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はてなキーワード: 顕在とは

2024-04-15

anond:20240415182130

新自由主義流行ったというのは要するに小泉純一郎政権期のことだろう。

任期間は2001年2006年から氷河期世代1970年1982年まれ)が主に20代の頃である

では当時の年代別の支持率はどうだったか

https://www.crs.or.jp/backno/old/No569/5691.htm

20歳30歳代40歳50歳代60歳代
全期間42.544.844.247.556.7
田中更迭以前62.261.061.163.967.9
田中更迭以降37.539.038.441.852.3

20代けが特に小泉を支持していたとは思われない。むしろ若干低めである

ただし他の政権ではもっと低かったので、相対的小泉政権若者支持率が高かったとは言える。

若者政治に対する意識2001年7月参院選

https://www.mdr-j.co.jp/jisyu/seiji/index.html

若者政治に対する意識2「小泉内閣を支持しますか」(2002年2月

https://www.mdr-j.co.jp/jisyu/seiji2/index.html

若年者の就労に関するアンケート2004年6月

https://www.kkc.or.jp/data/question/00000034.pdf

29歳以下の意見感想

◆それが将来実を結ぼうと結ぶまいと、意思のあるフリーターには賛同いたします。何か目的があり、そのためにがんばっている今のフリーターは全く問題がないと思います。そうではなく、楽な道を選んだ結果のフリーターが増えるようならば、後々大きな社会問題としていろいろな方面顕在化してくるように考えます。確かに、近年老若問わず我慢」することに耐性がない人が増えているのは事実のように感じていまして、その大きな原因は個人的に(1)親の教育、(2)学校企業教育、(3)それを許容している社会環境制度にあると思っていますある意味、法で取り締まれる分野でなく、モラルで守られてきた範囲であるがため、余計に難しい課題のように感じるのですが。

◆今の会社正社員減少を進めることによって企業を建て直している。一方フリーターパート派遣社員等の流動的な労働力を歓迎している。現時点だけを見ればいいのかもしれないが、将来的には問題は大きいと思われる。新しい安定した雇用を生み出せたらと強く思う。

◆この春から新入社員として「働く」ことになりました。仕事があるだけマシという思いもありますが、入ってみて技術知識の面でまだまだな自分を突き付けられた思いです。日々の出来事に追われ、余裕のない自分がやっていけるのか、スキルを高め、役に立てるのか不安いっぱいのスタートです。大学時代自分としては一生懸命勉強していたつもりなのですが、仕事必要ものとの分野としてのギャップも感じます。昔、大学は出たけれどという言葉がありましたよね。時間に余裕のあるうちに、何が必要なのか情報を得ていれば、少しは違ったのかなと思う新入社員です。

◆若年のうちは気楽にフリーター生活でもやっていけるが、将来を考えると不安が大きい。

企業人件費を抑える為に、派遣を多く採用してしまい、そのため社員にならないフリーターが多くなってしまったりと悪循環ではあると思う。最近、がんばっても給料も上がらないし、評価もされないし、給料体系は学歴で決められてしまうので、社員としてのメリットがないと感じています

現在大学3年生で就職活動を行っているが、希望する企業はどこも募集人員が少なく、面接をする前の書類選考で落とされているところがほとんどで、紙面でしか判断されていないという

ことを悲しく感じる。やりたい仕事があるのに“できない”ということで、どんどんやる気がうせる。このまま希望している職業に就けなかったら、妥協して別の仕事を探す人もいるが、私はバイトパートという形でもやりたい仕事を選ぶと思う。しかしこの考えは親は反対で、何でもいいか就職しろと言う。現在もまだ進路は決まらない。

◆昨年就職活動を行い、この4月から社会人としてスタートを切りました。就職活動を始めるまでは、若年のフリーター増加や早期退職には否定的に考えており、本人の働くことに対する意識の低さ、忍耐力の無さが主な原因と思っていました。しか就職活動を通して、自分希望する会社入社できる学生は一握りという現状を目にし、学生意識を変えるだけでは問題解決しないと実感しました。

私自身、新卒入社した会社を1年で辞めており、今回のアンケートは興味深いです。私について述べれば、会社退職した理由はやはりがまんが足りなかったという事だと感じておりま

す。

◆私も小さい頃から、両親共働きの家庭で育ちました。そのためか、大学卒業後は働くのが当たり前だというように思っていました。やはり、親の姿を子供に見せる(コミュニケーション

ことが、とても大切だと思います

当時の感覚が窺い知れて面白かった。

当時の世論調査でも、中年層をリストラして若年世代雇用を創出するって政策の是非について世代別に聞かれたこともあった

ソースを出してくれ。

2024-04-11

anond:20240410234417

女同士で連帯した結果結婚できない女が弱女として顕在化しただけだろw

2024-04-08

anond:20240408200238

水素水素!と過剰評価されるの

水素自動車売れない⇒理想論だけしか出ない⇒水素自動車売れない⇒理想論だけしか出ない

電気自動車売れない⇒理想論だけしか出ない⇒電気自動車売れる⇒現実論も出てくる

売れないか問題顕在してないだけなんやろなあ

2024-04-06

anond:20240406194230

都会にはね。

まぁ、都会でもガンガン潰れてるけど地方もっと酷いよ。

自治体にガソスタ1つしかないところとか増えてるみたいよ。

ガソスタ自体の数も問題だけど、人口減少する日本ガソリン配って回るドライバー

いつまで確保できるかの方がガソリンの枯渇とかEV課題解決必要技術力云々よりよほど喫緊問題だよ。

都会じゃ今はまだ顕在化してないかのんきにEV対非EVみたいな煽り合いしてればいいけどね。

2024-04-04

anond:20240404193954

希死念慮ってのは常人は抱かないものなので、そういう「症状」が生理顕在化するということは根底メンタルの疾患があるということやろ

なので治療する必要があるという彼氏の主張は妥当

それを不快に思うなら、さっさと別れるのがお互いのため

2024-03-29

映画オッペンハイマー問題点というか

簡潔に。いつものノーランだが題材的にも問題点をやはり言いたくなる

原爆被害を書いていないことを指摘されており、それに対して色々と議論もある今作。

その議論自体批評家的に議論するのかノーランファンであるかなど色々と見方があるのだが

結局あの原爆威力について、ノーラン監督はよくわかっているんだと思う

そして多くの日本人も各国の割合的には世界で1番わかっていると思う

でもアメリカ人はどうだろう

欧米諸国はどうだろう

広島の記念公園には韓国人慰霊碑もあるが隣の国ですらそれを知らない人が多い(なお昨今の韓国での日本ブームきっかけに知れ渡り一気に韓国若い世代が記念公園に来ている状況ではある)

