はてなキーワード: 爆睡とは
なんかふと思い出したんだけどわざわざ友達に言う内容でもないし、でもちょっと聞いてほしかったのでかきます。長文書くのなんて読書感想文以来だから支離滅裂だけど良かったら読んでください。
中学三年生の修学旅行でこっぴどく怒られた。理由はヘアアイロンの持ち込み。同室の子に見られてちくられた。
私は酷い天パで、小学生のときそれはそれはいじられた。子どもならではの無邪気な言葉でも深く傷付いたし、耐えられなくて不登校になったことも、自分で髪の毛をうなじくらいまで切ったこともある。みんなは忘れていても、その瞬間の相手の顔も言葉も、私だけは鮮明に覚えている。ある時どうしても欲しいとねだって、誕生日、クリスマス、お正月分のプレゼントとしてちょっと高いヘアアイロンを買ってもらった。これは私にとっていわば革命で、思い通りにまっすぐになる感動で泣いてしまった。余談だけど天パのままの自分が写った卒アルや写真を見るのが耐えられなくて、まとめて箱に入れて神社で燃やしてもらった。
修学旅行を迎える頃には既に縮毛矯正を2回、ストパーを6回していた。風呂のときはまっすぐになる(と聞いた)シャンプー、コンディショナー、トリートメントをし、温風と冷風を交互にしながら乾かし、髪が枕に擦れないよう座ったまま就寝。毎朝5時に起きて1時間かけて丁寧にブロー、その後も軽く1時間はヘアアイロンを使ってうねった髪を伸ばし、急いで支度して7時20分には家を出る生活をしていた。
修学旅行まであと1ヶ月くらいになってから配られた修学旅行のしおりを見ると「ヘアアイロンの持込、使用は禁止」の文字があり絶望した。どうしようどうしようどうしよう。夜どれだけ気を使っても朝起きると大惨事、ヘアアイロンで伸ばさないと天パが目立ってしまう。私にとってそれは苦痛以外の何物でもなく、死んだほうがマシなのではと思うくらいだった。たった一文で修学旅行に行くのを本気で躊躇った。
ちなみにキャンプのときはお風呂に入らなかったため、ケープでガチガチに固めたら3日間そのまま保つことができたので事なきを得た。ケープすごい。
担任の説得、そして修学旅行の代金の積立を支払っていたのもあり、修学旅行には参加することになった。けれど頭にあったのは天パがバレてしまった時の屈辱だけだった。
そして修学旅行1週間前、偶然クラスメイトの会話が聞こえてきた。内容は携帯を持っていくか否かだった。しばらく盗み聞き(?)していたが、満場一致で持っていくことになったらしい。携帯ももちろん禁止だったが、クラスメイトが当たり前のように持っていくと聞いた瞬間、私の中で何かが弾け、同級生がルールを破って携帯を持っていくのなら私もヘアアイロンを持っていこうと決意した。
荷物検査はあったが生理用品や歯ブラシ、ハンドタオルなどを詰めたポーチに隠して入れた。生理用品が入っていたら遠慮して奥まで見られないだろうと考えたからだった。
1日目の夜は民宿だった。体内時計を駆使していつも通り5時に起床。私はすぐに寝落ちてしまったが他のみんなは夜遅くまで起きていたらしく、5時の時点では全員爆睡していた。何故か布団をしまう押入れの中にコンセントがあったため、押入れの戸を閉め、埃っぽくむせそうになるなか必死に髪を伸ばし続けた。本当はブローもしたかったが音で周りを起こしてしまいそうだったのでやめた。実はドライヤーも禁止だったが、濡れたまま寝ては風邪をひいてしまうと民宿の方がこっそり貸してくれていた。
一通り終えて腕時計を見ると7時前だった。9時にはホールのようなところに集合していないといけないので7時ぴったりにみんなを起こし、民宿の方の手作りの朝食(すごくおいしい)を食べてから各自準備をしてホールに向かった。
