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はてなキーワード: 平行線とは

2022-06-03

人は全能じゃないんだからその人が立ってるポジションからしか見えないものはあるし見えてないものもある

サイバラさんちの揉め事でカッカしてる、サイバラの元ファンで、前にも作者に幻滅したことがある人は真実を知ったと思う前に持ってる単行本を開いて見直してみてほしい 答え合わせしか書いてないからよけいカッカしてしまうかもしれないけど、昔のあなたはそれを読んで好ましく思っていたのは事実だし

自分が騙されていたと思うなら、どの表現感情が引きずられたのか把握してみるのがいいと思うよ

サイバラエッセイ表現でええかっこをしただけで、嘘の比率は高くない

だいたいの人間はそうで、人に体験を話すときはよそ行きのかっこで語る

書いてあることはあくまでも物事の一面で、それは娘のほうもそう(鴨なにがしを美化しすぎている、最もこれは仕方ない面もあり、思春期前に親とわかれて現環境保護者との折り合いがうまく行ってない場合、高確率でわかれたほうを神聖化してしまう傾向にある、知り合いにもいる)

幻滅した、もう二度と読まないだとか本捨てただとか、これで何回めなんすか

嗅覚が鈍すぎる もう少し学習してほしい

なお

叩かれているサイバラ言動のうち、女は男に頼らなくても自分で稼いだ金で立たなくては行けない、ただし娘が勉強するための金は惜しむって矛盾田舎においてはそこそこあるパターンで(田舎基準学歴ちょっと良い人に多い)、こういう価値観人間に話は通じない これはこういう価値観なので、そういうとこで育った人だと思って距離を置くのが一番ストレスが少ない

本人は矛盾だと思っていないので平行線の会話が交わることはないんすわ

2022-05-30

anond:20220520180318

過ぎたことを事実ではなく感想で言ってもどこまでも平行線なのはわかっているので

理論武装で言い任せられないんだったら自分が折れるしかないんじゃないかと思う。

もちろんあなたの主張としてあなた視点で書かれているので、私からすれば

「この妻めんどくせーな。お前にも言いたいこと山ほどあるんだけど」と思うけれど、

きっと妻視点で見たら「この夫めんどくせーな」ときっと思うのだろう。

夫婦なんてのはどこまで行っても他人なのだから理解しあえないものとして

「あーはいはいごめんなさいね」で折れるしか解決方法はないと思う。

2022-05-25

anond:20220525201136

賢くない男ってすぐ影響されるから発症してからだと遅いぞ

リテラシー低い奴は薬で治らないし話しても平行線

切るタイミング間違えると地獄だぞ

2022-05-24

anond:20220523184058

これは持論を曲げない平行線増田おじの仕事だな

何書いてるのか分からんのに中途半端にバズらせる能力では群を抜いている

2022-05-23

気にしない人と気にする人

結局気にする人がその場から離れることでの解決になるの、なんか納得できないな、でもしょうがないのかな、モヤる、という話

例えば騒音

騒音を気にしない人と気にする人がいる

気にしない人は騒音を出してもノーダメ

気にする人にはダメージが入る

騒音を出さないでくれと言っても気にしない人はいまいちピンとこない

みたいな

上手くまとまらんかった

自分は気にする側なのだ

平行線というか、そこが違うともうどうしようもないというか

快適さとは

2022-05-21

絵柄を真似されたくないという感情

 Twitter上でたびたび話題となる『トレパク』の件について、日々さまざまな立場意見を目にする。それを追っていく中で、「落とし所を見つけておかなければいけない」と思ったこと、それが本タイトルだ。

 ※『トレパク』については考えるキッカケに過ぎないため、本文では実例には触れない。


 絵柄を真似されたくないという感情

 なぜ『感情』と書いたかというと、ひとの絵柄の真似をすることについて『善悪』で考えたところで、本当に辿り着きたいゴールには辿り着けない(平行線になる)からだ。

 そして、一次創作物の著作権知的財産権)に関わる話とは異なるステージの『悩み』として向き合うべきだとも思う。

 「嫌だ」という感情に「合法だ」と言い返しても、もとより「真似されたくない」という感情もつ人間は煮え切らない思いを抱えるだけだ。

 私が思うに、本気で違法行為だと思って喚き立てている人はほとんどいないのではないだろうか。

 ※法律に関する詳細は、専門家ではないため割愛する。

 ただ、嫌な気持ち自体が本物であるが故に、そうさせた相手悪者だと言うほか、自分を守る方法を知らないのだろうと思う。

 絵柄を真似されたくない人って、どうしたらいいんだろう。

 真似していることを咎められた時、どうしたらいいんだろう。



 絵柄。辞書意味を調べると、『工芸品・布地などの絵の模様の構図』とあるが、アニメイラストに対してネット通用されている定義の例としては

・主線の強弱

・人体のデフォルメ

・影,ハイライトの入れ方

・全体の色彩

・加工方法   etc

さらに細かく

・まつ毛の本数

・瞳の塗り方

涙袋の有無

・歯列の描き込み  etc

さらさらに細かく

・まつ毛のハイライトの有無

・瞳孔のサイズ,形,有無

・眼球のハイライトの幅,不透明度 etc

 これ、全部『絵柄』だ。イラスト構成している全ての特徴を『絵柄』の一言で表すことができるわけだ。

 それも、辞書に載っているような「絵そのものを指す言葉」ではなく、作者の「描き方の傾向・作風」という概念に対して『絵柄』と呼んでいるのが、恐らくネットアニメイラストを嗜む者の間)では当たり前の意味合いとなっている。(風景画などの絵画を嗜む方達も同じように使うのだろうか?)

