はてなキーワード: 接続詞とは
あれは天才でなければ正しく理解できない、もしくは著者と同じ思考をしている人間でなければ正しく理解できないのだと思う。
しかし、凡才であっても、あの文章を参考にして天才的思考に近づけるのではないかと考えるのが人情である。
私は、初めてあの文章を読んで以来、何度も読み返し、また著者の当時のブログを読み進めて天才の思考に近づこうと試みている。
しかし、あの文章を読んで変化があったことは、文章を書くときの制約を取っ払ったということだ。
プログラミングと同様、文章を論理的に正確に書こうとすることは、文章量を制約することになる。
書けなくなるのだ。
正しく書こうとすると、書けなくなる。
例えば、この文章を書いているが、これは公開することを念頭に置いて書いている、すると途端に文章が走らなくなる。
失敗を恐れるからだ。
しかし、この文章は公開しないと決めると途端に文章は走り出す。
実際のところ、この文章は走らなくなっている。公開することが念頭にあるからだ。
正しく書こうとしてはいけない。
文章を日頃から書いている人には当たり前のことなのかもしれない。
まずはとりあえず書く。書けないと感じるときほど書く。
しかし、思うのだが、文章を書くときに、しかし、を何度も繰り返し使ってはいけないという文章作法があるが、それはおかしいと思う。
しかし、などという接続詞はある程度、込み入った文章を書こうとすれば、何度も登場させたくなるものである。
しかし、しかしは何度も連投してはいけなくて、しかしを何度も使いたいのであれば、言い換えをして他の接続詞に置き換えて、うまくやらなければいけない。
しかし、それでは本来、文章の内容において頭脳を使うべきであるところを、文章自体を構成することに使用するという本末転倒な現象が起こる。
本来、文章作法などというものはある程度の、読みやすさを担保すればよいだけの話であって、論理が破綻していなければ、厳密にこれはいけない、やってはいけないと制限するべきではないのだ。
そのような制限があるから活動が制約されて、成果も収縮してしまうのだ。
なぜかといえば、制限しないとミスやエラーを起こして、失敗して大事故を起こすからだ。
しかし、同時に私達は大抵のことを制限しなくとも、正しく実行できる。
しかし、アクセルとブレーキを踏み間違えると大変なことが起こるから、私達は運転に集中しなければならない。
大切なのは集中するということだ。
正しくは制限することではないのだ。
アクセルとブレーキを踏み間違えないためには集中することなのだ。
話が脱線した。
ミスを起こさないために、失敗をしたくないために、過剰に制限する。
社会的迷惑行為でなく、自分の範囲で収まることであれば、どんどんとやるべきなのだ。
これは文章を書きたいと思っているのだけれど、書けない人に読んでもらいたい。
別に間違っていても、あとから読んで恥ずかしくなっても、しかし、を何回使っても、別になんだっていいんだ。
こういった考えを公表すれば批判があるかもしれないし、あるいはなんの反応もなくて苦悶するかもしれない。
でも、それでいいのだ。
我々社会は間違いを許容できない。
これは正しい面も多々ある。
しかし、間違いを許容しないことは、制限をすることだし、そのことで何も生み出されない無を生み出していることは留意する必要がある。
ブレインストーミングでは間違いを気にしない、などといいつつ、絶対的に制約があって、正しくブレインストーミングを集団で行うのは至難である。
そのような状況は脱却するべきだ。
間違っている、間違っている、間違っている。
そうだね、間違っているね、だから、どうした?
