母のことは尊敬しているけれど最も恐れる人間だし、父のことは心底軽蔑してるけどシンパシーを感じてしまう。恋人のことはどうしようもなく愛してるけど、信用できない。親友たちのことは大好きだしみなとてつもない人格者で、だからこそ私みたいなのが関わって迷惑かけていい人間ではない。生誕を呪う私は孤独に生きるべきなのに、どうしようもない寂しがり屋で、すぐ誰かの腕を乞う。
終わらない、寿命と私の意思との我慢くらべはいつまで続けなければならないのだろう。昔流し見たネットの当てになるかもわからぬ知識をもとに、なんとなしに、ドアノブに手近なロープをかける。自室の10階の窓を開放して階下を覗き見る。寒いキッチンに滑り出し、包丁を研ぐ。そんなことばかりして、実行には至れない。自殺未遂すらできないあたりに、いかに実行力や自制心が欠如していることが、なぜ社会の粗大ゴミであるのかがよくわかる。
SNSに登録してみたかった。ろくでもない自分のことが可視化され、記録されると思うとそれすらできなかった。FacebookもLINEも、情報リテラシーに意識が高いフリしてやらない理由を説明し続けた。
裏垢を作ってみたかった。裏垢を作る気力も持てず、ただひたすらスマホのメモに吐き出すだけだった。つらいことをネット上の玉石混淆馬の骨とも糞ともわからぬ誰でもいいから、目に留めてもらいたかった。なのに、匿名でも私の記録が残ると思うと、恐怖心がまさってかなわなかった。
子供が欲しいと言ってみたかった。愛する恋人が結婚を渋るのは、死んでも子供はいらないという私の主張にこそ原因があった。そうでなくとも、誕生し生きるということを根本的に肯定したかった。あるいは、自分が親に足る人間であると、自らの両親のようには決してならないと、そんな自信が欲しかった。
別に今すぐ死ねもしないことはよくよくわかっているけれど、死に際に書き込むなんてできた人間の真似事をしてみたくて投稿する。はてなの登録が簡潔なものでよかった。
最初はどこにも公開しようなどと思わず書き始めたけれど。そろそろ限界が近い。〆切も愛も恋も友情も年齢も何もかも、現状のままでは。この書き込みをひとつこれまでの自身への弔いとして、明日明後日明々後日、それから新年に新年度を無事迎えられますように。
増田さん、ここにいてくれてありがとう。 ずっと、ときどきでいいので、書き込んでほしいよ。