はてなキーワード: 白磁とは
歌舞伎の「播州皿屋敷」に出て来る白磁の丸皿の出どころを考えてみる
当時、白磁は、ザクセン公領のマイセンでも作り始められており、10枚セットと言えば欧州風だ
むしろ、和食器では、大きい丸皿というのはあまりないのではないだろうか
細川氏の重臣だった悪役の青山鉄山は、謀反計画を知った諜報のお菊に冤罪をかけて殺害したという
謀反ということなら、青山は細川の目を逃れて武器を購入し、白磁の皿も貰ったのかもしれない
さて、当時はオランダ貿易時代だが、オランダ・イギリス・ポルトガルはスペイン継承戦争で同盟しており、英蘭戦争の前なのでオランダ人もイギリス人を普通に雇用しており三浦按針もいたわけだ
俺の隣の席に、突如女の子が来ることになった。
仕事もクビにならない最低限度程度を低空飛行し続けてる、自他ともに認めるポンコツ。
だから長いこと俺の隣は空席だった。
そこに突如、女の子が座ることになった。
いざ本人が来たとき、咄嗟に「えっ?!」と思わず声を上げそうになった。
とにかくすんげぇ美人。
新垣結衣と石原さとみを6:4でブレンドした後に橋本環奈を隠し味に仕込んだような、今までに芸能人でも見たことのないような美人だった。
にわかに緊張が走った。
俺は聞いたことがある。
キモヲタが美人を目の前にして色々おかしくなっちゃった多々の実例を。
だからとにかく、"あたらず・からまず・かかわらず"を決め込む決意をした。
まず衣服。
正直、スーツを最後にクリーニングに出したのはいつなのか思い出せないほど着倒していた。
「(このキモヲタオジサン、マヂ臭ぇ…)」と思わせては一大事。
速攻で青山に走って新調した。
次に息。
過去に人から指摘されたことがあるんだけど、俺の息はなんか「んはぁ~ んはぁ~」って音出してるらしい。
「(このキモヲタオジサン、マヂ息きめぇ…)」と思わせては一大事。
一時は意識しすぎて息が何度か止まったが、何とか無音を保つように改善した。
次に物音。
過去に人から指摘されたことがあるんだけど、俺は動くだびに「ガターン」とか「タァァァーーーンッッッ」とか、そういう類の騒音を撒き散らしてるらしい。
一時は意識しすぎてトイレにも立てなくなりかけたが、何とか人並み程度のdBに抑え込んだ。
あとはあいさつ。
「あいさつくらいは元気よくしないとね!」と言われがちだが、キモヲタにはこれは適用されないことは俺はわかっている。
それさえもウザがられることはヒューリスティックから裏付けられている。
「…ぉ~~ぅっ~…(訳:おはようございます)」と、"何も言っていないわけではないが何かを言っているとは明確にできない"絶妙な声掛けを心掛けた。
それに対して美人さんは「おは…す…」と、これまた絶妙な返しをしてくれた。
そんな感じで「無視してるわけではない、でも意識してる素振りはない」言動を半年ほど続けたある日、フロア全体の大規模な席替えが一ヶ月後に行われることになって、件の美人さんは遥か遠くの席に移動することになった。
正直、「(ふぅ~ やれやれだぜ)」という心境だった。
なかなか気苦労が絶えない感じだったので、これでまた心穏やかな孤立生活が再開できるかと思ったら気が晴れる思いだった(新しい俺の席の隣はまた空席)。
すっ、と、俺の目の前に飴玉が3個、差し出された。
飴玉3個、俺にくれるらしい。
そしてその美人さんは実にか細い声で、こんなことを言ってきた。
「この席、気楽でよかったです。ありがとうございました。」
俺は「そう?それは良かっデュフフフフ」と言ったか言わずかのうちに飴玉を丁寧に、美人さんの手のひらに一切触れることなく細心の注意を払いながら受け取って
その場をおさめた。
席替えが終わった次の日に、年中小うるさく図々しいオバチャン社員がドタバタとやってきた。
そんで聞いてもないのにあれこれ話してきた。
何でも、あの美人さんの異動は急なことだったらしい。
前の部署でストーカーまがいの付きまといにあって、急きょ部署異動となったそうだ。
相手は"自己都合退職"したらしいけど、美人さんの心中はやはり穏やかになりきれず、異動の処置がされたらしい。
急な話だったものだから空いてる席が俺の隣にしかなく、"仕方なく"俺の隣に座らせたらしい。
でも、もし俺が美人に浮かれてあれこれと絡もうものなら、即、席替えをするつもりだったそうだ。
ところが意外(?こちとら心外Yeah!!)にも俺が当たらず触らずの対応だったから、そのままにしていたらしい。
「アンタだったら真っ先にいろいろ余計なコト言ったりやったりしそうって思ってたのにさ!紳士だったねー!エラい!」と、お褒めの言葉をオバチャン社員から頂いた。
俺は改めて思った。
それは元気な挨拶でも他人を気に掛けることでも爽やかに振舞うことでもなく、"何もしないこと"であることを。
無味無臭の空気になって、存在をアピールしないことこそ、唯一のできることであるのだ。
