はてなキーワード: 同窓会とは
俺はそいつとは高校の時に知り合いだった。高校はそこそこ有名な進学校で、そいつは大学受験に失敗して、一浪してやっと私立大学に入った。
大学入ってからどうしてたのかは知らない。卒業してそれなりの会社に入って、数年後にヒキニートになって、それから自殺していたらしい。
同窓会でそのことを知った。今思えば、そいつは確かに社会生活に不向きだった。
発達障害なんだろうか、想定外のことがあってテンパると時折とんでもないことをしでかす傾向があった。そのせいで会社でなんかミスでもしたんだろう。
まあここから先が問題なんだが、そいつが死んだことでマイナスになるようなポイントが一つもなかったってことなんだよな。
同窓会では特に無風で終わったし、表面上は悲しむ風な素振りを見せながら、俺も含め誰もそいつの死を悼んではなかった。墓参りに行こうみたいな話も出なかった。
そいつの両親も、もちろん当初は悲しんでいたみたいだが、最終的に引越しをして、近所の悪い噂からも解放された。それなりによく暮らしているんだそうだ。
男の生きづらさみたいな話題が人気になってるから思い出したことを書いた。
これが男特有の生きづらさなのかはわからないが、男が死んだところで同情も引けないし、むしろ無関心や死んでよかったって空気にすらなりがちなところは、男の無情を感じたな。
俺「お前奴隷では?」
お前「奴隷であることを受け入れれば、己の鎖自慢を楽しめるようになるぜ」
今お前が楽になってはいるのは、わかるよ?
でもそれはお前が社会ではない場所に追いやられているってこと。
圧によって追いやられた楽な場所がそこなんだわ。
ほんまに圧がないっていうのは、例えば同窓会にいこうが、出世した友人と飲みに行こうが、なんら不快にならないってこと。
お前は同窓会に出席しないから楽だ。そういう生き方は個人としてはいい。でもそれは圧がないこととは違う。
お前が言う、一般的に圧が消えた事とは、「同窓会への出席を強制されなくなった」なんだろうし、ほんまにそれはわかるんだけど。
12の県立高校が「男女別学」埼玉県で“共学化”の流れ「早期に実現されるべき」 卒業生からは反対の声も
https://news.yahoo.co.jp/articles/5cc95134a2603a403af04aea2b70f9c65d45995d
https://news.yahoo.co.jp/articles/772fac6d7abf67e97f3040d8725e600d1393b1e4
さらに浦和一女同窓会の栗原美恵子会長は、異性に関するネガティブな経験から、女子校を選ぶ生徒は少なくないとし、別学校には性的に安心して過ごせる「シェルター」としての機能があると指摘しました。
「中学時代に大なり小なり傷つく。傷ついた人の中で何とか自由になりたいと思う人が、中には女子校に駆け込んだと表現する人もいるが安寧の場を得ている。安心できる場で力を蓄えて社会にでるための準備をする」
また「長い時間をかけて作り上げた歴史や伝統、文化を壊してまで共学化する必要性がない」、「学校選択の多様性がある」と述べ、女子校を卒業したあと、リーダーとして活躍している人も多いと強調しました。
市民団体が求める人権・ジェンダー平等と、性的に安心して女性が過ごせるシェルター機能とが、正面から衝突した今回の出来事。
最終的な選択によって、2つのうちどちらかに正義の軍配が上がる。
利害関係者だけでなく、今後は近隣の国立大学などに所属するリベラル派有識者の見解も仰ぐことになろう。
果たしてどちらが正しく、どちらが誤っているのだろうか。
⻑い⻑い文になってしまった。
と文に続いて画像が送られてくる。
だいぶ彼も慌てていたのだろう。
ブラウザのタブに、xvideoの名が残っているのに気づかずに私に送ってきたのが微笑ましい。
Facebookの投稿は、もう1年近く会っていない私の友人、しおり(仮名)のものだった。
そして、墓参りなどは心遣いのみで良いこと。
LINEに「Facebook見てなかったから気づかなかった」と返信をした。
