はてなキーワード: レスポンスとは
SOHOになって細々やってんだけどさ。
困る客が、「今月中にお願いします!」とかまあ急ぎの案件なわけよ。そこでこちらも可能か検討して、月の後半は別の仕事入れないようにとか調整した上で請けるわけ。
ところがいざ着手してみると、順次送られてくるはずのデータ・素材・確定仕様などが先方からなかなかあがってこない。来るまでこっちは待ち状態になるのに、レスポンスが遅い。
結果、作業が進められないので納期を割る。向こうのせいなのでこちらの責は問われないんだけども、要は元々の合意をなあなあにされてるわけで、作業スケジュールや入金(完成しないと請求できないので)が遅れて迷惑する。
今年、一年間の浪人生活を経てようやく大学に進学することが出来た。
私の進学した大学はいわゆる「高学歴」といわれるような大学であり、生徒数も全国でも有数のマンモス校である。
なれない大学生活もあっという間に過ぎ、前期も終わりに近づき、学内には期末テストで終われる生徒の姿を見かけるようになった(かくいう私もその一人なのだが)。
過去問探しに奔走し、必死に友達にすがる。私の通う大学には付属校があるため、そこからエスカレーターで大学に入学した人は
先輩たちも多く重宝されるのだ。そんな時ふと思うのが、「友達って一体なんなんだ」ということである。
自分は友達が少ないほうだと思う。お昼ごはんを一人で食べることも少なくないし、休日は一人で本を読んですごすことが多い。
だが、お昼ごはんを食べる人間が、休日を一緒に馬鹿騒ぎしてすごすことが出来る人間が友達なのか。
それってただの知り合いじゃないって思っちゃうわけです。
だれでもいいわけでしょ。寂しさを紛らわせることが出来れば。寂しいのがいや。そういう感情があるから、群れたがるわけでしょう。
だから、入学当初に必死にアドレス集めに奔走するわけでしょう。では、あなた。その手に入れたアドレスの中に今でも連絡を取っている人が何人居ますか?と問いたいわけです。
わからない。園感情がまったく理解できない。うわべだけ、寂しさを紛らわすだけの存在なんて友達って呼べますか。
そんなことを考えながら、大学内の集団をみてると怖くなる。寂しいという感情に支配された人形たちが、狂ったように下品な笑い声を上げているわけです。
あの大学は人間を減らすべき。少なくともいらない学部2、3個はあるでしょ。クズの養成所としてしか働いていないよ。学内に居ると実感する。
きらきらした目で学校見学している高校生とその府警方を見ていると、「絶対入っちゃだめだぞ!こんな大学!クズしかいないからな!」と叫びたくなる。けどそれは出来ないチキン。
先に断っておくが、このエントリでは当事件の事実関係や市や学校の対応、ネット上の意見などに一切関与せず、「いじめ」と「自殺」について個人的な意見を述べるものである。
滋賀県大津市で起きた男子中学生の自殺を巡って世間に様々な声が上がっている。
Twitterを眺めていても、数は少ないながらも多種多様な人たちが共存する僕のTL上ではこの件を巡って、「いじめ」あるいは「いじめと自殺」を巡って活発な意見交換が行われており、日々感服するばかりである。インターネット上において「いじめ事件」が大々的に取り上げられるのは何も昨今に限った話ではない。何年も前から日本の各地で痛ましい「いじめ」についての事件が起こるたびにインターネットではそれについて激しいレスポンスが生まれてきた。それらは基本的に「いじめ」について批判的な意見なのだが、時にそれらは過剰すぎるといっていい反応に発展し、自称「正義の味方」たちが暴走したりすることはあるいみネット界隈においては日常茶飯事であった。僕自身は事件の経緯や事実関係などとはまったく別に、それらの激しい反応が巻き起こるたびに辟易したことを覚えているが、ここ数年でその状況は大きく、とは言わずともかなり変化したと考える。一昔前なら、こういった痛ましい事件が起きた場合、インターネット上での反応はほぼほぼ一種類だった。すなわち、「いじめた奴をぶっ殺せ」である。もちろん、言葉や表現、論調や論点の違えど、その大体は「いじめた奴をぶっ殺せ」だった。もちろん、感情論で言えば、そうだ。だが、はっきり言ってしまうが、今回のような「自殺」というキーワードが俎上に上がるほど苛烈で、悲惨な「いじめ」の事例に関して言えば、そんな短絡的な方法では問題の根は解決しない。
それはなぜか?
答えは単純である。
たとえ「その子」をいじめた連中が全員死のうが、少年院送りになろうが、ネットで晒し者になろうが、
いじめられた「その子」はもう大概「普通の人生を普通に生きる権利」を奪われているからだ。
何年か前に話題になった「いじめられているキミへ」の寄稿文らしいのだが、思うところあるので引用させていただく。
死なないで、逃げて逃げて
あなたが今、いじめられているのなら、今日、学校に行かなくていいのです。
あなたに、まず、してほしいのは、学校から逃げることです。逃げて、逃げて、とことん逃げ続けることです。学校に行かない自分をせめる必要はありません。大人だって、会社がいやになったら、会社から逃げているのです。
次にあなたにしてほしいのは、絶対に死なないことです。
そのために、自分がどんなにひどくいじめられているか、周りにアピールしましょう。思い切って、「遺書」を書き、台所のテーブルにおいて、外出しましょう。学校に行かず、1日ブラブラして、大人に心配をかけましょう。そして、死にきれなかったと家にもどるのです。 それでも、あなたの親があなたを無視するのなら、学校あてに送りましょう。あなたをいじめている人の名前と、あなたの名前を書いて送るのです。
はずかしがることはありません。その学校から、ちゃんと逃げるために、「遺書」を送るのです。
死んでも、安らぎはありません。死んでも、いじめたやつらは、絶対に反省しません。
だいじょうぶ。この世の中は、あなたが思うより、ずっと広いのです。
あなたが安心して生活できる場所が、ぜったいにあります。それは、小さな村か南の島かもしれませんが、きっとあります。
僕は、南の島でなんとか生きのびた小学生を何人も見てきました。
どうか、勇気を持って逃げてください。
「いじめられる方に問題がある」
最早時代錯誤過ぎて目が泳いでしまうようなおサムい台詞だが、これはわりと最近まで(ここ重要)いじめられっ子に対する教師や親の言葉として一定の説得力を持っていたことは悲しいことながら事実である。
んなワケねーだろボケ!!
