はてなキーワード: レスポンスとは
増田上だとレスポンスが少なくても、エントリ名でググったらまとめブログにまとめられてることがある。
その場合、そのまとめブログのコメント欄もレスポンスだと考える。
かまってちゃんするために増田に書いてるわけじゃないけど、やっぱり自分のエントリに対してどういう形であれ反応があるならそれはそれでうれしい。
つったって高感度撮影もダイナミックレンジも解像度、解像力、解像感、
何れもフィルムがこの先10世紀進化したって辿りつけないレベルまで行っちゃってるし
引き延ばすのもクッソダルいし取り込まないとPhotoshopもligntroomも使えないし。
何よりもフィルムに戻った所でデジタルに慣れすぎてっからシャッターチャンスを逃しまくると思うんだよね。
一発いくらだし、画質求めて中大判ともなると機材の設置からとかダルいし。
ライティングと構図を詰めれば思った通りのレスポンスを返してくれるデジカメ最高ッス。
最新フルサイズ使ってババァのスナップレベルの写真撮るクソ共は死ね。
書き忘れ追記
もちろん最初はふつーにはてダ使うつもりで実際に1ヶ月くらい使ってみたけど、半匿名でも書くのに気を遣っちゃって、見えない枷のようなものがうざくてしょうがなかった。
IDを気にせずにいろいろ書けるってラクでいいわーと、はてダじゃなくて増田のためのはてなIDになっちゃってる。
気軽なメモレベルから、IDが割れてる状態じゃ書けないような恥ずかしいことまで書き散らせる。
レスポンスをくれる人も、はてダと違って「率直」な意見をくれるように感じるし。
(追記)
匿名のほうが欺瞞だらけ
もちろんそういう部分もあるけど、必ずしもその優劣は決められないから難しいよね。
実名だからこそ、あまりにも「率直」すぎることは書けないから当たり障りない一般論になっちゃったりすることもあって、自分の場合はそのストレスのほうが嫌だった、という話。
本命になってねえじゃねえか
確かにこの不等式からだとそう見えるな。わかりにくくてスマンwww
表示速度やスクロールやズームのパフォーマンスは Androidのブラウザと比べて最も優れた部類に入ると思う。
ユーザーの声がどの程度反映されているのか分かりにくいし、新機能の導入にはかなり消極的な印象がある。
不満をつらつら書いてみる。
ウェブページにアクセスすると、ロケーションバーのファビコンがクルクル回るアイコンになる。プログレスバーはない。
これではいつになったらロードが終わるのか検討もつかない。ロードに時間がかかる原因も分からない。
Javascriptの処理が終わらないのか、あるサイトからのレスポンスが極端に遅いのか。
原因がわかれば、利用者は前のページに引き返したり、違う方法でアクセスすることを試みることができる。
例えば「firefox addon」と調べた後、「firefox addon android」と単語を追加して調べたいとき、Firefox では全て入力しなおしすることになる。
ソフトキーボードが使いにくい スマホ/タブレット では、これがどれほど面倒でイライラする作業か。
Google Chrome では以前に検索した文字列を記憶していて、次回検索するときにそれをサジェストしてくれる。
Firefox は Androidネイティブのコピペ機能を使わず独自に実装しているため、現状はコピーとシェアくらいしかできない。
選択して新しいタブに検索結果を表示する機能は、当然のように他ブラウザには実装されている。Chromeなどは最短2タップでできる。
Firefox で同じ事をやろうとする場合、タップ長押し、コピー、ロケーションバー長押し「Paste & Go」するしかない。
せっかく複数の検索プラグイン用意してあるんだから、検索エンジンを選択して検索とかあればいいのに。。
Google は Webkit でしかレイアウトの確認をおこなっていないようだ。というか意図的に Webkit 依存のレイアウトにしているんじゃないかと感じる時がある。
スマホ版の Firefox のGoogle検索結果はフィルタリングもできない簡易レイアウトで、タブレットにいたってはレイアウトが崩れたままだ。これが数ヶ月放置されている。
