はてなキーワード: 歴史的とは
漱石はなあ、組織に馴染めんやつ、時代遅れ、アスペ……その他もろもろの「はみだし者」の心のよりどころになる文章を山のように生み出したんや。それだけでなく、「なんでそうなるのか」「どうしたらええんか」について、誰よりも早く考え、真面目に悩み、胃潰瘍で血を吐くほど苦しんで苦しみ抜いて書き続けて死んだんや。すごい人なんやで。
そもそもな。文学というのは、「形のないものに形を与える」営為なんや。こいつのおかげで、人の抱える人生への悩み、生きづらさみたいなもんに少しだけ形を与えることができて、それは心理学的に言えばめちゃめちゃ大きい社会的な「癒やし」効果になるんや。漱石がやったのはそういうことになる。端から見れば、ただ「小説を書いてた」だけやろな。漱石がもともと建築家になるつもりやったって知っとるか。けどなあ、友達に止められたんや。「夏目くん!残念ながら日本はまだまだ二等国や。君が思うヨオロッパみたいな建築ができるまで、まだまだ100年はかかるな。建築はまだ早い」てな。「それよりな。夏目くん。文学や。文学で、人の心に千年残る巨大建築を打ち建てたまえ(ニヤリ)」夏「ガーーーーン!」…………てなもんや。単純やな。でも、ほんまにそれだけのことをしよったんやこいつ。すごいやつやで。
もちろん、漱石がおらんくても、他の誰か、何かがその役割を果たしたやろな。でも、それは彼が歴史的に果たした仕事の価値を少しも減らすものではないんやで。こいつは少なくとも、100年後も読み継がれる小説を書きよったんや。こいつが苦しんで苦しみ抜いて「ことば」を生み出したおかげで、他の誰かが少しだけ救われたりしたことが積み重なって、そんで今があるんや。大げさに言えば、イエス・キリストが「人類の原罪を背負って死んだ」つーのも、ゆうたらそーゆーことになるな。ほんま偉いやつやで。
つまりな。漱石を読んで救われた人が、次の世代にその勇気を引き継いで拡大して、科学的発見を成し遂げたり、すごい曲を作ったり、童話を集めたり、そんでもって、それで育った世代が映画をつくりドラマを作りアニメを作り……と、まあ、そんな風に物事はつながっているかもしれんのやで。せやから、漱石を読んだことがなくても、あんたは漱石のおかげで少しだけ楽に生きることができているんかもしれんのや。「漱石読んだことあるぅ?」は確かに、しょもないマウントかもしれん。そうゆう奴にはな、「漱石のどこがすごいんか説明して?」と返してみ。そんで、ここに書いてあることの半分も理解してないようなら、結局のところ、これ読んだあんたの方が少しだけ漱石の価値を分かってるってことになるんやから、安心してええ。
もし、ここに書いてあることの数倍、そいつが語ったらどうするかって? そんなもん、そいつと友達になったらええやないか。そんで諦めて漱石読んでみ。なかなか面白いもんやで。
今から10年以上前、歴史的な猛暑の日になぜか軽くジョギングでもするかと最も暑い時間帯にジョギングをしにいったことがある。
今考えるとあまりにも頭の悪い行動だったが、熱中症ってなったらどうなるのかな、みたいな好奇心もあったことは認める。
普段はだいたい5キロ程度走って終わるくらいのものだったのだが、この日は走り出して数百メートルくらいで体が勝手に走ることをやめた。
帰宅してエアコンをつけて冷たい氷水をガブガブ飲んでもちっとも体のほてりが取れない。
ヤバい、これはやばい、とだけ思い、そこから小一時間ひたすらシャワーで水を浴び続けたところで体のほてりが取れてきた。
もしあのときに下手に体力や根性があって更に走ってたらと思うとゾッとする。
素人の自己判断ではあるが、熱中症なりかけだったのだろう。危ないところだった。
熱中症の何がやばいか、その入り口だけを垣間見た俺ですらあれはやばいと言える。
みんな注意してほしい。
もし今あの瞬間に戻れるなら殴ってでも止めたと思う。それくらいやばかった。