そんなこんなの出来事だったけど、ただ一つ、良いことはあった。
上記したとおり、他人(特に男)に対して人一倍警戒せざるを得ない状況の美人さんが、たまにたまたますれ違った俺にだけ、ごくごく軽く会釈してくれるのだ。
はは、
とにかく俺は、これで十分満足だ。
手に持った白磁の皿をおもむろに床へ叩きつけ「出陣じゃあ!」「オウッ!」
へうげものは史書じゃなく娯楽だから楽しめればそれでいいし、じっさいそれなりに楽しめた。アニメもよかった。
おれはというと、途中で読むのやめた。史実からの離れっぷりが壮大すぎて、さすがについていけなくなったw。
ただあのマンガが契機で茶湯や焼き物が好きになった人もけっこういるし、個人的には「へうげ十作」がすごいと思った。
追記。
なんか盛り上がってますねー。びっくりです。盛り上げてくれてありがとうございます。
古い記憶をたどると、大江憲一先生の粉引き茶盌、瀬戸黒茶盌はよかったな。大江先生は2010年代とは作風かわられましたね。
多治見の加藤委先生の青白磁は食器が好きです。角皿は菓子器にも花器にもなるし。あとスパゲッティ食いたい。ベーコンとガーリックと春菊のパスタ。
金理有先生のオブジェは、露地の結界とか燭台に使わせてほしい!
kash06さん好みの伊藤先生、寺田先生、穂高先生。おれもいいと思います。色や柄は写しあり独創ありでそれぞれですが、長次郎型、織部型、黄瀬戸向付型、みんな茶盌として定着した型です。つまりお茶を点てやすく取り回しやすく飲みやすいタイプ。ここをはずしたら茶陶じゃないw。篠原先生は、茶陶よりも平安期の古信楽を意識した大作がかっこいいと思います。でも、写しから脱却した自由なかたちの皿のほうが、ほんとうは好きかも。
ただへうげ十作のすごさは個々の作品だけではなく、それを全国、ときに海外からも持ち寄って一座建立をじっさいにやってしまったこと。そこには制限も境界もなく徹底的に自由だったこと。つまり文化を構築する作業だったこと。そこがすごかったし、いまでもすごいと思っています。
スウェーデンの夜を覚えている。2月のスウェーデン。坂道を歩く。サーブ、フォルクスワーゲン、トヨタ、表情豊かな車が路肩に並び、眠っている。不思議とどの車もくすんだ色になる。
北欧の夜には不思議な静寂がある。凍ったアスファルトが音を吸いとってしまうのかもしれない。街灯の光子も彫刻のように止まっている。
あの冬、仕事で北欧にいた。同業者と一緒に北欧を回る出張だった。みな、巡礼者のように、同じような黒のダウンジャケットに身をつつんでいる。凍った道に足を取られないよう、歩幅を狭くして、冷気で化粧した街を歩く。
「ペリカン」という名のレストランに入ったのは、北欧に着いてから何度目かの夜だった。タイル張りの床、チークの壁、スカンジナビア特有の、あのとろけたような飴色の照明。ビアホールスタイルのペリカンレストランはダンスフロアのように広く、笑い声とグラスを打ちつける音に溢れている。今までに見たどのレストランよりも薄暗いが、しかし、今まで見たどのレストランよりも客の顔が明るい。
僕らは4つのテーブルをくっつけた一角に座る大所帯で、めいめいが好きなビールを、あるいはワインを、ぶっきらぼうな英語で注文した。テーブルのろうそくが子熊のダンスのようにゆらめく。人の瞳を大きく見せる、不思議な炎だった。スウェーデンで覚えた「スコール!」の掛け声とともに、琥珀色の液体を冷えた胃に流し込む。
ざらざらとした紙のメニューは、スウェーデン語と英語の2つが印刷されていた。チーズ、魚、マッシュドポテト、そして子猫の頭ほどの大きさがあるミートボールがテーブルに並ぶ。肉厚な白磁の上で、てらてらと光る料理を見ていると、夢と現実の境界が曖昧になる。メニューに刻まれた”smaklig spis!”の文字が滲んでいく。
ふと隣のテーブルを見ると、やけに騒がしい。スウェーデンの若者が盛り上がっている。年の頃は20代。テーブルではしゃぐ8人全員が屈強な男たちだ。不思議なことに、全員が純白のナプキンを頭にかぶせている。ナプキンの四隅を結び、帽子のようにして。
水夫のようだ、と思った。彼らはだいだい色の髭と睫毛をろうそくの光に透かし、歌を歌い始めた。樽いっぱいの勇ましさに、ひとさじの寂しさを混ぜたような合唱。なぜかその歌と、その力強い瞳と拳とは、バイキングを思い出させた。
アルコールの助けもあるのだろう、バイキングのひとりが、僕らに話しかけてきた。君たちはどこから来たのか?トウキョウだと答える。すばらしい!乾杯!と男が叫ぶ。テーブルでできた国境は曖昧になって、アジアとスカンジナビアが溶け合った。トウキョウの明かりは闇を削る。北欧の光は、闇をぼかすようなやわらかさがあった。
日本の歌を聞かせてくれ!——スウェーデンの若者がテーブルの向かいから叫んだ。僕らは困り果ててしまった。この異国の地で、ここにいる日本人が詰まらず歌えて、しかも日本を代表するような歌……それは一体なんだろうか?
