はてなキーワード: 現存在とは
データはないよ!
あなたは、「こういう〇〇は~する」という客観的事象について語ってたよね?
で、なんでめんどくさい女の話を持ち出したの?
俺めんどくさい女の話してた?
うーん、文系の人だね。
この世界ってのは、ハイデガー的なやつ? 現存在を起点に様々な事象が沸き上がって来るものとしての世界かな?
というか、自分を中心においた世界観ってのは中世までのやつなのね
それにね、ガダマーは地平融合とか言ったようにね、レヴィナスが「他者性(顔)」の話をしたようにね
世界には自分の主観や予測を超えた違うものがあって、それに自分が反応していくことで新しい価値、新しい自分が生み出されるわけね
要するに自分は主観ではなく客観によって作られるというのが20世紀の考え方なのね
そんで自分とは、そうやって絶えず変化する流れであり、今の自分ってのはその流れの中で一瞬形をなしたものにすぎないのね!
頭のいい文系ならわかるよね!
表象・判断が、個々の人間や、人間間の心理的性質に依存しているさま
私はあまり食事を好まない。食事をすることは、すなわち殺生することである。生き物が死ぬのはかなしいことであり、殺さずして生きのこれないのは生命の悲劇である。私は食い食われる連鎖からなる生の構造をみなまで肯んじない。また、都市生活者たる私は、どこの誰か知らぬものに処理された食材を買って食事することになる。私は身銭を切ることを信条としているから、この時点で食に関する興味の半分は致し方なく失われている。本来なら、森でウサギでも狩って、その場で煮込みでも作って食べるのがおあつらえ向きなのだが、都市生活者には出来ないことであり、またそのために都市を脱出するつもりは、今のところ私にはない。そこで私は妥協案として少食をとるわけである。さらに、食事を好まない一方で私には味の明確な好みがあり、単に茹でて塩して食べる、みたいな簡単な料理を好むが、複雑な味付けのものは好まない。私の味の好みのストライクゾーンは狭く、その的を外れるものはほとんど食べない。のみならず元来の神経質も少食に影響しているだろう。私はなにかに夢中になると食事をそっちのけにしてしまうことが多く、死なないために仕方なく食事をとることがよくある。味にこだわりがある一方で食に頓着しないのである。
これらの理由から、私は少食であり、世界保健機関か国の保健省が定めたのであろう、標準体重の値からかなり劣る痩身なのである。とはいえ少食の理由はこれらに尽きるものではない。自身の痩身については、私に複雑な感情が与えられており、また自身について何を語るにせよ、私は必ずある女性からはじめなければならない。スペースシャトルに乗った宇宙飛行士が地球に戻って以来、別人格を持ちはじめることがあるという。あたかも青い星の外になにかを置き残してきたかのように、宇宙飛行士は永遠に故郷を喪失し、シャトルの不時着は帰還でなく到着となってしまったかのようだ。これに類することを、ある女性が私に与えた。
私は彼女を一目で恋するようになった。それまで経験した恋愛の感覚とは、次元が違うとでもいう他ないものがあった。今日日まで私は彼女の名前すら知らないのだが、あるいはそれ故に?彼女は私にとって紛れもないファムファタアルとなった。彼女の存在の何がしかに近づくことは、すべて正しくまた喜ばしいことであり、私が彼女のいる室内に入り、着席し、そして彼女が私のテーブルの前に立ち、声をあげたときから、私の感覚器官は福音の代弁者となった。現実と能く交わる術を持たなかった私には、あるいはそれ故に?彼女は身を焦がすように愛しい女性であり、あるいはそれ故に?目の前の彼女から私はますます遠ざかっていった。私は時間をかけて、また時間をかけた分だけさりげなく、思いの丈を伝えたものの、その後にはただ沈黙だけが広がっていた。あたかも現実にほとんど干渉しなかった私の振る舞いを誠実に反射してゆくかのように、彼女の沈黙はどこまでも虚ろにこだまし続ける。あるいはそれ故に?いまもなお私の周囲の一切が福音を黙示するかのようである。しかし、黙示をめぐり彷徨うことは、仮託されたはずの言葉を探すことであり、私は取り返しがつかないという火に焼かれ続けている。私はあれ以上のことはできなかった、これ以上はなかったことを何度も確認し、彼女と出会い、別れるまでの一切が最善であると結論せざるを得なかった。