はてなキーワード: 墨田とは
元増田みたいなのが居るから地名変えちゃったってケースを出すよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230912103559
地下鉄南北線に志茂駅というのがあるが、ここは昭和初期まで「下村」だった。上村は近くにないので、岩淵宿から見て下の村という意味かと思われる。
関東大震災後に人口が流入して町になる時、「下町」じゃあれなのでちょっとこじゃれて「志茂町」とした。
後に町が取れて志茂となり、駅も出来て有名になったが、住んでる人も元は「下」のこじゃれた書き方だったとは知らないことが多い。
関東大震災後に東京近郊は下町からの移住で人口が増え始め、川口町と合併して川口市になる横曽根も人口が増える前に区画整理をする事になった。
横曽根の中心の北には「北」、南に「南」というおざなりな小字があり、西側は「新田」という小字があったので、「北」を「北町」、「南」を「南町」、真ん中を「仲町」とし、西側の新田は「仁志町」とした。
仲は中を、仁志は西をこじゃれた風にしたものだ。
だが西川口駅が出来て人口がどっと増えると、駅西側は全部西川口にしちゃえという事になって北町も仁志町も全部西川口になってしまった。
「仁志」とかせっかく付けたのに結局に「西」で上塗りされちゃっというケースである。
余談だが、南町は残ったのだが、ここは市境に近く、川口市南町から歩いて5分に蕨市南町があるので混乱の元だ。この命名法はよくない。
先の事を考えない鉄道会社に振り回されたケース。
東上線の中板橋駅の西側に711の弥生町店があるが、実はこの辺りは川越街道の上板橋宿跡である。
大正初めに東上鉄道(現東武東上線)が開通すると、始発駅の池袋の次は板橋下宿に近く貨物扱いで重要な下板橋駅が設置されたが、その次は4km先に設置する事になった。当時は蒸気機関車の単線運転だから交換用の駅で距離もその程度が適当だった。
だが駅の周りがマジで何もない。だから駅名に適当な地名も無い。
だが昭和初期に電化されて加速性能がいいので駅を沢山作る事になり、下板橋と上板橋の真ん中にも駅を作る事になった。だがこの近くの地名は、上板橋宿に因んで全域が上板橋になっていた。
でも下と上の中間の板橋だから中でしょと「中板橋」駅としてしまった。
すると上板橋が上板橋駅付近になくての隣の駅の周辺にある、しかもその駅名は中板橋というおかしなことになってしまった。
地名変更できるようになると上板橋は古い名前を捨てて「弥生」というこの地に特に縁のない名前にしてしまった。
元々池袋村は今の下板橋駅付近が村の中心で(現池袋本町)、池袋駅が設置された当初は池袋村の村の外れの村境ぎりぎりの場所だった。
今の西口付近はその名も「上」という小字の場所だった。その他にもこの周辺は「原」とか「下上」とか「西山」とかおざなりの超てきとうな小字ばかりであった。さすがは人もろくに住まず雑木林のままの村はずれだ。
だが鉄道がどんどん集まってきて人口も増えるとそんなてきとう地名は「池袋」で消されて無くなってしまった。
そもそも下上って何なのか?
葛飾区と足立区の区界を見ると綾瀬駅の付近で絡まったコードのようにやたらグネグネしている。これは古隅田川の流路で、中世では住田河と呼ばれていた。
荒川放水路が出来るまでは堀切駅の付近で今の隅田川に合流していたので、その上流までが荒川、その下が隅田川と呼ばれていた。
一方、江戸時代に水墨画が流行すると、「墨」という字とそれを「ボク」と読むのが粋でブランド的価値を持つようになった。
隅田川がカーブしながら先述の古墨田川と合流する場所の外側にあるのが隅田村で、洪水が頻発するので幕府は隅田堤という陸の堤防を築造、桜を植えた。桜を植えるのは花見客が大挙して訪れて踏み固められるからである。今も川べりに桜が植樹されるのはこの幕府の知恵に由来する。
するといい景色なので山水画や浮世絵が多く作られたが、何しろ「隅」より「墨/ボク」の方がカッコいいもんで、隅田堤じゃなくて「墨堤/ボクテイ」と題されたりした。
その他にも隅田村/隅田川関連のものが「墨田」と呼称されたので、隅田村→隅田町となっていたが住んでる人らは勝手に隅っこよりもイキな方がいいと「墨田町」と書くのが流行し、本所区と向嶋区が合併した際には墨田区となった。
隅田町が町名変更できるようになるとこれもやはり墨田となった。
中仙道の板橋宿は超巨大宿場町で、JR板橋駅から都営地下鉄板橋本町駅の2.5kmくらいもあり、北から上宿、中宿、下宿(下板橋宿/平尾宿)と分かれていた。
鉄道道路の時代になると宿場町の記憶は無くなって何が中なんだという事で、仲宿と改称された。
下谷はいかにも下に見られてるみたいなので、台地の東、と台頭を兼ねた造語を区名にした。
吉原遊郭とか上野周辺とか山野とか実際にスラムが幾つかあったのが余計にコンプレックスを刺激した。
十条と呼ばれる地区には北側に上十条村、南側に下十条村という二つの村があった。尚、この当時の上、下というのは京都に近い方が上である。江戸北側には中仙道があるので京都に近い方の北が上であって、東海道周辺なら西が上になる。
両村を縦貫する形で日光御成道(別名 岩槻街道)があり、下十条宿という幕府非公認の小さな宿場町があった。今の東十条駅から坂上がったあたりの塾や郵便局があるあたりである。
明治になりその十条の西の方に現赤羽線(埼京線。開通当時は日本鉄道品川線)の十条駅が出来た。
