はてなキーワード: ありがちなとは
さいしょはよかったけど超人間みたいなのでてきたりして展開も失速気味
アイドルのやつ
最初勢いよかったけどかき分けがあんまできてないのと展開がいまいちで失速
怪獣8合
コメントでさんざんいわれてる
いいいみでたいとるさぎだった
ありがちなフニャフニャラブコメかとおもったらぜんぜnちがった
まじるみえ
さいしょのほうよんできたいしてたのとなんかちがうほうこうにすすんできてそれがまたつまらない
はてぶでわだいになってよみつづけてるのってeお嬢様とぼくやばだけだわ
まあぼくやばもうつのときはこんなんよろこんでよんでるやつ青hじゃねーかじぶんがなさけなくならんのかとおもってたけど
いまあとりえあずフィクションとしてたのしめるくらいにはなった
はよおれをころせ
ころせ
ころせ
しね
アスペは合理的で納得のいく筋の通ったやりとり、ローコンテキストなやりとりを好む。
その人が誰々と仲が良いから、あの人が怒るから、服装が好ましいから、そうしないと目立つから、浮くから、しなきゃいけないことだから、周りの目を見てとにかく黙った方がいい、のような、日本人にありがちな合理性を放棄して社会圧に迎合する仕草や言動、言語化できず合理性もないのに従う習慣、ポエムじみた具体性のない言い回しでの指示や教育、癒着、上には言わないのに横では文句を言い合い村八分にするような奴隷仕草、集団内政治のようなものを理解できないし、したとして好む心理を持ち合わせない。
健常者は嫌だなあと言いつつも社会に属したい要求に負けて呑んじゃうんですけど、健常者は「周りと同じように社会に属することを好み、そうでないものを排他し、集団政治を好む身内以外に攻撃的な特殊な種族」だから、アスペからも理解しがたいものなんです。
おそらく事前のルール説明が弱いか説明が足りないんだと思う。何故反対するのか、核心部分の理由を単純に合理的に説明できてないんじゃないかな
公平で合理的な話し方のできる相手にはアスペはよく心を開くが、いわゆる感情的で論理的な話の苦手なタイプ、直情的で気持ちが先走ってるタイプ、話がまとまらないタイプは、アスペには感情的で圧迫的で独善的で話のわからない相手に映る。
「騒音で苦しむ人やアレルギーの人もいるから配慮しよう」では、「全員の理想を叶えれば良いじゃないか。別の方向で解決できないのか?騒音やアレルギーは犬を飼うことへの批判にはならないのでは?子供がいれば犬よりもっとうるさいし、犬アレルギーより花粉アレルギーや他のアレルギーの方が主流なのにそれらを排除しないで犬を排除するのは恣意的な選択では?結局理由なんてないよね?」みたいなことになる
もともとこの建物は、「犬を飼わない合意」の上で賃借人を募集したものであるので、ここに住む人の多くは犬の存在を前提にしていないから。「犬を飼える物件」としてデザインされた賃貸物件と住み分けた建物だよ。
ペット禁止物件には、敷金礼金を安く済ませられるので賃借人を募集しやすく、賃貸料や管理費用が安く済むというメリットがあるんだよ。
と普通に説明してくれる人があまりに少なく、誰もかれも適当に「みんながそうしてるからそれでいいじゃんそうしとけよ」みたいな事しか言ってくれる人がいなかったアスペの末路って感じがするかな。この事例では。
これね。
数年前の話になるけど映画「スカイスクレイパー」が公開されてた時に「ロック様とネーヴ・キャンベルの子役二人が黒人なのはおかしい。話の中でもこどもが養子だという説明もなかったし不自然」とかツイートしてる人がいたんよ。
あのー、ミックスレイスでも養子でも家族はただの家族ですから。家族の人種構成はストーリーとは何の関係もないんだからむしろ説明する必要がないわな、と思ったよね。
