はてなキーワード: ブーストとは
AO入試、ポートフォリオで大学に入れる制度を拡充する話で、でもそれって格差を固定するだけだよね?って上級国民が言ってるのがムカつく。
その論拠がAO入試やポートフォリオでは余裕のある生活をしている家の子弟の方が有利すぎる、って話だからだ。それよりは学力で選別する方が公平でしょ?だと。
学力も十分余裕のある家の子弟の方が有利に出来上がっているシステムだろうが。大学に入るには予備校に入るのが当然みたいな風潮だけど、予備校は半期で30万近くする。それは余裕のない家の一月の生活費よりまだ多い。これをポンと払って勉強させることのできる家がどんなに裕福なことか。
余裕のない家の人間にとってはそんな金のかかる学力ブーストをさせてもらっている同級生と真面目に学力で競うよりも、AO入試で一発逆転を狙う方がよっぽど現実的に思えるんだよ。
実際には上級国民の言う通りに余裕のある家の子弟の方が受かりやすいのだとしても。
本当に格差是正をしたかったら世帯収入で入試の点数を調整するシステムでも提案してみろよ。でもそれはしないだろ?
金がある方が有利な状況を崩したくないんだから。
私は承認欲求がとても強い。Twitterで仲良くなる人はフォロワー数が多い人ばかりだ。
そしてそこそこジャンルブーストに乗るのもうまくて、ランキングにもよくお世話になっている。(ここまで自慢)
今ハマっているCPは数年前に流行したもので(以後Aとする)、今では人がほぼいない。だけどハマってしまったものは仕方がなくせっせと小説を書いて投稿して増えないブクマを眺めている。一ヶ月ほど前に2作品投稿して、未だにブクマはどちらも一桁。今までの私からしたらあり得ない話だと思う。出来はほぼほぼ変わらず、ブクマ率(ブクマ数÷閲覧率)も悪くない。だけどただ人がいないCPだった。
数字至上主義の私はそれにめちゃくちゃ落ち込んだ。「全人類私の話読めよ!!!」って思った。
だから今流行りジャンルの大手CP(以後Bとする)を書いてみた。
年齢層が低いと聞いていたからわざと難しい表現はせずに、タイトルはラノベ風にして、行頭開けずに、地の文とセリフの間に一行開けた。
目論見通りちゃんと伸びてランキング入り。だけどその間に一個だけついたAの小説へのブクマの方が死ぬほど嬉しかった。
Bをブクマしてくれた人本当申し訳ないけど全然嬉しくなくて、やっぱ自分が熱入れて書いたものの方が喜べるな〜って思った。
Aはハマりたてて死ぬほど楽しくて楽しくて仕方なかったけど、Bは評価もらうために惰性で書いた感じ。
多分Aでブクマ貰うのが嬉しいのって自分の解釈めいいっぱい詰めて「どうこれ!? 私の解釈合ってる!? 好きですか!? 好きだよね!!!!!」みたい気持ちだから。だけどBは「これみんな好きそ〜」で書いたから解釈なんてなんもない。
ネタの感想はいろんな人が書いてるので、それ以外の部分で面白かったとこを。去年のはこっち。
今年ちょっと長すぎたので2分割した。この記事は抽選会〜敗者復活戦。
全体的に走ってて笑いどころ少ないな。16組もいるんだし、せめてあと10分長くても良かったような。見てるこっちもなぜか気持ちが焦った。
そんな中でも悲哀とともに抜群のセンスを見せつけたロコディ堂前がMVP。座王では毎回安定感ある強さなので、もっといろんな番組で見たいコンビ。
視聴者投票になってからの敗者復活が実質的に人気・知名度投票になってるのは仕方ない部分もある。熱狂的なファンだけじゃなく大抵の視聴者は新しいものより見慣れてるものを好み、それを「面白い」と認識する。だからいくら「ネタ見て面白いと思ったところに入れろ」と呼びかけたって、普段から有名無名問わずネタばっか見てるお笑い大好きマン以外は人気や知名度あるところにしか投票しない。
