はてなキーワード: 軽蔑とは
話題にしたいのは「原因」だ
痴漢は男が女性を軽視しているから起きるのだという話がされることがある
これは間違ってると思う
だいたい毎日毎日「女なんて力でねじ伏せて痴漢してやりゃいいんだ」なんて思ってるやつはほとんどいないと思う
例えば、目の前に一億円がある。ネコババしてもバレそうにない
中には少しくらいならいいだろうと思い始める人も出てくる
そこでブレーキが効かなくなって、一万円だけ盗んだとする
そうすると「意外とイケるじゃないか」と思って、二万、三万
自信が出てきて十万とり百万とり・・・となっていく
ケーキは体に悪い、糖尿病になるとわかっていても「少しだけなら」と考え
誘惑に負ける人が出て来る
やっぱり満員電車が悪い
ところで、現状女性専用車両はよくない
男がギュウギュウ詰めなのに女性専用車両だけ余裕があるという状況は差別的だ
じゃあどうすればいいだろうか
一つは流動的な区切りを設けること(つまり、女性専用車両じゃなく女性専用エリアを作る)
もう一つは女性専用車両の利用率を把握してスペースを縮小/拡大すること
こうすれば不公平感はなくなる
日馬富士が引退しただけでも残念すぎるのに白鵬まで酷い叩かれようで。
ここ10年の相撲界を支えてくれたのはこの人達だと思うし、ファンとして感謝もしてる。
大変な功労者だと思ってる。
それだけに、今ヤフーニュースのコメントを見ると気が滅入って仕方がない。
一度泣き出してしまうと、しばらく泣き止むことができない。今も泣いてる。部屋のドアを閉めて声押し殺して泣いている。画面は見づらいけど涙がこぼれ落ちるたびに視界が良くなるのが車のワイパーみたいで少し面白い。
昔から学校が苦手だった。友達は少ないし、授業はどうでもいいし、宿題が嫌で嫌でたまらなかった。実質ボイコット状態。当然(得意な2,3教科以外は)成績が悪くて、その得意な教科でもテストで点が取れただけで授業態度は決して良くはなかった。先生達との関係も悪かった。常にクラスから疎外されているような気分で、これはわたしの被害妄想かもしれないが、"かわいそうな子を見る目"で見られていたような気がする。2-3年に一度は親が呼び出されたりわたしがカウンセラーに連れていかれたりしていた。
母は、わたしの教育にたいへん力を入れていたように思える。詳細は割愛するが(実はもう何度かアノニマスダイヤリーに書いた)、現時点で彼女はわたしのことを非常に軽蔑していて、ストレスの捌け口なのかわたしのことを"躾けて"いるのかは分からないが毎日罵倒してくる。唯一得意な美術で何を成し遂げても上には上がいる話を聞かされたりその時間を何故勉強に使わなかったのか問い詰められたりする。
わたしは学生生活11年間ずっと、自分が得意なこと、好きなことが美術しか無いと思い込んでいた。これはもう絵描きになるしかないとたかをくくっていたところに、何気なくスケジュールに入れた心理学と犯罪学と法医学に恋に落ちてしまった。進路の話をするとぜったい長くなるから今はしないがまあ要するに慣れない「学校」をとても頑張る教科が今年は3つほどできた。成績のためじゃなくて知識のために授業も課題もできるだけ真面目に取り組んだ。
そして、今日父から電話が来た。わたしが国語と経済学を落第しそうだと、落第したら卒業できないということを聞いてわたしの先生に電話をかけて話をしたそうだ。恥ずかしいがわたしもきっと父にとって恥ずかしい娘なのでまあイーブンだと思って話を聞いた。説教は頭を素通りしたがなぜか父はわたしの心理学兼犯罪学の先生とも話をしてわたしがうまくやっていることを聞いたそうだ。「真面目にやっていて授業態度も成績もいい。」「いい生徒だ」と。これを聞いた瞬間、涙が溢れて止まらなくなった。嗚咽はなんとか堪えた。父との残りの会話はなるべく涙声にならないように頑張ってあまり喋らないようにした。
本題に戻る。わたしは自分が尊敬しているひとやただ単に自分より立場が"上"のひとに能力を肯定してもらうと涙が止まらなくなってしまう。現時点でもう30分は泣いている。だいぶ落ち着いたが目は腫れているし鼻と耳はなんだか変な感じだ。今回もそうだし、カウンセラーに慰めの言葉をかけられると涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。正直困る。笑ってお礼を言いたい場面で相手を困らせてしまうのは嫌だ。