つまあの原爆威力を知らないし自ら能動的に、アメリカ思想をくぐり抜けて、調べていかないと原爆被害が分からない人たちがこの映画を見たということだ。

興味を持って調べて貰えればそれでいいと言う人もいるし、それもわかる

しか実際問題として1本の映画を見て人はその作品背景のついてどれだけ調べるだろうか

正直アメリカ人があの映画を見ても、バービーと一緒に難しい映画見る俺達クールだぜと言ってる人たちは、このまま調べることもなくただオッペンハイマーってこんな人だったんだねぇで終わる。

ていうかバーベンハイマーに乗った若者層、映画絶対寝てただろ

ただまあ…あんやばい虐殺土壌汚染環境破壊、子孫まで続いた遺伝子破壊ノーラン監督一人にすべて語らせることや、今のアメリカを背負わせるなんてことは流石に無理があるし、これを見た興味を持って調べた少数派が、原爆についてもっと詳しく語る必要がでてきた(以前から存在していたものアメリカ顕在したというか)

これは正しい理解を広めるチャンスであることは間違いないのかもしれない

ただし日本人がこの映画を見てオッペンハイマーのことを知ったところで、別にいままで語られてきた日本での戦争教育以上のものはないと感じたので、高校生試写会やったようだがそこで出た「足りないと感じた」って感想もっとであるのだ。

2024-03-26

企業法務やってる

やる気出ね〜

事業部が「こんな風にしたいんだけど」って言ってくれたら全力でそれをサポートしたいけれど。

契約書見てねー、で終わり。こっちであれこれ検討しても結局リスクうの会社だし。

リスク顕在化することも稀だし。

どーーーでもええと思ってしまう。

愛社精神ないと法務って務まらなくない?

事業部同士で適当契約書締結してもええんちゃう

2024-03-23

日記のようなもの

昨夜は処方してもらった薬二錠を飲んで就寝したものの寝起きは優れない。

10時ほどに起床し、ますは朝食を整えた。

朝ごはんパソコンデスクで食べている。モニターには今朝のニュースなんかが垂れ流れていて、YouTubeに切り替えた。

こんな時間でもスト6のライブ放送をしている人というのは案外居るもので、その中にはちょうどザンギも居た

ザンギ使いなのでこのライブ配信を見ながら朝食を摂り、それからメール確認等雑多な作業をこなしていく。

頭はぼんやりとしていて気が乗らず、カフェオレを作る。牛乳は多め。それを飲んでもあまりシャキッとはせず、どちらかといえば勝るグダグダ感。

有名格ゲーマのライブ配信も始まり、それを聞きながらの作業しかし昨今今はやるべことが多すぎて積んでいて、どれから手をつけようかと迷いだす。

とりあえずは、納期が一番短いものから手にかけよう…と作業を始める。マルチタスク音楽やらニュースを聞きながら並列で各設定を構築し、会話の内容を執筆し、それから音楽の選定もだ。

少しずつ、ほんのわずかながらも進み、あっという間に昼となる。

昼は朝と変わらない簡単な飯にした。厚揚げうどんもやしつき。あじはまあまぁ普通。それだけ。

午後になるとカフェインの過剰摂取のため頻尿過多に頭痛顕在し、ふらふらする。やる気、どころの話ではなく、頭の中を嵐が通り過ぎているような感覚

とりあえずノンカフェインお茶麦茶)や水をかぶかぶ飲み、少しずつ体を落ち着かせていった。

おかげで午後の業務牛歩スピードで、結果的に進んだのは微々たるもの

外は寒いので結局出かけず、夜になると雑にPC使って過ごす。それと習慣の読書を少しだけ。

本はソンタグの『反解釈』。まだ読み始めだがとても面白い。ある種の罠、批評家批評家批評するときトラップ”その批判あなたにも向けられているのではなくて?”をソンタグ意識して書ける批評家なのでその辺りの身の躱し方やら矛先をあらゆる方向に向けたりするテクニック的な面も含めて非常に面白い

その後、増田をちらちら見ながら就寝前のホットココアを一杯。

飲み干しながらこれを書く。

今日はあまり仕事が捗らず…

しか明日休日だ!

2024-03-22

anond:20240322120213

表現の自由戦士自称する人たちが嫌ってるのは「コンプラ」であり「規制」は嫌ってないのよな。規制の度合いうんぬんの話は昨日はてブで見かけた記事が参考になる。

ここには20世紀規制で守られてきた日本と、小泉構造改革後の21世紀コンプラ重視による自由化社会の違いが述べられている。

昭和自由、令和は窮屈、窮屈なのはコンプライアンスのせい」は本当か? 『不適切にもほどがある!』の社会学(伊藤 昌亮) | 現代ビジネス | 講談社(1/12

https://gendai.media/articles/-/125986

12ページで広告も入るから読みにくいけど読んでみてちょ

それまでの日本では、行政が人々の活動にさまざまな規制をかけることで、企業不祥事を起こしたり、市民トラブルに巻き込まれたりすることをあらかじめ防いでいた。これが「事前規制」というやり方だ。

しかしそうしたやり方では、人々の活動規制の網の目に阻まれ自由競争が起きにくくなってしまう。また、規制のためのコストがどんどん膨らみ、財政が圧迫されてしまう。新自由主義的な考え方に照らすと、そうしたやり方は望ましいものではない。そこで打ち出されたのが、「事前規制」を緩和するという方針だった。

