はてなキーワード: 教育委員会とは
あとその後の世代も、全共闘世代が教育分野などで幅をきかせてたから教育もその影響を受けてた。
それが変わったのは安倍元首相をはじめとして自民党が結構強力に教育委員会とかに手を入れたから。
だから今の教育は基本的に自民党の思い描いてる教育になっている。
人間は最初に与えられた教育が常識だと思うから、お互いそこのズレが生じてると思うぞ。
まあ、その上で安倍政権・岸田政権を全否定しかできない奴は考える力が無いと思うがな。全肯定もしないが。
経済分野では安倍政権は取り得る手段の中ではかなり良い判断をしたからな。岸田政権もまだ分からんけど、やってることはそんなに間違ってない。
A君一家自体が島への移住者で、子供3人のために休校してた学校を9年ぶりに開校してたってことね。なるほどです。
2000年春から休校していた酒田市の飛島小学校(船越誠校長)の開校式が6日、同校体育館で行われた。島外から児童2人を含む親子5人が移住したことによるもので、小学校の校舎に9年ぶりに児童の声が響いた。
飛島小は00年3月に6年生2人が卒業、1人が転校し児童がいなくなり休校。その後、飛島中も03年3月に最後の生徒が卒業し休校措置となった。市教育委員会は、小学校が休校した後の01年度から、校舎を市内の小学生を対象にした2泊3日の体験学習「飛島いきいき体験スクール」の拠点施設として利用してきた。
今回の小学校再開により船越校長、菊地義昭教頭、布川真二教諭、吉泉弘子養護助教諭の計4人が赴任。新5年生の渋谷泰和君(10)と新3年生の真生さん(8)の兄妹2人を多面的に支える。
泰和君が「飛島のことをいろいろ学んで、島に来た人に教えたい」、真生さんが「理科や社会が始まり、授業が難しくなるので、布川先生からいろいろ教わりたい」とそれぞれ話した後、「2人、力を合わせて頑張ります」と声を合わせた。
式終了後、2人の父・聡さん(38)は「開校まで多方面で力添えをいただきありがとうございました。ただ、これがゴールではなく、これからがスタート。島民の皆さん、よろしくお願いします」と話していた。
http://www.shonai-nippo.co.jp/cgi/ad/day.cgi?p=2009:04:07:2652
障害のある子供の親御さんたち、教育委員会や先生たちの薦めを無視して無理矢理普通の公立校、普通の学級に入れるのはやめろ。
発達障害やら何やらあるが、全国の支援学校、支援学級に在籍している知的障害の割合が1番多いため、主に知的障害の子供について話す。ただし、他の障害種別でも通用する話ではあると思う。
だいたい、文頭で指摘したような、障害がある子を無理やり他の子と同じ環境に入れたがるような親というのは
・自分の子供に障害があることを頭ではわかっていても認めたくない。
・特別支援学校(学級)やそこに通う子供、あるいは障害者それ自体に対する強い偏見がある
・子供のヤバさ(学力の遅れや集団に馴染めないなど)をきちんと把握できてない
のいずれか、あるいはハイブリッドなのだ。テレビ等でよく美談のように語られる中では「普通の学校で学ぶことの方が様々な経験ができる」みたいな、あたかも子供のためを思っているかのような美辞麗句で誤魔化すが、大体はこのどれかに当てはまる。
そもそも、普通の公立校に通うことが本当に障害のある子供のためになっているのだろうか?中には他の子とお互い刺激しあって力を伸ばす子もいるだろうが、ごくごく一握りだと思う。大半は勉強についていけず、お客さん状態(授業中、発言もできずただ終わりまでぼーっと座ってるだけ)になっているのが関の山だ。仮に学習についていけているとしたら、先生や学校の大変な努力と配慮の末に辛うじて成り立っているものだろうし、おそらく長くは続かず、学年が上がり内容が難しくなっていくごとに真綿で首を絞められるが如く状況は厳しくなっていく。