「女性」という主語で語ることの傲慢さ、という感想しかない。「私は男の体になったら面白がって男湯に行くなあ」などという脳天気な発言からは、自分の性自認が人生や集団の中で禁忌とされ揺らされ続ける恐ろしさについての想像力が全く及んでいない。つまり、増田が下敷きにする意見は「性自認が揺れたことのない人(強者女性)」の意見であって、それは原理的に「性自認の揺れを経験した人(たとえばトランスジェンダー)」と対立する意見だ。それを「全女性」の意見のごとく語るのは不遜であり、率直に「ヘテロセクシュアルで、生まれてこの方自己のジェンダーと性に引き裂かれる経験を全くしたことのないマジョリティ強者」の意見だな、という感想しかない。それが「傲慢だ」ということの意味だ。
そのような強者の振る舞いは、たとえ「女性は歴史的にずっと被害者であった」というフェミニズム史観を背景にしたところで、というより、むしろそれを背景とするからこそ、決して許されるものではない。間違いなくトランスジェンダーの人々こそ、「歴史的にずっとマイノリティであり、未だにその存在すら認知されないほどに、被害者そのものである」のだから。
自分の店舗チェーンで影のオーナーになり、各店舗で万引きを繰り返す
社員に肖像画に毎日参拝させる。毎日お祈りと感謝を捧げさせる。
沢山の人を雇って、積極的にコロナに感染する活動を行う。拡散でなく感染する活動。
pcr検査や医師の医療行為に反対する政治結社を作り、街宣活動を行う。
食料を買い占めて捨てる
現在ブロマンスは、一般的なホモソーシャル行為と歴史的な恋愛的友情の2つに【 区別 】される。アリストテレス(※※※※※女性ではない※※※※※)による友情に関する記述では、【 しきりに 】ブロマンスの原型について取り上げられている。彼が 【 紀元前300年ごろ 】に書いた文で、「友人のために、友人のことを考えることを強く望む者同士は真の友人である。何故ならお互いの愛情が彼らを定義し、そしていかなる付随する特性によるものではないからだ」とある。
たまたま自分がジェンダーについてこの年になってやっと考えられるようになったおかげでスルーしてた事象が目につきはじめたからって間違ったうえにデカイ主語で語るのやめろ。
ごちゃまぜにすんなって言われるかもだけど、本質的には同じだよね
人種だろうが何主義だろうが右左だろうがなんだろうが、実質的に権力を握ってる既得権益層に譲歩させて、あわよくば倒して主張を通したいわけだよね
中国の大学生の意見がどうのってホッテントリも、大都市の大学生なんてそりゃあ既得権益層側だから意識的にも無意識的にも保守的になるに決まってるじゃん
なんとか今の立ち位置を守りつつ、海外の成長に負けないよう緊張感を維持し続けてるんだし
今後会うことも関わることもない奥地の農村で働く人達になんて気を配ってられないでしょ
日本だとピンとこないかもしれないけど、例えば人口2.7億人のインドネシアと連合組んで、全員で投票して政治家を選んだら
当然インドネシアよりの政治家が選ばれて、日本で集めた税金をインドネシアの成長のために使う訳で
インドネシアの人達の生活の質を上げるために、日本人は消費税20%で福祉も薄くなるけど我慢してね、とか誰も納得しないだろ
これって要は、誰かを助けるためとはいえ、できれば自分は不自由を強いられたりしたくないし、今の生活水準を落としたくないってことで
多かれ少なかれ既得権益層の考え方なわけじゃん
そうするとさ見えてくるわけよ。既得権益層を倒すための絶望的に高い壁が
既得権益層がマイノリティであれば、マジョリティ側が全員本気になればいいだけだけど、それすら難しいのに
恩恵を受けてる層がマジョリティだったりするとほぼ不可能だよね。性別問題とか人種問題とか都市VS地方がこれ
じゃあ歴史的に何か救いがなかったかと思って振り返ってみるとわかりやすいのは奴隷制の撤廃とかだよね
奴隷制はマイノリティがマジョリティに勝った事例だけど、もしかしてこれ唯一じゃない?
