はてなキーワード: EMACSとは
「男はなにもしないで文句だけ言う」
みたいなコメントが並ぶんだが、嫁姑問題に疎いんだろうな、といつも思う。
それが悪いとは言わない。想像力が足りないとも思わない。
ちょっと想像して欲しいんだが、オマエさんが職人だったとするな。
壺を作るとか、漫画を描くとか、なんだったらiPhoneアプリ作るんでも良いよ。
で、ある日、「オマエの仕事に文句があるから、俺にやらせろ」ってヒトが入ってくる。
引き継ぎじゃ無いんだよ。廃業しろと迫るわけじゃない。ちょっと代われって感じ。
それさ、代わる?自分の神聖な作業場に他人が入ってきて、作業場使わせろって事だよ。
はてなーに伝わりやすそうな例で言うとさ、Emacsでやってたのに、目の前でviとか設定始めてんの。
男子厨房に入らずっていう意味じゃなくて、家のキッチンってものすごいパーソナルな作業場なのよ。
だれにでも使えるような、最大公約数的な配置になってたりしないの。そんな理由もないし。
そして、パーソナルな作業場を、他人に乱されることほど、癇に障ることって無いのよ。
同居とか、二世帯住宅で、世帯別にキッチンを作る必要性が強調されるのは、そこなの。
夫と舅がふたりともNゲージのマニアだから、趣味の棚は一つで良いわよね?って言われたら、エッてなるでしょ。
いくら趣味が同じだって行っても、同じだからこそ、共用にはしづらい。共用に出来ない。
たとえば、家族旅行に行くときの段取りが悪いから、次は私がやる、宿も抑えるし店の予約もする。
でもね、料理、日々の食事って、そうじゃない。
メシマズに対して、誰かが代わりに料理すれば良いっていうのは、つまり「毎日の食事担当を完全に代わる」必要があるのよ。
何回か、「こうやったら上手く出来るだろう」って言われても、意味が無いの。
キッチンが一つしか無い家庭で、メシマズが食事担当になってる時に、本人が更生する以外に手は無い。
例えば、各日で料理担当をするとかも、あんまり意味が無いと思う。
チームで仕事する為に、なんかルールとか規約が決まってる世界の話じゃないのよ。
凄く下品な言い方するとね、「オマエが奥さんを喜ばせられないのは、愛撫の仕方が悪い」って他人が奥さん触る感じ。
それさ、耐えられる?
食事担当でキッチンに立っている人間は、そう言うレベルでその場所を捉えてるの。
だから、メシマズの話題になった時のアドバイスとして、「代わりに作って味を見せたら良い」は完全に逆効果。
そりゃ、姑の飯がマズイからって、嫁が姑のキッチン使って飯作って舅が喜んだら、いびり倒しもするだろうと。
アノヒトの愛撫の方が良かったアナタの愛撫はもう嫌って奥さんから毎日言われてみ。アノヒトに憎悪以外湧く?
下手なブコメばっかり書いてんな、オレに代われって家族に言われてみ。
しかも家族の書いたブコメの時に限ってスターが付くの。それで家族得意げ。
そのアカウント、続ける気力、ある?耐えられる?
やあ、今日は二回目だよ。
さっき書いた奴はどちらかというと実践的すぎて、つまらなかったかも知れないよね。
前回の記事
http://anond.hatelabo.jp/20150224002209
神のOS LinuxにはWindows界では理解されないエディタについての戦争がある。
vimとEmacsが民主党と共和党みたいな感じで戦っている。
実際に戦って死人も出ているんだ。
2003年には武力闘争にまで発展し、PKOが介入することになったけれども
今はグローバル化して国境なき紛争として、様々な場所で問題を引き起こしている。
それはプログラミング。
刀なのだ。
すべてなのだ。
よって、どのエディタを使うのかはどのようなイデオロギーを持ってそしてどのように戦うか、ハッカーにとってはアイデンティティに関わる重要なこと。
さて、僕はどの立場の人間なのかということを明らかにする時が来たようだね。
僕のハッキングスタイル、コーディングスタイル、そして思想がいま明らかになる。
しかしこれはかなり実践的なデザインで、僕の攻撃スタイルにとてもあっている。
まず、コーディングシートを塗るときに素晴らしい下敷きになる。
2Bの鉛筆で力強く塗っても全く穴があかない下敷き。
かといって硬すぎずクッションのように包んでくれる。
強い武器でいて優しさにあふれている。
やばい!攻撃の途中だがコーディングが間違っていたかも知れない!!