君が代。いや、堅すぎる。「翼をください」はどうだろう?しっくりこない。誰かが言った。「『ふるさと』だ」
そして僕らは、声を揃えて歌った。
兎追いしかの山……小鮒釣りしかの川……夢は今も巡りて……忘れ難き故郷……
北欧の地においても、当然ながら僕らは日本語でコミュニケーションをしていた。でもそれ以上に、「ふるさと」は日本語で話していることを意識づける歌だった。
8000キロ離れたスウェーデンの地で、この歌の持つ郷愁は凄まじいものがあった。僕らは住んだこともない日本の原風景を思い浮かべて、目頭を熱くした。バイキングの若者たちはその大きな手で拍手する。ペリカンレストランの客にとって、「兎」や「小鮒」から浮かぶイメージは、僕らのものと随分違っていただろうが、歌の持つなにかは伝わった。
そして彼らは返歌とばかりに、彼らの故郷の歌を歌った。いや、実際は故郷の歌ではなかったかもしれない。けれど、僕らが言葉とメロディで故郷を表現したことを、彼らは彼らなりに感じとって、故郷の歌を口ずさんだのではないかと思う。そう思いたいだけだ。独りよがりかもしれないけれど、ペリカンレストランの光は、そう思わせるに十分な魔力を持っていた。
歌の交換が終わり、場が落ち着いて、ひととおり肉と魚とアルコールを胃におさめた後、僕らは三本締めを派手に決めてやった。これもスウェーデンにはないものだ。隣のバイキングに威勢を張るため……あるいは、友好の意を示すため、僕らは目配せし合いながら手を掲げた。「イヨォーオ!」という掛け声とともに掌を打ち付ける。スウェーデンの若者がワッと歓声をあげる。「俺にもやらせてくれ!」誰かがスウェーデン語で叫んだ。「よし!」日本語が応える。片言の「イヨーオッ!」、それに呼応する柏手。そして都合3回の三本締めを終え、スウェーデンの夜はふけた。
あれは夢だった、と言われても信じてしまうくらい、全てが出来すぎた夜だった。
ホテルに戻り、ベッドに倒れ込む。
頭の中に、凍りついた道と、白い息と、温かなテーブルと、チョコレートのようなミートボール、人懐っこいスウェーデンの男のきらきらした眉毛がこびりついている。
3
3日目 午前
旅先では余り眠れない事が多い。
今日が今回の台湾旅行で最後の朝だけど、グッスリとはいかず、7時前に目が覚めた。
ボーッと窓の外を眺めていると、部屋の外からオバちゃん2人の声が聞こえて来た。
お客さんかな?ベッドメイクかな?
