はてなキーワード: センシティブとは
目の奥の鈍痛が喝采をあげる
微熱に彩られた皮膚下の神経が快感をセンシティブにむさぼり、悦びに打ち震える
脳が鈍い悦楽の波紋に揺れる
重厚な快感の余韻はあとを引くことなく、やがて深い水ぞこに落ちるような安寧に心身が引き戻されていく
ふぅ。寝るか
宮内庁は広報のブレーンを就けるべきだ。既にいるのであればそいつはクビにするべきだ。
眞子内親王が複雑性PTSDであると報じられているが、なぜこのタイミングでの公表に至ったのか、宮内庁は無能と言わざるを得ない。
宮内庁は眞子内親王、ひいては秋篠宮を守る気が無いのだろうか。
病気のカミングアウトはセンシティブな問題なので、今回の発表に際して眞子内親王の意向があったであろうことは容易に想像できる。
医師の文書を全文読んだが、眞子内親王、宮内庁、医師が言いたいことは最後にまとまっている。
- 結婚の準備を進めることにも支障はありません。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211001/k10013286321000.html
つまり眞子内親王は国民からの誹謗中傷(と感じられるもの)によって複雑性PTSDになりました。
ただし、誹謗中傷が無くなれば、症状は回復します。現在の病状でも結婚の準備は出来ます。
一連の騒動によって眞子内親王のイメージは著しく毀損されているが、今回の病状公表によって更にその流れが強まったように思う。
・小室圭氏による28枚にも及ぶ文書公表に際して眞子内親王が小室氏側についたこと
の一点であったが、今回の病状公表はそれ以上に致命的な対応であったように感じてならない。
そもそも一連の問題はお相手の小室氏の母親と元婚約者の金銭問題に端を発している。
問題は現在に至るまで解決されず、小室圭氏によって出された28枚もの文書によってより問題が拗れている。
当該文書では自身の正当性を主張するとともに、問題は元婚約者側にあると一方的に主張している。
更にその根拠としてとっさに行ったという録音データの存在を挙げている。
このような攻撃的な文書を公表して問題解決が計れるとはとても思えないし、多くの人がそう思ったであろう。
しかし眞子内親王は上記文書が公表されたタイミングでこのようなコメントを明らかにされている。
「文書を読まれていろいろな経緯があったことを理解してくださる方がいらっしゃればありがたい」
https://news.yahoo.co.jp/articles/b09ccf8b16afc0b9fdcf706461be7be583ff2033
つまり眞子内親王は到底国民から理解が得られないであろう元婚約者を攻撃している28枚もの文書を是とし、国民に理解を求めたのだ。
私は中立を求められる皇族の立場でそのような振る舞いをされたことに心底ショックを受けた。
なぜ宮内庁はこのような眞子内親王のコメントを公表してしまったのか。
いくら眞子内親王の意向を受けたからと言ってもこれでは逆風が強くなるばかりだ。
結婚に向けて国民の理解と祝福を得る為の本来のゴールとはあまりにも程遠い。
このタイミングでの公表になったのは、結婚会見に向けて「記者は変な質問をするな」「メディアや国民は批判するな」という意味に他ならない。
小室氏の金銭問題を棚に上げ、国民に対して説明を行わず、駆け落ち婚の様な形で事を終わらせようとしている中で、「何も言うな」と言っているのだ。
皇族から批判するなと言われたら国民は表向きには何も言えなくなる。
また、複雑性PTSDはその原因として
とされており、国民に対して非常に強いメッセージが含まれていることも同時に記しておきたい。
私は眞子内親王を批判したいのではない、宮内庁がすべて悪いのだ。
いくら眞子内親王の意向があったと言えど、宮内庁がそれを公表する事による国民からの反発を正しく認識し、眞子内親王に説明、説得をしていればこの様な状況は生まれていなかったのではないかと思えてならない。
結論としては「好きにしろ」だが、自分の気持ちや考えの整理のために書いている。