 絵柄の類似に関する議論平行線になりがちなのは、中心の言葉が広義であることが、一因として割と厄介な役割を持っていると思う。

 絵柄。改めて考えると実にふわっとした言葉だ。

 私は趣味で絵を描いていて、常日頃『絵柄』が安定していないと感じているのだが、時たま「あなたの絵柄が好きだ」と言って頂ける事がある。しかも、稀にかなりの熱弁を受けることもある。

 それはそれは嬉しい。もったいない言葉だ。ありがたい。けれど、不思議だ。

 自分では自分の絵の特徴が分かっていないのに、他人からはそれが見えているらしい。

 もちろん、こだわりを持って描いている部位はあるから、そこを褒められると堪らない気持ちになるのだが、逆に全く意識していなかった部分をGOODと言われたりもするのだ。

 私が意識していなくとも、見る人にとってはそこが私の『絵柄』なのだ

 キャラクター主体アニメイラストにおいて、見る側が最も注視し、特徴を感じやすいと言われているのは、キャラクターの『顔面』。さらに言うと『目』だとの意見がある。

 「目さえ描き込んでおけば、顔の輪郭さえ整えておけば、髪などは多少線が雑でも『作品としてそれっぽく』なる」という話を聞いた事があるだろうか。それほど、目の印象はイラストの印象に大きく関与している事がわかる。

 ということは、言ってしまえば『目の描き方の特徴』に他の人との類似性があるだけで、直感的に「『絵柄』が似ている」と判断されやすいのではなかろうか。

 逆に言えば、それ以外の部分の類似はあまり気付かれにくいことになる。

 そして、この「直感」は普段、ひとの描いたイラストを「どれくらい解剖して観察しているか」によって、それぞれ見えるものが異なってくることは断言して良いだろう。

 作者がどんな『絵柄』を好み、どの部分に“意欲的に”取り入れているかは、絵を見た人に全てありありと伝わるものではない。

 また、作者の描き方自体100%意図されたものとも言えない。

 見る人によっては「目」という一つのパーツが、作者にとっては「まぶた」「まつげ」「眼球」「瞳」「瞳孔」「目頭」「目尻」の七つのパーツであったりする。(解剖とはこの事)

 私はだんだんと、「絵柄が似ている」という言葉不安定さが見えてきたようだった。

 「絵柄を真似している」の一言だけでは、意見としてあまり漠然としているのだ。

 「同じ時間に、同じ歯磨き粉を使って歯磨きをしている」という意見を「モーニングルーティンを真似している」という大きな言葉で訴えるようなものではないか

 正直、そんな主張はまったく滑稽だと思わざるを得ないところだが、きっとそれでも「嫌だ」と思う人はいるのだろう。

 『絵柄』に『流行り』がある以上、その第一人者はいたはずだ。流行りの絵柄というのは数年単位面白いほど変わる。『流行り』は『真似』で広がる。

 その第一人者が「真似されたくなかった」と思っていないとは言い切れない。自分で見つけた絵柄の組み合わせなのに、自分で見つけた表現の仕方なのに、簡単に真似しないで、という感情があったかもしれない。

 真似されたくなかったけど、我慢したのかもしれない。

 じゃあそれ、実際に言葉にしていたら、『絵柄の流行り』ってどうなっていたんだろう。

 どうして第一人者は「真似してほしくないと言わなかった」のだろう。

 自分の絵って、何に影響されて、何に感銘を受けて描いているんだろう。

 自分は“何を表現するため”に“絵を描いて”いるんだろう。


 今更だが、この日記は一つの答えを弾き出すものではなく、自分や読まれた方が、この感情を持ったり向けられたりした時にどう対処するのが「自分に合っていて」「ストレスが少ないか」を考える手がかりになればと思って書いた。

 絵は、人によっては手段であり、人によっては目的だ。

 どうしたって芸術は、誰かの真似の連鎖で生まれものだ。

 その事実を受け止めたとき、何を思うかは自由だが、『ストレスのない考え』を見つけることが、この問題のゴールになるのではないかと思う。

 ちなみに、私は知らない世界だが、ネットでは一人の絵柄を1から10まで全てコピーたかのような模倣をする人もいるらしい。そうなったらいよいよ法の出番かもしれない。


追記。私は好きなイラストの好きだと思った部分は積極的に真似している。仮に「真似しないでほしい」と言われたら、申し訳ないが私の好みが変わるまで待ってほしいと言うだろう。

https://togetter.com/li/1886609

俺も若い訪問販売を家にあげたことあるなあ

最初クリーニング屋と名乗ったけど羽毛布団の押し売りだった

50万の布団を買え、金ないならローンがあると迫られたけど、帰ってくれとの言い合いで平行線

これから予定があると嘘もついたけど、3時間に及ぶやり取りの最後に、予定なんて嘘だろと吐き捨てて帰っていったからやっぱりマトモじゃなかったな

2022-05-07

anond:20220507174730

その認識が歪んでいるので平行線です。

君は生まれなければよかった。それだけ。

2022-04-25

追記ありアイドルの書く字の綺麗さについて連番のオタクと揉めた話

クッソ長文になっても安心できるように結論だけ先に述べておくと、下の2点ね。

  • 字が綺麗でも汚くてもいいと思うし、それで詰められるのやだよね
  • 人に見せる場において、読めない字を書く奴は居場所がないらしい(けど、あってほしい)

いや~~~~~~~ほんっっっとにもにょった

経緯を説明すると、最近あるアイドルの周年ライブがあって、そこで過去自分未来自分に向けて手紙書いたよ、みたいな時間があったのね

で、みんながそれぞれ内容用意してて、まぁ刺さる部分もあったりふーんって思うところもあったんだけど、それが手書きだったものから、俺は字の形とか気になっちゃってそればっか見てた。