(海外)映画好きにありがちなんだけど「自分はこんなに詳しい。コレの本当の意味は......」とか言うのに夢中で「外国の物事をその国のものとは違う常識で判断している自分」に気が付かないんだよね。自分は人より詳しい、と思ってるから余計に。
だから、自分の言ってることは自分の偏見に基づいたものだ、ということが理解できない。
そりゃあ視聴者の一部には美女レズカップル好きもいるだろうし(それはたぶんアメリカだけではないしアメリカ人全部がそうではないよね)制作側にもそういう思惑はあったのかもしれない(なかったかもしれない)。でもたとえそうでも、類似の例をいくつメディアの中に見つけることが出来ても「その国では同性パートナーを公にしている人、人種の異なる家族は普通にいるし、だからドラマの中にいてもリアリティがある」のは「ちがいます。」とはならないんだよ。それは「違わない」の。
それにね、「社会の中に同性カップルが普通に見られる」ことと「進化論を否定する人がいる」「『聖書は同性愛を禁止している』という人がいる」「トランプが大統領に選出された」「黒人に平然と暴力を行う人がいる」は全部それぞれ別のことだよね。トランプ以外は日本にも(他の多くの国にも)当てはまるし。
それで「人権とか根っこの部分で、驚くくらい日本より遅れてることも多い国じゃん。」とか言われても「それってあなたの感想ですよね」としかならないよね。
だいたい元々の増田は「登場人物のカップルがたまたま同性。それだけ。あー、普通なんだ。と思った。」といってるだけで誰が誰より「人権とか」進んでるとか遅れてるとか言ってないよね。
「日本は遅れてる」と思ってるのは誰なんでしょうねえ? 誰かそんなこと言ってましたか?
自分の知らない異文化に触れる時に本当に大事なのは「自分は知らない」ということを自覚することだと思うよ。
「自分は知らない」ことを知っていれば新しいものを見た時にそれは「自分の知らないものだ」ということに気付くことが出来る。
「自分は知ってる」気になっていると新しいものを見た時にそのことに気付かない。そして知らないことを「自分の知っていること」の範囲内で理解しようとする。その結果として自分の理解が間違っていてもそのことに気づかない。
その理解する過程に「相手をどうにかして貶めたい」という感情が入り込んでいるともうどうにもならない。
もう初めからその理解が間違っていることは確定したようなものなんだけど、間違った方向に理解していくのを自分で止めることは出来ない。
あと本筋とは関係ないけど、大統領選挙は国民投票じゃないから(笑)
感情的になってないことないこと書いてると自分の偏見だけじゃなくて無知も出ちゃうよね。ポロッ、と。
くわばらくわばら
魔探偵ロキと薬屋探偵妖綺談て似てるよね、って話を誰かとしたくてできないまま20年
どちらの作品もオカルトミステリーで、探偵と助手をはじめとして自称弟子、因縁ありそうな謎の外野(サブ助手)と、キャラクター造形、関係性などなど、あまりに似てると感じて当時は衝撃だった
それぞれの初出を調べたレベル
友人のなかに両方読んでるやつはおらず、片方読んでるやつにもう片方を薦めるのもなんかはばかられて今日に至る
今となっては思い出補正な気もする
もしかしたらミステリジャンルではありがちなキャラ配置なのかも
それでもやっぱり「似てるよね」って話を誰かとしたい
叩くなよ、とは思うんだけどほとんどの普通の母親が常に子供に世話を拒否られたりごねられたりして一日に何回も心折れながら育児してるのに男親は簡単に心折れた(だから諦める)って言いがちだからイラッとするのは感覚的にわかる