どうせ先頭十数文字しか表示されないんだから、ドメイン名を表示したほうがフィッシング対策的にもよっぽどいい。
しかもタイトルが表示されているのに、タイトルの文字列をクリップボードにコピーできない。
ファビコン(サイトアイコン)はほとんどの端末でピンぼけしてるし、表示領域狭くなるし、表示しなくてもいいんじゃないかと思う。
なんにせよ有効活用できていない。
設定項目の一番上にでかでかと About Firefox って... それは一番下でいいだろう。
そんなことが気になるくらいに設定項目が少ない。Firefox 19 でテキストの再配置項目が増えたくらいか。
「パフォーマンス情報を送る」とか、「追跡拒否をサイトに通知」とか、インストール時にしか使わないであろう「Androidからインポートする」とか。
あんまり重要じゃない設定項目がほとんどだ。しかも字が大きくて一覧性が悪い。
利用者にとって必要なのは「ホームページを変更する」とか、「終了時の動作を変更」と「ユーザーエージェント」を変更するとかさ、そういうのなんだよね。。
Firefox の強みって何だったけ。
アドオン数では Dolphin ブラウザよりも圧倒的に少ない。アドオンサイトもインストールしづらいし、目的の物を見つけづらい(というかそもそも無い)。
現状ではアドオンの質もあまり良いとは言いがたい。それに、Firefox本体の設定項目が少ないせいで UA も変えられなければ「選択して検索する」機能さえもアドオンに頼らざるを得ない。
Android 版 Firefox は驚くほど機能が少ない。
これは主に Firefox OS のためのアプリストアだ。方針や理想は理解できるし、面白いと思う。
でも Firefox OS で利用するなら理解できるものの、より良いアプリが揃う Playstore の存在する Android 端末で一体誰が利用しようと考えるのだろうか。
Webアプリの理想を追うのはいいが、Android に向けた Firefox を作るのならば、身近なユーザビリティを向上させるのに優先的に力を注いでほしい。
これは Firefox に限ったことでは無いけれど、縦に長いページでは、一番下までスクロールするのに結構頑張ってスワイプし続けなければいけない。
こういう機能はサイト側がJSで用意すべきだとか思っているんだろうか。
リンクやフォームをタッチした時に背景がオレンジ色になる。Chromeのように灰色ならいいのだけれど、オレンジ色は目に刺激が強すぎて、チカチカする。about:config で探してみたけどそれらしい設定項目もなかった。
端末のバイブが鳴るのも必要ない。そういうのを有効無効にする設定項目が欲しいんだけどなぁ。。
Nexus 7 のことだ。スマホ UI を拡大しただけなので、タブの切り替えにあれほどまでに大げさなアニメーションは必要ないと感じてしまう。
画面に余裕がある分にはタブは常に表示されていて欲しい。
できない。これは開発版で検討されていて、初期設定無効になっているらしいので、安定したら使えるようになるんだろう。
Do Not Track (DNT) 機能。利用者がトラッキングの可否を選択できるのは素晴らしいことだと思う。
けれども世間のほとんどのサイトがこの機能を無視している現状で、この機能を大々的に宣伝に使うのはどうかと思う。
about:feedback でフィードバック送れるのだけれど、Chromeみたいに設定項目あたりに書いといてくれないと気づかない。
Playstoreのレビューが荒れるのもわかる気がする。
==
以上いろいろFirefoxへの不満を書いてみたけど、なんだかんだ多分 Firefox は使い続けると思う。デスクトップ版は大好きだから。
でもAndroid版の現状の使い勝手はひどいよ。イケてない。永遠のサブブラウザだ。Android 4.1以降が普及したらChromeにとって替わられるのは目に見えている。
戦争とか慰安婦だかの責任ってきわめて政治的なものであって、一個人が胸にいだいておかないとダメなものなのかね。
侵略があったとか、なかったとか、なかったことにしたい気持ちも、あったから申し訳なさそうにしなきゃならん理由もわからん。
どっちも、戦争責任みたいなのが個人とリンクしてるって考えてるから思いついてるんだよね?
