はてなキーワード: なついとは
みんながみんなついてないわけじゃないんだけど、ちょっと良い服ってついてないんだよね
私、以前はずっとファストファッションだったから、男性服ほど大きいのではないけどだいたいついてるじゃん、大げさだなと思ってた。
最近になってちょい小金が入るようになったからセレクトショップとかで服買うととたしかにポケットついてない 特にボトムス。
よくおしゃれな若い子が鍵と小銭入れしか入らんようなバッグ持ってるけど、あれってポケット代わりなんだろうね
ビジネスジャケットですら、丈短めのタイプだとポケットついてないんよ。見た目はあるけどフェイクポケットだったりする
ただ、フェイクポケットをリアルポケットにしても所詮そこまで深いポケットにならないから、鍵なんか入れたら落としそう。
でも「全然まったくついてない」ってのは誇張だよ
99.9%ってのはモノを知らなすぎるでしょ。セレクトショップだってポケットついてる服もそれなりにはある。
ファストファッションなんかだったら、ポケットついてるついてない半々ぐらいって体感ある
「何を買ってもポケットついてない」というより、「油断してたらポケットない服つかまされる」って感じ
ユニクロ叩かれてるけど、わりとついてる服多いよ。
男性ラインと比べるとポケットが小さい、数が少ない、そういうとこで怒られてるけど、女性服メーカーの中では頑張ってるほうだと思う。
古文漢文なんていらねぇ!という主張は、とにかく評判が悪い。受験期になると毎年のようにこの手の論争が再燃するが、話がまともに前進することは稀である。
ほんとうに意味のない教養信仰やマウントやwhataboutismをとりのぞいたとき、私の考えでは、必要派のまともな論拠は以下の一点に絞られる。すなわち、古文漢文を学習することは、日本人としての文化的アイデンティティを養うことに繋がるので、古文漢文は学ばれるべきなのだ。
いずれにしたって、古文漢文に優先的に学ばれるだけの価値があるとすれば、それは役に立つからである。
任意の学問について学ぶことにはそれ自体価値がある(誰もこれを否定するべきではない)のだが、それだけでカリキュラムに組み込まれるわけではない。古文漢文は英語や数学とならんでとりわけ役に立つからこそ、受験科目にするほどの価値を認められているのだ。そうでないとすれば、あれやこれを受験科目にせず、古文漢文を受験科目にすることがまったく正当化できない(これはいくらかwhataboutismだが)。
古文漢文はなんの役に立つのか。古文漢文をやっていれば、これに絡んだワードセンスや物語の優美さ・ユーモアが汲み取れる、というのはどう考えても小さすぎる利点なので、この程度の「役に立つ」を指摘して満足してしまうのは小物のやり口である。
もっとがっつり役に立つ、例えば大学や社会に進んだら漢文や古文を読む機会がたくさんある、古文漢文で読解力や論理的思考が大幅に養われる、などと指摘するのは嘘つきのやり口である。そんなことないからこそ、不要論が立ち上がるのだ。
したがって、古文漢文が真に役に立つのだとしたら、上に述べた通り、日本人としての文化的アイデンティティを養うことに繋がるというのが、その「役」なのである。この「役」は、聖書やプログラミングを学ばせても代替できない点で、古文漢文をとりわけ優先するもっともらしい理由を与えてくれる。中高生たちは日本人としての文化的アイデンティティを養うべきであり、古文漢文はこの望ましい帰結をもたらすからこそ役に立つ、優先的に学ばれるべきなのだ。というか、これこそが古典教育の目標であることは(ここまで露骨ではないものの)高等学校学習指導要領に書かれている。
古典としての古文と漢文、古典に関連する文章を読むことによって、我が国の伝統と文化に対する理解を深め、生涯にわたって古典に親しむ態度を育てる。
古文漢文必要派は、この一点突破を狙うべきだろう。小さすぎるお役立ちを挙げるのも、大きすぎるお役立ちを挙げるのも、教養信仰やマウントやwhataboutismに徹するのも、墓穴を掘って自らを辱めるだけだ。
しかし、「中高生たちは日本人としての文化的アイデンティティを養うべきだ」という前提は、すでにかなり党派的なものである。それはれっきとした国粋主義であり、軍国的な仕方で「国民」なるものを要請している。このグローバル化が進みきった時代において、なぜ日本人(にっぽんじん)としてのアイデンティティを持たなければならないのか、それがなんの「役に立つ」のかという疑問はスキップされており、とにかく、「文化的アイデンティティを養うべだ」という義務だけが突きつけられている。