2日目の夜はホテルだった。民宿とは班が違い、もっと少人数になる。疲れがあったこと、そして先生の独断で決まった班だったから仲良い子がいなかったことなどが重なりあまり会話もせずに就寝。
朝起きたら5時半だった。ベッドの上のコンセントを使い、班の子達に見られないよう床に座り込み必死に伸ばし続けた。だが6時半になるかならないかのとき、ひとりが目覚めてしまった。何か(電源がついていることを示すライト)が光っていたのが不思議だったのかゆっくり近づいてきて、突然の事だったので隠すこともできず見られてしまった。終わったと思った。でもその子は何も言わず準備を始めたので心の底からほっとした。ヘアアイロンは元のポーチにしまった。だんだん他の子も起きはじめ、おはようと挨拶を交わして顔を洗いに行く。しばらくして生徒が起きているか見回っていた先生がドアを開けて入ってきた。するとヘアアイロンを見た子がよく通った声で「この子ヘアアイロン持ってるんですけど」と言った。頭が真っ白になった。奇しくもそれは携帯を持ち込んでいた子だった。
朝食はホテルの大きなホールで学年全員でとった。だが見せしめのように入口に置かれた私のヘアアイロンが気になって気になって何も喉を通らなかった。
それからは何も覚えていない。いつのまにか駅に着いていた。どうしたらいいか分からなくて立ちすくんでいると担任に呼ばれた。当たり前だが怒られた。声が大きい先生なので生徒に限らず通行人にも全部聞こえていたと思う。とてつもなく恥ずかしかった。正直持込みがバレたことより、ヘアアイロンを使わないといけない髪だということが知られてしまったことのほうが恥ずかしくてたまらなかった。親が迎えに来るまで20分くらい説教されたあと、ヘアアイロンは返された。帰りの車の中で泣いた。母親は私がどれだけ髪に執着しているか知っていたからか、乗った瞬間のおかえり以外は何も言わなかった。
ルールを破った私が全面的に悪いって分かってたけど本当に本当にしんどかった。
私はその後父に頼み込み、卒業してからするつもりだった引越しを夏休み中になるよう早めてもらった。卒アルを受け取らないようにするためだった。転校前の学校にも転校先の学校にもお願いをし、卒アルの個人写真には私が写らないようにしてもらった。(かなり経ってから友達が持っていた卒アルを見せてもらうと集合写真には多少入っていた。)すると業者さんが気を使ってくれたのか私専用の写真集を作ってくれた。私も写っていてがどれも小さく、どちらかというと友達の写真がメインだった。思い出の写真は1枚も残らないものだと思っていたので本当にありがたかった。
転校先で友達はできなかったけど、高校はちゃんと通えてるし、卒アルを受け取らなかったのは正解だと思っている。
また、中途半端なタイミングでの転校だったから内心ズタボロでいい高校には入れなかった。
悪いことをしたので自分に返ってきたのかなと思っています。自業自得です。
それと努力の甲斐あってか今はかなりまっすぐになっていますが、それでも気を抜くとすぐうねります。笑
天パに限らずコンプレックスを持っている子、たくさんたくさんいると思います。コンプレックスは簡単には直せないし、本人の気持ち次第で短所になったり長所になったりするものだと思います。気にしないようにって言われても余計気にしちゃうとか、そういうのも痛いほど分かります。だけどこれは逃げなんかじゃないので、自分の納得のいくまで整形でも何でもして気持ちを和らげて、強く生きてくれると嬉しいです。いい話風に終わりたかったけど私のルール違反がいい話になるわけないのでここで終わります。脱字修正しました。長々と読んでくれた方ありがとうございました!
○朝食:なし
○昼食:天一
○夕食:ソーメン
○調子
JPY!