Slackには、postに対してリアクションとして使うemojiがある。
そのうち、顔や指を示したemojiでskintoneを変えることができる。
人の肌の色が人種によって違うので、特定の色しか存在しない場合に人種差別とされる可能性があり、肌の色=skintoneを変えるための機能と思われる。
デフォルトのemojiは、黄色の強い色で、黄色人種を意図したものというよりは、どの人種でもないことを強調したものであろう。
skintoneは2-6まであり、数字が大きくなるほど色が濃くなる。
なお、Slack内では
:+1::skin-tone-3:
のように表記するのだが、ここでは簡単のためにskintone3といった表現をする。
会社で契約しているSlackでは、みんな思い思いのemojiを使っており、ほとんどのひとはデフォルトの黄色すぎるemojiを使っている。
しかし、日本人であるAさんは、skintone4という浅黒い色を使い、同じく日本人であるBさんはskintone3というそれよりは明るめの色を使う。そして同じく日本人であるCさんはskintone2を使う(なお、skintone2のemojiは金髪になるが、Cさんは金髪ではない)。
私の目には、AさんもBさんもCさんも一般的なアジア人男性の肌色に見えるし、言ってしまえばCさんが一番色黒に見えている。
みんながどのような感覚で自分のskintoneを選んでいるのかが不思議である。
本当に知りたければ本人に聞くしかないけれど、会社の繋がりの中で、肌の色の選択というセンシティブな話題を出す必要はないし、すべきではないと考える。
肌の色は自認するものであるし、emojiに何を使うべきかなんてのも誰かが強制する話でもない。
それでも、なんとなくの感覚では、わざわざデフォルトから色を変えるのだったら、実態にあった色にして欲しい気持ちがある。
「実態にあった」が私から見た肌の色にしてほしいということであれば、それは私の主観を軸にして世界のあり方を決めたいということなのだろうか?
それは完全な我が儘であるし、やっぱり他者の認識を相対的に軽視しているのだろうな。
今日考えたのはここらへんまで。
つまり、あなたも統一教会関係者と疑いをかけられる可能性がある。このようなセンシティブな話題に言及するときは、「詳しく知りません」ではなく、「私は統一教会と一切関りがなく彼らの活動に欠片も賛同していません」と表明しておくべきだ。
よくわからんのだけど、「詳しく知らない団体」に対して適当に「欠片も賛同してません」とか言っちゃうのは大丈夫なの?
欠片もなのかどうかとか活動内容も理念もなんも知らん団体に対して判断できるわけ無いじゃん。
というかキリスト教系の団体なら「イエス様は偉い」ぐらいの点は一般キリスト教信者と共通部分があってしまったりとかしないものなん?
そういうのを誤魔化すようなことを書いたら、知的に真摯でないことに攻撃的なエリートはてなーのたぐいとかめっちゃ怒るのでは?
オールド左翼は「人のセンシティブな情報を聞くのはハラスメント」という若い世代の感覚を肌で理解してないのよ。そういう同世代の感覚が無批判に正しいとは俺は思ってないけどね。
同じような質問を公権力がしたらオールド左翼も問題だと思うけど、私人間なら問題ないし、本音の所では腹を割って何でも話し合うのが理想的で正しい人間関係だと思ってる。
目的ごとに集まって、目的に関係ないプライベートは問わないのが礼儀、というスタンスが理解出来ない。
マジで何様なんだこいつ。
つまり、あなたも統一教会関係者と疑いをかけられる可能性がある。このようなセンシティブな話題に言及するときは、「詳しく知りません」ではなく、「私は統一教会と一切関りがなく彼らの活動に欠片も賛同していません」と表明しておくべきだ。
あのさぁ、もちろん俺は統一教会との関係なんてないけど、仮に統一教会関係者という疑いを一方的にかけられて糾弾されたとしたら、まずいきなり糾弾してきたやつに反感を持つし、自分にとっての加害者であるそいつらが望む言辞なんてそれがどんなものであれ絶対に口にしたくねーよ。