実際、古文漢文不要派の一部は、まさにこの「国民」の押し付けにこそ反対しているのであり、特定の文化的アイデンティティに固執するべきではないと考えているのだ。必要派が本質的にナショナリストならば、不要派は本質的にアナーキストである。
というふうに、「古文漢文必要派vs不要派」の争いは多分に政治的な争いであり、私が思うに、発信する人の多くはこれを分かっている(ほんとうに無自覚な人もいるが)。しかし、両陣営ともに自らの政治的立場を明言しないのが普通である。というのも、露骨に党派性を示してしまえば、そうしなかった場合には言いくるめられたフォロワーまで引かせてしまうからだ。そのせいで議論はいつも上滑りし、互いに口汚く罵り合って、相手は馬鹿だと結論し、翌年の再戦を待つばかりだ。
「中高生たちは日本人としての文化的アイデンティティを養うべきだ」という前提の是非にのみ話を絞れば、古文漢文の必要性をめぐる議論はもう少し見通しが良くなるだろう。
なんにせよ、アイデンティティを持つことは、心身の健康にとって必要不可欠であるかもしれない。国民であるという拠り所すら失われたときに、人はどれだけの孤独を感じるのか。そんなものに寄りかからず自分の脚で立て!というマッチョな個人主義に、みんながみんなついていけるわけではない。
はたまた、仮に日本人としてのアイデンティティを養うべきなのだとして、古文漢文をやらせるというのは理にかなった方法なのかという疑問も意味をなしてくる。これだけ少なくない人々に、古文漢文という科目への悪いイメージを植えつけているのだとすれば、それはいわゆる「義務教育の敗北」ではないか。
はたまた、少なからず党派的な思想を陰に陽に植えつけようとする事自体、中高生の自律性を脅かすパターナリズムでなくてなんなのか。「自分の脚で立て!」とまではいかないにせよ、子どもたちには一定の選択が与えられるべきであり、古文漢文を必須の受験科目とすることはその道を閉ざしているのではないか。
そんなに言うなら、私立理系に進めばいいだけの話だ!と言われるかもしれない。しかし、だとすれば理系はなぜ日本人としての文化的アイデンティティを養う義務から(ある程度)自由を許されるのか、と問われるかもしれない……。
疑問・議論は尽きないが、私たちはいまや「古文漢文は必要なのか」というはじめの問いよりも、はるかに全うな問いたちを手にしつつあるのではないか。
潤羽るしあ(みけねこ)との件
http://uni-mafumafu.jp/blog/20240126/
2024.01.26
女性セブンに掲載されている記事に関しまして
お世話になっております、まふまふです。
報道されている「結婚して離婚したこと。そのお相手へ訴訟を起こしていること。」
まず記事にある通り、私には元々婚姻関係にある方がいらっしゃいました。
今まで公にお伝えできず、結果としてみなさんを騙す形となってしまい、本当にごめんなさい。
2021年の夏前から交際をはじめ、その12月末に入籍をし、2022年7月に離婚をしました。
今まで一言も言ってこなかったことで、とんでもない内容になってしまうので、
人によっては辛い気持ちにさせてしまったり、ショックを感じさせてしまうかもしれません。
本当にごめんなさい。
そして、本件でご心配、ご迷惑をおかけした関係者の皆様にも深くお詫び申し上げます。
私は、これ以上、嘘を重ねないためにも、真実を話すことにしました。
真実を話すことにより、訴えられるかもしれません。
二度と僕の音楽も聴いてもらえなくなるかもしれません。
全ての人から嫌われ、もう二度とお前なんて見たくないと言われ、
もうまふまふでいられなくなるのかもしれません。
それでも、これ以上嘘をつきたくない、なにより自分自身を偽りながら生きていきたくないのです。
これから綴ることは、当時のことから現在までの経緯をまとめた事実です。
かなり長文となってしまうので、真実を知りたい方だけ、お読みになることをお勧めします。
私はお相手(以下、A子さん)のことを本気で大切に想っていました。
2021年春頃までの私は、雑誌のインタビューでも「恋愛ができない」と語ったように、
人様に対していわゆる恋愛感情のようなものを抱けなくなっている自分に気づき、
そのような時に出会った方であり、こんな私のことを好きだと伝えてくれました。