なんとか掃除を終わらせて、とても心地のいい気分です。
なにしろ、今まで冗談抜きに足の踏み場がなくて、本でできた獣道を通ってた感じだったからね。
ようやく、床に物が落ちてない生活を取り戻せました。
ただ、ここ数日あまりちゃんと寝てなかったので、掃除が終わって「溜め」が終わった後に、ラーメンを食べたら、くたっと爆睡。
こんな時間まで寝てしまったので、今から金曜の夜までずっと起きてようと思います。
●3DS
○ポケとる
すっかり忘れてた、危なかった。
バンギラス難しい。
サナギラスから進化できれば、相当心強いけど、そうして進化した上でも、
・紫技に弱い
状態異常には強いけど、ルナアーラやらバシャーモやらの攻撃的な紫技がいるからね
これどうにかならん? つうか仕様通りなんだろうけど、仕様が腐ってる。
てっきり青技の効果発動前に倒すのかと思って、コケコのメレメレでチェックメイトされたよ。
・単体火力最強という意味のなさ
電気スタンはもちろん、チルチルやヌイコグマやルナアーラなど足し算や引き算や割り算が横行しすぎてて、だからなに? って感じ。
浮気なんかする余裕はないよ。
旦那の相手だけで疲労困憊してるのに、よその男まで相手してられないよ。
男ってのは単に性欲だけでなく、女の身体を抱きしめたりセックスすることで心の疲労を回復したり、自信をつけたりするんだよ。
ハグくらいなら疲れていても出来るけど、ハグすればうちの旦那に限っては絶対にそういう流れになる。
でもセックスは体力も気力も使う。
そこまでの余裕がない。
ヘロンヘロンになるまで働いて帰宅して、溜まった洗い物や洗濯物を片付け、翌日の食事やお弁当の下拵えをして、休日には子供の学校の用事と買い出しと役所や銀行での手続き。
眠るのはいつも午前2時。家事が片付くのが午前4時なこともある。
やっと…、やっと眠れる…。でも布団敷く気力がない…って思いながら、布団を敷いてると、夕方帰宅して爆睡して多少回復した旦那が「子供寝た?」って身体を求めて来るんだよ?
純粋に疑問だけどこれ、逆だったら男は耐えられるの?
私にはきつい。
もう年齢のせいもあってか濡れない。疲れてるからか感じない。
膣が炎症起こして薬飲んで働いてる。
男にとって女の身体に触れることが癒やしだったり自信回復だったりするのなら、本当は嫌だけど浮気しても不倫しても良いって言ってんの。
不倫したら本気になることもあるだろうから、私と離婚したい場合は浮気や不倫に関する慰謝料もいらないって言ってる。
ただひたすら、私は休息がしたい。
家にいる時くらい気を使わずに眠りたい。
その翌日、元セフレから「やりてえ(意訳)」と1年ぶりに連絡があった。
それからさらに数週間後、職場の先輩Aさん,Bさんと一緒に飲みに行った。
前提として、私は以前Aさん(40代独身)に思いを寄せていた。そして、そのことをAさんは認知している。
(過去、Aさんに対して冗談交じりに「私、Aさんのこと大好きです!」と伝えたため)
Aさん, Bさんとの飲み会では、私の彼氏の話になった。一番ホットな話題は同棲なので、私は「同棲することになって本当に嬉しい」と素直な気持ちを話した。
そしたら、Aさんは「嫉妬するわー、こいつ前まで俺のこと好きって言ってたんだぞ」とBさんに言った。その発言は嬉しかったけど、今は彼氏が大好きなのであまり動じなかった。
3人とも、この時点で結構酔っ払っていた。
Aさんと私は入口側のソファに座って、Bさんはその隣のソファに座る。
私が歌っていたら、Aさんが腰に手を回してきた。よくある絡みなので、「あー、Aさん今日も酔っ払ってるなー」くらいに思った。
Aさんも眠くなってきたのか、私の腰に手を回したまま、私に寄りかかる形で眠ってしまった。それから、もう一方の腕を私のほうに伸ばして、私に抱きつくような体制になった。
