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2024-03-21

anond:20240321071911

ルール自主性というよりは教養だね

周りが助ける共助の精神というよりは、社会契約論とかポッゲの消極的義務とか、関係権利論とか、ロールズ正義論とか、その手の教養ニューステレビ日常的に解説してるから国民全体の教養レベルが高い

日本テレビバカ向けでコメンテーターお笑い芸人差別発言してるだけだからね。

国民全体の教養がない。無知で無教養

2024-01-16

anond:20240116003349

おもしろい。自分寄付をする人間で、存分に選り好みして寄付しているのでその観点から書こうと思う。また自分は犬には寄付しない。ほとんどは被災者である

寄付と善について

自分寄付には差別的要素があると思う。そして、そもそも寄付は究極の善でもないと考えている。

それから自分がやっている寄付は全く善と考えていない。もっと利己的なもの自己満足感を満たすためにやっており、投資や物品購入に近い考え方をしている。

どちらかといえば自分がやっているのは贖宥状購入のような悪徳に基づく行為である

ただしここで「差別的要素があるならすなわち善ではない」と考えると危険であると思う。それは完璧主義的な意見だろうと思う。

これは自分は、世間欺瞞に対する挑発だとも考えている。普段比較「悪」なくせに、そういうときだけ調子のよいことを言う人間がいる。あたかも「自分は善側の人間ですよ」と振る舞っていること・自分が選んだものを助けたことに満足していてその他には一切憐憫の情を向けない「ほかを悪と断罪するための正義」を感じているのもあるのではないか。「やらない善よりやる偽善!」と言って、やらない者を「悪」側に落とす文句もある。

もし多くの人間に対する不信感がある場合、選ばれなかった方に目を向けたくなる。彼彼女らが助からないのなら、それは善といえるのかという話のようにも見える。

自分には、増田は「嫌われている方を助けたい」という考え方があるようにも見えている。ちょうど増田が考えていることはロールズの「無知のヴェール」の話にも通じるのではないか。これは個々の立場を忘れるヴェールを被ってから正義を考えようという概念である。この概念はそこそこ有名だが、それほど一般的ではない。ほとんどの人々は伝統的な倫理観にしたがって寄付などを行っているはずだ(※ べつに揶揄しているわけではない)

平等に誰も救わないことについて

ただし差別うんぬんよりも、もし「すべてを救えないのなら救うべきでない」とすればこの世のほとんどは何も救えないことになる。われわれは有限の資源の中で生きているので、絶えず不足にさらされている。不足している中では選別が必要となる。

このあたりはトリアージ等の動画を見ると非常によくわかる。属性のせいで助けてもらえないというのは悲しいものである。何もないまま助からなかったよりも、助けられそうな資源が目の前にあるのに助けてもらえなかったという絶望はたしかものだ。それが現実である現実理不尽であり不公平であるしかポメラニアンを助けている人も、何も黒い大型犬に思いを全く馳せていないわけではないかもしれない。助けたいが、資源が足りていないために助けられないのだ。

どのように「公平に選別するか」も重要問題である。こうした点がトロッコ問題などで考慮されていた。選別しなければならないのだ。ポメラニアンと黒い大型犬はその「愛らしさ」に焦点をおいているので、その独善的な部分に嫌悪感を感じるのではないか。善という正義の皮をかぶって差別正当化しているように見えるのかもしれない。通常、笑って朗らかな態度で選別してはいない。血涙を流しながら、選べないという自分の無力さ無能愚鈍さとどこかで折り合いをつけて、否応なく選別している。

そして誰も救わない場合、「どうにも俺と同意見の人間が増えたとして世界が良くなるとは思えない」と言っているとおりのようになるだろう。もしそれが現実となったとき、考え方はどうであれ実際に起こるのは「誰も寄付しない世の中」である。つまりどれだけ困窮しようが誰も何も手を差し伸べはしない。それはポメラニアンや黒い大型犬のみならずすべての生き物が平等絶望しなければいけない事態であると思う。

