はてなキーワード: オカルトとは
大学以降引っ越しが多い生活を送っていて思う、人が合う土地と合わない土地がある。
気候、地形、都会度、産業など様々な要素が絡み合っているのだと思うが、何となくここの土地は人が合わないなと感じられる土地があるのだ。県を跨ぐ距離ではなくても、ある町とその隣町レベルの距離でも違うと感じる。
合う土地だと色々なことがスイスイと進むが、合わない土地ではいちいちアレ?と思うことがある。あ、これは警戒しないと。と直感的に感じると大体当たる。偶然だと言えるような小さなことばかりなんだが。
ヤマトはとりあえず、ガンダムに関してはファンタジーが強い気がする
なんでかって、やっぱり富野由悠季という作家性が強い作品だし、彼の作品は基本ファンタジーだから
彼自身がSFですって言おうが、ダンバインでなくとも、イデオンだってSFというよりファンタジーの印象が強い
岡田斗司夫はガンダムをSFだと言ってたけど、自分はどちらかと言えばスペースオペラ、ファンタジーだと思ってる
というか、アルタード・ステーツをSFと分類するかもちょっと自分はためらう
富野氏がアルタード・ステーツのようなオカルトからヒントを得たのは疑いがないと思う
当時、アイソレーションタンクなどによる無重力下で、人体になんらかの変化が起こる、というオカルトは流行していた
富野氏は、人類が宇宙に進出することと合体させ、だったら宇宙に出た人類は無重力下で人体になんらかの変化が起きる、
進化が起きる、ニュータイプになる、ということを考えたのだろう
エヴァの生命のスープだのL.C.Lなども同様のアイソレーションタンクである、その証拠にパイロットは溶けた
なんとなくだが、単なるLSD中毒のジャンキーだったジョン・C・リリーのたわ言は長い間信じられてきた
イルカやクジラの脳は人間並みかそれより高度だとか、イルカやクジラ同士のコミュニケーションによって地球レベルのネットワークが形成されているとか、
彼のWikipediaを読むだけでも、流石に現代では噴飯もののオカルトがテンコ盛りなわけだけど、
富野氏はマジで信じてたタイプなのではないか、富野氏のインタビューとかを眺めるたびにそう思うのである
オカルトをかなりマジで信じてた、かなり、ぶっ飛んでる御仁ではないかと思うのだ
結論からすれば、仮に富野氏がガンダムはSFだと仰ったとしても、自分にはかなりオカルト色の強いファンタジーにしか思えない
そういう視点からすれば、オウムとか新興宗教が制作したアニメと紙一重なのかもしれないが、
ガンダムは最初からフィクションだと言ってるわけだし、新興宗教のクソアニメなんかより、よっぽど面白いわけで、面白ければいいのである、フィクションなんだから良心的である
そのうえ、なんか相手に理解されなくて、ひたすら自分はごめんなさいしていた
なんで電気回路の説明をしたのか、そもそも回路図間違ってた気がするし、なんなんだろう…
考えてみれば、夢の中での自分は、リアル自分とはまったく異なる判断してたりするし、
起きてから考えてみれば、あんなことするはずないんだよなあ…、と思うのだけど、
夢の中の自分は正常な判断ができていないのか、間違った判断を平気でしてたりする
なんなんだろうな
オカルトでもなく、漠然とした記憶を整理してるみたいな説明でもなく、
夢の仕組みを明快に説明してほしいよ
考えてみれば、AIが生成する絵をAIが見ている夢と表現してた気がするけど、あれも言いえて妙だよな
キャバ嬢?の夢は三度寝ぐらいで、
一度寝の夢は、街でバスを待っていると、三階建てぐらいの巨大なバスが二台連結したやつがやってきて、
なかは人が満員で乗れないので、諦めて近くの巨大な店舗に入ると、
なぜかアメリカっぽい学校の教室にいて、話が全然つながってないし…
二度寝の夢は、高い場所でジェットコースターだかロープウェイだかを待っていて、
なぜかやっぱり手すりがない、このパターン多い気がする…、ので、下を見ると怖いので必死で階段にしがみついてた気がする
なんなんだろうな
○ご飯
朝:餃子、人参、キノコ、長ネギの鍋。キムチ。たまごおじや。昼:なし。夜:餃子、人参、キノコ、長ネギの鍋。キムチ。たまごおじや。間食:クッキー。
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、おやすみなりー。
○ Night of the Crabz ~カニの頭に気をつけろ~
ライターをしている兼城と保村の男女コンビが、インターネットでオカルト系の話題で盛り上がっている旅館に取材に行き、その炎上騒ぎの謎を解くアドベンチャーゲーム。