「いじめられる方に問題がある」
→まず、これは最も頭が悪い意見だ。が、実際のところ「なぜいじめが起きるのか?」という答えに対して、ほとんどの人間がこの馬鹿みたいな空虚な言葉を目を伏しがちに言うのである。いいか、それは断じて違う。なぜかといえば、この論理は、「いじめられる」と「問題がある」というふたつの出来事が、あたかも因果関係があるかのように触れられているという点だ。「あの子には問題がある」→「だからいじめられる」という理屈だ。だが、こんな馬鹿な理屈があってたまるだろうか。確かに、人間だれしも社会的な人間関係を営むに際して「問題」を抱えているものだ。「空気が読めない」とか「性格が悪い」だとか「ええかっこしぃ」だの、はっきり言って枚挙に暇なんかない。そして、その「問題」を抱えていない人間も、この世界には一人もいない。誰だってできる限息がしやすい場所、陽の光があたりやすい場所にいたいと思うし、少なからず利己的になることだってある。もしくは、そもそも人間関係を営むことについて不得手だったり、嫌いな人間だっている。それは「社会的な(笑)」観点から言えば問題なのかもしれない。気に入らない人間だっているかもしれない。はっきり言えばムカつくかもしれない。だが、それだって仕方のないことだ。どうやっても自分には受け入れられない性格の人間というのは存在するし、そういう人間とどうしてか同じ空間で過ごさなくてはいけない場合だってある。そういう場合はもう、仕方のないことだから、適度な距離をとって「うまくやる」しかない。それはもう、どうしようもないことだ。だが。だが、である。
「(自分にとって)その人に何らかの問題があったから」といって、その人をいじめていい理屈なんかこの世界のどこにもないんだよ。
仮に、ものすごく性格がよろしくなくて、みんなに鼻つまみ者にされている人がいたしても、それははっきり言ってしまえばその人の「問題」だ。
社会的な営みをする以上、共同体において「邪魔」な存在というのはどうしても出てくる。それも仕方のないことだ。
もっと具体的に言えば、共同体において「ぼっち」の存在が生まれてしまうのはごく自然なことであり、それ自体は何の問題もない。
何のことはない、単にその人がその共同体に「合わなかった」だけの話だ。その「問題」ということについてだって、現実世界側のインターフェースが引き起こしたバグのようなものだと考えればたいしたことはない。コミュ障? キモメン? んなことは別に「問題」じゃない。もしそれで自分にコンプレックスやルサンチマンを抱えている人たちがいるのならば、もう素直に意識を別に向けるべきだ。今はインターネットという素晴らしい道具があり、その他にも数えきれないほどの環境や世界がある。はっきりいって現実世界なんかあまたある世界の表層のひとつにすぎず、僕達が保持している肉体はたんなるいちインターフェースに過ぎないわけである。だから、「あ、ここ自分には合わないな」と思ったらさっさと身を引いて別のコミュニティなり世界なりを探すことが自分にとっても相手にとっても健全だ。
だから、もし「いじめ」られている子がいるのであれば、その場から黙って去ることが最善の索なわけである。
僕は、「いじめられる方に問題がある」とも、「いじめる方に問題がある」とも思っていないので、「いじめ」が起こりそうな状況になったらデウス・エクス・マキナよろしく「席替えたーいむっ!」とする方がいいと思っている。
ならばこそ、すべての「いじめ」は上記の引用文のように「逃げて逃げて生きる」ことをすればある意味解決するのではないかと思われる方もいるだろう。
だが、そうは問屋が卸さない。というか、そんなにこの問題が単純であればこんなに酒によった勢いでエントリを書いていないわけで、ここからが本題である。
問題は、「逃げて逃げて生きた」として、その子が「普通の人生を普通に生きる権利」は依然として不当に奪われたままであるという点にある。
確かに、いじめられて、その結果自ら命を絶ってしまう事例があったとしたら、そんな悲しい話はない。
だが、それにもまして「逃げて逃げて生き抜いた」としても、そんなものは「死ぬ」のちょっと手前くらいの選択肢であり、最後の手段なわけである。
一口に「逃げる」と言っても実に様々な手段がある。
不登校になる、引きこもる、グレる、転校する、引っ越す、留学する……いろいろだ。
だが、どれにも共通しているのは「確実に人生が狂った」という厳然たる事実だ。
もし「いじめ」なんかがなければ、「その子」の人生が外的要因によって狂うことはほとんど無かったはずだ。
自分の命に対する自衛手段として、上記のどの手段をとったとしても、その子の人生はその時点を以てルナティック・モードにとつぜんモードチェンジする。
不登校にしろ引きこもりにしろ、その延長線上にあるのは学校の中退であり、すなわち人生の落伍である。「学校を辞めたくらいで『人生\(^o^)/オワタ』だなんてとんでもない!」とおっしゃるかたもいるだろう。じゃあ逆に言ってやる。あなたも、今の仕事なり学校なりを今すぐ辞めてみろ。転職のあても、転校のあてもなく、たったひとり殺伐とした世界に取り残されたとして、「よーし! 人生これからだぜ!」と思えるというのか。ただでさえどん詰まりの袋小路に迷い込んだこの現代日本で、大卒の就職率が5割だとか6割だとか言われている時代に、無職の高校(中学)中退者が「普通の人生を普通に生きる」ことができるというのか? 立場を変えて発言しよう。僕が中小企業の採用担当だったのなら、昼食無職職歴なしの人間なんか、なにがどうあっても採用したくない。感情論なんかじゃない、ごく合理的な数理的な判断だ。
転校だって引越しだって、かなりハードルの高い「逃走手段」である。というのも、なによりもまず、家族の協力が必要不可欠だから。
親御さんだって、もしかしたら仕事を辞めざるを得ないかもしれないし、お金の問題だってある。少なくとも「普通の人生を普通に生きていたら」かかる必要のなかった負担を負わなくてはならない。要するに、この時点で「いじめ」というのは「いじめっ子」と「いじめられっ子」の問題ではなくなるのである。ちょっとした「ムカつき」や「面白半分」が、一人、ないし数人、いや、ともすればもっと大規模な人間の「普通の人生」を狂わせるのだ。これが「いじめ」が「普通の犯罪」なんかよりも数段質の悪い点だ。「窃盗」であれば、早い話盗まれたお金が戻ってきて、犯人が警察に検挙されればひとまずは解決する。「器物損壊」だって、家裁か何かで妥当な損害賠償が請求されればそれ以上の発展はない。被害者にとってはたまったものではないが、少なくともそれ以降は「普通の人生」を送ることは可能だ。だが、「いじめ」に関しては――はっきり言ってしまうが――いかなる手段をもってしても、すでに起こってしまった「いじめ」を、それが発生するより前の状態に復元するのは不可能だ。いや、これについては語弊がある。「いかなる外部からの干渉をもってしても」いじめの根本的な問題は解決などしないのである。教師がいじめっ子に謝罪をさせたり、クラス替えをしたり、退学や停学処分をしたとしても、「いじめっ子」が「いじめ」たという事実は消えやしないし、「いじめられた子」が「いじめられた」という事実だけは覆しのしようがないし、取り返しも、補填も、まったくできやしないのだ。