そういう時は素早くジャポニカ学習帳を開く。
ジャポニカ学習帳【じゆうちょう】を開くとそこには真っ白い無地のページが広がっている。
そこに一心不乱に0と1を書く。
0と1を書いて、自分がコーディングシートに示していたアドレスをメモして、どの値を入れていたのかを確認し、順次立ててメモリ空間の二進数がどう変化していくのか書いていくのだ。
機械語は日本語と同じ、九九のように二進数の計算を進めていく。
IBMの研修でもらったフローチャート用定規もつかったりする。
すべてが分かった時に再びコーディングシートに移る。
すべてが終わった。
すぐパンチャーに渡すんだ!
何枚ものコーディングシートをジャポニカ学習帳に挟む!ページを間違えないようにね。
そしてそれをフリスビーのようにパンチャーに投げるんだ。
edのコマンドはすべて1文字。行を挿入するときは"a"や"i"、行を削除するときは"d"。編集内容を保存するときは"w"、edを終了するときは"q"。edの人々は長いコマンド名にわずらわされずに暮らしていたんだ。
書き間違えた言葉を直したいこともあるよね。たとえば"history"を"fiction"に置き換えたいとき、edの人々は一つずつ"history"を探して書き換えるのではなく、s/history/fiction/gのように、置き換える言葉を線で区切って並べていたんだ。簡潔さを好むedの人々らしいしぐさだね。
edにはコマンドモードと編集モードがあったんだ。テキストを直接入力するときに使うのが編集モード。テキスト入力を終えるときは、"."1文字だけの行を入力するんだ。そうすることでコンピュータに編集モードの終了を伝えられるし、ユーザもピリオドを打つことでモードの切替を意識できる。edではそんな人と機械への気配りはあたりまえだったんだ。
edの人々が主に使っていたのはディスプレイではなく、ロール紙に1行ずつ印字するテレタイプ。
今の私たちには一見すると不便に思えるつくりも、edの人々にとっては紙と時間を節約する工夫の詰まったものだったんだね。
アタイ、アラサー職業プログラマーなんだが、去年の暮れ、米国に出張した際、
職場の同僚とアイリッシュパブで飲みつつ、いろいろ話したときの会話を書く。
同僚は、オートラリア出身の男20代後半、アメリカ某大学のCS専攻。
彼曰く、
パーティーとかで人と知り合うとする。
そうすると自己紹介するよね?
それで、相手が、
「私は医者なんです」
医学を学んできたんだろうなって
間違いなく思うだろ?
アメリカでは、ってことだけど。
ある人が
「私はプログラマーなんです」
っていうと、じゃあどこかでCSを学んできたんだろうなって、
当たり前のようになる。
CSの専攻だとしたら、もしかしたら俺の先輩か後輩かもしれないしね。
えーっと○○(←アタイ)は、、、
アタイ:×××××××××
そうか、Matzの後輩なのか! (←チゲーよ! いや、ツクバも受けたけどさ)
Lispは?Lispもやりなよ!Emacsで始めるのがおすすめ!
日本では、
「私はプログラマーなんです。」といっても
必ずしも、その人のこと、CSの専攻なのかな?とは思わないでしょ?
あれってなんでなの?
だってね、まあ極端な例えかもしれないけど、医学部を出てない医者に
手術させたら危ないでしょう?
たぶんこんな感じだったろう。
正直ね、うるさい奴だなーと思いました。
気分がよくなっていて2杯目のギネスで、もういい気分だったもん
だから、酔いにまかせて、言ってやったんだわ。
そうよ、□□(←ソイツ)の言うとおりよ。
出来たってねつ造したって騒がれてる。その騒がれ方にしてもね、
なんだろう、サイエンティフィックではないわけ。
ファナティックっていうかさ。
そういうね、なんだろうね、国の閉塞性?が嫌になって自殺する人や、
成功したアーティスト(漫画家さんだっけな?)のイベントを中止させて
「人生格差犯罪なんっす」とか言っちゃう、そういうのが流行っていて、
で、そんな中、男はみんな無気力で、セックスしたくなくなっていて、
でも日本にも良いところもあるんだよ?