さすがに困った。密室だし、Bさんは爆睡してるし、部屋は薄暗いし。振りほどくのも起こしちゃって悪いかなとか考えていたら、私の手の上にAさんの手が重なった。Aさんの無骨な指が、すこし動く。Aさんの浅黒い肌が、ベルトの上あたりにのぞいている。…………困った。
もう狸寝入りしてしまおうと思って、そのままの体勢で机に軽くうつ伏せる。そしたら、顔がカーっと紅潮してきて心臓がドキドキ鳴った。Aさんの指がかすかに動くたびに、エロい声が出てしまいそうなのを渾身の力で我慢した。
どうしようどうしようどうしよう、いやいやこれはさすがにマズいと思って、できるだけそっとAさんの腕からすり抜けた。マズいところまで来ていた。完全に、好きだったときの気持ちにかなり近づいている。気持ちを振り切りたいけれど、完全にエロスイッチが入ってしまった。
気持ちを落ち着けていると、Aさんが寝たままの体勢で私のふくらはぎに触れた。「くすぐったいです」と笑ったら、Aさんも笑ってまた寝た。
しばらくしたら部屋の電話が鳴って、「退店10分前です」と言われた。
なんだかもうよくわからなくなって、Aさんに抱きつく形で「起きてください」と上半身を起こしたら、またAさんが横になって寝た。そしたら、Aさんは「もっかい起こして」と言った。私は、もう一回抱きつく形で起こした。
気持ちを切り替えるためにぱん、と手を叩いて「はい、行きますよー」と言っても、Bさんは起きないので、AさんといっしょにBさんを何回も起こして店を出た。
家に帰って寝て起きて、思い出してみてあれは夢か???と軽くパニックになった。
過去何度も好意を伝えても、「こんなおっさんのどこがいいんだ」と笑っていなされてばかりだったのに。
過去の彼女の話だってろくにしないくらい、プライベートを誰にも話さないような人だったのに。
彼氏に秘密ができて申し訳ない気持ちと、ドキドキする気持ちと、おっさんの嫉妬心や甘えたを悲しく思う気持ちがないまぜになってる。
①3歳…昼間、家の横の私道にいると知らない若い男性がニコニコしながらやってきてパンツに手を入れてきて性器をいじられる。けっこう長い時間。何をされているのか理解できず。ケガ等はなし。
②7歳…小学校の下校時、午後3 時頃、校門前で下半身を露出した中高年男性に遭遇。
③14歳…徒歩で下校中、午後6時頃、薄暗い細い道。自転車に乗った男子学生とすれ違う。直後に相手が引き返してきて後ろから尻を触ってくる。驚いて振り向くと胸を鷲掴みしてから逃走。一瞬のことで何も言えず。
④17歳…徒歩で下校中、午後7時頃、暗い細い道。ジョギングウェアの男性が駆け足で向こうからやって来る。すれ違うとしばらくたってから引き返してきて背後から抱きついてくる。「何すんの」と言う。相手はすぐ走り去る。
※これ以降は電車通学になり、痴漢に遭遇する回数は急激に増える。当時、女性車両はない。
⑤18〜20歳…小田急江ノ島線、満員電車。藤沢〜新宿間でほぼ毎朝痴漢に遭う。相手は不定。若いのから中年、大学生風や会社員風など色々。服の上から尻などを撫で触るというもの。やがて同じ男につけ狙われて耐えられなくなり、始発駅から座っていくことを思い立つ。原付バイクを購入。最寄り駅は藤沢なのに始発の片瀬江ノ島までバイクで25分かけて行く。ドア横の端の席に座って通学。しばらくは平穏。だがある日の午前7時台、いつものように座席のパイプ手すりにもたれて眠っていると、髪の間からツンツンと頰に当たるものに気づく。カバンかな?いやでもなんか違う。まさか、だ、だ、男性器?恐ろしくなり確認することもできず、寝たふりをしたままじっと固まっていたが、相手は何か察したように新百合ヶ丘でそそくさと降りていった。スーツ姿の中年男性だった。髪に粘っこい液体が付着していることに気づく。大学の洗面所で洗う。
