はてなキーワード: 歴史的とは
2年前に転勤で久々に東京に戻ってきたから、とりあえず会社が借り上げ社宅にしてくれた適当な賃貸マンションに住んだんだけど、家賃17万円もするのにくそみたいな安普請だし狭いしで毎日地味にストレス感じてた。
んで、貯金もたまってきたしちょっくら近所の中古マンションでも冷やかしてみるかって見に行ったら、一発で気に入ってしまったからほかの物件もろくに見ずに勢いで買ってしまった。
静かで環境はめちゃいいけど正直会社からは遠いし、駅からも10分くらいあるし、いわゆるブランドマンションだから割高だし、オリンピック後には暴落するだろうしってこと契約してから入居まではマリッジブルー的な感じで後悔気味だったけど、
入居してみたらやっぱり最高だった。前の賃貸はテレビ前が子供の遊びスペースだったから落ち着いてテレビも見れなかったけど、専用の遊び場が確保できてソファでくつろげるようになったし、浴室乾燥機と食洗器がついてて家事がめちゃ楽になったし、風呂は子供と入ってもゆっくりできるくらい広いし、床暖房はあったかいしで、最高だなぁと思ってた。
そんなところでコロナですよ。弊社も基本テレワークに切り替わって会社に行かなくてよくなったので、まず職場が遠いというデメリットが無効化された。
そんで将来の子供部屋用に余ってた部屋を書斎にして机とかモニター置いたら、もう職場より快適な執務環境。窓から緑が見えて超リラックスできるし、静かだしで最高。
そんで極めつけは目の前がくそでかい公園だから、お昼休みとか仕事上がりに散歩するのが超楽しいし超癒されるの。コロナ前はこの超良好な環境を存分に楽しめるのは週末だけだったんだけど、今や毎日毎日緑に囲まれた生活ができてる。
ステイホーム始まってから家族の仲もとてもよくなったし、仕事もはかどってるし、超いい感じなわけです。多分今頃、賃貸のあの狭い部屋でステイホームしてたらストレスフルすぎてつらかったと思う。
多分これから不動産は暴落するんだろうけど、買っちまえば相場なんて気にならなくなるし、この歴史的に見ても特に苦しい時代にこれだけQOLが爆上げできて十分元が取れた感がある。コロナ前に本当に買っておいてよかった。
けれど、ここでは、番勝負で敗れた渡辺明二冠の話をさせてください。
いつものようにニヒルな笑いを浮かべて、彼はあっけらかんとこのようなことを言った。
しかし、この発言は私にとっては結構な衝撃であった。渡辺明は、羽生の次は藤井の時代だ、自分は時代を作る棋士ではない、そう言ったのである。
中学生で棋士になり、20歳で将棋界の最高タイトル、竜王を獲得する。
玉を堅く囲い、針の穴に糸を通すような細い攻めを見事に通す。理路整然としたその将棋は、美しく、絶品である。
2008年には、羽生善治との頂上決戦を3連敗4連勝という劇的な結末の末制し、初代永世竜王の座を手にする。
こうやって書くと、渡辺の棋士人生は栄華に満ちているようである。しかし、そうではない。彼の棋士人生は、常に孤独との闘いであった。
渡辺の同世代で、彼と同じレベルでトップを張り合える棋士はいなかった。渡辺は、若い頃から、一回り以上も上の羽生世代と「たった一人で」しのぎを削り続けた。
羽生世代は、底知れぬ力を持った将棋の怪物たちである。渡辺は、たった一人で怪物たちと剣を交え、互角以上の戦いを続けてきた。
最強の羽生世代と争ってきた彼は、これまで年下の棋士にタイトルで敗れたことがない。はっきりいうと、「格」が違うのである。踏んできた場数も、積んできた経験も、何もかもが違う。孤独と闘ってきたものだけが持つ、底知れぬ「凄み」のようなもので、彼は年下の棋士たちを蹴散らしてきた。
2017年度には、大きく勝率を下げ、プロ入り後初の負け越しを喫する。「衰え」がきたのか-そう思った人もいたかもしれない。
しかし、渡辺は死ななかった。自らの将棋を大きく改造し、再び上昇気流に乗る。鬱憤を晴らすように勝ちまくり、再び三冠の座に上り詰めた。