気になるって時点で察してるかもしれないけど、俺は字がくっそ汚くて、手紙大嫌い、印字大好き人間なんだけど、それ見ててはじめに思ったのはみんな読める字書くんだな~~~~~って事。

部首省略しちゃうとか、ちょっと丸いだとかは全然問題じゃなくて、全員読める字書いてて、なんだ、読める字書くやつしか居らんのが普通か……ってなんかなってた。それが悪いとかじゃないよ。

ライブで見せるやつだからそりゃそうかとは思うんだけど、増田みたいな字下手くそ人間から見るとちゃん人間してるんだな~ってなって、安心半分、無関心半分って感じになった。

「字の綺麗さとかで勝手に悲喜しとんなよ」って話は尤もで、だからここに書いてるんだけど、人数多いし一人くらい居るのかなとか思ってたから、うん……まぁみんな綺麗なのが普通よね~~てなってた。

って話をライブ終わりに連番のオタクと話してたんだけど、それで開口一番に帰ってきたのは「いや、下手すぎてビビった」って内容だった。

「えっ読めるし整ってたことね?」っつって聞き直したら「いや、普通に汚いと思ったし、崩れてるしであれはナイ」「そう思うのはお前の字が汚いから」「読める字書くのが当たり前」って3連パンチが帰ってきてマジでバチりそうだった。

文字が綺麗じゃなきゃって言うならそもそも全員印字で良いだろうが」「それでも手書きにしたのは筆致とか行間感情とかその子らしさを出したかたからだろうが」「いちいち俺の字の下手さと字上手いマウントをセットで擦ってくるのやめろ」と長文回答しかけたところで平行線になったのでそのまま会話が終わったんだけど、くっそ気まずくて笑っちゃった。互いになんなんだよこいつはって思ってる時間だったと思う。地獄か?

結局のところ、求めてる基準が全く違ったね、そうだね、ってするのがベストで、はてブならスルーするTwitterならミュートかブロックして終わりなんだけど、そいつとは妙に期間が長かったので微妙にさっぱりしなくて、移動中はキノコ生えそうな空間になった。

個人的にはアイドルの字の綺麗さ、汚さなんて本人は全然気にしなくていい、でもどんだけ綺麗でもどうこう言われるのって面倒だなって思った。俺なら絶対手書き文字ネットに挙げることはないだろう。印字万歳

なんか纏まらんくなったけど言いたいことはだいたい吐き出したと思うのでこれは終わり。字くらいみんな好きに書け!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!解散!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

追記

思った以上に連番が伝わってなくてなんかすまんかった。界隈の言葉って自覚せずに使っちゃうオタクの悪いとこよね。

今回のそれはライブ応募(抽選)の時点で決めた同行者なので、当日知り合うというよりは前々から一緒に行くぞ~って感じ。

ブコメにあるみたいに、各々で2席取って当たった方で連番するってのも出来たらしいけど、今は抽選の時点で相手名前メアドまで聞かれるからそういうのはできなくなったよ。ま、しゃーないよね。

あと白状すると、シャニマス4thのお話です。みんな気付くの早すぎでしょ。

字で人となりを判断するのはちょっと良くないかな、とも思うけど、この子ならこんな字書きそうだな~~~っていう肯定的な捉え方なら良いかなって思った。

雛菜の文字めっちゃポップで笑っちゃったよね。あと透の字が結構キレイだ……ってなってた。・・・結構っていうのは、失礼か?

個人的にはめぐるの文字が好きだった。アンティーカもみんなすき。みんな頑張ったね~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!

結局↑の連番オタクとはピリついたまま解散した。単なる解釈違いだけなら何も起きないんだけどさ、色々と棘が積み上がった上でぶち当たると、大怪獣バトルの引き金になるよね。

こんなしょーもないことで揉めんなよって指摘は尤もだけど、しょうがないじゃんそこ譲れないんだから。そういうもんでしょ?????????

両日参加で1日目でこれだったから、マジで2日目気まずかったな~~~~~~~~~~~~植物園みたいな湿度になったからさ、もうそれは終わりなのよ

補足するとそんな感じでした。4thライブ自体はすっげぇ楽しめたしユニットコラボ曲は最高だった。みんなもKiller×Mission聴こうな!!!!!!終わり!!!!!!!!!!!!

2022-04-23

結局たわわ問題がどう収束するかは選挙を待つしかないの?

正直表現の自由重視派とゾーニング派のやり取りは議論とは呼べないただの平行線の罵り合いだし、もう参院選まではこの流れが続くんだろうなと諦めてる

ゾーニング派は立憲・共産社民ジェンダー平等を前面に押し出し政党議員数をどれだけ増やせるか

表現の自由派はエロ表現の自由を重視する議員赤松健(自民)、藤末健三(自民)、石井苗子(維新)など)を何人通せるか

まあどうせ終わっても罵り合いは続くんだろうなあと思うが、少しは現実が見えるだろ

2022-04-22

フェミオタクも、お互いの一番頭のおかしい一部を相手全体像として攻撃してるから話が平行線になっている

フェミオタク全体がキチガイ撮り鉄レベルだと思ってるし

オタクフェミ全体がキチガイ左翼レベルだと思ってる。

真に正すべきはオタクフェミかではなく、双方のやっかい層だと思う。

2022-04-14

anond:20220414162420

補足だけど、だから

夫婦同姓派から別姓派は「家族の一員の正式メンバーになる気がない」「対外的家族正式メンバーであると示したくない」ように見える。

別姓派から同姓派は「個人の積み上げてきた功績も歴史も消し去ろうとしている」「行政金融出入国などの手続き煩雑さを女性にの押し付けている」ように見える。

同姓に伴う様々な不利益を消すか、別姓でも家族正式メンバーであることを明確に示すことのできる手段文化を創るかのどちらかをしないと平行線なのよね…復合姓とか手っ取り早いと思うけど…

anond:20220414155029

お互いに理解しあえないか永遠に平行線をたどる哀れなハレー彗星が推進派と反対派だ

2022-04-04

認知症の周りにいる人間

認知症のものというより、認知症祖母に対する母の考えについてかなりモヤッているため、私自身が納得したいがための文章国語テストでよくある「このときの作者の気持ちを答えよ」みたいな感じ。