なんだろうなあ、引っ越した先で、もとの住人がやらかした迷惑について、そこに新しく入った人と何か関係してるの?って感じ。
そこは大家さんや管理会社(政府)が調整したりなんやかんやするものだよね。
現在進行形で自分たちの選んだ政治家が迷惑かけたとかならわかるのだけど、負の歴史のある国に生まれたのは不可抗力なのになあ、と。
おまえんとこの先祖に迷惑かけられたんですけど、と個人に絡まれても、それはお気の毒でした、としか言いようがない。と思うんだわ。
あやまろうが、んなわけねーだろ、と反論しようが、管轄外のことに対するレスポンスとしてはズレてるよなあ、と。
たとえばいま個人のアメリカ人から個人の単位で、原爆について謝罪されても、お、おう……ってなるだけだ。
政府とかがどうするべきなのかは知らない。
ただ個人単位でまで責任とる/とらない、責任がある/ないを背負って生きろみたいな風潮がごく一部で感じられて、なんかすごく奇妙だなと思う。
入社X年目。
全社員数XX人足らずのIT技術者派遣会社。そこそこ歴史もあるらしい。
入社前は、「小さい会社だし、あわよくば社長とか乗っ取ってやってもいいかもね♪」なんて沸いたことを考えてすらいた。
入社後、情熱に燃えていたころは、会社のどこがだめでどうすべきかとかを期末の査定用書類の意見欄に書いたりもしていた。
でも、それへの会社からのレスポンスとか、他の社員とかを見ているうちに諦めた。
会社は、これまでなんとかうまくやってきたという自負と経験則のもとでマンネリをむしろ是としているし、
社員も、それに慣らされて不満こそ言うものの実際に変えようとするまでの気概もない。
周りを変えるより自分を変えろとはよく言うけど、それが確かに一番なんだろうなと思わせるには十分な環境。
今思えば、星の数ほどある小さなIT技術者派遣会社の一つで下請けメインかつ自社開発なんてないに等しいような安定一番の会社を変えるなんていうのが、そもそものお門違いだったとわかる。
いい悪いの問題じゃなくて、会社にとってはそれでずっとやってきたから若造に言われて変えるようなことはないと思うのは当然で、自分が勘違いしてただけだった。
がんばっても給料も賞与も増えない。10年頑張って月の手取りが2万増えるかどうか。当然手取り30絶対に超えられない。
若い人間を現場に入れることが一番の稼ぎになってるんだから、ずっといることなんて考えてないのは当然か。。
今年の冬はついに賞与も危うい。
で、タイトル。
http://anond.hatelabo.jp/20121106133612
http://anond.hatelabo.jp/20121106115649
既に指摘されているように、人類の敵というギミックを持ってきて人類批判するタイプの作品においては、読み手が「人類の敵」側の理屈に共感するようにその作品自体が作られているわけだから、元増田みたいな感想を抱くことはそれほど特異というわけじゃない。
かつ、物語の体裁上は「人類の敵」なる読み手自身と対立してしかるべき立ち位置に位置付けられた思想なので、それに共感するということに違和感があったりするのは別におかしなことではない。
そしてそれを匿名で表現する行為も別に自意識過剰の産物とは言えない。
違和感のあることについて表現し、そのレスポンスを受け取ることで認識のひずみを治そうとするのは自然な心理であって、何かのアピールであるとは普通解釈できない。
?
なんか、話が通じてないみたいだが。
>統計を見る限り女性は馬鹿ではないどころか男性より勤勉なのだが、
> http://www.stat.go.jp/data/nihon/22.htm
箇条書きで確認しておくけど、
1.おれも、女性がバカじゃないってのは認めてるよ。そこに議論の対立はないはずだけど?
2.あと、あなたの示してる高校卒業後の「進学率」のデータは「大学と短期大学」を併せた場合のデータ。オレの示したデータは、4大への進学率のデータ。だから、見てるデータが違うので、要注意。
3.東大・京大・早稲田などの高偏差値大の女性比率は、大学(4大)進学者全体の女性比率よりも少ない
ということだけ。
あと、
http://anond.hatelabo.jp/20121104192623
の話は、なんてか、アレだな。
パートのおばちゃんの話に一定の意味はもちろんあるとは思うけど、
もう、なんか、議論そのものを拒否する態度を示しているだけなので、
五大天才漫画家「手塚治虫」「尾田栄一郎」「鳥山明」あと二人は?