そんな渡辺明という天才が、当時まだタイトルを獲得していない棋士を、タイトル99期の羽生の次だと言った。自分を飛ばして、である。
渡辺明は、本音をはっきりと口にするタイプで、お世辞で人を持ち上げるようなことはしない。
「羽生と藤井の間」との発言も、率直な彼の実感なのだろうと思った。そう思うと同時に、私は恐ろしくなった。
藤井聡太とは、いったいどれほどの棋士なのか。どこまで行く棋士なのか。
天才にしか、見えない世界があるのだろう。言わば藤井聡太は、「天才から見た天才」。雲の上の、そのまた雲の上にあるような世界は、想像も及ばなかった。
想像も及ばないから、見てみたいと思った。渡辺明と、藤井聡太によるタイトル戦。その舞台を、心待ちにした。
待ち望んだ舞台は、時を経ずに実現する。2020年6月。渡辺が保持していた棋聖のタイトルに名乗りを上げたのは、藤井だった。
「なるべくなら藤井と当たりたくない」そう言って笑っていた渡辺だったが、藤井聡太にとって初のタイトル戦を待ち受けることになるのは、自分だった。
このあたりは、強者の宿命である。あるいは、将棋の神様が、渡辺に課している試練なのかもしれない。
渡辺明は、自らが「時代を作る棋士」と評した最強の挑戦者と、盤を挟むことになった。これまで蹴散らしてきた年下の挑戦者たちとは違う。そのことは、渡辺自身が、始まる前から一番分かっていただろう。
第1局、矢倉を選択した藤井は、凄まじい、人間離れした踏み込みで渡辺を圧倒する。1三の地点に、飛車と角が次々に飛び込む。鮮烈な寄せ。驚異の見切り。
第2局。この将棋に関しては、今も冷静に振り返ることができない。これまで見てきた将棋の中で、一番の衝撃だった。
先手番で矢倉を選択した渡辺。将棋は、基本的には先手が主導権を握ることのできるゲームで、特に渡辺の先手番は抜群に強い。用意周到な作戦で一局を支配する、それが渡辺である。
その渡辺が、何もさせてもらえなかった。王手すら、かけることができなかった。藤井が放つ異筋の手が、渡辺の矢倉を破壊した。観戦しながら、頭が割れるような、足元が崩れ落ちるような感覚に陥った。こんなことは、もう後にも先にも訪れないかもしれない。
「いつ不利になったのか分からないまま、気が付いたら敗勢」。渡辺はブログでそう回顧した。理路整然とした彼の口から出たことが信じられない言葉だった。
2連敗。これまでタイトル戦でストレート負けをしたことのない渡辺が、あっという間の土俵際である。羽生の次は藤井の時代だといった渡辺の言葉は、残酷にも証明されようとしていた。私は茫然とした。最強の渡辺明が、手も足も出ない。自分が見ているものは、悪夢だと思いたかった。羽生世代という怪物たちと剣を交えてきた渡辺。その渡辺の、剣先すら届かない。こんなことがあるのか。私は叫び出したい気持ちだった。
2020年7月9日、棋聖戦第3局。私は仕事を休んでこの将棋を観戦した。藤井聡太の初タイトルを見るためではない。渡辺明の「意地」を見るために、仕事を休んだ。このまま終わる渡辺ではない。そう自分に言い聞かせながら、食い入るように盤面を見つめた。
第3局、渡辺は角換わり腰掛け銀で、90手目のあたりまで想定していたという、圧倒的な研究を投入する。研究の多さと深さは棋界随一の渡辺だが、今回投入したのは、とっておきの中でもとっておきの研究だったと思う。藤井聡太から白星を挙げる。たった一点の至上命題を果たすため、渡辺はついに、極限まで研ぎ澄ました剣を抜いた。序盤から中盤、ほとんど時間を使わない渡辺。研究範囲は時間を使わずに指す、この徹底的な合理主義も渡辺の特徴だ。用意周到な研究でリードを奪い、抜群のゲームメイクで、渡辺は一局を支配し、離さない。藤井の追撃も凄まじかったが、序盤を飛ばして残しておいた時間が最後に物をいう。渡辺、腰を落とし、崩れない。そして、ついに藤井が頭を下げる。
