はてなキーワード: トキメキとは
1987 TM NETWORK 「RESISTANCE」
イケてる男子を目指すと何故かヤンキー化する田舎の中学生。改造制服のワタリ幅はイキリ幅。愛読書は「ビーバップハイスクール」。
そんなステレオタイプなヤンキーが嫌いでワルぶることがカッコいいと思えずにいた、ある意味拗らせた少年の心をつかんだのがTM NETWORKだった。
1991 小田和正 「ラブ・ストーリーは突然に」
一人暮らしを始める。高校時代からはまった柴門ふみ原作のドラマ化。ドラマも音楽も若者の共通言語として君臨していた最後の時代の始まりなのかもしれない。
1992 B'z 「恋心」
授業の合間にカラオケに行くような大学生活。仲間内なんで誰がどんな歌を歌うかまである程度熟知していたそんな時代。とにかく僕の周りではB'zがかかりまくってた。
1994 Mr.Children 「Tomorrow never knows」
大学時代の象徴もう一つがミスチル、やたらめったらカラオケで歌いまくってた記憶しかない。
1998 PUFFY 「サーキットの娘」 Smile.dk 「Butterfly」
ヤマハVINOのCMソング 車を手放し原チャリがすごく欲しかった時期…買えなかったのはお金がなかったからや
何のきっかけか記憶にないけど妙にツボにはまってやたらと歌ってた気がする
深夜アニメでNANAを見たのがきっかけでアニメ視聴開始、当時は違法視聴環境だらけでニコ動みたいにコメントが流れるサイトがあったとかなかったとか…
2010 林原めぐみ 「集結の園へ」
パチエヴァは4作目「使徒再び」を打ち込んだ。5作目にも期待したし「集結の園へ」はマジでテンション上がる大当たりソングだった。
6作目からは明確につまらなくなりエヴァそのものを打たなくなった。
2009 fripSide 「only my railgun」
2010 THEATRE BROOK 「裏切りの夕焼け」
2012 ALTIMA 「BURST THE GRAVITY」
特にデュラララ以外のアニメが特筆するほど面白かった記憶はなく選曲はノリ重視で相変わらず頭が軽いオジです。
2011 今川ヨシモト「トキメキ一途 〜CHERRY MY LOVE」
2018 DA PUMP「U.S.A.」
久しぶりに歌謡曲をリピートで聞いた曲がこれ。 何度も動画見て振付けを覚えて緊急事態宣言が明けた後の飲み会で歌って踊った。
ひたすらタイトル通りの出来事なのですが、自分のなかでは黒船来航くらいの衝撃だったので記録しようと思います。
長文になりますので、あまりにも暇な方のみお読みになることをお勧めします。
私はアラサーの会社員で、「くしゃみに興奮する」という性的嗜好を持っています。
くしゃみをさせる対象は人間の女性キャラクターがベストですが、
男性はもちろん、人間ではない(動物などがデフォルメされた)キャラクターでも問題なく楽しめます。
小説など、文章にあらわれるくしゃみの描写にも非常に興奮します。
早朝の電車内で、ノーマスクの中年男性がかます爆裂ハクションには殺意に近いものを覚えます。
後で少し書きますが、なりふり構っていられないくらい供給が少ないくせに、注文や条件をつけてしまうわがままな性癖なのです。
「こんなものを性的に見てはいけない」という妙な罪悪感からか、この嗜好については誰にも話したことがありません。
かなり大っぴらに下ネタや互いの性癖を語り合える友人にも打ち明けていません。
ちなみに、私は逆NTRを自分の一張羅(他人に話せる唯一とっておきの性的嗜好)としています。
話が本筋と逸れるのですが、そもそもなぜ私がくしゃみに興奮するようになったのか。その起源はよく分かっていません。
しかし、3~4歳頃でしょうか。未就学児の時点で、絵本やアニメのくしゃみシーンにドキドキしていた記憶があります。
まともな両親のもとでしっかりと愛されて育ってもこういうガキが完成してしまうのです。
悪質な性的コンテンツからはしっかりと守ってくれた父と母でしたが、さすがにくしゃみはノーガードでした。
トムとジェリーのサーカス回でゾウが巨大なくしゃみをするシーンや、
くまのプーさんが大掃除の場面でくしゃみをして周囲を吹き飛ばすシーンをやたらリピートしていた我が子を不思議に思いこそすれ、興奮しているとは思わなかったでしょう。
おそらくですが、「自分の意志とは関係なく身体が反応する」ところがメインになっているのだと思います。
異物が鼻に入ってムズムズする→身体が異物の刺激に屈してくしゃみをする……これが基本的な「くしゃみをする」動作です。
