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2017-03-25

http://anond.hatelabo.jp/20170324233954

思うにこういう社会性こそ格差生まれる。家庭が社会から分断されているため、親が子供を躾ける能力がないと、子供常識を身に付ける機会を大きく失う。結果として悲しい思い出が増えて、負の連鎖が続く。

これを変えられるのは今のところ、宗教以外にないと思う。親は千差万別なので恨んでも仕方ない。人を思う気持ちや大切にしないといけないことというのは、宗教が最も大切にするところ。

御出でなさい、キリスト教教会へ。

2017-03-22

彼女は上手くやっていけるのだろう

イギリスから旅行に帰ってきて、1ヶ月が経つが未だに痛い。

こんなのなら、行かない方が良かったとすら思う。

胃粘液を修復させるとか、胃を麻酔する薬などを飲んで大学の授業が始まるまでに治るのを信じている。

豚みたいな顔したネトウヨと旅をしたのだけど、口論が多かった。

彼はネトウヨバカにしながら実際は自民党を支持している輩である

教会の前で共謀罪やら沖縄の話で揉めるのだが、どこまでも自分否定するような輩を支持する豚としか思えなかった。

彼にとって幼稚園の話はどうでもいいらしい。

結局、旅行に帰ってきてから旅費の精算以外で連絡はしていないし、2度としたくない。

胃が痛い中、ニュースを見ると非常に自分の将来に不安を覚えてしまう。

からさまに国民権利を狭めようとする輩がやりたい放題やっているのだ。

恐ろしいのは、そんな奴らをイギリスでも決して食事量が減らない豚みたいな顔した彼と同じように支持している奴らが沢山いることだろう。

正直、自分はこんな奴らに付き合わされたくないのだが止まらない。

慶應義塾大学に受かった顔の良いマナカちゃんは、どんなに政治参加しようがそうでなかろうが上手くやるのだろう。

彼女は白く、大きな尻で日本戦前回帰しようが海外やらで楽しく生きるのだろう。

今頃しゃぶっている。

自分容姿が醜く、頭も良くない。

から肉屋を支持する豚イギリスに行って胃を痛めた。

色々と胃が痛くなる。

2017-03-16

http://anond.hatelabo.jp/20170316151300

日本コンテンツでは「演説」を思い浮かべる時、

ちゃんとした式を設けてー(あるいは戦の前とか)

何百もの沢山の人を集めてー、と形式にこだわるからよけい仰々しく見えて

結果的演説の粗に目が行くんじゃない?

外国コンテンツは習慣である教会説教の場だったり、

ちょっと人が集まったら簡易に済ませたり

あるいは酒飲みながらと形式ばらないか

くだけた口調でもスッと入るんだよな

日本ヒトラーの(言いたくはないが)カッコいい演説とか目指すあまり、

ハードルを上げ過ぎて逆に滑ってる感じ

2017-03-15

私はかつて差別主義者だった、『けものフレンズ』を観るまでは。

 私はかつて差別主義的なケモナーだった。

 ご存知のようにケモナーには様々な派閥存在する。

 メスケモ派、オスケモ派にはじまりマッチョ派、モフモフ派、デブ派、ショタ派(なぜかロリほとんど見ない)、モンスター派(極左人外連)、トランスファー帝国肥大化公国、融合辺境伯領、ロイヤル竜奇兵連(ドラゴナーズ)、爬虫人類委員会レプタリアンズ)、キグルミ派、母性探求派、海生動物会議(「海の人々」)、四ツ足派だけどズーフィリアじゃないもん派(愛ケモ主義極右)、丸呑みだけが人生だ派、卵胎生出産教会インターレイシャル(人×ケモ)派、反インターレイシャル派……

「天はケモナーの上にケモナーを造らず、ただし、ケモナーの横には無限ケモナーを造った」

 とは近代日本における先駆的ケモナー福沢諭吉名言である

 産業革命以降の通信技術の発達は、孤独だったケモナーたちに「同好の士」を発見する機会を与え、ファンダムの拡大に成功したものの、

 同時に細かな嗜好の違いによる派閥対立をも生じさせ、その軋轢がついに二度に渡る世界大戦の引き金となったことは今更説明するまでもないだろう。

 そうした争いは近年まで衰えることなく続き、いつしかケモナーたちは「派閥が違えば殺し合って当然」という野蛮な虐殺言語所与のものとして生きるようになっていた……。


 私もそうだった。

 私もある狭い派閥こそ唯一かつ至高と信じ、他者排除差別によって所属派閥への帰属意識を高めていった。

 派閥意志に叶うと思えば、喜んで我が手を血に染めてきたし、かつての友人たちをためらいなく2ch晒した。

 なかでもいっそう劣悪とされ、他のありとあらゆる派閥から敵視されていたのが「ケモミミストである

 サイバーコネクトツー・スペクトラムでいうところの「レベル2」。

 「ニンゲン身体に、ケモミミ(としっぽ)がついてさえいればよい」とする日和見主義的邪教徒たちだ。

 彼らにはケモコミュニティ内において最初から人権など与えられてこなかった。

 なので、ふだんは「一般人」に紛れて潜んでいたのだが、ときおり何かの間違いで何も知らない”レベル2”がケモコミュニティに迷い込んでくることがあった。

 多くの場合、彼らは痕跡も残さずにコミュニティから「除去」された。


 中道過激派秘密ケモナー警察あいだで流行ったジョークにこんなものがある。

 「”レベル9"(いわゆる真性の獣姦嗜好)はケモナー以上に進化してしまったケモナーだ。だから畏敬をもって殺す。

  ”レベル2”はケモナーになれなかったケモナーだ。だから哀れみをもって殺す」

 私も彼らを憎んだ。

 でじ子の肖像を何枚も焼いたし、それ以上におぞましいこともやった。


 

 現代ケモナー社会は、あらゆるケモナーには自分自身同胞である他のケモナーの「性欲」を認め、尊重することができる能力、そして性的志向の善し悪しについて自ら判断する能力があるというフマニスト的前提をもって、各人に普遍的ケモナー権を付与しようとしてきた。

 一見それは理性的合理的、かつ人道的な判断基準なように思える。

 だが、人は他者の良い面よりも悪い面を重視する傾向にあるようである。それが上記のような派閥争いとケモミミスト蔑視の引き金となったのである



 だが忘れもしない2017年の某日。

 私は『けものフレンズ』を観た。

 もちろん、観る前は”レベル2”だと貶していた。

 しかし、一種社会現象となるにつれ、そして「一般人」たちがけもフレを「ケモナー」と結びつける言説を多く弄するになるようにつれ、私は「世間無理解を忠実バラなぬ」という一種義憤から、けもフレを鑑賞したのである


 最初はなんと退屈でつまらなく、くだらないアニメだろうと思った。

 だが、一話の終わりにさしかかったあたりから胸がざわめきはじめ、

 画面にかじりつくようにして二話に没入し、三話を見終わるころにはすっかりフレンズたちに魅了されていた。

 のみならず、こう思うようにさえなっていた。


「これは”われわれ”について語られた、”われわれ”のためのアニメである」と。


 ケモナー一般に受けいられる性的志向ではない。というか、世間的には性的志向ですらないと考えられがちだ。

 同胞たちは自分たちの好きなものカミングアウトできずに日々気持ちを圧し殺して生きている。

 ファンダムとは、そうした「のけもの」たちを包摂するために存在するやさしいシェルターではなかったのか?