「いじめた側が、本気で反省して、その後の人生のすべてをかけていじめた子が『普通の人生を普通に生きられる』ように全力で奉仕する」
より陰湿化が進む現代のいじめにおいてこんな奇跡みたいなことが果たして起こるのかどうか、僕は知らん。多分、99%の確率で起こらないだろう。
世の中の90%のいじめは、「なんとなく」「特に理由なく」「おざなりに」して、審判のホイッスルなくして「終わったっぽい」感じで終わる。
理由は分からない。とりあえず、台風が温帯低気圧になって北海道の上の方に消えて行くように、いつの間にかなくなってたりする。
残りの9%は「いじめられた子」の自殺なり「逃走」によって終わる。なんとも救いのない話である。
もしあなたがいじめられていることに対して何か負い目を感じているのであれば、とりあえずそれは忘れてください。
自分がいじめられることに対して、「仕方ない」だとか決して思わないでください。
あなたも生きている人間ですから、人間関係について至らない点、至らなかった点だっていくつかあるでしょう。
ですが、はっきり言いますが、そんなことで、地球上の誰一人だってあなたをいじめていい理由なんかにはならない。
あなたが、あなたの人格や過去の行動、家庭環境や趣味嗜好、思想信条によって、いじめれていい理由など、これっぽっちも、ありません。
そして何より、あなたは、「普通の人生を普通に生きる」権利を持っています。
そりゃあ、誰もがオリンピックに出たり、アイドルになったり、東大に入ったりはできないのも事実です。
ですが、本当はそんなことはどうだっていいんですよ。
あなたは、学校帰りに友達とマックに行ってダベっていいし、家に集まってモンハンをみんなでやっていい。
絵を描いて褒められていいし、ご飯が美味しいと感じていい。かわいい女の子を、かっこいい男の子を好きになっていいし、告白して振られて泣いたっていい。
好きなアニメを見て、好きな本を読んで、好きな場所へ行って、眠くなったら寝て、眠くなくなったら起きて、生きて、生きていいんです。
普通に勉強して、普通に進学して、普通に就職して、普通に恋愛して、普通に結婚して、普通に子供ができて、普通に生きて、普通に生きて、普通に死んでいいんです。
もし普通が嫌なら、人一倍頑張って、自分が特別だと思える人生を手にいいれればいい。
ですが、それ以前に、あなたは、およそこの国の人間が「普通だ」と感じているあらゆることを手にする権利を持っています。
だから、あなたは自分を責める必要などまったくない。あなたは何も悪くない。もっと言えば、あなたをいじめた人間すら、悪くないのかもしれない。
僕には起こってしまった「いじめ」を解決する魔法のような手段はしらないし、これから起こるであろう「いじめ」を未然に防ぐ奇跡のような手段も知らない。
だけど、あなたが、「いじめられて損なわれた」からといってあなたが「普通に幸せと感じられるような人生」を生きる権利を失ってしまったわけではありません。
だから、自分勝手なことを言えば、本当はあなたは「逃げて、逃げる」必要なんてないんだ。表面上は「戦略的撤退」をする必要があるかもしれないとしても、
あなたの人生が「嵐のような不運」によって損なわれ、汚され、失われる必要などない。
それどころか、あなたは、その「普通の人生を普通に生きる権利」を人一倍、もっともっと今まで以上に傲慢に、尊大に主張していいんですよ。
「いじめられた」ことを理由に、あなたが自ら自分の可能性を閉じてしまう必要なありません。
もっと自分勝手に、生きればいい。でも、引きこもってもいいことは「何も」ないので、何かしらのキッカケで外にでるといいと思うよ。
そんでいまいじめてるお前。
まー今のお前なんかには分からないだろうけど、お前のやってることはおよそ人間がなす行動のうち、もっとも悪辣で、非道で、無意味なことだからな。しかし人間ってのは残酷だよな。自分の利益にならないことでも、何かのキッカケさえあれば、人を嬉々として苦しめることができるんだからな。俺はお前のことなんか知らないし、お前の生い立ちや人生観なんか知らない。お前が何かお前の中で正当な理由をもって「それ(とあえて言う)」をやってるとしても、それも知らん。だが、結果としてお前はお前と同じ、一人の人間の「普通の人生を普通に生きる権利」を「奪いかけて」いるということを考えろ。今日お前が美味しいと感じた夕食、今日お前が面白いと感じたテレビ番組、今日お前が楽しいと感じた帰り道。その子のそれら全部を、他ならぬお前が奪おうとしているっていうことを考えてみろ。俺はお前なんかに同情しない。お前の中にどんな理由があるにせよ、それはお前が「それ」をやる理由にはなりえない。なんの妥当性もないし、なんの解決手段にもならない。だからといって、お前が考えてること、感じていることがまったくの間違いであるとも言えない。だが、「それ」と「これ」とは別問題だ。お前の中でいかなる繋がりを持っていたとしても、それは、本質的なところで無関係だ。だから、やめとけ。お前がそいつのことを嫌いならそれはそれでいい。だったら関わるな。何もするな。意識を別のところに集中させろ。暇だったら黙ってオナニーでもして寝ろ。そんで、もしお前がかつていじめられっ子だったのなら、なおさら、やめろ。お前にも色々な事情があるのか知らないが、それはもう忘れろ。許さなくて良い。ただ、忘れろ。それ以外は何もするな。そんで、自分の好きなことだけ考えてろ。好きな本だけ読め。好きな音楽だけ聞け。好きな場所にだけ行け。好きなやつとだけ絡め。だから、決して「それ」を生きるモチベーションなんかにするな。そんな人生、悲しすぎる。
どうか気負わないでください。それを自分のせいだと思わないでください。
自分を無力だと嘆かないでください。自分を卑怯者だと罵らないでください。
何か特別なことをする必要なんかないんです。ただ、黙って、普通に、普通に接してあげてください。
いじめられている子が何より苛まれているのが、「ひとりぼっち」という孤独感です。
どんな暴力や陵辱よりも、「ひとりぼっち」というのは辛いです。
誰も味方がいない、誰も自分のことを助けてくれない、そういう状況こそ、危険です。
過剰なことなど何も必要ありません。ただ、声をかけてあげてください。