ここまで人権的に明白な問題でなければなかなかムーヴを変えるというのは難しいってこと?
それですら撤廃されるのにかなりの年月がかかってるし
まぁ多少は希望あるのよ。インターネッツとかSNSとかで情報の拡散が高速化してるわけだから昔よりも100倍くらいは加速して物事が進むだろうという希望は
でもさ、倒せないだろこれは
まさにいまそれ。自分たちの学会に所属しないのであれば海外に逃げるか、腹を切って死ねという人はいる。そして海外に行くくらいなら死ぬといって自決した人がいることは歴史的な事実であるから、
ごめん、「人類は多すぎるから多様性を考えなくてもいい」というのがちょっとよくわからない。
今から優生学に基づいて遺伝子を厳選しながら人口を減らしていった30億人なら、
前者のほうが絶滅を避けられると思う。(そういう話ではない?)
歴史的に優生思想が何をやらかして何故危険とされるかは、例えばこのnoteとかに読みやすく書かれてるけど、
これに尽きると思う。
例えば戦争をしていた時代に遺伝子の選別がされていたら、今イケてる「賢くてコミュニケーション力のある人」なんて全然優先されないに決まってる。
同様に、今の人類の思う優れた形質が100年後にどう見えるかわかったもんじゃない。
そもそも「苦しみを減らしたい」っていうのが凄く感情的で、「合理的に考えると」っていうのと正反対なのが一番引っかかってます。
元々この春に公開だったが、コロナ騒ぎで延期してて、ようやく昨日から上映開始。
個人的に人生最初に映画館で見た映画がのび太の恐竜で、それから長い長い時を経て、子供と一緒にのび太の新恐竜を見てる自分に感慨深いものがあった。
さて中身。
以下ネタバレもあるので、内容を楽しみにしてる人は読まないでね。
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あの話は無かったものとして、のび太がジャイアン&スネ夫コンビに「恐竜を見せてやる!」と啖呵を切る所から始まる。
以前のピー助は歴史的にもちゃんと日本にいたフタバスズキリュウだったが、今回は謎の新種。名前が無いので物語中は新恐竜という名前で通される。
姿は始祖鳥。始祖鳥似なんだから鳥の子孫な訳で、物語もその鳥になる系統の新恐竜の特性を軸にしたストーリーが展開される。
産まれたての新恐竜に翼があって、成長して飛べるようになるまでのお馴染みのやつ。
飛べるように頑張る、でも飛べない。
何度も努力する、でも飛べない。
でもでも最後に?ってやつだ。
TV CMやってる木村拓哉は途中から出てくる。こいつはまぁまぁ重要なキャラで、ネタバレすると話が興醒めするので書かないが、小さめのどんでん返しがある。
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いつも思うけど、ゲスト声優で有名人連れてくるのはどうだかなと思う。
俳優が声を当てても大抵は合わない。演技とキャラがどうにも合わない。今回は芸人とかじゃない分、ましだったが。
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さて話を戻して。
今回は話の舞台は白亜紀。恐竜時代の最後の時期なのを利用したプロットになってます。
因みにフタバスズキリュウのピー助も白亜紀で、この物語の中でも実はピー助が出てきます。
でも正直、ここは話交じるけど出して良いのか?とも思った。そもそも前作見てない良い子の皆んなはピー助知らないだろうに。
その他、生物学的に疑問が出る箇所があったり、恐竜がCGだったり手書き風だったりが混ざってたり。ストーリーも絵もあちこちで粗さが見えた。
小学校高学年にはアラが目立つかも。
今回は50周年記念作と言うことでもうちょい頑張って欲しかったが、短い夏休みでどこにも行くとこないなと言う子持ちの皆んなは映画館に足を運んでみて欲しい。ガラガラだから映画が潰れないよう映画好きは少しでも貢献してね。
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おまけ。
Switch転売を巡るゲーム店の苦悩。曰く「ゲーム店は、商品そのものだけでなく、商品を通じて得られる体験を提供しているのだ」という旨。他者のそれを破壊しうる転売行為は悪だと言い切れる、とのこと。悲しいくらい、情緒的なアプローチに終始している。市場経済論理は、一小売店が立ち向かうには巨大すぎる。この情緒的な『お願い』は、市場主義者には間違いなく響かないだろう。立っている論理が異なり、確固たる正義がある。彼らにしてみれば、「何故市場原理が悪なのか?情緒が何か救うのか?」というところ。
まぁ、市場原理100%には情緒が無いので、それに依拠している方々に対して、「情緒無くして人間と言えるのか?」という問いはある。人間は情緒的動物なのか市場的動物なのか。情緒は動物も(おそらく)持ちうるが、市場は人間以外形成しえない高度な機構なので、市場的動物か?否、より低次であるからこそ、より根源に近いのではないか?市場が無くなっても人は人であるが、情緒が無くなったら人は人ではなくなるのでは?情緒を全て排除した市場原理は、果たして“正しい”と言えるのか?
