いけてる、売れそう、俺好きやし、カッコええやん、よっしゃ、これで俺の作品つくったろ。
一方的。想像してない。それで誰が傷付くか。
みんな同じようなネタをずーっと話してたり、コラしてたり…。純粋だなーって思うのと、あと普通だなーって思う。
世の中の多くの人たちが、文化については保守的。日本をみたら、なんで演歌や歌謡曲が未だに紅白で重要な立ち位置を持っているかということ。
そういう人たち(=普通の人たち)の気持ちに思いを巡らすのが、やっぱり普通の人であるところの、普通の芸術家でないの?
少なくとも、私は自分自身芸術家としてそういうスタンスを譲らない。
あるいは、もし自覚的にそうした『普通』に対する反抗であるなら、最後までヤリきらないと。
炎上したから?ビジネス・パートナーが予定していた商品をキャンセルしたから?周りのエラい批評家にお説教されたから?
本当に反抗したいなら、まず梅沢ナントカという友達の作品を正当化して、ウルセェ、テメエラなんもわかっちゃいねぇんだよっていって、もっともっと同じ手法で作品を創らなくちゃ。で、その路線で別のパートナーをみつける、そこまでいかないと。
この謝罪、カッコワルイよ。
たぶん村上隆が翻ったのも、この日和見的なところ(態度)で、ア、コイツラ、シロウト。ってみやぶったんだと思う。
で、彼らがここまでやってこれたのが、日本の芸大etc.における芸術教育の影響だろうなぁと。
「売れる」ことを考えすぎ。たぶん、日本におけるfine artの伝統の不在が起因なんだろうけど。
自分が、一人の人間が、今思い、考え、感じていること、そしてそれによって目の前にある作品や起きている事象にたいする疑問を素直に「どうして?なぜ?」と問いかけること。こういう当たり前の姿勢がどうして求められないんだろう?
タマタマ自分がやっていることが売れ線だと。で、エラい批評かなり、curatorなりが、ヨイヨイ、といって、金だして、仕事なりコンタクトわたしたりして、ま、同業者として分かるっちゃ分かるけど、それで、自分がやっていることは全肯定できるのだろうか?
酔いが回ってきたので、またそのうち続きを書こう。
ただ、この件の奥さんに関しては「家事をすべきだとは思わない」。
理由は、明らかに精神的に参っているから。健康な状態ではないから。
その為には夫の理解と協力が必要。
とても納得し、考えを改めました。
このケースでどうするべきか、についてはおっしゃる通りだと思います。
ただ、小町のレスの多くからは、このような考慮を読み取れません。
(直感的には、同様の考慮で「トピ主が悪い」と判断しているのに、それを文章にできていないのかもしれないけど)
ついたレス(質問のみである1つめを除く)を上から順番に見ていくと
それは無理もありません
虹のママ
旦那様が夫婦生活を断っていらっしゃるとのことですが、そんな奥様が気の毒です。
家族の世話ばかりして、このまま自分は何も成し得ずに一生終わるのかと、専業主婦なら一度は思うことでしょう。でも旦那様にそれを言うのは、奥様の危険信号ではないでしょうか?もっと奥様の人生について考えて、手を差し伸べてあげて下さい。お二人で人生を楽しむべきです。
奥様にお化粧してきれいになって欲しいのでしたら、旦那様が積極的にセックスに誘ってあげてください。
ん?
butti
女として扱ってないんだったら仕方ないんじゃないですか?
それとも習い事させてあげたら?