人の目が気になるのであれば、メールでも、なんでもいいです。
とにかく、その子を孤独にさせないでください。その子が、そこにいていいことを、示してあげてください。
http://ugaya40.net/architecture/dis_mov.html
Fat Controllerはダメというのは昔から言われている話で、自分も昔読んだときになるほどと思ったので「なるべくControllerを薄く」を頭に置いているのだけど、どうもうまくいった感じがしなくて挫折感があった。その理由だけど、自分の経験から言うと、「Viewに変数を渡すのがめんどくさい」「途中で処理を中断するのがめんどくさい」の2点だと思う。
たとえばRailsだとController内でインスタンス変数に代入することによってViewに変数を渡すことができる。処理をModelに移すとModelからControllerに変数を返して、ControllerでViewに変数を渡すという二段階が必要になるのでこれがめんどくさい。(正確には、ControllerからModelの状態を取れるように作るのが正しいのだろうけど、Viewで必要となるあらゆる状況を想定してModelの状態を取れるようにするのはなかなか大変。それだったらControllerで処理しちゃって……としてしまいがち)
「途中で処理を中断するのがめんどくさい」
たとえばRailsの場合、Controllerからreturnすればその時点で処理が中断されるし、レスポンスもそこでrenderしておけばよい。しかし処理をControllerに移した場合、Model内で起こったことに応じて適切なレスポンスを返すコードをControllerに書かなくてはいけないが、これがめんどくさいように思う。Modelから直接レスポンスやViewを指定したくなってしまう。(もちろんそれはできないし、Modelの分離の観点からするべきでもない)
O/RマッパーのModelに一切処理を追加しないなんてことはなくて、Modelで処理できることは極力Modelに移しているつもりではいるのだが、どうしてもすっきり書けた感じがしない。
もちろんわかっている人ならこんなところでひっかからず、自分がわかってないだけの可能性が高いのだが、自分が上のような理由で挫折してしまったのは事実なので、何とかしたいとは思っている。
自分としては、理屈はわかるけど実際のコードはどうなんだという感じなので、「これは手本にすべきMVCのウェブアプリケーションだ」というのがあれば読んでぜひ参考にしたいのだけど、何かないものだろうか。
ようやくRailsの開発を一人で出来るようになった彼女が、俺に突然質問を投げかけた。
「ねぇ、WebサービスのPushってどうやって実装するの?」
「クールな順にWebSocket、次にコメット、最後にポーリングだよ」
彼女は目を輝かせながら「それでそれで?!」と説明を求めてくる。
「ポーリングは、一定の時間ごと、たとえば3秒ごとにAjaxでサーバにリクエストを送って新着の情報が無いか問い合わせて、もし新着があれば処理を、なければスルーして次の問い合わせに備えるPush通知の実装だ。手軽に実装できる反面、新着がない多くの時間常にリクエストを送り続けることになるので無駄が多い。大規模なサービスで実装すれば、それだけでDDoSっぽくなっちゃう。また、リアルタイムも厳密には実現できなくて、MAXでポーリング間隔分のラグが発生してしまう。小規模なサービスで、とりあえず実装するにはオススメかな。」
なるほどなるほど、と彼女は頷く。
「コメットは?」
「コメットはポーリングを改良したもので、ブラウザからリクエストが送られてきた時点ではサーバはすぐにレスポンスを返さずに、処理中ってことでコネクションを張ったまま一定時間待つんだ。それで、なにか新着があったタイミングで、昔送られてきてたリクエストのレスポンスを返す。そうすると、新着があったタイミング=レスポンスを返すタイミングになるので、レスポンスはほぼリアルタイムになる」
「なるほど!すごい!!!」
「頭の良い実装だよね。Facebookの通知なんかはコメットだよ。ただ、コメットも万能じゃない。まず、レスポンスはいつまでも待てるものではなく、待たせすぎちゃうとタイムアウトになっちゃうんだ。だから一定時間ごとには何もなくても"進捗はなかったよ”というレスポンスを返してあげなきゃいけない。また、サーバはコネクションを常に割り当てないといけないので、IOをブロックするようなサーバだとリソースを食い過ぎて耐えれ無くなっちゃうから大規模な運用には金がかかっちゃうんだ。所詮はHTTPを使ったごまかしでしか無い。オーバーヘッドが大きいんだよ。」
「な、なるほどー」
少し話が小難しくなったためか、一生懸命理解しようと彼女が頑張っている。かわいい。
「そこでWebSocketの登場だ。WebSocketは厳密には違うんだけど、HTML5関連の新しい技術で、ネトゲで使うTCP/IPのセッションのようなコネクションをサーバ側と張ることができる技術なんだ。しかもNATとかも超えてくれる便利な技術。これがあればリアルタイムWebの実装はすごく簡単になるんだけど、まだ新しい技術というのもあるし、対応してるサーバやライブラリの不足や、プログラミングのスタイルがイベント駆動になるという変化もあって、まだまだ一般的にはなってない。対応してるブラウザも最近まで多くはなかったしね。やっとiPhoneでも使えるようになったし、スマフォのWebでも普通に使えるようになってきた。これからが楽しみだね。」
「うーんと、うーんと、つまり」
彼女は今日得た知識のまとめに入ったようだ。一生懸命Webの技術を学ぼうとしている健気な彼女に、僕は心がキュンとなった。
「そう、つまり…」
びっくりして目を見開いている彼女。
「チュッ、チュッ、チュッ、チュッ、チュッ、」
「これがポーリング。」
「チュポッ…」
彼女の頬は少しだけ赤く染まっていた。
「これがWebSocket、そして…」
最後に僕は彼女の顔を両手でホールドし、8秒くらいの長い、とても長いキスをした。
「よし、じゃあコーディングに戻ろう。」
「私、コメットがいいな。。。////」
http://anond.hatelabo.jp/20120531193917
ほんとにそうだよね。
増田では特にそうだけど、リベラル批判みたいな書き込み、保守的な書き込み、
まともな反論とかじゃなくて
病的な内容に満ちた超巨大トラックバックツリーを付けて話が広がるのを邪魔しようとするだとか、
陰湿で卑怯なやり方がずーっと横行してる。
保守的なことを書いた人のベースページに集団でブックマークして
口汚いコメントで罵倒するとか、侮辱的なタグをべたべた貼るとか、
なんなのアレ?
