はてなキーワード: 反証可能性とは
なんどもいうが、ネットで科学や学問について語る必要性などない。
はっきりいえば、お前の言っていることのおかしな点を見つけて暇つぶしをしているだけだ。
全く関係のない話を比喩で説明した気になって楽しいか?これについては「お前の中ではそうなんだろう」としか言えないな。それこそ反証不可能だろ。
君が万に一つ億に一つアインシュタインのような常人を越える天才で、心理が見えていても、それを普遍的な言葉にできないのなら取り扱いようもない。
俺が知ってる「普遍性」ってのは、物理法則とか数理構造とか、そういう言葉を操るだけでは変えられない客観的存在のことだ。
その意味で、心理学者でさえ心理の普遍性など説明できないだろう。なぜなら物理法則ほどの普遍性が心理にあるかは不明だからだ。
しかし心理学者は、それを取り扱う方法を模索しているし、例えば表情から感情を読み取ったり、発言から性格を予測する程度なら、普遍的ではないにしろ、可能だろう。
そのちょっと前に書いてあるように、「反証可能性がないものに反論はできない」と言っている。
そして「反論もできないものは、仮に正しくても万人に共有できる科学的知見にならない」というのも単に合理的な学問のあり方。
「寄付をすることが正しくても、金がないのではできない」というレベルの話。
君が万に一つ億に一つアインシュタインのような常人を越える天才で、ただひとり宇宙の真理が見えていても、それを普遍的な言葉にできないのなら取り扱いようもない。
それを向けてる投稿が、明らかにタイミングが違うって話だろう。
「反証可能性の重要性を語ってない」投稿に「お前にも反証可能性がない」と返してどうするんだって言ってんのw
ほんと、すげえのがいるなあ。
「反証可能性を俺に重要だと言うの「であれば」お前自身も実践できていなければおかしいだろう」
この「であれば」にあたる「だったら」を使っていたことを、健常者であれば一瞬で理解可能だが、お前はアスペなので困難なんだろう。
まあ、俺も反証可能性のないことを言ってることは多々あるだろうが、「だったら」がまた繋がってないのがなあ。
あれだな、多分君、「だったら」とか「ほら」とか、単にかけ声かなんかだと思ってないか。
「そういえば」を「ところで」の意味に使う人は多いけど、流石にそこら辺はもうちょっと気をつけて使って欲しいぞ。
そういうところなんだよなあ。
お前の主張の間違っている部分を指摘しても、お前はコロコロと解釈とか主張を変えるから間違っていると示せないわけだよ
いや、合ってないよ。
「実践してるかどうかが問題になる」ということと「実践すべき」には天と地ほどの開きがある。
「知ってる」だけで何の反論になるんだという話をしてるんであって、「普遍的だから実践する価値がある」なんて論理はそこには書いてない。
君は多分「普遍性」に「価値がある」という主張を勝手に読み取ってるんだろう。
そういう倫理観のような話はここではしていない。
ちょっと難しくなるが、俺は「反証可能性がないものには反論のしようもない」という主張はしている。これは単なる合理的な判断の話であって、倫理観の話ではない。
「普遍性」は「知ってるだけで実践しないのでは意味がない」という性質を説明する言葉で、これは別の話だ。
まあ、難しすぎるかな。
似たようなこと言ってるじゃん
普通は、ある種の普遍的な教えというのは、「普段からできているか」と気にすることで役に立つものだと理解しているものだけど。
俺は「反証可能性は普遍概念だから実践すべき」なんて言ってないので。
文字にして何度も確認できる投稿すら正確に読み取れない君が、「高学歴の知り合い」とやらと本当に会話できてるかは未知数ですね。
という感想を持ちました。
「中学生で覚える言葉」を、「知ってる」というところで満足して、実際に実行できているかどうかには一切気をまわさない、というのもなんていうか、独りよがりな「知性気取り」の特徴だよね。
概念は単なる知識であって、自己啓発本のような実践に必ず価値があると説くものじゃねぇよ。
普通は、ある種の普遍的な教えというのは、「普段からできているか」と気にすることで役に立つものだと理解しているものだけど。
反証可能性という概念に対する反論だって存在するだろ?普遍的なんて言葉を何にも考えずに言っているところがお里が知れるぞ?要はお前が考えていることは普遍じゃねぇんだよ。
お前はまともな社会生活をしていないだろう?