ヨッピーは別に心折れたとは言ってなくて父親お断りの雰囲気があるからやる気あっても排除されているように感じる(おそらく心折れる云々はありがちな表現でしかなくて〝排され〟ているように感じるのが重要なのだと思う)から良くないと指摘したのは間違いじゃないよね
根本的に心折れるって表現が男親に使われがちなこと自体甘えがあるから起こることだし
これが労働だったら(母親だったらに置き換えてもいい)心折れた(だからやらない)なんて言うこと自体ありえなくて心折れた(でもやらなきゃ)しか存在しない
やる気を折らないようにしてあげてって扱い自体が間違いで、なだめすかしながら夫に育児をやらせる必要性みたいなものを感じさせる、実際そうせざるを得ない母親もいる(闇が深い)ことが問題なんじゃないだろうか
※読む前に:
本文は「大怪獣のあとしまつ」の感想ではなく、この作品の【反響】について思うこと、であり、作品のネタバレには触れません。観に行ってないし。また、本文はあくまで「この騒がれ方おかしくない?」と書いてるだけなので、見る人にとっては(特に特撮的な目線で批判的な印象を抱いた人には)悪印象を受けるであろうことが予想されます。読まない方が精神衛生上凄くいいです。
以下、本文。
まず、俺はこの映画をまだ見ていない。
それなのに筆を取ったのは、「令和のデビルマン」だの「パシフィックリムとシンゴジラがあえてやらなかったことの煮凝り」だのと散々なことを言われているから。
この上記の二文に関して、まず俺は思った。
「……いや、そう言う映画でしょ?」と
順を追って説明したい。
この作品、個人的には楽しみにしていて、というのも特報の段階で
「絶対恋人を失った主人公が雨の中『ゴジラァアアアアアア!』って叫びそ〜!」
「クソつまんないギャグ挟みそう〜!」
「アイドルあたりが主演やりそう〜!」
というのを感じていたから。俺はこう言うありがちにまみれた【ザ・邦画】な映画が好きで、むしろ嬉々としてよく見に行く方だ。
この作品はその中でも「シンゴジラのパロディ」という印象を強く受けた。怪獣のデザイン、特報やPVからも意識しているのは伝わった。それでいて、「倒すのよりむずくね?」「この死体、どうする?」と、ちょっと軽めに茶化したコピーから、「ああなるほど、あくまでパロディであって、肩の力を抜いてみるタイプなんだね?」とも。
だからこそ、シンゴジラやパシリムと比較したり特撮がどうたらこうたらって視点で批判してるのがちょっとズレてない?と思っている。
タイトルだけならまだいいが、ポスターで思いっきりジャニーズが全面にプッシュされていて、怪獣はマヌケな倒れ方をしていて、キャッチコピーは「この死体、どうする?」「倒すのよりむずくね?」、予告では既視感強めなシーンに元号発表のパロディや偉そうな人たちによる「怪獣って生ゴミ?」などというあっさ〜い会話、ありがちすぎて既視感凄まじいヒロインの叫びとダッシュ。
これ見て「よっしゃ!シンゴジラやパシリムと肩を並べる特撮映画が出たぞ!」って手ぐすね引いて見に行く人、本当にいるの!?
これ作ったの庵野秀明か?ギレルモデルトロか!?あるいはそれくらいビッグな監督か!?
とはいえまあ、タイトルとあらすじだけ見て見に行く人もいるかもしれないし、PVからでもネタバレされたくなくて情報をシャットアウトしてる人もいるかもね。現にそうやって見に行って「予想と違った」って言ってる人も見かけました。たしかにパッと見は真面目な内容に見えるかもしれないし、だったらこの反応も頷けますね……。
……いや、それに関しては見てないあるいはあえて見ない方が全面的に悪いだろ。
製作者側は「こんな映画ですよ!」ってちゃんと出し惜しみもせずに言ってるのにそれを消費者側の都合で見ずに鑑賞して「予想と違った!」ってとんでもないこと言うじゃん。ヤバ。スーパークレーマーか?