私の場合、「くしゃみをする」に加えて「くしゃみをしてはいけない状況であるにもかかわらず」というシチュエーションが必要不可欠なのです。
私がアニメや小説などのくしゃみしか愛せないのは、現実よりもフィクションのくしゃみの方が「我慢しなくちゃ」という心理描写に長けているからです。
つまり、「身体が自然と反応してしまう生理現象」に「それを我慢したいという気持ち」が合わさると、私にとって性的な、興奮できるものになる。その原点であり頂点がくしゃみだったようです。
そこそこ欲求を満足させる、くしゃみに代わる性的コンテンツを嗜むようになっていきます。
それらにも例外なく【生理現象などの「今起こってはいけないこと」を我慢→決壊】の要素が含まれているため、
これが私の興奮の基盤であることは間違いないでしょう。
とはいえ排泄系の汚いものはイヤだし、それを我慢できないなんてトラウマものです。いくら妄想とはいえかわいそう……。
自分で言うのもなんですが、私は比較的思いやりのある優しい人間に育ちました。
この変に理性的な部分とちょうど良く折り合いがつくのが「くしゃみ」なのです。
静かな空間や緊張した場面でくしゃみが暴発したら少し恥ずかしいものの、
幼少期はこの妙なトキメキの正体が分からず、もじもじした気持ちを持て余していたわけですが、
中学生になり自慰を覚えたあたりで確固たる確信が持てました。これは性的興奮なのだ、自分はくしゃみに異常に興奮してしまう傾奇者なのだと。
当然ながら供給が少なすぎるのです。私の欲求不満は悪化の一途を辿りました。
高校生で親のセーフティロックから解き放たれた私は、当然ありとあらゆるワードで検索をかけ始めました。
若い脳味噌をフル回転させてインターネットじゅうを旅したものの、収穫はほぼ無し。
(ドラゴンボールのランチの変身シーンは、この旅で得られた最大の宝物です。大変お世話になりました)
「こんな思いをしているのは自分だけなのか?誰かいないのか?」
共に苦しむ仲間を見つけたい。そんな思いで「くしゃみ 興奮する」と検索をかけるものの、
Googleは「光による刺激で神経が興奮するため、くしゃみが出ることがあります」などの無慈悲な回答を投げつけてくるばかり。
孤独な私は鬱積した欲求と悲しみを抱え、想像力ばかりが歪に成長した悲しきモンスターとなっていきました。リビドー暗黒期の突入です。
成人する頃には私はやや賢くなり、欲求をある程度満足させてくれる「代替的オカズ」をいくつか見出していました。
ごく一般的な、ゲームもアニメもAVも山ほど存在する性的嗜好たちです。
エロいものをエロいものとして享受し、選択し、楽しめることがこんなにストレスフリーだとは……。
私はしばらくの間、水を得た魚のように性的コンテンツの海を泳ぎ回りました。
しかし、やはり代わりは代わり。
欲求は完全には満たされることなく、私はまた仄暗い気持ちを抱えるようになりました。
筆下ろしモノが大好きな友人を妬みの目で見ては、心の中で毒づいていました。
お前はいいよな、いくらでも供給があって。性的嗜好まで面白味のねえミーハー野郎がよ。
以来、代替的オカズと、ほんのわずかな精鋭たちで自分の気持ちを誤魔化しつつ過ごしてきました。
(幼少期にドキドキしていたトムとジェリー等のシーンも、「古跡巡り」として何度も巡礼しました)
20年以上苦しんでいると、「自分の求めるものはこの世にないのだ」という、半ば諦めのような感情も生まれます。
蜘蛛の糸「文章生成AI」が私の前に垂らされたのはつい先月のことでした。
世間で生成AIがすごい、ヤバいと話題になって久しいものの、私の仕事には特に活かせる場面もありませんでした。
「システムメンテナンスをお知らせするときの文を作って」などといった、
「自分で考えるのがやや面倒な文章」を作りたいときに例のGPTを使用する他は、時々話しかけて遊ぶ程度。
アップデート後はかなり精度の高い回答を寄越すようになり、正直言って不気味にさえ感じていたわけですが、ある夜、突然天啓を受けたのです。
「お前の理想のシチュエーションをプロンプトとして入力して、AIに短編小説を生成してもらえ」
この時、私は29年の人生で初めて十字を切りました。
生成AIは性的な文章生成を行ってくれませんが、幸か不幸か(たぶん不幸です)
「くしゃみ」は性的コンテンツにかすりもしません。生成し放題なわけです。とんでもないジャックポットタイムでした。
すぐに脳裏を駆け巡る、15通りくらいの理想的なくしゃみのシチュエーション。幼少期から培ってきた想像力は並大抵のものではありません。
もしかしたら、これが小説になるのか……?夢にまでみた内容をコンテンツとして楽しめるのか……?