そういう状況なのは仕方ないとして、番組が後押しすんのはどうなの?って話。流れで多少偏ったレベルじゃなく、普段から露出多くて人気ある組ばかり取り上げて無名どころは存在すら無視。売れてない組はああいう扱いされても仕方ない、売れて見返せみたいなのも言い訳だよな。それそのまま視聴者に見せて面白がると思ってんの?ちゃんとイジリとして仕上がってれば文句ないが、ただの手抜きだから批判してる。
本戦〜1回戦の審査員審査では当然ネタのみで審査するのが正しい。でも視聴者投票である今の敗者復活戦なら、普段テレビでは見られない無名コンビを盛り上げてやって平場での印象で票数にブーストかけてやるくらいでもいいんじゃないのか。せめて普段から露出の多い人気組でも出ジロは無名と同量にするのが公平ってもんだろう。
人気者を盛り上げて敗者復活させればみんな喜んで番組大成功なんてのは大間違いだと今回のM-1は証明した。M-1をここまでの一大事業に育て上げた一番の功労者は人気も知名度もなかった芸人たちだってことは忘れてほしくない。
敗者復活戦・ネタ以外のMVPはラストイヤーの意地を見せた囲碁将棋で。テントパートで2回もウケ取ってたのはさすがの一言。根建の顔芸と文田のコメント両方で成立するコンビ芸なのも良かった。新生いごしょの誕生を見た。
「自分が目下食っていけるかどうか」にしか興味が無く、船底を食い荒らすネズミ連中を支持する行動は「愚か」だよ。
元増田が言ってるのは、結局「船底に穴を空けるネズミでも、大半の乗客にはそんなこと分からないか興味が無い」というだけのことであって、それは「大半の乗客が愚か」であることと何ら矛盾しない。元増田は要するに「国民がアホだから」「アホに分かるように誘導してやれ」ということをやんわり言い換えているだけであって、それはそれで悲惨な結果を引き起こしたってのが二十世紀の歴史にみる反省ポイントなんだよね。だから、「やさしい言い方」なんて無意味だ。アホにはアホというしかない。
だからハッキリ言うけど、その「アホに分かる誘導」、つまりこの先現れる「国民生活を上昇させる画期的な政策」とやらは、「自分たち」以外に対する搾取と簒奪でしかありえない。あとは、それをどんな綺麗な言葉で言い換えるかだけだ。俺はそんな「画期的な政策」には全く興味もないし期待もしない。中国市場の開拓? 外資に日本を売り飛ばす? もし、「米中の仲立ち・バランサー・調停役として画期的な働きをし、そこから生じる利益を流通ハブとして享受する」ようなことができるなら、百歩譲って可能性なくはない(そこに「今はまだ存在しない巨大な利益」が誕生するわけだから)。でも、アメリカの核の傘の下にある日本に、そんな立ち働きができるような政治力はない。交渉力もない。現実を見ろ、世の中うまい話なんてない。
もし期待感があるとすれば、それは政治ではなく、(1)イノベーティブな技術による一時的な経済ブースト、(2)イノベーティブな思想による社会構造の根源的改革、のいずれかだ。ただ、(1)は一時的だし更なる袋小路へと人類を導くだろう。たとえ人類が木星に到達したところで、いずれ「その状況を前提とした競争」が普通になるだけだ。たとえば、情報技術はイノベーティブな技術だったけどそれで仕事が楽になったか?ってことだ。
そして、(2)は「社会構造改革」を伴う以上、結局既得権益側の犠牲は避けられないだろうな。民主主義革命が貴族制を打ち倒したように、民主制を打ち倒す何かは民主制の「王」から何ものかを奪い去る。まあ、それもまた「搾取と簒奪」の一種に過ぎないと言えばそれはそうだよ。自分たちの社会の外に迷惑をかけ、50年後も100年後もぐちぐちそのことで文句言われ続けるような「政策」とやらよりは、社会内で済むだけ百倍マシになる。フランスでは220年前に民衆が、日本では70年前に進駐軍がこれをやった。