理想現実について

人々から金銭徴収して再分配することはODAなどで一応おこなわれている。

一方で寄付は、自発的自分の所有財産から抜いておこなっているものだ。これは財産権という強固な概念で守られている。

われわれは「自分の持っているもの自分の使いたいように使っていい権利」を持っている。これらをとりあげて自由使用することは、自由権や民主主義否定するものである

たこれは単純に「世界中で増税する」ということに他ならない。国はそれほど信頼できるだろうか。国同士は同意できるだろうか。現在の世の中ではかなり厳しいものとなる。

また、マクロ問題を持ち出して、ミクロ問題のやらないことの根拠に含めてしまうのはズルであろう。個人的寄付をすることと、国家群が寄付を集めて再分配することとは次元が違う問題である

まとめ

結局増田が言っているのは理想論なのではないか。「あるべき理想の姿」があまり現実と違いすぎる。今この瞬間にはどうしようもないことを前提としすぎている。遠い将来にそれが普通になることはあるかもしれない。しかし周りから見ればそれは「ただやっていない」「ただ誰も助けていない」のである

そして実際にその浮いた100円は何に使っているかといえば、個人的実益に対してなのではないか。これはどう言い繕っても「誰かを助けるよりかは、自らの幸福を高めたい」という行動である。この言はずいぶん切れ味の鋭いものだが、それが事実である。われわれは見ず知らずの黒い大型犬の命よりも、見ず知らずのポメラニアンの命よりも、コンビニお菓子の方を選ぶことがある。そちらの方が自分にとって幸福からだ。

増田はもしかすると「誰からも助けてもらえなかった」と感じているかもしれない。だから自分も手を差し伸べはしないのだと。しかし本当は助けられたかったのではないだろうか。助けてもらえない者たちから見れば、この世は邪悪な方が都合がいい。この世が邪悪から助けてもらえないのだと考えられる。それほど邪悪でないのに助けてもらえないなんて諦めがつかない。

寄付だろうがなんだろうが人の行動は利己的なものであり、己のためにするものだと思う。どちらかといえば、寄付することによって自分が救われているのだ。

べつにこれは自分個人意見だが、「全員を助けられないのなら寄付しない」と考えるのならば、あまりもったいないと思う。

誰かを救いたいのなら救えばいいのではないか

実はもっと極めてシンプルな話だとも思う。

少なくとも、正しく誠実に生きたいのであれば、寄付をした方がおそらくいいだろう。無理のない範囲で。

2023-10-16

マイケル・サンデルだのロールズだのより、俺や俺と一緒に働いてる職場人間都内にいる事務屋共は除く)のほうが余程学問を極めてると思う。あんなのに金出したローズ奨学金ってマジで無駄遣いだな。

あの2限から5限までの基礎理工学実験演習や卒研頑張って良かった。

2023-03-14

ビットライスさんの『責任という虚構』のブログへの反論

ビットライス氏のブログバランスの取れた議論と時折混ざる素直な感想が好きで、時々読んでいました。

『How to Not Die Alone』の書評とかは、あまり英語文章を読めないものですから、とても有益で思わずメモを取ったほどです。

先日、私が好きな『責任という虚構』のブログを挙げてるなと思って読んでみて結構びっくりしました。

https://davitrice.hatenadiary.jp/entry/2022/10/04/155546

(↑ブログURL

まず、全体的に内容に基づいた批判というよりも、文体や語り方の批判になっていますしかもかなり口汚くののしるような文体で、かなりショックを受けました。

普段結構素直に感想を語っていらっしゃるなと思っていましたし、今回も個人意見範疇かなと思ったのですが、今回のは批判結構ズレているし、主張の部分と著者の感想を取り違えているような気がしました。

一部(アンダーソンの手紙の部分)有益情報はあったのですが、数度読み直してみても、全体的にズレているなと感じました。

普段ほとんど人の書評ケチをつけないですし、内容理解にひどい部分があったとしても特に反応もしませんし、私はあまりネット名前を出して文章を書きたくないので、どうしようかとも思いましたが、はてな匿名ダイアリーネットの片隅に残るようなので、少々ずるいかと思いますが、書いてみたいと思います