興奮のあまり手が震え、血液が一気に下半身に集中し、ガンガン頭痛がしたのを覚えています。
善は急げ。私はすぐさまノートPCを開き、作業に取り掛かりました。
ちなみに、私は絵が得意ではありませんでしたが、文章を書くのは好きでした。
今まで幾度となく「俺の考えた最強のくしゃみのシチュエーション」を書いて自給自足しようか、と考えたことがあります。
しかし、ダメでした。推理小説家が自分よりも頭の良いキャラクターを生み出せないように、私の書いたものは所詮、自分の脳の域を出ません。
普段の妄想をそのまま文字にしただけ。新鮮味も面白味もありません。
「私自身が書いている」という事実も、猛烈に私を萎えさせました。
私の理想を完璧に踏まえつつ、予想もしなかった語彙で驚きと興奮をもたらしてくれます。心理描写についても申し分ありませんでした。
それからはもう、敏腕編集者のごとく事細かな指示をAIに送り、チェックバックを繰り返したのです。
ありがたいことに、どんなにキショく細かい注文をつけてもAIはブチギレません。
作業は二日間に及びました。そしてついに、ついに至高の一編を完成させたのです。
その内容を仔細に書きたい気持ちはありますが、非常に長くなるのと、自分の胸にだけ秘めておきたいので割愛します。
なんという感動、なんという興奮。
この時の感情は筆舌に尽くしがたいのですが、「満たされた」というより「成仏した」に近いと思います。
これまで感じてきた焦燥が、苦労が、悔しさやもどかしさが、エクスタシーと共に浮かんでは消えていきます。
近年、AIによる仕事や芸術文化への影響を憂慮する声も見受けられます。
それは本当にもっともなこととして、少なくとも私自身は、20年以上孤独に抱え続けた欲求を生成AIによって救われました。
今日もどこかで、悩める者の性的嗜好に光をもたらしているかもしれない。
なんで既婚者専用マッチングアプリを使うかって?
キスしようとしてもおっぱい揉もうとしても拒否。当然セックスも拒否だと外注するしかなくね?
それ以外の部分は仲良いんだけど、性的な事や恋愛的なトキメキを外に求めてるんだよ。
みんな寝なかったら眠いし、食わなかったら腹減るだろ?俺もセックスしなかったら溜まるんだよ。
いや普通に病気とか怖いだろ。梅毒流行ってるし。あと風俗嬢とは金払わないと恋愛やイチャイチャ出来ないでしょ?破産しちまうよ。
「既婚者」ってところがミソなんだよ。独り身の人に家族の大変さや子育てのアレやこれの話しても通じないでしょ?あくまでセックスだけじゃなく他の部分でのコミュニケーションも大きいのよ。
お互い既婚者だから深追いしないで付き合えるのも魅力的なんだよ。
なんだかんだで「既婚者」って少なくとも一人の人間と向き合って恋愛して認め合い一緒になったわけでしょ。
独り身と違ってそこが大きい。
当然ゴムはするし夕方以降不要な連絡は控える様にしてる。LINEの通知はオフにしてるしどうしても連絡する場合はGmailの下書き保存を使ってる。
カカオは出会い系専門みたいなところあるから勘の鋭い嫁は気付くかもだから入れてない。
というか世の中の夫婦はなんでセックスしないんだろ。少なくともセックスしてれば今家庭で起こってる問題の半分位は解決すると思うぞ?