これはただの愚痴です。
報告書の文章がおかしいから日本語が不自由なタイプの人なんだな、とは思っていたが、言われたことを理解することすらもこんなにもできないとは思わなかった。
同じ言葉を意味もなく繰り返し使ったり、接続詞がめちゃくちゃで文章が破綻していたり、そもそも単語の誤用が多すぎだったりと、文章のおかしさについて気になるところは枚挙に暇がなく、一々指摘する気にもなれない。
こんなんだからその仕事ぶりも全く期待はしていなかったが、文章ではなくデータを扱う資料ですらまともに作れない。
人に見せる資料と分かっていて作っているとは到底思えないレベルの代物で、体裁のズレ、統一感がないことによる不恰好さはもちろんのこと、内容も適当で矛盾だらけ。
これを恥ずかしげもなく寄越してきて、最低限修正が必要と判断した箇所を指摘すれば、なぜダメなのか理解できずに食い下がってくる。
馬鹿なんだな、馬鹿だから仕方ないな、と思っていても指摘を素直に受け入れない上に、指摘した方が間違えているんじゃないかなどと的外れなことを言ってくる始末だからつい腹が立ってしまう。
それでも怒り苛立ちを抑えながら穏便に受け流した俺を、誰か褒めてほしい。
どうせこんなに仕事のできない奴はすぐに辞めるだろうけど、こんな底辺みたいなお馬鹿さんが入社してくるこの会社に所属してしまっている自分にも心底絶望している。
同じだね。
日本語の「したがって」はその前後の因果関係を示す接続詞だけど、日本大好きな人たちによるとそうでない使い方もあるようだ。
問題を矮小化するための根拠として別の瑕疵を持ってきてセメダインCでくっつける、ということを彼らはよくやるけど、いやそれはそれ、これはこれでしょ、っていつも思う。これにもちゃんとした日本語があって、是々非々っていうんだけどね。
ナイキのCMメッセージを称賛している人は、ナイキがウイグル族の強制労働に加担していたことに対して肯定的なわけではない。それは間違ってるが、CMメッセージは真実を含んでいる、という是々非々の評価をしているわけだ。学術会議も同じ。まあ組織の内情が腐敗しとるっつーならそうなのかもしれんし本当なら是正されるべきでしょう。それはそれとして、任命拒否の理由くらい説明しましょうよ、是々非々でね。
ナイキの反差別メッセージをとにかくなかったことにしたい、なるべくくだらないことのように見せたい・思いたい人々がウイグル強制労働だの宮下公園だの(こういう時だけ都合よく)持ち出して「でもナイキの言うことだからな~、だってあいつらってほら(略)」「でも学術会議の言うことだからな~、だってあいつらってほら(略)」
これ常套手段なんですよ。
それじゃダメ🙅
コツをつかんで、ラクに すばやく 確実に!
※英単語などを覚えるのには不向きです
打ち込みでも手書きでもいいですが、文章を紙面やホワイトボード、タブレットなど、のちに直接ペンで描き込めるものに写しましょう。
迅速に描き込みのできない媒体は不向きです。
文章を声に出して読みながら、読み終わった部分の要所要所を黒塗りしていきます。
英文の場合は主要な主語や動詞を簡単なものから、日本語の場合もすでに覚えている部分から、品詞ごとに黒塗りしていきましょう。
一通り読み終わったら、ぽつぽつと黒塗りされたものが出来上がっているはずです。
それを、もう一度読みながら、さらに同様の手法で黒塗りを増やしていきます。
少ない数で、簡単な単語の黒塗りなら、隠されていても意外と読むことができます。
次々と黒塗りを増やしながら何度も何度も読むことで、自然と文章全体を覚えていきます。
これを読むことができれば、もう完璧。
あなたはすべて覚えることができました。
さらにこれがスピーチ原稿だった場合は、紙面から目を離して話す練習に移行しましょう。