たとえそれが「月がきれいですね」だろうが「このラーメンはおいしいです」だろうが「私は統一教会の関係者ではありません」だろうが、「自分に非がないのに無理やり言わされる」のは絶対に嫌、言わせたければまずお前が先に言いがかりつけてきたことを謝れよ、って思う。なんで俺がそんなこと言わされなくちゃいけないんだ。ふざけるな。
https://anond.hatelabo.jp/20211001032731
増田に対してはそれほど異論はない。確かにVtuberが何度か統一教会系メディアから取材を受けただけでズブズブと判断するのは根拠薄弱であろう。
とはいえ本文には特定のVtuberやVR界隈全体が統一教会とズブズブであると断じているような箇所はないので、釣りタイトルだけが問題なのではないかと思う程度だ。
少なくとも一時期統一教会がVRに注目していたことは事実と判断できるため、自分には注意喚起として役立った。
元noteは注意喚起に留めておけばこれほど反発を受けることは無かっただろう。その代わり注目もされなかったかもしれないが。
しかし、増田のような統一教会やカルト宗教についての知識がない人が統一教会が関連するトピックについて語るようになった現状は危惧している。
統一教会について触れるときに必要な作法を押さえていないからだ。
統一教会系についてよく知らなくてもいいので下記のことは念頭に置いてほしい。
フェミニストが嫌いとかオタクが嫌いといった話と統一教会についての話は次元が違う。統一教会の活動規模と能力を舐めてかかってはならない。
一週間ずつ、30軒位で掃除当番を回している。
当番内容は、火・金の燃えるゴミの日と木のプラスチックゴミの日、水にある紙類・不燃ゴミ・ペットボトル等の回収後に、回収されなかったものがあるかチェックし、軽く掃除。
共働き等が以前から多い地域だからか回収直後でなくとも当日中にやればいいという決まりだ。
夫婦ともこれまでと変わらず車で仕事に行ってる。A夫の方はタバコも今まで通り吸ってる。
とりあえず、今回は次の家庭に回した。
病気だから、センシティブな話題で深く聞いていけないのはわかる。
だが、代わってくれた家庭の奥さんに(元から近所トラブルがあるとはいえ)、
「俺達の代わりにきちんとやれよww」
と囃し立てながら、タバコの吸殻を投げつける人を信じてられるのか、と。
それでも、信じなきゃいけないのかと。
みんながガッツリ系の店に行きそうなときに、今日はそういう気分じゃないから別のところにしようよーって言ったり自分は別の店に行きますーとか言うの難しくない…?
むしろ別メニューがあったおかげで無理させずに済んで良かったのでは。合わせてくれたんだしメニューまで合わせさせずにそっとしとこうよ
アレルギーとかあっても公言すると「あっ…増田さん食べられないから別の」とかになるし言えない人もいるかと
なんか強く言い過ぎた気がして追記にきてしまった。食事関係って病気にも直結するセンシティブな事柄なので、違和感があってもそっとしておいた方がほんとに良い。コミュニケーションにおいて重要な役割を担っているからこそ言いづらい
ブルース・ウィンターハルダー(Bruce Winterhalder)は、動物間で食料が移動する方法と理由のモデルを調査している。盗みの許容、生産/嗅ぎ回る/機会主義、リスクを考慮した生存、副産物の相互主義、遅延した互恵主義、取引/現物でない交換、その他の選択モデル(血縁の利他主義を含む)。ここでは、リスクセンシティブな生存、遅延型互恵主義、貿易(現物ではない交換)に注目する。我々は、食料を収集品と交換することを遅延型互恵主義に置き換えることで、食料の共有を増やすことができると主張する。これは、変動する食料供給のリスクを軽減する一方で、バンド間の遅延型互恵関係が抱える克服できない問題を回避することで可能となる。以下では、親族間の利他主義と窃盗(許容されるか否か)をより広い文脈で扱う。