だから、問題は、そういう移行に伴う痛みを我々がどの程度の範囲、どの程度の深さに止めるか、ってことになる。政治に仕事があるとすれば、その、ホンのささやかな領域だよ。政治なんてシロモノに過剰に期待してはいけない。
UberEatsが話題です。自分は配達員です。ぶっちゃけ人抜けてくれた方が倍率下がるしブーストかかりやすいんで神です
そもそもUberEatsは儲からないんです。儲かったのは初回に登録して人紹介した人だけ。今じゃ誰も紹介で入らないから地道に配達するしか無い
で時給換算だと大して安くない。ただ違うんです。UberEatsの良さって気楽さなのよ。ぶっちゃけ急いでも何の得にもならないの(もちろん早く届けてすぐ次の配達に行けば総合的儲けは増えるが)
だから馬鹿みたいに信号無視してロードバイクで駆け抜けて自動車と歩行者にメンチ切る必要ないの。ライト付けて信号守って走って良いの。必要なのは店の情報を知っておくこと
この辺は知っておくと良い。一度は配達しないとダメかもしれないが、可能なら地域の配達員間で情報共有してもいいぞ。この手の店は苦情必須だし配達員への文句も多い。受け持たない方が懸命
結局文句言ってるのはどんな店でも受け持って、長距離を馬鹿みたいに飛ばして届けて、挙げ句に苦情と薄給なんでしょ?UberEatsの使い方がヘタッピ
苦情の発生しにくい商品の店の注文を受け持ち、距離はともかく気楽に運んで、苦情は店側だけを適当に聞き流してお小遣い程度の給料を受け取る。これがUberEatsの使い方
恒例の「別に出なくてもいいんだよ? 飲み会」にて、いつも大人しくて可愛がられていた経理が遂に爆発した。
「経理ちゃんは美人で得してるねえ」そうですね「経理ちゃんは肩凝りひどそうだねえ」そうですね「妹さんもそうなのお」
バチコーンの音が三回続いた果てにチーフと副社長の「まあまあ」が飛び交い、さらに小一時間たった後、経理はこっちにやってきた。
いつになく顔が真っ赤で、酒臭い。これはアルコール限定解除したっぽいな。
これから話すのはこの経理に関する顛末だ。長くなるが大丈夫な人は聞いていってほしい。主に俺のために。
翌日マグカップに不審なポストイットが貼ってあった。「実はカタチから入るタイプなんで一緒についてきてもらってもいいですか」
謎の距離感に戸惑いつつも俺は、週末に”しまうら”に連行されることになった。
「RPGでも町についたらまず装備を揃えるタイプなんで」誰だってそうだが。
というか経理ってこんなやつだっけ。職場では昼休みとかに話す仲だが、基本無口でイワユルおっとりさんの印象があった。例の宣言が効いてきているのだろうか。
いままでは、タイトなジーンズ・カカトがあまり高くないパンプス。上半身フワリを下半身で締める。フェミニンな見た目だったが窮屈だ。まずはここらを改善していく。
”しまうら”は近年ではラインナップがかなり充実してきているみたいだった。petit price でも大人の全身が問題なく揃うのだ。
昔のユニクロのようにシャツだけはヤメトケみたいなのは無いし、縫製も下手な若者向けブランドよりはよほどシッカリしていて、何より値段が安い。
安すぎて不安が頭をもたげてくるくらいだ。
ねえ、いい大人がスリッポン・アンダー二千円で通勤は流石にどうかと思うし、せいぜい紐靴にしようよ、スニーカーはニューバランスが大正義だよ、革との混合もあるよ。などと申し上げた。
「徹頭徹尾ラクでいいじゃん。ベジータの戦闘服みたいでさ」旧型の肩のないアレか。
やがて試着室から出てきた経理を見て唸らざるを得なかった。なるほど。これはパーフェクトに過ごしやすそうな格好だ。カジュアルコーデに擬態したジャージみたいだ。