 それがいつのまに、我々自身から「のけもの」を作り出し、排除し、殺し合い、差別するようになってしまったのか――


「姿かたちも十人十色からこそ惹かれ合」い、「みんな自由に生きている」場所

「飾らなくても大丈夫」な場所

 それこそが我々が最初に求めたファンダムのあるべき形ではなかったのか?


 蒙が啓かれるとはまさにこのことだった。

 すべての教えは『けものフレンズ』のなかにあったのだ。 


 私はいてもたってもいられなくなり、地下壕から出て地上へとあがった。


 灰色廃墟が広がっていた。

 だが、つい先刻まで鳴り響いてはずの銃声や悲鳴はすっかり止んでいた。

 地には戦車ではなく瓦礫の影で戯れる少年少女が、空には爆撃機ではなく大きな翼の鳥たちが遊んでいた。

 こんな穏やかで静謐時間はどれくらいぶりだろう?

 まるで、あらゆる憎しみが「ぼくのフレンド」に包まれて溶けて消えてしまったのかように。


 私はあてもなく、ただ何かにつきうごされるかのごとく歩いた。

 そして、数分もしないうちに反対側の地下壕から出てきたであろう年老いた男と出くわした。

 老人はあきらかに”レベル2”であった。

 ふだんなら我々の姿を見て怯えて眼をそらすはずの彼らが、瞳に決意をたたえ、凛としてこちらを見据えている。


「きみも、観たのかね?」

 そう老人は問うてきた。

 私は無言で頷いた。 

 頭を傾げた途端に、一条の熱い何かが頬をつたい、顎からしずくとなって焼けた大地に滴った。

 涙を流している、と自覚したのは、湿った点が地面に染み込んで数秒経ったころである

「私は、私たちは」とうわずる声で私は言った。「許していただけるのでしょうか。あなたたちとフレンズになることは……できるのでしょうか?」


 老人は痩せこけた顔に、穏やかな微笑を浮かべて応えた。

「笑おうじゃないか。ともに笑ってみよう。

 高らかに笑い、笑えば、フレンズなのだ

 喧嘩してすっちゃかめっちゃかしても仲良しに戻れる」   


 そうとも、と老人は私の肩を叩いた。

 ここが、われわれのジャパリパークなんだ。

 われわれは『けものフレンズ』というサンドスターを通過して、今一度生まれ直したのだ。

 まっさら状態で。

 だから、ここからはじめよう。 

 本当の愛は、ここにあるのだよ。

2017-03-13

ぼくはきみの服の中のオッパイを見たかった

Mはぼくと同じ高校で一学年下の女の子だった。


まるで男の子のようなショートカットの髪、金八先生に出ていた時の上戸彩みたいにCUTEな美少女だった。

ぼくの君に対する第一印象はただひとつ「胸がでかい」それ以外のことをぼくは何一つ思いつかなかった。

小柄なきみのカラダに不似合いなほど、その胸の隆起は際だっていた。


きみは一時期、ぼくと同じ学年の男子と付き合っていたね。

から学校への道を並んで来る姿、帰る姿をぼくは覚えている。

そのときぼくは思ったよ。

あいつはあの大きな胸が目当てなのか」と。

もちろんそんなことはなく、彼は知的でCUTEなきみが好きで胸なんかはただのおまけだったのかも知れない。

しかし、どんな言い訳をしたってきみの第一印象が胸であることは疑いのない事実なのだ

それに「どうせ胸が目当て」だなんて高校生の言うセリフじゃないだろう。

自慢じゃないがぼくのいた公立高校男子童貞率96%、つまり童貞クラスに一人くらいしかいなくて、

しかも在学中に処女童貞を失った場合浪人率は100%という恐ろしい世界だったから、だから禁欲正義だったんだ。

もちろんぼくも受験勉強に精を出し、オナニーで精を出す一人の純朴な高校生だった。

受験勉強甲斐あってぼくは現役で大学合格し、その喜びもつかの間、片想い女の子にはあっさりとふられ、童貞期間更新中だったぼくは、翌年の春にきみが関西のある有名私大合格して大学生になったことを知った。

当時のぼくは手紙をよく書いたよ。在学中にちょっとした面識があったのできみにも合格のお祝いと自分大学生としての近況報告のような手紙を書いた。そうしたら一度京都を案内して欲しいという返信が来た。そしてぼくは思いがけずきみとデートできることになったんだ。


大学生になったきみの胸はさらに巨大化していた。

巨乳というのは裾野が広いんだ。

富士山裾野が広く伸びていてるみたいにね。

「えっ、こんなところから胸がはじまるのか!」と思うほどにきみの胸の隆起はクビのすぐ下からはじまっていた。

ぼくはきみの目ばかり見て話をしていたが、視線を下に落とせばそこには胸があった。

かい合ってる男が自分の顔ではなく胸を見ながら話してるなんてすごく不愉快じゃないか

からぼくはいつもきみの目を見て話をしていた。視線を伏せることなんてできなかった。


今思うとなんてもったいなかったのかと思う。サングラスでもして視線を隠して、思う存分胸を見ればよかったじゃないかと。でも、当時はそんな才覚はなかったんだよ。


京都でのデートの後で、ぼくは卑怯にもきみへの手紙の中に「好きだ」というフレーズを書いた。

しかし、そのときのぼくは本当にきみが好きだったのか、それともきみの胸が好きだったのか、正直言ってよくわからない。

ぼくは知的でCUTEなきみを本当に素敵な女の子だと思っていた。

しかし、その100倍くらいぼくはきみの胸が好きだったんだよ。そんなこと手紙に書くはずないけど。




秋になって、いろんな大学学園祭の季節になって、ぼくはMを伴ってN女子大学園祭に出かけた。

高校で同じクラスだったことがある仲間由紀恵みたいな黒髪の純日本風お嬢さんに誘われたからだ。

実はぼくはその仲間由紀恵のこともかなり好きだった。もしもその美女を射止めることができたならば、ぼくは同じ高校のあのさえない童貞軍団を見返してやることができたはずだし。そう、ぼくのあこがれの大本命は実は仲間由紀恵であり、Mの存在価値は「自分とつきあってくれる女」という点にあったわけだから