気になったのは4つの点です。

一つ目。

書評の中では、ロールズについて書かれた箇所に出てくる「理想郷」という言葉から理想現実の対比を引き出して『責任という虚構』は理想論を模索する哲学者非難しているとして、それに対する再批判を展開しています

私が本書を読む限り、理想現実の対比は大して重要な対比ではないです。

ライス氏は「理想的な基準規範存在することで、ようやく、「現状の財の配分のされかたは間違っている」と批判したり問題を提起したりすることができる。」と続け、それを理解しない小坂井氏を非難する文章を連ねてますが、この論点は本書の主張に対する批判になっていません。

著者の小坂井氏が言いたいのは、人の行動や社会の動きというのは、人の手を離れて自律運動して生み出されるもので、したがって人の意識や理性でコントロールできるものではないので、そもそもべき論とは雨乞いの踊りのように無意味ものだ、という主張だと思います

規範について言い換えれば、現実世界における規範は、論理的だったり理性的に構築されたものではなく、権威などによって根拠づけられていることで初めて人の心理的抵抗を起こすことなく円滑に機能するので、理性によって規範を人工的に構築しようとしても、規範の生成のメカニズムが異なるのでどこかで無理が生じる、という主張です。

ロボットを作っても出来上がるメカニズムが違うので人間にはならない、というのと同種の主張です。

この主張に反論するならわかりますが、規範否定しているのに規範論を行う著者は倫理的相対主義ジレンマに陥っているというのは、少なくとも本筋に対する批判ではありません。

実際、哲学者山口尚氏ライス氏と同じく、小坂井氏の哲学者批判反論されていますしかし、批判の直接の理由価値相対主義ジレンマではありません。

https://note.com/free_will/n/n24feea05db99

(↑山口尚氏反論URL

山口氏のほうが的確に批判されていると思います

二つ目

ライス氏は、小坂井氏がほかのネット論客と同じく、

哲学者リベラルフェミニストなどが「ただしさ」を語ることは否定しながらも、「ただしさがもたらしている悪さ」や「ただしさを語っている連中の悪さ」をあれこれあげつらって非難することで「ただしさ」を語るという自分行為だけは特権的に許容する」

ということをしていると書いています。ほかのネット論客の方の本を拝読したことがありませんので、それに対するコメントは控えますが、『責任という虚構』を読む限りこの批判はズレていると思います

一つ目の内容で書きました通り、小坂井氏は、規範論で物事理解しようとすると、どうしても現実規範機能しているメカニズム無視することになりがちであると主張しています

これは、政治に利用しようと思って進化研究すると、進化本来の仕組みを無視することになるのと同種の主張だと思います規範対象なので感情的な反発が起きやす文章で(正直言えば小坂井氏もちょっとケンカを売っているような気もしますが)、ライス氏の言うようなものではないと思います

三つ目。

ライス氏は、規範を論じる哲学者たちに小坂井氏が、「傲慢」「偽善」「おぞましい」などの価値判断を含む言葉を使いながら非難を浴びせかけていることについて批判的です。

これに関しては、私も同意します。

実際、小坂井氏のほかの著作を読んでも、哲学者傲慢偽善、おぞましいと言える根拠はありません。あくま小坂井氏の主張する範囲では言えば、哲学者は「苦しい言い訳」を捻りだしているだけであり、別にからと言って哲学者傲慢だとか偽善だとかおぞましいとかいう主張はできません。