しかしそうすると、それまでは規制の網の目があることで防がれていた問題顕在化してきかねない。たとえば規制が弱まったのをよいことに、企業がやりたい放題にやって不祥事を起こし、そのためのトラブル市民が巻き込まれるような事態が頻発化してきかねない。そこで打ち出されたのが、「事前規制」を緩和する代わりに「事後監視」を強化するという方針だった。

コンプラ社会自由化社会の成れの果て。

しかしそうしたやり方では、どのような問題が事後に起きるのかの予想がつかないので、そのための対処コスト予測もつかない。それを行政が一手に引き受けることは、やはり望ましいことではない。そこで打ち出されたのが、監視機能全面的行政が担うのではなく、むしろその大部分を民間に任せるという方針だった。つまり人々が自分たち自分たち監視するようにする、という方針だ。

その結果、「何をしてもよいけれど、自分たちの行動は自分たち監視し、自分たちで律してください、そのために自分たち行動基準を作り、そこから逸脱しないよう心がけてください」という方針が打ち出された。そこで導入されることになったのが、コンプライアンスという考え方だった。

BPOが出来たのもこの頃よね。

それはいわば、上から規制に守られてきたそれまでの日本人が、自己責任に基づく自由競争に乗り出していくために要請される、自律的主体を作り出していくための手立てだった。

その後、2001年1月には内閣府に「コンプライアンス研究会」が設置され、9月にはその報告書が発表される。それを受け、経団連などの経済団体を中心にこの概念の普及が進められていき、2006年5月施行されたいわゆる新会社法には、その扱いが明記されるに至った。こうしてこの概念日本社会の中に急速に定着し、普及していった。

今の時代法律作ったり変更したりするのはコストいかルール民間が作れって始まったのよね。

2024-03-21

吃音が酷くなってきた(当社比

自己紹介普通社会人で、それなりに年をとっているおじさん。

最近の苦手な語は、TPOに応じて発さなければ行けない単語全般。例えば自己紹介だったり、世間話をしてる時に、自分が発したい何らかの作品雑談だったり。


今日銀行の来店予約があり、銀行に来店するも不意に「お名前は?」と聞かれて、あっあってなってしまった。

何とか言えたけど、あっあってなった事実と、何でこんな簡単な会話もできないんだと言う無力感。恥ずかしさと情けなさが込み上げてきて、落ち込んでしまった。


自己分析すると、自分過敏性腸症候群の持ち主で、それは思春期学生時代の頃に発動しており、騙し騙し付き合ってやってきたけど、そこから併発した自律神経の乱れなどもあり、知らず知らずのうちに精神を蝕み今に至るので、自分にとっての吃音は、きっとその症状の副産物なのかなと思う。

(元々吃音の気配はあったのだけど、他の悩みに打ち消されて顕在化しておらず、ここ数年は吃音に悩まされてはいなかった)


自分にとって特に苦手なのは、周りが騒がしい時に自分が何かを伝えなければ行けない時で、自分が正しく大きな声で発さなければ、相手に伝わらないかもしれないと言う恐怖心や気負いから、来ているようなのだ


これは、昔親と会話していた時に指摘された、声が小さくて聞き取れない…と、聞き返されることが多々あり、それが呪い化しているのだと思う。

(これは、親が悪いと言う事ではなく、実際に声が小さくて聞き取れなかったのは確かなのでしょうがない…親がトリガーにはなったと言うだけの話)

なので、騒がしい居酒屋などでの会話が苦手。酔っぱらってテンションが上がれば、気持ちが盛り上がり自然と声が大きくなって行くので大丈夫になったりする事もある。


最近怖いのは自己紹介4月って新しい人との出会いが多いので、TPO挨拶が増えるので憂鬱

2024-03-20

我が家安楽死渇望事情

 若い世代がどうして安楽死を求めるかといえば、それはもう自分死ぬめしかない。

 多くの人間が考えている。自殺はなかなか出来ない。だから事故とか災害とか、あるいは事件唐突に死なないか毎日のように望んでいる。そうすれば「自殺した馬鹿野郎」でなく「社会のために生きて死んだ立派な人」になれる。

 逆説、今の社会死ねるのはその苦しみを乗り越えた勇気正義感のある者しかいない。自分の弟はその一人だった。

 彼がどんな人間かと言えば、簡単に言うと頭のいい、賢い人間だった。地頭を生かして国立工学部を現役で卒業していた。ただ就職は上手くいかなかったようで、30手前にもなって小さい企業年収400だか500万(詳しくは忘れた)の平社員をしていた。結婚はおろか彼女も作らず、友人とゲームに興じていたらしい。遺品はゲームハードソフトの山だった。

 まぁ、今時の巷の言葉では弱者男性だとかジャップオスとか言われる手合い。即ち、現代日本においてもっとも蔑まれるべき命であった。だから死んだ。彼は賢かった。動機かに対しては色々な情報が断片的にしか得られなかったし、妹とも「世の中が悪い」みたいな形で合意したけど、その断片的な情報から自分は「世の中のニーズに応えた」が本質的なところだと思った。

 しかし、遺体と対面した瞬間に自分が(悲しいけどこれで少しは世の中が良くなったかな)と思った脇で、妹は泣くどころか呼吸困難に陥っていた。父親陰謀論みたいなのは一切信じない人間だったはずが、一時は「誰かが裏にいるに違いない」みたいな思考に陥っていた時期もあった。親から見ればあれでも死ぬ要素のない真人間に見えたようで。ともあれ、それが無くとも金銭的にも色々と飛んだ。とにかく家族が大ダメージを受けた。

 ひどくない?せっかく世間要望を受けて死んでくれたのに、世間的には「勝手に死んだだけ」みたいな扱いをされて、遺族だけが一方的ダメージ食らって終わっているの。いやまぁ、わかる。彼は有害人間の中でもまだ無害(?)な人間だったから。世間に対する害が顕在化する前に予防策をとったとも言える。だから、繰り返しになるが彼は賢かった。でもこれでは駄目だ。もっと彼より愚かな、救いようのない人間に死んで貰わないと世の中は良くならない。頼むから彼よりもダメな人たちは、早く後を追ってほしい。