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4323316.html
1.質が高い作品を複数、残している。
を条件とした場合、
手塚が入るのは当然として、赤塚は作品自体のクオリティはともかくとして革新性が弱い。
尾田は商業的にはひょっとしたら鳥山よりも成功した漫画家かも知れないが、やはり革新性に劣る。尾田はたとえるなら少年漫画界のマーガレット・ミッチェルみたいなもの。作品の訴求力と当人のクリエイターとしての革新性とは別。
鳥山は天才に当てはまると思う。ギミックを詰め込んだデフォルメされながらもリアリティを持つ画風自体が衝撃的であったのと、アメコミの影響を受けて租借したうえで、日本の漫画の原稿に和風化して落とし込むという表現技法上の革新もあった。「Dr.スランプ」は大友克洋の「AKIRA」よりも早い。言うまでもなくメガヒットを複数出している。大友をして大友的な革新性の代表として天才扱いするならば、大友的な革新性は鳥山の中に抱合することが出来、時系列的にもそれが妥当だと思う。
水木しげるは天才と言うよりはアルチザン。緻密に粘着的に徹底するという程度が他者を凌駕しているのであって、漫画史全体で見れば、それほど重きを置かれるわけではない。これは水木を軽視しているのではない。作品への評価で言えば、私はむしろ水木を手塚を凌駕して評価している。ただ、漫画史的な視点での評価はおのずと作品評価とは異なると言うことだ。田山花袋や横光利一が作品単体では大した作品は残していないにも関わらず、文学史的な革新性において評価されるように、ここで言う天才とは、作品自体の質はもとより、その数、社会的影響力、そして革新性を備えている必要があるということだ。
そういう意味では石ノ森章太郎は、天才何人か分の重要、かつ致命的な影響を漫画史に残している。フォーマットの創始者という点においても、集団ヒーローの群像劇、そのキャラクターの性格づけはもとより、マーチャンダイジングの手法においてもパイオニアと呼ぶべきである。更に重要なのは、いわゆる「オタク的」な要素の萌芽がすべて石ノ森作品の中に顕著にみられることであって、少年サンデー的な、中産階級的な趣味的なマンガすべてが石ノ森マンガに端を発しているという点である。意外と重要なのは、「日本経済入門」のような、それまで非マンガ的な要素とされていたものについてもマンガに取り込んだことで、手塚や水木の中に見られるマンガというイデオロギーを脱して、徹底的に表現手段として分解してみせるという、作家性とは別の次元の理数系的な分析をマンガに持ち込んだのも石ノ森である。
漫画表現の飛躍的な革新を成したという点では24年組(竹宮恵子、萩尾望都、大島弓子、山岸涼子)を挙げなければならないが、その集大成的な立場としては萩尾を挙げるべきだろう。手塚が基本フォーマットを作ったと言われる戦後マンガの基本は、映画表現をいかにして紙の上に再現するかと言う視点から成り立っていた。萩尾らによってマンガは初めて独立した表現手段になったと言ってよい。マンガは文字と絵が同じ一つのコマの中にあり、吹き出しのセリフ、吹き出し抜きの内面のセリフ、そして絵とそれぞれ矛盾した内容を同時に表現できる唯一の表現手段である。たとえばぶっきらぼうな少年が少女に向かって毒づきながら、なおかつ画面上では頬を染めるなどをして、明らかに少女への好意を示しているような表現は文学では難しい。描写ではなく説明になってしまう。更に実はそれも演技だとして、内面は実はこうすれば少女は自分に対してぶっきらぼうな少年に対する好意を増すであろうとの計算があるとすれば、その内心を同時に表現するのはこれは映画等でも不可能なのである。こうしたマンガ独自の表現方法の確立は萩尾望都を代表とするのであり、その表現手段の派生が致命的過ぎてもはやエピゴーネンとも意識されないほどの重大な影響を及ぼしていることを踏まえれば、彼女の存在は、二十年、三十年のスパンではなく、百年、二百年のスパンで見るならば、手塚をもはるかに凌駕する重大かつ致命的な転換点となったのであった。
と5人のうち4人までが選ばれたが、ここは議論の余地がないところである。つまり個々のこのみや評価の違いはあっても、漫画史の視点から言えば、偏見なく選べばこの4人は欠かせないということである。残りの一人は評価と好みの違いになるだろう。私は、
藤子・F・不二雄を挙げる。