私の父方の祖母認知症になって、3年くらいになる。

祖母と私の母は、今まで良好な関係だった。

しかし、認知症悪化で、祖母は私の母について「あれを盗んだ」「悪いやつだ」などというようになり、かなり嫌うようになってしまった。それに対して母が「あれが祖母の本性なんだ」と言って毎日泣いてる。

私の母は、私が生まれる前にはもうすでに母親が亡くなっていた。私が中3になる頃には、父親も亡くした。


祖母は、認知症になる前はかなり優しい人で、近所付き合いも活発で、面白くて元気な人だった。

なので、私の母はそんな優しかった祖母認知症になったとわかったとき、「せっかく良い人なのに、変な人扱いされるのはかわいそう」と、仕事をやめてまで介護をするようになった。

それが裏目に出たのか(軽くしか調べていないが、認知症は世話しすぎるとダメという話も聞くので)、祖母が私の母をだんだん「悪いやつ」扱いするようになった。

母的には「優しくしたいのに嫌われた」というショックから、「祖母はずっと自分のことをそう思っていた」「あれが本性だ」と自ら傷口をえぐっている状態になっている。祖母は、病気による思考回路バグでそう言っているだけで、本性だったとか、そんなことはきっとないはずなのに(本当に本性なのかどうかは、私にも誰にもわからないけど)。


そもそも私は、祖母病気でない状態ならば絶対に言わないことを言っているのだから、それこそが病気の証だと思うのだ。たとえ祖母が本性で母を嫌っていたとしても、病気でないなら絶対に飛び出ない言葉なのだ。飛び出ているということは、病気なのだ

そのへんのおかしさを、病気を飛び越して性格に結びつけているのかが、まず私の中で引っかかっている。


ただ、いろいろと母の愚痴を聞いているうちに、母は、祖母がそんな暴言を吐く人になってしまたことがただただ悲しいだけなのだ

暴言を吐いて人を盗人扱いするようになってしまい、悲しいのはわかる。しかし、私が「悲しいのはわかるよ」と言ってしまったところ、母から「お前にはわかんねーよ!」とブチギレられてしまった。

しかに、母のように両親を亡くしたこともなく、結婚もしてない私なので、義母に優しくされた経験もない。だからわかんないのはそうかもしれない。これは私の失言だったかも。

でもその悲しみの原因って、病気じゃないのか…と思ったところで、ひとつ思いついたことがある。

母はきっと、病気によって(本性がむき出しになり)暴言を吐く人になってしまたことを悲しんでいる。(「こんな人じゃなかったのに」のような感覚だと思う)

私は、病気になってしまたことそのものを悲しんでいる。(「こんなふうになってしまうんだ」という感覚)

ここで私と母の間で、わりと大きめな認識の違いが出てしまってるんだなと思った。


私の父は、前に母が「あれが祖母の本性だ」と言っていたときに、「病気になる前の祖母が本当の祖母だよ」と言っていたところからみると、私と似ている感覚だろうなと思う。

父の兄(私の伯父)は、祖母に対する当たりが強いので、おそらく母タイプの考え方をしているような気がする。


この仮説を思いついたときいくら病気からしょうがないんだよ」と言っても、なんにも母の慰めにも気休めにもならなかった理由が少しわかったような気がした。

病気についてショックを受けているのではなく、「こんな人になってしまった」ことだけがきっとショックなのである

「こんな人になってしまう」ということは、もともとの本性なのでは? という母の考え方なのかもしれない。火のないところに煙は立たない的な。

ただ、私としては、火のないところに煙が立ってしまうのが病気だと思っているので、もうずっと平行線なのだろう。

きっと私が母を慰めることはもうできないのかもしれない。

私が慰めたところで、母の考え方の否定しかならないのだろう。


ではなぜ、母は「もともとの本性なのでは?」と思ってしまかについて。

母は、もしかしたら祖母と過ごした時間について自信を持てていないのかもしれない。決めつけることはできないけれど。


まず、私がどうして母とは違い、祖母暴言やとんでもない嘘をすべて「認知症から」で片付けられるのかというと、「こんな人ではないから」と思っているかなのだ

最初に言った話に戻ることになるが、病気じゃないなら「ここにあった服がない」→「母が盗んだ!」なんて思考にはおそらくめったにならない。「服がない」ことに対して、普通なら「間違って捨てた?」「どっかそのへんのタンスの奥にあるのかな?」などが先にくるはず。それをすっ飛ばして「盗んだ!」なんて普通は言わない。

仮に盗んだ思考にたどり着いたとて、絶対に身内に向かって、あなたの母が盗んだのよ! と叫んだりしない。普通感覚ならそういう言動をする祖母おかしく思うはず。私は祖母が、元からそういうおかし言動をとる人であったとは絶対に思わない。

それは、私が認知症になる前までずっと見てきた祖母の姿こそが、本来の姿だと思って疑わないし、そうだと信じてるから

父もおそらく、母に言っていた言葉から察するにそう思っているのかもしれない。


ただ、母は自分ターゲットにされているからなのかもしれないが、「ここにあった服がない」→「母が盗んだ!」なんて思考にはおそらくめったにならないはずなのに、母的には「ここで私の名前が出てくるってことは、元から悪役候補だった?」という予測変換ができてしまっている。