 これは自分にも言い聞かせている言葉だ。本当であれば今すぐにでも死なねばならない。リーマン後の地獄就活の末に今の給料は彼よりも下かせいぜい同程度。若いときに色々あって女性恐怖症なので子孫も望めない。この世から去る理由無限にあるけど、残るべき理由など一切ない。実際のところ、彼より先に自分が実行すべきだったのだけど、順番が入れ替わったせいで出来なくなった。だから余計に問題悪化した。無理でしょ。これで自分も同じ事やったら、妹が呼吸困難どころかマジで命を落としかねない。

 だから安楽死制度必要なんだ。本当はそれで今頃は自分と弟が穏便にこの世を去っているのが理想だった。老人や障害者が追いやられる懸念はわかる。なら簡単な話で、50以下の健康な男とでも限定すればいい。とにかく、死にたい若者簡単死ねるようでなければ一向に世の中は良くならない。そもそも、みんな人の命に対して無責任すぎる。この社会からいなくなって欲しい。けど、社会の為に死んでもらった扱いにはしたくない。あくま自己責任。そんな生かさぬよう殺さぬよう、では駄目だ。みんなで責任を持って、しっかり死ぬシステムを構築しなければ。

 これから自分安楽死を求め続ける。自分のために、自分の死を願う世の中のために。うかうかしていると40、50と年を重ねて、どんどん死ねない環境になってしまう。安楽死賛同をし続ける一方で、自分自身でも早く死ぬ算段を完成させねば。おい聞いているか自分と同世代やそれより若い駄目人間共。みんなもちゃんと準備しとけよ。わかったか

2024-03-19

anond:20240317114841

タクシーもそうだけどここまで人員不足顕在化してきたのに第2種免許残す意味ってなんだろう?タクシー自家用車バストラックの間に求められる運転技量の差なんてほぼ皆無だと思うんだけど

2024-03-10

上辺だけ良好に取り繕われるも修学旅行の班選びで顕在化する孤立

じめついた天気では病状が悪化する気がするが、晴れ渡る晴天も忌々しい

まるでモンスターのようだ

私の腫瘍径は、被曝したホルモン量に比例する

どれ程のストレスだったか顕在化した今もなお罵倒する非人格者は罵倒する。

適者生存原理に従って親が子殺しをするのは動物も変わらない。

私の首には親ライオンの歯牙が突き刺さっている。

モルヒネで歪んだその思考は、最早亡者

2024-02-20

男らしさを降りる権利勘違いしてたっぽい

男らしさを降りるって、「妻子を一馬力で養えない男は甲斐性ナシだからダメだという考え」から降りることだと思ってた。

まり「養われ希望無職女性配偶者にすることを、男性が拒絶する権利」であり、

彼女が働かないから、結婚相手としてはナシだなと思って、振ったよ」と言っても、

「女を養ってあげないなんて、男のくせに甲斐性なし」などと詰られることなく、

「働かない人と結婚したくないのは当たり前のこと」として社会に受け入れられる権利みたいなものだと思ってた。

「寄ってくるのが金目当ての無職女ばっかりだから婚活やめました。独身で生きていきます」そう宣言する権利が得られたことだと思ってた。

 

それは勘違いで、「無職低所得男性が、高所得女性に養ってもらう権利を獲得すること」が、「男らしさを降りること」だったの?

女性ですら「高所得男性に養ってもらう権利」が失われていって共働き率が上昇し続けている時代なんだけど、マジでそういうことなの?

所得男性に養ってもらっている無職女性は、出産育児家事労働はしていることが多いように思うけど、

まず男性出産ができないよね。そして無職男性家事がまともにできない人も多い(母親に丸投げした快適な暮らしを当たり前だと思っているため)。

無職者よりも有職者のほうがタスク処理能力根本的に高いから、家事効率よく高い品質でこなせるという傾向まである

男性に限らず女性も正直なところ…知的障害発達障害があるなどが理由で、上司や同僚に嫌われて賃労働継続できない女性が、

働くことから逃げて家庭に入ったとしても、家事も下手という傾向がある。さらコミュニケーションスキルが低いため育児も下手。

出産すると、発達障害遺伝した子供が生まれてくる。健常な子供よりも、育てるのが何倍も大変で、育てる親も発達障害のため育児が下手で、

非常に詰みやすい。虐待毒親といった問題は高確率で、親の発達障害が絡んでる。

 

男だの女だのの前に、「成人」として経済生活の自立ができていない人を配偶者として選ぶことによる「生活破綻」のリスク顕在化しているのが現在だと思う。

「高所得男性が、出産育児家事労働目当てに無職女性を選ぶ」ことは若年層ほど減っている。

そのなかで、高所得女性無職男性低所得男性を選ぶときが来ると…?

そういう男性の子供を出産して育児を任せるときが来ると…?(出産身体的・経済ダメージです)

所得女性は、高所得男性大人気にもかかわらず…あえて無職男性???無職女性より正社員女性のほうが既婚率が高いというデータがあります

 

高齢男性が、不特定多数に対する夜の仕事をしていた若年女性を、自分専属にするために養うという、

性的魅力が無い個体が有る個体を買う、長期専属売買契約が成立した結果としての結婚というケースもあるけど、

男らしさを降りた男性は、女性に買ってもらえるだけの性的魅力を持っているのだろうか?

女性は身ぎれいにして性的魅力を保っておかないと人権を失うような社会圧力があるけど、

男性に対してはそうした社会圧力がない。男性肥満率は女性と比べて圧倒的に高く、体系維持や肌・髪のケア、衛生面などの意識が低い男性が多い。

そういう男性の「性」を買う女性がいるだろうか…?