食べ物は、飢えている人にとっては、十分に食べられている人よりもはるかに価値がある。飢えている人が自分の最も貴重な価値物を交換することで命を救えるなら、その価値物を交換するために必要な数ヶ月、あるいは数年分の労働力に値するかもしれない。彼は通常、家宝の感傷的な価値よりも自分の命の価値を考えるであろう。脂肪と同じように、収集品も食糧不足に対する保険になる。地域的な食糧不足による飢餓は、少なくとも2種類の取引で食い止めることができた。
しかし、取引コストが高すぎて、バンドはお互いを信頼するどころか喧嘩をしてしまうことが多かった。自分で食べ物を見つけられない空腹のバンドは、たいてい飢えていた。しかし、取引コストを下げることができれば、バンド間の信頼の必要性を下げることができ、あるバンドにとっては1日の労働に値する食べ物でも、飢えているバンドにとっては数ヶ月の労働に値するかもしれない。
局所的ではあるが非常に価値のある取引は、上位旧石器時代に収集品が登場したことで、多くの文化で可能になったと、このエッセイは主張する。収集品は、必要ではあるが存在しない長期的な信頼関係の代わりとなった。もし、部族間、あるいは異なる部族の個人間で持続的な交流と信頼関係があり、互いに無担保の信用を得ていたならば、時間差のある物々交換が刺激されただろう。しかし、そのような高度な信頼関係があったとはとても思えない。上述した互恵的利他主義に関する理由に加え、ほとんどの狩猟採集民の部族関係がかなり敵対的であったことが観察されているという経験的な証拠からも確認できる。狩猟採集民の集団は、通常、1年のほとんどの期間は小さな集団に分かれて生活し、1年のうち数週間だけ中世ヨーロッパの市のような「集合体」に集まって生活する。バンド間の信頼関係がなかったにもかかわらず、添付の図に示されているような主食の重要な取引が、ほぼ確実にヨーロッパで、そしておそらくアメリカやアフリカの大物ハンターなど他の地域でも行われていた。
添付の図で示されているシナリオは仮定のものであるが、それが起こらなかったとしたら非常に驚くべきことである。旧石器時代のヨーロッパ人の多くは、貝のネックレスを楽しんでいたが、もっと内陸部に住んでいた人は、獲物の歯でネックレスを作っていた。また、火打ち石や斧、毛皮などの収集品も交換手段として使われていた可能性が高い。
トナカイやバイソンなどの人間の獲物は、一年のうちで移動する時期が異なる。ヨーロッパの旧石器時代の多くの遺跡から出土する遺物の90%以上、時には99%以上が単一の種によるものであるほど、部族ごとに異なる獲物に特化していた。これは、少なくとも季節的な専門性を示しており、おそらく1つの部族が1つの種に完全に特化していたことを示している。一つの部族のメンバーは、専門化した分だけ、特定の獲物種にまつわる行動や移動習慣などのパターンに精通し、それらを狩猟するための特殊な道具や技術を身につけていたことになる。最近観察された部族の中にも、特殊化した部族があることが知られている。北米インディアンの一部の部族は、バイソンやカモシカの狩猟、サケの漁にそれぞれ特化していた。ロシア北部やフィンランドの一部では、現在でもラップ族をはじめとする多くの部族が、単一種のトナカイの牧畜に特化していた。
旧石器時代にもっと大きな獲物(ウマ、オーロックス、ジャイアントエルク、バイソン、ジャイアントナマケモノ、マストドン、マンモス、シマウマ、ゾウ、カバ、キリン、ジャコウウシなど)が大きな群れをなして北米、ヨーロッパ、アフリカを歩き回っていた頃は、このような特殊化がはるかに進んでいたと思われる。人間を恐れない大型の野生動物はもはや存在しない。旧石器時代に絶滅させられたか、あるいは人間と人間の発射物を恐れるようになったのである。しかし、サピエンス・サピエンスが生きていた時代には、これらの動物の群れは豊富で、専門のハンターにとっては簡単に獲物を得ることができた。取引に基づく捕食の理論によれば、旧石器時代に大型の獲物が大規模な群れをなして北米、ヨーロッパ、アフリカを歩き回っていた頃は、専門性がはるかに高かった可能性が高い。部族間の狩猟における取引ベースの分業は、ヨーロッパの旧石器時代の考古学的証拠と一致する(確実に確認されたわけではないが)。