愚の骨頂と言えるようなことを書いても基本は自由で、馬鹿なことを大量に書いてもそれは自由の範疇で許されるべきだ
ただ、確かに限度はある。「弱者男性を〇害せよ!」などと言う連中が現れたら、言論の自由といえども危険だろう
言論の自由について有意義な議論をしたければ、どの程度の自由が許されるのか、建設的なことを言ってみたらどうだ?
まあ、有意義なことを言う必要性すらない。「うんこうんこ!」と言っても別に構わんのだよ
反証可能性なんて言葉は、スマホを初めて手に入れた中学生がネット検索して知って使いたくなる程度の、ありふれた言葉であることは全人類が知っており、君だけがすごい言葉だと思っている
それっぽいケースが出せないなら非現実的だ!ってこと?頭悪すぎだろ
あのな、俺が3分前に鼻くそをほじっていたかどうかを第三者に証明できないからといって、俺が鼻くそをほじっていたという主張が非現実的だとは言えないだろ?
仮にあるかどうか分からないとしても、それは非現実的かどうかの裏付けには使えないわけ
要するに非現実的なケースが第三者に実在を証明できないとしても、その逆は真ではない
鼻くそみたいな脳みそで反証可能性を持ち出す前に論理学の初歩から学べよな
そもそも、男を追い落とすのにセクハラ冤罪を使うのは「いちいち女一人潰さなきゃならん。「ここはお前が泥をかぶってくれ」と言い含めて。」という理由で非現実的だというのがお前のさっきまでの言い分だったよな?
で、「訴えた女にも利益があるケース」があるし、そもそも最初からその話をしてると指摘されたことでお前の主張は破綻した
非現実的だという理由付けはできないと観念したから、実際の事例を出せ、そうじゃなければ非現実的なんだという言い分に後退したわけだ
そうやって1レスごとに論拠を変えてコソコソと逃げ回ったあげくに自分で墓穴にはまってるのがお前
ナチュラルに知能が低いことを自覚しような?ゴキブリでももっとマシな逃げ方するぞ
アホか?
お前が唱えるようなゼロリスク論に基づく絵に描いた餅でない反証可能な仮説などこの世に存在しない一方で
科学的には「処理水の安全である」という仮説は十分に反証可能であると散々指摘されているのに何も理解できていない負け犬が
何故か上から目線で残念ポイントとかドヤって恥の上塗りをしているところが残念ポイントやね
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230912195121
ublftbo 《着目している曝露要因を構成する未知部分が害をもたらす可能性がある》という主張は論理的に否定しようがないから、その論を採用すると、《**は安全である》なる形式の言明は全部不可能になるんじゃないですかね。
Akech_ergo 「海洋放出は安全」の主張は「現状手に入るデータと理論に基づけば」という留保があるので、新しいデータや理論(例えば沿岸の生態系で未知の生物濃縮の仕組みが発見されるとか)が見つかれば、反証されうるよね。
uehaj これは科学のうち工学の話なんだ。この「安全と言えない」論を認めると原発は当然運用できないし屁をこくことも出来ない。屁が安全だと証明できないからね。工学上は計算によって規制値を決めそれを守れば安全とする
ROYGB たとえば処理水で飼育している魚に異常がないか、放射線量を測定して増加が無いかを確認して、異常があれば反証になる。
y-wood 文系の陥るゼロ百系の話。/ 何で文系は論理が不完全過ぎるのか?量や統計も無視するし。その訳を知りたい。
opnihc 科学の証明で避けて通れない確率・統計という概念が全く入っていない。増田が反証可能性を見つけられないことを根拠にして飛躍だらけで結論までつないでおり、科学を理解しているとは思えない。
