はてなキーワード: 脆弱とは
マキシマムザホルモンかと思ったり
まあ、本当に日本は終わってるというか平和ボケしてる感あるけどな
歴史的に考えても、ちゃんと戦争もできない国が生き残れるわけがないわけで
ということを証明した、日本は生き証人みたいになってしまった感がある
原発事故は核戦争への備えがあるか、援軍に来た米国にはちゃんと想定されたマニュアルがあり、日頃から訓練されていた
コロナは、米国の疾病対策センターみたいな組織はバイオ兵器、化学兵器に即時に軍と連携して対応することも兼ねているわけで、
軍需=軍国主義みたいな短絡な考えが間違いであることを十分に証明していると思う
今になって国産戦闘機だのアビオニクスはNECだのみたいな話になってるが、
韓国や中国はパクリだろうが何だろうが、国産戦闘機開発は完全に日本よりリードしているように思える
パクリだろうが真似て作ってちゃんと飛ぶとか動くってのは、それだけで十分に凄いと俺は思ってる
サイバー攻撃だの産業スパイだので設計図面を入手したからって、それを理解する脳みそがないならコピーさえできない
だから、ロシアでさえスホーイのアビオニクスを抜いたものを中国に売りつけてる
機体はゴミとか戦場で墜落した機体を回収するとかすれば、いつかはコピーできるだろうけど、
アビオニクスや特にソフトウェアは上述のようにコピーできてしまうわけで、
しかし、中国は曲がりなりにもアビオニクスを独自に埋めてちゃんと飛ばすところを世界に報道した
米国の人工知能による爆撃機の空母への離発着とレベルの差は雲泥ではあるが、
公式に中国政府が粗大ゴミになった建造中の空母を買いたいと言ったら拒否されるだけだろう
上述のように、同じ共産圏とはいえ、空母建造のノウハウを渡したくはない
粗大ごみを買ってくれるのか、どうぞどうぞ、みたいな話になってしまったわけだが、
もう半完成品の遼寧は完成させ、遼寧のノウハウ+αの山東も完成し、
これから完全にゼロベースからの巨大空母が複数建造されるのだろうし、
トランペッターのプラモをネットで眺めてて色々思ったのだけど、
世界でもユニークなサリン事件があり、テレビドラマのERでも会話の中にサリン事件で日本の名前が出たが、
極めて稀なテロ事件に遭遇していながら、コロナへの対処もショボいのが今の日本の現実である
普段から災害や国難があるのなら、それに対処する知見、蓄積があるはずなわけで、
例えば、建造物の耐震、免震構造などは日本は他国より優れているのではないかと自分は思うが、
千葉の台風でもゴルフ場のフェンスが倒れ住宅街の一部を破壊したが、
そもそも、あのフェンス外側に倒れてもおかしくない設置してなかったかとも思ったし、
なったらなったで、あの件はゴルフ場の女性経営者がゴルフ場を完全に売却し補填に当てることで決着したようだけど、
そもそもの設置基準、国側の監督責任、ゴルフ場を売っても金が足りない場合どうするか、
みたいなものが意外にこの国は未だに脆弱なように思えてならないし、
そういうことが回り回って、国民が安全安心に暮らせる社会になってない、としか自分には思えない
そういう話をすると、いやいや他国だってそんなに理想的ではない、日本なんかより酷い問題がある、みたいに話を折る人が出てくるわけだが、
まず、中途半端なところで満足するというのは、初学者が俺天才と錯覚するダニング=クルーガー現象みたいなもので、
自己満足した時点で成長は止まってしまう、だから日本は国として成長が止まってしまうのではないか
それから、仮に日本が最も豊かで恵まれた国だったとしても、それを更にブラッシュアップして、最強、最最強、最最最強の国家にするべきであって、
これも同様に自己満足が成長を止める
こういう自己満足や逆に米国だけを礼賛するような竹中○蔵みたいな輩が成長を止めているように思える
少なくとも米国側からも指摘されているように、台湾において米中がなんらかの武力的衝突をするのは避けられないと思っている
当然ながら在日米軍がある日本も無関係ではいられないわけで、ロシアのように第三次世界大戦を想定していかなければ困る