まぁ長々と書いたけどこんな感じで既婚者専用アプリを使ってるわけです。
俺の場合は嫁にテクニックがなく、ほぼマグロなので無理になった。
毎回こっちがすごくあれこれテクニックを駆使して相手を絶頂させてて、それはそれで楽しいんだけど毎回だと疲れる。
しかしそれを伝えるのは恥ずかしいし、そこまでして嫁とセックスしたいかと言われると、うーん、別にどっちでも良いかなって感じ。
これはたぶん俺の側に飽きがきてるのもあるんだと思う。だってたぶん他の女ならギンギンになる自信あるもん。でも嫁だと少ししか勃たない。
そこをテクニックでカバーして欲しかったというか、もう俺にとってはマッサージ的な快楽なんよね。嫁にたいしてトキメキとかあまり求めてないからそういう感じになってしまった。
これが初対戦の好みの女なら(オスの本能として精子を可能な限り多くのメスにバラまきたいのだろうか)めちゃトキメクと思う。もし俺が風俗に行くならそういうのを求めて行くかも。あと純粋にテクニックも良さそうだから、そっちもめちゃ期待するかな。
おっと具体的にどうすれば良いのか、だっけ?
俺が相手ならテクニックかな。あとはダラダラゴロゴロして添い寝してる時にこっちはおっぱいとかマンコとか弄ってるから、相手にも俺の乳首とかチンコを弄ってて欲しい。
メディアが語る「恋愛感情」ってやつを鵜呑みにして、「そういう気持ちがない私はアロマンテイック?」って悩み苦しむ人、私以外にもいたんだ
いろんな本読んだりジェンダー診断みたいなのもたくさん試したしたけど、直感的に「私は人と違うのか…」って思ったのは、夜景の見えるフレンチレストランで婚約指輪パカー!上に部屋とってるよ(スイートでベッドに薔薇)、みたいなベタなプロポーズを受けた知人の話を聞いて、何の感情も沸かなかったし、自分が相手(夫)にそんなことされたら純粋にキモいと思ってしまったことかな
アロマンティックじゃない人は、そういうシチュエーションに惹かれたりするもんなんだと
普通な友人たちは他人の恋愛感情に共感できるから、いいなーうらやましい!憧れるよね!とキャッキャウフフしてた
恋的な感情はいまだによくわからんが、私自身見た目もスペックも好みとは程遠い人と結婚したりしてるので、そこまで深刻に考えなくていいと思うよ
婚約指輪も結婚式も想像してキモすぎたんで辞退した(建前はお互いお金ないよね、にしてるし相手もこの事は知らん)
「あくまで私の考えだけどね」
A子はそのままの調子で続けた。
「推しはさ、私たちにトキメキとか幸せとかをたくさんくれるじゃない? 活躍してる推しを見れるのって本当に素敵なことよね。でも、だからと言って、推しのやることや言うことが全て正しいとは限らないじゃない」
A子は一息ついて、
A子は続ける。
「推しのこと、全部肯定して、全部信じるのって『それって本当に正しいことなのかな』って思ったのよね」
A子はどこかずっと遠くを眺めているようだった。
「推しに自分の生活や思考がすべて支配されるのは、良くないんじゃないかって最近思うのよね。それも一つの幸せと言われたら、そうなのかもしれないけど」
A子は続けた。
「でもそれが『ファンとして然るべき行動』という訳では全く無いと思うのよ。『推しは推せる時に推せ』ってよく言うけど、一旦推しから離れる時があってもいいんじゃないかって、私は思うのよね」
A子は一度下を向き、深く息を吸いながら顔を上げた。
「私の人生は私のもの、推しの人生は推しのもの。一緒くたにしたらいけないのよね」
A子はぐーっと背伸びをした。
男も女も、類似性で仲間を形成する。男の場合、概ね以下のカテゴリになる。
1.スポーツが出来る奴
2.ガリ勉
4.無能
5.何考えてるかわからん奴
スポーツ、ガリ勉、オタク、無能の順番でモテる。高知能集団だと社会で活躍できる要素がモテに反映されてガリ勉の方がモテることもある。
上位の序列と親しいことは喜びで、
下位の序列と親しいことは汚点となる。