覚えたと思っても、原稿が書いてあった紙を見ながら話す方法と、何もない方へ向かって話す方法では難易度のベクトルが違います。
ぜひ使ってね♡
よく発生するお気持ち長文のことね。
はっきり言って文章をわかりやすくするなんて全く難しい技術じゃないんだ。簡単に矯正できるからみんなやれ。
最初と最後で違うことを言うな。伝えたい主張をひとつ決めたらあとはそれに寄与する文だけを書け。主張は曖昧にするな。明言しろ。
自分が知っている情報をみんな知っていると思うな。ふつうの読者が持ちえない情報はちゃんと丁寧に書け。文中で定義していない用語を使うな。状況を説明しろ。それからお気持ちを書け。
主語の省略に頼りすぎるな。明らかにわかる省略ならいいけどちょっとでもわかりにくい部分は主語を書け。特に、直前の文と違う主語になるなら決して省略するな。読み手の脳みそに頼って補完させるな。それか、主語を統一しろ。
お前らって基本的に接続詞を滅多に使わないのよな。接続詞がなければ、読み手は基本的には全部順接だと思って読むだろ。
それなのにお前らの長文は文と文が筋として繋がっていない。流れに乗らず、独立した複数の文が好き勝手に乱舞している感じだ。それも当然のような顔をしてだ。
文意が逆転する時はちゃんと逆説で繋げ。例示なら「たとえば」と書け。余談なら「ところで」とか書け。いやむしろ、はっきり「余談だが」と言え。
なんでこれができないのかわからん。意見には「思う」「考える」とか語尾につければいいだけだ。
それも難しいのなら全ての文に「これは事実だが、」「ここからは意見だが、」と明示したっていい。テンポが悪くなる?それでも元の文章より圧倒的に読みやすくなると思うよ。
自覚していないようだがかなり読みにくい。
まれによくいる。
この辺の主語と述語の混乱がすごい。
この4行それぞれの、主語述語が省略されていない形を自身でイメージできるだろうか?
3行目などは、文の途中で主語が切り替わっている。「名前」「氏名」と書かれているのは何?スペイン語や平仮名で書くのは誰?「良い」とは何が「良い」のか?
日本語は省略が許されてるしいくらでも省略していいと思うけど、完全な形をイメージしてそれから省略したほうがいい。でないと読み手に混乱をきたす。
それに一般的な日本語としてもこれは省略しすぎ。勢いで書いた文を推敲もせずそのまま投稿していないか?
ここもそう。この1行目を見ると特に感じるが、あなたの使う体言止めは、全体的に非常に違和感があって文意もとりにくい。
それは何故かというと省略されていない形が直感的に復元できないからだと思う。
じゃあポルトガル語やペルシア語がわかるかと言うともっとわからない。
この辺は文自体は比較的読みやすいと思うが、全体としての文意が全く取れない。
「母国の言葉も知らない【が】、日本語くらいわかる」(この【が】も相当変だ。前後が逆接になっていない)
つまりこれらを総合すると、「まだマシな子」はまだマシな子同士では日本語でコミュニケーションを取れている、という意味でよいのだろうか?
そうであれば冒頭の「日本語力の限界に達する子」とは違う集団のことを言っているのだろうか?
文中で逆の例を言うことはもちろんありうることだが、この文章でこの位置に反例を出してこられても、シンプルに読者が混乱する以外の効果はないと思う。
めちゃくちゃ問題なのは、核家族かつ両親は移民で、子供が家族内でしかコミュニケーションがとれない。
義務教育はもちろん受けるが、授業が理解できない。簡易な単語は覚えるが、そこまで。
読み書きが壊滅的。
ここが主張したいメインの部分なのだろうか?
この「めちゃくちゃ問題な子」の家庭内でのコミュニケーションは何語によって行われている?
「ポルトガル語やペルシア語がわかるかと言うともっとわからない」のではなかったのだろうか?