私の考えに当てはめると、それは母と祖母関係が私の見えないところではあまり良くない時期もあって、母が祖母が「そんなとんでもないことを言う人ではない!」と信じきれずに、「言いそう」だとか「元から嫌われてた」と思ってしまうんじゃないかな。

ただの憶測しかないけど。


もし、憶測が本当なら、私は母に、認知症になる前の祖母のことをもっと信じてみてほしいと願ってしまう。

ちゃんと良い関係であったと、今はもう思い込みでいいから思っていてほしい。

認知症で人が変わってしまったとしても、それってなりたくてなってるわけじゃないと思うから

そんな、本性むき出しになったなんて言わずに、ただただ思い出を大事にして信じてほしい。

もちろん、母の気持ちも汲み取って、祖母には暴言妄言をする機会が減るようになんとか工夫したい気持ちもあるが簡単じゃないんだろうなという気持ち


なんだか、本当に悲しい病気だなと思う。


それと同時に思うのが、私はこうなる前に、というか、こうならずにとっとと亡くなりたい。

2022-03-31

修了しました

どうしてこんなことになったんだろう。ここ数年で何度も思ったことだ。

これは奇妙な巡り合わせで出会った私にそっくりの友人が大学卒業時に書いた文章の書き出しである。この鏡合わせの彼が書いた文章を何度も自分事のように反芻してきた私は今年大学院を出る。修了という立場に際して、私も少し自分語りをしてみようと思う。他人自分語りなど興味の無いという方もたくさんいるだろうから、そういう方はこの時点で引き返してほしい。思うままに書き殴っているので読みづらいし長いと思うが、それに我慢できる人だけ読んでもらえればと思う。

・生い立ち

私はごく普通環境で育ったと思っている。地方在住で金持ちでも貧乏でもない家で、両親は優しくて、友達もいた。小中学生のころの自分一言でいうと優等生気質だった。学校勉強はそこまで苦にしなかったし、危ないこともしなかった。先生の言うことには従っていたし、学級委員を務めたりするタイプ人間だった。強いて言えば両親が少し頑固だったくらいだ。

小学校では初めに陸上クラブに入った。運動は苦手かつ嫌いだったし、何よりブラスバンドのようなクラブがありそちらに入りたかった。父が無理にでも私を陸上クラブに入れたのは運動の楽しさを知ってほしかったのだと思っている。運動神経のいい父にしてみれば運動は娯楽だったのかもしれないが、運動神経が壊滅的な私にとっては純粋身体能力を問われる陸上は苦しかった。そのため5年生からブラスバンドやらせてくれと懇願した。タダで許してくれるはずもないので中学では運動部に入ると交換条件を付けた。5年生から始めたトランペットは本当に楽しくて練習した。6年生の途中からは1stトランペットを担うこともできた。

中学では周りの部員吹奏楽部に行くのを横目に約束通り運動部に入った。誤解のないように言っておくと別に部活動自体は楽しかった。ただ音楽から聞こえてくる音を聞くたびに自分もこの中にいたらどうだったろうと思うことは度々あった。中学では同学年内でいじめもあって、被害者ではなかったものの学年中を巻き込みつつも教師黙殺しているそれに優等生気取りの私は心を痛めたものだった。その頃の私はもっぱら公正世界仮説(当時この言葉は知らなかったが)の敬虔信者であり、親や先生にほめられている優等生自分はいつか報われるし、逆にいじめなんぞ加担している人間はその人間からどこかで破綻すると思っていた。

 高校は少し離れた進学校に入った。近隣の学校に行く人が多かったが、いじめの件もあり彼らと距離を置きたい気持ちも大きかった。流石にレベルの高い授業でもあったが、モラル教養を持った人が多く非常に楽しい生活を送った。高校部活軽音部と兼任しようかなと考えていたが、他方の顧問専任希望するような言い方をしたので諦めた。別に悪い人ではないと思うが、他人に機嫌を取らせるタイプ人間だった。高校では成績をぐんぐん落とした。周囲のレベルの高さもそうだが、私には2点の欠陥が見え始めていた。1つは努力中学生まであまり勉学に苦労しなかった私は勉強に労力をかける癖がなかったし。加えて苦手な運動は一向にできなかったし、好きな人アプローチしても付き合えなかったし、理論武装して親に頼み込んだことも結局許されなかったり、努力してできた経験と言えば自転車の補助輪を外すときくらいのものであったように思う。努力の数と成功体験の数なんて鶏と卵かもしれないが、努力をした経験もおそらく人よりは少なく、努力が実った経験もっと少ない人間だったように思う。もう1つは先天的能力限界である。これまでの自分は「丁寧に教えてもらえば理解ができる」という能力を有していたと思っている。中学生までの自分が苦労しなかったのもこれが原因だと思っている。しか高校3年生になると少しそれに陰りが見えているのを人知れず自覚していた。周囲の人間には見えていないようで、親や先生は褒めてくれるし、同級生から勉強ができるという認識をされていた。

 3年生になると嫌でも受験を考えなければならなくなる。私はどこに行って何をするのだろう。勉強は好きではない。高校では文芸部の本に部外から投稿してすごく評判が良かったし、文化祭の劇の脚本演出担当して最優秀賞を取れた。そのあたりの活動は楽しかったしクリエイティブなことがしたいかな、あと音楽。それとなく親に専門学校の打診してみたけど、4年制大学に行けといわれた。「いい大学に行けばいい企業に行けるからね」と言われてきていたし、親心としてはそんなもんだよねと理解した。自分としてもレールを外れることに恐怖はあったし、レールに従うことで周りと同じように大学に行って、就職して、結婚して子供を作って、今の家族のような生活が送れるならそれでいいと思っていたのでじゃあ普通大学に行くねとなった。