男性不細工すぎ説。女性側の需要に対して、性的魅力を高く保とうとする男性供給が足りていないために、ホストジャニーズ等の異常な価格高騰が起きたのでは)

 

夫と死別した70代80代の独居女性が、庭の手入れなど体を使う家仕事を任せるために20代30代男性が家にいると助かるとかはあるかもしれないけど、

単発で便利屋さんを依頼すれば良いのでは。また、若い男と法律婚してしまうと遺産が夫に流れて、実子に相続させられる分が減るから避けるだろう。

あと、無職男性便利屋サービスがこなすような「仕事」ができるとは思えない。

女性に…というより、人間に対して提供できる価値が何もない人間…の話になっている。

こういう負債のような人間を無条件に受け入れるのは両親しかおらず、両親が亡くなったあとは生活保護、つまり国家ということになってくるのでは。

個人単位で、負債のような赤の他人自主的に受け入れるのは厳しすぎる。

人間に対して提供できる価値が何もない女性」についてだけ、男性に「男だから養ってやれ。それが甲斐性だ」という圧力をかけて養わせた、

男女不平等時代が終わってめでたい、そこが限界ラインだと思うよ。その先は国家福祉でしょう…。

2024-02-16

数学定義は本当に厳密で一意なものと言えるのか気になりました

たとえばユークリッド幾何学での直線は「幅をもたず、両側に方向に無限にのびたまっすぐな線」だそうですが、これも「幅」とは?「(幅を)持つ」とは?両側とは?「方向」の定義は?「無限(限りが無く)」とは?そもそも「限り」って何?「のびる」とは?「まっすぐ」とは?「線」と結論づけるのは循環論法じゃないの?

と突っ込む人にとっては厳密ではなくなっていませんか?

ここで、これらの言葉意味は、国語辞典に載っている意味と同じものだよなどといおうものなら、それこそ数学の厳密性を否定したようなものになってしまっていると思います

たとえば「方向」を調べたら「向くこと」とでます。これを調べると「物がある方向を指す」というふうに出ます。これは循環論法に陥ってますし、「物の正面があるものに面する位置にある」という別の語釈もありますが、物とは?正面とは?面するとは?位置とは?となります。これを繰り返せば結局どこかで循環論法に行きつくでしょう。

そもそも数学の根幹部分を支える論理学重要概念である否定(そうでないこと)」にしても、厳密に定義することは可能なのかと思います

「~でない」というのは、そうであることがないということ、と言ってみたところで循環論法

そうであるのになぜ上記のような定義公理が厳密なもの認識されているかといえば、「さすがにここまで平易な単語の組み合わせで書けば、これらの単語については私が常識として理解してる意味と同じ常識を、相手も持ってるはずだから同じ理解をするよね?」みたいな態度に立っているんだと思います

結局相手も同じ常識を持っているという不確かな信念によりかかっている、甘えている点で、数学記述もまた完全に厳密で一意というわけではないのかなという気がしてくるのです。

そもそも「方向」なんていうような概念は、言語によって定義されたものを知っているというよりは、幼少期に言語習得していく過程で、それが話されるシチュエーション、つまり五感などあらゆる感覚総体とセットでそうした言葉が使われているという環境に身を置いているなかで理解しているにすぎません。理解内容が各個人で全く同じである保証はどこにもないと思います

どんなに高度な数学表現も究極的には自然言語還元されるはずで(どんな高級言語機械語に置き換えられて処理されるように)、自然言語の各単語に対する人々の理解原理的には五感に根差し感覚的なものなのだから数学記述が厳密で一意というのは、結局はほかの記述の仕方に比べた程度問題(つまりは誇張表現)なのかなと思うのです。

感覚によらない「証明」をすることに価値を見出す人が数学をありがたがることがありますが、数学もまた根源的には感覚ありきの理解に基づいていると思うわけです。

この考えは間違っているでしょうか?そうであればどうして間違いなのか、どこがどう理解を誤っているのか知りたいので教えてください。

ちなみにたとえば「否定」というのは、根本的には、やはり言語理解が完結しているものではなく、現実の状況としての存在非存在にそれぞれ直面して、それぞれに対して「○○がある」「○○がない(なくなってる)」と言われてる場面を経験したうえで、その状況から理解した内容のさらなるアナロジーとして理解してるに過ぎないと思います(理解のあり方が、言語的ではなく、観念直観的)。

数学が他よりも他者と厳密に同一な合意が常に成り立つ、その工夫として、抽象度を高くしているのがその工夫にあたるのではないかという人がいました。↓

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14293524459

しか抽象度を高くすることは、合意内容のずれを減らすという点で「有効でもあり逆効果でもある」のではないかと思いました。つまり諸刃の剣なわけです。

有効である理由リンク先に書かれているのでそこに説明を譲るとして、逆効果であると思う私の説明を書きます

まり抽象度が高い概念は、抽象度が低い概念や直接的な事物に比べて理解が難しい傾向があるのがまずあるわけです。

また定義者の提起する定義をそれを発信される側が期待通りに理解しているか確認するのも、抽象度が高い概念ほど困難な傾向はあると思います

これ自体ある意味抽象のものなのでたとえが悪いですが、たとえば「左を向いて」という発言に対して、「左」を向く反応をすることで、この人は左について正しく理解してそうだなという確認(いや原理的には推定というべき)することができます

抽象度が高くなるほど具象と結びつけたこのような正しく理解してるかの評価確認テストをすることが難しくなるでしょう。

といってもそもそもわれわれは相手自分の言ったことを期待することと厳密に一致した内容で理解してるか確認することは原理的に不可能です。

頭をパカっと割って理解内容を覗きみるということはできないですから

対象となる言葉に関連したその人の発言や反応をみて、理解の結果としての発言や反応として、その人がある部分で正しく(定義者の期待通りに)理解してるだろうということを推定するしかありません。

しかも全体ではなく一部だけの理解が正しくても、発言や反応には異常が見られないということもあるでしょう。

反応や発言いくら調べても、概念全体を期待通りに理解してるかのテストには無限通りのパターン必要と思われ、原理不可能と思います

哲学的ゾンビにも通じそうな話ですが、日常範囲内で「理解齟齬があるような反応が返ってこないなら」そんな「理解が完全同一でないかもしれない」という可能性上の話を心配する必要はないというのはその通りでしょう。

ただ場合によってはそれが表出したように見える一例が、あれの原因がこれだとは言いませんが、望月新一がABC予想を証明したという論文での紛糾みたいなことが起こる一因にはなりえると思います