これが例えば、「大真面目に大怪獣の後始末について考察した上でキャラクターがおふざけなしで頑張るシリアスな内容」と見えるような予告を発表して、いざ封切りとなって「実はおちゃらけ映画でした〜」って感じで嘘をついていたなら激怒もわかるけど、この作品はそうとは思えないし。
うーん、なんだろう。
この映画を特撮の真剣度をメインとして見に行ってその視点で低評価してるの、入り口の脇にアメリカ国旗ののぼりが立ってて「ジャパニーズフードレストラン〜SAMURAI〜」って看板掲げてるレストランに行って寿司注文したらカルフォルニアロール出されて「こんなの寿司じゃない!いいか?寿司ってのはな〜」ってキレてるみたいで見てて痛々しいんだけど。
ちゃんとよく見ろよ店員全員アメリカ人なんだから大したもの出てくるわけないだろみたいな。(あくまで例えであって外国人寿司職人を貶している訳ではありません)
まとめると、「この作品はシンゴジラを期待して見に行くと肩透かしを喰らう」という感想に対して、「あったりまえじゃん!!!!何言ってんの!?正気か!?!?」と思ったなあ、ということです。
これくらいが俺が今回の反響を見て抱いた所感です。
とはいえ、まあ、その……。
それはそれとしてこの映画単純にクソつまんなそうだな〜!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
見に行くけど!
でもな〜、これがネタにできるクソならまだしも、たまに「これ二時間ドラマでいいよね?」って言いたくなるようなやつもあるからな〜。それだったらやだな。
エンタメって枠組みで作られてるからある程度は信用できるけど。
雨の中叫ぶ山田涼介、見てえ〜!
見に行った後友達と「あそこマジありがちなシーンだよね」って笑いてえ〜!なんならそのシーンのモノマネしてやっぱり笑いてえ〜!
「あそこで寝るかと思った」「俺は寝た」ってやりてえ〜!
「でもあのシーンはよかった」「いや俺はそこもどうかと思った」って話しあいてえ〜!
そんでもって来年の今頃には全て忘れてたまにツタヤのレンタルの棚の端っこにあるのを見つけて「あったな〜、忘れたけど」って思いてえ〜!!!!
【余談】
この作品だけじゃないけど、何でもかんでも邦画でつまらないと思った作品を取り上げて「令和のデビルマン」って言う人、普通に気持ち悪いし実際にデビルマン見たことなさそう。
見た上で言ってたとしても、「今後なんかの作品見た時『令和のデビルマンだ!』って言いたいから」って理由で見てそう。
バズってるツイートにぶら下がってる画像リプに「その画像もらっていいですか?」ってコラをリプしてそうだし、クソリプに対しては「ここだけの話お前クソリプ送ってるぞ」ってポプテピの画像貼ってそう。
それからしばらくは「令和のデビルマンだ〜」「この映画は令和のデビルマンだぜ〜」って上手いこと言ってやったぜとでもいいたげに何度も言ってそう。
バイビ〜。
手伝おうか?は一見優しい発言に見えて、言われた側はとてもウザがっている。
1番いいのは「皿洗いありがとう!自分はお風呂溜めてくるね」もしくは、やられる前にやる、である。
職場の新人は「何かやることありますか?お手伝いしましょうか?」と言っても可愛がられるのに対し、ある程度の社員がそれを言うと指示待ち人間と言われるのと同じである。
正直これはどっちにも非がある。
まず作る側(たずねる側)の非としては、冷蔵庫の中身を詳細に知っているのは自分だけなのに、メニューを相手に決めさせようとしている点。
答える側の非としては、メニューを決めるという家庭内の議論を完全に放棄している点。