渡辺明、藤井聡太に初勝利。「これが渡辺明だよ!」今度は、本当に叫んでいた。もし、渡辺が何もできないまま3連敗していたら、私はしばらく将棋を見られなくなったかもしれない。しかし、3連敗する渡辺ではなかった。3連敗など、するはずがなかった。
この勝利は、たんなる1勝ではない。もはや渡辺明の「凄み」としか言いようがない。盤を挟んだ目の前にいる棋士は、まさに今、次の時代を切り拓こうとしている。渡辺にとって、その「圧」は凄まじかったと思う。自らを飲み込もうとする圧倒的な濁流に、渡辺は自らの強みである「研究」で立ち向かい、そして振り払った。あの舞台でこんなことができる棋士は、渡辺明以外にいない。大舞台で、濁流に抗う。孤高の棋士、渡辺明が報いた、最強の「一矢」だった。
棋聖戦第4局。先手番となった渡辺は、第2局で完敗した急戦矢倉の作戦を再び用いた。胸が熱くなった。「気付いたら敗勢」そう振り返った、渡辺にとって悪夢のような将棋である。負けたら終わりの一戦で、再びこの作戦を選択することには相当な勇気がいる。しかし、渡辺は悪夢を悪夢のまま終わらせておく男ではなかった。自身が完敗した将棋を徹底的に研究し、改良手順を藤井にぶつけたのである。妥協を許さない、トッププロとしての威信をかけた将棋だった。
渡辺の研究は功を奏し、互角からやや渡辺有利の形勢で局面は進行する。しかし、藤井は全く崩れずに渡辺のすぐ後ろをひた走る。紙一重の攻防の中で、渡辺に盲点の一手があった。藤井の攻め駒が、気付けば渡辺の玉を左右から包囲していた。「負け」。渡辺は、このあたりで覚悟を決めたという。
ピンと背筋を伸ばした渡辺が、「負けました」と声を発する。渡辺明の棋聖戦が終わり、史上最年少タイトルホルダー、藤井聡太棋聖が誕生した瞬間である。
激闘を終えた当日の深夜、渡辺は自身のブログを更新した。そして、自身の将棋を、淡々と、それでいて的確に分析する。信じられないような完敗を喫した第2局の後も、タイトルを失った第4局の後も、その姿勢は全く変わらなかった。目を覆いたくなるような将棋を、淡々と振り返る。それも、当日の夜に。普通の人間なら、抜け殻のようになっていてもおかしくない。すぐに敗局の分析をする。これもまた、渡辺の「凄み」である。
「負け方がどれも想像を超えてるので、もうなんなんだろうね、という感じです」
渡辺はそう述懐した。藤井聡太と初めてタイトル戦を闘った男の、偽らざる本音なのだろうと思った。棋界のトップを走り続ける男が、「想像を超えている」と述べた。その意味は果てしなく重い。
渡辺はトッププロとしての矜持を胸に、全力で闘い抜いた。第1局、第2局では、昼食に高額なうな重を連投した。これは、藤井聡太が昼食の値段を気にせず、好きなものを頼めるようにした配慮だと言われている。藤井聡太が残り時間3分の場面でトイレに走った時、渡辺は次の手を指さなかった。そこですぐに指せば、藤井の持ち時間を減らし、追い詰めることもできた。しかし、渡辺は藤井が戻るのを待ってから盤上に手を伸ばした。藤井を戸惑わせるような「盤外戦術」はいらない。時代が動くか動かないかというこの戦いにおいて、そんなものは「邪道」でしかない。渡辺は、藤井が全力を出せるように環境を整え、「将棋」で真正面から勝負した。
結果は、1勝3敗での敗退。「羽生の次は藤井の時代」という渡辺の言葉が、現実のものになろうとしているのかもしれない。藤井聡太の時代が、今まさに幕を開けたのかもしれない。
しかし、渡辺は抗う。自らが発した言葉に抗い続ける。そう信じている。
「次の機会までに考えます」渡辺はそうブログを締めくくった。渡辺は、もうすでに「次の機会」を見据えている。ここからまた、渡辺明の闘いは続く。
↑思い込みと憶測で腐女子をはっきり攻撃してるよね。それに反撃したら「憎悪でぶつかっていくヤバい人」になるんだなあ。
そりゃ憎悪はあるよ、隠してもないし誰でも読み取れるでしょう。人をポリコレ気狂いか何かと勘違いしてんの?