 問題になるのは何がやりたいかである。私がやりたいことって何だったんだろう。結局見つからなかった。そこで親がアドバイスをくれた。

「まだやりたいことが見つかっていないなら、ここに行けばいいんじゃない?」

親が指し示した大学は、入学時に専攻を決めなくてよいという特殊制度もつ大学だった。みなさん名前ぐらいはご存じの都内大学である。幸か不幸か、私にはそこを目指せるだけの能力はあった。

長くなったが、これが地獄の幕開けである

大学という場所

1浪しなんとか2年目で合格して大学1年目。はじめに学んだ格言がある。

大学では勉強サークル恋愛バイトのうち2つしかできない」

勉強は好きではないので、サークルバイトをやるんだろう、恋愛もあるのかななどと入学後の私は胸を躍らせていた。憧れのバンドサークルにも入った。周りは経験者なので食らいつこうと頑張った。大学から帰って仮眠を取り深夜の安いパック料金で明け方までスタジオ個人練、シャワーを浴びて大学へ。その生活をしていたら資金ショートした。親にバイト禁止されていたため練習交流のためのお金が足りず、実力もつかず人脈もできずにフェードアウトした。

 大学の授業はひどく不親切であった。大学レベルも相まって何をやっているのか理解できなかった。高校の時に疑問を持っていた内容が解決されるかと期待していたが、それらは大体1,2回目の講義解決してしまものか、もしくは深くがっつり専攻しないと理解できないようなもののどちらかで、学ぶモチベーションにはつながらなかった。教える側も教科書も「説明してはいる」「書いてはある」という感じで、高校までのようにわかやすくとはいかなかったから、「丁寧に教えてもらえば理解できる」タイプの私では太刀打ちできなかった。つまらないし時間無駄に思えて次第に講義休みがちになった。

 それでも、とりあえず大学を出れば何とかなると思っていた。ここで耐えている自分はきっと報われると思っていた。好きなもの大学で見つかればいいし、そうでなかったら高校までの勉強ができるから教師になればいい。これが1年目の私であった。

崩壊

 初めてショックを受けたのは成人式のことだった。新成人代表として何人かの陽キャ集団が壇上にあがった。式の前後に彼らと会ったがある人はバツが悪そうに私から目をそらし、ある人は肩を組んで話しかけてきた。どちらもいい気はしなかった。彼らはいじめの関係者である。なんで彼らの方が人生謳歌しているんだろうか。その時にふと思った。「結局彼らは世渡りがうまかったんだ」と。くだらない正義なんて捨ててその場で空気を読んで得なほうに回るっていうのが正解で、黙殺していた奴らもそうだったんだ、なんて自分は愚かだったのかと。そう考えてみると社会に明確な悪役はいなくて、したがって明確な正義存在しない。正義道徳立脚した自尊心のなんと脆いことかと思い知らされた。

 そして、もう一つ。親や教師というのもまた所詮人間だとこの年になって気づいた。この中の何人かが数年のうちに教師になって、親になる。はっきり言って話の通じない人だっているが、そんな人も年さえ取ればいつかは親や教師になりうる。だから黙殺した教師も、話の出来ない親もおかしくはない。じゃあ私が優等生してきた、私が正しさの根拠としてきたものは何だったんだろう。優等生であることを数字で示してくれるものは成績くらいしかない。世渡りが下手で運動などの技能も持たず、それでも私が公正世界仮説を信じてこれたのは、案外「勉強ができること」に依存していたのかもしれない。勉強しかできないやつだけど勉強ができるから何とかなる、そんな風に自分無能さを騙して生きていたのかもしれない。

 さらに拠り所の勉学さえ崩れ落ちた。留年が確定したのだ。受験でも足を引っ張った物理がとことん苦手で何も理解できなかった。2年目は学費負担を減らすべくバイトをさせてもらった。サークル活動事実上全部やめ、バイト勉強の日々が始まった。バイト先は学生が割と多かったため、みんなと仲良くなれた半面、繁忙期が重なった。私は試験前はむしろシフトが増加し、結果的に致命的な必修単位だけ落としてしまった。2留である。親に電話して事情説明した。単位くらい取れとストレートに怒られるかと思った。代わってあげる優しさを評価しつつもやりすぎだと注意されるかもとも思った。

あんた人にいいように使われてるだけでしょうが

人にやさしく優等生してきた自分生き方への批判自分が仲良くしている人たちへの非難ダブルパンチで頭に血が上った。怒りで何も言葉が出ずに何秒か無言の後電話を切って、壁を殴った。

数日すると気分が落ち込んできた。親はそれを「単位を落としたから」と解釈したようであるが、全く違う。私は他の人が当たり前のようにサークルバイト恋愛を掛け持ちして進級している中で、バイトしながら進級できなかった。私は当たり前のことすら満足にできない無能であると、薄々感じていた自分無能が隠せなくなってしまったのである

 3年目は再びバイト禁止した。クラスでの試験対策仕事もやり、その科目の勉強をしなければいけない状況を作った。サークルとしては冒頭の彼の紹介で新しいサークルに入った。サークルでできた友人とは本当に仲が良く、勉強を助けてもらったり、サークル関係なしに遊んだ大学での生活の基盤になった。助けてもらえる人も増え、自分学習するようになり、この年の上半期では単位の取得ができた。しかし、私が感じていたことは決してポジティブなことではなかった。私がこの年の経験でわかったことは「お前はやればできるが、環境サポートがあって自分勉強してもちゃんとできるのは2単位」ということである。私は2年で70単位以上取得する想定のカリキュラムを、半年で2単位しか取れない脳みそでやっている。無能すぎてもはや卒業が無理なのではないかと思った。