jaguarsan 証明済みだから実験も観察もその後一切行われない とか言ってる時点でこの人理系(少なくとも物理畑)じゃないんだろうなって分かってしまった。他人の分野に口出すときは謙虚になろうね
Gragra 処理水が起源の放射能かどうかはサンプルに含まれる核種を調べたら分かるけどね。処理前の汚染水に含まれる核種(とその崩壊生成物)が高い濃度で検出されるはずだから。
mobile_neko それを言い出すと排ガスやら食品添加物やら医薬品やら電磁波やら水道水やら工場排水やら下水やら行政が規制や許可を出している全てにおいて安全性が判断できないと言うことになるのでは?科学というより言葉遊び
sgo2 処理水とそれ以外との違い(測定すれば分かる)と、それによる影響を証明すれば済む。現状では「差異は認められるがそれが問題を引き起こすというエビデンスはない」が結論。
yujimi-daifuku-2222 ちなみにこの増田の設定に照らすと、増田の家から排出される下水を安全と見做すのは科学的ではない事になります。
前半("トリチウムの話も含めてあらゆる科学理論は証明されておらず、すべての理論は仮説だと言えるよ。"まで)は正しい。
反証という日本語は正しくないので帰無仮説と呼ぶ。帰無仮説になる「安全であるない」は一般に状況証拠の積み上げで否定する。
ある集団が健康被害を訴えた。彼らの共通点は処理水を放出した海域で泳いでいたあるいは海域で捕獲された魚を食していた。彼らは内部被ばくをしていた。彼らの体内の三重水素の比率が、そうでない人の体内の三重水素の比率に比べて有意に多い。
これは直接的に海洋放出が健康被害の原因であることを示すものではない、いわゆる状況証拠であるがこれでよい。
「安全である」は「安全でない」を統計的に否定したものなので、帰無仮説成立の可能性を有意水準の範囲で否定できなくなった時点で「安全である」とは言えなくなる。
そうやって今までの四大公害や食中毒や得体のしれないものの原因を突き止めてきた。最近では沖縄米軍基地や横田基地のPFASが記憶に新しい。
海域モニタリングも同じ話。現在多くの国が原発処理水を放出し続けている中で
今後のモニタリングで異常値の原因なんか特定できるはずもない。
仮に今後異常値が出たとして、「処理水放出が原因とは断定できない」というしかないんじゃないかな。
(冒頭で正しいと書いた)前半部分では一般的な方法論を述べているにも関わらず、ここにきてケース固有の現実の技術水準の話にすりかえている。
特に海域モニタリングについては、主観の域を全く出ていない。異常値が出たら放出口近辺を調べることによって放出が原因か否かを科学的(確率的・統計的)に判断することができる。
危険の判定を下すことは十分に可能(否定の根拠が増田の主観でしかない)なのでこれ以降は語る必要がないのだが、以下については論理に飛躍があり過ぎるので一つずつ潰しておく。
処理水放出が危険だったという判定を下す、つまり反証をできないのであれば、反証に繋がりそうな事例を否定するに終止するしない。
反証可能性は否定できていないので事例を否定するに終始する必要はないし、むしろ被害者救済を担う国は早く見つけたいだろう。
「処理水放出は安全である」という主張は、そもそも確率的/統計的なもので絶対ではない。科学とはそういうもの。
従って、健康被害が発生した場合は政府として何が原因なのかは当然調査することになる。システムのフェールなのかそもそも構造的にトリチウムで健康被害が生じないというのが誤りだったのか。ただし、ことトリチウムに限って言えば実績が十分にあり過ぎるので、否定されることは考えにくいが(もちろん絶対ではない)。
①処理水放出は科学理論だよ。主張する当の日本政府がそう言ってるよ。
①言いたいことはわかるが正しい日本語を使いましょう。処理水放出=科学理論って何ですか?