半導体製造においても、NVIDIAは台湾から韓国サムスンに製造委託を移すようだし、
日本は蚊帳の外感がずっと否めないのだけど、中韓のダンピングに負けたような経緯もあった気がするが、
半導体においても負け、半導体製造装置が今のアドバンテージであるが、その牙城が崩されるのも時間の問題かもしれない
比較的最近だったと思うが、ファナックは第二の創業として産業ロボットの次に射出成形機に乗り出してたと思う
生きていることに執着がない
私の根幹には、この一文が染み込んでいる。我を失うほどの楽しみはなく、死ぬほど苦しい仕事もなく、もともと堪え性がないので精神的、肉体的苦痛にも脆弱だった。死ぬほど、だとか、何かを失ってでも、ということが無い。
そのためか、他人にも興味が無い。
人を好きになる、誰かと暮らしたい、子供が欲しい、このような感情が薄い。ほぼ無い。無いな。
適齢期になれば押し寄せる焦りも無かった。
性別による損得も考えた事も少ない。その点ではとても恵まれていたかもしれない。
少しだけ、一般的とはいえない経験をした事もあるが、「もっと悲惨な経験をした人もいるだろう」と話題にする事もない。
あげると割と引かれるが、DVレイプセクハラパワハラ相続問題とかな、あちゃ〜頭ぶっ壊れたところあるのかな?と思わないでもないが深く考えるのもしんどい。忘れならないけど考えなくてもいい。
また、この様な不幸自慢やサバサバ系女発言と取られかねない結婚に興味ないです思考は、発言すると微妙な空気が流れるのをわかっている。
相手はどんな人なら可能なのか、足手まといにならないか?なる可能性高そう。
子供は可愛いと思う、金銭面で1人で育てるのは難しい、ひもじい思いをさせるくらいなら産まない。
ならば誰かと家庭を築く?振り出しにもどり、前述を考慮する。
1人でいいじゃないか……
周囲が家庭を作り妊娠出産の報告をくれる。友人や家族の報告は嬉しい。それにより全く焦ってないとはいえないかもしれないが、焦るからなんなのだ?焦っても仕方ないだろう。すぐに霧散する。今の生活で落ち着いてしまってる。
しかし、今の生活に満足かといえば、満足してはいないのだろう。だからといって目標を立てて何かをする活力やその目標すら見つからない。
誰かが悲しむと言う人もいるかもしれない。冷たい言い方だが悲しむ感情だけでは、わたしは生活できないと思う。他人が口先からそれを言うのは無神経だ。
「苦しまない様に消えたい」と本心から思っている人が、これを口にした場合、共感しがたい人は鸚鵡返ししか選択肢がない様に思う。聞いてもらえただけで、答えなんか求めてないのだ。答えは「苦しまない様に消えたい」なのだから。
「ブレスト参加者のあなたは前々からブチ犯したいと思っていた。あなたみたいなアバズレを血祭りに上げるショーを演ろう」などと提案したら倫理的に問題だ。ブレスト参加者の心理的安全性を侵襲してしまえば言われた彼女からはもうアイデアは出なくなるし、いかに倫理的に無礼講としても発言からは当人の価値観がのぞき見えるもの。暴言で傷ついてしまったらその痛みはずっと残る。
ブレストの大前提は欺瞞だと思う。完全な自由は成立せず、せいぜい「参加者同士の信頼関係の上で日常よりやや寛容に拡張された倫理感」の元での自由な議論、くらいになるだろう。でもそんな縛りを明言してしまえば本当に面白いアイデアは出てこなくなる。幻想は必要だった。
ブレストだから何でもありなら、俺は日本中のみんなからクリエイティビティを引き出すために「参加者みんなでやる、なんでも言い放題のブレスト掲示板」を作る。
・キリがないので重賞馬に絞ってある。
・【】内はおもな勝ち鞍
・調教師から「重賞を勝てる馬」と太鼓判を押され、素質はおおいに期待されていた。
・デビュー前から喘鳴症を患って初出走が大幅に遅れる(3歳時の6月)。
・条件戦では走りさえすれば勝てるような馬だったものの、4歳春に屈腱炎で一年半以上レース不可能になるなど脆弱な体質に悩まされ、6歳になるまでの出走回数は6回のみ。うち4勝。連対から外れたことは一回だけ(そのときも3着)だった。