このように、群れを追って移動する部族は、頻繁に交流し、多くの交易の機会を得た。アメリカン・インディアンは、乾燥させたり、ペミカンを作ったりして食べ物を保存していたが、それは数ヶ月はもつものの、通常は1年はもたなかった。このような食料は、皮、武器、収集品などと一緒によく取引された。多くの場合、これらの取引は年に一度の交易遠征の際に行われた。
大規模な群れをなす動物は、1年に2回だけ領土を移動するが、その期間は1〜2ヶ月であることがほとんどである。自分たちの獲物となる動物以外のタンパク源がなければ、これらの専門部族は飢えてしまうであろう。考古学的な記録で示されている非常に高度な専門化は、交易があったからこそ実現したのである。
このように、時間的にずれた肉の交換が唯一の交易であったとしても、それだけで収集品の利用価値は十分にあると考えられる。ネックレスや火打ち石など、お金として使われるものは、取引される肉の価値がほぼ同じである限り、閉じたループの中で、ほぼ同じ量を行き来する。ここで注意してほしいのは、本稿で述べた収集品の理論が正しいとするには、単一の有益な取引が可能であるだけでは不十分だということだ。相互に有益な取引の閉ループを特定しなければならない。閉鎖的なループでは、収集品は循環し続け、そのコストを償却する。
前述したように、考古学的な遺跡から、多くの部族が1つの大きな獲物種に特化していたことがわかっている。この専門化は少なくとも季節的なものであり、広範な取引が行われていた場合はフルタイムで行われていた可能性がある。習性や移動パターン、最適な捕獲方法の専門家になることで、部族は莫大な生産的利益を得ることができた。しかし、このような利益は、単一の種に特化することは、1年の大半を食料なしで過ごすことになるため、通常は得られないものであった。部族間の分業が功を奏し、それを可能にしたのが交易だった。補完関係にある2つの部族間の交易だけで、食料の供給量はほぼ2倍になる。しかし、セレンゲティやヨーロッパの草原のような地域では、ほとんどの狩猟地域を移動する獲物は2種類ではなく、10種類にも及ぶことがあった。そのため、種に特化した部族が入手できる肉の量は、近隣の一握りの部族との間で交易を行うことで2倍以上になると考えられる。その上、余分な肉は最も必要とされる時に得られる。つまり、その部族の同種の獲物から得られる肉はすでに食べ尽くされており、食料がなければハンターは飢えてしまうのである。
このように、2つの獲物種と、同時ではないが相殺される2つの取引という単純な取引サイクルから、少なくとも4つの利益、つまり余剰の源が得られたのである。これらの利益は異なるものであるが、必ずしも独立したものではない:
1. 餓死しそうな時期に肉が手に入ること。
2. 肉の総供給量の増加:すぐに食べられる量や保存できる量を超えた余剰分を取引し、取引しなかった分は無駄になっていた。
3. さまざまな種類の肉を食べることで、肉から得られる栄養の種類が増えたこと。
食料と交換するために収集品を作ったり、保存したりすることは、悪い時期に備えての唯一の手段ではなかった。特に大きな獲物が得られない場合には、縄張り意識と採集権の取引が行われていたようである。これは、現在残っている狩猟採集文化の一部にも見られる。
アフリカ南部のクン・サン族は、他の現代の狩猟採集文化の残存者と同様に、限界のある土地に住んでいる。彼らには専門家になる機会はなく、わずかに残っているものを利用するしかない。ホモ・サピエンスは、最初にネアンデルタール人から最も豊かな土地と最高の狩猟ルートを奪い取り、ずっと後になってからネアンデルタール人を限界の土地から追い出した。しかし、生態学的に厳しいハンディキャップを負っているにもかかわらず、クン族は収集品を交易品として使用している。