どうすればいいんだろうか。性格と言われればどうしようもないのだけれども、いっそのこと、原因を追求するためのセラピーでも行ってみたいような気もする。最近よく褒められるから、逆に辛い。
オタクが「表現の自由戦士」と笑われているけど、リベラルもゾーニングを推進しすぎて大概だわ。
でも、原理主義みたいにそれを推進したら、うまくいくはずない。
例えば最近話題のコンビニのエロ本問題だって、すでにゾーニングが実施されている。
そういう本は店の片隅に置かれていて、子供は立ち読み・購入を禁止されているが、これはゾーニングの一つの形態である。
子供たちはそういう卑猥な本を軽蔑するようになるし、それを買っているエロオヤジのことも軽蔑するだろう。
私は撤去しなくても、この現状のゾーニングでちょうどいいと思うけどね。
もし店内でエロ本を立ち読みするオッサンが怖いというなら、本をビニールで包んで、大人も立ち読みができなくするくらいの対策はしてもいいかもしれない。
ただ、コンビニに陳列してあること自体が問題だというのは、私の感覚ではちょっと理解できない。
リベラルが言っている「見たくないものを見ない権利」は、行き過ぎた過激思想ではないか?
実際には「どっちでもいい」と考える人たち、または「どちらかというと不快だが許容範囲」くらいの中間派がたくさんいるはずだ。
はじめまして。すごく懐かしい気持ちを思い出したので。昔の私は増田にそっくりでした。相手のことを考えてるつもりなのに嫌われて、一体どういうことだと混乱していました。なので、増田に私の発見を教えようと思います。10年以上かけて作ったリストです。ご査収ください。
・言葉は言ったとおりの意味に伝わらない。言葉には無数の意味があります。自分が言葉に込めたつもりの意味と、相手が言葉から読み取る意味は違います。例えば、「あなたのことを考えて言ってる」という言葉は、「私はあなたを悲しませたくない」という思いやりの意味と、「あなたは放っておけばすぐ失敗する」という軽蔑の意味があります。言葉は思っている意味では伝わりません。
・短期的な解決方法と長期的な解決方法は異なる。長期的には相手の失敗を防ぐことが必要でも、短期的には相手の感情をケアすることが必要な場合があります。例えば、ダイエットがうまくいかなくて、高額なダイエット商品を買おうとしようとしている人がいます。増田や私は、「そんなもの意味がないから買うのをやめろ」と思います。でも、それはあくまで長期的な解決方法です。短期的には違います。ダイエットがうまくいかない不安な時期を乗り越えるために、ダイエット商品が役立つ場合もあります。
・人の気持ちはとても大切。増田と私は似ています。謎の責任感に満ちていて、なぜか人一倍忍耐強く頑張れてしまう。でも、大抵の人はそうじゃない。人が励ましてくれるから頑張れるという人のほうがよっぽど多い。自分以外の人が機嫌よくいてくれるから、蛇口から水が出て電話が繋がるのだと想像してみてください。人を慰めて褒めてやることはとてもエコな行為です。増田は、人のご機嫌を伺っている自分を下劣だと思っているようですが、何も恥ずかしいことはありません。
・感情の伝わりやすさは種類によって異なる。人を非難する気持ちがとても伝わりやすい一方で、人を思いやる気持ちは牛歩で伝わります。人を思いやる気持ちは、嫌というほど露骨に伝えて、ようやくほんの少しだけ伝わります。人に1伝えるために10の言葉が必要です。あなたや私は、その差の9を嘘とか欺瞞だと感じてしまいますが、そんなことはないのです。必要な工夫です。知恵です。そもそも、1を伝えるために9を付けたしている、その行為が思いやりでなくて何でしょうか。嘘なんてそもそも初めから付いてないんです。
「任せていた」のではないよ。「考えてもいなかった」だけだと思うよ。
誰がポットにお茶を入れるのかなどということは考えず、おそらく「そこにポットがありお茶が入っている」という状態としてしか認識してない。
悪気があるわけではなく、「お茶入れるのは女性がやればいい」とか考えているわけではないと思う。エンジニアな人だったらなおさらそういう傾向が強そうだ。