そもそも、そのように学習に大変な配慮を必要とする子が学級にいることで、先生の負担は遥かに増す。私学ならともかく、公立校の教員に「一部の子は見捨ててでも授業の進度を優先する」という選択肢はないに等しい。つまり、理解に困難を抱える子供への授業作りが主となってしまい、授業内で応用的な内容、ハイレベルな適用問題などに取り組むことが難しくなる。また、授業は普通に進めるが、その分ついて来れなかったところは放課後につきっきりで学習するという手もなくはないが、それをするということで先生の負担が増えているというのは火を見るより明らか。そして先生の負担が増えると困るのは誰か、皺寄せが行くのは誰か。その学級の子供である。無理矢理普通級に障害のある子供を入れることにより、巡り巡って自分たちの首を絞めている。自分だけならまだいいが、影響は大なり小なりそのクラスの子供全員に及ぶ。
障害のある子が特別支援学校や特別支援学級に入るプロセスのことを「就学相談」や「就学指導」などといった呼び方をする。
おおまかなプロセスとしては
①幼児期からの発達の様子を見て、幼稚園や保育園などから声がかかる、あるいは小学校入学前にある就学時検診における知能検査などの結果を見て、もしくは小学校、中学校在学中に随時学校や教育委員会から就学指導を薦められる。
③発達検査の結果から、教育委員会の人などがその子にあった判定を下す。
④次年度以降、③で出た判定の進路へ進む。
といった流れである。だが、保護者はこのプロセス中いつでもキャンセルができる。保護者が嫌がれば就学指導は中止され、自動的に普通の公立校、普通の学級に行くことになる。また、③で特別支援学校判定が出たとしても「普通の公立校の支援学級ならギリ許すけど特別支援学校はお断り」みたいなパターンもある。というかこのパターンは割とよくある。(普通の学校の支援学級在籍者のうち、体感1〜2割はそれ)
ここで曲者なのは「保護者の意向次第でいつでもやめられる」ということ。冒頭で示したように、自分の子が障害があると認めたくない人や偏見を持っている人は、そもそも就学指導の話を持ちかけられた時点でブチギレる。プロセスの途中でも、他所から変な知識を入れ知恵されて突然やめたりする。そうなるともうお手上げである。冒頭の黒ポチ3つめのパターンも厄介といえば厄介だが、子供のヤバさに気づいてくれたら考え直してくれることがよくある気がする。(まあ気づくまでに何年もかかって、結果勉強の理解は同学年の子より遥かに遅れて取り返しがつかなくなっている事が多いのだが。)
もう一度問うが、無理矢理普通の学校、普通の学級に行かせることが子供のためになっているのだろうか?
就学指導で「貴方の子は特別支援学校判定です」と言われたということは「お前の子はバカなガイジなんだ」と言われてるように捉えるかもしれないが、そうではない。その子は特別支援学校で学ぶことが合っているというだけの話である。それによって何ら人格が貶められることはないし、就学相談に携わる人間は誰もそんなこと思ってない。
環境の面でも大きな違いがある。小学校ではクラスの定員は35人だが、支援学級なら8人、支援学校なら6人である。ちょっと考える頭があれば、これだけで雲泥の差とわかるだろう。さらに、支援学校は担任が2名になる場合もある。また、学校の設備面でも、当然普通学校と比べ遥かに充実している。教員免許も特別支援学校用の免許のため、専門的な知識を身につけた教員ばかりなのである。(当たり前だが、普通の小学校には小学校教員の免許しかない人だって当然いるのだ。)どちらで学ぶことが、子供本人のためになるだろうか、子供本人の成長につながるだろうか。
更に言えば、障害のある子供の将来に関してもやはり特別支援学校にはアドバンテージがある。特別支援学校では「作業学習」という時間があり、職業訓練のような事もする。また、特別支援学校であれば、障害のある人でも就職し給料を稼ぐことのできる職場とのコネクションもある。普通校では作業学習の時間はないし、就職支援でだって特別支援学校の専門性には敵わないだろう。