公正世界仮説評価軸としてきた大人たちへの信頼、自身の実力への評価の3つが音を立てて崩れて、この時私は確かに一度死んでしまった。このことに気づく前の自分に戻れなくなってしまった。中学いじめがらみで「死にたいけど死ぬ勇気もない」って言ったときに「死ぬのなんて勇気って言わねえ」って怒鳴りつけてくれた友人がいた。

・専攻決定

4年目にして2年生。この年は諸々の事情クラスから孤立した。喧嘩別れのようなものである。私としても仲良くする気はなかったので1人でどこまでできるかやってみようと思った。結果は惨敗だった。単位取得こそぎりぎりできたものの私はこの大学では人に寄生しないとやっていけないと気づかされた。

そして、4年前に選択先延ばしにしたツケの返済期限が来ていた。専攻の決定である。結局4年間でやりたいことは見つからなかった。勉強面白くないし、勉強以外の何かを思い切って始める余裕もなかった。教員になろうかとも思ったが、それもかなわないと思った。教職卒業単位には含まれないため、追加でいくつも講義を取る必要がある。通常のカリキュラムすらまともにできない私にそれは無理だろう。ちなみに私と同じく成績の芳しくなかった冒頭の彼は教職を志して単位を取得しに行ったが、弊学では満足に教職まで取り切れなかった。教職を目指した世界線の私もきっとこんなものだろうと思ってしまった。

理系科目はわからなかったので、唯一興味がわいた心理学を専攻しようと思った。しかし、成績が足りなくて進むことが絶望的だった。ここで初めて間違いに気が付いた。この大学システムは何をやりたいか不明瞭な人間を救済するシステムではなく、やりたいことや才能が複数ある人間選択肢を与えるシステムなのだと。私などがこの大学には来てはいけなかったんだと激しく後悔した。

このシステムでは通常、成績が足りなければ次の年に再挑戦することができる。しかし、私は4年目であったがために在学年限が迫っており、この年で専攻を決定しなければならなかった。そのため、当時人気の低かった化学を選んだ。化学は苦手で高校化学すらわからないが「とりあえず大学を出れば何とかなる」のであれば、と苦渋の選択をした。

実験異変

5年目、3年生。1限からの授業と週3回の実験があり、9時-18時のような生活になる。実験には予習とレポートがあるため、実際の拘束時間はこれより長い。何とか4月を乗り切ったところで、レポートを1つ残してしまった。GWに入ってレポートをやらなければと思って毎日机に向かおうとした。いや、向かったこともあった。だが、ペンを持っても何も書けない。そのまま時間が過ぎてごはん時になり席を外してご飯を食べる。そんな日が続いてGWの最終日、床にへたり込んで泣いた。書かなきゃいけないと思いつつも1文字も書けなかった。

 3年生の必修は実験だけだったので、他の単位犠牲にしてでも取ろうと考えた。1時間だけ講義を休んで...その1時間を何も書けずに終えた。これを繰り返してほぼ全ての講義を欠席した。次第にいろいろおかしくなっていった。頭痛もちでもないのに頭が痛みだした。文字が読めなくなり、教科書はおろかネットニュースくらいの簡単文章でも字が滑るようになった。1日にできることがゴミ出しと洗濯くらいになり、起きて寝る以外に食事、入浴、ソシャゲの周回くらいしかしてない生活になった。

 溜まりに溜まったレポート夏休み前に呼び出しを食らったことで、無理やり夏休みを使って消化した。歯を食いしばりながら全部消化したことは覚えているが、歯を食いしばればできたことがなぜここまでできなかったのかこの時は疑問だった。

 4年生になり、大学院へ進学することになったが、大学院の手続き入試勉強、足りなかった単位試験勉強などでタスクが溜まった瞬間、この症状は再発した。友人の勧めを受けて学生相談所に通うことになった。

能力環境

学生相談所のカウンセラーはいい人だった。いろいろお話をして気持ちは和らいだ。専門的なこととしてはWAISの検査を受けた。結果は処理速度だけが異様にへこんでいる格好になった。別に数値は低くないので大丈夫と言われたが、「問題の有無は環境によって決まりませんか?能力の高い人が集まる環境ではそれなりの能力要求されますよね?」という質問には満足のいく回答は得られなかった。

 親にも何度か愚痴を言ったことがある。そのたびに「あなた世間一般には優秀だから大丈夫」と返されるのである。何が大丈夫なんだろうか。”今の環境”が辛いと言っているのに”世間一般”という別の集団を持ち出して何の救いになるんだろうか。これ自体も言ってみたことがあるが「なんでそんなこと言うの」と言わんばかりの困惑した顔をするだけだったのでやめた。別に親以外でも同様のことを言う人はいる。世間一般評価邪魔をして、まともに助けを求めることすらままならない。内部の人間から見て無能で、外部の人間から見て有能な私は、共感を得られる対象がとても限られていて苦しかった。大学ブランドという呪いにかけられて苦しかった。

 やりたいことをやれていればよかったのだろうか。サークル作曲体験させてもらう機会があった。でも続かなかった。結局忙しいとかいろいろ言ってインプットから逃げている自分がいる。クリエイターにはなれなかっただろうなと思った。好きなことも頑張れない自分に「自分が勉学を頑張れなかったのは勉強が嫌いだからじゃない、努力が嫌いなんだ」という事実を突きつけられてまた悲しくなった。あれほどに信じてきた公正世界仮説は「お前が苦しいのはお前が間違ってきたからだ」と自分に牙をむき始めていた。