それにしても、楽しそうによく笑う。
朝食を済ませた後、ホテルのすぐ隣にあるコンビニで、スイカ牛乳、japan walker、烏龍茶を買った。
昨日も女性誌を買ったけど、現地の雑誌というのは興味を唆られるものだ。
昨日、台北車站の地下街を歩いているとき「中山地下書街」という掲示を見たが、午前中の地下街は人の流れもまばらで、場所がよくわからなかった。
烏龍茶を飲んで「美味い!」と呟いた。
あとで再購入したときによく見ると、材料表には「香料」もあったが、それは台湾人の嗜好としてこの香りが重要という事だし、美味ければ大きな問題は無い。
ホテルの窓際でこの旅行記を書いていると、ザっと雨が降って来た。
台湾は雨が多いので、雨具を持って来ていたが、旅行を通して行動に困るほどの雨がなかったのは幸運だった。
雨はすぐに小ぶりになったけど、窓の外にはまだ傘の花が咲いている。
あと数時間でチェックアウトだ。
午前9:45分。
雨はとっくに止んでいる。
定刻にはまだ数時間あったけど、チェックアウトする事にした。
空港への送り迎えのため、ここには21:00にまた戻って来る事になる。
3日目 午前
世界に展開するグローバリズムの象徴、スターバックスはここ台北にもある。
わざわざ海外に来て、世界中にある店に入り、ローカルの微妙な違いを見るもの楽しいものだ。
150元を支払い、アイスのカフェモカ、グランデサイズを受け取って2階に上がると、そこでは男女がラップトップを開いていた。
コーヒーを飲んだ直後で大してのども渇いてなかったが、入ってみる事にした。
入り口には行動を禁ずる、べからず集が書いてあり、犬とハンバーガーにバツ印が書いてある。
その下に「禁止打牌」。
ペットを連れ込むな、食べ物を持ち込むなはわかるが、「トランプするな」は新鮮だ。
ドトールで頼むものといえば、ミラノサンドのA以外ありえなく、これはスタバのドヤリングと同じ様式美なのだが、残念な事に、11:00以降しか頼めないようだった。
少しがっかりして、70元を支払ってアイスの紅茶を頼むと、何も入れなくても甘かった。
旅行を通して概ね正しいエリーさんの助言に一つ違を唱えるなら、台湾版suica、悠遊卡についてだ。
エリーさん曰く、チャージした金額の有効期限は2年だし、デポジットの100元が勿体無いので、頻繁に台湾に来るのでなければ購入を勧めないとのことだったが、実際に使ってみると、メチャクチャ便利。
複雑な購入手続きで切符を買う必要なく、地下鉄も台鐵もバスもピッとやるだけでOK。
多少の損を補って余りある便利さの悠遊卡なので、台湾に来る際は是非購入を勧めたい。
帰りの便までまだまだ時間があるので、悠遊卡に100元チャージして、地下鉄で台湾北部の景勝地、淡水に向かった。
3日目 午後
駅前を歩けばすぐ海岸で、晴れ渡った空の下、おっちゃん達が釣り糸を垂らしていた。
ふと見ると赤い看板。
「本河岸遊客衆多
為維護遊客安全
本路段禁止甩竿汉示」
さて、初日の寧夏夜市で食うつもりで、メモまで描いたが、食えなかったものがある。
「千と千尋の神隠し」で、千尋の両親が食って豚になってしまったモノではないか、と言われている謎のプルプル、肉圓だ。
海岸から山の方に上がろうとして通り掛かった海の家で、「肉丸」と書かれた看板が掲げられていた。
昼時で丁度いい、食おう。
「それだけでは足りない」とエリーさんが言っていた肉圓だが、いざ食って見ると、正体不明のプルプルは意外とお腹にたまり、1杯で小腹を満たすに充分な量だ。
こんなものを大量にガツガツ食えば、それは豚にもなってしまうのかもしれない。
台北についたのは午後14:00過ぎ。
今なら人に流れについていけば「中山地下書街」を見つけられるかもしれない。
やがて中山站を過ぎると、右手に地下街にそって長い本屋が見えて来た。
「中山地下書街」
やった、本屋だ。
「誠品書店」に入って見ると、平積みにされていたのは、謝馬力 著「女子翻轉」
台湾版Sex and cityか?はたまた中国のジェーン・スーか。
ほとんどの本が何を書かれているか、全くわからないんだけど、1冊、ピクルスの作り方に関する本があった。
これならなんとか分かるかもしれない。
分からなくても、開いているだけで楽しそうだ。
買って帰る事にした。300元。
これは是非行かないといけない。
新光三越に着くとデパ地下はどうやら地下2階。日本より小ぢんまりとして、お菓子などが中心ではあるが、これぞデパ地下という光景があった。
色々な店が軒を並べる中、お茶の店があり、白磁の蓋碗がディスプレイされている。
日本に帰って、同僚とお茶を飲む為に、何か茶器が欲しかったから丁度いい。
560元は、多分日本より安い。
3日目 夕方
あと5時間で迎えが来るが、台湾でやりたい事リストの最後の項目がまだだった。
台湾で清粥といえば、飲んだ後に食べるものらしく、店が開くのは17:00からだった。
最近、アルコールに弱くなったし、台湾では心置きなく食いたかったので、旅行中は一切、酒類は飲んでいなかった。
この店では、ショウウィンドウの中からおかずを選び、それにお粥が付いてくる。
どれにしようか?