次に東北本線(京浜東北線)にも駅が出来る事になったが、当然、一番栄えている下十条宿に近い場所に設置された。また駅に来れる道もある。だから当然駅名も下十条駅だった。
ところが昭和に住居表示で町名が変えられるという事になると、下十条が「今は東京駅に近い方が上だからこっちが上十条だ」とか言い出す。
それで町名を押し出された元の上十条は、下はヤダってことで中十条となってしまう。何でだ。
こうして下十条が無くなったのに駅だけ下十条を名乗ってる状態になったので、十条の東だし、東十条に隣接してるってことで改称されて東十条駅になった。
そりゃ下扱いは誰でもイヤなもんだが、下剋上的というか身勝手というか。
ここを東急電鉄の後藤慶太のデベロッパが買い上げ高級住宅地「田園調布」の分譲を開始、鉄道も開通し、調布駅が設置され、直ぐに田園調布駅に改称される。
「田園」の文字の由来は、ロンドンに視察に行った後藤が田舎に住んで都会に鉄道で通勤するというゆとりがある生活スタイルに触れて感銘を受けたため。当時のロンドンは児童含む超絶ブラック搾取労働や、一晩で数百人が死ぬほどの超絶大気汚染、ゴミや糞便に混じって死体も流れるテームズ川の超絶河川汚染、多発するスリ強盗殺人林立する売春婦など、文字通りに死ぬほど環境が悪かったために富裕層にこのような生活スタイルが流行した。
昭和3年に人口が増えて町制施行されることになったが、調布町とすると京王線沿線の調布と被ってしまうので「東調布町」と呼称。
だがその僅か五年後には荏原郡自体が東京市に編入されて東調布町も消滅。短い命であった。
初めは東急(の子会社デベ)が開発した駅前の高級宅地だけが田園調布だったが、住居表記施行で町名変更が可能になると、元の田園調布の周りの○○沼とかの町も「沼とかヤダ田園調布にしたい」という事になって、全域が田園調布となった。
火事が起きて途中中止になったけど花火は最期まで上がっていたといういたばし花火大会だが、実は戸田市との共同開催になっていて、荒川を挟んで板橋側だけが中止になったのだ。荒川を挟んで両岸で打ち上げまくるのね。
でも板橋区の方では「いたばし花火大会」としてしかアナウンスされないし、戸田市側の方は「戸田橋花火大会」としてしか案内されないから、東京都民or板橋区民の中には戸田市の方でも打ち上げてるのを知らない人が結構いるし、反対側の埼玉県民、戸田市民の方も然りで、「中止になったのに最後まで打ちあがってたのは何故???」というなぞなぞみたいな事になってしまった。
そして両岸で共同開催という珍しい形になったのは、荒川の改修工事が元になっている。
赤羽の岩淵に岩淵水門という隅田川入口を締め切る水門があるんだが、そこから下流の荒川は大正から昭和初めに掛けて開削した放水路だ。それまでは荒川の全水量が今の墨田川に流入していて水量が増えると東京の下町の方が洪水になってその都度大損害を出していた。
そこで荒川放水路を掘るという大工事に至ったのだ。普段は岩淵水門を開けておいて水は隅田川の方に流れているが、水量が増えたら水門を閉めて全部放水路の方に流れるようにする。
同時に岩淵水門の上流も大改修する必要があった。荒川がうねる様に大蛇行していて、当時の堤防というのは河道から500m~1kmも離れた所にあり水が溢れたら堤防までの土地(堤外地)は水没、という扱いになっていた。
これを止めて直線的に流れるようにして堤防に対する攻撃力を下げる。そしてちゃんとした高い堤防で完全に水を封じ込むようにする。
ついでに合流する河川も改修する。新河岸川は彩湖の付近で合流していたが、荒川の堤防だけ高くしても洪水時は新河岸川の方に逆流するからそこから洪水になって無意味だ。
そこで新河岸川の堤防を荒川準拠に高くする代わりに、新河岸川の合流地点を延長して荒川と平行して流し、赤羽まで持って行く。そして岩淵水門の下流で隅田川に合流させるのだ。確かに荒川の水量の影響を受けなくなるがすごい工事である。
で、その河道はどうするかというと、蛇行している荒川の頂点に接線を引いて、北側接線を荒川、南側接線を新河岸川にした。
すると接線の間にはサインカーブで分断された土地というのが出来る。
そしてそれまでは荒川が埼玉県と東京府の境だった。荒川の位置を変更して北側接線にしたから、東京府側に下に凸型の埼玉県飛び地がいくつか出来たって事になる。
このサインカーブ飛び地問題、今の埼玉県川口市&東京都北区、埼玉県戸田市&東京都板橋区が影響を受けるが、川口市&北区側は早々に解決した。
今の埼京線浮間舟渡駅~北赤羽駅の浮間地区は元は埼玉県横曾根村の浮間だった。だが荒川改修直後に横曽村と川口町の合併(川口市へ)が控えており、その時に東京府に割譲すると取決めがされてその通りになった。
一方、戸田村の船渡地区は東京府との協議が難航していた。浮間の方は横曽村がほぼ丸ごと東京側に行くのに大して、戸田村の集落は埼玉側にあり、その船渡地区だけが東京側に行く。
時折線が入り組んだ複雑な県境があるが、それが出来る理由というのは同じ地主の土地が県境で分かれないようにする為というのが多い。この場合は地主の土地を引き裂く県境引き直しだから難しい訳だ。更にその土地が工場に売られたりして更にややこしくなった。
そうするうちに戦争が始まってしまう。東京府と東京市は無くなって東京都と板橋区が出来て話し合いの主体もリセット。もう解決不能である。
戦後になって流石に復興する前にあれ何とかすべきだという事になり、1950年、難航の末に戸田町と板橋区の間で県境を荒川にする事で合意。今の地図を見ても蛇行の名残は見える。
https://goo.gl/maps/uEMgZazGCHPmMV2Q6