・6歳のシーズンにようやくまともにローテが組めるようになり、プロキオンSで初の重賞制覇……が、またも故障で予定していたGIレース出走を取りやめに。
・7歳の6月に復帰したもののそのレース後にまたまた故障。さすがにもう高齢ということで引退。
・2005年のデビュー二戦目で重賞である新潟2歳Sを勝ち取り、アグネスタキオン産駒初の重賞馬となる。ちなみに産駒中でGI初制覇はNHKマイルを2006年に制したロジック。
・同年の朝日FS(GI)でも四位入着を果たし、アドマイヤムーンやメイショウサムソンといった2005年組のクラシック有力馬の一頭と目される。
・が、皐月賞で18頭中17着のブーピーに沈むと、放牧に出されて長期休養。復帰したのは皐月賞からちょうど一年後の4月だった。
・復帰後はファンも驚くほど精彩を欠き、15戦でわずか1勝。5歳以降は入着ラインにも達せなかった。
・それでも2歳時に輝きを信じて走りつづけたが、8歳時のレース後に脱臼が発覚。予後不良。
【エリザベス女王杯(GI)、有馬記念(GI)、桜花賞(GI)、秋華賞(GI)、大阪杯(GII)、ローズステークス(GII)】
・感冒でオークスを回避、調教中にウッドチップが目に入り角膜炎に罹ってドバイ遠征中止、骨瘤でヴィクトリアマイルと宝塚記念に出走不可となるなどつまづきが絶えず、最終的には屈腱炎で5歳のシーズンを見ることはなかった。
・それでも牝馬クラシック2冠や有馬記念を含むGI4勝をあげたのだから凄まじい。同世代のウオッカととも牝馬の枠に収まらない名馬として讃えられた。
【シンザン記念(GIII)、弥生賞(GII)、京都記念(GII)、】
・当初は順調にクラシック路線の前哨戦を勝ち上がり、皐月賞トライアルの弥生賞を勝つも、本番では4着に終わった。
・それでもダービーでは3着と意地を見せ、玉座も伺える実力を証明。そして三冠ラストチャンスである菊花賞へ……と進む前にダービーのレース中に骨折を負っていたことが判明。半年間の療養へ。
・復帰後は京都記念に勝ったり海外GIに挑戦したりと健在をアピール。人気投票で宝塚にも出走……だが、ドベに終わり、レースから数日後にまたも骨折が発覚。5歳時の年初に復帰したものの、この年は早々に故障して一走だけ。6歳の夏に引退。
・骨折を重ねた割に無事(?)に競走馬生を終えたものの、種牡馬となって以後の11歳のときに肩甲骨の粉砕骨折で予後不良。人間でいえば40歳ほどでの死だった。
【NHKマイルC(GI)、東京優駿(GI)、神戸新聞杯(GII)、毎日杯(GIII)】
・デビューから初勝利まで6レースかかった。だが、4歳時に鞍上に四位洋文を迎えて毎日杯を制すると、その後はNHKマイル、日本ダービー、神戸新聞杯と重賞四連勝。その後もGI戦線で上位争いを繰り広げ、一時は凱旋門賞出走プランまで持ち上がったものの、4歳時の8月に屈腱炎を発症して引退。引退後は種牡馬としてGI馬も輩出している。
【皐月賞(GI)、デイリー杯2歳S(GII)、朝日チャレンジカップ(GIII、二回)】
・父アグネスタキオンとおなじ皐月賞馬となったものの、やはりその後に父同様故障でクラシック戦線から外れてしまう。
・ただ父とは違って6歳のシーズンまで戦った。故障からの復帰後はGIレースでこそ目立たなかったものの、朝日チャレンジカップを二連覇するなどGII以下では存在感を示した。
・やはり体質の弱さからややデビューが遅れ、皐月賞には間に合わず。それでも青葉賞を勝ってダービーに出た。
・ダービーでは七着に終わったものの、菊花賞には出よう……としてやはり故障。クラシック路線はここで打ち切り。どころかその後は一年半もレースに出られなかった。
・復帰後はオープン戦で微妙な順位に入線する微妙な感じの馬になり、全く勝てなくなる。ラストランではなぜか障害の未勝利戦に挑戦して五年ぶりの一着になるも、そのまま引退。タキオン産駒が障害なんて死んじゃうよ!とドギマギしたファンもほっと胸をなでおろした。
・かねてから素質の良さは評価されていたものの、デビュー後はややもたついた。それでも3歳2月にきさらぎ賞を獲ると皐月賞、ダービーでは入着馬(4着、5着)となり、菊花賞こそは陣営は意気込んでいた。