長くツラツラと書いてしまったが、世の保護者に言いたい。自分の子に障害があり、特別支援学校や特別支援学級で学ぶことを薦められたら、どうかその通りにしてあげてほしい。教育や発達に関してある程度知見を持った人が何人も集まってそういった判断を下しているので、それを無視して無理矢理普通のクラスで学ばせることは、本当に子供のためにならない。親のエゴでしかない。親のエゴで普通学級に入り、理解が難しい授業を一日6時間聞き続ける生活を何年も強要しないでやってほしい。その結果(必ずしもこうなるというわけではないが、一例として)小5小6や中学生になっても九九の3の段も言えなかったり、小3になってもひらがなの50音が読めないような子を生み出さないでやってほしい。その子たちは、その子たちにあった環境で勉強していれば、もっと伸びることができたかもしれないのだ。
親のエゴで普通の学校に通わされ、勉強が十分身に付かず年だけくって卒業していく子供のこれからの人生における苦労を考えると、気の毒としか言いようがない。
メリーランド州民主党、「組織的な人種差別」を解体するために白人女性を指導部から排除すべきだと宣言
民主党選出議員は講演者のラインナップについて「白人は…少数であるべきであり、それには正当な理由がある」と述べた
FOX初– 教育委員会の会議で発言したイスラム教徒の子供たちが「白人至上主義者と同じ側にいる」と主張して最近批判されたある民主党のメリーランド市議会議員は、「白人女性」や「白人至上主義者」をバッシングした経歴もある。シオニストユダヤ人」とFOXニュースデジタルが報じた。
元公立学校教師のクリスティン・ミンク氏は、12月に第5地区を代表してモンゴメリー郡議会議員に選出された。
彼女は「これは公平だ」と宣言しながら、火曜日の夜の教育委員会会議で、 LGBTQ+のカリキュラムに反対するイスラム教徒の子供たちは「白人至上主義者と同じ側にいる」と論じた。
「残念なことに、この問題は…一部のイスラム教徒の家族を白人至上主義者や完全な偏屈者と同じ立場に置くことになっている」と民主党は述べた。「私はあなたをそれらの人々と同じカテゴリーに入れるつもりはありませんが、ご存知のとおり、彼らはこの特定の問題について同じ側に陥っているので、それは複雑です。」
彼女はまた、「愛国者」という言葉は白人を表すのに使われると主張した。
「今こそ『愛国者』という言葉を取り戻す時だ。そして明確にしておきたいのですが、私が『『愛国者』という言葉を取り戻せ』と言うとき、私は実際に『愛国者』という意味でその言葉を使っている人たちが、『白人』という意味でそれを使っている人たちからその言葉を取り戻しているということです」と彼女は語った。
同市議会議員はまた、黒人や警察との衝突の間、白人は自らの身体を人間の盾として使用すべきだという要求への支持を表明した。
彼女は「現場で白人たちの特権をどのように活用するかをロジスティックに教えてくれる主催者たち」に感謝した。
2023 年 5 月 25 日午後 6 時 46 分 EDT
ノースハリウッドの保護者ら、学区で予定されているプライド集会をボイコット「子供たちを家に留めておけ」
サティコイ小学校の保護者がプライド集会に反対するインスタグラムアカウントを作成
ジョシュア・Q・ネルソン ジョシュア・Q・ネルソン| 著 フォックス・ニュース
サティコイ小学校保護者という名のインスタグラムアカウントは月曜日、「保守的な価値観を共有し」、「この教材が子供たちに教えるのに適切だとは思わない」保護者たちが6月に子供たちを学校から帰宅させることを計画していると「激怒」したと投稿した。 2日は、LGBTQ+プライド月間を祝うために計画された学校集会のためです。
「注意:抗議活動は6月2日です!助けが必要です!サインが必要です!全員が来てください!」サティコイ小学校の保護者はインスタグラムの投稿のキャプションにこう書いた。