とかってテキトーに答えたんだけれども。
まあでも、
メスもって人の体切り刻むようなもの
っていう感覚を持っている人といっしょに働くのは、
感じないで済むので、そこは良いなと。
すぐに仕事をホサれるというストレスはある。(これもけっこうキツい)
だが、同じストレスなら、後者のストレスのほうが、アタイには合っていた。
前者のストレスを我慢しながら働かされると、
基地外になっていたと思う。
メスもって人の体切り刻むようなもの
であることを感じない、もしくは感じても感じていないフリをする
のがお約束という慣習にどっぷり浸かった業界や会社や組織にうまく適応しつつ、
ストレスたまったら、それこそ美味い蕎麦を食べたり温泉に行ったり、
職場の 仲間とソフトボールやった後、ビール飲んでウサ晴らししつつ、
いつかオフパコを夢見てはてなで、頭のいいプログラマーっぽいブログ書いたりとか、
フェイスブックやブログに、日本人技術者ばっかりとで群れあって、
(日本の汚い)海にいって、ビーチで男女仲良くバーベキューして、
俺ら私らリア充だぜ!的な画像を載せて、自己マンに浸るっていう、なんか
そういう人生を送って年をとるっていう感じなわけじゃない?
それで基地外にならないで、シアワセになれるんだったら
憂鬱を今年はどうにか解決したい。
以上、年頭所感にかえて
会社勤めを始めて4年目の冬、今日どうしても辛くなり、今まで初めて会社を病欠した。
連休と連結したりとかで有給は使ったことがあるが、今日みたいに病欠するのは初めてだった。
朝起きた時、体は元気だった。
ふと、自分が休んでもいい状況か、何かこうなった原因があるのかが気になり、Evernoteにメモしているタスクリストを眺めてみた。タスク的には休んでも影響が無かった。やることでイライラすることが多く、並んでいるタスクは数は多いが、1つ1つのタスクの難易度自体は重くはなかった。
簡単に言うと「すこし頑張ればこなせるもの」だった。
これまでも、鼻風邪をひいたり頭痛とか腹痛で遅刻したことはあったものの、会社には行っていた。それで効率は多少落ちるものの、仕事は問題なくこなしていた。
「辛い」「会社に行きたくない」「毎日苦痛だ」「辛い」「休みたい」「プログラマ特有の面白いと思ってやってるクソみたいなジョークとか聞きたくもない」「行きたくない」「何も考えたくない」「辛い」「会話ができない人を相手にするのはもううんざりだ」「vimなんかもう見たくない、とか増田に書いたらどうせ『じゃあemacsにしよう』とかいう意味のわからないコメントがつくんだろうな、みんな死ね」「苦しい」「苦痛だ」「みんな死ね」「毎日辛い」「悲しい」「会社のメールボックスなんか見たくない」「もう嫌だ」と、労働を拒否していた。
「心の底から本当に辛いし、逃げ出したい」という感情がここ数週間前から最近芽生えていた。
大学受験以来忘れていた感情だった。そして、その感情は当たり前で、甘えであるとして蓋をして向き合わず愚痴を言いつつも黙々と仕事していた。
でも、ここまでいっていても休む勇気が無かった。
どの程度で休んでもいいのか明確な基準がなく、サボるのが怖かった。熱があればもちろんそれは別だが、体は元気なのだ。タスク自体はできないものじゃないし、もしかしたら月曜だから単にベッドから出たくないだけかもしれない。
そう、この気持ちを掘り下げるとただ1つ、ただ「行きたくない」だけなのだ。
毎日毎日、仕事は辛いと感じている。だが仕事は死ぬほど辛いからお金がもらえるし、その金で土日に美味いもの食ったりできるわけだ。
大学時代に学んだ労働経済学でも労働は苦役だと教わったし、実際に大半の日本の会社員もそう考えていると思う。
だから辛くて当たり前だし、辛いから休むのは甘えだと思って休めなかった。
でもそれはなかなか無いし、ある人にとっては仕事は楽しいし好きなことでお金がもらえて嬉しいとしても、同じ仕事をしている別の人はそうではないことは多いし、だいたいそういう時は「仕事が好きな人」はそうではない人に「仕事は楽しい」ことを前提に話をしてくる。
身体は元気、仕事はきつくはない。だから休むべきじゃないし、無理にでも起き上がって着替えて電車に乗るだけで全てが進むはず、難しい話ではない。
でもなぜか本当に辛かった。
思えば今まで病欠したことがなかった。中学生や高校生(中高一貫だった)のときは6年間壮絶ないじめに遭い、鬱病になりながらも実は休んだことが無かった。もちろん休むべきだった。
中1のとき「6ヵ年皆勤賞とるぞ!」と意気込んでいたのでそれを曲げる勇気が無かったのと、休んだことで皆勤賞が無くなるのが怖かったのだ。