一般的な恋愛観とは違ったものになるかもしれないけど、支え合って生きていけたらいいなと思いました。
近しい友人や関係者からの反対も多かったのですが、それを押し切ってお付き合いし、結婚をしました。
それくらい本気でA子さんのことを想っていたのは紛れもない事実です。
公にすることへの恐怖心を抱いていたのも事実です。
それでも不本意な形で知られるよりも、ちゃんと私たちの口から発表することを望んでいました。
しかし、入籍中であった当時は、A子さんもネット活動者であり、
A子さんとその関係者の意向もあって公表することができませんでした。
とある炎上騒動をきっかけに、全てを話してしまおうとも思いました。
何度も真実を発表するタイミングを探っておりましたが、多くのしがらみによって叶いませんでした。
そのような環境下で憔悴している中、A子さんとすれ違うことも増えました。
当時、私が些細なことに反論する度に捲し立てるように糾弾されていました。
私がただ泣きながら謝るような日々を繰り返しているうちに
「とにかく全て自分が悪いんだ」と思い込むようになっていき、
真っ暗で何も見えないような毎日になっていきました。
当時の私は盲目状態で「普通とは何か」もわからない状態でしたので、A子さんの不満を解消するため、
A子さんを怒らせないためだけに行動しておりました。
毎日パソコンの前に座り続けてLINEやDiscordを開き、すぐに連絡を返す。
1日数百件を超えるやりとりを毎日のようにしていましたが、それでも浮気を疑われてしまうので、
Discordのサーバーに24時間ログインしている状態にし、私の行動を監視できるようにして、
浮気をしていない証明をして、寝ている時もスマホで上がり続ける。
など、改めて思い返しても信じられませんが、
当時の私はこのような状況を当たり前のように受け入れてしまっていたのです。
そんな状況下においても、
「結婚したのはお金目当てなのだろう」というようなことを言われ、よくわからないまま謝り続けていました。
自分では何も判断できない、どうしたら良いのか何もわからない、
正気を取り戻した私は、
A子さんから受けていた言動や行動の多くがモラルハラスメントであるとようやく気付き、
このまま一緒にいてはいけないと、離婚することを検討し始めました。
当初はA子さんからも「これまでの事は反省するから、離婚はしたくない」という強い意向を伝えられ、
離婚をせずに何とか解決できるのではないかと模索し、関係改善を試みました。
もともと同棲をするために私は新居を購入していました。
一緒に暮らすことができれば、A子さんの不安な気持ちを解消できるのではないかと思ったからです。
しかしこのように関係がこじれてしまったため、A子さんはその新居で、私は変わらずに賃貸マンションにて、お互いに距離を置きながら過ごしました。
その後間もなく、
A子さんはSNS上でも、私に対する不満を匂わせる発言を繰り返すようになっていきます。
事実とは大きく異なる内容ばかりで、それは私に対する第3者からの批判を促す結果となっていました。
弁護士を通じて、そういった発言はやめてほしいと再三伝えてきましたが、
改善されることはありませんでした。
止まない誹謗中傷に歯止めをかけるべく、
せめて一部でも事実を公にし、誤情報の訂正をさせて欲しいとA子さん側に申し入れました。
「新たな形で活動を再スタートするタイミングだから婚姻関係の公表は控えて欲しい」と
一方的に申し入れを跳ね返され、歩み寄ろうすることもありませんでした。
言葉とは裏腹なA子さん側の態度に耐えきれず、22年5月下旬に、弁護士を通じて正式に離婚を申し入れました。
こうして、みなさんに真実をお伝えできないまま、弁護士を通じた離婚協議に入ることになったのです。
そして離婚の申し入れと同時に、
私自身も立ち上がることもままならなくなっていたので療養が必要と判断し、
世に広まった誹謗中傷が少しでも減ることを望んでいたのですが、
結果として「病気の療養」だけを伝える形で休止を発表することになったのです。
真実を言えないまま休止をする悔しさとともに、自分の不甲斐なさも恨みました。
A子さんは体調不良を理由に話し合いに応じず、またしても一方的に金銭などを要求されました。
協議が停滞していたところ、交際時にA子さんが二股をしていた疑惑が発覚し、
最終的にはお互いに金銭の支払いは無い形で、22年7月下旬に離婚が成立したのです。