ショウウィンドウ越しでハッキリ見えないが、美味そうな炒め物を頼んだ。
席に着くと、鍋一杯のお粥。
さあ食うぞ。
しかし、運ばれて来たおかずを見て一瞬たじろぐ。
もっとよく見りゃ良かったぜ、ここは屋台ではないが、エリーさんの忠告を思い出す。
これを食えばあとは帰るだけとはいえ、もし飛行機の中で降せば大きな問題を抱える。
最悪当たるにしても、迎えのくる21:00までにスパっと終わるか、自宅に帰り着く翌10:00以降にしてほしい。
恐る恐る口に運んだ牡蠣は、豆豉の風味が効いて美味く、お粥は歩き通しの身体に優しかった。
無名子 清粥小菜を出て、おそらくこの旅で最後の地下街を乗り継ぎ、ホテルの最寄り駅に出ると、道路はしっとり濡れていた。
参ったな、あと一息で雨だ。
でも3日間で学んだのは、台湾の雨はすぐ上がるという事。
意を決して歩き出すと、どうも降っていたのはさっきまでだったらしく、殆ど雨には当たらなかった。
3日目 夜
ホテルのフロントでこの旅行記を書きながら迎えを待つと、女性2人の親子連れが入って来て、フロントに尋ねた。
日本語だ。
そんな基本的な事を聞くって事は、多分今日 このホテルに着いたのだろう。
自分は今夜、日本に帰るが、今日、日本から来たかもしれない人がいる。
ここでは毎日、入れ違いで人が行き交うのだろう。
しばらく待っていると、また日本からの家族連れがフロントにやって来た。
お父さんが、自分の胸を指差して、現地で買ったTシャツになんと書かれているか聞くと、フロントの男性は、ちょっと戸惑いながら答えた。
話しているのは中国語で、スーツケースの大きさから見ると、多分大陸の人だ。
一団はひっきりなしに喋っていて、声も大きい。
この旅行であった人たちの中で、もっとも賑やかな人たちかもしれなかった。
嵐のような一団がフロントを過ぎると、迎えのツアーガイドがやって来た。
「英語名はありますか?」と聞くと、「無いですね、僕も英語は喋れませんし」どうもみんなに英語名がある訳では無いらしい。
チャンさんは人当たりが良く、風貌もイケメンというか、今風で、ちょっとチャラい感じといえなくも無かった。
空港までの車の中で、たくさん起きたことを話し、少し疑問だった事も答えてくれた。
台湾の男性が機内でメガネだったのは、ちょっと上の世代で伊達メガネのブームがあった事。
台湾で男同志の性愛を描いた映像作品を観たのは、おそらく同性結婚が法的に認められたのと関係がある事。
ドトールのトランプ禁止は、解禁するとギャンブルをやっちゃうからである事。
ついでに、チャンさんは実は以前に日本に来たことがあり、出逢いを求めて相席居酒屋に行ったら、40代以上の女性ばかりで少しがっかりした事も教えてくれた。
やっぱりちょっとチャラかった。
チャラいけれども、仕事をきちんとする好漢のチャンさんは、チェックインまで付き合ってくれると、出国手続きや再両替についても教えてくれた。
台湾で出会う人は素晴らしい人たちばかりで、チャンさんもまた例外では無かった。
もう直ぐ台湾を去る。
台湾でしたい事の全てが予定通りに行えて、多くの予想以上があった。
「全てが掛け替えのない3日間だった。ここに来て本当に良かった。」
でも、最後は、滞在中に助けられ通しだった方法以外にあり得ない。
「じゃあ、僕はここで」と微笑む彼に、ホテルの部屋で朝に書いた、最後のメモを見せた。
「太棒了、台湾」
前回までのあらすじ
三十路に入って空からぼた餅とひょうたんと彼女が降ってわいてマグワイをキメたけど
後ろで流してたNHKBSではプレイ中に映像の世紀が流れてるし、うまくいかないし大変だったという
アポーパイの作り方を書いたほうがいくぶんかマシだ的増田を書いて即消ししたところ
こころやさしきはてなブックマーカーたちに「それ膣内射精障害じゃね?」と言われてはや半月が経とうとしていた。
あらすじおわり
ある逢瀬にて、俺は彼女を自宅につれこみ、およそ読者が期待するようなフェティシズムも変態性も存在しないつまらないマグワイに興じていた。
彼女のほうは気にしてないそぶりではあるものの、男子たる俺のほうは毎度死地に赴く覚悟で挿入を果たしているのである。
精神的にも器質的にもおそらく欠陥があるので、結局どちらかが疲れたところで見られながら手淫の運びとなるわけで非常にむなしい。
むろんそれはそれで興奮するのであるが、毎度その方向でフィニッシュをキメていくと
「どうせ私より手のほうがいいんでしょう?」と言われかねない。
実際言われた。
そんなことはないというか、そもそもそれぞれの行為で得られる快楽は別物なのだが、
かぶせるように「下のほうのきみは正直だものね」とかいわれてしまうと正直さにさらなるボーナスポイントが割り振られレベルアップしてしまう。
ともかく今回は、ことのほか時間をかけたせいか、前日十数年ぶりに北方謙三三国志を読みなおしたせいかはわからんが
彼女の中ではじめて射精に至る性的オーガスムに達することができた。
あと、"ことのほか"って見る度に、「ことほの」が連想されて「そうやってうみちゃんをハブるのはよせよ! かわいそうだろ!」って思わない?