とはいえ、彼女のフォ ローをやめていた私はFacebookを見たとしても気づけなかっただろう。
彼の重い声色と対比するように、私の声はうわずって震えていた。
その震えが、まるで泣きそうな声であるかのように演じながら私は密かに、笑みを浮かべてい た。
本当は大笑いしたかったのだ。
私と亡くなった彼女と、そして連絡をとった彼が出会ったのは、数年前のことだった。
当時私たちは二十歳を過ぎたばかりの頃合いで、バイト仲間として付き合ううちに3人でつる むことが多くなっていた。
そして若かったから、それが恋愛感情を伴う三角関係に移ろうのも自然な流れだった。
彼に片思いをする私たちと、その間でのらりくらりと気付いてるのか気付いてないのか分から ないようなふりで友人関係を保とうとする彼。
そういう微妙なバランスで成り立つ私たちは、バイト先の閉店と共に徐々に疎遠になった。
そしてそこから二年越しで私たちはまた出会う。バイト先の同窓会だ。
まるで三人で喋っているかのような雰囲気で、私は彼女へ話を振っているのに、自然な流れで 私は彼女から完璧に無視されていた。
理系の大学に入り直すの、と彼女が言った時だけ私のことを見てニヤッと笑ったのを覚えてい る。
大学を中退した私への、当て付けであるのは確かだった。(それにダメージを受けるかはとも かくとして)
ただの恋敵から、マウンティングまで始めた彼女を見て、私は小さく、死ねばいいのにと呟い た。
その願いは数年後に叶うとも知らずに。
その同窓会から私と彼はまたつるむようになり、彼から、彼女の近況を時折聞くような日々が続いた。
大学へ入るまでにメンタル的に崩してしまい、入学後もそれを引きずったままであること。
そういう、彼女が不幸な話を聞くたびに、心の中で喝采をあげたいような朗らかな気持ちと、 悲劇のシンデレラを演じて興味を引こうとする彼女のやり口の汚さに辟易する気持ちの二つが 入り混じる。
私はこのまま拒食症になり骨だけの姿になってしまえと思っていた。 もちろんこれも今は叶っている。
彼女の肉は燃え、今は墓の下で骨だけになり壺に押し込められている。
そうして、今回の訃報に至る。
彼は、ここまで来てもずっと私たち三人は良い友達関係であると信じ、私だけに電話をして、 私だけに彼女の死への思いを吐露してきたのだ。
勝った、と思った。
私の心は汚いな、と諫める自分もいたがそれ以上に、祝祭の最中のように心躍る自分の方が強 かった。
後日、私たちは二人だけで、彼女の家へ向かった。 彼が遺族と連絡をとり、仏壇に線香をあげさせてもらうことになったのだ。
多分私は、あの日の、駅から彼女の家までの会話と景色を一生忘れない。 その日は雲が多いけれど晴れていた。 雲の中で光が複雑に揺らめいていて、それはまるで世界の全てが、私の仄暗い歓びを肯定する かのように綺麗だった。
駅から離れた彼女の家まで歩く最中、彼は謝りながら、隠し事を打ち明けてきた。
バイト先が閉店した頃、三人で会うことがほぼ無かったあの時期、実は三ヶ月だけ、あいつと付き合ってたんだよね、と。
彼女が生きてたら、私はその場で自殺したくなるほどの衝撃を受けていただろう。
けれど、今の私には、むしろファンファーレのような爽やかさを伴う言葉に聞こえた。
穏やかな顔で私は嘘をついた。
割とあの子悩んでたよー?なんて、軽口を装い私は更に話を聞き出そうとする。
何だ知ってたのか、とホッとする彼は気を緩めて色々と話してくれた。
どうしても彼女を恋愛対象として見れず、ぎこちない付き合いだったこと。
そのどれもが、私にとっては甘美な言葉たちだった。
これで彼女が生きてたら、この過去の付き合いが再度交際に至る伏線として機能してしまうこ とに怯えていただろう。
そして彼女への殺意が行き場をなくして私の中でいつまでも燻っていたのだと思う。
けれど、彼女は死んでいる。
だからこそ私は安心して、彼女が、彼からきちんとお前は付き合うに値しない存在であると言 い渡され死んでいった事実を喜ぶことができる。
そして、その喜びを表すかのように、世界は輝いているように見えた。
草木はいつもよりもその葉の濃さを増し、空は雲を煌めかせているのだった。