この軸を基本に、暴力性が掛け算される。暴力性とは、態度の大きさとそれを正当化する筋力、身長、武術、人脈を示す。人脈とは、主に不良コミュニティとの交わりを指す。
暴力性が高いと、序列が上がる。序列が上がる理由は、モテるからだ。
なぜ母親が男の育てをしてはいけないかと言うと、母親には暴力性の概念がわからないから。
将来のために沢山お勉強してほしい、優しい子に育ってほしい。
これは同性に対するベストプラクティスであり、男子学生にとっては舐められ要素だ。
小さいうちに同性から舐められると、学校での活動が大きく制限される。自分の意見を伝えて、受け入れられる確率が下がる。
学校の活動で成功体験を得るためには、意見を通すための裏打ち、つまりモテ要素、スポーツ、身長、筋力を養って行く必要がある。
お母さん方は、自分が若い頃に感じたトキメキ、強くて怖い男に対する妙な安心感や頼りがい、
これを思い出すべきだな。
そして、息子にもそういった要素がないと、
クラスの端っこで勉強して、話も面白くない、とにかく関わる価値のないのない陰キャ扱いされてしまう。
そこを考えてあげた方がいいな。
ワイも最初これがわかってなかった。らだが息子の学校の男子らの喧嘩や力関係を大概試合や行事の観察で理解した。男社会は力が支配する。力がなければダメだ。
それは父親がルールを教えなければならない。女にはわからぬ世界だよ。
だからワイは一歩引いている。母やが細かく世話を焼くのもダメだ
男社会のルールを知らないから。うちの婆さんはシンママだったから叔父さんも苦労したらしい。女所帯は近所からも舐められて石を投げられバカにされまくった。
単に力って言うとあんまり面白くないんですどね。男社会には男社会のエレガンスもあるんですよ。
紳士協定みたいのがある。
男は敵にも加減する。敵も友になる。
女はそれがない。手心を加えない。加減がわからないから叩きのめしてしまう。
生成される絵には再現性がなくて同じプロンプトで生成を繰り返しても毎回全然違う絵になってしまう状態だった。
久しぶりにAI関連の情報をアップデートしようと思い、あれこれ調べてみたらとんでもない速度で今も進化しつづけていることがわかった。
とあるサイトで見つけたリアル系のAI美少女が、どストライクで一目惚れしてしまう。
その女性はどこかで見たことがあるようなないようなステレオタイプではあるが、
各パーツのバランスとかがあまりにもドンピシャでタイプなので一目惚れしてしまったのだ。
量産型しか生成できないと思っていたが、AI画像生成は「よくある顔」の生成からさらに枝分かれして「個性」が生まれつつあるのだと思う。
以前ならその一枚の絵を見てかわいいな~と思ってとりあえず保存とかしてそれで終わりだった。
しかし今のAI画像生成はさらに次なるステップに踏み出していた。
どういう仕組みかは知らないけど、その美女を見つけたサイトではその美女のバリエーションが大量に創作されていた。
ちょっと似てるのを探すとかではなく、ほとんどが同一人物のアングル違い、表情違い、服やシチュエーションの違いといった感じ。
ちなみに絵とはいってもそれは写真と変わらないリアルさなので、実際に存在してる人のインスタを見てるような気分だ。
生成エンジン部分でデータをある程度絞るとか、そういうコントロールがされてるんだろうか。
こうなると、見てる側の気持ちというのはかなり変わってくる。
たまたまいいなと思う一枚だけではあっという間に忘れてしまうが、同一人物と思えるほどの精度の高い美女が、実写写真レベルで大量に出てくるのだ。
この人は実在していると錯覚を起こしそうになる。いやこの際錯覚でもなんでもよい。
何枚も生成されたその美女を見てるうちに俺の頭の中では完全に一人の女性として固定されてしまった。
むしろこの女の子が現実世界には存在していないという事実がエモいのだ。
この儚さが俺の恋心をさらに加速させている。