実際あまりにも楽チンだったらしく、経理は服のタグを切ってもらい、礼をくれたあと、そのまま着て帰った。
面白いので次の日は早めに出社して、経理の出社を観察することにした。
しまうら装備で全身を固めた経理はさらにサングラスを重ねてやってきた。頭部の強化もバッチリだね。
はたして、モーセが海を割るように、様子をうかがっていた有象無象は散っていった。先週の三連撃が効いているのか、マネージャー界隈も文句は言えないようだった。
ギョッとしたので忘れられないのだが、この朝の経理は仕事の手始めに机の上を、散らかし始めたのだ。書類の束をひっくり返していた。
後にこれについて、経理はまず原則論を説く。「片付いた机は美的見地からみると、良い」環境が美しく整っていれば、それは周りの人間の生産性を向上させる。へえ。
俺などは誰かに片付けろと言ったことも言われたこともないけれど、なんとなく散らかすのが気が引けて、備品の山からくすねてきたブックシェルフやらトレイやらで書類を整頓し、ティッシュボックスを磁石バーで机の天板の裏に貼り付けていた。部署内では割と褒められた。増田クンのとこもキレイだね。となりで仕事してて気持ちいいよ。エヘヘ。
しかし経理は原則を完全に無視した。「個人の効率性の観点からは結論は、全く異なる」いま必要な書類を最も手近な場所に文字通りぶち撒ける。好き放題スペースの許す限り広げる。物理的に距離が近いんだから、アクセス速度は最速になる。
俺の部署にはデジタル管理派も多いのだが、経理は紙の書類を愛した。いわく「紙は縦引きができないが、代わりに解像度が最高で、レスポンスも最速のデバイス」らしい。
不要になったらそのタイミングでガッとまとめる。付けやすく取り出しやすいクリップで留めて雑にボックスにブチ込む。経理はクリップの役目をプラスチックの洗濯バサミに負わせていた。
「もう手段は選ばないことにしましたから」全体が下がったぶんを突出した誰かが補えば、まあ帳尻は合う。
経理は化粧もそこそこに、ときには髪を振り乱して仕事と格闘していた。明確に差が出てきたのは三ヶ月後だった。
チーフを通して噂話として聞いたのだが、解き放たれた経理は旧版の実に二倍の速度で稼働しているだけでなく、こっちの部署からも進んで雑務を引き受けているということだ。俺はこれは咎める必要があると思った。
なあ、華を拒絶だの女を捨てるだの言ってたけどさ、もともとそんな役割みたいなのを経理が背負う理由はないんだし、だから捨てた分を仕事でカバーしなきゃ舐められるみたいなことは考えなくていいんだよ。
無理しなくていいんだよ。
このようなことを赤坂のバーにて弥勒菩薩の表情で述べショットグラスをあおったところ、直ちに喉にチョップを食らった。
ゴッ ゴホッゴホッ な、なにすんねん
「増田のそういうとこ、言うなれば気の抜けたコーラだと思われます。ワンペナね」ペナルティを食らってしまった。
フォローしてくれる気持ちは嬉しいけれども、と断った上で、いまの自分は仕事が純粋に楽しいからやっているのだと打ち明けてくれた。
もはや制限はない。邪魔は入らない。前よりはるかにペースが速い。成果が目に見えて現れる。能力の向上を実感する。成長している感覚が身に染みてわかる。
化粧の省略やら洗濯バサミの工夫やらハードディスクをSSDに変えた話やら完全栄養食の検討やら、エンボディチェア導入の話やら。エンボディチェア?
話には聞いたことのある椅子だ。経理いわく発売日はちょっと古いが、めちゃめちゃ背中にフィットして、時折ぶり返す腰痛のために良いだろうとのこと。
しかしその椅子、とにもかくにも値段が張るはず。ひょっとして十万超えるんじゃないの?