女子大学模擬店でぼくは仲間由紀恵にMを紹介した。仲間由紀恵はMをみて、Mの胸をちらりとみて、それから妙につっけんどんな態度になった。


あなたはこんな乳のでかい頭の悪そうな女が好きなのね!」と仲間由紀恵は思ったのかも知れない。


そんなことはないんだ。Mは決して頭の悪い女なんかじゃない。

とっても聡明で話していて退屈しない女なんだ。


でもそんな言い訳をするチャンスはなかった。

だって仲間由紀恵はその後ぼくに手紙をよこさなくなったし、彼女が風の噂にお医者さんと結婚したと聞いたのはその数年後のことだ。



女子大学園祭の後に控えていたのは京都大学11月祭だった。ぼくはそこでMと腕を組んだり、手をつないだりして歩くことができた。

普通カップルのように彼女学園祭デートをするなんて幸福をぼくは手に入れた。


しかし、ぼくは手をつなぐ以上のセクシャル領域に足を踏み入れることはどうしてもできなかった。

その理由簡単だ。ぼくは童貞だったから。どうやってその先に進んだらいいのか、ぼくは全くわからなかったのだ。

手を伸ばせばいつでも触れられるような距離にありながら、その胸はぼくにとって相変わらず不可視のものであり、かつ不可触のものであったのだ。



そのままお正月が過ぎ、春になった。ぼくはMと初詣住吉大社に出かけ、そこから阪堺線チンチン電車に乗って浜寺公園に出かけた。

潮の香りのするコンクリートで固められた護岸の上の散歩道をのんびり歩き、座って話をした。おだやかな一日だった。



あの頃ぼくたちはいったいどんな話をしていたのだろう。

そうして休日には手をつないで歩き、一緒に映画を見たりしたぼくたちはまぎれもなく「つきあってる」という状態だった。

しかしぼくにとってきみの胸は相変わらず不可視のものであり、かつ不可触のものであった。

どうすればぼくはその二つを可能にできたのだろうか。

まだ20歳にもならない自分はその方法を何一つ知らなかったのだ。

もしもできることなら今の自分が当時の自分に憑依して、知りうる限りの恋の手練手管を用いてその困難を可能にしてあげただろうに。


ぼくは免許を取り、中古車いすゞジェミニを買った。それでMとドライブすることになった。

Mに向かって「どこに行きたい?」と聞いたら「鞍馬」という意外な答えが返ってきた。ぼくたちは鞍馬おもちゃみたいなケーブルカーに乗った。

汗ばむような陽気の中で、同じようにデートしているカップルが居た。

ぼくたちとの違いは彼らがキスをしていたことだった。


ぼくは赤面した。


キスとは、ああキスとは、それは限りなく遠くに存在する行為じゃないか

まだぼくは胸を見たこともないのに・・・


いや、それは違う。少なくとも胸を見るという行為は、キスという行為さらに先に位置するものであるはずだ。

ということは、自分が胸を見たいとか触れたいと思っていたことは根本的な間違いであり、それを実現させたかったら

先にキスという段階をクリアしておかなければならなかったのだ。キスとは、胸を見るための必要条件である

もちろんキスをしても胸を見るところまで到達できない場合もあるだろう。しかし、キスをしないで胸を見るなんてことはどう考えても変だ。

まり自分は、「胸を見るためには先にキスをしなければならない」という恋愛の発達段階の重要法則をそのとき発見したのだ。

ストレートに胸に到達しようと思っていた自分が間違っていたのだった。



乳首を舐めたかっらたまず相手の唇を舐めろ!」



ぼくはその真理をここに理解したのだった。


しかし、破局は突然にやってきた。

Mが教会に通い始めたからだ。

学生のぼくたちがデートできるのは日曜日に限られていた。

その二人のための貴重な日曜日を、Mはこともあろうに私ではなく神に捧げてしまったのだ。

ぼくは一度Mにくっついて教会に一緒に行ったことがある。Mのスクーターの後を、ぼくは実家にあったヤマハパッソルで追走した。

当時はまだ原付ヘルメット着用の義務はなかった。そうして教会に出かけたのも一度きりだ。

ぼくにはきみの胸を見たいという願望があったが、教会聖書を見たいとは思わなかった。

僕に必要なのは聖ではなくて性であり、聖書ではなくて早くぼくを童貞から卒業させてくれる性書こそがぼくにとって必要書物であった。

「汝、姦淫するなかれ」という神の教えは、その反動でぼくの心をますます君の乳房への思いでいっぱいにした。

ぼくは教会についていくのを止め、ぼくたちの仲は自然消滅した。

ぼくがMと最後に会ったのはぼくが大学卒業した春だ。

そのとききみはブラウスボタンを二つもはずしていたから、ぼくは思わず「うっひょ~」と心の中で叫んだ。

そのとき、きみのオッパイはぼくの心の中で永遠憧憬になった。あれから34年経つけど、今でも君の胸は成長を続けているのかい

2017-03-06

宗教を持つ意味

僕の家庭は親がカトリックだったから、自然洗礼を受け、教義自体違和感とか感じることはあったけど、十年間以上教会に通っているし、それを当たり前のことだと思っていた。

でもある時、サークルの予定や友達との約束が尽く教会礼拝イベントの日程と被り、全部潰れた時があった。社会にとって日曜日なんて土曜日と変わらないんだから、そういうことは昔からよくあったし、普通だと思っていた。でもなぜかその時はこういう考えが浮かんできた。「なぜ僕は自分のやりたいことを捨ててまで教会に行ってるんだろう」と。その行為信者たちは「神への犠牲」として尊ぶ。でも犠牲にして何かあるの?色んなこと要求されるけど、そもそもカトリック信者やってて良いことあったの?そこから僕は自分宗教信仰する意味を考え直すようになった。

確かに僕の倫理観カトリック教義によって培われたものかもしれない。でも宗教持ってなくても素晴らしくて尊敬できる人はたくさんいるし、むしろ神父なのにクソみたいな性格の奴だっている。正直聖書の言葉なんか一度も心に響いたことないし、それよりも自分人生の中で生み出してきた言葉のほうが自分をよく支えている。神を信じないと地獄に堕ちるって言われても、死後のことなんて知ったこっちゃないし、ほらっ、宗教が無くても十分幸せに生きられるじゃないか。結局宗教の主な役割ってコミュニティ形成だし、僕が信者を辞めないのも、家族や今まで教会で培った人たちとの関係を壊したくないからなんだろうなと思う。多分海外一人暮らししたら教会行かなくなるよ。

まあこんなことを言うと、「神父様や他の信者さんに相談してみなさい」って案の定言われるんだろうけど、神父や“熱狂的な”信者ってやつは、普通の人が到底納得できない「神の言葉」を延々と振りかざすだけで、何の解決にならない。多分神の言葉を万能だと思ってるんだろうな。本当に絶望している人には神の言葉なんてこれっぽっちも届かないけど、まあ彼らは絶望したことがないから分からないんだろう。

そもそも信者たちはこういうことを考えること自体を「神に背くこと」として忌避する。まあそれでもいいけど、そんな思考停止状態じゃ普通の人たちに神の言葉なんか伝わるはずないし、教会の先細りは決まってるようなもんだよね。