・進学と私

大学院へ進学することにした私だが、実は私は望んでいなかった。学部時代夜遅くまで研究に勤しむ先輩たちを見ていて「私にこれは無理だ」と実感していたかである研究への熱意はおろか、化学への意欲も知識もないのである。ただでさえ病む人が多く出る大学院という環境にこんな人間が行くのは自殺行為に他ならない。そのため、私は就職を強く希望した。しかし、親にそれを伝えると「今のお前に就職はできない」と言われた。就活を終えた今だから言えるが、これは正しかったように思う。議論は「就職はできないから進学しろ」「院でやっていけないか就職させろ」の平行線で、就職も進学もろくにできない無能をぼこぼこにリンチするだけで生産性はなく、結局「とりあえず進学はするがいつでも辞めてよい」という落としどころになった。

 私は院試に落ちるのが最適解だと思った。学力もないので真面目に受けても受からないだろう。院試を受けたけど落ちましたというのが親にも研究室にも一番角が立たない。しかし、筆記試験が思ったより点数が低かったのか通ってしまった。面接をすっぽかすことも考えたが、会場に研究室の先生方がいるかもしれないことを考えると気が引けた。面接では辞退の意思を伝えるつもりだった。面接官と私だけの秘密である。私は院試を受けて落ちたのだと周りに言えばよい。

 Permalink | 記事への反応(0) | 23:43

anond:20220331191030

まあ確かに当然そう認識しておくべきなのは当然なんだけど、どこまでが広く認識されてるかはちょっとあやしいかなあと……

まあ正直このあたりはどこまでを一般常識と捉えてるかとかが人それぞれだから平行線になる話題だとは思う。

あと、個人的にはそのへんよりも成人相手云々の話とごっちゃになってる点のがより問題かなあ

2022-03-24

anond:20220324170058

ここに書いてあることは社会共通認識のつもりなんだが

一方が「厳密には差別だろ」で平行線なんじゃないか

追記

表現の自由なんとかさん達もだいたい同じ様なこと年から年中言って粘着してるな

2022-03-22

叩く側は一番ひどい意見を持ち出し、擁護する側は一番マシな意見を持ち出す

お互い全く違う前提の上でやりあってるので当然、永遠平行線

匿名での議論ってホンマにクソ。

もろちん、この匿名での議論ってホンマにクソっていうのは一番ひどい匿名での議論を持ち出して叩いているのであって、擁護しようと思えば匿名でも専門家(と思しき人間)が有用意見を戦わせた議論を持ち出すこともできる。

でも、基本クソでしょ。マジで

2022-03-10

anond:20220310201446

してないよ

お互いの主張が平行線のまま協議も何も終わってる

anond:20220310115050

2018年レーダー照射事件って何らかの解決に至ったんだっけ?

今の問題についてすら主張やら証拠やらが平行線和解できないのに

過去問題について解決合意できるのかね

2022-02-28

陰謀論とか反ワクの人たちって「気づく」「気づいた」って表現が多いのは何でなんだろう。

陰謀論とか反ワクの人たちって「気づく」「気づいた」って表現が多いのは何でなんだろう。

自分場合意見対立したり自分とは価値観が合わなくて平行線になったときって

自分は~だと思う(考える)」

って文面になると気がするんですけど、何故かそっちの人たちは

あなたは(or不特定多数他人は)気づいてない」

って表現議論を避けたがるように見えるんですよね。

あんまりそういう人たちの感想自分から探したりましてや晒し上げるようなことはしないんだけど、

ここ数日ウクライナ-ロシア情勢のことを軽くTwitterトレンドから追っただけでちょこちょこそういう人のツイートを見かけるんですよね。

相手攻撃する意図があるから、ってのもありそうなんですけど、

同じくらいやっぱり「気づいた側」っていう優越感のようなもの承認欲求をモリモリ満たしてくれるのかもしれないですね。

からタコピーまりちゃんママみたいな何にも満たされない感情の行き場になりやすいのかもしれない。

と「気づいた」。

2022-02-24

フェミ「男らしさを降りてもいいんですよ」男「モテなくなるじゃん、女はクソ」

女が女らしさを降りるときには、モテことなんて考えちゃいないんだよな。むしろクソオス寄ってくんな死ねって感じ。

一方で男は男らしさは降りたいは降りたいけどモテたいよおおおおお女はどうせ男らしい男が好きなんだろ、クソマン死ね、みたいな感じじゃん?

女はセックスしなくても別に?って感じだから「降りられる」んだろうな。まあ妊娠リスクあるし、基本的にはそんなにいらんのだろうね。これもう生物学的な特性から一生平行線だよね。

2022-02-16

anond:20220208171949

こころぴえん⑨



私の知る限り先生奥さんとは、仲の好い夫婦の一対であった。

お祭り新婚旅行、ディナー、タグ付けで幸せな日々が全部タイムラインに流れてきた。

それを私が眺めながら別の人に恋をしているとき

先生もたまーに電子カルテを覗いていたという。


ちぐはぐな世界でちぐはぐな感情を紡ぎながら私たちはそれぞれ交わることのない平行線の点Pと点Oとして歩みを進めていた。


幸せそうにタイムラインタグ付けされて流れていく先生

私は先生が少しだけ恋しかったけれど、先生幸せを味見するだけで腹八分目程度には満たされていた。

問いは絶えずに浮かんで消えて行ったが、それが私にとっての苦しみだとは特に感じていなかった。


先生がどんなに苦しんでいるか、これも私には想像の及ばない問題であった。

2022-02-15

anond:20220215112603

店の問題じゃなくて、個々人のデート初デート)に対する認識の差が問題本質から店の話をしても永遠に平行線

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