「近所の人同士で直接売り買いできるサイトがあるんですよ。そこで中古を買えば送料込みでもっと安くなる」
うーん、それって経費で落ちるの。っていうかそもそもそこまでやる?
真剣な目だった。
経理はただただ自分の為だけを考えてる。考えればそれは仕事人として当然のあり方である。そんな経理を上から目線で慰めんとした俺は、なるほど気の抜けたコーラである。しつこく粘り気のある苦さが残る(いや無理やりの解釈だこれ。真意不明ナリ)。
酔いでボンヤリとした脳が、まれな顧客との会合のために十万円のセミオーダースーツを注文していたのを思い出していた。もちろん言えなかった。
「増田もわたしも、一日の時間の大半を会社の椅子で過ごすじゃないですか。だったらそこにカネ掛けるのが最もコスパがいい」
気の抜けたコーラを脇目に、拘束具を脱ぎ捨てた経理はすでに周回差をつけつつあるようだ。
夜がふけて、経理は俺の背中にしがみついていた。類人猿ゲーム「Ancestors」で子供のお猿が親のお猿にしがみついてたみたいに。飲みすぎですよ経理さん。
タクシーまで担いでって運ちゃんにドン引きされたあと、マンションに辿り着いた。エレベーターまでが意外に長くて、経理の意識はすでに朦朧としていた。
経理いわく「アルコールが眠気に変換される体質・眠り上戸」らしい。そういうのがあるんだ。
「すみませんねえ…」
キミ体重重いよ。
「一理あるっすねえ… もってくれよぉ! お前のカラダぁ!!」
不意打ちを食らい、よろけてしまった。急に笑かすなや。
経理の部屋の内装は、むしろ男っぽかった。木製の棚板のアイアンのシェルフ。自然色をベースにしたモノトーンに寄せた家具。経理はもともとはこういう奴なのだ。
無印良品と思しき匿名的なベッドに経理を押し込んで、覚悟を決めた。終電は既に消え失せていた。
ある程度以上酔っていると、体質次第では急性アルコール中毒になりかねない。寝ているうちに吐瀉物が喉に詰まって呼吸ができなくなるケースを聞いたことがある。
今夜、この部屋を離れる訳にはいかない。
「ごめんなさいねえ… 増田、男性なのに」そっちにワンペナ、これでチャラな。
応答を聞かず寝入ってしまった経理を尻目に、タバコをくゆらせて一服し、冷蔵庫から引っこ抜いたコーラ缶(150ml増量)をカラにして灰皿とした。これくらいはいいだろうと思ったんだが、これが完全に裏目に出て翌朝こっぴどく叱られてしまう。息つく暇もない、情け容赦なきフルボッコだった。
長くなったが、以上が経理に関するレポートである。俺は考え直さなければならなかった。会社には経理以外も女性がいる。そして俺たち男性についてはどうだろう。
ここに断っておかなければならない。俺は、経理の女性を捨てる観念が必ずしも妥当なものだとは考えていない。相互作用的に周りを巻き込むのは良いが、そもそも捨てずに済むなら越したことはない。
経理なりのリミッター解除の方法が、ただそこにあったんだと思う。
先に述べた顛末のあと俺は海外に飛ばされた。連日ケチャップとマスタードの濃い味ファストフードを食みながら、自らを振り返った。結果、男性であることはむしろ自分自身をブーストする効果があるという結論に至った。
カフェインのような働き。
ギリギリに追い詰められた状況で「おれは男だ!」の考えが、必要なエネルギーを強制的に絞り出す。たちの悪いことには、深いレベルに刷り込まれた思考の習慣は常時起動型の特性なので、都合の良いときにだけ発揮させるのは、たぶん、難しい。
ならば捨てるか。あの人のように。
迷いを残したまま、つい先日、俺は再び日本に舞い戻ってきた。さてじゃあもう一度、元の職場で頑張りますかという矢先に、懐かしの経理から久々のラインが来たんだ。
皮を被り直したみたいに、経理ははじめ、煮え切らないスタンプでごにょごにょ言っていた。
そういうのいいから、さっさと用件を言ってくれと頼むと、
結婚が決まった、とのこと。
おめでとう。間髪をいれずにクラッカーを打ち鳴らすスタンプを出すことができた。職場の外では女性である。解っていたことだ。もちろん。
ここ三年で知り合いの女性の八割(八人)もが結婚した。良いことだろう。人生を前に進めた、という言い方はペナルティを食らうかもしれないが。
でも正直にぶちまけるとこのとき瞳は高速でサッカード運動を繰り広げていた。お・お・お・め・め・め・ででで
これからどうしよう。
何もかも押し殺して「割と仲の良い社員ふたり」の関係に落ち着く?