2017-03-03

「第九」歓喜意味

ベトヴェンの「第九」日本人にやたらと人気があり欧米かぶれの一種信仰みたいになっています

何に歓喜しているかって、ようやく解放されたこと。つまり中世封建社会から解放という意味です。そういうと大概の人は思い違いをして、単に一般庶民農奴身分から解放されたことであるかのように思うでしょうね。

誰が何から解放されたのか? それは、賢い人が、既成社会体制に利用されるという「権力の犬」の身分から解放されたということ。

中世では、社会体制を疑う能力のあるような人は、普通に暮らしていてはならなかったわけです。社会体制を変える素養のある人が居てはならなかった。普通に定住して大手を振って暮らすことは許されなかった。

例えば、クラシック音楽というのは、教会音楽です。カトリック教会布教教化に用いられる技術で、つまり社会統治体制を保つための技術です。ですから、その技術のタネを知っている音楽家というのは、世間普通に暮らしていては困るわけですよ。

例えば建築家もそうです。教会カテドラルの建て方を知っているような技術者が、その辺に居てネタバラシをしたら困るわけです。

こういう技術者達は、旅芸人の一座みたいに各地を転々とし、当地権力者に利用されることで食っていたんです。これを「フリーメイソン」といいます

それが、社会体制が変わり誰もが政治に携わる社会になって、社会体制を疑うことがタブーではなく、むしろ疑い批判することが必要時代になりました。技術特定身分の人しかもってはならないものではなく、ネタバラシをすることもタブーではなくなりました。

賢い人は、世を忍んで一生を終えた時代から普通に暮らしていい時代になり、ようやく日を浴びて大手を振って歩ける時代になったわけです。

中世は、知恵のある人は権力構造に組み込まれなければ生きていることを許されなかった。迫害の世の中でした。ヘイトされまくり権力者は、都合の悪い人間を干して、地元庶民をそそのかして嫌悪させていました。未だに、ユダヤ人嫌悪されているのも、フリーメイソン理解されないのも、もとはそういう経緯です。

賢い人がうっかり権力に都合の悪いことをしてしまうと、世の中から消されます。生きていることすら許されず、人間として扱われなくなりました。例えばマルティン・ルターもそうやって社会から消されて、カトリック教会支配を嫌うとある領主にかくまってもらって何とか生き延びました。

ユダヤ人であれ、ピューリタンであれ、既成の社会体制に都合の悪い人々はヘイトされ、その中からアメリカ大陸に渡って生き延びようとした人も出てきたわけです。USAというのはもともとそういう国です。

それに比べて、日本人は、革命を知りません。デモクラシーリベラリズムを知りません。

それどころかそもそも未だに、賢い人間社会体制に組み込まねばならず、「踏み絵」に応じないような人は叩き潰されます。利用価値のある人間でなければならないわけです。

例えば起業家であれ、既存社会体制に逆らってはならず、革命を起こしてはならないわけです。

芸能人なんか、社会体制に利用されることで食っていく職業です。うっかり真実を語ってしまってはならないわけです。山本太郎にしても、どこぞの資本家に拾ってもらって生き延びて、「民主主義」の時代からうまく国会議員にはなりましたが、だからって結局はおそらく日本社会を変えられずに終わるんじゃないかという気がします。

会社従業員にせよ、会社の存続と体制維持のためには、おかしなこともさせられますね。放送局権力にシッポを振り、人気を利用し流行捏造して売上を出し、生き延びるのに必死です。近年の安倍体制のもとでは、放送局も、そこの従業員も、平気でおかしなことをし、せねばなりません。そうして「美人女子アナ」でさえも平気でえげつないことを言ったりしますよね。

さて例えば、亀渕というニッポン放送社長にまでなった元アナウンサーがいますが、村上世彰と戦わされたとき社長です。株主総会でも社長として矢面に立ち、フジサンケイの日枝体制を維持するためにメチャクチャな総会運営をしてまで逃げ切っていました。そのときの彼の姿を私は忘れられません。かわいそうでしたね。会社従業員正社員管理職生え抜きによる支配体制を保つために、修羅にでもならなくちゃいけない。社長を退任してただの一介の批評家みたいな立場になってからは嬉々として活き活きしているようにみえます

そして、社会革命分子であったところの村上世彰にせよ堀江貴文にせよ、叩き潰されましたね。堀江貴文に関しては、ムショを出てからは、中途半端しか目立たないところに居て、社会体制に逆らわずしろ組み込まれるような感じで活動するようになってしまいましたね。