ロサンゼルス統一学区は、生徒たちにLGBTQ+コミュニティについて教えるために幼稚園から12年生までの学校集会がサティコイ小学校で開催されると発表した。
同団体は、生徒たちが「ママが2人いる子もいれば、パパが2人いる子もいる」というビデオを見ることになると主張している。
Los Angeles Unifiedは、私たちが奉仕するコミュニティの多様性を包含する安全で包括的な学習環境を作成することに取り組んでいます。 地区は、私たちの学生が彼らの最大の可能性を達成するために権限を与えることができるように、敬意、優しさ、思いやりでお互いを扱うために私たちの学校のコミュニティ内のすべての人を奨励し、"地区は声明で述べています。 「学校コミュニティとの関わりの一環として、私たちの学校は、私たちが奉仕する家族の多様性とインクルージョンの重要性について定期的に議論しています。 学校コミュニティとの関わりの一環として、私たちの学校は、私たちが奉仕する家族の多様性とインクルージョンの重要性について定期的に議論しています。 これは私たちの学校のコミュニティとの積極的な議論のままであり、私たちはこの重要なトピックについて家族と関わり続けることにコミットし 家族は常に子供たちと重要なトピックについて話し合うことが奨励されており、家族は学校のプログラムや活動の詳細については学校に連絡することもできます。"
蛙化の人や友人が蛙化の人のを読んだけどHSPと自称する人にまともな人がいたことがない
子供のクラスにも以前HSCと呼ばれる子が4月から転校してきて保護者から自己紹介があった
真逆のタイプの我が子には強めに、あなたが何とも感じないことに傷ついたりする子もいるんだよ
M田さんはとても心が優しく傷つきやすい子なんだって、だからあなたも優しくしてあげてね
と我が子に伝えたらわかった!と言って新学期が始まったのだけど
蓋を開けてみたらM田はただのワガママで繊細でも何でもなかった
自分の好きじゃないことはやりたくない、気に入らないと癇癪を起こし、自分の思い通りにする
他人に失礼なことをするのに相手に何か言われた大騒ぎしM田の親からクレームが入る
小学生が言われたら言い返す当たり前のことがM田にはしてはいけなかった
席替えもそうだ、平等にくじ引きをしようがM田がその席を気に入らなかったら配慮しなければいけない
ならいっそ最初にM田に好きな席を選んでもらい、残りのみんなでくじ引きをすればいいと思うのだけどHSCだからそれは許されない
学校側はおそらく知っていたのだろう
今思えばあの時の我が子のクラスはM田を抜いたらとてもいい子たちで構成されていたし担任も人気の先生だった
うちの子だって愚鈍だけど人に嫌なことをするタイプではなくポジティブで明るい優しい子だと思う
先生のことなら教育委員会などに持ち込めても子供のこと、更には自称特性持ちの弱者には保護者は非力なものだった
私達ができたことは来年以降M田と同じクラスにはしないで欲しいと訴えるということくらいでそれすら確約がない
HSCは障害があるわけではないから通級送りにも出来ない(こちらからしたら十分障害だと思うけど)
保護者が言うには好きでそうしてるわけじゃなくて性格だから仕方がないと言うものだった
本当にHSCって厄介だと感じた1年だったけどHSPの蛙化の記事を読んで当時を思い出して死ぬほどイライラした
激しさ増す教員奪い合い、副校長が土日返上で400人以上に電話…担任4人交代のクラスも(読売新聞オンライン)のコメント一覧 - Yahoo!ニュース
のニュースとブコメを見て何年か前に非教職・非正規として小学校に勤務するようになった自分が思ったことを書いてみる。勘違いしてる所もあるかもしれないので怪情報ぐらいで読んでくれ。
まず、授業だけならYoutubeでいいっていう意見。学校は教科を教える場だけでなく、以下みたいなことも教える場になっている(ちなみにこれは高等教育でひっかかったが、教科だけでないというサンプルとして)