「気がついたらポットにお茶入れるのやっておいてくれるとうれしい」とか一声かけると、やりだす若い男性はそれなりにいる気がする。「気が利かない」と責める前に、どうか彼らの認識の埒外にある選択肢を提示してあげてください。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171028-00090241-fullcount-base
試合後、ダルビッシュは「ああいうことをパブリックの場でしてしまっている以上は、MLBとかもそれなりのちゃんとした処置をしなければいけないと思う」としながらも「人類として学んで、人類として1つ前にいけるステップになれば、ただのミスで終わらないんじゃないかと思う」とも話し、これを契機に差別行為がなくなることを願っていた。
同じ日本国民が異国の地で差別されて抗議の声を上げているんだから共感しなきゃとは思うが、それ以前に「ホームラン打たれて挑発されたことを被害者ヅラして批判してるのがみっともない」という感情の方が先立ってしまう。
このネタでグリエルを出場停止に追い込めればラッキーみたいな卑しい根性で言ってるんじゃないかという下衆の勘繰りまでしてしまった。
自分の感覚だとそれはあり得るような気がしてしまうのだけれど、凄まじく政治に無関心なのは自分の世代だけなんじゃないかという気がしないでもない。
地元の市議会だよりに、議会を傍聴しに来た一般人の年代が円グラフにまとめられているんだけど、僕の年代(30代~40代)は0人だったりする。
人生のうちで一番忙しい年代だから仕方ないのかもしれないけど。僕自身だって行ったことないしなぁ。20代以下の傍聴者は結構いるんだが、どうせ学生だろう暇なんだよって事?だったらいいけどいや別によくはない。
話は脱線するけれども、僕の世代は子供の頃から安定して意欲が低くて大人しい。
技量が低いとか以前にまず出席率が異常に悪い。何かをしない・出来ない言い訳をする時は驚く程口が回るのに、何か発言を求められると完全に沈黙。人の為に何かしようという気は更々ないし、自分の為にも何もしない。とにかく受け身で、お口に誰かが美味しいエサを入れてくれるのを待っているだけ。
そういう自世代の謎の特性をとりわけひしひしと感じたのは大学時代。ちょっと卒業するのが難しい学科だったので、僕が一年生の時は同学科の留年しまくってる先輩達がサークルに沢山いた。
歳の離れたOBや上級生と僕らを比較すると全然様子が違っていた。先輩方は元気でパワーに溢れていて活動的で、常に何か面白い事をやろうとし、サークル活動でも業績を残すし、論文はすごいのを書くし、留年にだってもっと勉強したいからとか何かしら明確な理由があった。期末試験前には皆で助け合って単位を取ろうとしていた。
僕の同期は皆目が死んでた。勉強もせずバイトもせず、かといって遊びもしない。皆それぞれ自分の部屋に引きこもり、長期休暇は丸々実家に帰って過ごす。そんな人達ばかりだった。
何か、楽しい事をしようとすれば、別にこちとら強要どころか誘ってもいないのに、足を引っ張る発言をされる。課題はやってない前提、休日は一日中寝て過ごし何もしていない前提の会話に、こちらまでエネルギーを吸い取られる気がした。
あの同期達の淀んだ空気感が僕は嫌で、同期達には極力寄り付かず、講義の無い時間は自分の部屋で黙々と勉強し、アルバイトにも精を出し、学外で知り合った異性と遊んだりもした。
別にすごくキラキラした大学生ライフを送りたかった訳ではないんだけど、あのどうせ何やっても無駄っていう、どんよりと淀んだ空気は本当に辛かった。
今僕は危機感を覚えている。社会人になってからは、ずっと年上の上司や先輩達にもまれてほうほうの体で過ごして来ていたので、僕の世代の体たらくを忘れがちだったけれど、そろそろ僕達もそれなりに責任あるポジションに着いていかなければならない頃合いだ。
けれども、やっぱり同期やほぼ同年代はこの間の選挙前、「選挙なんて行かないでしょ?」なんて言っていた。僕らは相変わらずやる気がなくいろいろな物事に無関心で無責任で、黙って動かずにいても誰かが何とかしてくれると思い続けているのではないか?
