はてなキーワード: 花とゆめコミックスとは
増田と趣味が合いそうでこの一連の投稿嬉しいものばっかりで楽しく読ませてもらった、ありがとう
なんで知ったか忘れたけど(多分ケロちゃん日和から遡った)とにかく集められるだけ集めて今多分全部持ってるはず
てよく岩館真理子と並べられるけど実際かなり読み味違うと思ってる
デッサン力が当時の中では突出してるよなと遅れてきたファンは思ったものだった
しばたひろこの名前をあげた増田はわたしなんだけど、『ムーンドロップ町のかしこいうさぎさん』は宝もので大事に持ってる
彼女も北海道出身だし佐々木倫子とおなじカデューシャスにいたってあとから知って(合ってる?)、あの当時の漫画界ってそういう繋がりが感じられるのも楽しいね
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妊娠出産の影響ということで、その手の影響を多かれ少なかれ受けそうな群像劇や恋愛ジャンル得意な作家を引き合いに出しただけだけど。
一応、集英社、白泉社、講談社、小学館等の各レーベル少女漫画読んできたし、今も定点観測になったとはいえ少女漫画読んでる作品もあるよ。
一番長く買ってたの白泉社のLaLaで、次点で集英社のりぼん。ほかの雑誌掲載作品は主にコミックスを読んでた。(CLAMP直撃世代でCLAMP作品はコミックスで主に読んでた)
少女漫画が歴史ものやSF、ファンタジーとかいろんなジャンル描いてるのも知ってるし、それらも普通に読んでるけど。
花の24年組の影響濃かったのか、90年代頃までの花とゆめコミックスなんか特にその系統の作品多いよね。むしろその恩恵受けてきた世代だけども(花とゆめコミックスで一番読んだのは生まれる前の80年代作品から00年代)
な な 懐かしい~~~!!!って気持ちで思わず録画して見ている
最後まで見たような見なかったような結末がどうなったかは全然覚えてないんだけど
小学校中学年くらいの頃の放送だから記憶がおぼろげでも全然不思議ではないな
コミックスも最後まで読んだか読まなかったか覚えてない 結末はいったいどうなったのか
それよりアニメ版、姫ちゃん(主人公の少女)の憧れの先輩役の声優が草薙剛だった
OPもEDもSMAPだ よく覚えてないけどこれはもしかして森くんがまだ所属している頃のSMAPでは
当時中学生だったねーちゃんが友だち数人と森君の追っかけしてたことを同時にありありと思い出す
SMAPファン向けの映画かなにかでなぜだかメンバーがみんなオオカミ族?みたいな設定で
誰かが鶏生きたまま食べて口元から血が垂れてくるみたいなみたいな描写の映像を観た記憶もぼんやり思い出す
(何度思い返してみても設定が特殊すぎるのでこれは疑似記憶かもしれない)
当時この枠の女の子向けアニメって必ずジャニーズのアイドルとタイアップしてたような記憶がある
「赤ずきんチャチャ」も確か香取慎吾が声優やってて曲もSMAPだったような気がするし「こどものおもちゃ」はTOKIOだったろうか
思えば夕方6時台のアニメ枠は大抵少女誌「りぼん」の掲載作だったけど、
私は「りぼん」には縁のない子供で、というかその頃からコミックス派で素敵な表紙の漫画を買うのが好きで
コミック雑誌を定期的に買って読むという習慣に縁がなくアニメで観る以前は上記の作品の原作を読んだことがなかった
全部中学生以降に少女漫画オタクになってからはじめて読んであれっ面白いじゃんとなったものだった
「りぼん」よりは花とゆめコミックスやぶ~けコミックス、サンデーコミックス等の方に馴染みのある子供だった
絵やお話の傾向もそれぞれの雑誌でかなり違っていて私は花とゆめ系の絵が好きだった 特に星野架名の絵が好きだった
なんとなく子供心に「王道」に通ずる要素を好きになれなくて毛嫌いしていたところもあったと今となっては思うけど
アニメになるとなんでだか普通に見ていた アニメになると何かが急にキャッチーになって受け取りやすくなる気がする
そんな感じで全体的に好みじゃないな~と当時思っていた作品でも
こんなに懐かしくてこんなに愛しい気持ちになるのがなんだかふしぎだし面白い
単に懐古や感傷だけじゃなくて色んな作品のそれぞれの魅力が今やっとわかるようになったのかなという気がする
「花とゆめ」や「ぶ~け」作品はりぼんよりは対象年齢が高かったのかあまりアニメにはならなかった印象
少女にとっての「りぼん」は少年にとっての「少年ジャンプ」のような王道の立ち位置の雑誌だったのだと思うけど
それにしてもたまに岡田あーみんとか彩花みんとか破天荒な作家も堂々掲載している結構ヘンな雑誌だ
でも「ジャンプ」にもうすた京介とか漫☆画太郎とかいることを思えば別におかしくはないのか
ちょうど鏡写しのようではないだろうかと最近思う アニメ化される頻度の高さという点に置いても
姫ちゃんのリボン、当時のおぼろげな記憶の中で唯一鮮明に残ってるのが
主人公のライバル?役ともいえる高飛車でエキセントリックな少女日比野ひかるの事である
茶色いくるくる髪にヘアバンドの女の子で空気読めない意地悪な女の子だけどかわいくてなんだか好きで
今見てもやっぱりかわいい女の子じゃんってなる 昔っからライバル役の女の子の方をすごく好きになってしまう
子どもの頃「らんま」も見ていてシャンプー!なんてかわいいんだろう!!!って思っていた
今でもラブコメに出てくる女の子の造形でいちばんかわいいのはシャンプーだなって思ってる 声も動作も服も全部かわいい
もう何度目だよという再々再々再々再放送くらいのものを見て「らんま」だとうっちゃんもかわいいしなびきは昔から大好きだし
とにかく気の強そうな暗い髪色の女の子が好きなんだな~というどうでもいい好みを発見したりするのだが
小太刀は前髪も好きじゃないし性格も嫌いだったんだけど今見たら か か かわいいじゃねえかよ~~ってなってしまって
アニメのだいぶ空気読めない性格に難のある(と設定されている)女の子ってなんだかわからない普遍的な魅力があるなと思った
そんな感じで日々野ひかるもやっぱりかわいいなーと思いながら懐かしいアニメを見ている 時々名状しがたく泣きたい気分になる
そして90年代のアニメを見ているとファッションのトレンドが今の感覚に近いというか
今のファッションが90年代のトレンドを模しているのかなという感じなのでキャラクターが着ている服が普通にかわいい
過去のものを大人になってから見るとあれこれ楽しいフックがあってというか見る側の自分の方にできていて
はー姫ちゃんもかわいい 当時リボンを模したグッズとかも発売されてたのかな こういうのリアルタイムで買ってみたかった
白泉社創立の由来は、当時集英社で織田信長みたいな、能力と才能を持ち容赦なかった若菜正の、ライバル・梅村義直追い出し策にある。その頃の集英社の派閥は大きなものが二つあり、少年ジャンプを中心とする長野規一派(少年漫画派)と、ノンノ・マーガレットを中心とする若菜正一派(少女漫画・広告取り雑誌派)がいた。両派閥の内部での結束と団結は強く、必然的に派閥外の者(特に二人より年長の者)は追い出されることになった。
梅村義直はかつてりぼんの編集長であり、それより出世して当時、りぼん内での独立系小派閥を持っていた。梅村義直の忠実な家臣の小森正義は、りぼんから別冊マーガレットに移り、さらに白泉社に移籍した。山岸凉子・三原順などのコネクションは小森に由来する。