⑥20歳…藤沢駅から徒歩で自宅への帰り道。午後10時頃。暗く細い道。男につけられていると気付いた時はもう人通りのない場所にさしかかっていた。男はおよそ30メートル後ろ。自宅まで500メートル。今から走っても追いつかれるだろう。途中は空き地や墓地のあるさみしい通り。携帯もない。まずいぞ…。とっさに袋小路に進入。行き止まりに数軒並ぶ民家の住民であるかのように装い数十歩進み、おもむろに住民の車の陰にしゃがんで隠れた。息を殺して下から覗くと袋小路の入り口で男の靴がこっちを向いて立っている。住民のふりをしたものの、玄関を開ける音がしないことを男に不審がられたらおしまいだ。逃げ場はない。恐怖の時間。しかしやがて男は諦めて離れて行った。それからさらに30分以上隠れてから走って大通りまで戻り、公衆電話で父に助けを求めて迎えに来てもらった。
⑦21歳…アルバイトでモデル業。ローカル企業のカレンダーとパンフレットの仕事。モデルは他に数名。撮影はハワイ。ギャラは10万円。撮影にクライアントの役員が何人も付いてくるって?なんかおかしいな。予感は的中。行きの飛行機はなぜかモデルとクライアントのおっさんが隣同士の席になるように仕組まれて、爆睡してたら乳を揉まれた。やっぱりやばいやつやこれ。CAに頼んで席を変えてもらう。CAと向き合う安全席。でもこれからどうする。カレンダー撮影にかこつけたセクハラ慰安旅行。騙された。でもギャラはもらって帰りたい。ホテルはヘアメイクの女性と同室。話を聞くと、広告会社はグルではないようだ。おっさんの部屋襲撃、電話攻撃などを無視し、他の女の子たちと固まって行動し事無きを得た。往きの飛行機の中で他のモデルたちにも触られたことをバラしていたので、皆初めから警戒しており、被害は出なかった。一応カレンダーは完成した。ギャラももらった。めでたし。
⑧22歳…就職。東海道線で通勤。藤沢から新橋までの間にしばしば痴漢に遭遇する。頻度は小田急線より少なくて週一回程度。しかし混み方が激しく、体力を消耗する。通勤地獄に耐えられず半年ほどで都内に引っ越す。
⑨25歳…一人で渋谷の映画館に出かける。午後6時頃。空いているのに隣に座ってきた男に腿を撫でられる。無言で席を移動するが付いてくる。また移動するともう付いてこなかった。その映画館はハッテン場でもポルノ劇場でもない、普通のところである。モニカ・ベルッチの出演作だったが痴漢男が気になり内容は頭に入ってこなかった。
※この後結婚したり引っ越したり仕事を変わったりして移動手段は車が多くなり、ほぼ痴漢に遭うことはなくなった
⑩37歳…阪急京都線梅田〜河原町間で午後4時頃、ボックスシートの隣に座ってきた高齢の男に腿を撫でられる。無言で別の席に移動するとやはり付いてくる。途中の駅で降りる。付いてこなかった。通勤時間帯ではないので女性車両はない。
以上。これは多いだろうか、少ない方だろうか。ほとんどの女性が生涯一度は性被害に遭っているのかどうか、それはわからない。夫や恋人には話せないと言う人もいるだろう。
それよりなぜ一度も警察や駅員、痴漢本人に訴えなかったのか、ということについてだが、まず第一に、怖いから。相手が急にグーパンしてきたらどうする?周囲の人が呆然としている間に、鼻を折られ、吹き出す鼻血、真っ赤に染まるシャツを想像し、どうしても声を出すことができなかった。
第二に、相貌失認の傾向があるということ。⑤で常習となった痴漢の顔もとうとう覚えられなかった。毎回同じ場所で同じ行動をとるから人物を特定できるのである。警察署や裁判所で会っても、認識できない。痴漢冤罪で人生終了は昔も今も変わらない。現行犯で冤罪もくそもあるかなのだが、やはり本当に?痴漢なのか?と逡巡しているうちに終わるのである。
こういうことの積み重ねが痴漢をのさばらせ、新たな被害者を生んでいるとの苦情は当然のことだ。申し訳なかったと思う。特に恐怖を感じた⑥の件も、交番に届けておくべきだったと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20180225200423
便乗して童貞を捨てた時の話
当時、出産は鼻からスイカを出すくらい痛いって聞いて、女性器というのは鼻の穴くらい伸びないものだと思っていた。