日本社会というのは未だにそういうところです。

愚かな人は自分の才能の無さを憂うのでしょう。けれど、実際に才能をもって賢く生まれたらもう、正しく生きていくことは不可能です。

悲惨な国です。そして、社会体制に組み込まれる人々と、ホイホイ釣られる愚民構成される日本人というものは、実に卑しいですね。

2017-02-19

大乗仏教神道のような邪教が憎い…まともな人間なんか一人もいない

あんものカルト

教徒=悪 って伝統がなかった宗教はまともな宗教とは呼べないカルト

カルトカルト容認する

から日本宗教カルト新興宗教だらけ

カルト新興宗教母親が入信したせいで家庭が崩壊した人々のほとんどは伝統宗教に異教徒弾圧絶対に賛成だと思う

多神教が良いだの多宗教国家が良いだの偽善を言っているクズ共は恵まれ上流階級人間

日本キリスト教国の植民地になりキリスト教国家になれば良かった

そうすれば今のようなカルト新興宗教大国にはならなかったと思う

しかキリスト教には大乗仏教神道と違って隣人愛精神がある

地域キリスト教教会があれば住民交流の場になり絶対自殺や鬱も減る

大乗仏教神道根本的に地域に何の貢献もしていなくて権力だけある邪教だと思う

日本場合宗教法人税もない

全ての大乗仏教の寺と神社核ミサイルを撃ち込んでもらいたいくらいこの国のカルト新興宗教蔓延の現状が憎い

教徒弾圧を悪だと思ってる偽善者も憎い

2017-02-18

犯罪者の更生への無理解は「地獄観」が問題ではないか

洋の東西を問わず、それぞれの文化には宗教的地獄という概念があり、

そしてその地獄は決して終わりのない絶望的な苦痛と恐怖の繰り返しというイメージがある。

そこには当然、救いなど無い。

救われるのならとっくに天国に行っているので、

文字通り救いようのない人間こそが地獄に落ちることになっている。



まり地獄という概念存在が、すでに、人に対する救済の断絶という選択肢を用意してしまっているのだ。



現代宗教の影響が非常に薄まっているので、

例えば憎まれ口を利く時に「地獄に落ちろ」などといった時代がかったことを言う人は少ないが、

だがしかし地獄という概念理解しない人はほぼゼロと言っていいくらい、人々の深層意識には根付いている。

その深層意識が、現実世界犯罪者に向かって浮き彫りになってきているのではないか

そして、厳罰を望み、更生という認識が薄い人たちの思考の原理には、

この地獄概念が横たわっているのではないかと思うのだ。

まり犯罪者悪人から地獄に落ちるべきだ」という深層意識があるからこそ、

犯罪者には極刑を、という認識に結びつくのではないかという仮説を唱えたい。



そこで更に論を進め、この問題解決するには、地獄の内部にも更生施設を設置してはどうかというのが私の提案だ。

悪人正機説現代でも未だに根強い支持を得ているが、それを更に進めて、

地獄において悪人正機救済制度を構築するのだ。



昔の人はまあやることがなくて暇だったのだと思うのだが、

地獄描写がやたら詳しい。

大抵の宗教地獄階層が分かれてて、

それはそれは多種多様のあらゆるニーズにお応えする地獄の責め苦が用意されている。

余談だが、このイメージは人気マンガワンピース」のインペルダウンにも投影されている。

LEVEL1~7とあって、深い階層に進むごとに責め苦が増大するのだ。

まり私が言いたいのは、LEVEL5.5的な施設を作って、

そこで見どころのある罪人は救済措置適用を受けても良いという教義を今からでも導入できないのかということだ。

ワンピースの例えがピンとこない人は、ロンダルキアの大地におけるセーブポイントとしての教会を思い浮かべてくれれば良い。



要は、地獄に落ちてもまだワンチャンあるで、という認識を浸透させることが、

巡り巡って犯罪者更生の理解に繋がるということが言いたいのだ。

そのためには神話宗教観への手術が必要なのだ



これは千年から歴史がある三大宗教には少しばかり荷が重い要求だ。

あそこまで超巨大な宗教体系が出来上がってしまっているものに、いまさら大きな変更を加えることはまず不可能であろう。

そこで注目すべきは、

今何かと胡散臭い目で見られがちな新興宗教だ。

何かというとマインドコントロールお布施を利用した金品の収奪で不興を買いまくっているのが現状だが、

ここで一発逆転、地獄にも救いはあるんですよ、という人類に優しい宗教観喧伝すれば、

三大宗教にも対抗しうる一大勢力を築き上げることも不可能ではなかろう。

例えばイスラムでは天国に行くと72人の処女ムフフ♡三昧の日々が送れると言われているが、

地獄に落ちてもちゃんと更生すれば3人くらいはおっぱいを揉ませてくれるよ、

という救いを用意するのだ。

真面目人間天国を当然目指すし、

ちょっと世の中しくじっちゃったやつも、そっかおっぱいもめるなら頑張れるかも!と思える。

これはすなわち全人類に対する福音である

女子は適宜イケメン等に置き換えて各々の嗜好に合わせたストーリィーをこしらえてくれ)



本稿の結論としては、

清水富美加氏が大川総裁クーデターで亡き者にした後、

教祖として前述したような地獄における救済を設定した宗教観世界に広めて頂くことが最も現実的シナリオだろう。

私は彼女の夫となってムフフ♡な日々を過ごす予定なので、

お前らはぜひ我が教団の信徒になって天国地獄を目指して欲しい。



言いたいことは以上だ。

2017-02-14

「人の宗教を笑うな」

なんだろう、胸が色々と痛くなってる。自分の中にこんな感情存在するのか。yahoo!トップに踊り狂う、幸福科学文字新興宗教危険な敵というストーリーは、とってもわかりやすくて、スマホを覗き込むバラバラな「個人」となった僕たちに、そいういや日本人という集団の一員だった!とアイデンティティを再認識させてくれる。気持ちいいよね。

俺の父も、今回の清水さんとほとんど一緒。20年くらい前に”幸福”を求めて出家したんです。今回の騒動で「出家」なんて言葉使うんだと驚いてるんだけど、普通企業をやめて宗教団体職員になった父。出家、というのを”瀬戸内寂聴”と、お笑い芸人さんが笑いに変えていたみたいだけど、実際は坊さん的な状態になるわけでは無いと思われる。髪の毛もそのままでいいだろうし、食事制限もなさそうだ。お寺というより、彼らの趣味教会に近い。建物は大体、古代ローマ神殿みたいな感じ。父がお祈り用の仏壇みたいなのを部屋に持ち込んだ時期があったけど、ドラクエばっかりやってた俺は「これはもしや…ダーマ神殿!?」と思ったものだ。

父はずっと家にいなかったから、俺と家族宗教への接点はほどんどなかった。そんな俺が「幸福の科学」のコミュニティに具体的に触れたことがあるのは、人生で3回。


大川隆法スーパーライブin東京ドーム

コラム】すごい昔「幸福の科学」の東京ドーム集会に潜入した時の話

http://rocketnews24.com/2017/02/13/862050/

これだよ、まさにこれ。リンク先見た途端、記憶のドアが開いた。23年前だから、当時10歳足らずの俺を、まだ宗教のことをよくわかってない母親がビクビクして連れて行った。姉は物心つく年齢だから置いてかれたんだと思う。この記事のように15歳くらいで見に行ったら、裏読みで楽しめたかもなんだけど、俺の脳が危険を察知したのか具体的な内容は覚えていない。(ただ竜に乗ったシーンは、リンク先を見ることで蘇った。脳すごい。)ただ、イベントが始まるとき、彼らにおける「お経」みたいなのをみんなで読むシーンだけ、今でも覚えている。周りは自分より背の大きな大人たちで暗いブルーな照明。黒山の人だかりが一斉に立ち上がり、全く前が見えなかった。子供ながらに感じたのは、大人たちの高揚感と空気。内容は違うにせよ、大人になって同じ場所ミスチルコンサートを見たときと、感じ取る空気感は変わらない。彼らにとってはハレの日であり、インディーズバンドメジャーデビューするような、お祭りだったんだね。


東京都内のどっかの集会

これも小学生の時。父親仕事を見る、的な学校課題があったのか?母と見に行ったら、ダーマ神殿内部の集会場みたいな場所で、老人相手に説法を説いている父がいた。イメージ葬式後に坊さんが喋る、ありがたい系の話だったような記憶がある。職員はそこの運営をやったり、教えを説いているっぽい。今回の清水さんは広告塔しての貢献度が高いから、映画出演や広報選挙戦出馬とかさせられるんだろう。ただ出家して職員になったら、教えを広めるのが基本の仕事だろうから、まあ似たようなイメージなのかと推測する。


総本山的な施設での墓の説明

これは大人になってから、なので7年くらい前かなあ。父親から話がある、と、おそらく人生一度きりになるだろう召集がかかった。どっかの山奥。この施設永代供養できる場所があり入りたい。お前の了承が欲しい、と。俺とか母は嫌なら自分で別の墓を選んでもいい、みたいな確認をして、かくかくしかじか。結局了承したんです。ずっと避けていた父の決意というか意思の固さやピュアさを前にして、何も言えなかった。というか、あれ?自分に彼を否定できる根拠ってあったっけ?とも感じました。他者への想像力の無さも、自身の信念があまりに脆いことも体感した。あの時は、あまりに無力だったなあ。んで、ずっとその場所っておじさんの声で呪文テープで流れてるんですよ。なんかこりゃ聴いたことあるなあ?って思ったら、あ!16年前の①のライブセットリスト1曲目のやつ!