小長井信昌は少年漫画の部門にいた関係で長野規の盃を受けた身であり、少年漫画編集の野望を抱きながら(それは後年、白泉社の少年漫画雑誌創立につながることになる)、その手法を少女漫画に生かし、別冊マーガレットで美内すずえ・和田慎二などを育てた。編集者の腕と頭の切れは抜群であるが、ワンマンで旗幟不鮮明な小長井は若菜正に警戒された。
「花とゆめ」創刊時は、付録つき月刊誌ということで、りぼんを意識しながらより低年齢の読者を対象にし、花とゆめコミックスの装丁もりぼんマスコットコミックスを模したものだった。
しかし、とある年に、週刊マーガレットのライバル雑誌だった講談社の少女フレンドが月2回の刊行になるという事態が生じ、売れ行きがさほど悪くなかった週刊マーガレットをそうするわけにもいかず、白泉社の花とゆめを月2回刊行のライバル誌にするという策を集英社は打った(余談だが、これは講談社のぼくらマガジンに対して小学館・集英社グループが少年ジャンプを作った策と同じである)。
当時の少女フレンドは大和和紀・庄司陽子・里中満智子その他強力連載・読み切り陣を揃え、花とゆめは苦戦したが、美内すずえ「ガラスの仮面」、和田慎二「スケバン刑事」という大和・武蔵級の作家によって巻き返しをはかった。
せめて萩尾望都先生とか竹宮恵子先生あたりを読んでみたらどうだろうか。
あとは、80年代から00年代の花とゆめコミックスの作品は男オタでも読みやすいの多いよ。
少年漫画でいうと、ワンピースだけ読んで少年漫画ってこんなのしかないのかと言ってるような感じを受ける。
あとは、ファンタジー系抵抗なければ観用少女(プランツドール)とかオススメだよ。
小学館の少女コミックあたりとかにそういう男オタがつらい内容の作品は多々ある気はする。
集英社の別冊マーガレットは作品にもよるけど、こちらも男オタにつらいのあるかな。
出版社や雑誌や年代によっても多岐にわたるし、恋愛だけが少女漫画では必ずしもないから十把一絡げには語れないかなと。
横からズレた話しごめんね。
http://anond.hatelabo.jp/20080721222220より。
http://anond.hatelabo.jp/20080726023345を受けて。
まあ、どのくらいの数の白泉男子がそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない花ゆめコミックスの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、2000~2009年の花とゆめコミックスのことを紹介するために
見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に花ゆめを布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う20巻、30巻越えの漫画は避けたい。
できれば巻数1桁、長くても既刊10巻にとどめたい。
あと、いくら花ゆめ的に基礎といっても時期がずれすぎるものは避けたい。
テニス好きが『しゃにむにGO』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。(連載開始が98年だから)
そういう感じ。
彼女の設定は
花ゆめ知識はいわゆる「花ゆめ黄金期」的なものを除けば、ドラマ版「ガラスの仮面」程度は見ている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「オトメン以前」を濃縮しきっていて、「オトメン以後」を決定づけるだろうという点では
外せないんだよなあ。長さも既刊10巻だし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
このトキメキ過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな花ゆめコミックス(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「白泉男子としてはこの二つは“神漫画”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種の歴史漫画オタが持ってる江戸への憧憬と、ゆるゆるのオタ的な架空歴史へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも津田雅美な
「耽美的なかわカッコよさ」を体現するソウビ
の二人をはじめとして、オタ好きのするキャラを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「どろろだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後も続いていること、これが単行本では収録順大変更になったこと、
少年漫画なら能力バトルになって、頭脳戦が展開されてもおかしくはなさそうなのに、
少女漫画でそういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり恋愛は障害を乗り越えるものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「赤髪の白雪姫」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかけるふじつか雪の思いが好きだから。
断腸の思いで伸ばしに伸ばしてそれでも全2巻、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「続ける」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
金魚奏の短さを俺自身は短絡とは思わないし、もう伸ばせないだろうとは思うけれど、一方でこれが
美内すずえや魔夜峰央だったらきっちり未完の大長編にしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて2巻に収めてしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきたもの膨らませきれないオタク」としては、たとえふじつか雪がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層で蛍火見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
夏目友人帳よりも前の段階で、緑川ゆきの哲学とか漫画技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの作品がLaLaDXでこの時代に掲載していたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく白泉社好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆる夕方再放送アニメでしか夏目を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