もとは「( ´_ゝ`)フーン」と腐をかけたのが「腐~ん」だ
女性器呼びが発生したとすればそれより後のことだろう
「ま〜ん」の話はしてない。そっちは女性器呼びが広まったあとに作られたやつ(2000年代末期〜2010年代前半)。2000年代中期の同性愛板のログ見ればすでに「腐+女性器」で溢れてるから分かる。根拠も出さず「ことだろう」とか言ってないで調べるか、調べないなら絡んでこないでほしい。
もしかして「腐れ○○○」のことだろうか
(追記をうけて)それもあるが、元の想定は違う。「腐○○○」で伝わるかな。こういう話題でその単語を書きたくないので分かりにくいのはこちらも悪かった。
IPアドレスでの追跡やら何やら色々あったんだよ当時は
IPアドレスと「追跡やら何やら色々」で腐女子かどうか分かる世界楽しそうですね。
ああポリコレ気狂いはそっちだったか。AV見る時とか大変そう。
↓
まさに数日前にゲイ雑誌が全滅してBLしか読むもんなくなったというゲイ側の一方的な都合でBLにリアルなゲイを出せと要求されてるんだわ。わざわざ同性愛板のBLスレまで出してるんだから都合の悪いことは見たくないなら議論に適さないから別の人と会話してて。
じゃあ腐女子よりもっと人目を引いて面白い投稿すれば?そっちと違って腐女子は男は増田から出て行けだのpixivから腐女子を排除する運動だの一切やってきてないんだから。ってこういうやり取りも何度目かな。マイノリティは常に説明や訂正を強いられるってやつだ。
女性器呼びで殺害計画してても何も言われず、それに反撃したら「頭おかしい」「自己主張激しすぎ」という社会ならなくなってくれて構わないので今後も自己主張していく。
つかなんでこんな込み入った話に意気揚々とペラッペラな俺理論だけを手に絡んでくるのかマジで謎。知識や知見があるならまだしもネット検索すらできないみたいだし。
元の投稿で私が書いたことそのまんまだよね。本質はゲイというよりヘテロ含めたミソジニー男性による女叩きで、女を見つけたら真っ先に涎垂らしながら近づいてきて構ってもらおうとするその性根なんだよ。ゲイが歴史的に被ってきた被差別属性という苦しみすら持ち合わせず、女を叩ける機会だからと無節操に乗り込んでくる、その性根。有害なゲイもムカつくが、一番の害悪は隙あらばゲイも腐女子も両方叩いて自分たちの特権性に酔いしれてるヘテロ男性だよ。なにが人気ランキングだよ人権の話してんだよ舐めんじゃねえよ。
同性愛は歴史的に差別されてきたものだけど、女性ってのも歴史的に差別されてきたものなので
BLも男女ものも「歴史的に差別されてきたものを描いている」って点じゃ変わらんのよね
BLはマジョリティである異性愛者がマイノリティである同性愛者を自分の欲望のままに描いているから問題、って話もあったけど
それ言ったら男性が描く男女ものもマジョリティである男性がマイノリティである女性を自分の欲望のままに描いているから問題、になるし
じゃあゲイ男性や女性が差別的な内容のBLや男女ものを描くのは一切問題ないのか?というと
そいつは自分が差別されても良いと考えてたとしても巻き込まれる他の人が迷惑だろと考えたら問題ないわけじゃないし
(黒人を差別する黒人ってのも昔からいるしな。この手の名誉〇〇問題ってのはどこにでもある)
現状で男性が描く男女ものに必要ではないとされている注意書きならBLにもいらんよな
未来の話なら知らないが
男女もので書かなくていいものはBLでも書かなくていい←それ!