散々コスられてきているように、俺もネタっぽく書いたように、”普通”とか”世間”と比較して見ると、みんなで嘲笑できるトンデモ面白い対象なんです。


③の施設見学したんだけど、彼らにはコミュニティがあって(地方経営難ゴルフ場なんかを買い取って作ってるから相当疎外された感はある)そこに怪しい金ピカのモニュメントとか作って、学校なんかも作っている。隔離されて、オリジナルの歌とか教科書とかを元に教育を受けるのだろう。子供はそれが当たり前だと思うんだから洗脳されちゃうよね。歴史教科書とかは興味本位で見てみたい。勝手に乗り移って本出せちゃうくらいなんだからアパホテルなんて比じゃないクオリティなんだろう(と予想される。ちゃんとした内容だったらすみません)。


出家して職員になった父を憎んでいたけど、尊敬していることもある。自分が信じている絶対世界を全く家族押し付けて来なかったこと。これは問題になっている清水さんの両親と圧倒的に違う差だと思う。本来自分課題や状況に合わせて、必要から門を叩く存在であるのが宗教だと思うんだけど。生まれた時から両親から信じ込ませられてしまったら敵わないでしょう。まあ信者の人からしたら、身近な子供自然教育してしまうんだろうし、そうやって宗教って続いてきた歴史もあるんだろうけけどさ。”必要とされている人”のところに、クリーンに行き届けばいいのになあ。


時は流れ、俺は結婚して子供が生まれた。寝息を立てる愛しい我が子を左横に見ながら、ベッドの上で増田投稿する文章ぽちぽち考えている。iPhoneスクロールしていくと、件のニュースに紐づいた感情的ヤフーコメントたちが姿を表す。”普通”の感覚からしたら、よくわかる。だけど自分が生きている世界が、価値観が、本当に正しいと”信じ込んでいる”という側面では、どっちも50歩100歩じゃないなのでは?とも思ってしまう。信じる人にかける言葉も、感情的コメント欄の彼らにかける言葉も、想像してもあまりにも答えがなくて、難しくて。どちらも真剣で、本当は笑っちゃいけない気がするんですよ。


そして自分の子供が物心ついた時にどんな言葉をかけられるのだろう。誰かを嘲笑するのをためらう想像力と、自分が信じるに値する経験を積んで欲しい。それってどう教育すりゃいいのだ?難しくね?

答えが出ずに途方にくれる、新米父さんの自分語りにお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

あなた幸福イメージってなんなの?

よく不幸だとか底辺だとか増田問題にするけど、結局どうなりたいの?

 

俺のイメージする幸福はこんな感じです。

健康でいて、衣食住に困ってなくて、比較暖かい気候土地木造北欧住宅に住んでいて、近くに湖畔があって植物豊富なの

陽は暖かく天気のいい日は外にテーブルを持ち出してそこで家族そろって食べる

俺と奥さんと息子と娘の4人で笑いながら食卓を囲んで飯を食う

俺の両親はもう死んでしまってるけど、大往生していて写真とか飾ってあん

仕事行ってくるーっていって山で適当に薪を集めて街に売りにいくだけ、誰にでもできる仕事

子どもたちは教会にいって勉強して終わったら外で遊んでる

家に帰ると家族が待っていてみんなで夕食を食べて満足して奥さんと一緒のベッドで眠る

きっと寝る前に神に祈りを捧げているんだろう

それ以上のもの必要なくてただ家族があってお互い愛し合って楽しく朗らかに健康的に暮らす

そんな暖かくて全てから許されたような生活が俺のイメージする幸福です

 

まあ、俺は年収300万で奥さんどころか恋人すらいない、

そろそろ三十路になるキモくて金のないおっさんです

社会に出れば心の中で悪態ついたりあれが欲しいこれが欲しいと思っても

本当に欲しいものは手に入りません、一生

なのでもう諦めました

絶望する余地もなくなったので流されて生きていきます

もし宇宙が生まれ変わったらこんなイメージ幸せ世界に生まれ変わりたいです

それくらいが唯一の希望です

愛が欲しかったし、愛を与えられるスペックで生まれてきたかったです

おしまい

2017-02-13

教会

教会にいってたときの話を誰かに告白したい。それはかなり素敵な思い出だが、普通の人なら引くだろう。だから誰にも言えない。ここでも言えない!

2017-02-10

優等生から鬱病になってクズになった僕の人生

死にたい ひたすらに死にたい

誰もこんな僕を知らないんだろ

僕が話すことや行動だけ見て僕が死にたがってるだなんてなんにも知らない家族他人 うざいんだよ 死ね 死んで見せつけてやろうか でも死ねないんだよ 死ね


今の僕を見てクズしか見えてないクズども死ね

僕が元学年トップだった過去なんて誰も知らないんだろ 死ねからもただのバカで低脳クズ扱い 死ね

今見てろクズ共 見返してやる なんて思ってなんにも出来なかった もう何も戻れないんだよ 死ね


鬱病になって中学1年二学期から不登校になった

それまで学校休んだことは無かった 部活も周りがサボる中絶対にサボらなかった

宿題も泣きながらやってた

テスト勉強ちょっとするだけで高得点が取れた

塾ではベスト5に入るようになった

自分が賢かったことに気付いた 友達も多かった

中学に上がって平然と30点を取ってる人が信じれなかった

逆にどうしたらそんな点数が取れるのかと疑問に思ってた

小学生からその時までずっと優等生だった 逆の気持ちなんてなんにもしらなかった


そこで僕は不登校になった

久しぶりにテストを受けた 何にもわからなくて初めて0点を取った

初めてこっち側気持ちがわかった

普通の人というのは普通にしてるだけで普通に点が取れることがわかった

でも1度でも落ちぶれる普通の人なんかよりも絶大なエネルギーがないと普通になんか戻れないんだよ

から普通の人は普通じゃない人の気持ちはわからない 普通じゃない人は普通になりたくても中々なり得ない

とりあえず死ね


そこから人生は180度変わった

親に毎日のように怒られ、びくびくするようになった

だって学校行けない自分絶望してたんだよ そして行きたかった 行けない自分を殺したいくらい行きたかった 自殺未遂なんか何回もした それでも行けなかった

そんな僕のことなんかなんにもしらず親は殴ってきた

無理矢理中学に連れていかれたことも何度もあった そんなことが起こる度に学校が怖い場所になりいつのまにか同じ年くらいの人間の声がするだけで心臓バクバクするようになった


そして僕の鬱病悪化していった

お前らのせいだよ 死ね 死ね


中学3年間家に引き篭もって2ちゃんねるゲームに浸る日々だけですごした

勉強なんかできなかった

それでも学校に行けない自分が嫌いで、普通の人のような人生を送ってないような自分が嫌いで、不登校になるかもしれない覚悟で少し遠いDQN高校入学した


そこには同じようなクズ達がたくさんいた 最初こそ同年代人間がいるだけで恐怖でしかなかったけど慣れていった

ヤンキーは怖かったけど実際悪い事言われたことはなく良い奴らだった

途中2週間ほど学校に休むこともあったけど必至にノートを写し、宿題完璧にし、流されない自分を作ろうと頑張ってた 休んでても特に何も言ってこない奴らで良かったと思った