ふじもとゆうきの「目」あるいは「絵づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「終わらない群像劇を毎日生きる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそアニメ版『学園アリス』最終話は「俺たちの学園生活はこれからだ」以外ではあり得なかったとも思う。
「祝祭化した日常を生きる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
加速剤はキラメキにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうフェティシズム風味の愛欲をこういうかたちで漫画化して、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。
オトメンから始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、アニメ化から始まるハルヒブームの先駆けと
なった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本より
まあ、どのくらいの数の白泉男子がそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない少女マンガの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、花とゆめコミックスのことを紹介するために
見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に少女マンガを布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う40巻、80巻越えのマンガは避けたい。
できれば文庫版10巻、長くても単行本20巻にとどめたい。
あと、いくら白泉社的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
24年組好きが『綿の国星』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
少女マンガ知識はいわゆる「児童向けまんが」的なものを除けば、ちびまる子ちゃん程度は見ている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「ぼく地球以前」を濃縮しきっていて、「ぼく地球以後」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。長さも21巻だし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな少女マンガ(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「白泉男子としてはこの二つは“マンガ”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種の歴史マンガオタが持ってる平安への憧憬と、氷室冴子原作のオタ的な考証へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも氷室冴子な
「童貞的なださカッコよさ」を体現する高彬
の二人をはじめとして、オタ好きのするキャラを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「あ〜るだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後続いていないこと、これが文化系サークルでは大人気になったこと、
サンデーならOVAになって、それが飯田線を舞台にしてもおかしくはなさそうなのに、
白泉社内でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり少女マンガは乙女のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「桜蘭高校ホスト部」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかける高屋奈月の思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも23巻、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
フルバの長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが
日高万里や武藤啓だったらきっちり13巻にしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて23巻を作ってしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ高屋奈月がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層で銀ロマ見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
笑う大天使よりも前の段階で、カーラ教授の哲学とかマンガ技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの作品が隔週誌でこの時代に載っていたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく少女マンガ好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆる黒歴史実写映画でしかカーラ教授を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
那州雪絵の「目」あるいは「絵づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「終わらない寮生活を毎日生きる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそアニメ版『赤ちゃんと僕』最終話は修学旅行以外ではあり得なかったとも思う。
「祝祭化した日常を生きる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
源はグリーンウッドにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうコスプレ風味の恋愛をこういうかたちでマンガ化して、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。
ぼく地球から始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、打ち切り以降の黒歴史時代の先駆けと
なった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの白泉男子は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。