離婚後、
A子さんが去ったあとの新居には、足の踏み場がないほど無数に散らばる段ボールやゴミが散乱し、
A子さんが飼っていたペットの骨壷までもがゴミと共に置き去りにしてありました。
その遺骨は私が持ち帰り、安らかに眠れるよう、今でもリビングの高いところへ安置してあります。
A子さんの裏切りについては、とある男性(以下、B男さん)と話をしたところ発覚しました。
詳しくは、B男さんからDiscordやLINEのスクリーンショットをいただき、
画像にはデートの誘いやバレンタインデーに贈り物をしたいというやりとりなどがありました。
入籍当日の12月25日と翌日26日、
私とのクリスマスの約束をすっぽかし、年末に遊ぶ誘いをしていたり、
離婚協議中の5月、まふまふに復縁をしたいというメッセージを送りながら、
あまりのショックで寝込んでしまったことを鮮明に覚えています。
B男さんは何度も何度も謝ってくれましたし、
事情を知らなかったようなので被害者であると思い和解しました。
今では僕とB男さんは仲良くさせていただいております。
それだけではありませんでした。
離婚協議中も、A子さんや第3者からSNSや匿名掲示板上で様々な嫌がらせを受けていました。
さも私が「DVをしていた」「複数の女性と浮気をしていた」かのように匂わせる投稿も
多数ありましたが、もちろん事実ではなく嘘です。
せめてもの抵抗としては、少しでも誹謗中傷だけは減らしていきたいという一心で、
私は匿名掲示板に対して情報開示請求をすることになったのです。
その情報開示請求の結果、裁判所も誹謗中傷の違法性を認め、請求が通りました。
そして記事にもある通り、そのほとんどの書き込みがA子さんであることが発覚しました。
たくさんの誹謗中傷がありましたが、
特に酷かった内容としては「まふまふがA子さんの飼い猫を、ドアにぶつけて殺した。」というものでした。
A子さんの飼い猫は、私と知り合った時点で両目が見えない老猫で、私によくなついていました。
動物を傷つけるようなことをするわけもなく、
どういう発想でそんな話になるのか見当もつきませんでした。
10年以上の活動をしてきて、誹謗中傷を受けることは日常茶飯事でしたので、
従来の自分であれば気にしないようにすることもできたと思います。
しかし、A子さんは常日頃から誹謗中傷に反対するような発言をしている方でして、
そんなことを言っている張本人が匿名掲示板に有料会員登録をしてまで人を傷つけていたとなると、
これを看過するわけにはいかないと思いました。
裁判になれば傍聴することもでき、みんなが正しい情報を得ることができます。
もしも私が何の脈絡もなくネット上で事実を話せば、それはこちらの落ち度となりかねませんが、
裁判という法的な場においては最も正しく判決を下してくれます。
そのため、何もかも明るみになることも覚悟の上、裁判をしようと踏み切ることにしました。
現在もA子さんを相手に、誹謗中傷を訴え、民事裁判は進行しています。
また、昨年、夏が終わった頃に警察へ相談をしまして、8時間かけて調書を作っていただきました。
(調書とは、刑事さんが事件の取り調べをして作ってくれる書類のことです。)
A 子さんも呼び出され、昨年末に無事書類送検されたことを確認していますので、
現在は検察の方々がどのように動いてくださるか考えてくれているところかと思います。
民事、刑事、いずれかの裁判が進めば、すべて明るみになるので、
その時に真実を話そうと考えていました。
[最後に]
これからも裁判は続いていき、話をすべき時は今後も訪れると思っています。
十分にお話できたとは思っていませんが、ずっと心のうちに秘めていたことを、
上述したようにA子さんから、
また謂れのないことを言われたり、妄言を浴びることになるかもしれません。
ちゃんと法的な場で戦っていけば結論が出るはずなので、その際は聞き流してもらえたら嬉しいです。
また、どのような事情があったにせよ、
まふまふを応援してくれている視聴者の方々に嘘を吐いていたことにはかわりません。
私が悪いことにはかわりませんし、その気持ちは一生涯、抱えて生きていきます。本当にごめんなさい。
そして最後に、わがままかもしれませんが、この文章を公開することでひとつでも多くの誹謗中傷がなくなっていくことを願っております。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
まふまふ