BLは描写の対象が歴史的に差別を受けてきた性的指向である点で男女ものと違うけど、それがお清めセックス・レイプ物に注意書きをすべきかという点と関係あるかというと、まっっっっったく関係ないからね。
正確には連日二人目ですけど。
ガチ恋なんてしてないし、理想通りの結婚をするなら2000歳を超えてる不老不死ピンク髪のじゃロリ美少女を選ぶ。
でも、推しの結婚報告を目にするたび、尋常ではない喪失感に胸を締めつけられる。
と不躾な物言いをしてくる輩もいる。
むしろ、推しがちゃんと幸せな人生を歩んでいたのがわかって嬉しい、良かったと思うのがファンとして一番の心情で、迷惑でないなら「おめでとうございます!」の一言でも贈らせて欲しい。
だが同時に、心の中にぽっかりと穴が空いてしまった感覚があるのも確かなのである。
幸不幸に関係なく、どんなにおめでたく歴史的な瞬間であろうとも、もう二度と昨日には戻れないという事実を突き付けられたような一抹の苦味。
それはきっと、ミロのヴィーナスの両腕の復元に成功して、サクラダファミリアも完成した世界で生きていくのに等しい。
うん。そうした方がいいと思う。産み分けというスタートの地点を変えるのではなくて、生まれてきた男の子に、真っ当な教育をしてあげるというのがいいと思う。人の脳は柔らかいから、もしその内に凶悪性を秘めていたとしても(秘めてないと思うけど)それを道徳心や克己心で抑えることができる。人間にはそれだけの力があると思う。
歴史的にも産み分けというか、優秀な人の子供だけを残そうという優生学的な動きがあった。だけど結果として、統計的に(うろ覚えだけど)、その子供たちのIQは平均すると高くなったけどバラツキも大きくなったと聞く。つまり、IQが高い子と小さい子の差が大きくなった。それは望んでいた結果ではないだろう。なので、人為的な操作というのは、思いもよらない副作用を起こす危険性があると言える。そういう意味でも男女の産み分けというのはよくないことだと思う。
『2020年6月30日にまたここで会おう』は、瀧本哲史さんが2012年6月30日に東京大学で講演された内容を1冊の本にまとめたもの。これが期間限定で全文無料公開されたので読んだ。
勉強になるし、考えさせられる面白い文章だったのでぜひ一読をおすすめします。
瀧本さんは20代とかの若者に向けて話していて、いろんなメッセージがあるんだけれど重要だと思う前半からいくつか引用。
>> ・次の日本を支える世代である若者が自由人として生きていくために必要不可欠な「武器としての教養」を配りたい。
・外見だけは人間なんですけど、やってることは人間以下という人が老若男女問わず世の中にはたくさんいる。「自分で考えてない人は、人じゃない」
・「正解」なんてものはない。 自分の人生は、自分で考えて、自分で決める。
・そのための「思考の枠組み」として、リベラルアーツがある。 自分自身を拠りどころとするために、学ぶ。
・まず「言葉」によって正しい認識にいたり、「言葉」を磨くことでその認識の確度を上げていく。そして「言葉」を使って相手の行動を変えていくことで、仲間を増やし、世の中のルールや空気を変えていくことが可能。
・ 君と君たちが正しい選択をし続ければ、いつか必ず世界は変わる。<<