ああ、思わないならいいんだ。話を続けていいかな。
めでたく射精できたんですよ。
そう、ちゃんと外に出したしコーラも買ってある
堪能する間もなく、というより射精した直後、
脳とか脊髄からフワーっとそれまで腰とかを動かしていたエネルギーが雲散霧消する瞬間を見計らったように
チャイムが鳴った
「ああ、祝福だ」
彼女氏も「おめでとう!」と手を叩いてくれているし、これは祝福の鐘なのだなと理解した。
ティッシュとインターホンの受話器を同時に持ったあげく、マイサンではなく送話口にティッシュを押しつけていた。
抑えるものなく、やむなくこぼれる精液。
俺は濡れた陰茎を左手に
濡れてないインターホン受話器を片手に努めて冷静を装い
「あ、すみません、5分待ってください。今イきました」
「どっちですか???」
そして紆余曲折があったあと、めでたく防災設備点検が終わった。
三十路の薄汚い性欲はもはや満足してしまっているので「今晩米とライスどっちがいい?」とか彼女に聞いてしまうものの
ここを引用して「解散」とかブクマをつけると様々なひとが傷つくので一度自分の人生をふりかえってみてほしい。
さて、彼女氏もまた、俺のファットボーイスリムでは満足出来ない身体であった。
俺は彼女氏に、自分のふがいないファットボーイスリムでは満足させられないことを嘆いて
過激な振動をする人肌ににた樹脂で周囲をコーティングされた水洗いもできる充電式のジョークグッズを買い与えていた
俺がしがないファットボーイスリムなら
そのジョークグッズはさながらダンシングドールといった装いだ、動きも。
潰れたアニメ制作会社みたいな名前をつける彼女のセンスを疑ったが、口にはしなかった。
彼女は俺のいないときのみならず、情事が一段落したあとでも"権蔵"を持ち出した。
俺の名前ではなくジョークグッズの名前を呼んで嬌声を上げる彼女の姿。
それをいまいましげに眺める三十路男の姿。
ジョークグッズから彼女を奪い返そうにも、下半身は祝福を受けてしまっており、明日の夜まで再び堕落はしないだろう。
これほどむなしい情景があるかといわんばかりである。
そして同時に、そのいまいましい自分で与えたジョークグッズへの嫉妬を募らせていた。
これは我が裡に潜む鬼なのだと気づいていつつも、蛮行を止めることはできなかった。
俺は自慰を続けながら敏感になる彼女のニップルをさぐりながら、即興の歌を歌った
ゆけゆけ権蔵 勝利のために
きこえるかこのよろこびの声が
すすめしげみの奥の奥
目指すは闇の下の豆
わりと足癖が悪いという彼女の新しい一面を知ることができた。
ふるえろ権蔵 明日のために
きこえるかぼくらの快哉が
きみは責めるんだ下の豆
上の豆ならふたつある
別れ話になった。
我が家のしきたりでは、高校を卒業し18歳の春をむかえると、子供は家を出て各自の裁量で生活することになっていた。
もし進学したければ、学費は出してもらえたが、それ以外の生活費は基本的に自分で出さなければいけなかった。
俺はというと、地方の国公立大学に進学を決めていたので、大学近くの安い学生寮に入ることにした。
学生寮といっても住んでいる連中は、大学や専門学校生はもちろん、ミュージシャンの卵やフリーターなどおおよそ金のない若者の見本市のようだった。
ミユは、白磁器のようなすべすべとした肌で、墨でひいたような黒髪を鎖骨まで伸ばし、前髪は切れ長の目の上で揃えていて、一見クールな印象だったが
それでいてあまり高くない鼻と薄く小さい口に幼さが残り、ちょうど子供から大人へ移り変わるところといった顔立ちをしていた。
冬場はいつも暖かそうなクリーム色のとっくりセーターと黒いタイツを身につけていて、そのふっくらとした女性的な体の線に心乱された男も少なくなかった。
容姿は目立つのに、自分から目立とうとはせず、ひとりのときは絵を描いていて、みんなといるときはバカな話をニコニコと聞いているような子だった。
つづくかも?