新河岸川の角みたいなのと浮間公園の池が蛇行の跡で、戸田葬儀場があるU字型の土地が戸田町から板橋区に割譲された船渡地区だ。
そこでこりゃ目出度いって事で、戸田橋花火大会を開催することになり、板橋区もそれに協賛という形で加わる形となった。後に協賛じゃなくて戸田市側の戸田橋花火大会、板橋区側のいたばし花火大会同時開催という形に変化。
そしてこのいたばし花火大会の開催&打ち上げ地点というのはこの戸田市からぶん捕った土地の河川敷なのである。これは飛び地問題解決を祝って始めた花火なのでここじゃなきゃいけないわけだ。
荒川の河川敷は今の経緯から見ても判る通り、元は農地だった。戦後すぐまでもそのままで農民は河川敷の農地を所有し堤防を越えて農業をしに来ていた。
だが堤外地で増水時には水没する土地でもあり自治体は土地を購入して運動公園への転用、ゴルフ場や教習所など水没前提の事業者への売却を促してきた。つまりは「平地」として活用されてきた。
だがそのうち荒川旧河道は誰の土地でもないから放置されて荒れ地のままになっていた。それも昭和後期あたりから公園や払下げなどが進んできた。
だが現河道と旧河道の合流部は敢えてそのまま残される事になった。水面が切れ込んでいるので水生生物が流されにくい。そしてその周辺は敢えてそのまま荒れ地のままにしてバードサンクチュアリにする。
という事で、他の部分は運動場などで使うので綺麗に芝刈りされているのに「一か所だけ荒れ地のままにしているところでナイアガラをする」という条件が揃ってしまったのだ。
旧河道付近は荒れ地のままにして、戸田市からぶんどったこの土地でやるのが元々の花火のテーゼだから仕方がないのだが条件が悪いな。
増田の推測だと他の悪条件も重なったと思われる。
まずは2019年の台風19号。これによって荒川は増水し、昭和初期の堤防の高さを超える位置まで水位が上がった。
水が引いた後は河川敷の教習所もゴルフ場も泥まみれである。これらは2~5cm以上にも達し、人力で除去されたのだが、荒れ地の泥はそのままだったはずだ。
そして洪水の泥はナイル川デルタに文明を発生させるほどに肥沃であって、泥がそのままの荒れ地は猛烈に雑草が繁茂したはずだ。
更に2020~2022は東京五輪とコロナの為に開催中止。肥沃な泥で荒れ地の雑草たちは伸び伸びと繁茂しまくり、その中には葛も含まれていた。こいつが来たらもう手に負えない。
そんな悪条件で更に当日は風が強かった。堤防下に管理用道路があり、その脇の数mは普段から草刈りされていて、そこでナイアガラするのだが、そこを遥かに超えた所まで火が飛んでしまった。そしてそこには台風19号で肥料を大増量されて3年以上も繁茂しまくっては枯れと繰り返した雑草、特に葛が居たのである。悪条件が重なりすぎなのだ。
戸田市側の堤防の向こうには戸田のボート場があるが、これは東京五輪用に作られたものだ。
だがこの五輪は2020大会でもなけりゃ戦後の1964年大会でもない、幻となった戦前の1940年大会用に作ったものである。日中戦争激化でキャンセルされた幻の五輪に向けてこれだけ大きなボート場を作ったのだ。でも当時は埼京線は無いし交通はどうするつもりだったのか?都電が戸田橋の南詰まで走ってたがこれは戦後開通だし。
今は西側1/3をギャンブル競艇、東側の残りの水面を大学や実業団の漕艇部が使うという形になっていて、それらの艇庫がズラリと並ぶ。
飛び地問題を早々に解決した川口市の方は荒川での花火大会は無かった(最近出来た)。
だが戸田&板橋の花火大会が羨ましくなった川口市はたたら祭りという祭りを開催。その〆に花火を打ち上げている。
これは川口オートレース場で行われるが、狭いところで打ち上げるので尺玉などは無くて、数も3500発位と、スペックだけ見たらしょぼく見える。
だがオートレース場は観客席と防音壁で囲まれており(数年前までマフラー無しの直管だった)、そこで打ち上げるので音が反響してもの凄い迫力である。また打ち上げ場所が近いので灰や花火の殻がバラバラと沢山降ってきてかなりワイルドなんである。
これは高級スポーツカーよりレーシングカートの方が楽しいとかジャンボジェットよりもセスナやブリテン・ノーマン アイランダーの方が体感的というのに似ている。
先のgooglemapsの航空写真では船渡地区のU字の丸い底の方に工場群が写っているのが見える。
これは新日鉄の工場で、新河岸川は舟運が出来るので戦後すぐに出来たものだが(貨車、トラックに乗らない長物が運搬できる)、実は今は解体されて無くなっている。
都内最大の超巨大物流センターになる予定で、ドローン配達の基地にもなるそうだ。
ただ、ここは実はスーパー堤防予定地である。また、対岸側の川口市の方にはやはりスーパー堤防予定地にタワマンが数棟建っている。
いいの?と思うがスーパー堤防の整備年数は400年、タワマンや工場の耐用年数は60年で、修繕しても120年くらいだから建てちゃっていいそうなのだが、スーパー堤防の壮大さというよりも大言壮語さに驚いてしまう。
花火会場の直ぐ近くを東北新幹線と埼京線が鉄橋で渡っており、埼京線は打ち上げ中は徐行して渡る。新幹線は普通に走っているので乗客へのサービスと思われる。
韓国の雑踏事故とコロナのせいで有料席だけとして無料の人は出ていけとしている大会が増えていて今いたばし&戸田橋もそうだが、これだと市街地の道に人が溢れ、トイレやゴミ箱の設置が無いからその始末を住民がする事になって運営が無責任だ、見えなくしただけだという感じで結構ヘイトを買っている。このやり方はまずいんじゃないのか?