オシャレすることの楽しさを思い出すでしょう。
まるで自分の事を読んでいるようでした。
家事って、してもしてもしきれないし、後から後から家族は何も考えず、部屋を汚し、後片付けは全部 嫁の仕事。
是非、出来るだけ手伝ってあげてください。
手伝ってくれる その気持ちが 女性はうれしいんです。気持ちが救われるんですよ。
そして セックスしたくないのであれば 抱きしめてあげてください。
『君の事を信頼しているし、いつも思っているよ』
と 伝えてあげてください。
お願いします。
「健康なのに食っちゃ寝して家事を夫に押し付けてる単なるダラけ妻」のケースでも妻を擁護できる論法でトピ主を批判しています。
以下、
理由は何ですか? youko
女性として扱っていない? mama
すれば良いじゃん・・・ 夫A
まで、ついた順に10件読みましたが
「女とみてほしいんです!」「レスはありえない」「夫としての”務め”を果たさずに家事を求めるな」「愛はあるのか」…
そんなのばっかりです。
70 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2010/12/12(日) 19:01:53 ID:b4aJ4bYo0
元々、最近はお笑いについて語ることが少なくなりつつあったし。
71 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2010/12/12(日) 19:06:04 ID:auz9M6ry0
>>70
私怨のある人間がたくさんいるから、なかなか止めないんじゃないかなあw
ttp://twitter.com/kujyukurigama/status/13887791108718592
>ピースやジャルジャルは確かに盛り上がってはいたが、あれは『有名所』だからというのがあった。
決勝発表時にピースの番号呼ばれただけで歓声を上げてた人がいたから、この2組に関してはお客さんも甘かったんだと思う。
また母親が『何が面白いのかが分からん』っていうのが目に見える…。
くじゅうくりがま、こちらの期待を寸分も外さない内容w
171 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2010/12/22(水) 18:27:55 ID:YSntCsdu0
ttp://twitter.com/toronei/status/17510894003027968
>吉本以外の事務所や協会が、漫才復興になにやったんだよ。という思いは僕も少し以上の気持ちがあるんだよなあ。
172 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2010/12/22(水) 19:07:55 ID:NLBRWApB0
>>171
「漫才復興」となるとM-1の立ち上げ以上にでかいものはないだろうから、2001年の立ち上げの時点では純粋に素人だったトロ先生に突っ込むのは流石に酷かも。
それよりも先生の前の糞九里がま君の発言の方に吹いた。
>kujyukurigama 僕が審査員を吉本勢で固めていいと言う理由は、お笑い界のことを真剣に考える事務所は吉本のみであり、紳助さんや吉本がM-1を作った。
>そのおかげでお笑い界に貢献してることを考えたら、吉本勢だけで固めたって文句言う筋合いはない。文句があるならM-1と違う大会を立ち上げるべき。 #m1gp
「お笑い界のことを真剣に考える事務所は吉本のみ」って、非吉本ファンの目に触れたら炎上ものじゃね?なんか先生が「漫才復興」と言いなおしてフォローしてるみたいな。
なんか、先生の金魚の糞から進化して、先生より過激化してないか?
173 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2010/12/22(水) 19:54:11 ID:YSntCsdu0
>>172
>2001年の立ち上げの時点では純粋に素人だったトロ先生に突っ込むのは流石に酷かも。
優しいw
トロは所詮「関西中心からしか見えてない視野の狭さ」で理解しやすいんだけど、
この人は何がどうなったのか。
まあこうして、M-1終了でファビョる人がちょくちょく出てくるということなのかな。
先生はどうせ代替があると踏んでるみたいだけど、それもどうだか。
個人的には、こういうコンテスト的なものが、
大昔からあるものを除いて、廃れていく方向になるんじゃないかなと思うけど。
まあ昔の姿に戻るというか。
で願望としては、こいつらのような変な評論がもろとも消えていってほしい。
・・・ってスレチだな。
246 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2010/12/28(火) 01:46:21 ID:MDeCqlji0
M-1について、今ツイッターでやってるのが、後々はてなに上がってくると思われるが、
247 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2010/12/28(火) 02:03:07 ID:MDeCqlji0
>>245
ところがこれが「#m1gp」のタグを見ると他にもいるんだ。例えばくじゅうくそがまとかw
こういう変なお笑い語りを産んだのがM-1の功罪・・・まあ自分は「罪」の方だと思うけど、
結局M-1を終わらせたのも、こういう人種の存在なんじゃないかなと思うわ。
http://b.hatena.ne.jp/hatesenID/20110116#bookmark-28267252
id:hatesenID どうでもいいけど, ひとりごと, あとで消す 私がたびたび"怖い"と怯えているのもソレですよっと/もはやこの界隈で"怖くない"人は脂さん(他数人)くらいかも/己をキ印と気付いてないキ印がいちばん怖い法則/はてなは鉈ぶん回すL5状態のレナだらけな雛見沢やでえ 2011/01/16
こいつ本当に気持ち悪い。