1 人間として相互に尊重し合い,友情を深めるとともに,集団の規律を遵守し,責任を重んじ,協力して共同生活の充実発展に尽くす態度を養う。
2 広く考え,公正に判断し,誠実に実践する態度を養うとともに,公民としての資質,特に社会連帯の精神と自治的な能力の伸長を図る。
3 心身の健康を増進し,個性を伸長するとともに,人間としての望ましい生き方を自覚させ,将来の生活において自己を実現する能力を育てる。
つまり運動会とか修学旅行とかクラブ活動とか地域との連携とか委員会活動とかまで含めての総合教育の場になってるんだよ。
一人の個人として社会の中でうまくやっていけるように十分な知識とコミュ力まで育てるみたいな感じ。
だから学校なんかいらない、動画だけ見て覚えればいいじゃないかというのはそもそもの学校教育の趣旨と異なる。だから先生の業務が膨大化してしまう。
あとなんで副校長が非正規の募集で電話かけまくっているのかということについて。
自分の見た限りだと基本、学校の方針は校長からのトップダウンになってる。だから校長が変わると学校としてのやり方がかなり変わったりする。校長と副校長二人で決めてあと事務員さんが実際に発注とかして学校運営を担ってる感じで。
だけど担任を持つ先生たちは普段は個々に独立してるみたいな感じ。個人に委ねられる権限と裁量がとても大きい。
クラスのことは担任の先生にだいたい全部委ねられる。問題が起きたら校長副校長に相談はしてるけれど、クラスのことは基本担任が一人で対応してる感じ。
現場で見ていると副校長はとにかく校長に言われたことや手続き的なこと、学校運営の調整、問題が起きた時の現場対応、その他ありとあらゆることを千本ノックみたいな感じでこなしていってる。
この記事の場合はだから、副校長が電話かけまくってるけど、校長が電話かけまくってる場合もある。
非正規しか募集できないのは単純に予算がないから。予算はどこから出るのかというのが問題。
教育委員会助けてやれよという意見があったが、教育委員会←→教職 みたいな感じで教育委員会に勤務してる人が教師でくることもあるし逆もまた然り。
仕事はお互いに協力という感じではない。現場のことは現場のことでなんとかしろ、現場の中では担当者が一人で全部対応しろみたいなのが教育現場。だから重責の業務担当になるとまじで労働時間とかやばそう。
現場は本当に人が足りない。子どもがいる人は自分の子どもやその友達が40人になって、そのクラスを一人でみなきゃいけない状況を想像してみてほしい。
中には外国語しか話せない人、いじめ、スマホのトラブル、不登校、モンペ、そんなのがいて束になって問題を投げつけてくる。
その上に研修活動とか展示とか自治体のなんとか委員会の担当とかそんな業務もある。毎日12時間ぐらいの労働時間。どう考えてもやばい。
だから病む人も多い。見てるとまじめで優しい人は病んでしまう確率が高い。
すごくいい先生が泥の中の蓮の花のように咲いていて生き残っていたりもするけど、人間的にどう考えてもやばい教師も点在する。
あと新人もいきなりクラス担任をまかされたりして、すごくかわいそう。研修期間みたいなものをしっかりとれればいいのにと思うが、そんな余裕がない現場。
労働条件の話ばかりに終始している人は、
自分自分の自分ばっかりでそれと合わない周りやら影やらを呪っていても惨めな気持ちになりませんか。
いやいや、大上段から何か言いたいのではなくて、自戒と自分への叱咤の意味で書くのですけれど。
働き始めるとどんな仕事でもそうなのだと思っているのですけれど、自分が日々を行っている仕事は苦役よりなのか祈りよりなのかってぼんやりでもわかってくるように思います。
公立学校の教員って祈りよりで割と濃い目の仕事なんだとわかってきました。