1970/10/22 朝刊 1段 6頁 777組が国際集団結婚式 ソウルで原理運動の青年_韓国
1975/1/23 朝刊 1段 22頁 親も知らぬうちに指名で集団結婚式 信者二千人 近く韓国で やめさせて…父母訴え
1975/1/23 朝刊 3段 22頁 信じねば親も悪魔…が教義 宗教評論家荒井氏の分析_統一教会(原理運動)
1975/1/23 朝刊 6段 22頁 統一教会_統一教会(原理運動)
1975/1/23 朝刊 8段 22頁 時間かけ納得へ努力_統一教会(原理運動)
1975/1/27 朝刊 1段 22頁 「統一協会」の集団結婚騒ぎ 反対派の子弟が帰宅 説得で20人_統一教会(原理運動)
1975/1/28 朝刊 4段 22頁 抗議はあっても 結婚式予定通り 統一教会スポークスマン
1975/1/29 朝刊 8段 22頁 さらに十数人帰る_統一教会(原理運動)
1975/2/4 朝刊 9段 18頁 日本人は800組 原理運動の合同結婚式_統一協会(原理運動)
1975/2/8 夕刊 1段 6頁 父母の反対押し切って 799組の日本人も 合同結婚式 ソウル
1975/2/8 夕刊 7段 6頁 父母の会が抗議声明_統一協会(原理運動)
1975/2/19 夕刊 1段 8頁 統一教会に 仏でも“嘆きの親”「盗まれた子返せ」300人が抗議の集会
1975/12/7 朝刊 7段 22頁 統一教会燃える 墨田_火事
1976/6/4 朝刊 7段 7頁 米国税庁が調査に乗り出した統一教会の 文鮮明牧師_ニュースの顔
1976/6/21 朝刊 9段 7頁 文牧師、米の銀行を支配? 議会、政府に調査要請へ_韓国
1976/11/1 朝刊 9段 3頁 統一教会関係機関も捜査中 米議会へのわいろ事件_韓国実業家の米議員買収事件
1976/12/18 朝刊 9段 18頁 統一協会支持派が客を招き晩さん会_宗教
1977/1/31 朝刊 1段 4頁 大学生「右向け右」 勢力急成長の原理研グループ 続々、独自の学内新聞 賛同教授も七百人握る
1977/2/6 朝刊 4段 3頁 統一教会系会社を手入れ 脱税で韓国治安本部_統一教会
1977/2/6 朝刊 9段 19頁 「原理被害者更生会」顧問 若い男女に襲われる 練馬_暴力・おどし
1977/2/8 朝刊 1段 3頁 与野党の大物ねらい撃ち 解明進む、韓国の対米工作 贈り物や宴会攻勢 政財界ぐるみ 宗教もからむ?
1977/2/12 夕刊 3段 8頁 ジ・エンド「ティファニーで朝食」 ニューヨーク 統一教会がビル買収
1977/2/15 朝刊 1段 18頁 統一教会 KCIAとの接触認める 見解発表「弾圧され理解得るため」
1977/2/16 朝刊 9段 22頁 贈賄も摘発 韓国の統一教会系会社_統一教会
1977/2/22 朝刊 9段 7頁 韓国系財団に流用の疑い_犯罪
1977/2/23 朝刊 4段 4頁 統一教会の素顔 120カ国に200万人の勢力 反共が理念、会員が献金
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1977/3/4 朝刊 9段 20頁 「統一教会系の集会に、北区教育長が激励文」 区議会で共産党が追及
1977/3/7 朝刊 7段 22頁 原理に泣く親心デモ_宗教
1977/3/16 朝刊 1段 4頁 米の人権基準 韓国では疑問(李東元韓国元外相)_世界の声
1977/3/18 朝刊 7段 3頁 (4)反共複合体 話題まく統一教会 豊富な資金で多角経営_日韓不透明の構図
1977/4/5 夕刊 1段 2頁 “共働関係”を追求 米議会が調査 KCIAと統一教会
1977/4/12 夕刊 9段 7頁 世界基督教統一神霊協会本部員を傷害で逮捕_宗教
1977/4/19 朝刊 9段 22頁 原理運動被害で直訴_宗教
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1977/5/7 夕刊 5段 6頁 文鮮明氏を一時逮捕_統一教会
1978/2/26 朝刊 10段 3頁 統一教会が白人女性使い日本でも議会工作? 日韓疑惑で橋本議員語る
1978/3/16 朝刊 1段 3頁 KCIA、統一教会を設立 「米韓関係の報告書」を公表 米下院委
1978/3/17 朝刊 1段 3頁 日本でも食い込む 統一教会 27万人幅広い活動_下院国際関係委
1978/3/17 朝刊 5段 3頁 統一教会に関するCIAの秘密報告_下院国際関係委
1978/3/18 朝刊 10段 3頁 CIAは事実誤認 日本の統一教会が反論_下院国際関係委
1978/3/23 夕刊 1段 2頁 KCIAとの関係否定 米下院委 韓国文化自由財団の理事長
1978/4/16 朝刊 10段 3頁 国際文化財団援助の団体が平和会議 七月に日本で_国際
1978/5/19 朝刊 1段 22頁 統一教会がらみの映画「仁川」 東宝が製作に協力 労組などは強く反発
1978/6/23 夕刊 1段 2頁 フレーザー委員長らを 統一教会が提訴「結社・信仰の自由侵害」 米議会、全面対決へ_下院国際関係小委(フレーザー委)
1978/8/5 朝刊 5段 3頁 統一教会の疑惑否定 文鮮明師の特別補佐役 朴氏が記者会見
1978/9/28 朝刊 1段 22頁 千六百組の合同婚約式 統一教会また実施
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1978/11/14 朝刊 6段 22頁 原理運動に厳しい目 「憂慮する会」スタート_宗教
1979/5/19 朝刊 6段 22頁 統一教会で集団婚約_米国
1979/8/13 朝刊 10段 3頁 統一教会がアフリカ進出 30数カ国に拠点_アフリカ
1980/8/27 夕刊 1段 3頁 ある入信女性の軌跡 何が娘を変えたのか 独自の価値観との出会い 宗教は受けざら役_検証
1981/8/24 夕刊 3段 12頁 原理運動 ブラジルでも問題化 未成年の参加禁止州も_ブラジル