小粋な掛け合いやネットミームがたっぷり詰まっており、徹底徹尾ネタ要素に全振り。
定価も100円とお安いし、公式サイトもふざけまくっているので、真面目なゲームを期待してはいけないことは明白。
オカルト現象の謎を解くミステリっぽいくだりはあるものの、常にふざけた会話のやり取りを楽しむゲームになっている。
ヒロイン役になる保村も終始ちょけてるふざけたキャラで、パチスロ大好きで仕事中すらアルコールを飲む手が止められないヤバいやつなんだけど、ちょっとエッチなシーンではちゃんとエッチになるところはとても良かった。
(お風呂に入るシーンを描写しつつ、お風呂に入らない系女子が好きな読者に向けた目配りもされており、なるほどと感心した)
主人公の兼城も斜に構えたニヒルなキャラで、ツッコミ役兼ネタの加速要員として会話が楽しかった。
30代ながらインナーカラーで染めた髪の毛の情報や、元カノとの関係値、誰かからもらったアクセサリなどの詳しく語られない情報も次回作への布石っぽさがあって興味深い。
キャラや掛け合い以外のストーリー部分は“バカミス”と言うほどミステリに気配りしているわけでもないので、あまり感想らしい感想もない。
評価は難しいが100円で遊べること、何か大きい作品がのちに控えていることを踏まえると、このタイミングで遊べたことはよかったかも。
そういうんじゃあ無いんですよね。フツーに海外みたいになってる
ワイ的に超好みなデコラティブなビル群でも見に行こうかしら・・・とネットでビルを調べていたら、なぜか呪いのビルや伝説のビルなどの話題が頻繁に出てくるんですよね・・・
デコラティブなビル群がダサい・悪趣味・時代遅れだといった批評ではなく、ホスト通いの末路や親子の無理心中といったサジェストが表示されたり、
よく人が(ビルの)上から落ちてくるから危険・気を付けろとか出てくる
もうこれ、『オカルトやゴシップ大好き人間が自分好みにオーバーにおもしろおかしくストーリーを書いてる』のか『ガチ事実』なのか、真偽を確認しようという気失せる米
「これ、ただの運ゲーじゃん!」に辿り着くまでの苦行。「そこに北はあるんだよ」がシリアスなギャグであることを理解するまで賽の河原で石積みするだけの遊び。同じことをやるにしても大富豪の方が手っ取り早いし、旅行先でやるときにもサクサク進むし皆知ってて丁度いい。麻雀が上手くなったら麻雀漫画が楽しめるようになるとか別に存在しない。だって麻雀漫画って本当に最後は「そこに北はあるんだよ」「やる気の問題」で終わるんだもん。そんなオカルトありえないってことさえ認識できていれば(知能がまともなら麻雀歴0秒でも理解可能)麻雀漫画を楽しむには十分です。
とにかく時間がかかる。その割には中身が薄い。別のことしながら観戦するのが丁度いい遊びであって、自分でやる必要はない。これに人生を使ってしまうのは年収1億円を目指して頑張る野球少年だけでいい。
最初は面白いが段々と作業化する。時間がめっちゃかかる割には得られる快楽の量は少ない。その割にはひたすら遊んでしまうので人生のタイパがボロカスになる。終わった後に歴史的な知識が残るとみせかけて実際には「クスコのマンコ・カパックwwwクソワロwww」ぐらいしか身についてないから無意味。
上り詰めて上り詰めてふと気づく、「これ無駄だわ」。スポーツのフリをしているがスポーツではないので体力も身につかない。その割には成長にやたらと時間がかかる。何よりも性格がクソほど悪くなて怒りっぽくなる。このゲームを通して学べることも少なくはないが、失われるモノの方が多いのでやるべきではない。
得られるものは多いが失うものも多いの究極。このゲームを通して人間性を獲得する人もいるが、失う人も大勢いる。とにかく時間がかかることだけは間違いない。気軽にやっていいものではない
友達と遊んだ思い出=プライスレス。だとしてもだ、それは思い出が素晴らしいだけでモンハンである必要はなかった。別にその時間スポーツやろうがメンコやろうが駄菓子屋でだべってようが結局時間の使い方としては無駄だっただろうし、学生が皆でやる分には別にいい気はするんだが、でもゆーて「皆に自慢するために一人でシコシコ炭鉱夫やろ」みたいなのはマジで無駄だったと思う。社会人がやる価値は0。
育成の時間が無駄。単なる乱数ゲーが無駄。読み合いと言いつつただのジャンケン。もうこんなんジャンケンで結果決めろよの世界。数字と睨み合って細かい調整とかそんなん急所に入れば全部ひっくり返るだろ。マジでやってられん。積み込みを持ち込み合う麻雀みたいなもんだろこんなの。