それでも傷つきやすく、極度の不安に陥り、負の連鎖が止まらなくなることが本当によくあった

僕にとって一番苦しい時間だった


だが段々と僕はその負の連鎖に陥りそうになった時に結論を求めるようになった

そうするとただ1つ「考えても仕方が無い」という結論に毎回なることに気付いた


これは本当に自分を変えた思考方法だと思う なにか不安になった時、考える間もなく結論を出すようにした そうすると本当に楽になった それから段々鬱のような症状は無くなっていった

自分が傷つかない様に変われた瞬間だった

いつしか僕は不安にならなくなった

緊張感が無くなった

怒られることに恐れなくなった

自分がしてる行動に責任を感じなくなった

僕は高一の時は先生に真面目に思われてた

遅刻はしないし授業は真面目にノートを取ってテスト勉強もかかさずしていた

でもそれは自分が失敗して傷つきたくないからだった

高2高3になるに連れて僕は失敗しても傷つかない自分を手に入れていた

そうなることで僕は毎日のように学校遅刻するようになり授業中はほぼ寝るようになった

卒業できればいいと思いテスト勉強は最低限だけし、ノートに限っては1度もペンを握らなくなった

そんな今更戻れないクズが出来上がった

どれだけ怒られてもその場限りはいと言って何も実行できなかった

責任感が圧倒的に欠如した

人間不安や緊張は物事を頑張るためにある機能なんだと知った


理想だけを胸にこんなDQN学校じゃなくて真面目な自分友達でまた自分をやり直したいと思って大学進学を夢見た

でも僕は勉強を実行することが出来なかった

それどころか頑張ることが何も出来なくなっていた

頑張ることが出来ない人間 この世界で一番醜くて認められない、更にその上理想まで夢見てる アホがクズろくでなしが出来上がった


僕は浪人した 自分は家で勉強たかったのに父親がうるさく予備校にいけと行って無理矢理行かされた

僕はその学校不登校になった

そんなあからさまに酷いことをしてるのに何一つ責任を感じれなかった 焦れなかった 何円かかってるかわからないのにそれでも僕は責任感が欠如していた

僕は二浪した 自習室に行って勉強するようになった そこでも22時までの制限があるのに夕方20からしか行けなかった

だらだら怠惰でいつのまにか夜になっていた

10月になり初めて念願の自分の部屋を姉から譲り受けた 今まで僕は自分の部屋が無いから僕は勉強ができないと親に主張していた だからこんなにクズなんだと、自分の殻にこもれないか精神おかしくなったんだと 自分でそう思っていた

でも自分の部屋があっても勉強できねぇじゃねえかよ 死ね

自習室でやってたより勉強時間が減った

そんなこんなで今日Fラン大学を受けてクソみたいなやり込んだ問題も解けなくて衝動的にこの文章を書いた


鬱病になったらもう終わりじゃん

治ってもクズしかならないってなんなの?

俺に与えてくれたお金経験知識全てが0になった中学時代 いつまで背負えばいいんだよ

死ぬまでこんな思いしないといけないのかよ 死ね

俺に誰も期待すんなよ 絶望すんなよ でも馬鹿にすんなよ 全員死ね 俺なんかなんにも出来ないんだよ 頑張ることが出来ないんだから 死ね

どうしたら緊張感を出せる?不安感を出せる?焦らせれる? 責任感を復活させれる? ググっても逆の答えしか書いてねえじゃねえかよ 死ね

おまけにコミュ障どもり症バイトもできない バカにされるのも嫌だ 逆転人生狙おうとしたけど無理だった ニートも嫌だ 就職も嫌だ 専門学校も行こうとは思わない

ここで大学に行けなかったら一生普通人間に戻れなかった自分に後悔して死ぬんだ

もうどうすればいいの? 生きても地獄 頑張るしかないなんてわかってる って思いながら2年間を過ごした もうこの先は猶予がないだろ

鬱病死ね不登校死ね

なんで俺みたいな輝かしい人生を歩むつもりだった奴がこんなに馬鹿にされなきゃいけないんだよ 神様イエス様キリスト教信仰してずっと幼い頃教会に通っててずっとずっと純粋に信じてた

なにが信じるものは救われる? 信じても殺人事件で殺される様なもんだよ 取り返しのつかない不幸はどんな人間にも訪れてしまう なんで俺なんだよ 俺のせいで家族は不幸になるし俺はクズで何1つ責任果たせないし

死ね

死ね

殴り書きで初投稿 こんなクソ文誰も読まないかもしれんけど匿名から勘弁してくれ

俺は外面は死ねという言葉なんか一つも言わない善良気取りで周りからは優しくていい子だと思われてるよ

そのうちクズなことがバレてすぐ絶望されるけどな

死ね

2017-02-05

http://anond.hatelabo.jp/20170205175218

免罪符という言葉を使っているということは、キリスト教に関心がおありなのでしょう。

自らの罪を意識しているようですので、次は教会へ行ってその罪を告白してください。

2017-02-04

カルト2世もやもや。。。

カルト宗教2世漫画Twitter話題になっていたので。。。

私も母親が熱心な某学会信者だ。

父親母親が熱心に布教活動をすることに対して

かなり放任主義だ。

 

私やほかの兄弟

まれた時から入信させられている。

正月新年勤行会に連れていかれた。

七五三も近所の会館に連れていかれた。

キレイな服を着せてもらえるのが嬉しかったし、

さいこからそれが当たり前だと思っていた。

 

 

中学生になったある日、インターネットが気軽にできる環境になった。

何気なしに某学会のことを検索するといろいろなことが。。。

そこで母親おかしいことに気付いてしまった。

でも、それを受け入れていた自分おかしかったということに気付いて

かなりショックを受けた。

学会に入っているというだけで避ける人もいるんだと。

 

そのころから、近所の集まりにも参加しなくなり、

部活が忙しいことを言い訳にして)

まり家庭訪問がうっとうしいので

突然一人暮らしを始めてみたりもしたのに

母親が某学会に私の居場所勝手に伝えてしまった。

見知らぬ人がしょっちゅう部屋のベルを鳴らす。

その恐怖を母親理解してくれなかった。

 

毎年年末年始帰省すると

今でも新年勤行会に連れていかれる。

それに行かなければ母親のご機嫌はとれない。

今年も行かない家族がいて

そのことに母親は機嫌を損ねてしまい、

なだめるのが大変だった。

 

私は今年結婚するので

来年からは行かないようにしたいのだが・・・

あと、義理家族勧誘をしないでほしいのだが・・・

言葉にはしてみたものの、やらない保証はなさそう。

 

自分母親のことを否定したくはない、嫌いではないけど

この点に関してはどうしても無理だ。

他人自分信仰押し付けるな! 