1982/5/19 夕刊 8段 10頁 文鮮明師ら脱税で有罪 ニューヨーク連邦地裁_裁判・訴訟
1982/7/12 朝刊 1段 4頁 変わる米社会の反応 統一教会の大合同結婚式_ルポ82
1982/7/17 夕刊 9段 9頁 脱税で懲役18月の判決 統一教会の文鮮明_裁判・訴訟
1982/8/12 朝刊 10段 7頁 文鮮明師、国外退去は免れる_裁判・訴訟
1982/10/9 夕刊 1段 12頁 統一教会 ソウルで“集団結婚”1万人 14日、日本から最多の3千組
1982/10/12 朝刊 9段 4頁 (解説)目的は組織の強化 団結誇示し飛躍も_統一教会合同結婚式
1982/10/15 夕刊 5段 18頁 六千組が集団挙式_統一教会合同結婚式
1982/10/25 朝刊 7段 4頁 合同結婚の若者たち_風車
1983/10/17 夕刊 6段 2頁 正体不明の中東紙「統一教会」が全面的に支援 元記者が告発_キプロス
1983/10/22 朝刊 1段 3頁 夢か可能か「日韓トンネル」 九州-釜山230キロ 進む調査 統一教会が音頭取り_深層 しんそう 真相
1983/12/12 夕刊 8段 15頁 「原理研」に入会した娘 引き戻した親は正当 徳島地裁判決_訴訟
1983/12/30 朝刊 1段 18頁 統一教会を前幹部が批判_NEWS三面鏡
1984/5/15 夕刊 1段 2頁 最高裁 文鮮明の上告却下_裁判・訴訟
1984/7/19 夕刊 8段 14頁 文鮮明師収監 米地裁が命令 停止申し立て却下_文鮮明師を収監
1984/7/21 夕刊 8段 13頁 文鮮明師を収監へ_文鮮明師を収監
1984/7/22 朝刊 1段 3頁 岐路に立つ統一教会 教祖収監_文鮮明師を収監
1984/7/22 朝刊 1段 3頁 一層閉鎖的になるのか 世間の常識に沿うのか_文鮮明師を収監
1984/9/1 朝刊 3総 003ページ 02442文字 写真図表有 筑波大の国際関係学類 どこか偏った感じの教授陣(真相・深層)
1984/11/27 夕刊 1総 001ページ 00330文字 韓国、銃撃事件で中断の板門店ツアーを再開
1984/11/28 夕刊 2社 018ページ 00772文字 FBI、文鮮明師の側近誘拐で韓国人6人を逮捕
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1985/4/9 朝刊 2社 022ページ 01850文字 アフリカ救援募金めぐり苦情 無届け・使途不明も 難民救援連絡会など指摘
1985/5/20 夕刊 月曜ルポ 005ページ 01517文字 筑波大の学生処分(深海流)
1985/7/10 朝刊 3総 003ページ 02555文字 論議呼ぶ臨教審委員の統一教会系会議出席(深層・真相)
1985/10/23 朝刊 3総 003ページ 02228文字 写真図表有 法案成立狙い持久戦(国家秘密・スパイ・知る権利:1)
1986/2/21 朝刊 解説 004ページ 02220文字 写真図表有 筑波大構想に転換の機運 次期学長に福田体制批判派
1986/7/14 夕刊 月曜ルポ 007ページ 03196文字 写真図表有 若者に新オカルトブーム(ルポ86)
1986/7/23 朝刊 2社 022ページ 00390文字 「週刊ポスト」訴訟、統一教会側が敗訴 記事は名誉棄損せず
1986/9/3 朝刊 1社 023ページ 01477文字 国家秘密法制定運動に勝共連合がスポンサー 政治資金報告書
1986/10/7 朝刊 解説 004ページ 01064文字 写真図表有 国家秘密法案・靖国問題(焦点再録 参院予算委・6日)
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1986/11/25 朝刊 1総 001ページ 02153文字 国家機密法、増える反対議会 促進議決に目立つ議論不足
1986/11/25 朝刊 特設ニュース面 011ページ 02709文字 写真図表有 勝共連合が活動を支えている 国家秘密法・地方の動き実態調査
1987/1/13 朝刊 解説 004ページ 02672文字 写真図表有 国際勝共連合の足取り 「国家秘密法」制定に照準
1987/2/14 朝刊 1社 023ページ 00659文字 霊感商法で被害連絡会
1987/2/25 朝刊 1社 023ページ 01165文字 写真図表有 霊感商法、根は1つ? 10日間の被害訴え500件、20億円
1987/3/6 朝刊 3総 003ページ 02186文字 写真図表有 被害深刻な霊感商法 救済の動き、全国に(時時刻刻)
1987/3/7 朝刊 2社 022ページ 00500文字 文芸春秋の千葉会長、秘密法促進懇を退会
1987/3/17 朝刊 3総 003ページ 02310文字 写真図表有 「霊感商法」はこんな手口 典型的な被害例から(時時刻刻)
1987/3/20 朝刊 2社 022ページ 00589文字 霊感商法、慰謝料を 札幌の女性が提訴 「洗脳され職失う」
1987/4/2 朝刊 4社 025ページ 01472文字 秘密法論議かすむ地方選 売上税花ざかりで
1987/5/6 夕刊 1総 001ページ 00580文字 写真図表有 本社に薬きょう・脅迫状が届く 朝日新聞記者殺傷事件
1987/5/7 朝刊 1総 001ページ 00393文字 本社への脅迫状、阪神支局襲撃事件と無関係 警視庁が断定
1987/5/12 朝刊 1社 027ページ 01029文字 霊感商法をまた提訴、組織的行為と主張 被害救済弁護士連
1987/5/15 朝刊 特設ニュース面 027ページ 07818文字 写真図表有 衝撃…無言の銃弾 阪神支局襲撃事件、24時間ドキュメント
1987/5/20 朝刊 2社 026ページ 00666文字 「合同結婚式中止を」と統一教会信者の親が法務省に要望
1987/5/29 朝刊 1社 031ページ 00442文字 「原理」被害者の会に嫌がらせ電話殺到 代表は職場に辞表