それが私の、高揚感を煽る一番のポイントだった。
あんなに学歴や彼との距離感でマウントをとっていた彼女が、今やただの骨となったことに私 は今までの人生で得たことのない種類の喜びを得ていた。
もう彼女には何もない。
入った大学のキャリアを活かした輝かしい未来なんてもう彼女にはない。
そして、彼のこれから先の人生を眺めることも、彼女にはもう出来ない。
何よりもそれが嬉しい。
彼女の家は、ドラマに出てくるような、「いいところ」の家だった。
リビングには薔薇のドライフラワーが飾られ、テーブルにはレースのクロスが敷かれていた。
演技で涙も出るもんだな、と私は仏壇に手を合わせながら自分自身に感心した。
くっ、くっ、と声が出るのは、昂るからだ。
悲しみにではなく、喜びに、であることは隠せたと思う。
仏壇に手を合わせる彼の面持ちは神妙そうで、私が感情を露わにしているからこそ自分は我慢 しよう、という気概を感じ取れた。
男子だからこそ、気を張らねばという彼のいじらしさがどうにも可愛くて、ああ、やはり私は 彼のことが好きなんだな、と改めて思ってしまった。
リビングへと移り彼女の母と思い出話などをしながらふわりと伺う。
「本当に明るくて(空気が読めないだけ)楽しそうに笑顔を(彼にだけ)見せる子で...だからこそ急な話で驚いてしまって...病気とのことでしたが...」
彼女の母と、私は目で訴え合う。
それを聞くのか?という母親の目と、
死因を教えて楽しませろという私の目。
たった一秒にも満たない僅かな時間で、私はやはりこの女はあいつの親なのだと感じてしまっ た。
あの、喰えない女を産んだ女だ。
「...脳浮腫、でして。...だから、本当に急な死で私も、本当にショックでした」
脳浮腫、というワード以外は一切出さないという意思を読み取り私は、彼と共にいるこの瞬間 を汚さぬように詮索をやめた。
ハッキリとしない死因で、私を楽しませるにはパンチが足りなかった。
けれどその最後は安ら かなものでは無かったであろうことを窺えたことは一つの収穫だ。
彼女の家を早々にお暇し、私たちはまたひたすらに駅を目指し歩く。
話すことも尽きたような振りで彼の話を空返事で返しながら私はGoogle検索で脳浮腫を延々と 調べていた。
脳浮腫。とっさに、本来の死因を隠すために出たワードにしては具体的であり、嘘のようにも思えなかった。
けれども、脳浮腫は医学知識のない私が検索で調べた結果を読解する限り、直接的な死因であるようにも思えない。
脳浮腫とは脳に水分が溜まり脳が圧迫されている状態を指す言葉である。
それを死因として挙げるのは、やや話が飛んでいるように見える。
たとえば、交通事故で全身強打し、内臓破裂で死亡した、というのを、内臓破裂で死んだ、と 表現するような感覚である。
そう、私には、母親はとっさに嘘をつけなかったため、「脳浮腫に至るきっかけ」を伏せると いう形で娘を守ったのではないかと、そう感じた。
まだ何も知らない、違和感に気付いてもいない彼の横顔を見ながら、私は、彼女の今際の際に 想いを馳せて、うっとりとするのであった。
脳浮腫に至るきっかけでありなおかつFacebookの文や母の言葉にあるように急死に繋がるよう な死因はくも膜下出血などが挙げられる。
けれども、そうだとしたら、母親は病名を伏せる必要があるのだろうか? くも膜下出血で亡くなった、という話なら、伏せる必要なんて何もない。
だから、私は、もう一つの、限りなく低い可能性の方に賭けている。
脳浮腫は、多くは脳出血が原因で起きるものである。くも膜下出血などのように身体の内部か ら急にエラーを起こし脳浮腫に至る場合もある。だが外傷により脳出血が起きた結果でも脳浮腫はできる。
そして、私はふと思い出すのだ。
彼女は大学入学前からメンタルが不調になり、夏頃にはアルバイトすらもやめてしまうほどに 追い詰められていたということを。
そして、親が必死で隠す死因と言ったら、一つだろう。
もちろん七割は、私の願望なのであるが。
帰り道は雲も晴れ、傾いた日差しが強く、どこまでも世界は煌めいているような気になってし まうほどだった。