あれだけ理論として抽象的な概念を積み重ねた先には、定義者とそれ以外のその定義を見た人とでの理解のずれは、反応や発言として顕在化してくるほどになっても不思議ではありません。(定義者の解釈が正しいという優劣の問題ではなく)

特定公理範囲内において論理的矛盾のないシステム

はいますが、そもそも矛盾」とは何か?「論理」とは?「範囲」とは?とは、といくらでも曖昧でしょう。

たとえ矛盾記号論理の表現記述して定義した気になったところで、じゃあその記号定義ないし意味は?とどこまで突っ込まれても感覚に頼らない定義可能なんですかね?と思います

dorawiiより

追記

数学に限らない話じゃんっていうのはまあその通り。

でも定義について「厳密で一意」であることを(得意げに?)標榜してるのは数学(+論理学)とそれベース客観的であろうとする学問ぐらいだから別にエントリ詐欺じゃないよね?

a=b、aはbだ。「は」って何?「だ」って何?「英語的にはどっちもisという語に集約されてるけど、じゃあisってなんだよ」ってところから概念の共有をしてない前提に立った時、その概念を非感覚的で厳密に共有することは可能なのか、それが「完全に」できたと確かめるのにはどうすりゃいいって話よ。

言葉という形式が従で、それに乗るべき内容が主であることは百も承知だが、形式言い換えれば入れ

物抜きに内容を厳密に伝えられるのか、入れ物の存在無関係な、内容の厳密な伝達というテレパシーじみたものを考えることはそれこそ論理的に正しいのかという話でもある。

言語的なテレパシー論理的に矛盾してるので存在しえないのではないかとは思っている。

さら追記


イデア論かな哲学書読めばってブコメついたけど、順序が逆なんだよね。

イデア論とか学校で習って本読んだりして教養として知ってるからこそ、改めてその考え方を自分なりの具体的な考察対象にあてはめて思索したくなるわけよね。

先達の哲学者たちがいなかったら俺はいまだにブルアカで抜くだけの毎日だわ。むしろ哲学者リスペクト100パーセントなんだよね。

語彙力ないので語弊ありそうなのは百も承知だが、哲学って考え方の基幹部分のオリジナリティーはそんな求められてないんだよ。

しろ先人から受け継いだ考え方をどう今の時代の具体的な問題適用して考察を広げるかが大事なので、ちょっと哲学かじったような素人目には過去論文の焼き増しに見えてその存在意義が理解できないような論文ごまんとあるんだよね。

哲学において焼き増しは無意味パクリじゃないのよ。

あいブコメつける人って「方向性とかみたいな意味ベクトルという言葉を使ってる人は横文字使いたがりの格好つけ」と言ってる人みたいな人を性悪説的にとらえるクレーマー気質が高い人間に感じる。

ちなみに俺はベクトルという言葉を使う人は「周りがベクトルという言葉を使ってるからリアルタイム性を要求される会話でとっさに出てくる言葉ベクトルから、それをそのまま使ってる」ってだけだと思う。

2024-01-31

anond:20240131022646

横やりどうも

嘆願という一例が良くなかったかもしれないが、自分が言いたいのは個人攻撃するのではなく企業組織を巻き込めということ

個人を攻めても何の解決にもならない。今回のような出来事では特に誹謗中傷したところでやめてくださいで終わって論点おかしくなる

別に個人問題をないがしろしろというのではない。企業組織を巻き込むことで個人問題顕在化する

ジャニーズしろ吉本しろ宝塚しろ隠蔽問題への不誠実な向き合いによって企業組織に厳しいの声が上がったことで騒動がより大きくなった

日テレも今、追悼コメント自爆して同じ状況に陥っている。小学館にも厳しい目が向けられている

そんな中で企業組織に対し1人1人が行動を起こして大きな動きになれば無視を決め込めなくなる

そういう状況を継続させればよい。その方法として誹謗中傷リンチを選ぶことなくね

2024-01-29

本当に優生思想は許されないのか

最近Twitter(現X/以下、旧称使用します)で、知的障害を抱えた人たちが出産をした結果、周囲のボランティアにその生活を丸投げしている状態であると言うツイートが流れてきた。

当該ツイートリプライ欄や引用欄を見ると、「生まれてきた子供可哀想」だの「巻き込まれる周りの人間可哀想」と言った声が大半を占めるよう見受けられた。

一方で、リプや引用の中には、「当該ツイートリプライ論調典型的優生思想であり、危険である」という旨のもの散見された。

特に、ある一定以上の知識教養水準を持っていると思しきアカウントによる主張が多いように見えた。

が、果たして本当にこれは危険思想だろうか?

知的障害を抱える親を持った人が苦労をしたツイートなんかも多く目にすることができる中で、優生思想知的障害者と縁のない生活をしてきた恵まれた者が"正しい"論理を振りかざして抑圧するのが正しいようには思えない。

現実として、知的障害者を親に持つと言うことは相当な不幸であり、なんの罪もないはずの子供に大きな苦痛を与えることに他ならないというのは自明だろう。

しかし、そんな不幸な子であったとしても、生まれてきてしまった以上は簡単死ぬことができるような社会でもなく、普通にまれていれば経験するはずもなかったような苦痛を常に抱えながら生きる他にないのだと思う。

どう考えても不幸な人生しか送れないような人間を生み出す合理性がどこにあるのか。

そんな人に対して、生きることの素晴らしさ、平等社会の美しさを伝えて何になるのか。

優生思想タブー視する人間は、それによって苦しんでいる人が現実に居るということを理解しているのだろうか?