他の狩猟採集民と同様に、クン族は1年の大半を分散した小さな集団で過ごし、1年のうち数週間は他の集団との集合体で過ごす。集会は、取引が行われ、同盟が結ばれ、パートナーシップが強化され、結婚が行われるという特徴を持ったフェアのようなものである。アグリゲーションの準備は、一部は実用的だが、ほとんどはコレクション的な性質を持つ取引可能なアイテムを製造することで満たされる。クン族が「hxaro」と呼ぶ交換システムでは、4万年前にアフリカで発見されたものとよく似たダチョウの殻のペンダントなど、ビーズのアクセサリーが多く取引されている。
クン族が収集品と一緒に売買する主なものは、他のバンドの領地に入り、そこで狩猟や採集を行う抽象的な権利である。これらの権利の売買は、隣人の領域で採集することで緩和できるような地域的な不足の際に、特に活発に行われる。先に述べたバンド間の食料取引と同様に、収集品を使って採集権を購入することは、スタンリー・アンブローズの言葉を借りれば、「飢餓に対する保険」となる。
解剖学上の現生人類は、意識的な思考や言語、そして計画を立てる能力を持っていたはずであるが、取引を行うためには、意識的な思考や言語、そして計画を立てることはほとんど必要なかったであろう。部族のメンバーが単一の取引以外の利益を推論する必要はなかった。このような制度を作るためには、人々が本能に従って以下のような特徴を持った収集品を作るだけで十分だっただろう。(このような制度を作るためには、人々が本能に従って、以下のような特徴を持つ収集品を手に入れることができれば十分であった。) これは、我々が研究する他の制度についても、様々な点で同様であり、意識的に設計されたというよりは、むしろ進化したものである。制度の儀式に参加している誰もが、その機能を究極の進化的機能の観点から説明することはなかっただろう。むしろ、究極の目的や起源を示す理論というよりも、行動の近親的動機付けとして機能する多種多様な神話の観点から説明していた。
食物の交易に関する直接的な証拠は失われて久しい。将来的には、ある部族の狩猟跡と別の部族の消費パターンを比較することで、今回の記事よりも直接的な証拠が見つかるかもしれないが、この作業で最も難しいのは、異なる部族や親族集団の境界を特定することである。我々の理論によれば、このような部族間の肉の移動は、大規模かつ特殊な大型狩猟が行われていた旧石器時代の世界各地で一般的に行われていたと考えられる。
今のところ、収集品自体の移動による間接的な取引の証拠が多く残っている。幸いなことに、収集品に求められる耐久性と、今日の考古学者が発見した遺物が生き残った条件との間には、良い相関関係がある。徒歩で移動していた旧石器時代の初期には、穴の開いた貝殻が500kmも離れた場所から発見された例がある。また、火打石も同様に長距離を移動していた。
残念なことに、ほとんどの時代と場所で、取引コストが高いために貿易は大きく制限されていた。一番の障壁は部族間の対立であった。部族間の主な関係は、良い日には不信感を抱き、悪い日には明らかな暴力を振るうというものであった。部族間の信頼関係を築くことができたのは、婚姻や親族の絆だけであったが、それは時折であり、範囲も限られていた。財産を保護する能力が低いため、たとえ身につけたり隠し場所に埋めたりした収集品であっても、収集品は数回の取引でコストを償却しなければならなかった。
このように、取引コストが高いために、現在我々が当たり前のように使っている市場、企業、その他の経済制度の発展が妨げられていた長い人類の先史時代において、富の移転は取引だけではなく、おそらく最も重要なものでもなかった。しかし、取引コストが高く、市場や企業などの経済制度が発達しなかった先史時代には、おそらく最も重要なものではなかったであろう。我々の偉大な経済制度の下には、富の移転を伴うはるかに古い制度がある。これらの制度はすべて、ホモ・サピエンス・サピエンスとそれ以前の動物とを区別するものである。ここでは、我々人間には当たり前で、他の動物にはない、最も基本的な富の移転の種類の一つである、次世代への富の移転について説明する。