[補足]
まあ、みなさんいろいろご意見はおありでしょうが、そもそも5人に絞るのが無理っちゃあ無理とちゃぶ台をひっくり返してみる。
「てめー、あれ読んでねえだろ」「俺はビートルズの武道館ライヴ見に行ったんだぜ」「江夏の21球も実際に見てない奴が投球論を語るな」的な反応はプロレス論の醍醐味で正しいレスポンス。
レスが挙げているような御大たち、高橋留美子、大友克洋、白土三平、水木しげる、赤塚不二夫、永井豪、いしいひさいち、つげ義春、大島弓子、大和和紀、三原順、梶原一騎、吉田秋生あたりは誰が入ってもおかしくない。個人的にはいくえみ綾とかも入れたい気もするが、個人的過ぎるので止めた。
あと、尾田先生が入っているのはつりですか、みたいなことを言う人には、何といっていいものやら。
[補足の補足]
ekken さんがブコメで尾田は外せよみたいなこと言ってたんですが、私もそれはリンクを張っている元記事について言っているんだろうなって思いました。そうじゃなくてもっと直接に私に向かって「尾田先生が入っているのはつりですか」と言っている人がいたんで(消されたみたいですわ。こわっ)、書いたことで批判されるならともかくさすがに言ってもないことで揶揄されるのはやだなあと思って補足しました。ekkenさん、ご迷惑おかけしてごめんなさいね。この点をブコメで指摘してくださった方も、言ってもいないことで私が批判されるみたいな流れになるのをくぎをさしてくださったんだと思います。ありがとうね。
※10/22下部追記
※返信追記
勉強がなくなって楽だ。出来る人はセミナーに通ったり資格の勉強をしたり、業務に係わる勉強を続けるのだろうけど、僕はやらない。
受験に対する強迫観念というのは小学生の頃から大学に入るまで延々と、強く、常にあった。それでも勉強はしなかった。あの、何をやっている時間も常に受験に対しての後ろめたさ、プレッシャーを感じたまま、朝から寝るまでを過ごすのは苦痛だった。家に帰っても予習復習とか、宿題とか、空いている何時間を勉強するかしないかでどれだけの差がつくとか、そういうプレッシャーがあればあるほど何もする気がなくなる。その精神的負担から解放されたというのは大きい。厳密に言えばこれはアホ大学に入学した時から解放されていた。大学を除いて、学生時代に戻りたいとか言う人の気がしれない。
・未婚者が多い
自分はもう30近くだが、周りで結婚していない人が意外に多い。25歳を越えたあたりから周辺が次々と結婚しだしたけれど、相変わらず未婚の人は多い。自分の周りでは女性の未婚者が多い。これは自分の世代のみならず、後輩、年配の人で数多くいる。30代、40代、50代の未婚者は普通にいる。世の中はいまだに未婚者は社会不適格者だとか負け組みだとかそういう意識が残っているが、ようやく、結婚制度を利用するというのが徐々に、「当たり前」ではなくなってきているように思えた。
・若くて結婚する人としない人で分かれる
結婚に絡めて言えば、20代前半から半ばで結婚する人は、ほとんどが大学以前からの付き合いの延長で結婚している。
「20代前半~中盤」:この層が多い。主に学生時代から付き合っていた人と。ここに入らないと先は長い。
「20代後半~30代前半」:滑り込み型。この層も多い。上と同じで学生時代からというのが半分、社会人になってから付き合った層が半分ぐらい。
「それ以降」:自分がこの年代ではないので詳しくは知らないけれど、結婚は考えていないか、諦めているか、どちらでなくても結婚する確率はかなり低いと思える。特に女性は。
これは意外だった。自分が結婚した親の元に生まれたのもあって、結婚した夫婦はみんな子供を持つものだと思っていた。意図的に持たない層というのは確かに少ないのかもしれないけど、実際結婚していて子供がいない夫婦が多くて、不妊治療とかしている夫婦も多い。
子供のいない夫婦なんて、珍しくもなんともない。いくらでもいることを知った。
・脱税している人が多い
これも意外だった。日本ではこんなに簡単に長期的に脱税が成り立つとは思わなかった。本当に多い。会社員以外で所得税を払っているのは誰もいないのではないかと思えるぐらい。申告しているならまだマシだけど、確定申告さえしていない層がほとんど。しかもけっこう稼いでいる。源泉徴収の会社員は奴隷でしかないと思えてきた。源泉徴収は珍しい制度らしいから、外国ではどうやって徴税しているのだろうか。本当にみんな払っているのか?