努力の甲斐あって、右手も左手も、小指を1秒間に4回くらい動かせるようになった。
馴染んで来たらもう少し入れ、全部馴染んだら次は薬指、人差し指、中指、その次は指二本、という感じ。
顔を合わせてるのが恥ずかしくて、ずっとその間乳首に吸い付いていた。
翌日に乳首とアソコが擦れすぎて痛くなったと言われた。
彼女は処女ではなかったけれど、経験人数が多いわけじゃないので、こんなエッチもあるのか、と疑問にも思わなかったらしい。
童貞だったと言ったが信じてもらえなかった。
よく聞くような、あまりの気持ちよさにすぐ出たってのはなく、けっこう長い時間、いろんな体位でしたのは覚えてる。
あと、初体験の思い出は一晩中に及んだために翌日すごく眠かったこと。
彼女は爆睡してたが、男は寝ちゃいけない気がして横でずっと起きてた。
その時の彼女は今思えばすごくお盛んで、以後会うたびに求められた。
あまり聞かない名前なので情報がとても少ないが、悪化した人の統計データによると
なのであと15年ほどで自分の寿命がくるものと思って、ここ数年間生きてきた。
子供の頃、20歳はとてつもなく遠いところにあるものと感じていた。
30歳、40歳が今は遠くに感じているが、きっとあっという間なのだろう。
自分は人生に対して何かストーリーを求めていたのかもしれない。
他人から見て素敵だなとか、尊敬してもらえるような、そんなストーリーのある人生を作っていくことを無意識に想像していた。
世界史は高校時代の授業で年間の90%以上を爆睡して過ごしていたが、この世界について知りたければ世界史は必然と必要になると言うことを知った。
世の中は知らないことだらけだ。働きながらではあるが、少しずつ身につけていきたい。
人生にストーリーを求めてしまうのは、「人生」というものが自分に何かを起こしてくれるんじゃないか、とか、そんな甘えの気持ちがあるのだろう。
もう一度あの増田を読んでみよう。
https://togech.jp/2017/12/08/51527
これ見て思い出した。
うちの子は世間のママさんたちに申し訳ないくらいの爆睡嬰児(ガヤガヤしてるとこでも2時間くらい寝る)なので、
デカフェはクッソまずいががそれなりにくつろいでいたところ、
「うちの両親、別れる事になった。」
マジか。
ヘビー。
アイちゃんの家庭まあまあキツい。
キッツ。
『あなたとは生涯連れ添うと心に決めてた。
老後を想像して頑張っていたのにどうしたらいいの』
とか書いてめっちゃ泣いてんねん。」
友「マジでwwww
アイ「でも超心配してんねんけど。
友 「なんで?!」
アイちゃん、パパの血液とか何やらの体液が生乾きでべったり付いてるタオルに
っていうかそんな感じの認識やったら、セイファーセックスも分かってなさそうやから、
うちの子を見て
死産になったりもするからさ、妊娠する前に検査しとけよほんとに。
生むべきか生まんべきか悩むのキツいぞ。
なにしろ、治るんだし。
映画を見て感動シーンになるとすぐ泣く私みて「すぐ泣くんだから」と言われつづけてきた。
「帰ってきたドラえもん」
最近みた映画でめっちゃ泣いた、帰ってきたドラえもんは何回見ても泣ける。
私が大号泣してるのを横目でみて、ふっと笑っている旦那。むかつくぜ。
今まで付き合ってきて、旦那が泣いた映画は2つ「アナと雪の女王」「クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん」。
(前者はアナの優しさに胸打たれたらしい、後者は父親になった自分とロボひろしを重ねたらしい)
(ちなみに私はどちらも泣いてない)
子供ができて溺愛しているので、父子がテーマの話は弱いみたい。。
ふぇええ…って泣いてる旦那を横目で見ながら勝ち誇った顔でポテチ食べたい。
アニメ映画以外でももちろんいいです、旦那が号泣できるようなオススメ映画があったら教えてください!