歴史的なことを散りばめて語られるから、すごく説得力があるなと思った。現代史も含め、歴史は事実に近いことだから、知っていることはものすごく大事だよな。パラダイムシフトについてなんか眼から鱗でした。
で、これを読んで私が考えたこと。
これを「賢い」と言われる人たちに話す意味はすごく大きい。賢い人が世界を動かしていく(はず)だから。だけど、私はそれだけじゃ足りないんじゃないかと思う。
ある程度理解する力がないと、自分の中に噛み砕けなくて受け入れられないのは確かだけど、「賢くない」人の方が多いんだよ、世界。
しかも今は発言権(拡散力)はみんなが持っているし、賢くない人は、数の多い「仲間」=大衆に受けやすい。
けど、賢くない人ほど、こうした話は聞きたくないし、聞けない。受け入れられない(たくない?)。
じゃあどうするかって、もっと早くにこういう考え方をわかりやすく、広く、教えなくちゃじゃない?って思う。中学・高校、それも地方を含めた公立とか、「普通」なところで教えていくべきなんじゃないかと。やっぱり教育って大事と思う。
中学生って大人が思うより、考えられるよ。いろんな空気を読みながら生活してるし、いろんなことに影響されて学んで生きてると思う。だからこそ、そこで思想は固定されてしまいがちなんだよ。どれだけ勉強ができていい大学にいけた人だって、育った場所(家庭・小学・中学・高校)でできた思想ってなかなか変えられない。むしろガチガチな人も多いんじゃないかって思う。
そういうことでいうと、中学生って無垢ではないけど、まだまだ足りなくて、考えがかっちり固定されてないと思うんだ。(まだ変えられる、というか。)
でも既に、変に諦めてる子とか、頑張るのバカじゃん、どうせ自分バカだし、みたいな子も多いだろうと思うんだよね。そのまま行っちゃうと、世の中の、その地域での「普通」の道を辿ることに疑問をもたないまま進んでしまうことになるわけ。これって今の時代の「再生産」的な人間じゃん。
だからさ、できれば中学生とかの内に、せめて高校生のときに、こういう話を聞いて、自分の可能性とかを自分で考えてほしいなと思うわけ。
じゃないと多分、「パラダイムシフト」は起こんないよ。世代交代は必然的に起こるけど、次の世代もおんなじ考えの人が再生産されてたら意味ないんだよ。
パラダイムシフトを起こすためには、賢い・意欲のある20代に話しているだけじゃ足りない。
人の考え方は基本変わらない。歳を取ればとるだけ、変化は期待できない。
で、じゃあ中学生(賢くない)にどうやってこの話を伝えたらいいんだろう?って考えた。
メッセージの大ポイントは「自分で考えることをやめるな」ってことだと思うんだけど……
ってなるじゃん。これ、なんて答えたらいいんだろう……というのがいま見つからない。
だって中学生はまだ社会を知らない。今の社会のなにが未来にとってよくない考え方なのか、その考えがどれほどスタンダードなのか……絶望感を知らないと、「今のままじゃダメだ!自分たちの世代が変えるんだ!」なんて思えないんじゃないかなって。
この「なんで?」に対する答えをちゃんと伝えられる大人になりたい。
誰か手伝って!なんて答えたらいいと思う?
日本で『愛の不時着』並みのジレンマを内包した恋愛をとりまくストーリ―テリング
はどうやったら描けるのだろう?