なのでベストな問答は「今日はAかBが作れるんだけど、どっちがいい?」「Aがいいな」である。
ここでCがいいなどと言ったら、じゃあお前が作れと言われる。
言うタイミングによって異なるが、普段夕飯を食べる時間の直前にこの発言をされると困る。
基本的に作る側は、メニューを考える→必要なら買い出し→料理、の各課程で思考力と体力を奪われている。
細かく計算すれば、少なくとも1時間の時間コストはかかっているだろう。
その1時間を、突然の「夕飯いらないから」発言で無駄にされる気持ちをどうか分かってほしい。
1時間のコストが無駄になってほしくない、でも急用で仕方ない……そんな時に使われがちである。
ラップをしておいて、本当に食べるならヨシ。
トイレで立って用を足すと飛び散るんだ。
だから飛び散ってトイレを汚していることを理解して、トイレ掃除は積極的にやってもらいたい。
なぜなら女性向け商品のほとんどは男性にとっては全て同じに見えるし、そんなに同じの揃えてどうするの?の思われがちである。
これの問題は、そのまま入れることの弊害があまりないという点である。ちょっと折り目に埃が溜まるくらいであろうか。
かつ、気づいた人間が直してしまうことが多いので、その些細な弊害すらも気づかれない。
口うるさく言うのではなく、そのまま洗ってそのまま干してしまおう。
これも難しいのは、実際に皿洗いをする人でないと重要性が分からない点である。
というか皿洗い当番がしっかり決まっているなら、皿を下げるところから仕事にすればいいのでは。
交代制ならルールを見直そう。
自分の通っていた学校に通わせたいというのは素晴らしい心がけである。
学費が払えるかどうか、現実的に貯蓄と相談すべきだし、通わせたい学校があるなら早め早めに相談するべきである。
『なぜ気づけなかったのか?』
『なぜ防げなかったのか?』
みたいな言葉。
これって結局後々になってから、本当は事が起こる前から相談していた、辛そうに言っているのを聞いた、みたいな情報が出てくる。
自分も現在進行中のすでに20年介護に苦しめられている経験者なのだが、
相談したりしても、動くべき所があれこれ理由をつけて動いてくれないんだよね。
どんなに困っていても『出来ない』の一言で済ませようとしたり、こちらに『困ってることありませんか?』って聞いてくる割に困っている内容を伝えても『大変ですねー』って言われるだけ。
SOSを訴えかけても、動かなきゃいけない所が手を振って応援した振りをしているだけなんだもの。
長年介護してきた人も疲れるし、現代の人たちはメンタルが弱い方だから介護で潰れる人もおかしくない。
だから、心中ニュースで気づけなかったとか防げなかったのか?なんていう内容は、何いってんだ?って話なんだよね。
気づいているし、防ぐ気すらないんだよってね。
橋田壽賀子の名作「おしん」も元増田の言う雪国にありがちな不幸な境遇から生まれた。
それに、吉幾三の雪国だってあるじゃないか。アナと雪の女王みたいな名作映画だってある。だから、たとえ貧しくとも素晴らしい芸術作品を生み出す元になっているのでは)
現代では、雪を利用してデータセンターのサーバの冷却にも雪が使われることがあるそうな。
だから、田中角栄のような政治家は、日本列島改造計画なんて本を書いたりした。
本当に、雪国は不便だね。。
恐らく、優生学とはなにか、のところが曖昧だから解説にたどり着いてないところがある。
そして科学でないことが優生学が誤りである理由の大部分である。
ナチス政権は、当時、「最新の科学と合理性に基づいて政策を進める」と標榜していた。その「最新の科学」の筆頭が優生学であったのだが、実は優生学は科学的根拠に乏しく、今でいう俗流進化論の水準にも達していない。当時からしてもすでに素人っぽい勘違いや都合の良い前提を数多くの含むものであった。