僕達の代で世の中はすごく悪くなってしまうのかもしれない、という事はさすがにないか。一つの世代だけで世の中を引っ張る訳じゃないし。ただ僕達は先輩からも後輩からもあきれられ軽蔑され、居ない者として静かに忘れ去られるだけだろう。
女子はごみを見るかのように口を歪め、男子は底意地悪くほくそ笑んでいた。
なぜ僕がいちごのへたなんか食べたのかというと、以前の調理実習で女子が僕の食べかすだけとても忌々しそうに摘みとっていたことがトラウマとなっていたからだ。
僕はなるべく残飯を出したくない達なのだけれど、それがどうも貧乏くさく見えたようだ。
大学時代、何となく参加した飲み会で手持ち無沙汰となったために黙々と手羽先を食べていたら、はるか向こうから僕を指さしこそこそと笑われた。
ただひたすらに青葉が好きなだけなのだが、
要らぬ世話を焼くことが生きがいとでも言いたげな女に「それは食べるものじゃないですよぅ」と諭された。
グリーンカレーに入ってるの食べて周囲が苦笑。
反対にナポリピッツァのバジルを残して「行儀が悪い」と陰で言われていたこともある。
そんな僕だが鮭の皮を食べる人だけはどうしても理解できない。
なんなんだこれは。
シリアスな人間模様を描きたいのか、ノリと勢いの舞台やりたいのか、はっきりしろや。どっち付かずのぐっちゃぐちゃじゃねーか。
だいたい、やたらメタとオマージュを入れ込むから、Aqoursの話なのに「お前はμ'sのことなんだと思ってるんだ?」「矢澤にこと高坂穂乃果を何だと思っているんだ?」という話になってしまうんだよ。いらねーだろそれ。なんで作ってる人間たちはいつまでもAqoursとμ's重ねてんだよ。作中ではそんなことないだろ。
たとえば梨子ちゃんに当たり散らすシーンはなに?「それ本気で言ってる? 本気だったら軽蔑する」じゃあないんだよ、それ本気で言ってる? そんなこと言うほど本気でスクールアイドルやってるキャラだった? 一期の最後になんて言ってたよお前。どの口が言ってるんだ。μ'sのオマージュありきでやってんじゃねーよ。いい加減にしろ。製作者の身勝手で千歌ちゃんがクズみたいになってんじゃん。
ていうかセリフ回しとかカメラワークとか丸パクリしてんのはオマージュですらねぇよ。なんだよこのパッチワーク。二次創作でもこんなひどいのそうそうねーよ。中学生の処女作か?