自営業は基本的にカツカツだと思っていたんだが、本当に儲かっている人が多くて会社員がアホらしくなる。相続なのか、人脈なのか、ニッチなのか商品力なのかなんなのか知らないけれど、成り立っている人はみんなすごい人ばかりなんだなあと思うようになった。ちなみにこの自営業には医者とか弁護士とか税理士とか会計士とか、いかにもの人は含んでいない。
・言ったもん勝ち
これは本当に悩まされた。悪習慣でしかない。この日本社会では言ったもん勝ちだということが本当にわかった。理不尽なことや、明らかに本人に過失があるような場合でも、客というだけでうるさく喚くだけで、評判を気にする相手には優位な立場を取ることができる。悪い人間、うるさい人間、ひどい人間に有利なように世の中はできている。黙っていると損をする。こういう社会は良くない。だから自分は損をしてでも黙っていようと思う。損をしてでもまともな人間でありたいと思う。
・辞める人が多い
若者の離職率がどうこうって話は一昔前からあったけど、自分らが就職した瞬間は30年40年この会社で働くのかなあなんて思っていた。実際は、めちゃくちゃ辞める。自分はまだ辞めていないけど、毎年何人も辞める人がいる。その人達がどうしているのか、半分以上は転職先を決めてからやめている。一部はそれもないまま辞める。自社に限らず、友人、知り合い、他社の人、やめまくっている。終身雇用がどうのっていうより、同じ会社にずっといるということは実はそんなにマジョリティでもないのかなと思った。年配は辞めない。
・転職者が多い
上に絡めて、転職で自分の会社に入ってくる人がけっこういる。雇用の流動性という意味ではまだまだだと感じるけど、何社も渡り歩いてきた人は普通にたくさん存在する。一方では新卒で職にありつけない傍ら、よくまあそんなに採用されては辞めるなあと思うけど。転職出来る人は普通にできる。
・低所得者も多い
これも本当に多い。自分が見てきた中ではやはり、低所得者が圧倒的に多い。年収300万行かない人たち、バイト、もしかしたら副収入でもあるのかもしれない。それぐらいに彼らは金を使う。身の丈に合わない金を。自分も低所得に甘んじて支出を抑えれば十分生きていけるのではないかと錯覚する。
・数字
世の中は数字でしか成り立っていない。経営者を始め、会社員は数字の話しかしなくて、中身は何もない。あんなものは聞きたくないし実感ないし、なんの面白味もない。
・丸投げ
中身が無い理由の一つとして、丸投げがある。発注側は、中身をまるで理解できていない。数字の計算しかしていない。要望と原価圧縮だけを迫り、内容から責任まで全てを文字通り「丸投げ」する。日本社会の9割が丸投げで成り立っているように思える。丸投げが好きな人は出世する。出世なんかクソだと思う。
今年で社会人5年目になる。
今から社会人になった当時まで振り返って、社会に出るまで知らなかったこと、知って驚いたことなどを覚えている範囲で書き残しておいた。
自分の業種に偏った発見もあり、必ずしも一般的ではないと思うけれど、僕が知らなかった、驚いた社会はこんなもんだ。
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10/22 追記
正直500件超えるとは思ってなかった。
・勉強について
社会に出てからも勉強がある、そっちの方が大変ってのは理解できるんですけど
大学の勉強や社会に出てからの勉強は、受験勉強とはまた異質だったので
・脱税について
→これも自分の業務的な話で、確定申告さえしていないけれど年収がある、というケースを何件も見てきた結果です。
もしかしたら羽振りがいいだけで、負債や経費で年間所得20万以下なのかもしれません。
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ブクマがここまで伸びたんで恒例の、ブクマコメントへのレスポンスコーナーです。top10のみ抜粋して返信します。
丸投げの技術ってのは確かにすごいと思うんですけどね。自分の知らないことをいかにうまく投げて、いかにうまく回すか。そしてイザという時にいかに責任を回避するかは技術だと思います。最後さえなければ最高なんです。
勉強からは確かに解放される(誰も勉強しろといわない)かもしれないが、逆に言えばする人しない人の差がどんどん開いていくということだぞ?