にもかかわらず私は後悔している。いや、私でないものには、それは後悔としか見えないだろう。しかし私にとっては、なにか自然の摂理がずらされることのようであり、あってならないこと、あるべきでないこと、なにかが転回してしまったことだった。端的にそれをなんといえばいいのか、相応しい言葉が見つからない。私が含まれる出来事の一切は、渦潮の流れに捕まったかのように、ある方向へと引かれる。たとえばそれは、ちょうどノヴァーリスがゾフィーと別離しなければならなかったことである。一介の読者には、それは単なる若者の失恋でしかないだろう。だが、ノヴァーリスが与えた「青い花」の名には、ゾフィーとの出会いから別離までの一切の出来事が含まれている。とこなしえに芳しい青い花とは、拷問めいたもの、十字架めいたものである。彼が紙幅を尽くして書きのこそうとしたものは、青い花の名を冠し咲き続ける。青い不合理のひと雫はその他の一切合切をまた青く染め上げてしまう。Sein zum Todeと言われるように、人間は死に向かう存在だが、たいていの現存在とは死へと否が応にも引かれてゆくことだ。だが、ノヴァーリスには、死が手段となった。彼は、生き続けるためには死ぬ他ない。彼にとって生き続けるとは、すなわち青い花を咲かせ続けることだ。そして青い花を、彼は咲かせ続けるままにする他ないのである。ノヴァーリスは簡潔にこのことを言い表した。…「我、神聖にして、言い難き、神秘なる夜の方へ降りゆかん」…
私のファムファタアルは、名をFといったが、彼女はただならぬ風に極めてほっそりと、品良く痩せた女性であった。私は痩せた自身の身体に、どこかFの面影を探している。痩身が複雑な喜びを与える。キリスト者がキリストをまねび、そのまねた振る舞いによって自己脱自するように、私の痩身とは、運命なる女性のまねびなのである。これが、冒頭に記した諸理由に比して、私の痩身により影響していると思われる。
(1)証拠がまったくないことを真実のように語るのは悪←時と場合による。例えば人が「死後の世界」の概念に縋りながら死んだ場合、個人の幸福という観点からは必ずしも悪とは言えない。多様なケースが考慮されておらず、そもそもこの主張自体に確固たる論理的保証が無い。
(2)宗教はそれらの課題にもがき苦しむ現存在の本来的な営みから目をそらす商売だ←存在の知覚をどのように成すかという点でどちらも変わらない。そもそも宗教概念自体は商売に本質を置いているとはいえない。宗教より形成された倫理でさらに苦しむ場合もあるため、目をそらすという言い方は適切ではない。
(1)倫理はそれぞれの個人が徹底的に追求することでしか本当の姿を見せない(だからずさんな倫理を放言するのは不道徳な悪だ)←論理的保証が無い。倫理がミームの集合体ならば「本当の姿」など個々人によって無限にあるとしか言えないし、本質が違うという訳でもない。倫理を放言するのが「悪」であるという主張もケースバイケースとしか言えない。
1:今日の基盤となる倫理を作った事。共同体が維持していく要素に正当性を付与した事で、今日では違法とされている殺人や窃盗等を禁じたので、結果として人民の大部分に利益が齎された点もある。
2:司祭階級が集まった金で芸術的建築物を建造した事や、今日の宗教画のモデルとなった事により、素晴らしい文化遺産を生み出すのを手伝ってくれた事。
3:安全や恐怖のミームを求める欲求に応えた事。不安な時に祝詞を唱えたり、死後の世界の概念で平安末期の人民の精神ストレスを緩和、消化してくれた事等。
1.嘘だから
(1)証拠がまったくないことを真実のように語るのは悪
(3)よって宗教は悪
(1)人類には世界とか、存在するとか、私の感覚とか解決するべき課題がてんこ盛り
(2)宗教はそれらの課題にもがき苦しむ現存在の本来的な営みから目をそらす商売だ
(3)よって宗教は悪
(1)倫理はそれぞれの個人が徹底的に追求することでしか本当の姿を見せない(だからずさんな倫理を放言するのは不道徳な悪だ)
(1)−a たとえば平成人が共感できるはずもないヨイトマケの歌に「感動した!」とか騒ぐアホは極端に不道徳だ
(2)さらにたとえばニーチェは徹底的に倫理を追求して、しかし共同幻想に基づく苦笑いに潰された
(3)共同幻想はいかにしてニーチェを黙殺したか?皆が深く考えなくてすむ宗教的な教義のもたらす安寧によってだ
(4)よって宗教は悪