結果、6ヵ年皆勤賞は取れたが、その時は精神的にボロボロで失ったものは大きく、今も生きる上で大きく足を引っ張っている要素になっている。
子供の時は病気以外で休んだことが無いし、今も年末年始や夏休み、インフルエンザとかそういった「休め!」と強制されるもの以外で、自分の判断で休んだ経験が無い。
だから今でもどれぐらいのレベルから休むべきかがわからなかった。
仕事自体も、辛いという事に対して誰も理解してくれなかった。一番身近な相談相手であるはずの同期は全員が意識が高く、好きでこの仕事をやっているという感じだった。その中で「仕事だから仕方なくやっている」という大変低いモチベーションでやっている自分には、辛いという感情自体が許されなかったのだ。
「仕事が辛い、辛くてたまらない」ということを同期に漏らしたら
「それはお前のワクワク度が足りないんだ」というアドバイスを貰った。正直意味がわからなかった。自分の意識が低いのが一番悪いのは知っている。だが、それ以前に同期に仕事の悩みを相談するのは間違っていた。
そんなこんなで、休もうと思ってもなかなか踏ん切りがつかないので、休む根拠や休んでも問題ない保証が欲しくなった。さっきも書いたが、タスクリストを見ると、今日休んでも明日十分巻き返しが効くレベルだった。
東京都のこのページ(http://www.kenkou-hataraku.metro.tokyo.jp/mental/self_care/check.html)を見て自己診断してみたらその1は36点、その2は9点。総合判定は7だった。一番悪い奴だ。そういえば常にイライラしているし、最近はよくモノに当たるし、どうでもいいことで松屋の店員にクレームをつけて怒鳴っている。
色々休むための根拠や自信をつけるためにやっていて、気がついたら、目を閉じ勇気を振り絞って体調不良で会社に休むメールの送信ボタンを「うりゃー!」と言いながら押していた。
見事会社を休んだ瞬間、それまでの重くのしかかっていた気持ちがふっと一点の曇も無く晴れ上がって、ベッドから出た瞬間清々しい気持ちになった。
「こんなんだったら休まないほうがよかったのでは…」と罪悪感を感じた。でも多分休んだから気が楽になって元気になったんだろう。
ふと外を見たら、綺麗に冬空が晴れていた。
久々に心の底から綺麗な気持ちで
「ああ、空が綺麗だ」と感じ、それを実際に声に出した。
「うわー空が綺麗!」という感情や表現は、フィクションの中だけの現象だと思っていた。空を見て綺麗だと思う余裕が、子供時代以来に久々に生まれていた。どうやら、物質的なものや、性的なもの以外で気持ちよさを感じる事は、フィクションの世界だけの現象じゃなかったらしい。
その後は、一日じゅうラーメンズの動画を見たり、平日しかやってないようなテレビ番組を見ていた。
そんなことをしながら夜(ちょうど今ごろ)になると、
「明日から仕事がんばるぞ!」という、なんだか根拠のないやる気が数年ぶりに湧いてきていた。そう考えることってあるんだな、と思った。
結論としては、休んでよかった。多分休まずいつものように会社に行ってたら、今頃は耐えきれず1人トイレで泣いていた。
熱があろうがなかろうが、辛い時は勇気を出して休むべきだ。
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その後
なんかいつの間にかホットエントリー入りしてたので、その後の報告も兼ねて追記。
昨日は↑みたいな感じで休んだけど、今日起きたら「あー会社いやだなー」とは思った。
でも、今までの「嫌だ」は
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ仕事辛い仕事辛い仕事辛い仕事辛い」って感じだったけど、
今日は「あーめんどくせー」って感じだった。
「辛い」が「めんどくさい」に変わった。
普通(?)になったのでよかった。これは大きい。
皆様のブコメは1件ずつ読みました。今後は辛い時はスパッと休んで、無理せず仕事頑張ります。
あと、「松屋の店員がかわいそうだろ」っていうコメントがちらほら見られますが、自分も全く同感です。
ただただ申し訳ないし、以来自分の人間の小ささを痛感してます。自己嫌悪しかない。
あとは「根本的な部分を治さなければまた再発するのでは」というコメントもいただきました。その考えは昨日休んでハイになった時に完全に抜けてました。とりあえず、会社内、あるいは社外に「何でも相談できる人」を見つける所から始めようと思います。