その差というのも、受験勉強のように単純比較できません。点数が出るわけではないから。あとは、何に重きを置くかだと思います。金ですか?役職ですか?昇進したいですか?独立したいですか?方向性が人それぞれなのに、果たしてその差というものを比較することに意味はあるのだろうか。そんなことを言い出したら受験勉強も同じなんですけどね。
仕事は楽しいかね?を思い出した。
何が正しいか間違っているかというのは、あまり重視していません。論文ではないので。
一方では小学生の頃から解放されていた子もいて、身を置く環境次第だと思います。
本人にとっては「社会に出て驚いたこと」だけど、読者にとっては「この人の職業なんだろう」「どんな人生を送ったのだろう」だよね。まぁ本人も「一般論じゃない」と吐露しておられるので、そういうふうに読みます。
なるほど。社会の一部、ですね。社会の一部を垣間見て、とでも言えば良かったかもしれません。職業は、普通の会社員なのでありきたりの職業ですけどはっきり言うのは憚るので、受注や外注があって、個人情報を扱うような、そんな仕事です。だから僕の感想の元になっているデータは自分の身の回りに限りません。仕事で扱う範囲を含んでおります。扱っているのは主に市街地なので、郊外の事情とはやや異なると思います。
社会人になってからは忙しすぎて勉強する気が起こりません。自主的な勉強はたくさん暇があった大学の頃が一番してたかなあ。聖書読んだりとか。
おい自営だけど全然儲かってないぞ。都会だけの話?
自営全般で見ると儲かってない人の方が多い気がします。潰れまくってますしね。
受験勉強に関して言えば、もっと勉強しておけばよかったなんて思ったことないです。そう思えるのは前向きでうらやましいです。
気づいてできるならいいですよね。わかっててもめんどくさくてやらないのが世の常だと思います。
たしかにそうだな。でも、その「人間の温かみ」とやらの裏にある、ジメジメしたウエットな関係性が不快でたまらないから増田に来てる、という側面も一方であるわけで。暖かく、あるいはナマヌルく見守りましょう的な掲示板で、板のロールをプレイし続けてるより、なんのロールも与えられない極寒ブリザードな増田で、時にはお互いを傷つけ合いながら、乾いた匿名空間を彷徨っているほうが、直接的な、あるいは重量のあるレスポンスを得やすい、っていうのはあるのかもしれない。
実力差が出るということは、実力をつけさえすれば戦えるということでもあるから、努力してもどうにもならないどこかのソーシャルネットより居心地が良い、と感じる人もいるだろう。少なくともオレは、そういう感じでときどきここに書いている。
極寒だからこそ、ほんのちょっとの共感が、暖かく感じられる。そういう場所があってもいい
増田には人間の温かみが全く無い、という気持ちがおまえの本心なら、そう書けばいい。でも書いた瞬間から、おまえは増田に参加した一人だ。もしも、ここが居場所でないなら、広大なインターネット空間の、どこか別な場所に行けばいい。選ぶのはおまえだ。好きにしろ。バカだろうが、メンヘラだろうが、ダメ秀才だろうが、匿名であるという一点で完全に平等。来る増田は拒まず、去る増田は追わず。それこそが、増田的な意味での温かみだと、オレは思ってる
物によるとしか言いようがない。
Webアプリって一昔前のQuake2 とかが動くレベルだぞ。要するにPS2並。
ExcelなんかをWebアプリでというのは、さすがに無謀だが
たいていWebアプリが遅い は Webアプリが理由ではなくプログラマーがチューニングしてないとかそういう問題。
ちなみに、プログラムは書く人間によって20倍ぐらいレスポンス速度が違うから、プログラマーの年俸が200万だったり1000万だったりするわけだ。
業務アプリでも、SAP程度であれば、ちゃんと作れば 同一画面に入れる要素をきちんと減らしてAJAXして、そこそこの速度になると思うが。
そういう20倍ぐらい速く動くように書ける人間は、本当に引っ張りだこだからな。
ちなみに、間はいない。
昔サイバーエージェントが些細な事をやらかしたぐらいで烈火の如く「クソ」呼ばわりしてたくせにねー。
http://b.hatena.ne.jp/entry/mala.nowa.jp/entry/24af50df17 (元記事は消失)
で、自分の勤務先がLINEがらみでCAとは比較にならないぐらいやらかしちゃってるのに「俺は担当してませんから」(http://togetter.com/li/326127)と言葉濁すってどういうこと?おかしくない?