こういう環境にしてしまったプラットフォーマーに責任がある。「中古品を持ち寄ってやり取りして、みんなお得!」という考えは悪ではないが、そのプラットフォームが悪用(?)され、結果として情緒を破壊してしまっている。であれば、プラットフォーマーはそれを収める責務がある。もっとも、プラットフォーマーが市場主義者であれば、そんな責務知ったことではないだろう(彼らの原理に従うと、そんな責務は無いし、そもそも発生している事象も悪ではない)。つまり、そういう商売を停止するもっと大きな力(つまるところ政府)の統制が必要になる。
そして政府が特定企業の営利活動に踏み入ることは、果たして是か非か。法律に反していればナタを振るえるが、今回は特段法律には反していないケースである。それを統制するのは、権力の濫用ではないか?経済活動の自由のはく奪ではないか?いくらでも反論が沸いてくるし、実際のところ濫用なので、直接的な統制は不可能であろう。結局、政府レベルでも、良心に訴えるくらいしかやることがない。
しかしてまた、良心に訴えなければならない状況で、歴史的にそれがうまくいった試しがない。あるいはこの日本国で、良心に訴えて、それが万人に響く可能性があるのは、天皇皇后両陛下と上皇ご夫妻の『おことば』くらいだろうが、あまりに非現実。
情緒は美しいが、かくも脆い。日本人は共通した倫理を持っていない。宗教でもあれば少しは共通の良心くらい生まれるかもしれないが、現代日本ではまず不可能。宗教が国を立てると言った聖徳太子はここまで見通していたのだろうか。
むしろ巨乳表現に対する社会の寛容が進み巨乳は正義だとなってくれた方が増田大勝利だからだ。増田はHカップのかわいいブラジャーが増えたり巨乳向けファッション特集が各誌で組まれたりしてほしい。
ならんでしょ。
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ウェブやSNSの各所にできるだけフェイクニュースを散りばめましょう。そこに断片的な真実を散りばめ、人びとに大きな物語を作ることを促しましょう。その際、ひとつひとつの断片に歴史的背景を備える宗教的・政治的シンボルを付与することで、より効率を高めることができます。
少しずつ真実を混在させることがとても重要です。 少なくともそのように思わせることが重要です。これは実際、人びとの探究心や創作欲求を刺激するもっとも優れた方法です。こうして物語が量産されるようになります。
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やがて物語を作ろうとする者、物語を読み解こうとする者、結論だけを求める者、そして、何も知らない知ろうとしない者に人びとが弁別されていきます。弁別が繰り返されることで自然と人びとのうちに階層が生じるでしょう。
こうして発生した階層構造のもと、自律的なゴイム社会が生まれます。彼らはより高い階層を目指しますが、互いにいがみ合うことに注力するため、結局ゴイムであり続けるしかなく、当然真実にも到達しません。 つまり、真実はけっきょく真実たり得ず、イリュージョンでありつづけます。
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この断章も物語の断片たるべく書かれました。ゴイムには、常に物語を作らせる必要があります。物語の再生産がゴイム社会を健全に保ちます。その意味でこれをある種の祭礼と捉えることも可能です。
真実を知るのが誰なのかは私たち自身にも分かっていません。しかしそのことで、私たちの財産がゴイムから遠ざけられ、冗長化され、より堅固なものとなることは明らかです。
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以上はごく簡単なトリックですが、とても強力です。この断章のもうひとつの狙いは、すでにある程度の社会的成功を得た者に、社会階層の維持の方法、財産冗長化の手法を教唆し、これと似た断章を生みだすことを促すことにあります。