ではこれは何かといえば、小坂井氏のただの感想なのだと思います

ライス氏のブログで言えば、「好ましく思った」とか「イラっとした」みたいな文章に相当します。

私は小坂井氏にかなり共感していまして、こうした言葉に少し心を揺り動かされたりしますが、でもこれは小坂井氏の感想以上のものではないと思います

こういう言葉が出てくるのは、小坂井氏にとって学問が、ある種の実存をかけた戦いだからなのでしょう。私はそういう学問観、正直すごい好きです。強く共感します。

でもこれは本筋ではないので、ここに関して批判するのは、好み以上のものではなく、論理的な主張になりえないと思います

もしここに論理的批判を加えるのであれば、上述した山口さんの批判文のように、主体虚構と言っておきながら主体を前提とする「責め」を行っているではないか、というものになるのではないでしょうか。

とはいえ、このような「責め」が著者によって行われること自体が、主体の"虚構"性を表しているとすら私は思いますので、別にこの本の価値は減じないと思っています。この本の中において、虚構は単なる嘘ではないのですから

ちなみに、小坂井氏の言う相対主義認識論的な相対主義のことで、善悪単独では決まらず、枠組みに依存するという立場のことです。この立場に立てば、「小坂井氏という枠組み内では哲学者偽善者だ」といっているにすぎないので、特に問題はないと私は感じました。ライス氏の言う「イラっとした」と同じです。枠組みを超えた正しさは主張できないだけで、言う分には問題ないと思います

四つ目。

正直、上記3つだけであれば、この文章も書かなかったかもしれません。ライス氏の言うことも理解できなくはないですから

しかし、これがあったので書こうと思いました。

端的に申し上げて、他人著作題名を加工するというのは、少々失礼ではないですか。

責任という虚構』であって、『<責任>という虚構』ではありませんよね。

類似名称書籍『〈責任〉の生成』と混同したのかもしれませんが、ブログが書かれてから随分と経たれたのに直っていませんし、別のブログ批判的な言及をされた際にも同じ書き方をしていたので、もしかしたら、意図的ものかなとも思いました。

もし、ただの間違いなのであれば、訂正した方がいいと思います。どんな著作であれ、一生懸命書いたものだと思いますし、関わったのも著者だけではないのですから

しかし、意図的ものだとしたら、随分と陰湿だなと思います

※4つ目について。ライスから反応がありました。意図的ものではなかったそうで、すでに修正されたそうです。

2023-01-10

anond:20230110130800

ガチランダムということなので、これって子どもが最重度知的障害などの状態になってても東大に入れてもらえるのかな?

まあ障害者雇用制度の主旨もまずは受け入れが大事ってことだし、社会的にはありなのか

ロールズサンデル理論でもありとされそう

2023-01-06

リベラリズム旗手であったジョン・ロールズハーバード)は、原爆投下重罪論者であったようだが、特にフェミニストではなかったようだ

しかチャールズテイラーカナダ弟子ルースアビーオーストラリア)は、「ジョン・ロールズフェミニスト解釈」などのフェミニズム論を、ペンシルバニア州立大から出版した

ロールズフェミニズムを支持したかのような形になったということは、日本向けか

大学立地のフィラデルフィアは、アメリカユニテリアン協会本拠地である

日本フェミニズム論にもうっすらハーバードユニテリアン主義の影響が感じられてきた

結局、オボカタ・colaboなどの女性事件が生じているし、コレが正義ダ!と言っても、誤魔化し易い司法手続があるなら、正義は作られない 

 

先進的な女性イメージをばらまくカドカワユニテリアンぽいと思うが)の会長五輪疑惑逮捕され、何らかの贖罪をすることになるのかどうか

現実金持ち女性って、元軍人氏族とか家が太いがために業界大手入社できた人ぐらいで、数は少ないだろう)

2022-12-20

anond:20221219173109

●大筋では同意できる(「規範」「規範的主張」の理解についてはちょっと違うような気がするけれど)。

●ただ、「前提」として提示されている知識を知らなくても理解できると思う(というか、知っているとかえって混乱しそうな点もある・後述)。「正義原理に基づいた規範的主張」の意味が分からなくても、児童虐待がその例であることが読みとれればよいはず(ここがポイントだろう)。すなわち、「児童虐待に反対する人は、全ての人が児童虐待することに反対するに決まっている」ということは、おそらくほとんどの人が理解できるだろう。そして、それと同じことを(倫理的ヴィーガンもやっているのだという趣旨理解できれば、そこで両者に共通する要素が「正義原理に基づいた規範的主張」だとわかる(ひいては、「正義原理」の意味もなんとなく推測できるだろう)。これだけで、元ツイート「その、「他の人、あるいは全ての人がヴィーガンになるべき」という思考自体傲慢だし危険だし反社会的だし愚かだから嫌われるし未来永劫マイノリティのままなんですよ。」への回答としては十分であろう。