このあたり、何か大きな前提が書かれていないように感じてしまう。
そして、今更だが、この辺りでようやく、日系人の日本生まれの子がうまくコミュニケーションをとれないという問題が主題なのかとわかってくる。
タイトルを読んで、本文を数行読んで、「ん?スペイン語??なぜ急に?」ときて、「移民の子」というキーワードが表れて、その上でここまで読んでようやく話の全体像が掴めてくる。
正直、ここまで読まないと全く頭が話に入っていけない。構成を工夫した方がいいと思う。
初めてあなたの文章を読む読み手の、何も入っていない頭の中を想像しながら書き進めたほうがいいと思う。
子供が日本人社会に適応してれば問題ないが、もちろん適応してない。日系人社会でもベトナムフィリピン系の子にブラジル系の子がいじめられてたりする。
冷静に読めばここの文意は取れるが、親切でない。ここまでの文もそうだけど、近接する文どうしで急に話が変わるのは本当に読みにくい。
もちろん、対比したいとき、強調したいとき、逆接したいとき、隣り合う文の内容が変わることはいくらでもある。だがそういう時のために接続詞はあるのだ。
そして二行目。「俺」が突然登場する。
これは一般的な日系人の子の問題について語っている文章なのだと思っていたら、急に体験談が出てくる。
かといって今後またしばらく「俺」は登場しない。この文章を、論説・エッセイ・体験談のいずれの性格を持ったものと思えばいいのか、この後ずっと混乱が続く。
「誰」のこと?文脈から言って日系人ではない日本の子供たちの話?また説明不足のまま話が変わっている。
日本語のできない移民の子は全く違う。子供同士で話すところを見ない。話せないから。
子供は残酷だから、いじめをせずとも仲良くはできない。世話を焼きたがる子ほど、感謝を要求するから尚更よく怒る。
結果して同年代の子は危険な存在以外の何者でもないので、隙あらば大人のところへ行く。
彼らは悲しいほどに察しが良い。興味を引くためのイタズラも行わない。
ここはわかる。文脈が繋がっているし、主語も統一されているし、これまでの主張から裏切られることもないからだ。
~の子と書いてきたが、成人している子も多い。
「~の子」とは?上で書いている「日本語のできない移民の子」を省略して書いたという解釈なのか?
このような略し方は本当に見たことが無いし、めっちゃくちゃわかりにくい。変な表現を使わず普通に書けば良かったのでは?
実は「子」ではないんですよ、という話をしたあとにまた「子」。
そしてまた出てくる「俺」。「俺」とは誰?あなたはどういう立場のどういう人間として何を伝えようとしてこの文章を書いているの?
寡黙で人懐っこく、文書が読めないから法外に安く使える。突然のドロップアウトや、誰も原因の把握できない暴力沙汰は多い。
時間を守れない子が圧倒的多数。マジで時計が理解できない子も多かろうが、恐らくうつかそれに近いんじゃないか。
内科や外科の存在は知ってても(たぶん読めないが)メンタルという単語も知らない。
増田たちの感覚では日本人とは感じないだろうが、国籍はあり住む意思があり日本を祖国だと思ってる。
幼い子は突然ふさぎこむ事がある。何かあったのは容易にわかるが、決して言わない。隠す事もできないが話すこともできない。
そして加害者にもよくなる。
ここはまだわかる。
「加害者にもよくなる。」は日本語の文として若干の怪しさを感じるけれど、まあわかる。
「くれた」の使い方が変。誰かの前に飛び出すのなら、かばう対象は「誰か」なのだろうけど、「くれた」は普通、自分か自分の身内がかばわれることに対して使うと思う。
そしてまた主語が行方不明。「かばってくれた事なんてない」のは誰?
直前にある文章は「加害者にもよくなる」だから、これが繋がっていると考える?
それともそのもうちょっと前に出てくる「増田」がずっと隠れ主語として残っているのだろうか?
うーん、どうとっても不自然だなあ。
香川県ゲーム規制条例「パブコメ」…LINEのチームが分析、シンポで発表へ 弁護士ドットコム https://www.bengo4.com/c_1017/n_11363/
これは、コンピューターに関して「一応使える」だけの素人が、なにも勉強しないで稚拙な「民主主義に反するチート行為」をやった例だけれど、これを例えば興信所みたいな半汚れに依頼して工作した場合にはどんな感じになるだろうか?