増田が利用したいと考えている某Webサービスでは次のようなユーザ登録フローとなっていた。
以上である。
私が懸念している点は、恒常的に使用可能なパスワードが平文でメール送信される点である。他にも桁数が極端に短いとかあるが、平文パスワード送信のインパクトがなんといっても強い。このWebサービスでは住所、氏名、TEL、メアド、その他特定を避けるため明記はしないがセンシティブな情報を扱っている。サービス自体は便利なものなのでぜひとも利用したいと考えていたのだが、現状では怖くて使えずせっかく登録したが退会も考えている状況である。
懸念点については当該サービスの問い合わせ電話窓口より伝えたが、予測はしていたものの、一般的な「ご意見ありがとうございます」に留まる対応であり、いつどこまで対応してもらえるかは定かではない。
そこでIPAの脆弱性情報届出( https://www.ipa.go.jp/security/vuln/report/ )より当サービスの脆弱性を届け出ようと思うのだが、正直増田はセキュリティの専門家ではないためこれが本当に届け出に値する脆弱性かどうかの確信がなく、はてなの有識者諸兄のお知恵を借りたいというのが本増田の主旨である。不足している情報があればご指摘いただけるとありがたい。
ちなみに決してマイナーなサービスではなく、名前だけならきっと多くの人が聞いたことのあるレベルの著名サービスだし、利用者も数十万単位でいるのではないか?
だからこそ過去誰も指摘してこなかったのかという点と、実は俺が大袈裟に考えてるだけで実はこれ、セーフなのかという疑念もあり、その意味でもご意見を頂戴できるとありがたい。
この絵は誰が描いたものか、pixivの絵なら作品詳細ページへのリンクも張ってという質問を知恵袋でしたら運営に削除された。
実際saucenaoとかでで調べれば絵師名まではわかるんだけどどの作品なのかが出てこない。
これを描いてる人はpixivに複数枚ずつの投稿をたくさんしてるからそのどれかの二枚目以降に埋もれている可能性がある。
しかしそれを自力で探すのは時間の無駄だから、誰が描いたのかから知らない体で質問をしたまでなのだ。
回答が来るまでの間俺は他のことをしていればいいわけだからな。コンピュータのタスクスケジューリングみたいなもんだ。
adatom この手の快楽的嘘八百言説を支持するのがフェミなのか笑 “女の方が男より痛みに強い”男は弱虫だけど女の方が肝が据わっている”仕事より家事・育児の方が何倍も大変”専業主婦は年収に換算すれば1000万円分以上”
raccoonhat 大体同意だけど ”「女の方が男より痛みに強い」「男は弱虫だけど女の方が肝が据わっている」”はフェミニズムとは逆の差別だと思うしもしフェミニズムだとすれば悪しき面だと思う/ “「女の敵は男」だよ”も不同意
wakuwakuojisan 今時フルタイム家政婦雇っても年1000万もしないのに自分自身の衣食住が含まれる家事で自称1000万の価値は誰も相手にしないでしょ
yowie フェミニズムは現代においても必要と思うが、追記の「女の方が男より痛みに強い」等の太字部分は逆の性差別的思考で、フェミニズムが性差別の根絶を求める思想なのだという主張とは相いれないように感じる(修正)
ifttt 全面的に同意だけど"女の方が男より痛みに強い""男は弱虫だけど女の方が肝が据わっている""仕事より家事・育児の方が何倍も大変""専業主婦は年収に換算すれば1000万円分以上” これ言ってる人には正直「うわ…」と思う
cdijopvw 追記の意味がよくわからない。「女の方が強い・肝が据わってる・大変」といった主張が"フェミニズムに通じる物"で、“何故ならフェミニズムは「性差別を無くそうとする思想であり努力」だから”...?/追記2本気ですか
Ayrtonism フェミニズムはあまりに幅の広い概念なので、この仮説は十分に成り立つと思う。男性中心の社会を完全に内面化しきってしまっている女性は例外かもしれない。