1987/6/5 朝刊 2社 030ページ 00535文字 霊感商法根絶も検討 被害防止で遠藤法相答弁 衆院委
1987/6/6 夕刊 1社 011ページ 01140文字 霊感商法批判したミニコミの発行人、撃たれけが 長崎
1987/6/15 夕刊 2社 014ページ 00631文字 統一教会の女性会員、フォーカス側に勝訴 間違い写真掲載で
1987/6/18 朝刊 2社 026ページ 00253文字 「統一教会員の子供を返して」 広島・山口の親も訴え
1987/6/24 夕刊 1社 015ページ 00941文字 霊感商法、千葉と東京で提訴 合わせて3400万円払え
1987/6/27 朝刊 2社 030ページ 00328文字 原理研めぐり学生同士衝突 神奈川大
1987/7/10 夕刊 1総 001ページ 00642文字 「行革の精神貫く」 参院で首相答弁
1987/7/11 朝刊 解説 004ページ 01632文字 写真図表有 参院代表質問と政府答弁要旨(10日) 佐藤昭夫氏 共産
1987/7/26 朝刊 1社 031ページ 02589文字 写真図表有 霊感商法、各地で守る集会 国会議員が祝電、福田元首相の名も
1987/7/27 夕刊 らうんじ 003ページ 03523文字 写真図表有 「霊感商法」私はこう売った 元販売員・霊能者16人の証言
1987/7/29 朝刊 1社 027ページ 00582文字 霊感商法集会への議員の祝電、国会でも論議
1987/8/20 夕刊 1社 015ページ 01344文字 「霊感商法」で統一教会など相手に賠償請求・調停申し立てへ
1987/8/21 朝刊 2社 026ページ 00250文字 「霊感商法で訴えられ心外」 統一教会コメント
1987/8/28 夕刊 1社 019ページ 00936文字 霊感商法卸元の警察訪問、自民県議が仲介 静岡
1987/10/13 夕刊 2社 010ページ 00173文字 日本基督教団が原理問題相談会
1987/12/21 夕刊 2社 012ページ 00351文字 霊感商法被害、1年で157億円 対策弁連が集会で報告
1988/1/20 夕刊 らうんじ 003ページ 02866文字 写真図表有 世界反共連盟“ワクル”の実態に迫る 米書ルポの日本語版発売
1988/2/10 夕刊 2社 014ページ 00490文字 長崎県弁護士会、いやがらせ電話は「人権侵害」と判断
1988/2/29 朝刊 1社 027ページ 01458文字 写真図表有 霊石愛好会、宗教法人に変身 「天地正教」名乗る
1988/3/1 朝刊 3総 003ページ 02652文字 写真図表有 巧妙化する霊感商法 霊能者、研修で特訓(時時刻刻)
1988/3/19 朝刊 1総 001ページ 00144文字 統一教会<用語>
1988/3/19 朝刊 1総 001ページ 01835文字 写真図表有 霊感商法背後に統一教会の存在推認 日弁連、販売網調べ意見書
1988/3/19 朝刊 1社 031ページ 01415文字 「販売会社に多数の Permalink | 記事への反応(1) | 18:07
tokatongtong でも分析的には正しくない?で、低所得層の不満をスケープゴートへそらしながら支持広げてく政治手法は確かにナチス的でもあるし。東京だと板橋・北・足立・葛飾・江戸川・荒川・墨田・台東・江東あたりで支持得そう
s_rsak これは実感だわ。この前、役人叩きをしていた橋下徹の支持者とレスバしたからw
blockchain-bitcoin これ表現の自由の危機だろ(笑) 維新の振る舞いは呉座オープンレターの件と全く同じなんだけど、大騒ぎしてた表現の自由戦士がダンマリなのは笑える。そもそも「低所得者」自体は侮蔑的な意味をもたないよね。 維新
coper 「低所得者層の人達が共鳴し、(維新の)支持を広げたとの分析が有力」を見て、菅が「維新の支持者は低所得者」と言ったと曲解し、ウホウホ盛り上がっているブコメが散見される。 菅直人twitter維新ブコメ
usi4444 脚だけ触ってゾウについて全て知ったような不用意な発言だが、ブコメのアンチの皆さんは「ゾウの脚は細い」と言いたげだな。維新人気にはそういう一面もあるということまで否定するのかね。 維新の会立憲民主党菅直人大阪政治社会
uehaj 得票率と所得に相関があるということならそうなる。低所得を侮蔑だと捉えるのは、自分が低所得者を劣った人間だと思っているからだ。語るに落ちる。低所得の何が悪い/ちなみに管さんの資産は首相経験者で最低
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/NaotoKan/status/1486512156044521476
↓
@NaotoKan
私が維新が大阪で絶大な政治勢力を築いた原因を問うたところ、多くの方からメールがありました。ありがとう。維新に共鳴したのは低所得者ではなくむしろ「勝ち組」という説、在版メデイアのよいしょ報道説など興味深い意見が満載。全国が維新にムードで席巻されないようににしっかり研究するつもり。
これこそネットの力が発揮すると思うけどな。
https://nordot.app/844522079794642944?c=39546741839462401
下町の風情を残す東京都墨田区の住宅街を、60代ぐらいの男性を探して訪ね歩く人がいる。江蔵智さん(63)だ。生まれた直後、産院のミスで別の赤ちゃんと取り違えられ、そのまま育てられた。両親と血のつながりがないという衝撃の事実を知ったのは約17年前。そこから独りで膨大な行政資料を調べ、取り違えられた可能性のある家庭を1軒1軒回り、生みの親と、自分を育ててくれた両親の本当の息子を探し続けている。(共同通信=典略健佑)
▽取り違えの発端
日本が高度経済成長へと歩みつつあった1958年4月10日、都立墨田産院で男の子が生まれた。この子を仮にAさんと呼ぶ。前後して同じ産院で生まれたのが江蔵さんだった。