この仕事は、祈りの部分で言うと、目の前のこの人がどのような人になっていくのか寄り添いながら幸を祈ったり、祈った上で最善を尽くせたり、
尽くせず歯がゆい思いをしたり、そんな日々です。それを何かのせいにしたり、誰かのせいにしてしまったり、誰かのせいにした自分を情けなく恥ずかしく思う日々です。
苦役なんだとしか思えず、不貞腐れたり、苦役だからと居直ったりしている人からは何か学びたいと思う人は少なく思います。
そのため、陰では汚物みたいに扱われたり、避けられたりするのをよく目にしてきました。度がすぎると卒業式終了後に保護者に怒鳴り込まれたりしていました。
その怒鳴り込まれた本人は強がってましたが、職場の同僚からも好かれてはなかったようで、より一層惨めな人だなあと思っていました。
自分がそうなると、ただただ悲しいです。そこでキレ散らかしたとて何か事態が良い風に変わるわけではありません。
労働条件整備については、組合の中堅以上(青年部でなくなったあたり以上の人たち)に任せるのが肝要だと思います。
自分がその順番になって初めて先輩からのバトンを受け取ればいいのだと思っています。
私たち現場の労働条件が良くなるかどうかは、勤務校の管理職や自治体の教育委員会で決まることが多くその鍵を握っているのが組合です。
入ってない人は、組合に入った方がいいですよ。組合費かかりますけれど、必要なお金なのかなと折り合いをつけています。
入ってないのに労働条件について何のかんの不満を垂れたり、全世界に発信してもあなたの目の前の労働環境は変わらんです。
組合は確かにイデオロギーの癖が強く、何言ってんだろこの人たちと面食らうこともあります。
でも、組合があるから労働条件が長い変遷を経ながら向上してきた側面はあります。
組合の出入り(お抱え?)の学者もいて、労働条件については、声をあげてくれています。
組合の中での活動員の活動的に、twitter上で労働条件のことをイキリ散らかしているのならば、お勤めご苦労様です。ありがとうございます。
そうでもない非組合で未成年がやっているウラ垢的にイキリ散らかしているのなら、慎みましょう。
保護者や児童生徒はイキリ散らかしてるの見てるし、そこからトラブルを招きます。
デジタルタトゥーになっても構わないようなつぶやきを心がけましょう。
修学旅行の見積もりについては、私は数社見積もりを依頼して業者を選定しています。
数社投げても半分くらいは音信不通です。年々ゆるやかに回答が苦しくなり渋くなってもいます。
業者さんの方に旨みがないし、抱えるリスクの方が年々大きくなっているのだという話は中にいて聞くことがあります。
旅行会社の方を詰めるというよりもどうしても納得いかないのであれば、自身に縁のある地元の議員さんに陳状にいく案件だと思います。
私が属する自治体では、全額を負担されているご家庭は少ない印象です。
自治体から補助が出るご家庭も多いです。どうしても、経済的に負担が難しければ自治体に相談しても良いのかもしれません。
おそらく件のツイートの方も、
もしこの前のバレンタインジャンボで1等当選していれば業者を詰めようという思いに駆られたり、
全世界に発信してこのおかしさを糾してやろうなどどいう思いに駆られることはなかったでしょう。
もし、そうなのであれば、地道にゆかりのある地元の議員さんに陳状に通ってください。
労働条件が悪いからと不平を言ったり、そっち(保護者サイド)がいちゃもんつけるなら止めましょうと
その中を覗いていると、修学旅行について業務的な視点でしか語らない人ばかりで、
修学旅行の意義を真摯に門外漢の人に自分の言葉で話している人がいなくて残念でした。
私は修学旅行は教師が意義をブレずに持つことが大切だと感じながら日々を過ごしています。
この意義は自分の中でブレずに持っていないといけなくて持っていて、
自分がブレないものであれば何でもいいと思います。でも、持ってないとダメです。
それを持った上でどのように一つ一つの体験活動を教材化するかです。