大野に「あなたがよく言う怖いって言い草むかつく。か弱いアピールすんな」みたいに言われたときは
「ちがうんです、私を恐がらないで!って言ってるんです」とか意味のわからない返しをしてたくせに。
はてこを「大野を叩けるからここぞとばかりに出てきた」みたいに言っているが、
こいつ(white_roseとかParis713あたりもそうか?w)みたいな大野の金魚の糞あたりこそ
チェス子、はてこ、あと撤退した多面体あたりを叩けそうなときだけ(大野が出てきたあとで)いそいそと出てくるw
そして今回みたいに大野がフルボッコされてるときはまともな援護もしてやらねえww
そのくせ、こうやって遠くからウンコだけはしっかり投げるときたww
バカノセもこういうときだけはブクマもだんまりで、大野はろくなお友達がいなくてかわいそうだよwww
昼前に銀行へ。私の住む町(新宿から40分もかかるよ)にはこんなにお年寄りが多いんだ・・ってはじめて気がついた。私は学生で、こんな時間に駅前へはめったに行かない。知らなかった。自転車は信号で止まる。私以外は全員おじいちゃんおばあちゃんだ。おっちゃんを思い出す。おっちゃんは中学校の用務員さんで、私が卒業するのと同じに歳で辞めた。70くらいだった。おっちゃんはよく部活帰りの友達と私に、市販のトリュフチョコをくれた。おっちゃんは私と同じ生活圏内に住んでる。高校の時はよく見かけた。でも最近はさっぱり。
おっちゃんは死んだのだろうか。私はゆっくりペダルをこぎながら思う。当たり前だけど人は死ぬのだ。私も、ツイッターで「死ねw」って連発する門村も。そういえば数年前私になついていた野良猫も見なくなった。彼も死んだのかもしれない。
9月の頭に私の遠い(ようで割と近い)後輩が自殺した。同じ中学で、同じ部活の後輩。ニュースで知った。うちの金魚は一昨日死んだ。
週60時間以上働くのを3ヶ月続けて死ぬと過労死認定される・・うろ覚えだけどこんなことがゼミの本にかいてあった。バイト先の社員さんは普通にこんな働き方をしてる。大丈夫かな。心配ー。
死、って遠いようで、そう、割と近くにあるんだと思う。当たり前なんだけどなかなか実感のないこと。
(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)
(世間じゃない。あなたでしょう?)
(いまに世間から葬られる)
(世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?)
大きな主語に託すことで、自分の責任は回避しつつ、発言に権威や説得力をもたせようとする ・・・(ここまで以後便宜的に定義Aとする)
人間に対し、発言の主体のエゴを指摘する ・・・(ここまで以後便宜的に定義Bとする)
だと思っていたら、前半の定義Aの部分だけらしい。
ブコメでも指摘まで含めての意味だと思っている人がいるようだ。
"メソッド"というのはプレゼンの高橋メソッドのように、方法論に考案者あるいは使用者の名がついたものだが、
定義Aを太宰、または作中の葉ちゃんが考案したわけでも使っているわけでもない。
太宰ファンとしても「太宰はそんなこと言わない」と言いたい。
定義Aだと対象がありふれていてつまらない(濫用うざいという意見もある)ので、
有用な方法とするには定義Bのようにエゴを指摘する部分とセットにする必要がある。
おかげで"太宰メソッド指摘メソッド"などという金魚のフンがくっついたような言葉が検索にヒットする始末だ。
定義Aに"太宰メソッド"と名づけたソースは分からないが、太宰の名を持ち出したのは以下のエントリのようだ。
http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20090928/1254121088
定義Aのような方法論ともいえないチンケな精神に、抑圧する人間のエゴをあきらかにする鋭さを見せた作家の名ををつけるのは無礼ではないだろうか。
はてなキーワードの説明で、主にプログラミング云々とあるが特に関係のないプログラミング単位の"メソッド"をここで持ち出す時点で俄かかと思う。
"~メソッド"という言葉は有用な方法論の考案者に対するリスペクトをはらんで使われているが、そういった意味合いもなく、センスがないと言わざるを得ない。
定義Bなら相手の発言の構造を批判しつつ、葉ちゃんが感じたような解放や、
一方で現実的に相手に言えるだろうかといった方法自体の有効性についての緊張感を背景に持つこともできる。
定義Bの使い方としては、
「みんなさー、おっぱいだいすきなんだよ。ほっぺみたいで、おなかみたいでさー、シュークリームみたいだからさー」
に対して、
「それ太宰メソッドだ」
だったのが、
「太宰メソッドをぶつけたい」
に変わるわけだ。
@y_arimがこれ見て定義変えよう、とか言い出して
多少なりと意味の広がった言葉の定義を書き換える、という混乱が発生すると社会実験的で面白いんだけどな。
参考URL
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C2%C0%BA%CB%A5%E1%A5%BD%A5%C3%A5%C9
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/keyword/%C2%C0%BA%CB%A5%E1%A5%BD%A5%C3%A5%C9
http://tweetbuzz.jp/entry/5079977/d.hatena.ne.jp/keyword/%C2%C0%BA%CB%A5%E1%A5%BD%A5%C3%A5%C9
http://anond.hatelabo.jp/20080721222220より。
http://anond.hatelabo.jp/20080726023345を受けて。
まあ、どのくらいの数の白泉男子がそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない花ゆめコミックスの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、2000~2009年の花とゆめコミックスのことを紹介するために