色々書きましたが、自分がここで言いたかったのは「大人はサボってもいい」ということに気がつくまで本当に大変だったけど、実際休むのは本当に簡単でメリットがありまくりだったので、同じように悩んでる人は一緒にサボろうぜ!ということでした。
大学四回生の夏、下宿の扉に「出入禁止」とチョークで大書し、親を呼ばれて精神病院に連れて行かれた。
パソコンを買ってもらったのは小学三年生の冬だった。今でも覚えている。1996年12月2日のことだ。Windows95発売で世間は揺れていた。インターネット回線がうちに来たのは翌97年の1月、これはそこそこ早い導入だったと思う。さらに翌々年の99年にはケーブルテレビで常時接続になった。親には先見の明があったが、しかしパソコンには詳しくなかった。PC-8001も確かそうだ。親はこれが次世代の必需品になると確信して買っていたが、買った一方で使い道が分からなくてオブジェとして放置していた。親はPC-8001をパソコンだと言っていたけれど、僕にとってパソコンはおっきなテレビが標準で付属しているものだったし、マウスもなかったので、それがパソコンだとは到底思えなかった。でも親は言った。今度来るのは違うんだ、オフィスも入っているパソコンなんだ。僕は聞いた。一太郎っていうやつは入ってないの?テレビで言ってたよ、と。親は答えた。オフィスってのは一太郎より機能がスゴイんだよ。僕はへぇ、とだけ言った。どちらにせよペイントは入っているだろう。ペイントなら親戚の家で使わせてもらったことがある。パソコンはお絵かきができるのだ。マウスをカチカチして、キーボードをカチャカチャするのだけが楽しみで、納品の日を一週間ひたすら待った。その頃、漢字の宿題提出が滞っていて、そのままでは居残りでさせられることになっていた。僕は久々に奮起した。いつもは踏み倒していた宿題を、全部一気に終わらせた。家に帰るとパソコンが電気屋さんの手で設置されつつあった。今は亡き、ニノミヤで買われたパソコンであった。
97年にインターネットを始めた。一日一時間まで。実のところ電話代の問題ではなく、一時間ほど使うとブルースクリーンが発生するからだった。一日一時間以上動かすと壊れるから。PC-8001をキッチリ買った親なのに、それぐらいの(?)ITリテラシーであった。ただ別にそれを責めるつもりはない。僕はすぐにアングラサイトに入り浸った。人に飢えていたのだ。普通のチャットには人がいない。テレホタイムにならないと、誰一人ログイン氏亡いのだ。でも、アングラサイトなら四六時中書き込みがある。僕は思う存分厨房行為を楽しんだ。煽り騙りなんかは、小学生がやっても大人がやっても大して変わらないものだ。You is a big fool manという文句をリアルタイムで目にした人は、多くても数百人だっただろう。何千、何万のツイッタラーが押し寄せ、ブクマが1000以上付くような今の炎上とはほど遠い暢気さだ。当時の匿名掲示板とはそういうものだった。誰一人本気で投稿しなかったし、しかし誰一人面白くない書き込みをしようとはしなかった。トイレでもネタを考え、思いつけばすぐに投稿し、ワラタが付くのを待ち続ける。あやしい、あめぞう、あやしい、2ch。人の多いところから人の多いところへ。ワラタが多くもらえる場所へ。気づいたらインパクが終わっていた。
その一方で僕は中高一貫の私立校に入学していた。高校受験がないことから、ネット依存はさらに加速した。しかし2000年を境にアングラ掲示板は衰退の一途をたどり、2ch一強時代を迎えていた。1ch.tvをボコったりするなど楽しいネタがないわけではなかったが、匿名掲示板はネタの宝庫と言うより、本気でちゃんと議論することもできる場所になり始めていた。ちゃんと議論しようとしたらすぐさま崩しにかかるのが2ch隆盛以前の匿名掲示板文化であったが、2003年頃を境にはっきりと潮目が変わっていったように思う。まあその辺はどうでもいい。アングラと非アングラの境目は消え始めていた。
その狭間に、僕は生きていた。
自分で掲示板を設置することにした。けれども何をして良いのか分からない。CGIレスキューに救援要請をして本も買った。Perlだ。Perlしかない。しかしPerlがどうして動いているのかは、全く分からなかった。何十行、何百行もの文字の羅列が、どこでどうなって、掲示板になるのか。インタプリタ?コンパイラ?訳が分からない。そもそもCPUがどうやって動いているのかも分からない。僕にとってプログラムとは、セットアップウィザードでCD-ROMをギュンギュン言わせながらインストールするものであって、掲示板というものは、Teacupで借りるものだったからだ。でもどうやらそうじゃないらしい。コンピューターに翻訳するのがコンパイラです。さっそくコンパイラを使ってみましょう……