その煌めきの中に、彼も共にいる。
その事実もまた、光の儚さを強調するように感じられてまた私の中で歓びが増えていく。
だから、いいのだ。
彼の口から、今の彼女との結婚のプランの話が出てきたとしても。
彼女が白無垢を着たがって、お金がかかりそう、なんてのろけをされたって。
この世界の美しさの中では、何もかもが許せそうな、そんな気がしたのだ。
だから、その今の彼女の名前を、今回死んだ彼女の仮名に使うくらいのお茶目さは、私だって 許してくれてもいいだろう。
来年の今頃、彼は式を挙げる。
彼の姿が和服になるのかタキシードになるのかは知らないが、彼の最高の笑顔を私は目に焼き 付けることになるんだろう。
それは、恐ろしく悲しく、残酷なことのように思える。けれども私は耐えられる。あの女が、 もうこの世に居なく、そしてあの子は、幸せそうな彼の姿をもう見ることなんてできないのだ と、そう思うだけで痛みに耐えることができるような気がする。
そして、もうひとつ、彼女の死の瞬間を想像するだけで、心が昂り、苦を感じなくなるように 思えた。
彼女は、どのように死んだのだろう。
微妙な高さからコンクリートに叩きつけられるも、脳をぶちまけることなく、脳浮腫という形 で苦しんで死んだのだろうか?
それとも、首に索条痕を残し、その細い骨をパキャリと砕いて亡くなったのだろうか。
ただの私の願望である、 「自殺の上で付随して脳浮腫が出来た」という死因を想像しては、愉快な気持ちが止まらずに 居られない。
けれど、メンタルが追い詰められていた人が亡くなり、その死因を遺族がぼかすとしたら、自 殺しかないんじゃないだろうか。
首吊りや飛び降りなどの脳への外傷が出来そうな死に方をした上でなら、脳浮腫も出来るだろ う。
ああ、彼女は、世界に絶望しながら自分の手で命を落としていて欲しいな、と心からそう思 う。
今までの努力が全て無駄になった上、 彼からは彼女として見れないという烙印を押されたまま、絶望の最中で彼女には死んでいってもらえたらどんなに愉快だろう。
そんな想像をしては、私は笑みを浮かべる。
駅に着き、ひとしきりのろけを聴き終わったところで私たちは別れることにした。 白無垢のために頑張ってお金貯めなよ、なんて笑ってあげた。
「式の時は、俺の白ネクタイ貸してやるよ」と。
来年の今ごろ、私は、礼服姿に、彼が過去に使ったネクタイを纏い彼の人生最高の瞬間を見届 けることになりそうだ。
そう言い聞かせながらも、私は、結婚という幸せな人生を歩んでいく彼の姿を見なくて済む、 死んだあの子を少しだけ羨ましく思う。
死んだら死んだで、それもまた幸せなのかもしれないな、という感情も湧きでてしまい、私は 慌ててその思考に蓋をする。
やっぱりこの世は美しいが、生き地獄だ。
その生き地獄よりも下層の、死の世界へと消えていった彼女を蔑むことでしか、今の私は心を保てない。
この歓びや哀しみやそのほかの色々なものがないまぜになった心持ちに、何かの決着がつくの はまだまだ当分先のことなのだとは思う。
こんな恋愛、二度とできないし、もうしたくない。
少し前に車椅子女性の話題で盛り上がっていたときに思い出した。
小学生時代、ある同級生の母親は、彼女の夫が押す車椅子に乗って運動会やら授業参観やらの行事を観に来ていた。周りの保護者より少し若く見える、痩せた、色の白いお母さんだった。
その同級生は子供のくせにそこはかとなく辛気臭いオーラを纏っていて、暗くて友達もいないのに一人で何か喋ってニヤニヤしているようなやつだった。当たり前にずっといじめられていた。仮にOとする。
Oは児童養護施設から通ってきているのに、学校行事にはいつも両親が揃って参加していた。休日には家族揃ってスーパーで買い物する姿を度々見かけた。
母親の病気のこととか何か事情があって家族で暮らせないのだろう、と今ならば想像するに難くないけど、施設育ち=親がいないという認識の当時のわたしたちの目には、別に居を構えながらも仲がよさそうなO一家の姿は異様なものとして映った。
ひどい話だけど、Oだけでなく家族ごと、クラスメイトから、いや学年中から差別されていた。気がする。