●(倫理的ヴィーガンの主張は功利主義によって正当化されることが多いという知識考慮し始めると、「正義原理」という文言にはかえって混乱しそう。というのも、一般的に「正義原理」と聞けばロールズ正義論を思い浮かべるだろうが、ロールズ正義論は功利主義批判しているからだ。それに、ロールズのやり方で(倫理的ヴィーガンの主張が正当化できるのかもちょっとよく分からない。谷口さんが、(おそらく)素人相手にそんなに難しいことを言っているとは考えにくい(もしかしたら本当に難しいことを言っているのかもしれないが)。したがって、この場合の「正義原理」を「その人の倫理的立場の基礎をなす(一般的な)規範的主張」というぐらいの意味(だと思う)」としているのには(とりあえず)同意できる。

●それと、「書いてあることをその通りに読めばいい」と言っているが、「演繹」という言葉ツイートには出てこないし、「正義原理」について倫理学知識がある視点に立ってしまってはいいか。上に書いたように、別に演繹」という言葉を知らなくても(また、「正義原理に基づいた規範的主張」の意味を知らなくても)ツイート趣旨は十分(推測によって)理解できると思われる。

2022-09-08

anond:20220908230355

女性は、差別されてきた牲。

男性は、差別してきた牲。

差別してきた男性が、お返しに女性から多少からかわれたところで、最低限のやむをえないアファーマティブアクション、あるいはロールズの唱える社会的公正の限度内と思いませんか?

2022-04-03

うちの市の図書館ロールズノージックの本を一冊も置いてない

そのくせどうでもいいような大衆小説たっぷりあって、概要まとめの入門書ばかりを取り揃えてる。

かなしい

2021-10-21

anond:20211020195631

長文返信ありがとう。せっかくなんでこちらの記事に返答書いてきます

反論一辺倒になるのは俺も好きではないので相違点を明らかにしながら応答する形で…

 

マズロー意図してなかった

自己啓発でよく名前の上がるマズロー名前は知ってるけど今回の話題の整理にぴったり来るものではなさそう

俺が言ってる「人類が元来持っているもの」は社会契約論の「自然状態」とかロールズの「原初状態」が近いんじゃないかと思う

(我流で考えてるんで他の思想家でぴったり来る何かの概念が思いつかない)

 

マズロー欠点は z1h4784 の示すとおり欲求の分類が恣意的曖昧なところで、

この曖昧な分類を元にした「生理的欲求」を否定されることがすなわち俺が再々言ってた「尊厳を損う」ことではないです。言葉足らずだった

とにかく、俺のこの内から来る欲求メディアの介在で変更可能だと認識したり極端な話薬で安易に除去したりしてほしくない、

それは↓こんな世界とほぼ同一だ、と言いたかった

https://t.co/YsrzqvXwWx

(リンク先、ちゃお読み切り笑顔世界」)

 

人によって暴力の線引きが違うという意見には同意

こちらの意見、俺と z1h4784 で同意が取れているかと思ってたら違うという認識だったので意外。

「性暴力性搾取」と「搾取暴力を伴わない性欲や性行動」の線引きは人によって大きく異なる

 