赤ちゃんのころの江蔵さん
産院では通常、母親は1日2回ほど、授乳の際に新生児室のわが子と顔を合わせる。ただ、Aさんの母は母乳が少なく、看護師が代わりにミルクを与えていたたため、わが子の顔を見る機会はほぼなかったという。
出産から4日ほどたった頃、看護師が「へその緒が取れた」としてAさんの母の元に連れてきたのが、江蔵さんだった。「取り違え」の発端だったとみられる。
Aさんの母も父も江蔵さんをわが子と信じ、そのまま退院した。父は名前を「智」と決め、出生届を墨田区役所に提出。長男として育てられ、その後に生まれた弟と共に台東区で暮らした。
▽「家族の誰とも似ていない」
「巨人の王や長嶋に憧れた野球少年で、やんちゃな子どもでした。でも、父とはそりが合わなかった」。江蔵さんがおだやかな口調で幼少期を振り返る。父は都電の運転手。厳格な面がある一方で気性が荒くなる時もあり、物心ついた頃から対立した。
お盆や正月に親戚の子どもが集まると、大人たちに「おまえは家族の誰とも顔が似ていない」とよく言われた。江蔵さんにとっては、今も忘れられない言葉だ。「確かに自分だけ顔立ちが違うな」と幼心に思ったが、それ以上深く考えることはなかった。
中学卒業後は家を出て、浅草のおしぼり店で住み込みをして働いた。その後は建設作業員やトラック運転手、貿易関係など仕事を転々としたが、時代は高度経済成長期のまっただ中。食いぶちには困らなかった。
10代の頃からモータースポーツが大好きで、車のレースにも参加していた。好きが高じて30代で中古車流通関連の会社を設立。仕事に明け暮れ、両親と会う機会も少なくなっていった。
▽親子としてはありえない血液型
転機は1997年、39歳の時だ。病院嫌いだった母が体調を崩し、初めて血液型検査を受けてB型と判明した。父はO型で江蔵さんはA型。親子では考えられない組み合わせだ。念のため他の病院でも検査したが結果は同じだった。
「ありえないよな」。江蔵さんの問い掛けに、両親も訳が分からないといった表情を浮かべた。当時はまだDNA型鑑定は一般的ではない。鑑定機関に問い合わせたが「300万円かかる」と言われた。その頃見た新聞には「実の親子でも、遺伝子上の原因で血液型が合わない場合がある」という内容の記事が載っていた。
約7年後の2004年、福岡市に仕事の拠点を移した江蔵さんは、かかりつけのクリニックで家族の血液型について話した。すると話を伝え聞いた九州大の法医学者が「研究のため調べたい」と持ち掛けてきた。DNA型鑑定も無料ですると言われ、両親と血液を提供した。
▽「あの看護婦かしら」
約2週間後に会った法医学者は、おもむろにこう語った。
「あなたの体に、両親の血は1滴も入っていません」
衝撃を受け、すぐに母に電話で伝えた。電話口で母は「えーっ」と言ってしばらく絶句した後、こんな言葉を口にした。「あの看護婦かしら…」
母が語った話はこうだ。墨田産院では当時、沐浴などで新生児を運ぶ際、看護師がかごに入れて頻繁に移動させていた。ただ、母から見た産院は明らかな人手不足。どこかで取り違えが起きていてもおかしくはない―。母の話を聞きながら、江蔵さんは頭が真っ白になったという。
すぐに真相を確かめようと思ったが、都立墨田産院は15年以上前に閉院していた。東京都の担当部署に電話し、対応を求めたが拒まれたという。墨田区役所や法務局も訪れたが、らちが明かない。江蔵さんと両親は、都に実親の調査と損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。
▽「過失は重大。人生を狂わされた」
05年の地裁判決は「真実の親や子を見いだすため、手を尽くしたいとの心情は察して余りある」と理解を示した一方で「請求権が消滅する除斥期間(20年)を既に経過している」として訴えを退けた。
江蔵さんは控訴。すると06年の東京高裁判決は正反対の結論を導く。「時効は成立していない。過失は重大で、人生を狂わされた」として都に計2000万円の賠償を命じた。都は上告せず、判決は確定した。
上告しなかった理由について、当時の石原慎太郎都知事は「本当に痛ましい話で、総合的に判断した」と述べたものの、江蔵さんが求めた出生情報の開示については「(取り違えられた)相手方の人生にもかかわる。行政としてできることに限りがある」と、事実上の拒絶をした。
▽60人の候補者、誰ひとり拒まず
それでも諦めるわけにはいかない。江蔵さんはその頃、既に自力で生みの親を探し始めていた。自宅がある福岡市から時間を見つけては飛行機で東京に通い、墨田区役所で住民基本台帳を閲覧し続けた。区の住人は当時約33万人。そこから自分と生年月日が近い人の氏名と住所をメモした。
半年ほどかけ、約100人をピックアップし、レンタカーで1軒ずつ回り始めた。事情を伝えた上で「血液型だけでも教えてほしい」とお願いすると、見知らぬ人の突然の訪問にもかかわらず、誰ひとり江蔵さんの調査を拒まなかった。
反対に「俺も同じ立場なら一生懸命探すかもしれない」「会えることを願ってます」と言われ、励まされた。60~70人分を調べたが、該当する人はいなかった。
ただ、住民基本台帳には限界がある。新たな転入者の情報は随時追加される一方で、転出者の情報は削除されてしまうためだ。江蔵さんが探し始めるまでの四十数年間に転出した可能性は、低いとは言えない。
▽該当者は黒塗り100人の中に
頼みの綱は、墨田区が保管している「戸籍受付帳」だ。自分の生年月日に近い戸籍受付帳を開示するよう請求したが、区はプライバシーを理由に、個人情報を黒塗りした上で開示した。それでも、黒塗りされた該当者の人数は分かる。約100人。彼らの戸籍情報さえ分かればたどり着けるはず。江蔵さんはもう一度司法の力を求めることにした。今年11月、都に実親の調査を求める訴訟を東京地裁に再び起こした。
育ててくれた父は、約5年前に他界した。折り合いの悪かった父は常々、実親を探し続ける江蔵さんを見かねて「今更、もういいんじゃないか」と言っていた。だが、死期が近づいた頃には「まだ見つからないのか」と気に掛けるようなことも言ってくれた。