例のごとく車椅子でグラウンドにやってきて運動会を観覧し、教室に戻って昼食をとる際、土のついたタイヤのまま校舎に乗り込むO夫婦の姿を、わたしたちは冷ややかな目で見た。ちゃんと入り口にそれ用のマットが敷いてあって、踏んできているにもかかわらず。
小学校高学年、思春期にさしかかり不安定な心身をもてあまし、わけのわからない苛立ちやさみしさをお互いに悟られまいと取り繕っていた。障害とか施設育ちとかの事情を抱え、差別されながらも健気に生きているO一家の姿はいじらしく、尖った心を持ち寄るわたしたちの格好の的だった。
ある土曜日の午後、市の陸上大会に向けての練習があった。全員参加ではなく有志の集まりだったので、普段教室であまり喋らないタイプの子とも仲良くなれて、楽しい。
練習が終わって、わたしたちは麦茶を飲みながらずっと喋っていた。日焼けするからと木陰のところに集まって、実はあの子のことが嫌いとか好きとかキャアキャア叫びながら喋った。
ふと話が途切れ、もうそろそろ帰る?という雰囲気になったところで、一人が「そいえばさー」と口を開いた。
「そういえばさ、どうでもいいんだけど、こないだイオン行ったらOがまた家族でいたんだよ。
でねぇ、これマジだよ?…Oのお母さんが、歩いてた」
わたしたちは、爆笑した。ゲラゲラ笑った。全員で涙を流して、息も絶え絶え転げ回って笑った。
おかしかった。いつも白い顔をして、旦那に車椅子を押されているお母さん。そんなお母さんが自立して歩いているなんて、突飛で、シュールでナンセンスだった。前衛的な発想のようだった。
おかしい以上に、気持ちよかった。言ってはいけない、笑ってはいけないことなのはみんな分かっていた。
広い校庭にわたしたちしかいなくて、おかしいことなんて何もないのに馬鹿笑いして、すっごく悪いこと言ってるのに誰にも迷惑をかけていないから咎められなくて、こんなひどいわたしたちを誰か止めてほしいのに、芝生の上に転がったままどこへでも行けそうな、行ってしまいそうな気がして、怖いけど楽しくて、無敵だった。
曇ってるけど日射しは強くて湿った風が吹いていて、みんな同じ日焼け止めの匂いがしていた。ひざの裏側に芝生が刺さってチクチクしたけど、手で払うとさらりと落ちた。気持ちよかった。
家に帰り、キッチンに立つ母にOのお母さん歩いてんだってーと言うと、「Oさんの奥さんは脚が悪いんじゃなくて病気で体力がないから車椅子なんでしょ。何言ってんの」と返ってきた。つとめて不愛想な母の声になんでか安心したのだった。
数年後Oのお母さんは亡くなったと聞いた。
陸上練習のときのメンバーは、中学に入って少しヤンキー風味になったけど、成人後に同窓会をしたときにはごく普通のかわいいお嬢さんの姿だった。今ではほとんどの子が結婚して親になって、忙しく過ごしていることと思う。
Oが大人になった姿はどうしても想像できない。どんな暮らしをしているんだろうか。
校庭でひどいことを言って笑い転げて、誰か止めてほしいと思った。
その後の人生で、ちゃんと止めてもらえたと思う。元々優しい気持ちの子もたくさんいるけど、意地悪だったわたしたちも、失敗して傷ついて、自分のことが嫌になってもそれでも生きていくという選択をしたとき、他人に寛容になろうと努めて、その習慣が体に馴染んだと思っている。
何の罪もないO一家に冷たい目線を向けて嘲笑っていたことを思い出すとき、ひどかったなと思う気持ちは本当なのだけど、あの陸上練習後のお喋りの時間には青春フィルターがかかっていて、思い出すとキュンとする。
キュンとしたあと、でもやっぱり酷すぎるよねと心の中でつぶやいて、少し許されたような気持ちで回想を終えている。
語られる教訓はアイドルに限らず、普遍的な、いまの自分と未来の自分をどう捉えるかという内容である。
プリンセスプリキュアの「プリンセス」があえて曖昧な概念で、子どもが持つそれぞれの夢や目標と重ねやすいようにしているのと同じだと考えるとわかりやすいかもしれない(わかりにくい)
ともかく、アイカツ!にどういう教えがあるかというと、
未来の自分が振り返ったときに、自慢できるような過去の自分でいよう。だから、今を精一杯生きよう。