科学ではないので、科学として優生学の誤りの詳細を検索しても、大して詳しい解説は出てこない。それが主に語られているのは、文系科学の分野だ。学問ではないので、単語としても、優性思想、とか使う。
ナチスがなぜ誤りだったのか、みたいな歴史分析の本を探すのが近道だろう。
一番大きいのは、自然界は弱肉強食である、という素人にありがちな勘違いを採用していること。
優れた遺伝子を持った人が優れた子供を残せば反映するであろうそれが進化だ、とかいう考えが根本にある(そしてなぜかアーリア人が優れていてユダヤ人が劣っているとかいう話にする)。
これが明確に間違いで、自然界は弱肉強食ではなく、適者生存である。ライオンやゾウであっても滅びるし、アリやミジンコであっても繁栄する。また、アフリカで繁栄したアリンコをヨーロッパに運んで来たらそれだけで滅びる。兵士に適した遺伝子を持った国民が増えたら、農業が壊滅するかもしれないし、パソコンの天才になる遺伝子を持った人は、ナチス当時は無能以外の何物でもなかったかもしれない。万能の天才になる遺伝子は、伝染病に抵抗できない特性を同時に持つかもしれない。
つまり、優れた遺伝子、などと言うものはない。何が優れているかは場合による。
それは当時の進化論でもすでに判っていたが、ナチスはそれを判ってなかった。科学を判ってない奴らがぶち上げたのが優生学という訳だ。
ナチス以前にも、類似の発想がずっとあり、差別に活用されてきたからだ。
これは20世紀よりも更に前にあった科学分野だ。頭蓋骨の大きさが判れば、脳の大きさがわかる。脳が大きいということは賢くて優秀である。そして、白人の頭蓋骨は大きく、黒人の頭蓋骨は小さい、という話だった。実際には、そんな事実はなく、骨相学の専門家はわざわざ頭の大きい白人と頭の小さい黒人の頭蓋骨を一生懸命に探し出して、それをデータと称していた。そんなこんなでブームは消滅し、いまでは疑似科学とされているのだが。
つまり、差別に科学(っぽさ)を利用するという発想は、優生学以外にも普遍的だし、常に行われているのだ。
それ故に、科学っぽい差別言説を言おうものなら、「てめえ例のイカサマをしようとしてるんじゃねーだろうな?」という目を世間から向けられる。母さんオレオレ、オレだけど、みたいな電話が家にかかってきたときの感じに近いかな。
35歳女。夫のちんぽに精子が無かった。
不妊治療(TESE)で子を授かりそれなりに幸せな日々を送っているが、性生活に満足できていない。
昔からAVや18禁同人誌の中出し描写が好きだった。愛しているといっても過言ではない。射精間際にありがちな「中はダメぇ!」、これは妊娠可能性が少しでもあるからこそ燃えるセリフである。妊娠を目指したセックスであれば「中に出して!」これも素晴らしい。自分より強いオスという生き物に屈服させられている感覚、孕むために愛する男に種付けされる幸福。
夫ちんぽのスペックを知らずに夫と結婚してしまった私は、どちらも手に入れることができなかった。もちろん夫は悪くない、むしろ同情する。精子があれば、妻が中出し狂でなければ、どこからどう見ても平和で幸せな家庭を手に入れられるはずだった。しかし妻は中出し狂だった。夫ちんぽを認めることができず、屈服感被征服感を求めて他の男に手を出した。
やはり子作り実績のあるちんぽは良い。本物のオスに抱かれているという感覚。だが、抱かれるたびにどこか虚しさが募る。夫のちんぽが本物であれば他人に抱かれたいと思わなかっただろうか?性欲が衰えるまで、こうして一生他のちんぽに抱かれるのだろうか?