これをもって、現代版黙示録を生みだす作業ということもできるでしょう。断片的物語の集合こそが黙示録といえるからです。そうでなくてはイリュージョンとしての真実を示すことは不可能です。現代において黙示録は、集合知という位相に安置されるべきものです。
まず「体を温めること自体に、様々な疾病等を改善する大きな効能があること」
次に「いわゆる泉質といわれるもの(pHだったり、ミネラルが含まれているなど)は事実として測定可能だし、その中の一部には実際に証明された効果もあること」
最後に「温泉に入るという文化が歴史的に非常に古くからの背景を持っていること」
これらが組み合わさった結果、温泉文化には最古かつ最強のニセ科学が君臨してしまっている
これは具体的には「体を温めることによる効能と、いわゆる『温泉成分』による効能が未だに区別されていない」ということである
温泉に入ることは、体を温めることを包含しているので、現に人は健康になるのであるが、そのうちどこまでが「単に風呂に入ったから起こったこと」で、どこからが「温泉独自の効能」なのかという研究はされていない
にも拘わらず、歴史的な背景から、温泉地にはまことしやかに効能が謳われているものが多い
古くは湯に入ること自体が貴重だったため、温泉でもなければそもそも「単に体を温めるだけの効能」すらも得られず、その効能も温泉効能の中に一緒くたになっていたのだ
身バレ覚悟で書いてます。昔、親がネトウヨになっててヤバいみたいな記事を読んだのですが、その逆みたいなやつです。
元々両親ともに政治に関心が高く、幼少期はサンデーモーニングを見るためにチャンネル権を奪われ、プリキュアが見れなかった。まあ、政治の話するのは自由だし(プリキュアが見れないのは嫌だけど)いっかとは思っていた。幼〜高とスクスク育っていった私だったが、小学校高学年の時に「インターネット」に出会った。当時の私はインターネットの情報をすぐ鵜呑みにしてしまい、掲示板に溢れる陰謀論のようなものもすぐ信じてしまい、親に話してしまった。(今となっては黒歴史である)その度に親は「インターネットの情報は嘘が多いんだから、気をつけなさい!」と言っていた。
数年が経ち、私はTwitterを始めた。最初は使い方がわからなかったが、今では慣れ、オタクトークを楽しくやっている。そんなある日の事だった。両親がFacebookを始めた。
まあ、両親共に趣味がある人だったのでそういう趣味のことを話すためなんだろうなと思った。数日後に父親が「面白い動画があるよ!」とタブレットを見せてきた。犬とか猫の動画なのかなと期待して覗いた。
……そこには文字だけがゴテゴテと載った陰謀論を流し続ける動画があった。
「本当に首相そのものだよな〜」父は笑いながら見せた。そうだね、と私はちょっと引き気味に同調した。
まあ、その時からそういう傾向はあったのかもしれない。
話は変わるのだが、私は幼少期から「人の悪口」を聞くのがメチャクチャに苦手だ。たとえ嫌いな人だったり、悪人だとしてもその人の預かりしれぬ所で悪口を言うという行為がなんというかとても卑怯に思え、すごく嫌な気持ちになるのだ。
文字だけの動画を見た時、私が「嫌だな〜」と思ったのは、こういう事なのだろう。
数年後、私は家を出て働きはじめた。そしてこの2~3年前くらいになってから、勤務先が近いとの理由で実家に住むことにした。実家に帰ると、親がTBSのラジオにどっぷり浸かっていた。朝から晩までラジオによる政治の愚痴を聞かされ、部屋に籠ったり出かけることが増えた。食卓でも政治の愚痴や政治家の悪口を聞かされた。同調しないと、納得するまで反論された。
正直しんどかった。いや、全てが全て逆の考えを持ってるとかそういう訳じゃないけどあいちトリエンナーレの件では「一方の政治的な主張ばかりするのはどうなの?」と言ったら、同意するまで「今までの安倍政権が…」「歴史的なものを無視するな」と言われた。福祉とかそういうのに関してはわりかしまあそうだよな…という気がしたけど、めちゃくちゃな事を言うこともあったので話を逸らしたり同意をしながら過ごした。