超大作中華SF萌え萌えRPG!←全然そんなことない。こんなんで中華SFを味わってないでいくらでもある中華SFを図書館で借りてこい。そして萌え萌えは別のゲームで接種しろ。中途半端に混ざり合ってるから結果的に効率が悪いんじゃ。アクナイはケモミミディストピアTDなので、可哀想×カワイイのシナジーがちゃんと効いてて効率的。
サクっとやるだけならやる意味がない。ガッツリやるには時間がかかりすぎる。動画で済ませるならやる意味がない。自分でやったら発狂する。
その「慣れ」をオーディオ界隈では耳エージングとか言うが、そうではなく機械工学的な意味でエージングによる変化もある。
周波数特性の測定値では帯域ごとの大小しか測れないし、あとは帯域ごとの歪み率などもデータ化できたりするが、オーディオユニットには応答速度や収斂速度、残響などから構成される微妙な聴覚上の変化、ステージ空間の広さ感、左右や上下や前後の距離、音像の精細感のように、数値化できない、測定が難しい要因があり、しかも音域ごとに性質が違ったりする。
ボーカルが近い、シンバルが遠い、音場が広い、高域の抜け感がある、寒色(残響少なめで精細)、低域がにじみ出て中域をマスクする、みたいに、さまざまな言葉で表現するが、そういう特性が正反対にまで変わることはないものの、微細な変化を人間の聴覚は大げさに捉えることが得意だ(意識して聴く場合)。
もちろん思い込みによって変化したと感じる部分もないとはいえないが、集合知として稼働時間による変化はあるというのがこの界隈では消費者のみならず生産者の間でも常識になっている。
オーディオ愛好家向けのメーカーではエージングに言及して推奨するメーカーもあるが、基本的にはエージング行為を意図的にする必要はなく、通常使用するうちにこなれていくのを待てばいい。レビュワーなどは条件を揃えるために一律のエージング作業をすることはあるが。
なので、特定の測定値を出して、エージングだとかリケーブルだとかに有意な変化がないから無意味、と声高に主張するようなものはどちらかというと理系気取りを履き違えたトンデモの域。聴覚は電気や工学の側面だけじゃ説明できない。
もちろん、オーディオ界隈にはシールを貼ると音質がアップする、みたいなオカルトじみたグッズも存在するので、そういうものまで肯定していく必要はないが、外部の人はすべてを一緒くたに小馬鹿にしがちなので難儀なところだ。
話を戻すと、エージングという表現だと使い古して悪い意味でもユニットが劣化していく変化までを含むので、慣らし運転としてはバーンインという呼び方をする事が多い。
それによって低域がスムーズに出るようになったり、高域のトゲトゲしさが落ち着いたりといった変化はある。もちろん、ある場合もある、というだけで、知覚できないことも多いだろう。大抵の製品は箱出しから音がいいので、「あれっ」という音の時にエージングに期待する感じになる。
またユニットの種類によってエージングにかかる時間が異なることも集合知的にわかっていて、例えば平面駆動ドライバの場合は一般的なダイナミックドライバよりも長く、数百時間のバーンインが必要なことが多い、などと言われる。
工業的にも物理的にも、同一製品だからといってどの時点でも同一の出音を維持するなんてことは不可能で、普通は左右のユニットですら微妙な音量差や周波数特性にブレがあったりする。それはデータにも現れるが。
20XX年。
キリスト本人の細胞が発見されたことから、この計画が立ち上がった。
そのような重大な計画は国が主導となって動き、キリスト復活の話はオカルトではなくもはや全国民が知っていることになっていた。
クローンとしてではあるけど…とうとう蘇る!
世界中が熱狂の渦に包まれ、その日をまだかまだかと待ちわびる。
研究は順調で、予定通りに行くはずだった。
ある一点を覗いては。
研究所
え? あっ、あーっそーーっすねぇ……でももう動いちゃってますし、大丈夫ですよ。
これはですね……あっ……ああっっ!!
ど、どうしたぁ!?
だって、これは――
当然、復活するのは一人のキリストだ。
キリストが観衆の前に現れると、怒号のような歓声が沸き上がった。
しかし次第に「え?」「え?」といった声が至る所で聞こえはじめ、原因は最初のキリストの後方。
研究所
つまり……当然一人だけのつもりだったのが、なぜか数字を間違えてしまったと……
……はい。そう…です…。
……何人できた?
はい?
す、…いっ、いち…まん…にん…です。
こうして現代には1万人のキリストが誕生し、流石にうちではさばき切れないと売り出し、捨てたり、視聴者プレゼントにするなどして何とかキリストの数を減らしていこうと努力した。