○朝食:なし
○昼食:シチュー(人参、ジャガイモ、玉ねぎ、マッシュルーム、ひき肉。ひき肉でオリジナリティを出して見たけど、これはかなり合うね。ググったらベタだったみたいだけど、これからシチューを作るときは、ひき肉で作ろう)
○調子
はややー。
いやまあ理由は多分、昨日の夜にファミレスでビールにポテトに唐揚げと豪遊したからだと思うけども。
起きた後は、この間のあまりのシチューの素を使うために、またシチューを作った。
今日はひき肉で作ったのだけど、美味しかった、自炊の定番にしたい。
それから、最近涼しくなってきたので、ラジオを聴きながらの散歩を久しぶりにした。
歩くのはいいですね、こうモヤモヤした気持ちが歩くことで形になる感じがするので、好きです。
おお、ゲームは全くできてないけど、かなり良い休日を過ごせた気がする。
色々あるけど、来週もお仕事がんばるぞいや。
●3DS
○ポケとる
・メインステージの捕獲(ドガース、デンチュラ、ランターンを捕獲)
554ステージまでしか開放してないから、まずはメインステージの攻略自体を先に進めたほうが全体像が見えていいかな。
○黒の令達
私も子供達が産まれたばかりの頃は、まとまった睡眠時間が一時間半を超えない日々が続いてふらふらだったなぁ。でもそれなりに辛かったけど、夫を怨むような事にはならなかった。
というのも、細切れ短睡眠しか出来なかったものの、定刻に起床してこなさなければならない用事が基本的に無い、というもしかすると特殊な家庭環境だったからなんだと思う。
何でそういう家庭環境なのかは説明すると長くなりそうなので適当に流すけど、要は夫の仕事の関係、自分が無職であったこと、そして就園就学した子供はいなかった事によってそういう環境となっていた。
前夜どんなに眠れなくても、絶対に何時までに起きてしなければならない事があるのでなければ、そんなにイライラはしないのだ。眠いのは眠いけど。滅茶苦茶眠かったけど。
日中は母子だけで過ごしていたが、同居人が誰もいないって、家事を手伝ってもらえないのは痛いけれど、一日中パジャマで赤子と一緒にゴロゴロして、僅か数分でも自分のタイミングでうたた寝が出来、思い出した頃にカロリーメイトとか酷いと食パンだけみたいないい加減な食事をモゴモゴ頬張りながら、おっぱいをさらけ出し赤子に授乳したり、うんちのオムツ替えたり、などという事をしていても、誰も何も言わないし見ていないというのはとても気楽だった。
勿論誰も何も言わないのをいいことに掃除や溜まった洗い物の片付けは完全に放棄していた。
どう見ても、人として最低限の健康的文化的生活レベルを大幅に下回る動物に近い生活だった。
夫は元々すぼらであまり色々な事を気にしない人なので、帰宅したら電気も点いていないくっそ汚い部屋の敷きっぱなしの布団に妻子が転がって爆睡していても平気だったし、休日は私と子供と一緒になってごろごろぐうたらしまくっていた。
人間並みの生活ではなかったけれども、あの頃は私達家族にとっては幸せな時期だったと思う。
今では上の子が幼稚園児で、下の子は3歳で遊び盛り。子供達は徐々に手がかからなくなっていっているけれども、上の子の入園以来、しんどさは増す一方だ。
まず第一に、夜中に下の子が何度目を覚まして愚図っても、朝は6時には起きて家事を始めないといけないし、どんなに子供達が駄々をこねても予定通りに送迎や色々な用事をこなさないといけない。
外に出て人に会わなければならない事も多いから、忙しくても自分の身繕いもしなければならない。抜かれば、心配という体でダメ出しや嘲りを他人から受ける。こっちの事情など一切汲まないクソバイスのシャワーを浴びせられるのも日常だ。
自分自身の意識も、産後の朦朧がすっかり消え去ってクリアなぶん、細かい事が一々気になる様になった。自分の中の要求水準が上がっている。何が何でも人並みの暮らしがしたい、いやするべきだ、と思ってしまう。
つくづく、人間の子育てが辛いのは人間らしく生きたいという欲があるせいであり、動物並のクオリティまで落とせればそこまで苦しいものではないんだなと思う。
子供のうんちも寝ゲロも舐めて処理するだけでおKなら洗濯物も出ないし楽チンだ。そんなこと出来っこないけれど。
しかし、夫を含め誰かに色々な事をして貰うこともいいけど、逆にすることを減らす、可能な限り人間らしさを捨てていって、最低すれすれの状態を家族で適当に過ごしてみるというのも一つの手だと私は思うのだ。
> 生まれて2~3か月の赤ちゃんなんてものは親がまだかなり気を使っている時期であり、炎天下の中何時間も連れまわす事など考えにくい。そんな奴見た事ない。いるとすれば相当なバカ親なんだろうけど絶対数で言うとそんなにいないはずである。
話題のこのブログ読んでて恥ずかしくなった…。そう、まさに相当なバカ親がうちの旦那である。。
自分が散歩好きで、赤ちゃんもこれまで体調を崩していないのをいいことに毎日外に何時間も連れまわす。赤ちゃん爆睡してる今も赤ちゃんのためだとクラシック音楽を流し続ける。首も座ってないのに、寝返り返りの練習を毎日する。