http://anond.hatelabo.jp/20160729213257
それは大変そうですね。
他人の怒りはその人自身の問題であって自分に全く関係がないと思うと、大変楽です。例えば、自分がミスをして怒られたとしても、自分のミスに対して、優しく指導するという方法もあるのに、怒るという感情/行動を選択したのは相手なのです。
ただしこれは逆も出来たほうがいいです。つまり、担当でない仕事を/残業中に/断れない立場の人から/明日までにやっといて、とリクエストされてそれを徹夜でやったとします。疲れもあり、何でこんな仕事を急に押し付けられなきゃいけないんだ、と怒るという感情を選択するのは容易ですが、このような事情があったのではないか/次回このようなことを防ぐために何か提案してみようかと前向きな改善のための検討をすることも出来ます。外部からの刺激と自己の感情の間に、選択という理性のスイッチを挟むのです。
感情が扱いようのない(コントロールを超えた)モンスターに思えるから、もっとも強い感情の一つである、怒りが恐ろしく見えるのかもしれません。実際は感情は理性のスイッチで人が決定をしており、コントロール下にあるのですが。(ただ、多くのひとはそのことに無自覚です)
そうでなければ、ヤクザにコーヒーをかけられても、見るからに弱々しい喫茶店のウエイトレスにコーヒーをかけられても、同じ怒りの感情/行動を示すはずです。
怒っている人を見たら、この人は怒るという選択をしたのだ。とまずひと呼吸おいて考えてみるのは如何でしょう。
金の国水の国を読んだ。取り立ててこれがすさまじいって箇所はないんだけれど、緊張状態にある二国の間柄を愛が結びつけるっていう王道の物語が適切に描かれていたのがよかったと思う。
それぞれの国の状況がしっかりと設定しているのに好感が持てた。二つの国それぞれにちゃんと特色があって、その特色ゆえに問題を抱えている。加えてその問題がちゃんと物語に絡んでくるのがよかった。構造としては特に奇を衒ったものではないのだろうけど、そういったところをちゃんと抑えるのって重要だと思う。簡潔な物語にも奥行きや厚みを感じることができた。
また岩本ナオ特有のゆるーい雰囲気が全体にいい効果をもたらしていた。描かれている内容はもとより、終盤の切羽詰まった状況なんかかなりシリアスで厳しい表現もできるはずなのに、ほんわかした絵柄と台詞回しと作者のセンスとが相まって、どこか童話めいた朗らかさが感じられるのが面白かった。
この内容を一冊で完結できたのはすごいと思う。思うけど、もっと一つ一つのエピソードを長く読んでいたい気持ちも生まれてしまった。ぎゅぎゅっとエッセンスが詰まっているからこそ、もっと物語に浸っていたかった気分。さっくり読めるいい漫画なんだけどね。
○朝食:なし
○昼食:なし
○夕食:今から考える
○調子
しっんど。
疲れた。
あと、ぐーすかぐーすか寝始める人がいて、わりと真面目にキレるかと思った。
いやもう、あの、しんどいっすわ。
最近よくみる3万くらいのノートは、メモリ2G、SSD32G、CPUはセレロンみたいのが多い。
実家にPCがあって、それはOSはVistaで、メモリ4G、HDD、CPUはCore2Duo。
月一くらいの頻度で実家に帰るんで実家用のPCが欲しいんだけど、3万PCを買うのと、実家にあるノートにWindows10を入れるのとどちらがいいか。
晴れて一文無しになりました。元々お金が嫌いで見るのも触るのも心底嫌だったので今は心晴れ晴れな気持ちです。
「そんなの寂しい」子供だったあのころ、そう増田に言ったことがある。
「一人は寂しいものではない。それに、一人のようでたくさん居るんだ。見てごらん。好き放題言っている彼らたちは一人に見えるようで、こうやって誰かに訴えている。画面の向こうの誰かに。それは一人かもしれないけど、孤独ではない」
まだ髪を二つに結んでいたころ、その話はよく分からなかった。しかしなにかの魅力を感じたのも事実だ。
誰も見ていないだろうと思いながら、好きなことを書いた。願わくば増田が見ていてくれたら……、純粋な気持ちは指を動かし、キーボードを叩かせていた。
そしてある日、初めてコメントがついた。
「こんなことに費やす熱意があるなら他に使えばいいのに」とか
「みんなでスマホの画面みつめて...」とか言ってるのダサいよね。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.mu/mika_sudo/n/n82d926889177
素直に「釣れなかったから」とお言いなさい。
ttps://twitter.com/hajimesyacho/status/758618627960545280?lang=ja
謝る理由がわからないとか、面白ければいいとか、大人はこんなのも許せないとか、パクるのがユーチューバーだとか。
初めて増田に書き込んでから10年経ち、年齢も40を越えてきたタイミングでそろそろもう一つチャレンジしようかなという想いから、わがままを言わせてもらいまして今回の引退という形にすることになりました。引退理由として、増田になにか不満や問題があったわけではなく、あくまで僕が新しいことをしたいという意図を汲んでもらって増田をはじめとする増田陣からも円満に送り出してもらっています。皆さん本当にありがとうございました。
件の加害者のしたことは決して許されないが、重度の障害者及びその家族に安楽死を認めさせるという意見自体には賛成している自分がいる。
身体障害だけであれば比較的、健常者同様に育ってくれるかもしれないが、知的障害+身体障害が組み合わさっているようだと、意思の疎通も厳しいしつきっきりで介護しないといけない。もちろん金銭面も大変だろう。
どんなにそれまで努力して活躍していた人でも、重度障害児を生んでしまえば介護に追われる生活を余儀なくされる。親が死ねば兄弟がその責務を負う。もちろんどんな子でも成長による幸せを与えてくれるかもしれないが、障害が少ない子の方がより様々な幸せを与えてくれるのではないか? 障害児を産んだ親は障害児でも幸せだということが多いが、「生まれる直前に戻って健常者に変更できるとしたらどうする?」と聞いたらほとんどの場合健常者を望むのではないか?
安楽死が現実的でないとしても、生まれてきたときに親が「自分たちでは育てられない」と思ったら国に子を託すような仕組みがあってもいいのではないかと思う。自分が知らないだけで実はあるのだろうか?
>昔はそれでこっそり捨てられたり殺されていたから、ようやくそうならないように改善されてきた積み重ねが現在なんだけど……
>親の負担を減らすために国の福祉というものがあるはずなんだけど……
そうだね。産婆が〆るなんてコピペもあったけど、それよりはできるだけ育てられる世の中の方が望ましいと思う。
ただ、福祉の改善よりも医療の改善が進みすぎてしまって、それまでなら大人になれなかったような人も大人になってしまって、平均寿命レベルまで介護しなければいけない状態になっているように思える。