特に性に関する話題は誰が誰に対して行動するかで価値が大きく変わるので、本文中や追記に「人によって線引きが異るよ」と主張したつもりだった

先程の夫婦生活から言うと隣の旦那に性欲を向けられるのはたまったもんじゃないと思うが隣の旦那が隣の家の妻に性欲を向けたって問題ない

はてな内では総論では性欲≠性暴力だっていう合意は取れてても、各論に入るとぐちゃぐちゃになるんだよな

今回の話は共産党表現の自由規制から発したと認識してるんだけど、創作物であるポルノに対して

・性描写を見た時の不快感

・性描写を見てメディア強力効果を受け性的逸脱を行う可能

これらのものまで加害・暴力に含める人間が多いんだよ

それらは加害ではないということを主張したい

こういうの、「どの程度のもの不快か」については人によって線引きが違うから調整しなきゃいけないって話なんだろうけど

ネットみたいに情報制御やす環境では、「私はこのくらいの性的刺激が好みです」とリコメンドしたら

それに沿ったコンテンツが見れるくらいの環境を整備するのが、自由主義的でいいような気がする

 

悪扱いと制限の違い

こっちは認識が違うとストレートに感じる部分

自分制限されたら嫌だと思っていることを意に反して制限されたら「勝手に悪に分類された」と感じるだろうが、関係ない物事制限されてもそうは感じないだろう。

これはそうではなくて、「状況が許されたら自由享受するのがあるべき姿」なのが非悪(善とまでは言わない) 、「状況が変わってもない方が望ましい」のが悪だと認識してる

コロナ禍で山岳救助とかやってられるか!入山禁止な!」という例なら、コロナ禍が収まれば当然自由に入山できるのがあるべき姿だ

いじめについては正直どの状況がクリアできればそれがあっても望ましいのか想像もつかない

性的欲求はどうか?個人個人理想欲求享受できる場があれば、それはあるべき姿だと思ってる。それはバーチャル空間ポルノかもしれないし、潤沢に用意されたフィクションかもしれない

共産党表現規制は、この欲求をあるべきでない姿だと認識しているように見える。それが悪扱いだ

ここに反対したい

 

現時点での制限をどこまで妥当とすべき?

とはいえ現在技術的な問題が残っている状態なのでいくつか他者不快にも配慮しなきゃいけないのは認識がある

近所の小学校の数百メートル先にエロゲショップがあり下校中の小学生ポスターを見ていたりするのはこれまずいんじゃないのと思っている

直近ではここら辺あたり、オタクの間でも賛否は別れたはず。

https://togetter.com/li/1426932

俺としては秋葉原の町並みはゾーニングの中で許容範囲だと思うが、

これが一般的小学生が一人で移動を許される学区内でもOKかと言うとさすがにNG

 

これがどこまで線引きがOKなのか俺個人も明確な答えがあるわけではないが、

昨今のコンテンツの中でエロではないという線引きが最も合意された例がウマ娘なんではないか

このコンテンツ馬主意向エロ二次創作ができない状態だが、現在のところ大きな禍根なく運用がなされている

多少の露出度はあるかもしれないが、このレベルなら健康アピールしている範囲であって公共の場で認められると俺も思っている

https://gamewith.jp/uma-musume/article/show/287905

https://gamewith.jp/uma-musume/article/show/284507

(水着イベント衣装とかは12歳以上のレートになっているので少し厳しいかもしれない)

 

恐らく今後、こうした擦り合わせをどこかで行っていくのだろう

-------------

[おまけ 自分立場]

自分語りは苦手だけど、立場を明確にすると表現の自由はなるべく尊重したい立場

あと、漫画アニメもよく見るけどエロゲーは実はそんなにやったことないです。フルプライス結構高くない?

ここに自分立ち位置記載してるからわかりやすいか

https://anond.hatelabo.jp/20210906214432

2021-06-07

フェミニストがゆるせない

んだけど、その他に僕が憎悪している相手リストアップして共通点を探ってみる

ウヨ

一般的バカウヨ

いわゆるネトウヨが嫌い。テキトーなこと言って自国礼賛をしているバカは生きている価値が無い。百田尚樹を愛読してるような奴。あと、歴史修正主義者や余命信者は論外。こいつらは、頭が悪いから大嫌い。