・……ものの当然のように骨折(調教中)。そのまま3歳シーズンが終了。
・復帰するとやはり勝てない馬と化してしまい、重ねて屈腱炎を発症。5歳シーズンはろくろく走りもしなかった。
・それでも6歳シーズンには関屋記念(GIII)を勝ち、重賞コースに返り咲く。が、翌年にまたも骨折。復帰したときは9歳の11月で、一回だけ走ってドベで引退。
シン・エヴァの(特に後半以降に関する)最大公約数的な解釈として「この映画は虚構!」「もう何も残っているものはない」「お前らも現実に帰って結婚したら?」という見立ては、おそらくおおむねその通りの解釈が可能だと思います。それは至極まっとうな話ではあるんですが、しかしそれを物語や登場人物に託すことなく、また映像演出的にも暗喩をもちいることなく、かなり直接的な表現(具体的には特撮の撮影スタジオで動くエヴァンゲリオンや登場人物たち・あるいは宇部興産)として出してしまう(ゴルゴダオブジェクトなる代物を出す、あるいはマイナス宇宙なんて大層な世界まで行ったのに!)、そういうことをやってしまう制作者たちがこれから手掛けるであろう「映画」や「物語」がつく嘘は信用することが出来るのだろうか。
映画/物語の作り手・物語世界に対して最も重い責任を負う立場の人間が、映画/物語のもつ現実やその確からしさを一切合切放棄する・新劇場版4部作の物語世界に対する不義理を、「よくやった庵野秀明さん」「成長したな庵野秀明さん」「やっと解放された庵野秀明さん」あるいは「エヴァってもともとこうだから(笑)」「あれのよさが分からん旧劇場版至上主義(笑)」「早くお前らも成長したら(笑)」と考える人びとが思いのほか多いのでかなりつらい。いいのか...
「この映画・物語は虚構」というのをその物語世界のなかであからさまに出してしまった、撮影セットの中でエヴァやシンジや綾波に演技をさせてしまった(ここは旧劇場版では比喩的な表現としてギリギリ踏みとどまっていたように思います)、この演出を制作側のだれも疑問に思わなかったのだろうか。事象の地平線まで行った先がミサトさんの酒瓶だらけの部屋で暴れるエヴァ2体なの、あまりにあんまりな映像じゃないですか?
前述のような物語世界の現実性に対する不誠実と思える演出や、碇ゲンドウ下車以降の「アスカ、おまえはケンケンといけ」「綾波、お前は田植えをしろ」「カヲルはもうええ」というような、(カウンセラーの碇シンジにとって)一切葛藤も迷いもない、エヴァを完璧に終わらせるための物語進行や、あるいはエヴァ世界に対する「他者」としてのマリ(初手で乳を押し付けてくる顔のいい「他者」、これ世間一般で言えばかなり視聴者に対して都合のいいアニメキャラ・虚構そのものでは?)の導きによる物語進行と宇部興産エンド、こういった要素がそのまま映画としてでてきてしまう状況(誰も「いやマイナス宇宙まで行ってエヴァがミサトさんの部屋で動いたら笑うだろ」「ゲンドウ以降のカウンセリング早すぎないか」「冬月研究室出身と乳がでかい以外の来歴がいっさい不明なキャラがなぜこのような大立ち回りを演じられるのかの部分っていつ説明したのか」とならなかったのか)、それに突っ込み入れず「よく終わらせた!」で肯定的に受け止めるファン含め、現状は庵野秀明さんにとって、旧劇場版でシンジくんが否定した「自分も他人も存在しない曖昧で脆弱な世界」「他人の恐怖が存在しない世界」そのものになってないですか
追記)マイナス宇宙・ゴルゴダ、これウルトラマン→特撮スタジオの進行か、いやそれって庵野秀明さんが好きだから以上に選択できる演出なのか?シン・として必要だったのか?
古くはナチス、現代ならブレグジット、トランプをはじめとしたポピュリストに翻弄される脆弱なシステムより新しいのを生み出せないまま何十年経つねん。
お前は、出来ないしやっちゃいけない「ことになってる」としか言っていない、ではその「ことになってる」が正当化される理由は?絶対化される理由は?
信教の自由は憲法で保障されてる、たしかに、では憲法で保障される理由は?憲法で保障されないように変えることは可能か?不可ならその理由は?そもそも憲法は絶対か?