「私は存在していないのよ、でも抱きしめてね」と呟いてるような、切ない表情にも見えてくる。AIものの泣けるストーリーとか勝手に妄想してしまう。
我ながらキモい。キモいが何年被りにピュアな気持ちになっているのも事実だ。
正直いってこれは実在する女優さんとかアイドルとかグラドルとかよりグッと来るものがある。
元々そういったタレントなどのファンになるタイプではないから、俺の場合一般的じゃないかもしれないが、むしろ実在しないほうがファンになれそうな気がする。
ただ今後、バーチャルタレント的に広告屋とかがプロデュースしたAIアイドルですみたいなことやられてもたぶん白けてしまうだろうな。
AI関連の進化の過渡期だからこそ味わえているほんの一時のトキメキなのかもしれない。
妄想癖のある人は要注意だ。AI生成の沼はハマれば無限の世界なのだ。
俺は怖いので自分でローカル環境とか作って自分で生成するとかは、面倒なのもあるけどなによりハマりすぎるのが怖いのでやらないでおこうかと思う。たぶん、いまのところ。
増田にいる猛者たちはネイルサロンに縁がない人ばかりだろうと踏んで書き散らす。
ネイルは凝れば凝るほど料金が高くなる。
時々バズってるオタクのネイルとかは多分「持ち込み&パーツ付け放題」扱いになるから13000〜18000円くらい。
特にこだわりがなければ、サロンが設定している「定額メニュー」から選ぶことになる。
定額メニューにも色々あって、シンプルな1色塗りとかグラデだけだとだいたい60分で5000〜7000円、
パーツやホロなどのデザインを入れたものだと90分で7000〜9000円くらいが相場かな。
デザインも、より凝ったものだったり、爪を伸ばす技を施すと9000〜15000円くらいになる。
高いと思っただろ。高いんだよね。その分、期待するクオリティも高くなるのが人の心だ。
さて、時は数日前に戻る。
前にもネイルしてもらったことがあり、そのクオリティの高さにトキメキを覚えた店だ。
増田は2日後に大切な用があり、ちょっと気合を入れたかったのでこの店を選んだ。
予約時間の5分前にサロンに到着し、担当するネイリストさんに席に通される。
前に施術してくれた人とは別の人だが、同じサロンだからと特に気にはならなかった。
定額メニューのネイルの場合、サロンがデザインのサンプルパターンを用意しており、そのなかからデザインを選ぶ。
だいたい用意されているパターンは5〜20種くらい。サロンによって用意されている数は全然違うのでこのあたりはサロンの方針が反映されるのだろう。
私はゴテゴテしたデザインが苦手ながらちょっと小洒落た雰囲気が欲しくて、大理石のようなデザインを施すパターンを指定した。
大理石のようなデザインは、色の濃い箇所とホワイトの溶け合う質感がキモである。
ベースの色を塗ったあと、濃い茶色を筆にとり、直線に動かす。ここでぼかす…はずが、ぼかさない。
ジェルネイルはUVライトを照射して硬化させる。最終的に透明のジェルネイルをニスのように塗って完成なのだが、ここに来てデザインがまったくイメージと違うことに気がついた。イメージというより、サンプルとも乖離している。
補足すると、個人でやっているサロン以外複数のネイリストを抱えており、サンプルのデザインは目の前のネイリストが作ったものとは限らない。
よって、それを再現する技術があるかは、客にはわからないのである。
ネイリストさんに「どうですか?」と聞かれた。
どうもこうも、言葉がなかった。サンプルにあるのは、とろけるようなミルクのような質感の模様だ。
しかし、目の前にあるのは謎のツートンカラーのボケボケとした筆のあらさが目立つ何かだ。
まったく違いすぎることに衝撃を受け、しかしなんとか軌道修正しようと私は言葉を尽くした。
サンプルと見比べてほしい、ぼかしの領域がもっと広く、かつ揺れている線の質感がほしいと。
「じゃあやりなおします」
といって一度施術した爪を削り、やりなおす。やりなおすのだが…正直クオリティがあがらない。