東京都に実親の調査を求める訴訟を起こし、記者会見する江蔵さん=11月5日、東京都内
その父と自分の間に立ち、陰ながら調査を見守ってくれた母(89)は、苦しい胸の内を最初の訴訟に提出した陳述書で明かしている。
「私も生んだ子どもがどうなっているか、見届けたいし、会いたいです。でも見るだけで、声はかけられないと思います。向こうの気持ちもあるでしょうから。会えるものなら、遠くからでも見てみたいです。その気持ちには変わりありません」
母は今、認知症を患い高齢者施設にいる。江蔵さんが語り掛けると、にこやかな顔を見せるが、会話の内容はもう理解できていないという。
「せめて一目でも生みの親に会いたい。取り違えは東京都の責任なのに、なぜ協力してくれないのか。もし判明しても、相手側に面会を拒まれるのなら諦めます。でも、調査さえしないのはおかしいと思いませんか」
江蔵さんの闘いは終わらない。現在は幼少期に墨田区内にあった小中学校の卒業アルバムや住所録を集め、地道な調査を続けている。
https://anond.hatelabo.jp/20200612200441
エクストリーム東京都知事選挙2020の増田を書くため、今回の東京都知事選挙の各市区町村ごとの得票も見ていたのだが興味深い傾向を発見した。全地域で小池百合子の圧勝なのだが、落選した主要候補の得票に有意に地域差が出ている
https://www.asahi.com/senkyo/tochijisen/
いわゆる「都心3区」。宇都宮健児は比較的どの地域でも次点に付ける傾向だったのだが、典型的な左翼候補ということもあってオールドレフト的主張が嫌われ、新自由主義的傾向の強い小野に票が集まったと思われる
新宿区・渋谷区・豊島区・文京区・江東区・台東区・品川区・大田区・目黒区・世田谷区など、大きな副都心を抱え比較的家賃や地価・物価が高い一方で、都心3区と比較すると中流層が多く居住する自治体。
これらの区では宇都宮健児が2位につけているが、山本太郎よりも小野泰輔に票が集まっている。相対的に貧困層が少ないこともあって、左派の再分配指向よりも新自由主義的な傾向が強く出たのだろう。例外的に墨田区と杉並区だけは山本がわずかに勝っており後述する「ザ・中流自治体」と同じ傾向が出ている。
足立・葛飾・江戸川の城東3区のうち、足立と葛飾。多摩地区では八王子市や青梅市など都心から遠い自治体
これらの自治体では山本が小野よりも多く得票する傾向が多く、全体で見れば宇都宮・山本という左派のほうが新自由主義の小野より票を集めている。例外的に江戸川区だけは落選候補のうち山本の得票がトップであったが、若い世代が多く山本に票が集まったためと思われる。
下町と都市近郊。これらの自治体も山本が小野に勝っているが、城東3区や多摩郊外と比べると得票差は僅差である。多摩地区でも中央線沿線や都心に比較的近く、家賃が高めな自治体はこの傾向。都心16区でも杉並区と墨田区と中野区は例外的にこの傾向。杉並区は左派が強いというのは都市伝説かと思ったが、むしろこの説を補完してしまった。
有権者の社会的階層や経済的属性によって投票傾向があるのは当たり前だが、これほど地域で有意に変わるのは興味深かった。大枠では小池百合子が圧勝した選挙だが、細かいところを見ると結構違う。東京にも地方格差問題が有ることがわかる。
おそらく有権者の年収や資産状況もそのまま投票行動に反映されているであろう。年収上位数%は小野、下位数%は宇都宮・山本、中流層の大半は小池というふうに。
阪神地区では日本維新の会は自民党に代わる保守政党という位置づけであるが、小野への投票傾向から東京では新自由主義・リバタリアン向け政党と言える。あれだけ公務員叩きして福祉と行政サービスを削っていればそういう人が支持者になるのはわかる。ただし東京では新自由主義・リバタリアンの多くは小池百合子に投票したので、小野泰輔氏に供託金は戻ってこなかった。小池百合子は新自由主義でもリバタリアンでもなく、理念なき単純なポピュリストなのだが。
今回の選挙の宇都宮+山本で合計150万票で小池百合子の半分にも届かなかった。立憲民主党の支持層の多くが小池に流れたと思われるが、おそらく次の参院選挙などで東京選挙区で野党共闘が実現してもこれが基礎値となるであろう。これだと定数6のうち2議席が限界である。前回の鳥越俊太郎も134万票だったことを考えると伸びしろがあまり見られず、野党共闘の未来はあまり明るいものとは言えない。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASGB04W4JGB0UTIL021.html
これ、無料登録しないと読めない先にこんなことが書いてある。
都私学行政課によると、都内の私立幼稚園840園の総定員は17万4793人(2014年度)。これに対し、入園者は15万6249人で、2万人近い余剰があった。総定員を超える自治体は、大田、江東、江戸川、新宿、墨田、品川、渋谷、府中、小金井の9区市だけだ。
つまり大田区は総定員を超えた入園者がいる地域。恐らくどこにも入れなかった「幼稚園待機児童」もいるんだろう。
この行列が出来たという大田区の幼稚園も特別人気がある訳ではなく、単に大田区の幼稚園自体が足りてないだけと思われる。
それなのに冒頭でわざわざ「少子化で幼稚園の定員は余っているのに、一部の園では徹夜の行列ができた」と書き、
後半を登録しないと読ませない事で「他の幼稚園なら入れるのにわざわざこの園に拘って行列する親」だとミスリードさせようとする所に悪意を感じる。
そもそも未登録で読める範囲だけでも「預かり保育を実施すること」が人気の理由と書いている時点で、
保育園に入れなかった親による保育園代わり需要が高いってのは想定できるけどね。
幼稚園に入れないくらいなんだから、保育園入園はもっと絶望的な状況と思われるわけで
そりゃ親も必死だろ。ここに入れれば共働き出来る事を考えたら業者に頼んだってすぐペイするわ。