話変わるけど、あのシーンのあのカメラのレンズフレアなに? ああいうの入れとけばオシャレだと思ってんの? 光源どこなんだよ。太陽どこにあんの? 太陽は瞬間移動しねーんだよ。とりあえずユーフォ見てこいよ。
あれほどまで授業の成り立たない高校で教えた経験はありませんが、
同僚などから聞く話等も含めて思うことを。
1.なぜ生徒は教師を殴るのか
の三点から考えてみた。
1.なぜ生徒は教師を殴るのか
例の動画の様子から、そもそも教師と生徒の間に一切の信頼関係が築かれていないことがわかる。
所謂教育困難校の生徒たちは、小学校・中学校段階では教師から忌み嫌われ、問題児扱いされてきた生徒たちで、
彼らの中には大人(教師)=敵という図式ができあがっている。さらに高校で同様に問題児扱いされてきた生徒がが集まることにより、
団結して大人(教師)=敵に抵抗することが、彼らの連帯を生んでいる。
さらに言えば、教育困難校の生徒たちの保護者の中にも、経験上学校や教師をよく思ってないひとが多い。
子供は基本的には家庭と学校のどちらかにしか居ない。同様に教育も家庭と学校の二つで行われて然るべきなのに、
教育(というより躾)を放棄した家庭も少なくない。小学校の担任に「箸の持ち方を指導してくれ」と頼む保護者もいるそうだ。
多分その保護者は正しい箸の持ち方で食事をしていないのだろう。
さらに悪いことには、教育(躾)を放棄するばかりか、学校での教育を軽視する保護者も一定数居る。
教育困難校の荒れた生徒たちの友情は、「教師に反抗するという同質性」を頼りにした友情なのだ。
「閉じた集団の中で何かを共有すること」、例えば同じような服装、髪型をすることで連帯するヤンキーやガングロギャルが流行ったことなどは、
「チャムグループ」という言葉で説明できる。「似ていることを条件に入れる仲間グループ」である。
教育困難校の生徒たちの間でつくられた「チャムグループ」は、教師を排除したり軽蔑し続けることで安寧が保たれる。
Uくんはそのチャムグループを代表して教師を殴ったのだと思う。半ばヒロイックな自己陶酔も感じながら。
それを囃し立てる仲間たちも痛快だっただろう。
そして残念だが、多分そういうチャムグループと教師の間に信頼関係が生まれることは期待できない。
信頼関係さえあれば、例えば軽い冗談の言い合いだとか、生徒教師相互に多少の「いじり」みたいなものが有っても愉快なのだが、
信頼関係のない「いじり」はいじめやハラスメントになる。信頼関係のないところには教育は、まともな人間関係は絶対に生まれない。
そもそも信頼することを教えられなかった生徒たちは不幸だ。そういう育て方をした親や小中学校の教員に多分に責任がある。
また別の話になるのだが、今回の件で騒ぎになったUくんもきっと、学校を信頼しない保護者になっていくだろう。
学歴や社会的格差はそのようにして再生産されていくのだろうな。
匿名のネットユーザーの性質として、教室では「素直で真面目な良い子」を演じてきた人間が多いのではないだろうか。
公の場では「素直で真面目な良い子」である一方で、匿名で誰かを吊し上げるのには、
いわゆる不良グループやお調子者が幅を利かせているパブリックな空間に対してのささやかな復讐の意味合いがあるのはないか。
また、事件の拡散は簡単だ。リツイートのボタン一つ押すだけだから。
自らが汚い言葉を使ったり、誰かを攻撃している感覚は無い。むしろ悪事を白日のもとに晒すことに、一定の正義さえ見出せそうだ。
抑圧されてきた「素直で真面目な良い子」の復讐心と、お手軽簡単なリツイートボタンがこの事件の拡散を相乗的に早めたのだろう。
いじめ自殺の問題で「いじめはなかった」とする教育委員会などが隠蔽体質と叩かれることが多いが、 わたしは隠蔽体質で仕方がないと思っている。
例えばいじめの加害者が実名を報道されれば、彼らがネット上で叩かれ、後の人生でも様々な場面で偏見を受けることは
免れないだろう。
それは当然の報いなのかもしれない。人を傷つけたら、そのくらいの懲罰があって当然だとも思える。
一方で、その社会的な懲罰は初期段階のいじめと構造が変わっていない。多数派が少数派を一方的に排除・攻撃することによって、