お手上げだった。
コンパイラがないのだ。コマンドプロンプトにはない。Linuxを入れる?使い方が分からない。Vine Linuxが初心者にお勧めだった頃の話だ。ボケッとしててもGNomeぐらいは動かせる程度には簡単になっていたが、そこからターミナルを開いてgccでコンパイルするなんて想像も付かないことだった。Hello, Worldはなんとか表示できても、それをGUIで動かす方法が分からない。僕はデスクトップに「Hello, World」のポップアップウインドウを表示させたかったのに。全然訳が分からなかった。
プログラムが動いている方法を知らなければならない。プログラミングを学ばなければいけない。しかし全体像を把握するにはあまりにもほど遠い……。絶望感が支配し始めていた。Hello, Worldはできたけれど、その先が全くわからない。どの参考書を読んでも分からない。ググってもググっても分からない。ポインタで躓く初心者が多いです!……どの本にも書いてあったけれど、僕はポインタどころか、変数の種類がたくさんあるところでお手上げだった。int?char?long???意味不明の文字列が並び続ける。メモリ?メモリって、挿したらいいんじゃないの?確保?fopen????どんなプログラミング言語も、何一つ分からなかった。その頃インターネットは加速し始めていた。切るのが当たり前だったJavascriptが復権し、Ajaxと名を変えてやってきた。掲示板スクリプトもどんどん高機能化し、もはやPerlを知るだけでは何一つできないようになってしまった。苦痛の日々が始まった。どの言語も、全く分からなかった。分からなければならないという焦りが募っていった。
あるとき、一年間ほど、とりあえずお手上げのままにしておくことにした。大学受験が迫ってきたからだった。そして案外あっけなくそれは終わった。僕は某大学の情報科学科に入った。
教授がガイダンスで説明したとおり、情報科学科のプログラミング演習はそれほど多いものではなかった。一回生の時なんか、キーボードを目で追って人差し指で打っている人もいるぐらいだった。学校の授業はアテにならない。そして大学受験でいったん引っ込んだ、とにかく十代でなにかしないと、という焦りが復活してきた。
大学のキャンパスは広すぎた。何をして良いのか全く分からなかった。授業内容はひどくつまらなく、何が役に立つのかも分からず、ただただ苦痛で、キャンパスでサークル活動に打ち込んで楽しく過ごせるほど社交的ではなく、かといってオタク集団に混じる勇気も無く、とにかく、とにかくここで四年間、四年間で何かしないと、何かしないと就職に間に合わない、大学院進学に間に合わない、十代のうちに何か大きな事を成し遂げなければならない。日々研鑽に励み、日々プログラミングスキルを磨き、日々勉強会に参加し、日々コードを書き、日々環境設定をし、日々本を読み、そして日々コードを美しく書かなければならない、そういう焦りだけがどんどん加速していった。大学の生協で片っ端からプログラミングの本を買った。ド初心者向けのPerl本から、美しいコードは何か、みたいな本まで。でも、どれ一つ、僕のスキル向上には役に立たなかった。プログラミングスキルの向上=自分自身の地位=生活の保障、と思っていた自分には、悪夢のような現実だった。
とにかくインターネットと一緒に歩んできた僕にとって、ITスキルはすなわち力であり、むしろITスキル以外は何の価値も持たないもの、と思えるほど脅迫的な観念にとらわれていた。入ってくる情報はさらに増えていった。Cができるのは当たり前、Ruby on Railsがアツい、Java、PHPはもちろんできるよね、MySQLは当然使えるよね、もちろんHaskell、Scheme、Objective-Cもやらなきゃね……何一つできないのに、習得すべき言語だけがどんどん増えていく。加えて美しいコードを書け!という文句が飛んでくる。クソッタレが。何が美しいコードじゃ。goto使ってもいいだろ。好きなだけ使わせろクソッタレが。全部getsで書いてやる。クソが。アルゴリズムアルゴリズム勉強会勉強会ビューティフルコードMacMacMacジョブズジョブズジョブズ……???????????????