ネトウヨ自称ヲチャなど

ピラホロごっこかに興じてた、ハン板にたむろってたようなネトウヨが嫌い。あれは、あまりに恥ずかしいだろ。痛々しいオタクとか見たのと同じ嫌悪感が出てくる。

あと、自称ヲチャーとか言ってるやつら。こいつらも同じで、見てて居たたまれないオタクネタとかで偉そうなこと言うからからマジで勘弁して欲しい。銀英伝とか攻殻機動隊引用したり、身内で位階作って褒めあったりしてるの。あれを良い大人が真顔でやっているというのが、噴飯もの。とにかく存在が恥ずかしい。

ビジウヨ

もちろんビジウヨも嫌い、平民とか。ほんこんみたいなウヨ芸人はただただ見苦しい、偉そうなこと言う前に学位とれよ。

これは保守系政治家などにも言えることだけど、さんざん道徳だの愛国心だのエラソーなこと並べ立てておいて、その実、クソみたいな行為に手を染めていたりする連中が特にクソすぎる。ネットでエラソーなこといって配信していたボウズPを名乗る者が、シャブポンプで捕まったりね。今、バッジらしいけど。アホな有権者にはお似合いだ。

まあ、顔出ししてないまとめサイト運営者とかは、まだ許容できる。単なる商売だと割り切れるだけマシ。

厳罰主義者

死刑賛成論者とか、厳罰主義者が大っ嫌い。あくまで、国家刑罰を行うのは、その人を更生させて社会復帰させるため。被害者大衆が、厳罰下してスッキリしても、特に何も得るものが無い。そんな単純なことにも気づかず、自分のクソくだらねぇお気持ち国家刑罰権を扱おうって言う料簡が全く許し難い。可罰感情というのは、感情に過ぎない。

これは、いわゆる保守系応報刑信者もそうだけど、性犯罪者厳罰を求めるフェミ系もそう。国家は、お前らの厳罰オナニースッキリするためのズリネタではない。頼むから死んでくれ。

思想

ハーバーマス

ハーバーマスが大嫌い。こいつが諸悪の根源思考実験の積み重ねで論理を作ってきたリベラル系譜にとどめを刺したクソ左翼社会契約論の自然状態にせよ、ロールズ無知のヴェールにせよ、そんなもの存在しないなんてことは、百も承知。こういう架空の前提の存在否認したあげく、じゃあお前の判断基準が何かといえば「公共圏」。おいおい、ふざけんなよ。

結局、公共圏なんて吊し上げ大会しかならないし、それは学生運動で痛い程わかっているはずなのに、自分を持ち上げる学生運動を切って捨てたクソ野郎ハーバーマス。そんで、アイディンティティポリティクスへの道筋もつけた。マジで万死に値する。今の政治的対立諸悪の根源はこいつ。

バーク保守主義

単なる多数派独裁。無批判伝統を受け入れるだけのゴミ以下の思想。未開の土人カッペのジジババ、あるいは胡坐をかく無能貴族正当化するためだけのカス消滅した方がいい。

コミュニタリアン

ハーバーマスの最悪の部分とバーク保守主義のマシな部分を合体させたウンコ上ゲロ以下の何か。サンデルとかありがたがってるバカは三回ぐらい死んだ方がいい。

リバタリアン

暴力なしでなんとかできるとかいうのがおこがましい。南米司法権が及ばないカルテル支配地域とかで暮らしてほしい。管理された暴力のありがたみがわかるだろうよ。

嫌いな奴ら

このへんは、まじで許し難い。

2021-05-31

anond:20210531011102

ってか未だにそこで止まってるのかという感じだよな。

現代だと資本主義に対する批判って、ロールズ正義論とかそれに対するサンデルリベラリズム正義限界とかその辺踏まえてするもんでしょ。

日本は左も右も時が止まっているのでは。

2021-04-15

anond:20210415212838

ってか要は能力主義批判ってずいぶん前のロールズ辺りから言われ始めたことで、能力学力も親の遺伝子経済力次第の部分があるから本人の純粋努力によって生まれた当然に本人が占有すべきものではないって議論があってそれが課税強化の根拠になるんでないのって話だからな。

高所得者が得た所得も本人の努力だけで達成されたものとは言い切れない以上、彼らへの課税を強化して貧困層に同等の努力の機会を与える程度の再分配は必要なんじゃないのかという。

2021-04-14

anond:20210414171850

そもそもネット上のリベラルと呼ばれる人たちや彼らをリベラルと呼んでる人たちはロールズ義務論リベラリズムからサンデル辺りの共同体主義の流れ理解しとるんか?