多数派の安寧を保つという構造だ。例えば第二次世界大戦中のドイツでゲルマン民族という多数派の血統のために少数派のユダヤ人を殺害したのと同じように、
ネット上の「素直で真面目な良い子」だった人々が、悪事を犯した少年を社会的に抹殺したいだけなのではないか。
もし、教育委員会が「いじめが原因で自殺した」と早急に認めれば、
教育委員会が「いじめはなかった」と言って槍玉に挙げられて居る限り、加害者への攻撃は及ばなくなるのだとすれば、
被害者感情はどうなるのか? そこは難しい問題だ。上のような説明をしてもなかなか納得はしてもらえないだろう。
あるいは事件があるていど沈静化してから「いじめはありました」と認めることで、世間の関心をひかない形で収めるのが関の山か。
ともあれ、今回の事件に関しては顔も実名も所属校も割れていて、拡散も限度を知らない状態だ。
私はリア充が嫌いだ。
女にモテないを通り越して、モテる女、というか世の中の女性全般を軽蔑しつつある。
特に、夢を追ってる女たちが嫌いだ。
人生は金じゃない、食えなくったっていい、と言いながら、どうせ適当なところで結婚に逃げるんだろう?と心の中で軽蔑してる。
自分でもなぜかよくわからないが、リア充以上に、パリピ以上に、一人暮らしでソファを持つ人間が嫌いだ。
口もききたくないし、同じ空気を吸いたくない。
あれが素晴らしい道具であることは認める。
家具屋でソファに座るたび、気持ちよさで憎しみを忘れそうになる。
デスクワークがはかどるなら、世の中のオフィスチェアは全部ソファになってる。
あんな深く座ったら、飯も食えない。
父は基本的には理性的で、まともではあるのだけど、教育に対して偏屈なところがあり、
「テレビや新聞などというものを楽しむのは、二十歳を過ぎてからでいい。
などと、変なことを言っていた。
新聞を読むなんてむしろ上等なほうだと思っていたけれど、時の洗礼を受けた本を読むように言い聞かせられたせいで、テレビ新聞を毛嫌いする性格は引き継いでしまった。
話を戻そう。
ソファを置くということは、自室で勉強しないと宣言しているようなものだ。
座るだけで時間を浪費するし、ダイニングテーブルとダイニングチェア、デスクとワーキングチェア、ソファとセンターテーブル、この3セットを置けるような一人暮らしの部屋などないので、ソファを選択した時点でデスクを置くことをあきらめる場合が殆どであろう。
漫画のワンシーンで、ある登場人物が別の登場人物のことを意味ありげに見つめるコマがあって、
「考えすぎ!!作者はそんなこと考えてない!!違うと思う!!恋愛を示す描写ではないと思う!!たまたまちょっと見てるだけ!!」と必死に否定する
顔を真っ赤にして股をジュンジュン濡らしながら「私はあなたのことが好きです!!結婚してください!!」と言わないと恋をしている証拠にはならないのだそうだ
そのキャラのことが好きだから他のキャラクターに恋しているわけじゃなくて信じたくないってわけじゃなくて、
本人だって何の思い入れもないただのモブ同士のやりとりでも必死に否定する
おそらく○○だろうってことが類推される場面、書き手がそう類推してほしいことが明らかな場面でも
「明言されてないんだから!」「証拠がない!」「決めつけるなああ!!」と絶叫する奴をたまに見かける
いったいどうやって生きてきたのか。学生時代国語の成績はどのくらいだったのか
「たぶんこういう意味なんだろう」と思うことができずに、「明確な証拠が出るまで永遠に意味は不明!!」と思い続ける人生
エーミールは「僕」に嫌いだとか失望したとかいう言葉はひとつも使っていないのでエーミールは「僕」を軽蔑しているとは限らない。決めつけてはいけない
猫が箱に入ってから一週間、箱からは腐臭が漂い蠅が飛び汁が漏れていても箱を開けるまで猫は死んでいるとは限らない。決めつけてはいけない
箱を開けるまで、猫は死んでいるのではないだろうか?と意見することすら許されない
死んでんだよ、それ。腐臭がしてんだぞ。ここはいったん「死んでる」でいいじゃないか。ゾンビ猫が飛び出してきたら、その時はその時で次の行動を考えればいいんだよ