※認知症そのものというより、認知症の祖母に対する母の考えについてかなりモヤッているため、私自身が納得したいがための文章。国語のテストでよくある「このときの作者の気持ちを答えよ」みたいな感じ。
しかし、認知症の悪化で、祖母は私の母について「あれを盗んだ」「悪いやつだ」などというようになり、かなり嫌うようになってしまった。それに対して母が「あれが祖母の本性なんだ」と言って毎日泣いてる。
私の母は、私が生まれる前にはもうすでに母親が亡くなっていた。私が中3になる頃には、父親も亡くした。
祖母は、認知症になる前はかなり優しい人で、近所付き合いも活発で、面白くて元気な人だった。
なので、私の母はそんな優しかった祖母が認知症になったとわかったとき、「せっかく良い人なのに、変な人扱いされるのはかわいそう」と、仕事をやめてまで介護をするようになった。
それが裏目に出たのか(軽くしか調べていないが、認知症は世話しすぎるとダメという話も聞くので)、祖母が私の母をだんだん「悪いやつ」扱いするようになった。
母的には「優しくしたいのに嫌われた」というショックから、「祖母はずっと自分のことをそう思っていた」「あれが本性だ」と自ら傷口をえぐっている状態になっている。祖母は、病気による思考回路のバグでそう言っているだけで、本性だったとか、そんなことはきっとないはずなのに(本当に本性なのかどうかは、私にも誰にもわからないけど)。
そもそも私は、祖母は病気でない状態ならば絶対に言わないことを言っているのだから、それこそが病気の証だと思うのだ。たとえ祖母が本性で母を嫌っていたとしても、病気でないなら絶対に飛び出ない言葉なのだ。飛び出ているということは、病気なのだ。
そのへんのおかしさを、病気を飛び越して性格に結びつけているのかが、まず私の中で引っかかっている。
ただ、いろいろと母の愚痴を聞いているうちに、母は、祖母がそんな暴言を吐く人になってしまったことがただただ悲しいだけなのだ。
暴言を吐いて人を盗人扱いするようになってしまい、悲しいのはわかる。しかし、私が「悲しいのはわかるよ」と言ってしまったところ、母から「お前にはわかんねーよ!」とブチギレられてしまった。
たしかに、母のように両親を亡くしたこともなく、結婚もしてない私なので、義母に優しくされた経験もない。だからわかんないのはそうかもしれない。これは私の失言だったかも。
でもその悲しみの原因って、病気じゃないのか…と思ったところで、ひとつ思いついたことがある。
母はきっと、病気によって(本性がむき出しになり)暴言を吐く人になってしまったことを悲しんでいる。(「こんな人じゃなかったのに」のような感覚だと思う)
私は、病気になってしまったことそのものを悲しんでいる。(「こんなふうになってしまうんだ」という感覚)
ここで私と母の間で、わりと大きめな認識の違いが出てしまってるんだなと思った。
私の父は、前に母が「あれが祖母の本性だ」と言っていたときに、「病気になる前の祖母が本当の祖母だよ」と言っていたところからみると、私と似ている感覚だろうなと思う。
父の兄(私の伯父)は、祖母に対する当たりが強いので、おそらく母タイプの考え方をしているような気がする。
この仮説を思いついたとき、いくら「病気だからしょうがないんだよ」と言っても、なんにも母の慰めにも気休めにもならなかった理由が少しわかったような気がした。
病気についてショックを受けているのではなく、「こんな人になってしまった」ことだけがきっとショックなのである。
「こんな人になってしまう」ということは、もともとの本性なのでは? という母の考え方なのかもしれない。火のないところに煙は立たない的な。
ただ、私としては、火のないところに煙が立ってしまうのが病気だと思っているので、もうずっと平行線なのだろう。
きっと私が母を慰めることはもうできないのかもしれない。
私が慰めたところで、母の考え方の否定にしかならないのだろう。
ではなぜ、母は「もともとの本性なのでは?」と思ってしまうかについて。
母は、もしかしたら祖母と過ごした時間について自信を持てていないのかもしれない。決めつけることはできないけれど。
まず、私がどうして母とは違い、祖母の暴言やとんでもない嘘をすべて「認知症だから」で片付けられるのかというと、「こんな人ではないから」と思っているからなのだ。
最初に言った話に戻ることになるが、病気じゃないなら「ここにあった服がない」→「母が盗んだ!」なんて思考にはおそらくめったにならない。「服がない」ことに対して、普通なら「間違って捨てた?」「どっかそのへんのタンスの奥にあるのかな?」などが先にくるはず。それをすっ飛ばして「盗んだ!」なんて普通は言わない。
仮に盗んだ思考にたどり着いたとて、絶対に身内に向かって、あなたの母が盗んだのよ! と叫んだりしない。普通の感覚ならそういう言動をする祖母をおかしく思うはず。私は祖母が、元からそういうおかしな言動をとる人であったとは絶対に思わない。
それは、私が認知症になる前までずっと見てきた祖母の姿こそが、本来の姿だと思って疑わないし、そうだと信じてるから。
父もおそらく、母に言っていた言葉から察するにそう思っているのかもしれない。
ただ、母は自分がターゲットにされているからなのかもしれないが、「ここにあった服がない」→「母が盗んだ!」なんて思考にはおそらくめったにならないはずなのに、母的には「ここで私の名前が出てくるってことは、元から悪役候補だった?」という予測変換ができてしまっている。
私の考えに当てはめると、それは母と祖母の関係が私の見えないところではあまり良くない時期もあって、母が祖母が「そんなとんでもないことを言う人ではない!」と信じきれずに、「言いそう」だとか「元から嫌われてた」と思ってしまうんじゃないかな。
もし、憶測が本当なら、私は母に、認知症になる前の祖母のことをもっと信じてみてほしいと願ってしまう。
ちゃんと良い関係であったと、今はもう思い込みでいいから思っていてほしい。
認知症で人が変わってしまったとしても、それってなりたくてなってるわけじゃないと思うから。
そんな、本性むき出しになったなんて言わずに、ただただ思い出を大事にして信じてほしい。
もちろん、母の気持ちも汲み取って、祖母には暴言や妄言をする機会が減るようになんとか工夫したい気持ちもあるが簡単じゃないんだろうなという気持ち。
なんだか、本当に悲しい病気だなと思う。
それと同時に思うのが、私はこうなる前に、というか、こうならずにとっとと亡くなりたい。