現実を捨象して、抽象化された論理で正しさを導こうとしていないか

よく言われる優生思想タブー視する根拠として、

①劣っている者には制限を加えて良いというのは、ナチスドイツによる虐殺と同じ論理である(→虐殺に繋がりかねない)

障害を抱えていたとしても、人間である以上その権利尊重されるべきである

という2つがあるよう見受けられる。

この点、①に関しては完全に論理の飛躍だと思う。

重度の障害を抱えている者による出産制限することと、特定属性を持つ人間虐殺する行為は明らかに同一ではなく、「優位な立場にある多数派が不利な少数派に制限を加えている」と抽象化した場合に同一の枠組みといえるからと言って、その2つを同一視するのはあまりにも合理性に欠けると言えるだろう。

荒唐無稽な例えだが、この国が法治国家であり、立法権国会にある以上、「インターネット使用を禁じ、犯した者を死刑とする」という法律国会によって制定される"可能性"が存在はしていると言えるだろうが、だからと言って「立法権を国に委ねているのは非常に危険状態である」という主張ができるだろうか。

現実として、立法権はある程度の良心合理性に基づいて運用されているため、上記のような"可能性"は顕在化しない。

同様に、知的障害者が子を持つことを制限したとして、例えばそこから一定属性人間への不当な権利制限に繋がるだろうか?

その制限範囲が不当に拡大するような結果に至る"可能性"を過大に見積もっていないだろうか。

枠組みに共通点があるだけの極端な例を用いて、優生思想断罪するロジック妥当とは思えない。

②なんかはもう公共の福祉という言葉で終わりだと思う。

かにどんな人にだって幸福を手にする"権利"はあるかもしれないが、その結果として周囲の人間や生まれてきた子の幸福犠牲にしているのだとして、そのような"権利"が本当に実現されるべきだろうか。

仮に人を殺すことで幸福を得られる人がいたとしても、その人の"権利"実現のために殺人許可されないように。

出産により幸福を得られたとしても、それによってより多くの不幸が生じるのであれば、それは制限されて然るべきではないだろうか。

何にしても、これを優生思想であり、危険な考えであると"正しい"主張をするインターネットには辟易してしまう。

2024-01-28

anond:20240128105217

と言うわけで、とりあえずこれ

https://x.com/nobu_akiyama/status/1751430459370930224

UNRWA職員10月7日攻撃に関与していた件。丁寧に論じ分ける必要があるのではないかと思う次第。

1. UNRWA組織的ハマステロ活動支援していたわけではない。

2. 他方国連機関職員スキャンダルとしては非常に深刻で、ガバナンスのあり方は問われよう。

3. この組織機能停止したところで、食糧も燃料も住むところも困っているパレスチナ人への支援機能はどうするのか、一部の人を除き、人道的見地から放置するわけにはいかないと考えるでしょう。どうします?

4. この問題顕在化してもICJ判断無効になるわけではない。

5. UNRWAへの資金拠出直ちにテロを支持することを意味しない。

組織に対する姿勢は、大まかに言えば以上4点に国内政治要素を勘案して決めることになるでしょう。不正への懲罰と人道危機をどう秤にかけるのか… ハマス支持の国連なんてヤメちまえなんて脊髄反射で済むほど簡単ではないですね…

2024-01-18

anond:20240116194927

FallenAngel2 オタクちゃらんぽらんフランス人留学生高校レベル)を世話したことがあるが潜在スペック日本の同学年同レベル男子の数倍だった。この差はなんだ?と驚いた経験がある(n=1だが)

未だ顕在化していない、隠れた能力である「潜在スペック」を計測するスカウターを所持しているブクマカ

ドラゴンボール世界からやってきたらしい。

2024-01-17

これからミステリー社が商標出願について声明を出したのでつらつら書く

商標は昔少しかじったことがあるからつらつらと書いていくで。所詮素人から鵜吞みにせんで、実務的なことは弁理士に聞いてな。

そもそも商標とはなんぞやという話やけど、これは商品役務サービス)を識別するための標識のことや。商標特許庁に出願し、登録されると、その商標他人勝手に使うことができなくなる。

例えば典型的にはこんなシーンが想定される。ワイが漫才相方マッチングサービスを考案し、サービス名を「モウエエワ」と名付けたとする。ワイはこの革新的サービス成功確信しとるから、もしこのサービスを始めたらすぐに「モウエエヨ」とか「モウエエワ・グレート」とか、あるいはまったく同じ名前サービスを展開してくる不届きな輩が出現することを危惧する。そこで登場するのが商標や。無事に商標登録されれば、ワイは晴れて独占的に「モウエエワ」の名前を使うことができる。

ここで注意が必要なのは商標の出願時に商品役務指定する必要があるということや。つまりマッチングサービス指定して「モウエエワ」の商標を出願していた場合、他の事業者が紛らわしい名前マッチングサービス運営することはできなくなるが、「モウエエワ饅頭」や「モウエエワパン」の販売を止めることはできないということやな。

それともう一つ重要なのは商標あくまでも商品役務識別標識に対する権利であって、他の事業者が似たようなサービスを始めるのを防ぐことはできんということや。残念ながら漫才相方マッチングサービスという素晴らしいアイデア自体保護されない。場合によっては特許権著作権などの知的財産権不正競争防止法とかで対応できることもあるかもしれんが、少なくとも商標権の守備範囲ではないんや。

以上の基本事項を踏まえて、これからミステリー社の声明を見ていくで。

まず何よりも困惑しているのが、「いずれの出願も、他者権利制限する意図はございません」という記述や。今回の出願のうち「これからミステリー」と「これミス」については誰がどう考えても商標制度趣旨に則った正当な出願なんやから、これらについても他社の権利制限する意図はないと言い切るのはまずいんやないかな。

それから、「マーダーミステリーモバイル」「マダミスホテル」「飲みマダミス」についても、ワイはてっきりこれからミステリー社がそういう名前サービスを始めるからこれらの商標を出願したと思ったんや。それが「他者権利制限する意図はございません」やから、だいぶ困惑してるで。

続いて出願意図を一つずつ見ていきたいんやけど、まずは「商標の独占や商標使用料徴収目的とした商標の取得」というリスクを防ぐために出願したという主張。まあこれはわからんでもない。赤の他人が「マーダーミステリー」「マダミス」の商標を取得して、ある日突然「あなたは私の商標権を侵害しています。したがって金300万円払ってください」とでも言ってきたら、法的な落ち度がなくても払ってしまうかもしれんもんな。特許でいうところのパテントトロールってやつや。