また、両親が特にキレていたのが「NHKはアベのことばかり報道する」と言う点だった。いや、完全にお前の認知バイアスだろ……と思っていたが、そうだねと同意するしか無かった。
そのうちに母親がTwitterを始めた。「政治の情報収集をするから」との事だった。いわゆるROM専とのことだし、スマホ関係に疎い母親のことだからオタクアカウント(下ネタとかBLのことしか呟いていない)が見つかることはないだろう、と思ったが怖かったので、こっそり盗み見してアカウントを特定した。初期アイコンかつ初期idの母親のアカウントは、ネット論客や偏った報道で有名なメディアが。いいね欄にはツッコミどころ満載のアベアンチの漫画があった。
親の気持ちはわかるし、今の政府に不安な気持ちも分かる。森友問題とか説明しろよと思うしね。だからといって、コロナの件で経済も医療も回すのわりと無理ゲーなのに、四六時中ずっとそういう話を聞いて共感して同調して不満をぶくぶくと膨れ上がらせている人にもなりたくない。というか、不満ぶくぶくクリーチャーに親がなってしまっているのがとてもしんどい。
これをもし親がみているなら、インターネットや政治的な考えと少し距離を取って欲しい。まず、穏やかな気持ちになって欲しい。あなたが不満に飲まれる必要は無いんだ。
今日は朝から四国水族館に行こうと思ってましたが朝調べたら再入場できないことをしりとりあえず18時半からのイルカショーが見たいので後にすることにしましたわ!
金刀比羅に行くことにしましたわ!金刀比羅って何かわからないけど御魔羅の一種に違いありませんわ!違いしかありませんわ!
https://www.nishino-kinryo.co.jp/museum/
酒造の博物館的なところですわ。歴史的な作り方を学べるのですが説明に全てに今では機械でうまくやってます的な文が付きますわ!なにかと若い衆が説明に出てきて色々やらされてるのが草でしたわ!
お土産は一合の木升とここでしか買えないという金陵 楠神 特別純米酒原酒720mlですわ!ちなみにわたくしは枡を集めてますわ。
次は海の科学館に行きましたわ!海……鯖チャンスですわ!でも船系だと調べは付いていましたわ!いませんでしたわ!船にまつわるお話を学べるところでしたわ!
https://kotohira.kaiyohakubutukan.or.jp/
その次は金刀比羅宮を目指しましたわ!途中、金刀比羅宝物館と金刀比羅表書院に行きましたわ!
階段多すぎて死んだンゴでしたわ!あと金刀比羅宮のキャラクターの笑顔元気くんが不安になりましたわ!http://www.konpira.or.jp/charm/smile/smile.html
その後は下山して旧金毘羅大芝居に行きましたわ!元歌舞伎の劇場的なところを見学しましたわ
https://www.konpirakabuki.jp/history/reform.html
電車に乗って丸亀城へ行こうと思いましたがもしや四国水族館の整理券の都合で18時半に入れない可能性があるのではと思い四国水族館に直行しましたわ。宇多津駅から歩いて十数分でしたわ。15時くらいに着いて16時だか16時半からの整理券をくれるらしかったのですが選べるというので18時〜18時半のを貰いましたわ。
電車で亀丸城に行き入場16時までのギリギリくらいで天守閣に入りましたわ!
https://www.marugame-castle.jp/
一通り見た後四国水族館に向かいましたわ。電車本数の都合で17時10分くらいのに乗らなくてはならず途中ホテルにチェックインしてたら結構ギリギリでしたわ。水族館には17時半くらいに着いたので整理券30分早くてもよかったですのって思っていたら今は普通に入場できますとアナウンスが流れたのでそのまま入りましたわ!スタンプブックを買ってウキウキですわ!ちなみに四国水族館は最近オープンした水族館ですわhttps://shikoku-aquarium.jp/
最初にイルカプールの下から見るやつを見ましたわ。その後は動かないアシカやらケープペンギンを見ましたわ!ペンギンは動かなくてもそれなりに良いのですがアシカはぐったりしたおっさんみたいなもんであんまりですわ!