それでもなんとか、そう、なんとかなった。友達が優秀だったのだ。僕には到底できないような、きれいに整理されたコードを書く人だった。聞けば在学中から外注のプログラマをやっていて、それなりに稼いでいたのだという。性格はちょっとアレで、風俗に勇気を出して行こうかどうしようか迷ったけどその金でオナホ買ってシコってオナホを床に叩きつけたみたいなヤツだったけれど、そいつからもらったコードを、わざと汚く成形し、変数名も汚らしくし、提出し、なんとかなった。結局自分で最初から最後までプログラムを作ることはできなかった。丸々コピペはしなかったけれど、コピペがなければ卒業は無理だっただろう。
そうして三回生の終わり、試験がどっと押し寄せてきた。一月のことだった。機械学習と……なんだっけ?そういう感じの試験が、2月の初日、行われることになった。三回生はただでさえ試験が多かったが、その大トリこそが機械学習だったのだ。
まるで意味が分からなかった。推論、それは分かる、機械学習?機械に学習??やっていることは数式だしベイズがどうの……まるで分からない。泣きそうだった。三年間必死こいて勉強したり勉強会に行ったりプログラミングスキルを上げようとしたり本を読んだり色々したのに、何一つ得るものは無かったのだ。僕はあやしいわーるどでオマンコ連呼していた頃から、何一つ成長出来なかったのだ。そしてそれは、間違いなく、疑いようがなく、自分のせいだった。自分の頭が悪いせいで。自分の勉強不足のせいで。自分のせいで……コンピュータとともに、十何年も育っていた僕にとって、コンピュータに関するスキルこそが、全ての力の基準だったのに、その全てを否定されたような気持ちだった。プログラミングができなければ、死ぬ。だって、友達はみんな就職して、SEになったりSIerで働いたりネットワーク管理者になったりしてるのに、僕はなんで、こんなところに。そいつらに取り残されるのに。みんな勉強会に出てMacを持ち寄ってハッカソンしてるのに。泊まり込みでプログラミングしたりしてるのに。なんで僕は、fgetsすらマトモに使えず、getsとscanfだけであなたの名前を入力してください オマンコ オマンコさん、こんにちは!みたいなプログラムしか書けないんだ。
大学四回生になった。研究室を選択する必要があったがしなかった。しないでは困るとのことで、適当に書いたらその一番上に配属された。でも一切研究せず、下宿に引きこもって何もしないをした。今日の輪講はここまで進みました!という報告が毎週回ってくるが、まるで研究室では日本語でなくアラビア語が公用語になっているのではないかと思えるぐらいの光景だった。この頃、近所の人の証言によれば、言動がおかしく、訪ねてきた人に暴言で返し、殺す殺すなどの声が聞こえ、時折モノを投げつける音が聞こえたりしたそうだ。まあよく知らない。僕は普通に何もせずぼんやりネットを見ていただけのような気がするけど。
それからしばらく経った。
結局僕は中退した。そして別の大学に入り直した。今度は、工学じゃない別の場所に。みんなキーボードの文字を読みながら指先でキーを叩いている。安心する光景だった。僕らはプログラミングを習わなくてもいい。これから習う必要も無い。タッチタイピングだって、できるに超したことはないだろうけど、できなくてもいい。ただ、そこにある便利なモノを使えば良いだけなのだ。Chromeを使っていて、うっかり開発者向けコンソールを開いてしまっても、何も分からなかったことにして閉じて良いのだ。きっとマクロを書けば、楽ちんに勝手にやってくれるような作業を、人の手で何度もやる。それでいいんだ。マクロを考えるために必死になる必要なんか無い。マウスで右クリック、コピー、ペースト。それでいいのだ。キーバインドすら覚えなくて良い。メモ帳を使ってもいい。viやEmacsのキーバインドを覚えなくてもいい。マウスも使えないようなエディタと格闘する必要は無い。Macを買っても、XCodeやportsを入れる必要は無い。iTunesでiPhoneを同期させて、音楽を聴くだけでいいんだ。
僕はもうプログラミングしないでいいんだ。
それが分かったとき、全てから解放されたような気がした。僕を苦しめ続けたプログラミングというものは消えてなくなった。パソコンでやる作業は、昔と一緒、匿名掲示板にオマンコと書き込むだけだ。それ以上のことをしなくてもいいんだ。勉強会に出てハッカソンする必要は無いんだ。プログラミングスキルを錬磨しないと死ぬなんてのはウソだったんだ。美しいコードを書かないと天罰が下るというのはウソだったんだ。毎日毎日はてブのホッテントリを見てると、プログラミングでマスターしなければならないこと、何何する方法、開発者必須スキル、便利ツール、Macでのアプリ開発、セキュリティ、通信、データベース、勉強会、ハッカソン、そういうもので溢れている。苦しくないのか不思議で仕方ない。もちろんプログラミングをしていて楽しい人もいるんだろう。けれど、僕みたいに、プログラミングという行為が苦痛で苦痛で苦痛でしかない人もいる。たとえ1000回の同じ操作でも、人力でやる方がマクロを書くよりも楽だという人も、ここに存在するのだ。そしてそのような人の存在も当たり前に肯定されるのだ。みんな苦しまなくて良いんだ。誰かが勝手にやってくれればいい。できる人にお金を渡して、僕らはそれを享受するだけで良いのだ。ここでプログラミングという言葉を連呼したけれど、コーディングという言葉との違いとか、そういうのを気にするような人とおつきあいする必要は無いのだ。いずれプログラミングは必須スキルになるとか言われて何年も何年も苦しみ続けてきた。けれど、そんなことをする必要は無いんだ。