眠れないのです。
夜。ベッドの中。カーテンを引いて、蛍光灯を消して、まぶたを閉じて。ゆっくり深呼吸をしてみるのです。鼻から息を吸い込んで、肺を満たして、お腹も膨らまして。手の先が、足の先が、脳髄が、すうっと青く、清流のように涼やかになるのを感じてみても、だめなのです。やはり。だめだったのです。
疲れていないからだとか、カフェインの摂り過ぎだとか、日頃の生活が自堕落だとか。当て嵌めることのできる理由原因は多々あるように思えます。日々の生活が自堕落で、ひび割れた白磁のごとく大量の珈琲を啜る中毒者は、ろくに働きもしない穀潰しでしかなく、同時に何者でもない、没個性的な、凡凡人未満でしかないのです。故に、極ごく平均的な成人が晒されている、日常的な疲労からは程遠い生活を送っている。
しかしながら。それにしてみても、眠れない。ひどく。断固として。眠られないのです。
暗闇の中で深呼吸をしまぶたを閉じると、ぽつぽつと、無秩序な幾何学模様が浮かび上がってくるのです。あるいは、とても醜悪な醜怪極まりない密集が浮かんでくる。てらてらと膨れ上がった小さな小さな黄白色の突起が、わっと眼前に広がってふるふると震えているような画面が、姿を変えて形を変えて、次から次へと展開していくのです。
あるいは、蛍光緑に染まった何かしらの表面に穿たれた無数の窪み。延々とサークルが近づいていたと思えば、突如としてデルタが積み上がっていく。標識は零に置き換わり、麦わら帽子を被った縦列の二つ目に、無味乾燥な眼差しを向け続けられる。
ゆめのような、まっことゆめのようなイメージが、次から次へと、流れては消え、移ろい、変遷していくために、ちっとも落ち着くことなんてできないのです。
ですから、例えば、羊を、柵を飛び越えていく長毛を纏った獣の姿を、諄々に思い浮かべようにも、転々と変化する脈絡のないイメージからは逃れるすべなどなく、横切る羊の眼に顕微鏡が向けられるやいなや、拡大に拡大を重ねたイメージはすぐさま瞳孔へと呑み込まれて、落ち込んだ暗闇の中で新たな表象と対峙するはめになる。
別段、精神的に参っているわけでも、心理的に煩っているわけでもないのです。ただただ眠られない。ひたすらに。純粋に。それだけのことなのです。ちょっとした、些細な物事なのです。
私は明け方の鳥が嫌いです。朝一番の鳴き声が、しんしんと耳朶に染み入ってくる気配が、空を切り夜を引き裂く一声が響き渡る振幅が、受け付けられないのです。
動き出す町並も。目覚めゆく群衆も。苦手で。疎ましくて。心がどんどん灰色になっていく。
眠られない。
ただそれだけのことのために。嫌いな物ごとが増えてしまうのです。
http://anond.hatelabo.jp/20080721222220より。
http://anond.hatelabo.jp/20080726023345を受けて。
まあ、どのくらいの数の白泉男子がそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない花ゆめコミックスの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、2000~2009年の花とゆめコミックスのことを紹介するために
見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に花ゆめを布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う20巻、30巻越えの漫画は避けたい。
できれば巻数1桁、長くても既刊10巻にとどめたい。
あと、いくら花ゆめ的に基礎といっても時期がずれすぎるものは避けたい。
テニス好きが『しゃにむにGO』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。(連載開始が98年だから)
そういう感じ。
彼女の設定は
花ゆめ知識はいわゆる「花ゆめ黄金期」的なものを除けば、ドラマ版「ガラスの仮面」程度は見ている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「オトメン以前」を濃縮しきっていて、「オトメン以後」を決定づけるだろうという点では
外せないんだよなあ。長さも既刊10巻だし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
このトキメキ過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな花ゆめコミックス(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「白泉男子としてはこの二つは“神漫画”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種の歴史漫画オタが持ってる江戸への憧憬と、ゆるゆるのオタ的な架空歴史へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも津田雅美な
「耽美的なかわカッコよさ」を体現するソウビ
の二人をはじめとして、オタ好きのするキャラを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「どろろだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後も続いていること、これが単行本では収録順大変更になったこと、
少年漫画なら能力バトルになって、頭脳戦が展開されてもおかしくはなさそうなのに、
少女漫画でそういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり恋愛は障害を乗り越えるものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「赤髪の白雪姫」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかけるふじつか雪の思いが好きだから。
断腸の思いで伸ばしに伸ばしてそれでも全2巻、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「続ける」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