この一貫性が見事で、初期EDのカレンダーガールの歌詞から、10年後を描いた劇場版まで全くブレない。
それがぶっ刺さってしまって、人生が大きく変わった。きっとそういう人は他にもいると思う。
卒業も決まり、暇になって夕方テレビをつけるとアイカツ!というアニメがやっていた。
第121話「未来に約束!」だった。ちなみに、アイカツおじさんはサブタイトルではなく話数で言うことが多い。
留学生が帰るタイミングの話のようだった。自分から見る自分と他人から見る自分の折り合いをつけるような話だった。
1話見た瞬間ピンと来た。これはすごいアニメなんじゃないかと。人生で最も正しい判断であった。
はてなー一同ご存知の通り、ほとんどなにもしないのと同義のような仕事をしていた。
もちろん定時で帰れていたので、1話からアイカツを追いかけた。
仕事にも慣れてきたころ、125話に到達した。(アイカツおじさんはサブタイトルではなく話数で言うことが多い)
125話は初代主人公のいちごから、2代目主人公のあかりに、話のバトンを完全に渡すという話だった。
そして、ライブパートでの、Good morning my dream。。。
(簡単に説明すると、私がもっている大切な「夢」、私のことを選んでくれてありがとう。きっと叶えるからね。という歌)
そしてそして、OPがLovely Party Collectionに変わった。
(簡単に説明すると、今日の自分にリボンをかけて(未来の自分にとっての)宝物にしよう。という歌)
これが決定打となった。
あの時の自分、あの時の毎日、振り返ったら宝物にできるだろうか。
できないと思った。
こうして会社をやめて、違う道に進むことにした。
具体的には、博士課程に進学した。
3代目主人公も登場し、トークショーなどイベントも盛り上がり、まだまだアイカツ!は終わらない。
そう思っていたら、翌年突然アイカツ!は終わった。
しかし、アイカツ!を全話視聴した者にとっては、この別れが新たな始まりであると立ち直ることができる。
アイカツ!がなくても、アイカツ!を好きになった自分が、アイカツ!のことを考える自分がある限り、その自分を拠り所にして立つことができるのである。
仏教でいう自灯明法灯明の教えだと思えばわかりやすいかもしれない(わかりにくい)
こうして、アイカツ!のない期間も、未来の自分に恥じないように毎日をがんばって過ごしてきた。
アイカツ!の展開としては、新シリーズの次のシリーズの次のシリーズまでやったあと、
アイカツオンパレードという、まあPIXARの映画のEDで流れるNG集みたいな感じのファンサービスがあった。
ただ、アイカツ!の本質というべき思想はどれにもなかったかな。
アイカツ10周年ということで、突然完全新作の劇場版が製作された。
それも、同窓会的映画ではなく、完全にTV版が終わった直後からそのまま続くストーリーである。
しかも、新シリーズを経るごとに変わっていったキャラクターデザインや3DCGのクセもガラッと戻し、
「あのときからのアイカツの10年」を完全に捉えた映画であった。
アバンでのいちごの「ただいま!」から始まり、終盤での観客への語りかけ。
「アイカツがなくても、アイカツを好きな自分を信じて」と考えていたのが、自分の暴走的妄想ではなかったと、今までの期間のがんばりが正しかったんだと認められたようで、本当に嬉しかった。
これからまたアイカツ!のない世界が続いても、振り返れば、がんばってきた過去の自分がいるじゃないかと、送り出されるような映画だった。
こうして、突然打ち切りにあったようなTVシリーズも7年越しに卒業式を迎えることができ、我々もアイカツ!から卒業したのである。
アイカツ!で進んだ博士課程、そこから続くアカデミアの道。(簡単に言うと、ポスドクから大学教授まで進むルート)
あるいは、企業に進むAcadexitの道。(Brexitのようにアカデミー+EXITを組み合わせた造語)
アイカツ!がなかったら今の自分はなかっただろうなと本気で思う。
「結婚への焦り」を参加者に? 同窓会支援が少子化対策に カギは独身支援?