この韓国ー北朝鮮の地域性ー国家として分断されつつも、言語や、大戦前までの
歴史的経緯も含めた文化的価値観を共有した国民間で揺れ動く思い
を再現するのはほぼ難しい。でも確かに引き込まれるものがあるのがくやしい。
隣国として傍観している立場の日本人ですらここまでハマる人たちがいるわけだから
当事者である韓国の人の共感度はより高いんだろうな。逆に貧国的な環境を
如実に(おそらく一方的に)描かれた北朝鮮の人たちにとっては、許せない
描写もあるとは思うけど。
どう日本で活かせるか知りたい。
なんか知らんけど増田ってVTuberアンチが常駐してるよね。
これ↓と同じように、歴史が繰り返しているように見える。
「アニメか?」余計な一言で大炎上していた日本文学振興会がサイトで釈明 「アニメは文学に勝るとも劣らない表現手段」 - ねとらぼ https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1608/04/news143.html
歴史的に、小説が賤業と見なされ、映画が賤業と見なされ、マンガが賤業と見なされ、テレビが賤業と見なされ、アニメが賤業と見なされ・・・と、それぞれの時代で新しいメディアや表現手法はすべからく賤業と見なされてきている。だからこそVTuberという表現手法は成功を意味するワケだなあ。
いわゆるリモートで言えば、コロナ前から十分な投資を各社していて、けっこうせっている。
セキュリティーとかいうがVPNなんていう用語が当たり前に通じる程度には普及しているし
オンラインシステムで勤怠投入といっても、特に目新しさを感じないどころか大学の学生でも作れんじゃね?(実際は作れないとしても)ぐらいに普及している
コロナ以前から30年ぐらい前からリモートでのコンピューターワークというのは研究されているし
もともとコストが高くない。
そんな話に近い。
だけどさ
ホンダらしくない。それが良くない。
AKBらしくねぇ。それがよくない。
まぁ、12年はトヨタっぽく成るのはまぁいいだろう。それもまた歴史。AKBらしい。
だけど
WindowsゲームがあればPSはなくていい というのは 納得がいかない。
そりゃPCがあればいい。
そりゃそうだろう。
でもそんなの
でも そういうもんでもねーだろ
日本での外国人差別って、アメリカの歴史的構造的差別に由来してるわけじゃない
類似性を見いだすならアメリカでのアジア人差別のようなものなんだよ
だから、まず前提としてアメリカでのアジア人差別反対に対して協調するって文脈じゃないと筋が通らない
Black Lives Matter運動、違和感がありつつもうまく言語化できなかったんだけど、色々読んでいくうちに違和感の正体がわかった気がした。
たとえばロヒンギャへの支援を訴える運動は、ビルマ政府のロヒンギャ弾圧はひどいよね! ビルマに圧力をかけてロヒンギャ弾圧をやめさせよう! というものであり、世界中でひどい扱いを受けているイスラーム教徒として連帯しよう! みたいな運動ではない。
ウイグル人やチベット人の抑圧を訴える人たちも、中国政府の扱いはひどい、中国政府は弾圧をやめろ、と言っているのであって、全世界的に仏教徒やテュルク系民族は弾圧されてる! ということが言いたいのではない。
本来、Black Lives Matterもそういう運動、つまりアメリカの黒人はアメリカ政府やアメリカの警察に弾圧されている、アメリカ政府ひどいよね、世界のみんな、アメリカに圧力をかけてくれ! という話だったらよく理解できるんだよね。
でも、全世界的に黒人がひどい扱いを受けてる! それぞれの国でBlack Lives Matterを叫ぼう! 日本でもBlack Lives Matterのデモをしよう! って言われると、は? ってなる。
確かに日本にも黒人差別はあるし、オコエ瑠偉とか大坂なおみとかが差別された体験を語ってるから、日本にそんな問題はない! って言うつもりは毛頭ないけど、警察官が特定人種ばかり狙って射殺してくるとか、無抵抗の被疑者の首を押さえつけて窒息死させたとか、若い黒人男性が刑務所にブチ込まれまくってて黒人コミュニティが崩壊してるとか、そんなんはアメリカだけの問題だろ!