「女の方が男より痛みに強い」「男は弱虫だけど女の方が肝が据わっている」「仕事より家事・育児の方が何倍も大変」「専業主婦は年収に換算すれば1000万円分以上は働いてる」
むしろ家父長制にどっぷり染まった九州あたりの田舎のおっさんおばさんが「とはいえ女が家庭を回してるの!本当は女に力がある!」とか言って、言いながら口先だけで女を持ち上げて男尊女卑社会をガッチリキープしてそう
そうじゃねーーんだよ
痛みの性差とかどうでもいいよ
追記2が来たけど、
だから女性のほうが痛みに強いなんて研究で否定されてるし、主婦業の年収換算だって何の根拠もないし。
「女の方が男より痛みに強い」「男は弱虫だけど女の方が肝が据わっている」「仕事より家事・育児の方が何倍も大変」「専業主婦は年収に換算すれば1000万円分以上は働いてる」
>「女の方が男より痛みに強い」「男は弱虫だけど女の方が肝が据わっている」「仕事より家事・育児の方が何倍も大変」「専業主婦は年収に換算すれば1000万円分以上は働いてる」
これ、つまる所
・男は女性より痛みに弱く軟弱で
・男は仕事するしか能が無いし仕事は簡単だから誰にでも出来る事しかやれない無能であり
と言ってる様なモンだよね。
「女の方が男より痛みに強い」「男は弱虫だけど女の方が肝が据わっている」「仕事より家事・育児の方が何倍も大変」「専業主婦は年収に換算すれば1000万円分以上は働いてる」
等々、一昔前なら「女が偉そうな事を抜かすな」「女のくせに」などと言われそうな言説である。しかし、こういう考え方はとてもフェミニズムに通じる物がある…と思う。
これらの言説を「とてもフェミニズムに通じる」と肯定的に書くのにはびっくり。そんなものがフェミニズムだというなら今すぐ捨てろ。
これが、
って自分で書いてることと矛盾してるのわからないの?自分の中の性差別意識にどうしてそこまで無頓着なの?
って書くべきでしょ?
っていうか男女の能力差の話はとてもセンシティブなのでスポーツの記録などを除いて安易に口にすべきじゃない、ってのを常識にしていくべきだよ。
主婦業は1000万の価値があるみたいなのはめちゃくちゃ単純に間違ってて
(1)客が金を払う→(2)会社が経費を抜く→(3)社員が給料を受け取る
これいつも思うんだけど、そんなに価値があるなら家事は一切やらないでいいから外で1000万円稼いできてくれ、と思うわ。
それが出来ないならその換算が間違ってるってこと。
「女の方が男より痛みに強い」
傾向としては、実験的な刺激に対して明らかな男女差は見いだせないが、心理社会要因に関しては女性のほうが痛みに敏感である可能性を示唆している。
「女の方が男より痛みに強い」
「男は弱虫だけど女の方が肝が据わっている」
あっそう…
https://money.rakuten.co.jp/woman/article/2021/article_0214/
何がうっすらフェミだよ
普段は男に甘えて都合のいい部分だけつまみ食いするつもり満々じゃねぇか
ここまで見た傾向として
という事が分かった。はてなは親女性な傾向があると思っていたけど、こういういかにも昔的な「女性凄い!」的な意見は受け付けず否定する人が多いんだなと分かった。
「女の方が男より痛みに強い」「男は弱虫だけど女の方が肝が据わっている」「仕事より家事・育児の方が何倍も大変」「専業主婦は年収に換算すれば1000万円分以上は働いてる」
等々、一昔前なら「女が偉そうな事を抜かすな」「女のくせに」などと言われそうな言説である。しかし、こういう考え方はとてもフェミニズムに通じる物がある…と思う。
これらの言説を「とてもフェミニズムに通じる」と肯定的に書くのにはびっくり。そんなものがフェミニズムだというなら今すぐ捨てろ。
これが、
って自分で書いてることと矛盾してるのわからないの?自分の中の性差別意識にどうしてそこまで無頓着なの?
って書くべきでしょ?
っていうか男女の能力差の話はとてもセンシティブなのでスポーツの記録などを除いて安易に口にすべきじゃない、ってのを常識にしていくべきだよ。