なぜ憲法で保障されているなら修正できないんだ?憲法より上位の規則や規範は無いのか?無いならそもそも憲法はそれより上位の正当化の根拠を持っていないことになるが、ならそこで正当化は崩れているのでは?
他にも色々考えることが出来るだろう、憲法も信教の自由も相対化できるだろう
勿論それらは既に過去に俺よりずっと頭の良い人間達がすでに考えたことで、「勉強」すればその答えが有るかも知れない
しかしそれが正しい保証はどこにある?そもそもお前は「勉強」を思考をやめさせるための蓋としてしか使っていない
過去に俺よりずっと頭の良い人間が考えた所で、所詮そいつらは過去だ、下手したら同性愛差別が肯定される時代の天才だ
例え天才でもそういう時代の価値観からは自由じゃない、つまりその「勉強」も過去の時代の価値観に汚染されている可能性も有るという事だ
従って「勉強」の結果が覆される事は絵空事ではない、そもそも学問とはそういう転覆の繰り返しで出来ている
そもそもお前の言う「勉強」は例えば科学の様な、検証可能な論理体系か?必ずしもそうじゃ無いんじゃないか?だとすれば正当化のシステムそれ自体もそれなりに脆弱だ、絶対化するには余りに頼りない
春は死にてえ。電車に乗ってると新社会人や学生が無限に沸いてくる。少しの我慢と思っても、苛立ちに任せて身投げしたい気持ちが細くたなびきたる。
夏は死にてえ。月も濁るほど空の汚い都会で、毎日毎日ド深夜に闇の中を帰る。帰ったら風呂入って気絶するように寝て、気がついたら翌朝会社にいる。朝なんてほぼ意識ないのに雨が降る予報があればちゃんと傘持ってきている。怖い。
秋は死にてえ。夕日なんてしばらく見てねえ。上司の禿頭で揺れるさもしい毛が三つ四つ、二つ三つと抜けていく様は実にあはれなり。たまの休日、寝溜めしている時、外で鳴いてた虫がうるさすぎてベランダ開けて草むらに石を投げたらシィンとなった。その時もなんか死にたくなった。
冬は死にてえ。最も死にてえ。雪とかマジで無理。雪で脆弱な交通網が止まっても出社しなくちゃなんねえ。寒くて何もやる気起きないし、ガチごちの頬の筋肉を頑張って動かして笑うと本当に俺は気持ち悪い顔になるんだ。なんで俺は生きてるんだ。ワロタ。
https://www.city.komae.tokyo.jp/index.cfm/44,113873,c,html/113873/20210305-164749.pdf
東京都狛江市の新型コロナワクチン住民接種実施計画というのが公表されているのだが
「接種を希望する対象市民100%の早期接種を目標とします」とある一方で「【目標接種率】60%(約42,000人 延べ約84,000回の接種)」とある。
狛江市では医療従事者および 16 歳未満の接種対象外の人間は合計で1万3千人ほどいる。ということは、東京都狛江市はおおまかにいって人口8万3千人のうち2万8千人がワクチンの接種を拒否する、と見積っていることになる。このことから「60%」の母数が市民全員ではなく、「市民 - 接種対象外の人」であることがわかる。
東京都狛江市は、「どうせ40%ぐらいはワクチンを受けにこない」という判断をしている。自治体は日常の予防接種などのデータも持っているから、実際に普段ちゃんと接種している人は 60% 前後しかいない、ということなのだろう。
これが、東京の自治体が考えるリアルなのだろう。日本にけるこの 40% の人達のうちどれくらい多くが強硬な反ワクチン派で、どれくらいが単にめんどくさがっているだけの人なのかはよくわからないが、めんどくさがっているだけの人にしたところで今回だけ病気を恐れてやる気を出してくれると楽観するのは、あまりよくないと思う。諸外国においてもだいたい 40%-60% ぐらいの人が COVID-19 ワクチンに反対しているようであり、日本もまた「普通の国」であることがわかる。
そして、これをみると、とてもではないがワクチンの接種が「完了」したところで、いわゆる「ソーシャルディスタンスの確保」はやめられない、ということがわかる。 40% の未接種者が平然と外を歩きまわり遊びまわるようになれば、日本の極めて脆弱な医療システムはあっという間に再びパンクすることだろう。