10年以上前にFree Tibetが盛り上がってて日本でもデモをやってたけど、あれは中国はチベット人への弾圧をやめろ! 日本からも中国に圧力をかけるのを手伝うぞ! という運動であって、日本のチベット人差別はけしからん! という訴えではなかった。
でもBlack Lives Matterは、少なくとも東京で行われたデモは、アメリカは黒人差別をやめろ! 日本からもアメリカの警察に圧力をかけるぞ! という運動ではなく、日本の黒人差別はけしからん! という運動になっている。
なんかおかしくね?
なんでアメリカ人って自分たちの問題=世界の問題だって思い込んじゃうの?
こういう、自分たちの問題=世界の問題、アメリカの差別事情=世界の差別事情だって思い込むアメリカ人の自己中心性っていうかアメリカ中心主義、見事にアメリカおよび英語圏の持ってる権力に由来するものだし、非英語圏出身のアジア人からすると「け、権力勾配~~~!!!」って感じがすごいするんだよね。
ローカル事情を自分たちの母語で叫んでるだけで全世界に訴えを聞いてもらえる身分の人たち、肌が白いか黒いかを問わず普通に特権階級だと思うんだけど、どうも連中にはその自覚がないらしい。
まずは自分たちの特権を自覚したらいかが? 日頃自分で言ってることなんだからできるでしょ? としか言えない。
それでもってそのローカル事情に基づいて出来上がったローカル基準をまるでグローバルスタンダードみたいな風に装って他国にも押し付けてくるし、押し付けることのできる権力を持ってるわけでしょ。アメリカ人が自国内でブラックフェイスをタブーにしてる分には知ったこっちゃないけど、全然文脈が違う日本にそれを持ち込んで、褐色キャラのコスをするレイヤーさんに文句つけてるのとかもうわけがわからんよ。
繰り返しになるけど、日本にも黒人差別はあるし、それは是正されるべきですよ。でもそれはアメリカにある差別とは違うものだし(日本の方がマシと言いたいんじゃなくて、歴史的背景も社会の人種間関係も違うんだから当然問題点も処方箋も違ってくるでしょという話)、アメリカ大使館に向けてならともかく日本社会に向けてBlack Lives MatterとかI Can't Breatheとか言われても日本の警察に捕まった外国人はちゃんと息しとるわお前らの国の警察とは違うんじゃという話になるわけで(日本の警察の人質司法や外国人差別を無視していいとは言ってない)。
というか日本では白人も「ガイジン」として差別されてて、黒人とのハーフだけじゃなく白人とのハーフだっていじめやからかいの対象になるんだから、日本の黒人は日本の白人と連帯して非日系のエスニック・グループとして日本人による差別と闘った方がいいんじゃねーのと思うんだけど、まあ彼らは“全世界的な白人至上主義”(これ指を頭の横でクイクイしながら言うフレーズね)と闘う方が重要らしいから、白人と「同じマイノリティ」として連帯する気はなさそう。あのね、知らなかったかもしれないけどこの日本では白人もマイノリティなんだわ。お前らの国のローカルな人種間関係を無邪気にヨソの国に適用するのやめてくんない? というか、グローバルな白人支配を問題にするなら、まずその英語帝国主義をやめてくれない? っていう話。
東京のローカルニュースでもそれに価値があるなら全国放送で流せばいいと思うし(たとえば、香港やパレスチナや西パプアの弾圧もローカルニュースだけど、国際的に注目されるべき人権問題だよね)、災害とかで都民が苦しんでいるなら「都民がんばれ!」みたいなムーブメントが起きてもいいと思うんだけど、都知事や都庁だけがめっちゃ腐敗してるという話なのに、「都庁けしからん」ではなく「日本の政治腐敗は深刻で」みたいな話にされたり、東京だけが被災した災害で「がんばろう日本」ってスローガンが掲げられたら他地方の人はカチンと来るよね、という話。