このあたりを教えてくれる先輩がいないまま権利権利、〇〇ハラスメント〇〇ハラスメントと真顔で言っている人は、
本当に不幸な日々だと思います。
生徒や保護者目線であれば「旅行代高え、金ねえよそんなに」「ですよねー」で構いませんが
教師であればそれしか言葉を持っていないとなると日々が辛かろうなあと思います。
公立学校の教員としては「ハイハイ、意識が高くて本当に素晴らしいですね」でいいです。
そんなのは現場からほど遠いお役人や現場を知らないどこかの大学教授が己の欲望を叶えるために勝手にやってくれます。
大事なことは目の前のこの児童生徒にしてやれることが本当に少ない惨めさを噛み締めながら前に進もうとすることと
この人のことで自分は真に祈ることができるかどうかです。
京都じゃないけど、労組がくそ強くて社会党と共産党がクソ強い地域に住んでいる
クソ強いのはせいぜい10年くらい前までで、今は周辺選挙区より少し共産党が強いくらいだけど
具体的には、10年くらい前は、選挙になると数百メートルくらい全ての電柱に共産党と社民党のポスターが交互に貼られていたくらいの地域
比べると現在はかなり弱くなったけれど、昔の強かった頃の影響はずっと残っていて、障がい者や生活保護に対して今でも行政は優しいから関連する施設は周りより多いし、そういった方を対象にする民間の施設も多い
あと日教組を固められている
うちの県だけかもしれないけれど、日教組を特定の地域や学校に多く配属する
双方の利益というのは、日教組の教員はバラバラになるよりある程度固まっている方が活動しやすいし、教育委員会は面倒な日教組をまとめて対応できるから
10キロ離れた隣の自治体から越してくる人が驚くくらいにルールが違う、本当に
生まれ育ったとかじゃなきゃ、変な人が多いと思われるのはしょうがないと思う
それは障がい者とか生活保護が多いとかじゃなくて、住民の考え方が全く違うから
2022年7月、安倍晋三元首相を後ろから銃撃したとされる山上烈士こと山上徹也。
彼の人生を狂わせ家族をめちゃくちゃにした宗教団体への恨みはすごいものだったようで、非常に困難な材料の調達から作戦決行まで自前で行ったようだ。
かつて自民党は「膿を出す」とか言っていたが、自分が膿そのものだったわけだ。
一般的に容疑者とされる人物は非難にさらされて忘れ去られ、その後は健康で文化的な生活など夢のまた夢の苦しい生活となるのが常だ(冷たいねぇ日本人は)。
しかし、彼の時は違った。全国から金銭支援などの差し入れが殺到したそうだ。
金銭支援は、出所後の社会的更生(例えば、中退せざるを得なかった大学に再入学し教養と専門を身に付けるなど)や同じ境遇を持つ人たちの支援などで非常に有用だ。
決してテロ支援ではないことを言っておく。
というか、どうテロ支援につながるのか、それともなにかそういうデータがあるのか。感情的になってないで論理的に証拠も出して実名で説明してほしいものだ。
こういった有意義な使い道があるからこそ私も彼に金銭支援をしたいと考えていた。
…なんだけど、これが難しい事情がある。
金銭の差し入れは現金書留しかない。警察側に個人情報を握られる恐れがある。
警察側の公式声明がなく、個人情報の扱いがどうなるかについては憶測以上のものがないが、不安が残る。
もし警察に目を付けられて勤務先や教育委員会とかに連絡でもされたら大変だ。
もし懲戒免職処分になったら教員免許はく奪の上、一定期間再申請禁止となってしまう。
日本郵便とゆうちょ銀行がVISAプリペイド・仮想通貨決済で現金書留を送ってくれるサービスとか始めてくれたらうれしいんだけど。
やっぱり偽名で送るのが一番現実的かな。ただこれでも郵便局の監視カメラに映ってしまうし、徹也っちからのラブレターがもらえない。
ここで、読者のみなさんに聞きたい。警察関係者ならぜひ回答をお願いしたい。
①現金書留を徹ちゃんの勾留先に贈ったとして、差出人情報はどう使われるのですか?