この世界で誰も彼もがやってきたように。自分の気持ちに蓋をして「男女の友情はあるんだ」学派に転向したフリをする。
生活を、やっていく。
みんながやっているように。それが男… いや人間の強さである。これこそが真の勇気である。
そんな振る舞いができるだろうか。
「できる」んだなあ。
どうしようもなく「可能」なんだよなあ。そういうのはさあ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1421446
最近の自己責任論に辟易してる。自分も寝食以外ほぼすべて仕事の学習とかに当ててるので周りに比べて結構裕福になってきた。努力目線で言うと、正直周りはよく遊んでる暇あるなと思う。遊んでるから、遊んでる程度実力になるしその程度のお賃金になっている。しかしその遊びが将来実を結んだりしてる人もいるので遊びも否定するわけでもない。私は今は一旦遊ばない人生を選んで仕事に集中してるだけで、遊びのない人生はクソだと思う。
Daigoや堀江等の最近の自由主義はまぁ本当に頭が狂ったくらいに働いて勉強しまくって人によっては離婚したりモラハラしたりしながら人生にブーストをかけることで短期に成功を収めている。自己責任論が強まる国内で彼らが一定数支持を得るのはまぁ必然な気もする。みんな裕福じゃなくなってきてるからワンチャン勝ち取った彼らの言葉が眩しく見えてくるんだろう。
しかし彼らはそもそも努力出来る環境が既にある状態が恵まれていることについて盲目になっている気がする。親ガチャと言われるくらいに私達の人生というのは自立するまで親の性能によって左右される。良い仲間に出会えるか、良い学習塾に通えるか、治安の良い地域に住めているか、この辺は親のスペックにかかってる。親が無教養だったり家族関係がクソだったり、そもそも貧乏だったり。等々。自立するまでにここが糞だった場合を自己責任論者たちはかなり軽視している気がする。親の介護しながら努力できるだろうか。家族に虐待されながら努力できるだろうか(家から出ろと彼らは無責任に言うが、なぜまず家を出るなんて普通の人が考えなくても良い負荷を人生に負わなきゃならないのか)自由主義者たちは機会が平等だと言う。そりゃ機会は平等だ。機会しか平等じゃない。自由主義者達にとって当たり前の圧倒的努力をするというスタートラインにすらまず立てない状況の人が居ることを彼らはなぜか否定する。そこすら自己責任にすり替える。「いやいやもっと頑張ってる奴がいる」「もっと大変だけど成功したやつがいる」特異例ばかり取り上げる。
努力論結構。私も努力は好きだ。だけど努力できる土壌がようやく整ったから実感できてるだけ。私は家庭で18年間かなりのネグレクトを受けてきた。努力が何度も踏みにじられてきた。ずっと無気力で空虚な人生だった。周りは頑張りを認められますます頑張って良い仲間を作り良い学校へ行った。自立して何もかもゼロからスタートした。周りから圧倒的に人生出遅れた感が本当に辛かった。まるごと18年、後方から自己責任論者の背中を見ながら走ってる。今日も自己責任の世界で。
もう疲れた。