子供でも恥ずかしくてやら無いようなことをいい歳のおじさん達がやってる。
雇い主は先月、父子家庭になったばかりの43才。大学時代の同級生、恋愛感情はなかったけど、話は合う感じ。
子どもが小学校卒業するまでの約10年間、住み込みで家政婦をやってほしいとのこと。現状年収300万弱で、キャリアらしいキャリアもなく卵子が老化して久しい42才独身オバさんにとってこの条件ってどうなんだろう。
やることは、子供二人(男5才、女3才)の世話(食事、遊び、勉強、行事の参加)、家事全般、生活費の管理。休日は自分が休みの日(基本的に土日、だけど金曜の夜と月曜日の朝はいてほしい)。
住み込みの間、家賃光熱食費はかからないし、女性の生活に必要な費用(服、髪、化粧、小遣い少々)も生活費の中から5,6万/月ぐらい出してくれるらしい。家事に支障がでない範囲なら、アルバイト(内職とか)をしてもいいし、遊びに行ったっていいとのこと。
彼の直面している最大の問題は子供の面倒をみる人がいないことなんだけれど、中学以降は全寮制に入れる予定でその問題は無くなる。中学以降、もし気が合えば、給料の10万は払えなくなるけど(学費がかかるため)そのまま住み続けても構わないと言っている。
再婚は、今のところは考えていない(まだ考えられない?)とのこと。
普通の家政婦を住み込みで雇ったら、1日2万以上かかるらしくて月10万とか有り得ないってところなんだけど、なぜか妙に魅力的で、とりあえず今週末彼の家で子供達と会う約束をしまったんだけど、これからどうなることやら。。
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一日たって開けてみて、レスポンスが予想以上についていてびっくりした。
お金とか契約内容云々とかって本当はとっても大事なことかもしれないけれど、いまの自分にとってはそれってそんなに大事じゃない。今までもこれからもずっと女一人で干からびて死んでいくだけって考えたら、人生にちょっとぐらい変化があってもいいんじゃないかって考えている。
そもそも彼はそんな嫌な人ではない。今のかれにとって一番大切なのは幼い二人の子どもであって、二人にご飯さえ食べさせてくれるなら基本的に自分の好きなようにやってくれてもいいっていうスタンスで、10万じゃ足りなければ家計をやりくりして自分の取り分を増やしてもいいし、家の中をどういじってもかまわないとのこと。それって結婚とどう違うのかって聞いたら、(奥さんを亡くしたばかりの)今すぐには結婚とか考えにくいし、なにより子どもたちへの(お母さんが死んだら新しいお母さんがくるの?みたいな)影響が心配だって言われた。
ただ、子供たちには、成長した時本人たちのアイデンティティをしっかりさせたいってことで、本当のお母さんと自分を区別できるようにお姉ちゃんって呼ばせるらしい(自分はオバちゃんでいいよって言ったよ)。
子どもを中学から全寮制にいれるって話は、彼が面倒みれないから全寮制にするしかないってことだから、もし自分が面倒みるなら別に全寮じゃなくてもいいんだとおもう。
ちなみに彼は普段はほとんど朝9時から午前0時過ぎまで仕事してるような人なんだけれど、奥さんが亡くなってからは親戚に来てもらったり会社休んだり家で仕事したりヘルパー頼んだり一時保育頼んだり、子供寝てから会社にいって朝までに帰ってきたりとかありとあらゆることをしてるれど、そろそろ会社も大目にみてくれなくなるかもしれないし、なにより子どもに毎日バタバタとしたストレスのある生活からはやく落ち着かせたいって言っている。
いい年した男と女が一つ屋根の下に暮らせば、体の関係にもなるかもしれないけど、その時はその時でわざわざ今から取り決めなんかしておく必要はないよね。
子育て簡単に考えるな!(しかも他人の!)とか言われるかもしれないけれど、実際やってみないことにはどんなんだかわからないし、本当はすこし楽しみでもある。
もし途中でなにかあって放り出された時は、その時考える。ちなみに今のところの持ち金は現金千万弱+貯蓄保険。最悪無職だとしてもつましく暮らせば5年ぐらい持つでしょう。
とかなんとか頭の中でごちゃごちゃ考えてるふりしているけど本当は、一番困っている時に一番最初に声をかけてくれたことがジーンときちゃって頭がおかしくなっちゃってるだけかもしれない。
というのが、作ってる人たちは「これ、正直やばいけど稼げるし短期決戦で得るもん得ていこうか〜」くらいの気持ちでやってるのかと思ってた。
実際この考えの人は少なからずいるはずだ。
あるいは、「ヤバいけど、ライバル会社もやってて生き残るには自分も参加するしかない。」っていう、
ある種の邪悪なチキンレースに乗ってしまっている事を自覚してる人たち。
この人たちは、まぁ、邪悪だけど仕方ないのかなと思う。
※なお、本当に本当の意味で『邪悪』な人たちはとっくの昔に上がりを頂戴して既にあの場にはいないはず。
少なくとも某女史は完全に逃げ切ったのかなと。
けれども、どうも中の人たちのレスポンスを見る限り、「俺たち悪い事してねーし!」みたいなことを本気で考えている人たちがいる様子。
この人たちはヤバい。何がヤバいかと言うと、「罪の意識の希薄化」がされたことに一切気づいていないと言う点でヤバい。
そしてそのヤバさが、プログラマーっていう職業に対する社会の認識が悪い方向に傾きかねないのでヤバい。
いや、もう手遅れだ。多分、後一年後にはIT業界に対する世間の目そのものが冷たいものに変わっているだろう。
まず僕はあの場で「俺悪くねーし!」って言ってる末端を攻めるつもりは無い。
(といっても役職持ちでこんなことを言ってる連中には残念ながら、だけど。)
けれども、彼らが嵌った「脱法的ソシャゲー開発」の一端は解き明かしておきたい。
何故なら、このロジックは非常に単純で、かつ効果がテキメン。特に技術職に従事する連中に対しては。
さて、例え話をしよう。
それは先端のライブラリを使い、高負荷をものともしない作りにし、
またユーザーを飽きさせないよう常時色々なキャンペーンを打っていくアプリケーションだ。
ユーザー数は膨大で、アクティブなユーザー数だけでも10万を超す。
このアプリケーションを作成して運用するのは、いくら何でも一人では無理だ。
そこで仕事を分割し、プログラマー、インフラエンジニア、UXデザイナ、WEBデザイナー、ディレクター、
アナリスト、PM、営業…などなど、それぞれの専門職を適切に配置し、
それぞれが自分の得意な事に集中できるようにする。
こうすることで、それぞれの専門職にとって雑多な事は、耳半分で会議を聞きつつうまく回る。
さて、次の例え話をしよう。
とある邪悪な人間が、邪悪で脱法的な方法でお金を稼ぐロジックを思いついたとしよう。
しかし、規模が大きいので人手がいる。けれども、他の邪悪な連中を誘い込むと美味しいところを奪われたあげく、
責任をなすり付けられる可能性が高い。
ならばどうするか?「普通の人」を巻き込めばいい。
でも、「この方法で情弱を騙して稼ごうぜwww」というと、人は訝しみ、拒絶する。
けれども、その邪悪なロジックを分割して、分割したそれぞれの仕事が違法ではないものにすると…?