それでぶっちゃけここからが本番なんだが、十代でなんとかしないと、という焦りはこないだの青木君の小四なりすましの話に似ている。僕もそうだった。僕らの世代だと登大遊氏なんかが結構輝いてて、ああいう感じにならなきゃ、と思っていた節はある。十代の時になにか成し遂げないといけない、そのためには誰かに認めてもらわなければならないという焦りは、どれくらいの「大人」に理解してもらえることなのだろうか?誰かの承認を得たいという承認欲求を、同じ世代の誰かを使って満たすことができず、むしろ同じ世代の誰かを一緒に引き連れて、承認欲求を満たしてくれる「教祖」にすがりつく。NPOの大学生が「承認」を欲し、政治家が「承認」を与えているのだ。AO入試用の作文?図?みたいなものも見かけたが、「私はリーダーシップがあります!」とか実にくだらないことしか書いていない。しかしそういうものでさえ、学生団体とやらは「承認」してくれる。結局、オウム真理教が丸ごと開けたポジションに、バラックが建ち並び闇市が行われていて、コミュニケーションで自然と得られるはずの承認欲求が、法外な札束で取引されている、そんな感じのような気がする。
意外にブクマが増えていた。PC-8001は俺が産まれる前に買われたもので、ずっとオブジェだったのだ。動くかどうかもわからない。テレビに接続するコードがなかったから。
当方いちおうWebもやってるエンジニヤーなのでときどき学生の方(デザイン系、美術系が多いです)から相談を受けるのですが、
というのが2大苦労事例みたいな感じです。
もちろんtumblrで実現できない要件も世の中には存在しますがそのような要件は既にデザイナひとりで抱えるような要件ではないので適宜エンジニヤーを捕まえて振りましょう。
注意点としては、インスペクタに表示されるHTMLはJavaScriptなどから動的に書き換えられた結果のHTML(正確にはDOM)です。
逆に言うと、JavaScriptで動的にページを書き換えるような場合にはインスペクタは必須なのではないかと思います。
あとmiのような古臭いエディタを使うのはやめてAtomのようにHTMLタグの折りたたみができるエディタを使いましょう。
突然vimやemacsを薦めてくるエンジニヤーはクソなので相手をしないようにしましょう。(難しいもの薦めてくる人ほど最後まで面倒見てくれません)
そういった根幹的な話は後日に置いておくとして
vimmerの元カレを殺す手法をわかりやすく解説したいと思います
是非、日々の生活にお役立てください
それでは一つずつ見ていきましょう
1. emacs使いと付き合う
使うemacsはなんでもいいです
ほとんどのvimmerはなんだかよくわからない敗北感で溶けて死にます
デメリットとしてはemacsもvimとどっこいどっこいのクズさ加減なので
2. 秀丸と寝る
モメます
一説によれば開発チーム解散の原因の9割はエディタ絡みだと言われており
野生のvimmerの目の前に秀丸と女の子を並べた所、10割のvimmerが女の子を選んだという研究結果から
基本的にvimmerはエディタより女の子に真剣だと言えるでしょう
常にemacsに対して劣等感と嫉妬のフラストレーションに苛まれており
後はモメにモメた後、頃合いを見計らってvimmerを捨てれば完璧です
しかしvimmerは基本的にブサイクで空気が読めず指の動きがなんか気持ち悪いので、ストーカーに発展する危険性が高い点だけに注意が必要です
これはエグい
捨てたvimmer⇔捨てられた女
という構図から一転
捨てられたvimmer⇔乗り換えた尻軽女
ただIDEは成功すればするほど飽きる、また捨てられる確率が非常に高く
より便利な開発環境を探し付き合うことを繰り返す、正のスパイラルが発生します
それでも改善の道を行く、というのなら僕は止めません
秀丸というアドバンテージを最大限に生かし、元カレと似たような方向性のEmacsLispに転向し
VimScriptでくすぶっている元カレに成功を見せつけてやりましょう
それでは!
リチャード・ストールマン(Emacsやgccの開発で知られる著名なプログラマ)
It doesn't take special talents to reproduce -- even plants can do it. On the other hand, contributing to a program like Emacs takes real skill. That is really something to be proud of.
子孫を作るってのには大した才能は要らない。植物でさえできることだ。 それに比べてEmacsのようなプログラムに貢献するのは誇るに足る本当の才能だ。
もっとたくさんの人を助けることになるしね。