https://times.abema.tv/articles/-/10115608?page=1
Flags Niigata代表で2児の父親の後藤寛勝氏は「少子化対策の傘の下にこの支援を行うのは慎重になるべきだが、30歳、40歳、50歳という節目で自分の価値観をリセットする、周りと比べてみるきっかけとして、キャリア軸で考えたほうがいいと思う。少子化対策と言うと、既婚者は参加していいのかとか一部の人に限られるとか、やましい見られ方が出てきてしまうのでは」と指摘した。
後藤氏は「新潟市では妊婦健診や子どもの一時預かりに予算がついて、うちの家庭も“子育てしやすい街だ”という感覚になっている。しかし、同窓会に行った時、“ここで子育てするのつらい”“子どもは1人のほうがいい”という話をしたら、“やっぱ結婚考えちゃう”という話になる。独身支援よりも、“生き生きと子育てしている”と周りが捉えられる環境にすることが大事ではないか」と投げかけた。(『ABEMA Prime』より)
核家族化して親戚活動が少なくなったことで、身近に結婚している若い夫婦がいないというケースの一方で、ネットのステレオタイプにまみれた不幸な結婚論ばかりが溢れている。
そのため「食わず嫌い」みたいなことが起きている
そこで、ごくありふれた結婚している若い夫婦の例を紹介したり、話を聞いたり、家族の短い旅行に同行したり、家に遊びに行ったり、と言う付き合いを通して、結婚というものを身近に感じてもらうと言うプログラムがある。
これは結構有効らしく、受講した人は結構早い段階で結婚して子供を作っているそうな。
ズバリ恋愛学としていて、ガチで単位がもらえるところから、コミュニケーション学として軽いスクールとしているところまで様々だが、きちんと順序立てて恋愛とはなにか、家族とは何か、結婚とは何かを教えると言う活動をやっている大学がある。
中にはもう一歩踏み込んで、共同の合コンみたいな合宿を用意しているところもあるとか。
社会問題として捉えて、高校生までだとなかなか教えづらい部分(生殖に適した年齢の話など)もタブーに切り込みやすい大学の良さをいかしてやっているらしい。
日本では目が小さくて口がでかくてブスな上に嘘つきでいじめられてた自称ASL女が
リアルでもどのSNSでも日本と日本で人気のある女をバカにしまくってる
そのくせ日本人だからってだけでアメリカの負け犬アニオタのコンサートで歌う
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海外では本当に美しいと思われてるから使われてるとルッキズム丸出しの論点ずらし
アメリカにきてブス顔をほめられ自信つけたこの顔は世界スタンダードっておおいばり
白人が作るブスアジア文化に慣らされたリベラル白人のチンチン入れて勝ち組の顔
日本のカワイイ女は未熟でロリータ向けだの言いたい放題でそれがルッキズムなのもわからない
おまえが金もらってるコンサートはアニメマンガカワイイから育ったんだよ
カワイイが来たら淘汰されるから差別を指摘する日本人の口を塞ぐのに必死