あるいは、分割したロジックを事前に3つ前後の別のクリーンな仕事に適用して失敗して後が無い状況を演出しておき、
ここで、だ。結合された後のサービスのありようを見て、「これって、ダメなんじゃない?」という人は必ず出てくる。
ここで、技術職の悪い癖を利用する。
技術職は「0か1か」での判断をすることに常にさらされているため、
そうではない世界でも「0か1か」で決まるものだと錯覚しやすい。
「うちの法務に事前に確認しましたが、法律上問題ないとのことです」と。
※注意
法務の方々の名誉の為に言っておくと、システムの邪悪さを理解して邪悪さを誤摩化す回答をする法務も一部にはいるが、
そこで、邪悪な人は特定の条件下で起こりうる例外を提示して「それならグリーンだ」と言わせておき、
その例外を隠して「この前うちの法務に事前に確認しましたが、法律上問題ないとのことです」と
法律は「0か1か」に見えてそうじゃない。
少なくとも過去に判例が出ていないものについては「0か1か」すらわからない。
ようは「未テストの項目」に過ぎない。
「裁判所」というテストを通らない限り、「0か1か」なんて本当はわかるはずもない。
それも、テストの内容によっては関係するモジュールや実行環境、タイミングによって結果が変わる事すらあり得る。
法務の言う「大丈夫」なんて、ようは自動テストやってない職場でベテラン開発者がいう「あ〜あそこはきっとOracleのバグ(※ただし未検証」と同じ程度の回答だ。
(本当はOracleのバグではなくそいつが作りこんだバグなのかもしれない。)
さて、普通の技術者が邪悪なテスト結果をまんまと信じたら、あとは邪悪な人の思い通りだ。
まず、そのテスト結果を信じた普通の人は、他にも不審に思った人に対して「あれは問題ないって法務が言ってたよ」と伝える。
が、ここでは同じテストを繰り返さず、過去のレポート、それも又聞きのレポートを伝えているに過ぎない。
もう一度同じテストをかけていない。自分の目と耳で、法務から直接話を聞いていない。
また、結合前のクリーンな仕事をしているそれぞれの担当者に取って、
結合後の姿より結合前の状態がその人の仕事の大半であり、「本当の意味での」結合後の姿を見てるようで見ていない。
単体テストはバリバリこなすだろう。しかし結合後のストレステストやセキュリティのテストは専門外として見向きもしない。
いや正確には「何かあったら、専門の担当者が文句つけてくるはずだ」と待ちの姿勢でいる状態だ。
邪悪な人は、間違いなくその専門の担当者が各部署を回って抜き打ちテストをやらせるなんて事はしない。
そもそも専門の人を社内に常駐させないか、もしくは置いても他の事(例えば他社とのライセンス問題など)にリソースをさくよう仕向ける。
だから否定されると「俺悪くねーし!」と言い出す。
細分化された仕事のことしか見なければ悪いことは何も無いだろうね。
しかし…もう…嵌っちゃったんだなぁというのが外野からの印象。
まぁせいぜい人身御供になってくれ。
今回の件、役職だけではなく実務の担当者まで引っ張られる可能性はある。
裁判にかけられるかどうかは謎だけど、企業や業界への揺さぶりの手段としては有効だしね。
なお、最初に言ったが本当に邪悪な人はもう既にあの場所にはいないはずだ。
もう既に後進に道を譲るだの自分の力を別の場所で試したいだのもっともらしい理由を付けて、
「普通の人々」のその後がどうなるかはこれからの物語なので、とても楽しみではある。
おそらく、なのだが、この件、ワーストケースで転がれば、当該の企業だけではなく
「ITの技術者はマッドサイエンティストと同じで法の遵守する気がない連中だ!」と言われる日は意外とそう遠くないと思う。
そんな風がもし吹こうなら、政治家の先生方や警察のお歴々も「インターネットの健全性を保証する」という名目で、
色々と無茶な法律を作るかもしれませんね。
少なくとも、「インターネット=悪」として自分らの有利な方向にネットをコントロールしたい方々にとってはとても好都合でしょうよ。
そろそろ、誰かが「良い意味で」健全化のために何かを仕込む頃合い。
政治家や警察といったレイヤーではなく、業界の自主努力のレイヤーで。
2、3年後、どんな団体ができでどんな人が所属するかなぁ?
ダンコーガイ、津田、はまちちゃん、ちきりん、高木先生、漢のMySQLの人、徳丸本の人…多分この中から二人は自ら、あるいは担ぎだされる/巻き込まれる形で関わってくるかな。
切込隊長は面白おかしくレポートしつつ裏で謎の秋波を送るんだろうなぁ。
多分ひろゆきはその集まりを「つまらない」と見て何もしないかな?
お疲れ様です
いちおう業界人?だけど本当に本当につまらないありきたりありきたりのことを、書く。
昔からあるアレです。
なんだかんだで一番レスポンスはやい&欲しい情報だけが出てくる
昔からあるアレ。
Perfume好きの人をフォローするとPerfumeの最新画像がいつでも見れて便利。
昔からあるアレ。
特定の人物・キャラクターを思い浮かべてYes/Noで答えられる質問に答えていくと
ランプの魔人が言い当ててくるやつ。まあおもしろい。
友人を有名人みたいに登録しておくとウケる。
昔からあるアレです。
ネットで通勤電車内でのイライラや駅員への怒りが書き込まれると
「ラッシュ自体を解決する方向に考えるべき」というレスポンスがつくことがある。
いつもこれには全く同意している。
全面賛成はできないなあ。
「ラッシュ自体の解決」のためには、車両、運転手などの増設が必要不可欠。
そのために会社はコストを追加しなければならないが、そのコストはどこから捻出する?
企業努力もしてはくれるだろうが、最終的に巡り巡って消費者である我々に跳ね返ってくると思うんだが。
後、
単に妊婦が立っていればいいか、「すみませんが、席を譲ってもらえませんか?」と頼めばいいだけでは?