見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に花ゆめを布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う20巻、30巻越えの漫画は避けたい。
できれば巻数1桁、長くても既刊10巻にとどめたい。
あと、いくら花ゆめ的に基礎といっても時期がずれすぎるものは避けたい。
テニス好きが『しゃにむにGO』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。(連載開始が98年だから)
そういう感じ。
彼女の設定は
花ゆめ知識はいわゆる「花ゆめ黄金期」的なものを除けば、ドラマ版「ガラスの仮面」程度は見ている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「オトメン以前」を濃縮しきっていて、「オトメン以後」を決定づけるだろうという点では
外せないんだよなあ。長さも既刊10巻だし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
このトキメキ過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな花ゆめコミックス(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「白泉男子としてはこの二つは“神漫画”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種の歴史漫画オタが持ってる江戸への憧憬と、ゆるゆるのオタ的な架空歴史へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも津田雅美な
「耽美的なかわカッコよさ」を体現するソウビ
の二人をはじめとして、オタ好きのするキャラを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「どろろだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後も続いていること、これが単行本では収録順大変更になったこと、
少年漫画なら能力バトルになって、頭脳戦が展開されてもおかしくはなさそうなのに、
少女漫画でそういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり恋愛は障害を乗り越えるものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「赤髪の白雪姫」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかけるふじつか雪の思いが好きだから。
断腸の思いで伸ばしに伸ばしてそれでも全2巻、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「続ける」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
金魚奏の短さを俺自身は短絡とは思わないし、もう伸ばせないだろうとは思うけれど、一方でこれが
美内すずえや魔夜峰央だったらきっちり未完の大長編にしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて2巻に収めてしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきたもの膨らませきれないオタク」としては、たとえふじつか雪がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層で蛍火見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
夏目友人帳よりも前の段階で、緑川ゆきの哲学とか漫画技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの作品がLaLaDXでこの時代に掲載していたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく白泉社好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆる夕方再放送アニメでしか夏目を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
ふじもとゆうきの「目」あるいは「絵づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「終わらない群像劇を毎日生きる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそアニメ版『学園アリス』最終話は「俺たちの学園生活はこれからだ」以外ではあり得なかったとも思う。
「祝祭化した日常を生きる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
加速剤はキラメキにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうフェティシズム風味の愛欲をこういうかたちで漫画化して、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。
オトメンから始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、アニメ化から始まるハルヒブームの先駆けと
なった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。