罪悪感はないと言ったら嘘になる。自分でもこの性癖をどうすればいいのか分からない。何より話し合いで解決できない問題である、夫に伝えたところで夫を悲しませるだけだ。なぜ自分がこんな性癖になってしまったのかも分からない。もしかしたら男尊女卑的な考え方をする父親に知らぬうちに影響されていたのかもしれない。
先日セックス依存を描いた漫画を読んだが、自分もある種の依存症なのだろうと思う。カウンセリングを受けた方が良いだろうか。しかし「どうしても本物のちんぽを得たい」という欲望は誰にも理解してもらえない気がして悩ましい。夫のことはちんぽ以外は好きだ。
推理ドラマにありがちな真相解明パートがなく過剰演出じゃなくてリアルとか言われて異常に言われて持ち上げられていた割に
実際に見てみると十分「過剰演出」な気がする
いくらなんでもこいつら報連相せず命令に背いて独自行動し過ぎだろと思ったし
普段の職場のコメディタッチな様子とか結婚に焦って合コンに出まくる女とか
特に3話なんか、あんな露骨な女性差別表現は現実では絶対有り得ねーよと思ったし(実際の女性差別は性別だけを理由にせずに医者や弁護士のような肩書きのあるエリート女性は尊重するけど底辺フリーター女は露骨に差別するなどもっと複雑)
1:gueuleは顔、口という意味なのに、sale gueulesというワードのうちのgueulesが醜いという意味だと勘違いしてしまう
2:差別にあたるかどうかはデンベレ本人の内心が大事であるとして引用したツイートが発言を隣で聞いていたグリーズマンのツイート
3:フランス語通訳で7ヶ国語を操るフランス人ダバディ氏に対してフランス語の解釈でレスバして無視される
4:在仏53年の言語学博士号取得者に対してフランス語の解釈でレスバしてボッコボコにされる
5:ピュータンピュータン言っていたら読み方はピュタンだと指摘を受けて、以後ひっそりとputain表記に変える
6:スラム街出身の黒人主人公の映画、現代スラム街が舞台の映画で何度も出てくるワードだからputainは日常で使われる言葉であると反論
7:執拗に辞書を引用して反論を試みるも、早稲田大学文学部大学院教授から、文脈を無視して「辞書にこういう訳語がある」と主張してくる学生みたいと呆れられる
8:内心から差別に当たらないとかどうのこうと言ってたくせに、裁判で確定しなければ差別には当たらないとか言い出す
9:フランス人の友人に確認してみれば?というツイートを全無視
10:仏仏辞書を引っ張り出してputainにtres familierな表現として感嘆の意味があると反論するも、tres familierは「よく使われる」という意味ではなく「口語的」、即ちスラングという意味であると反論される
11:見ず知らずのフランス人のTwitterにフランス語初心者を名乗って人種差別ではなかったか質問するが、自分が欲しかった答えがもらえなかったためにお礼の返信もせずに消える。お礼を言ってないことを複数人から指摘されて4日後にようやくお礼の返信をする
12:都合の良いツイートを見つけたのでひろゆきがリツイートしたら、ひろゆきの意見に否定的な人だった
13: パリ在住の元大学教授から「ひろゆきはよほどフランス語ができないか、言われ続けて麻痺してるか、ヘイトを親しみと勘違いしている。留学したての若者にありがちなその国を選んだ自分を否定したくない認知の歪みが起きてる」と言われる
14:ラテン語さん(ラテン語歴10年、英検一級、仏検一級持ち)に、なぜ差別行為があったとされる動画内の文脈を考えずにputainという単語の多義性を強調しているのかと疑問を呈される
15:11のフランス人へのtweetで男性ホテル従業員のことを「Les japonaises」と書いてしまい、動画に映っている日本人男性三人を女性と勘違いしたか、「男の日本人」と「女の日本人」をフランス語で区別することが出来ないということが露呈する
16:11で送ったお礼の文が例文の寄せ集めとしてバカにされる
17:F爺に対して無視を決め込み、YouTube liveのF爺関連コメントも一つずつ手作業で削除する
18:東大大学院哲学科博士課程の学生から、論破がかっこいいと思ってる奴いるけど、相手の議論の弱点を突いて自分の(一時的な)優位を示す「論破的思考」よりも、 互いの議論の穴を補い合うことで、新しい洞察を共に獲得できるような「対話的思考」の方が健全だし時代に適合していると言う正論を言われる
19:7/14の配信中に日本人がピュータンの使い方で議論するのはおかしいというブーメランを放つ
20:F爺に対する無視を解除し論破に向かうも、仏大統領が貧困層への親近感アピールのためにあえて汚い言葉を使った動画を切り取ったmad動画に騙され、仏大統領が大統領選挙の場面でputainを使っているというデマをツイートしてしまう
21:20の動画で自分が優勢であると考えて、それまで某ブログ主とトーンダウンして批判していたのに、F爺と個人を特定して攻撃を再開する