今話題の写真を晒した妊婦も、一言声かければ大抵譲ってくれるだろうに。
自分の体験だが、2年ほど前、就職活動で電車で移動中に具合が悪くなって、でも快速電車で後10分くらい駅には到着しなくて、立っているのがつらかったとき、優先席に座ってる人に「すみません、体調がすぐれないので代わってもらえませんか?」と頼んだら代わってくれた。
時間は午後5時頃、帰宅ラッシュの始まりかけで、車内は立っている乗客で割と詰まっているような状態で、自分は妊婦でも何でもない、スーツを着た24歳の男だったにもかかわらず。
と、ここまで書いて確認作業と言うことで2chのまとめサイト見たら、おおよそ自分の意見と同じこと書いてあった。
23 名前:名無しさん@涙目です。(橘神社)投稿日:2011/12/23(金) 16:51:05.17 ID:AsPSgarq0
席譲ってほしけりゃ声くらいかけろよ
73 名前:名無しさん@涙目です。(寒川神社)投稿日:2011/12/23(金) 16:53:51.22 ID:nsnwL4GXP
男が座っている→譲ってくれと頼む→悪態をつかれて譲ってくれない→盗撮して晒す
なら10000歩譲ってまだわかる
でも
全文読めば理解出来ると思うけど。
文章っていうのは、一文だけで構成されているんじゃないよ。
全体をきちんと読みましょうね。
3.ネタにできる内容が思いつかない
これが、元増田が考えた「友達ができないんじゃないか」と思う理由。
それに対し別な増田は、
とはじめて、
と元増田の1~3の理由を否定する形で提示してる。
つまり、趣味の守備範囲だの、日常のネタを面白くするだの、ネタに出来る内容を思いつくだのをしなくとも、
趣味や考え方が全く合わなくても、論理的志向が出来て、きちんと相手の話を聞いてレスポンスを返せて、また相手がきちんと理解出来るように話せる奴なら、十分面白い。
そして何より、そういう連中は、面白そうに話すし、面白そうに聞く。
自分に対し、ある程度自信というか、信念というか、何かを持っている。
ここをちゃんと実行できれば面白い、という話になっている。
この時点で、アドバイスとして成立している。
脊髄反射乙。
話の内容以前に、どんな話題だったとしても
一緒にいて面白い奴っていうのは、向こうの趣味以外の分野の話でも、乗ってくる。
別に無理して話合わせてるんじゃなくて、その場限りの興味だったとしても、「え、それって~になっちゃうんじゃない?」とか、ちゃんと話聞いて理解して、突っ込んだり質問したり出来る。
そして、一緒にいて面白い奴っていうのは、こちらの趣味以外の話でも、面白く聞ける。
きちんと「専門外の奴に話している」という自覚を持って、それなりにかみ砕いて話してくれる。
だからこっちも「え、そんなことあるんだ」「え、それってこうじゃなかったの」みたいな驚きや、新しい発見があったり、面白いエピソードを聞けて、退屈しない。
趣味や考え方が全く合わなくても、論理的志向が出来て、きちんと相手の話を聞いてレスポンスを返せて、また相手がきちんと理解出来るように話せる奴なら、十分面白い。
そして何より、そういう連中は、面白そうに話すし、面白そうに聞く。
自分に対し、ある程度自信というか、信念というか、何かを持っている。
こういう風にしろっていうアドバイスだろ。
一緒にいて面白い奴っていうのは、向こうの趣味以外の分野の話でも、乗ってくる。
別に無理して話合わせてるんじゃなくて、その場限りの興味だったとしても、「え、それって~になっちゃうんじゃない?」とか、ちゃんと話聞いて理解して、突っ込んだり質問したり出来る。
そして、一緒にいて面白い奴っていうのは、こちらの趣味以外の話でも、面白く聞ける。
きちんと「専門外の奴に話している」という自覚を持って、それなりにかみ砕いて話してくれる。
だからこっちも「え、そんなことあるんだ」「え、それってこうじゃなかったの」みたいな驚きや、新しい発見があったり、面白いエピソードを聞けて、退屈しない。
趣味や考え方が全く合わなくても、論理的志向が出来て、きちんと相手の話を聞いてレスポンスを返せて、また相手がきちんと理解出来るように話せる奴なら、十分面白い。
そして何より、そういう連中は、面白そうに話すし、面白そうに聞く。
自分に対し、ある程度自信というか、信念というか、何かを持っている。
(1/2:コメントに返信追記)
さっきFacebookを見たら、知り合いの女の子が梅田で数人ではしゃいでいる写真がアップされていた。
率直な感想が、「うわ、うらやまし」だった。
というのも、その間自分がしていた事は家のパソコンで一人画像を見ながらオナニーだったから。
このギャップ。現実のギャップに落ち込む。リア充への憧憬は隠せない。
これは確かなことだ。嘘はない。でも、なんか違うんだよな。本当のことを言うと、違う。なかなか理解されないけど、この憧れというのは、「自分もその場に居合わせたい!」という願望ではない。「自分も女の子と一緒にはしゃぎたい!」というのとは、実際は違う。そこに落ち込んでいるのではない。リア充と僕の隔絶は、そこではない。
僕は、リア充にはなれない。それは、「土曜のこの時間に女の子と一緒にはしゃいでおらず画面を見ながらオナニーしてるから」ではないのだ。そして、僕がリア充に憧れているのは、今の自分のこの状況に悔やんでいるからではない。では、なんなのか。
今まで何度も経験したこの感じ。大学の人達と飲みに行ったとき、朝までカラオケをした。6人か7人ぐらいで、ノリがいい男2人と僕と、女の子4人だったかな、忘れた。飲みに行って、その後カラオケ、よくある事だ。その後にも何度かあった。
ぜんぜんたのしくないんだよな。
女の子が不細工だとかそういうことではない。曲が合わないとか会話に入れないとか、そういうのも関係ない。そんなに言うほど仲いい人たちじゃないとか、そういうのも違う。男ばかりだったらとか、女ばかりだったらとか、そいうのも関係ない。ただ、こうやって集まって盛り上がるとかが鬱陶しい。自分は一人で居るほうが気が楽だ。本当に、経験するたびに思う。そういう自分に気づく。でも、誘われたら行く。なぜなら、リア充に憧憬があるから。でも、そのたびにまた現実にぶち当たる。馴染めない。
自分がリア充になれないのは、そういう環境に身を置けないからではなく、その状況を良いと思えないことにある。
僕が憧れているのは、僕が羨ましいのは、「その状況を楽しいと思えることそのもの」だった。
(コメント返信追記)
今頃ブクマがなぜ伸びてるのか謎すぎるけど、ブクマコメントを読んで思ったことをいくつか。
結構誤解されてる方が多い。俺はカラオケのくだりで断って書いたつもりなんだけどなあ。なかなか理解されていない。リア充リア充言うから余計に誤解を招いたかもしれない。