めちゃくちゃムカついてるので憂さ晴らしと、注意喚起の意味を込めて投稿しておく。
卒業大学とは別の大学で、不足単位を補う形で免許の取得を目指している人がいれば、まあ大丈夫だろうと思うが、なんかの参考にしてほしい。
教員免許の取得申請をしに教育委員会に行ってきたが、今日になって初めて単位の不足が発覚し、一部申請が通らなかった。
去年の夏頃に一度単位の確認にも行ったのだが、その時には指摘されなかった部分で。
引っかかったのは、教科に関する科目の、「一般的包括的内容」を修められていない、とのことだった。以下説明。
「一般的包括的な内容」 とは、その科目の学問領域をおおまかに網羅するものであること、特定の領域に偏っていないものであることとし、学生の科目履修の際に一般的包括的な内容が担保 されるものであることとする(文科省HPより引用)。
なんのこっちゃという感じだが、ようは科目を履修する上で、「一般的包括的内容を網羅する科目」として指定されているものを取るか、一つの大学である程度まとまった単位取得をし、「一般的包括的内容を修めている状態」として大学に認められていなければならない、ということらしい。
私の場合、卒業大学と現在の大学で、だいたい半々くらいで教科の科目を取っていたのがよくなかった。運の悪いことに出身大学を卒業〜現在の大学に入る、の間に法改正が起きていたのも、状況のややこしさに拍車をかけたように思う。一応現在の大学の方では、「一般的包括的内容を網羅する科目」を必修としているそうなので(今日知ったが…)、普通に私の見落としではある。
ただ、これを今日知ったというのが、本当に悔しい。
複数大学で単位を取得し免許を取る場合、大学側からは「単位は自分で確認するか教育委員会に訊いてね」と言われる。そのため、半年前に教育委員を訪れたのだが、その時には、「一般的包括的内容」という単語すら出なかった。今日持参したものと同じ、学力に関する証明書を、両大学分用意していたのに、だ。
今日控えめに「夏に来た時は、そういう旨は聞いていなかったので、周知はしっかりしてほしい。確認の意味がない」とは言ったが、返答は「その時に対応したのは、私ではなかったものですから……」だった。
いや、その時の担当者も「今日の相談内容は課内で確認して、何かあれば連絡しますから」って言ってただろ。連絡なかったぞ。あんたもその時に確認する機会はあったんじゃないか?現場の一人の責任にしないために課内で確認するんだろうに、全員ザルじゃ意味ないだろう。
単位は取得できていると思っていたから、現在の大学はすでに退学している。ごく個人的なスケジュールの関係で、もう一度入学して取り直し、というのは、当分先のことになりそうだ。
私は運のいいことに、次の職場で教員免許が必須なわけではない。必須であったならば、どうなっていたことかと思うが……。
結構頑張ったんだけどなあ……仕事の合間に勉強したり試験行ったり、大変だったのになあ……。大学だって、仮に退学してなくても、半期分の学費、安いわけじゃないのにな……。
取り直したらまた来て下さい、なんて、簡単に言うなよ。
そうだね、隔離なんてコストかかる事に賛成してくれてありがとうね。学校で隔離すると、必要な教員数も増えるので、教員不足問題がますます加速するけど、それもあなたが何とかしてくれるんだね、妙案あるんだね、すごいね!それを、市の教育委員会か何かに言ったら、喜ばれるんじゃないかな。
別に、隔離なんてコストかかることしなくても、心臓病の手術お金ないです、日本では公金で補助するのやめますっていえば、手術なしでは生きられない我々は皆、死滅するんだよ。実際、1950年代ぐらいまでは、まともな心臓手術法開発されていなかったから、そのぐらいの年代で僕らと同じ病気で生まれてきた人は、皆、幼児のうちに死んでるよ。我々なしでも、日本社会は1950年代を過ごせたわけだよね。また、同じ状況に戻そうっていう法案を、人口の99%の健常者で結託して、採択すればいいだけだと思うよ。頑張ってね。