金魚奏の短さを俺自身は短絡とは思わないし、もう伸ばせないだろうとは思うけれど、一方でこれが
美内すずえや魔夜峰央だったらきっちり未完の大長編にしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて2巻に収めてしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきたもの膨らませきれないオタク」としては、たとえふじつか雪がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層で蛍火見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
夏目友人帳よりも前の段階で、緑川ゆきの哲学とか漫画技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの作品がLaLaDXでこの時代に掲載していたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく白泉社好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆる夕方再放送アニメでしか夏目を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
ふじもとゆうきの「目」あるいは「絵づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「終わらない群像劇を毎日生きる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそアニメ版『学園アリス』最終話は「俺たちの学園生活はこれからだ」以外ではあり得なかったとも思う。
「祝祭化した日常を生きる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
加速剤はキラメキにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうフェティシズム風味の愛欲をこういうかたちで漫画化して、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。
オトメンから始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、アニメ化から始まるハルヒブームの先駆けと
なった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
先日亡くなった祖母の遺品の中に、一枚の古い写真があった。モノクロの写真。長い年月のせいでかなり傷んでいるけれども、そこに写る人々の姿は、はっきり見て取れる。親戚のおばさんの話によれば、写真は戦後まもなく撮られたもので、そこには二十歳前の祖母が女学校の同級生たちと共に写っているとのことだった。そこに写る数人の女生徒のうち、誰が祖母なのかわからなかった。ただし一人だけ、もの凄い美人が写っていて、この人ではないだろうということはわかった。
実際、おれはその美人に目を奪われた。昔の人の写真になぜか一人だけ現代の女性が写っているみたいで、異質な存在だと言ってしまっても良いほど、その人が美しかったから。
背が高く、百六十五センチはあるように見える。二重まぶたでぱっちりと開いた目から、こちらを射抜くような光がこぼれている。鼻は高くないけれども、鼻筋がすっと通っている。唇は少しぶ厚いけれども、だらしない感じは全くしない。白黒の写真だからこそ、透けるような肌の色がいっそう際立っている。頬は白磁を思わせるような白さと丸みを帯びていた。その時代の人なら化粧気などそれほどないだろうに、彼女はそれ以上何か手を加える必要を微塵も感じさせなかった。少し澄ました顔で、かすかに目元を緩め、ほんのわずかに口角をあげる、たったそれだけで艶のある魅力的な表情を作り上げていた。
おそらく当時の価値観では、そこまでの美人と言う認識ではなかったのかもしれないと思う。どちらかと言えば男好きはするけれども、派手めの容姿で他人に後ろ指をさされることもあったのではないか。だが、現代に生きるおれの目から見れば、そこに写るのは勝気そうでいながら慎ましさも備えた可憐な少女だ。正直、祖母が誰かよりも、この人が誰かを知りたかった。
ところが、ばあちゃんはこの人、とおばさんが指したのがまさにその美人だったので、おれは自分の目を疑った。この人があのばあちゃんだと、にわかには信じられなかった。言われてみれば面影があるような気がしないでもないが、二十歳と八十歳では何もかもが違いすぎて較べようもない。それ以上に、そこに写る美人の遺伝子が自分の体に受け継がれていると言うことが到底信じられなかった。
そして、彼女が祖母であると言う事実を受け入れたくなかった。なぜなら、困ったことにおれは彼女に恋をしてしまったから。一目惚れというのは実際にあるのだと知った。決して叶わない想いであるということが胸を締めつける。この美しい少女はもう、この世界のどこにもいない。
生前祖母が語ってくれた昔話も、この少女の姿を思い浮かべれば丸っきり違う印象になってしまう。もっと話を聞いておけばよかった。どんな青春を送ったのだろう。どんな恋をしたのだろう。どんな時に笑ったのだろう。何に心を痛め泣いたのだろう。そんなことを、うだうだと考える。考えれば考えるほど、おれの頭の中で彼女は可愛くなっていった。まるで、架空の少女に恋をするような感覚だった。
もうずっと前に他界している祖父に、嫉妬せずにはいられない。その祖父がいなければおれ自身この世に生を受けることはなかったのだけど、それでも、なぜおれがじいちゃんじゃないんだと恨めしく思ってしまう。
もしかしたら血縁者の中に彼女の面影を残す人がいるかもしれない。そう思って、法事の際には疎遠になった親類をじろじろと観察したりもした。けれどそんな人はどこにもいなかった。
今はどうやってこの恋心に折り合いをつけるべきだろうかと迷っている。彼女への想いを抱いたまま、いつまでも過ごすことになるのかもしれない。もし、彼女によく似た女性が現れたら、即刻なびいてしまうのかもしれない。あるいは、結局こんな恋心はほんの一時の熱情に過ぎないのかもしれない。
とは言え、将来タイムマシンが実用化された場合の行き先は決まった。