ネットで真実に目覚めた連中同士のごっこ遊びちゃうんか?

2021-03-28

anond:20210328075832

才能も相続財産みたいなもんって考え方してる学者もおるよな。

ロールズとか。

2020-12-11

anond:20201210182310

サンデルコミュニタリアンの大物な。

ロールズリベラリズム批判する本がヒットして名が売れた。

君のいうリベ・サヨがどんなもんかは知らんが。

2020-07-25

本人が望むならたとえ医学的に健康な人でも安楽死させてもらえるようになることが

本当に実現できそうなら極右政党でも支持するな。

俺は20頁くらいの概説で初めてロールズを知った時にいい印象を抱く程度には

リベラルなんだが、最も恵まれない人にとってよい制度には安楽死必須だと思う。

死にたくないと思える人には十分によいことがあるかあったと思うし、

死後への恐れだけからなら先延ばしなので、

そういう人の生きる権利よりは死ぬ権利のほうが優先度は高いとかなり強く信じている。

上の概説は岩田靖夫の『現代思想の源流』の最終章だな。

ついでに言えば山口二郎講義をその後とったときも、

民主党肯定的な印象を抱いた。

2020-06-26

anond:20200625213040

元増田増田特に対立する意見を言ってるわけではないと思うよ

ロールズ流の正義と善の分離の話をlawful-chaoticとgood-evilの2軸属性の話に例えているだけでしょ

law vs goodの2軸で人の倫理理解する考え方はAD&Dが源流だと思うけど

これは社会的正義個人的正義を分けて考え、義賊みたいなキャラにも正義を与えるための手段

源流を辿ると元々西洋にあった正義と善の分離と同じ発想に行きつく

2020-06-25

リベラリズムリバタリアニズム混同している例が多く見られる

anond:20200625083559

 

元増田、元々増田ブコメなんかにも見られるけど

あくまリベラリズム派生であるネオリベラリズムと、リバタリアニズム全然系統思想

 

リベラリズム社会の公正を目的として、そのために自由を利用するのが最適だと判断する思想

あくま目的は公正。ロールズが善に対する正義優越と言ったのは、元増田文脈ではgoodに対してlawを優先すると行っている

増田chaosの方が楽と言っているだけでlawを否定しているわけではないだろ。ちゃん自由で公正な社会模索してるし

 

リバタリアニズムはlawの完全否定だ。ノーランリバタリアン党では徴税や再配分すら認めてない

これは目的自由意志の達成に置かれているからだ。自由意志が全うできなければ、いくら個人に快がもたらされても意味はない

もはや信仰の類い。lawが否定できればgoodでなくてもevilであってもいいような思想

多分アメリカ建国当初の精神に立ち返りたいのだと思う。アメリカ人以外には恐らく根本的に理解できない。

 

同じ小さな政府や少ない規制指向してても、

それは何を目的にしているのかというところを見定めないといつまでもリベラリズムリバタリアニズム混同することになる

 

[追記]

半端な知識FGO等のアライメントに例えたらやや理解が間違っていた

とにかく主眼としてはリバタリアニズム出自全然別の思想なんで

我々ではない(ソーシャル要素を重要視していない)リベラリズムを指し示すために

安易リバタリアニズムと呼ぶのは不適切だって言いたかった

 

この指摘から先の、細かな定義の話は、大本増田リベラル男性の苦悩の話からテーマが反れてしまうので

このツリー以外のところでいずれ書きたい

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