③状況証拠の積み上げだよ。工学に数学のような厳密な証明は必要ないし一般にできるとは限らないから詳細なメカニズムの解明は後で十分だよ。その状況証拠を統計的に否定する責任は東電と政府にあるので第三者は詳細メカニズムの解明までする必要はないよ。
https://anond.hatelabo.jp/20230908154902
を書いた者だけど、反証可能性という概念自体がイマイチ理解されてない気がするので
あくまでも例であって、トリチウムの安全性や危険性について述べたいわけではないので注意してね。
その根拠は今までに理論及び実験で確かめられたトリチウムという物質の性質、
https://www.kaiseiken.or.jp/publish/reports/lib/2022_27_12.pdf
この命題の偽は「トリチウムは生物濃縮する」であって、例えばトリチウムの蓄積量が有意に多い海洋生物が発見されて、
それが生物濃縮の結果だったことが判明すれば(そんな簡単な話でないことは承知の上で)
「トリチウムは生物濃縮しない」という命題は反証されたことになるよ。
この元の理論が間違いである可能性、元の命題が偽である可能性を反証可能性と言います。
例えば「トリチウムが生物濃縮がされないことは理論によって証明されている」だと、
トリチウムに関する実験も観察もその後一切行われないことになる。だって証明済みなんだからそんな事する必要ないでしょ?
たまたまトリチウムの生物濃縮に繋がりそうな事例が発見されてしまったら、
いかにその発見が誤ったものか、価値のないものという攻撃に終始するようになる。
こういうのはみんなが知ってる科学じゃないよね。
科学は新たな知見を取り入れながら、より正しい理論のあり方を追求するものです。
いま通用している科学理論は反証される余地がありながら反証されていない事実を持って、
その正しさを示していることになる。
なのでトリチウムの話も含めてあらゆる科学理論は証明されておらず、すべての理論は仮説だと言えるよ。
(個人的に証明という言葉は、厳密な意味では数学以外の分野では使えないと思う)
では本題の「処理水放出は安全である」という命題だけど、これも上のトリチウムの話を含め、
この理論の反証は「処理水放出は安全ではない」だけど、この命題、どうやったら証明できる?
元増田でも書いたけど、今後太平洋沿岸で海洋生物摂取を要因とした健康被害が発生したとして、
どうやってそれが2023年日本の海洋放出が原因だと断定できる?
海域モニタリングも同じ話。現在多くの国が原発処理水を放出し続けている中で
今後のモニタリングで異常値の原因なんか特定できるはずもない。
仮に今後異常値が出たとして、「処理水放出が原因とは断定できない」というしかないんじゃないかな。
つまり「処理水放出は危険だった」という判定できる条件が見当たらない。
となると日本政府は今後のいかなる関連事象に対しても処理水放出は危険だった、という判定を下せないわけだよね。
で、ここで一つ考えていただきたいんだけど、
「危険」の判定を下せない審判の出す「安全」という判定って、何か意味があるの?
処理水放出が危険だったという判定を下す、つまり反証をできないのであれば、反証に繋がりそうな事例を否定するに終止するしない。
そうすると日本政府による「処理水放出は安全である」という主張は、
「今後処理水放出による健康被害は政府として一切これを認めない」という政治的なステートメントになってしまうんだけど、
なので処理水放出安全論を唱える人は、いかなる条件を満たせば元の命題が反証されるか教えて下さい。
上で私は無理だ、といったけど、健康被害者の調査または海洋モニタリングの結果から処理水放出が危険だと判定できるならそれでもいいです。
まとめると
①処理水放出は科学理論だよ。主張する当の日本政府がそう言ってるよ。
②科学理論であれば反証可能性を持つはずだけど、現状は反証される条件が見当たらないよ。
③なので日本政府またはその主張の支持者は、反証されうる条件、処理水放出が危険だったと認めうる条件を明示してね。
です。
以上、id:p__o__n でした。よろしくおねがいします