「ワクチンを接種するかどうか」は(特に日本では)高度に思想良心の自由にかかわる問題であり「接種済みであることを証明する書類」などを携帯するように義務化することは(特に日本においては)難しいのではないかと思う。しかし、いずれそういう手段とか、あるいは接種を拒否する人に刑事罰を課すとか、かなり強硬な手段をとることは回避できなくなるのではなかろうか。
青春時代をインターネットの匿名掲示板に費やした私は16才の頃からネトウヨに嫌悪感を抱いていた。どんな話題ですら韓国や中国、その国民を誹謗中傷するための踏み台に利用し、それを指摘すればお決まりのように“在日認定”されることに飽き飽きしていた、というのは自分を冷静に捉えすぎた表現かもしれない。実際には、そういったネトウヨの一連の言動に遭遇する度に底知れぬ不快感が胸の底で淀んだ。
しかし自分を冷静に鑑みると、私は彼らに憤る資格があるような人間ではない。政治そのものには全く関心がなく、選挙権を得てから五年間一度も投票にいったことがないし、恥を忍んで言えばその仕組みに対する理解も曖昧である。かといって歴史に関しても知識すらなければ調べるだけの知的好奇心もない。当然何のポリシーも正義感も持たないし、街で政治的なデモや演説に出くわせば、“自分はまともな人間ですよ”という顔で素早くその横を通りすぎていく。では中国や韓国の文化等に興味があるのかと問われれば、ありていに言って全くの無知無関心である。
私のような浅い人間が、何故ネトウヨという人種をこれほどに嫌っているのだろう。自問すれば、答えを出すのに難くはなかった。私が底知れぬ程不快なのは彼らの主体性、客観性の無さである。おそらく彼らの殆どは中国人や韓国人に直接何かをされたどころか、その個人相手にまともなコミュニケーションを取ったことすら少ないだろう。“国家”という脆弱な概念に自己の全てを委ねて、虚偽に溢れたインターネットの見せる甘美な情報を一切の疑念を捨てて信用し、脳内で形成された完全に不均等の世界で溺れきっている。
私がネトウヨを憎むのは政治的ではなく人間的な理由ということだ。同じように流行りの深夜アニメだけを見て、猛虎弁を乱用しハイテンションでツイッター上のお仲間と同じやり取りを繰り返すキモオタや、未だに血液型で性格が決まると信じているアラサー女も心から嫌悪している。でも結局、考えれば私も彼らも同様に浅い人間なのだ。ただその純粋さが吐きたいくらいに煩わしい。
合法の国では、やったことない人でも危険性を理解してる率が高まると思わないかい?
禁止されるから大衆の想像力が低いままになり、乱用者に対して社会が脆弱なままになってしまうんだよ。
禁止されなければ人の振り見て我が振り直すことができる。全体が賢くなれる。そうなるまでに時間はかかるだろうけどね。
アルコールで考えてみよう。日本はアルコールを合法にしてきてだいぶ経つが、最近になってやっと、自発的に摂取を避けるライフスタイルを選ぶ若者が増えてきた。
コロナ禍でその傾向は一層盤石となり、酒飲み派と酒忌避派の断絶は深まることだろう。だがその断絶は「危険性の理解」から生まれたものだ。
ネガティブに捉えるべきではなく、むしろ逆に、この断絶がより多くの人間を巻き込んで集合知を次のステージへ進める契機となる、進歩的な断絶だ。
国家規模の人間集団が賢くなるには、失敗の歴史を身近かつ間近で見て学ぶ必要があるんだね。
だから「危ないものには蓋」は長期的視点で見ると、人間を愚かで想像力の乏しいものにしてしまう。
規制、禁止、こうしたパターナリズムは、温室栽培された人間を増やす方向に働くんだよ。
いずれ詐欺にすぐひっかかるようなスカスカな脳みその老人人口が爆発するだろうね。
甲斐甲斐しく世話を焼き続けた結果、焼ききれなくなる未来。ドラッグなんて序の口だ。高度情報化社会になればなるほど、愚者の面倒は見きれなくなるだろうね。
それよりも僕は、人類全員が荒野で揉まれながら賢くなっていく道の先にこそ、明るい未来が待っていると思うね。
葉っぱをやる自由はあるが、やったらまともな人には相手にされなくなる。行動に応じて冷徹なまでに階層が区切られる。
そういうの、ゾクゾクしないかい?
そのような意味で、僕はドラッグに染まる人間を擁護する気は一切ないが、自由化することは大いに賛成なんだ。そこんとこよろしく頼むよ。