 

京都ヨーロッパが好きで、神社もお寺も教会も見に行くのが大好きだ。

初詣にも勝手に行くし、おみくじも引く。

他人はもちろん、カルト2世だって信仰自由はあるはずだ。

同じDNAを半分持っていたって、信じるものが違ったっていいじゃないか

そういうことを母親には理解してもらいたいけど

どうしたらうまくできるのだろう?

2017-01-24

http://anond.hatelabo.jp/20170124210824

今読んできたぜ。

絵本が全部無料公開されていることに価値はあるか?」Yes/No って話ではないってことが公開されているのを見て理解できたぜ。

http://spotlight-media.jp/article/370505056378315909

まあぶっちゃけ、内容がどうあれこの形の公開にそれほど価値はないよね。

何故なら

  1. 絵と文が渾然一体となって配置されていないので、一体感が皆無であり没入感が無いに等しい
  2. サイドにあるソーシャルリンクがウザい。それだけでもう読む気なくす
  3. 最後にいらん作者のメッセージ紹介等がある。絵本にそれは求めていない

であり、これは言わば「14インチブラウン管テレビ(モノラル)で金曜ロードショーなりのカットありCMありの映画を見せられている」ようなものであって、

コンテンツとしての情報は入手できてもそれは本来予定している体験の数割程度のものしかなく、(内容を判断して)物理本を買うほうがいいって判断になるよね、これは。

ワイのモニタ4KディスプレイでIPSだから色もそこそこきれいに出力されていたけれど、おそらく大部分の人のPCモニタでは発色も上手くいかないし細かいディテールの部分はつぶれている。

もとの絵本ディテールなりを売りにしてるんだから、あえてのスペックダウンってところだよね。

まりは、この形式での公開は「映画予告編」相当の意味合いしかなくて価値があるかというと0ではなくむしろマイナス

消費者広告を見せられている、ということに相当するかと思う。

Pixivコンテキストを持たないイラストの単体公開も同じ。その公開された情報は「アナログテレビ」で視聴者に届けられているものしかない。

本当の作品というものは同じ絵であってもTPOによってその効果を100倍以上にも変化させる。

web上で見られる絵はただの一瞬のノイズしかないが、教会天井に書かれた楽園追放は人々の心に神を宿す。

データ価値がないんではなく、データを発表する手順やメディア形式価値がつくってことなのよ。

…っていうことを増田に言っても理解されない気はするけど、一応ここまで。

2017-01-19

去年のクリスマスに初めて教会に行ったんだけどお金入れるところが分からなくてシスターっぽい人にお賽銭はどこに入れれば?って聞いたのね

そしたら鼻で笑われた

私の人生リアルに鼻で笑われたのは初めてだ

絶対に許さな

2017-01-16

中世近世あたりで日本キリスト教国になってたら今頃どうなの?

平和社会になってると思う

現代日本人助け合い精神がない神道大乗仏教儒教のせいで“個人”としての自尊心を失った

僕が織田信長豊臣秀吉徳川家康になったら絶対神道大乗仏教弾圧し、キリスト教隣人愛精神を広める

そしてアジア代表する枢機卿になり

現代では聖人として扱われる存在となる

毎週日曜に教会に行く習慣ができれば孤独な人は減り、穏やかな共同体意識が芽生え、日本は今頃平和な国になっている

2017-01-13

http://anond.hatelabo.jp/20170111173605

>あと収入の1割だか何割だか納めるのは

それキリスト教じゃなくて

モルモン教な。

教会で式やるのは同じだけど。

教義

・19世紀にアメリカ救世主キリストみたいな人)が降りてきた

コーヒー、酒、婚前セックス禁止

な。

黒ヘルメットにスーツ姿で自転車移動してる白人がいたら

モルモン教宣教師です。

宣教師結婚する日本人女性も多いです(ソースはウチの従姉)


アメリカ政府戦争やって

ユタ州を獲得している(ソルトレークシティのあるところ)

2017-01-12

http://anond.hatelabo.jp/20170110234016

そうだね、「教会に行く」「教会の暦で動く(クリスマスイースターを祝う)」というのは生活習慣のひとつだよね。相手に受け入れてもらえるといいね

ところで、ある人の話ですが、堅信礼ではなく洗礼式のほうがいいと考えて、幼児洗礼を選ばなかったそうです。自分の子もの洗礼式は感動したと言ってました。それも、なるほどなと思いました。

2017-01-11

http://anond.hatelabo.jp/20170111154919

ちゃんと日曜には教会行って、みたいな敬虔信徒だとガチで引かれる

http://anond.hatelabo.jp/20170111094316

これに尽きるな。

宗教宗派の違いがあればお互いに譲歩する必要はある。

自分のやりたいことは通すけど、相手希望は(宗教的禁忌は別として)通さない、

とするとそれはエゴしかないと思う。

子供にしたって、信教の自由があるんだから教会行きたくない

とかってなった時にそれを許せるかどうかじゃないの?

洗礼とか親の希望はあっても自分選択できるようになってからにして欲しい、と俺は思う。

個人的には、宗教勝手にしてくれってのはあるけど、

あれがダメ、これがダメ、ってのが多いと嫌だ。

金曜日は肉食えない、とかこの日は教会に行くから出かけられない、とか。

敬虔クリスチャンであればあるだけ、軋轢は生まれしまものから

そこを歩み寄れるか、許容できるか、というところじゃないかな。

http://anond.hatelabo.jp/20170110234016

うちは自分が無神教、相手カトリッククリスチャン系の家族

夫は特に熱心な教徒ではなかったけれど、夫の家族は土日は必ず教会に行くほどで、式は向こうの要望カトリック方式

夫と義両親の理解もあって、私自身はほとんど宗教には関わらず、子ども洗礼も受けていないし、七五三やお宮参りなどは夫不在で夫の両親には伝えずこっそりやってる。

今のところ特に問題は起きていない。

うちが上手くいったポイントはできるだけお互いパートナーを巻き込まないこと。ナイーブな内容なのできちんと事前に報告・連絡・相談をしていたこと。

お互い相談し、お互いの親同士も理解のうえで譲り合えるなら特に問題ないと思う。

それができないなら同じ宗教の人限定で探した方が無難かも。

http://anond.hatelabo.jp/20170110234016

カトリックでも、さすがに婚葬はカトリック以外のもの体験しているのでは? 親戚のものは全部カトリックだったとしても。

それはともかく、子供洗礼を受けさせるかどうか、日曜学校に通わせるかどうかとかについて、話し合いができない相手とは、結婚は難しいと思う。例えば結婚前に一緒にミサに行ってもらって雰囲気を知ってもらったうえで、「自分が週1で教会に行くとき子供は連れていきたい」とかの希望相手がどう感じるか。話した結果、相手が反対したからあきらめるでもいいけど、話もできない関係では、今後がつらそう。

自分は定期的にミサにいったりはしないカトリックだけど、そこら辺話せない相手はつらいかな、と思う。これは相手カトリックでも同じで、子供洗礼は受けさせるにしても、親が自分にしてくれたように、堅信は本人の意思に任せたい。

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