集まりの内容なんて関係ないんですよ。オフ会であろうが趣味の集まりであろうが大学の飲み会であろうが会社の打ち上げであろうがオタクの集まりであろうが、集まりそのものが苦手、で、楽しくない。全然盛りあがれない。知ってる話題でも楽しくない。詳しいと余計に喋りたくない。関心のある内容はこんな場で話したくないし話題にもあげないで欲しい。話し振られると適当にごまかす。鬱陶しい。早く帰りたい。メンバーとか内容は関係ないんです。その辺を勘違いされてる方がブクマコメントで多数お見受けできるので、再度確認のため断っておきました。
本当は全レスしたかったけど面倒だからトップ10へレスさせてください。年始暇なので。
その間ってのはフェースブック見てる間じゃないぞ。知人のフェースブック画像で抜きながら落ち込んでるとかテンションが病気。
neogratche
一人でいる事の方が楽なのに、「それは負け犬の人生だ」って社会が否定してくるから苦しい、っていうのはあるかもしんない 2011/12/31 26
一人でいるのは楽だけど別に楽しくはないんですよね。かと言って、人といて楽しいかとういうとそうでもないにもかかわらず、楽しそうにしている人を見ると自分もそうなれるのかもしれないと期待して現実を知る。その繰り返しでした。
fromdusktildawn
「数人で盛り上がって楽しむ」ということができないのは、単に感性の問題だと思ってる人がときどきいるけど、スキルの問題が大きいんだ。「数人で盛り上がって楽しむ技術」というのがあってそれをマスターすればいい 2012/01/01444 clicks 21
めんどくさいっすね。そんなめんどくさい技術ならいらないっす。よく、頑張ったら頑張った分だけ喜びも大きいとか言う人いますけど、私はそれ全く理解できないです。むしろ頑張った分だけ割に合わないと感じる方なのでそういう努力はしません。
y_u_s_u_k_e
オナフェイス充
xevra
要するに他人に興味が無いんでしょ。他人が喜ぼうが悲しもうが死のうがどうだって良いんだろ。だからつまんないんだよ。圧倒的な自己中が非モテの特徴。/大勢が無理なら異性とデートすればいいだろう。捗るぞ 2012/01/0114 clicks
大勢の場で他人に興味抱いてる人って気持ち悪い。そんなのどうでもいいに決まってんじゃん。村社会かよ。自己中ってのは他人の迷惑を顧みないとか、自分の都合で他人を動かそうとするやつのことで、俺は他人に関心がないだけで文句つけたり迷惑かけたりはしてないから、それに対して文句言われる筋合いはないんだけどなあ。一応ある程度空気読んでるから。
rin51
よう、おれ / 学生の頃 男女6:3くらいで山へドライブへ行って目的もなくダラダラ過ごしてるのがツラくて「おい、とっとと帰ろうぜ」と駄々こねたのがオレ 2011/12/31
じゃあ行くなよ!まあ、何か楽しいことあるかなって期待もあったんだよな。無かったら帰るのが正解。
feita
俺も、人間としてぶっ壊れてることへの敗北感と優越感を感じます。中二病的な意味で。/まぁぶっちゃけ単に自己中なだけなんですけどね。こっちからアクションしてあっちからレスポンスないだけでストレスがマッハ。 2012/01/015 clicks
君のそれと俺のそれは全然違うように思える。ぶっ壊れてないし、羨望はあっても敗北感はないし、優越なんかどっから湧いてくんのって感じ。自己中でもない。俺は人に場に合わせるから。俺はレスポンスなんかなくていい。
AmanoJack 本題無視
ROM専腐女子として別に何か書きたいことがあるわけじゃないけど書き手になることに憧れる、みたいな……私もそんな風に萌えてみたいよ……オタ充爆発しろ……みたいな 2011/12/31
みんながみんなそうなら分かるんだけど、みんな楽しそうにしていて自分が全く楽しくないのはなんなのでしょうね。みんな嘘ついてるようにはとても思えない。ていうか嘘ならフェースブックにわざわざ書かんやろ普通。
nymc
価値の無い集まりにしか参加したことがないからそう思うんじゃないかと思う。自分にとって価値ある、楽しい集まりはお前自身が作れ。他人に頼り過ぎ、任せ過ぎじゃないか? 2012/01/0216 clicks
ちょっと本題とずれたレスポンスになるけど
年齢分布どんなかんじ?
(話にオッサンやジジイばかり登場するのは
そもそも客全体にその年代が多いのか、
俺も自己評価が低い。けども、リア充を見て、あんなことしちゃって!と思うことは無い。
人を上下関係で見てしまうということもないな、と思ったが違う。
まるで自分は地の底にいて、他の人はみな地上で生きてる感じだ。
だから、人を上下関係で見てしまうというのはある意味言い得てる。自分より下はいないけどな。
いつもそれを眩しそうに見上げてる。
でも嫉妬や他者否定は感じない。
すごいな、眩しいな、俺と違う生き物だな、と思うだけだ。
何故それで自己評価が低くなるのか。自分の場合は警戒心が強すぎるからだ。
褒められると次は殴られるのかと警戒してしまう。
笑顔で近づいてこられると警戒心が全開。
他人の感情や好意や悪意ってやつを感じ取る能力が薄くて、共感性に乏しい。
好意を持たれていてもそれに気づいて認めて自分の充足に充てる事が出来ないし
逆に悪意を持たれていても気づけなくて相手を知らないうちに怒らせることになる。
眩しい世界にいる俺以外の他の連中は、俺にはわからないコミュニケーション方法で
自分には知りえない充足を得ているに違いないとかつては思っていた。
今も少しそう思っている。
そんな世界で人間関係に揉まれるのは、言葉の通じない国を目隠しで歩くようなものだ。
だから、常に最悪のケースを考えて警戒し、自分の能力を最低ラインで算段している。
自分のやることを過小評価する。人は自分を悪いほうに取ってると仮定する。
他者に自分がこう写るであろう、という想像が徹底的に低いから自己評価が低くなる。
そうしないと恐ろしくて生きていけないからだ。
元エントリとそれに対する批判がぐだぐだしてるのは、自己評価が低く自己肯定感が少ないことと、自信が無いことは必ずしも比例しないからだ。
俺は、自己評価と自己肯定感はこれでもかというくらい低いが、自分の実力の測り方については確固たる自信がある。
自分の出来ることと出来ないことは非常によくわかっているつもりだ。
「この人は「自分に自信がない」と「言える自分」に対して、「堅固な自信」を持っているからだ。」
というのはまさしくその通りかもしれない。
でも、なぜそれが批判になるのだろう?もう生きてはいけない?本当に?
俺は自分の性格を変えることは諦めているので、この自己評価の低さをいまさらどうしようとも思わない。
逆に考えれば、どんなに浮かれた状況でも慢心せず、怒らず、個人に肩入れをせず、他人を冷静に眺めて判断でき
些細な事に嫉妬心を抱かないので他者の優れた点に気づきやすい、ともいえる。
非常に承認欲求を充足しにくいのだけはネックだが。