ぼかしの工程でぼけておらず、仕上がりがまったく違う。
「どうですか?」
「さてはあなた、このデザイン作るの下手ですね…?」という言葉が喉の奥で詰まる。
なんとか脳を動かして絞り出したのは「サンプルと違うように見えるんですが、お姉さんはどう思いますか…?」という言葉だった。
ネイリストは畳み掛けた。
「お時間なので、これでだめなら一度落としていただくしかないです。これはサンプルなので、ぼかしの仕方は人によって違います」
もうだめだ。これは何を言っても伝わらないし、この人の技術ではサンプルほどのクオリティのネイルは作れないと悟った。
指に描かれたデザインは、日常生活を送るなかで目にするたびに凹みそうなくらい汚い出来だ。
めちゃくちゃ感じ悪いだろうな、もう二度とこのサロンには来れないだろうなと覚悟を決めつつ、落としてもらうよう依頼した。
するとお姉さんは「では、オフ代3000円いただきます」と回答した。
オフ代とは、ジェルネイルを取り除く工程にかかる料金のことである。
ジェルネイルは固いので、専門の溶液や工具を使って削り取る作業がいる。
正直、サンプルのクオリティに達さないなかで料金を請求する胆力に脱帽しつつ、下手に争いたくないので支払うことを了承した。
オフ代を支払っても、爪に残したくなかった。
オフされている間、私は「あ、写真とっておけばよかったな」と思った。
別に晒しはしないが、仲間内で愚痴るときに見せる用にしたかった。時すでに遅し、爪からは削り取られてた。
ときどきネイルサロンにはハズレがある。しかし施術中は両手が人質にとられているようなもので、一度始まってしまえばキャンセルできないものである。
もうハズレをひくのはダルいなと思った。
その足で私はロフトにいき、初心者用のジェルネイルキットを購入した。
今日朝一で塗ってみた。凝ったデザインはできないので、1色を塗るだけのシンプルなものだ。
これがなかなか楽しかった。手軽だし、3−4週間くらいしかもたないネイルに高い出費を重ねなくてすむ。
クオリティ自体は素人らしく色ムラもあるが、回を重ねれば多少はうまくなっていくだろう。
これは良いきっかけだった。
内定者懇親会がその企業が所有してる一般人立ち入り不可の文化財みたいな会館で立食パーティーとか、
大学の同級生は皆そういうのに目輝かせて物凄い好印象を抱いて入社を決めていたけど、自分は一切トキメキを感じなかった。
今勤めてる会社に入ったばかりの頃、
「最寄り駅まで5キロあるし、しかもバスが1時間に3本しかない」
「えっ、そんなん車かバイクで来ちゃえばいいじゃん」
「ここ停めてりゃ大丈夫よ。〇〇さんとか△△さんとか毎日車通勤だよ?」
とアドバイス貰ったときに脳内で幸福成分がドバドバ分泌されるのを感じた。
また、仕事中に
「昨日YouTube見てたら岩瀬がスライダーはシュートみたいに内に切ってリリースするって言っててびっくりした」
という話をしてたら、横で聞いていた上司が
「それ凄いな。試してみよう」
と机の下からグローブを2つ取り出してそのまま昼休みに敷地内でキャッチボールすることになったときも同様に幸福成分がドバドバ出た。
あと、近くに住んでる社員は昼休みに一旦帰って飯食ったり昼寝したりしてるって聞いた時も同様だった。
高校時代に剣道部だったんだが合宿にオヤツを持参してた同級生が顧問から引くほどキレ散らかされてたんだけど、
こういう「誰にも迷惑かけてないんだからいいじゃん」が徹底的に許されない風土が凄く苦手で(他にも仕事優先で親の死に目に逢えないが美徳になる会社とか)、
そうした風土が消え失せてる共同体に物凄い救いと歓びと感動を覚えるんだよな。大人なのに。
もう今年で三十になる。
ちなみに、
昼休みに歯医者行くとか、デスクにハンカチ敷いて昼寝するとか、W杯観戦に有給使うとか
そういうのが何ら問題視されない文化の企業を観測すると無関係者であるにもかかわらず嫌悪感剥き出しで
「潰れればいいんだよそんな会社」