イルカショープールに行ったら18時にもなってないのに人が大勢でしたわ!でも場所取るのも時間がもったいないので他を周りましたわ。
とりあえず暗くなる前に外展示を周りましたわ!そしてイルカショーですわ!売りとしては夕陽が見え曇りですわ!!
結構おしゃれ系の展示にしかたにもかかわらずイルカショーは普通の感じでしたわ!なにがおしゃれ系かというと、曲面水槽を多用、説明文無しで名前だけ、暗いという感じですわ。綺麗なのは新しいからそもそも綺麗に決まっていますわ。名前が1つしか書いてないのに複数種いるのはやめて欲しいですわ。説明も写真もないのでどれかわかりませんわ!まあ書いてあってもわたくしはすぐに忘れるから問題ありませんわ!!
そんなこんなでイルカショーに満足したわたくしは他を見て周りましたわ。そして大水槽にサバらしきサバを発見しましたわ!!!!
でも展示の魚の名前は1匹だけ『スマ』スマスイの友情出演ですの??https://kobe-sumasui.jp/
見てまわりましたがやっぱり説明文があったほうが楽しいですわ。でも実際問題読んでる人の方が少数派な気はするので仕方ないのかもしれませんわ。あとどうでもいいですけれど記念メダルのオープン記念版が売り切れていたので普通のを買いましたわ。そういえばマスコットキャラクターのシュモクザメがなんかコロナで立ち入り禁止区域の向こう側でしか見えなかった気がするのですがそんなもんですの?
https://twitter.com/YojiNoda1/status/1283752963052167169
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/YojiNoda1/status/1283752963052167169
煽ってみたが、自分はミームという考え方や、いろんな柔軟な考え方で野田洋次郎へ反論したい。
優生思想という考え方では論破が結構不自然だと思う節々がある。
口に出していないだけで、遺伝的に優れた人の子供を残したいと考える人は多いのではなかろうか?
まったくもってないと言い切れますか?出生前診断でダウン症の子供が生まれると分かったら、なかなか生む決断を
するのは難しいところはあるのではなかろうか。
ヒットラーがユダヤ人を粛正したという発想は個人的にはヤバイやつが飛びついた安易な発想であるというより、
ともすれば湧き上がってしまうタイプの人間的な発想なんだと思う。歴史的文脈で起こった現象は
それなりに背景を慮って学ばないといけない。そんなに「簡単に割り切れない」問題だというところが議論の出発点だと思う。
イチローとかはさんざんこの手の話題を「本人にも聞こえる範疇」でも言われているだろうし、福島元アナのプレッシャー
ミームとか文化的遺伝子とかは実際あって、最近ピッチャーが150kmをバンバン出すようになったように前例をみて、
フォームを改善し、進化をしていく。これもまた遺伝という考えが持てる。イチローが残したものはすでにいろんな情報とな
って今後の野球界にとどまらないスポーツ界に貢献していくと思う。
人間は物理的に遺伝子でばらまけなくても、実は遺伝的拡散をしていたりする。藤井聡太もAI時代が到来したから
こそ出たモンスターだろう。AIはそれこそ、トランジスタから始まったコンピュータという文化的ミームの道の上にあるものであって、
藤井聡太という遺伝子が50年前に誕生しても現在のようにはなれなかっただろう。
世界で最もファンの多いスポーツであるサッカー界でも身体能力に優れたアフリカの時代が来ると言われてなかなか来ないのは、
これまた歴史や習慣といったものが肉体的な遺伝子よりも必要なものであるということを示していたりする。
そこまで人間は物理的遺伝子に実は支配されていないという考え方を提唱したいのである。そういう考え方を複合的に
しないと、なかなかこの問題には立ち向かえないと思っている