次に「コンテンツの錯誤を意図した商標使用」というリスク。これは正直、具体的にどういうリスクを想定しているのかがようわからん勝手に「マーダーミステリーチップス」や「マダミスクッキー」を作って売られたら困るという主張なんやろか。そうだとして話を進めると、これからミステリー社が「マーダーミステリー」「マダミス」の商標を取得したあかつきにはそういった行為の是非をこれからミステリー社が判断することになるんやが、果たしてそれは妥当なのかという問題がまず発生する。ほんでそういう行為は許されんということになったら結局商標権を行使して「マーダーミステリーチップス」や「マダミスクッキー」を販売する事業者権利制限したいという話になるんよな。この矛盾よ。

それから、先述したように商標は出願時に商品役務指定する必要がある。すると、出願時に食品を含めていなければ勝手に「マーダーミステリーチップス」や「マダミスクッキー」を作って売られるのを防ぐことはできないんや。せやから目的手段がずれてるわけやな。『ダンジョンオブマンダム』で「なんやかんやいうてドラゴンよりゴーレムの方が怖いんよな」とか言いながらヴォーパルソードを外すようなもんや。伝わりにくい例えですまん。

最後に「反社会的・反市場勢力の参入」のリスクや。まあヤクザ市場に算入してきたら確かに困る。そこでまず起きる問題が、仮にヤクザがマーダーミステリーゲーム専門店開業したとして、商標でそれを防ぐことは難しいということや。これからミステリー社が「マダミス」の商標を持っていたとして、ヤクザが「マダミススペース」みたいな名前で店を運営してたら、その場合名前を変えさせることはできるやろうが、営業をやめさせることはできん。「仁義館」みたいな名前に変えられたら終わりや。これも目的手段がずれとるんよ。

それから、やっぱり「反社会的・反市場勢力」の判断をこれからミステリー社がするということになる。ヤクザ構成員は該当するやろう。じゃあ幸福の科学信者や、オウム真理教とかパナウェーブ研究所とかの関係者はどうなのか。ネットで嫌われまくっている青年会議所の会員はどうか。この辺の判断がこれからミステリー社の胸三寸次第で決まってしまうのはこわないか

最後に2点、重要問題を提起するで。まず1点は、これからミステリー社が「マーダーミステリー」の商標を取得した場合、この商標オープンにするでとどれだけこれからミステリー社が主張しても、商標「マーダーミステリー」には「すでに商標が取得されている」という法的な外観ができてしまうということや。これの何が問題かというと、例えばNHK最近流行っているマーダーミステリーなるもの特集しようとしたとする。それで調べていくと、「マーダーミステリー」は私企業商標ではないか。ということはマーダーミステリー特集私企業宣伝になってしまうから、何か言い換えるか、いっそ特集自体無理という判断になってしま可能性がある。市場の拡大に寄与するどころか妨害さえしとるわけや。

2点目は、法人とその役員の考えは変わりうるということや。今は我が社が保有する商標「マーダーミステリー」の権利をなんびとに対しても行使しないと言っていたとしても、会社が傾けばなりふり構わず請求するようになるかもしれん。あるいは役員に不幸があって交代せざるをえん場合もある。そうしたとき果たして過去と一貫した判断をしてくれるのかということやな。

まとめると、悪意のある誰かに取られたら困るから私が先に取っときますね、なんてのは商標制度本来想定していない使い方なんやから、どうしたってどっかで無理が出るということや。電子レンジネコをチンするのはやめようで。「LARP」や「人狼ゲーム」は大した反対意見も上がらずに商標が取得され、権利者がオープン化を明言しとる例なんやけど、これまで特に問題が起きてないとしたらそれは顕在化してないだけやろな。

2024-01-14

まじでエリサラが日本去ってるぞ、岸田

サラリーマンひとりごと


最近ほんとに会社を辞めて

日本から出ていくヤツがふえてる


ニュースだと一時的出稼ぎバイトみたいなやつらしか特集されてないけど、

官僚とか日系大企業とか有名外資とか

昔だったら一生勤め上げるようなピカピカの企業に入った若者

颯爽とやめて海外移住してる


俺と友人らの体感値だけでも相当。

会社辞めた後に出るからデータでは顕在化されてないのかもしれないけど、

間違いなく日本にとって大事労働力がどんどん流出してる。


あいわゆるエリサ20代

英語喋れる人多いし未来について考える人いか

動きも早いんだと思う。


ちな俺の企業年収2000万以上もらえる人も多い企業

早慶20-30代 英語喋れる人が割と多めの学部

大学友達会社の仲間でも出ていく人が増えている印象



政治家は働き盛りの俺らみたいな層の税金どんどんあげてるけど

みんな選挙にも行かず

文句も言わず、ある日突然日本を出てく


退職届出すみたいに

急に覚悟決めていなくなる

どれだけひきとめても遅い


フットワーク軽いやつからどんどん逃げていって、

優秀な人がいなくなって、

未来はどうなるんだろう

あと地味にまわりの女性

白人男性結婚する人もふえてる

稼ぐ女性家事育児分担しても嫌な顔しない人がいいんだよな当たり前だけど。

あと白人は気強い女性好きなのもでかい

そしてこれも数年後の海外脱出に繋がる気がする。


40代以上とか国立大卒とか古めの日系中小企業とかだと

まだそんないないかもしれないけど、これは嘘じゃない。

めっちゃ優秀だなって思ってた仲間や友人が次から次へといなくなってるんだ。


まじでやばいぞ、このままだと。

気づいた時には致命的に税金足りなくなるぞ、岸田。

anond:20240114154044

都市をどこに作っても、インフラ地震で壊れるのは、コストみたいなもんなんだよね。今議論になってるのは分散云々の話ではなく、その顕在化したコストがリターンに全然見合ってないのは問題だよね、という話。

2024-01-08

anond:20240107153103

言葉が通じるまで育てる間に気付かなかったのか

潜在してたのが顕在したってのなら、別れる以前になんか原因考えてみなきゃ

釣りだろうけど、増田がかなりのおかしな人に思える

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