CAのHTTPレスポンスコードの件は確かにセンス無いなあとは思ったがさほどたいした事じゃない。LINEに比べればね。LINE酷いでしょマジで。あれだけ威勢のいい事を言っておいてそりゃ無いっしょ。社内でくだらないことやってる奴がいたらぶん殴ってでも止めろよ。担当じゃないとか知らんよ。あれだけ偉そうに他社に説教しておいて足下の火事は「ボク担当じゃありませんからー」じゃなえってんだよそういうの二枚舌って言うんだわ。何が技術者としての良心だよ。そんなにピュアな心を持ち合わせてるんならまず自分の会社のクソなサービス仕様を全廃しろってんだよこのポジショントーク野郎が。
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この記事は現時点で1000近く付けられている以下のブクメを要約したものであり筆者の個人的思想とは無関係です
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/mala/20120830/1346309790
cf). Software Design 2010/01号
!#/bin/sh vmstat 5 2 | tail -1 | awk '{print $4,$5,$6}'
service agent_mem { socket_type = stream protocol = tcp wait = no user = nobody server = Monitor/agent_mem.sh only_from = 127.0.0.1 disable = no }
php の場合、fopen() でもいけると思うのだが、明示的に sockopen() を使う。うむ、perlよりも楽だわこりゃ。
<?php /* -*-java-*- */ /** * モニタリングクライアント * */ $fp = fsockopen( 'localhost', 11001, $errno, $errmsg, 30 ); if ( !$fp ) { echo "Error: $errno - $errmsg \n"; } else { echo date('Y-m-d H:i:s'). "\t"; $stmt = fgets ( $fp, 128 ); if ( preg_match( "/([0-9]+) ([0-9]+) ([0-9]+)/", $stmt, $regs ) ) { $total = (int)$regs[1] + (int)$regs[2] + (int)$regs[3]; echo $regs[1]."\t".$regs[2]."\t".$regs[3]."\t".$total."\n"; } fclose( $fp ); }
こいつをモニターとして走らせっぱなしに出来るようにする。
<?php /* -*-java-*- */ /** * モニタリングクライアント * */ function mem_monitor ( $host, $port ) { $fp = fsockopen( $host, $port, $errno, $errmsg, 30 ); if ( !$fp ) { echo date('Y-m-d H:i:s'). "\t"; echo "Error: $errno - $errmsg \n"; } else { echo date('Y-m-d H:i:s'). "\t"; $stmt = fgets ( $fp, 128 ); if ( preg_match( "/([0-9]+) ([0-9]+) ([0-9]+)/", $stmt, $regs ) ) { $total = (int)$regs[1] + (int)$regs[2] + (int)$regs[3]; echo $regs[1]."\t".$regs[2]."\t".$regs[3]."\t".$total."\n"; } fclose( $fp ); } } while( 1 ) { mem_monitor( 'localhost', 11001 ); ob_flush(); flush(); sleep( 30 ); }
私のところも、ほぼコメントなしだな。
でも、各作品のページに拍手ボタンおいて、それぞれにid振って、どの作品で拍手押してもらえたのかわかるようにしたから、
コメントはなくても、しっかりレスポンスは得られてる感があるよ。
ちなみにトップページにもボタンおいてあるけど、そっちはほとんど押されない。
考えてみたら、私自身も見る側のとき、コメ付きの拍手押さない派だし。
トップページの拍手だと、具体的に「これがこれこれこうで良かったです」って説明する必要があるんだよね。
あと、この文だと丁寧すぎてウザくないかとか上から目線に思われないかとか、相当時間や気を使う。
だから、のた打ち回るほどツボってこれはもう一言作者様に感謝を伝えたい!伝えねば!!
自分のサイトでも、気軽に「これ良かった!」って“反応”だけでも欲しいって気持ちで置いてるから、
お客さんに手間を要求するのは、面倒掛けすぎだなと思って今の設置方式になった。
同じ無言拍手でも特定の作品に対して押されてるから、それだけで十分「これ良かったよ!」ってコミュニケートは出来てる。
Twitterですごい良いツイートがRTで回ってきたとしても、それだけで発言者をフォローはしないで、その発言だけふぁぼったりする感覚?
なんで、漠然と「どうだった?」って聞くような置き方するより、「この作品はどうだった?」っていう設置にしたほうが、win-winかと思う。