俺自身も「多少はPCを使えるしちょっとくらいの知識もある」程度の素人なのだが、思いつくこととしては
さて、後半やるか…。なんかもう嫌になってきちゃうな。ここから先、自閉症はおろか発達障害さえ出てこない代わりに、「男らしさ」がマジックワードとしてメキメキ頭角を現してきます。「男らしさ」の指標は論文によって様々であり、その点にrei氏は意識的かどうかは怪しいところですが、少なくとも段落ごとに「男らしさ」の内容が変転していきます。では読みましょう。
知らんがな。次。
テストステロン値の高い男性は顔の横幅が広くなる傾向にあり、テストステロン値の低い男性は顔の横幅が狭くなる傾向にある。そしてチー牛の元となったイラストの男性も面長であるが、先進国の女性全般に「面長の男性らしくない男性を嫌い、横幅の広い男性らしい男性を好む」傾向が確認されている。例えば、米国で若い男女を対象としてスピードデート研究を行ったところ、男性の顔つきの男らしさが短期的な関係に対する女性の関心の差異の34%を説明していることが示された。
https://ink.library.smu.edu.sg/cgi/viewcontent.cgi?article=2727&context=soss_research (論文d)
スピードデートっていうのはいわゆる婚活パーティ。この論文dでは、顔つきの男らしさを、テストステロンに影響されると考えられている顔の縦横比で表しているみたいです。多分婚活パーティでの女性の反応と男性の顔の縦横比の関係を調べたんでしょう。で、rei氏は"先進国の女性全般に「面長の男性らしくない男性を嫌い、横幅の広い男性らしい男性を好む」傾向が確認されている。”と書いてますが、この主張の出典はどこですか?論文dの先行研究に触れてる部分にもDiscussionにも、国の発展度合いは女性の嗜好と関連性がある、といった記述は見受けられません。関連性が本当はあるのだとしても、米国内の研究だけを例に挙げて、"先進国の女性全般に"と言い切るのは流石に通らないです。もっとも、顔の縦の長さや横の長さが女性にとってなんらかの関心を引く要素の一つであることは間違いなさそうです。これはさすがに誰か気づいて指摘してるだろうと思うんですけど、この論文dを出したのは米国の大学ではなくてシンガポールの大学なんですよね。ざっと見た感じ、アメリカで行われたともアメリカ人を対象にしたとも書かれてません。次の段落に移ります。
論文eの題は"Dominant looking male teenagers copulate earlier.”、和訳すると支配的な見た目の10代の男子はより早く性交する、ですね。このリンクをクリックしてもらうとわかるんですけど、Abstract(要約)しか書いてません。本文はどこでしょうか?試しにCitation(引用)って書いてる下のあたりのリンクを踏んでみましょうか。でもやっぱりAbstractしかありません。実は、論文ってタダで読める訳じゃないんです。検索して出てきた論文を読みたいと思っても、お金を払って電子ジャーナルや学術誌を購読しないと読めないことが多々あります。大学生や研究者の場合、基本的に大学が代わりに費用を負担しているので割り当てられたメールアドレスを使えば無料で読めます。私も大学のアカウントでサインインして読みました。大学生や研究者でなくても大学図書館に行ってコピーすれば印刷代はかかりますが、可能でしょう。しかしこのご時世、ほとんどの大学図書館は解放されていませんでした。以上を踏まえると、rei氏は電子ジャーナルを個人購読していると考えられます。なんと素晴らしい心がけ!一般企業勤務年収700万の会社員であるrei氏が支払う購読料で出版不況に喘ぐ学術誌業界はきっと大助かりのことでしょう。みなさんにこの感動を伝えたいあまり、すっかり前置きが長くなってしまいました。では論文eの内容を概説します。
アメリカの7thGrade、8thGradeの男の子、日本で言えば中一中二の男子に対して、男子の性行為経験の有無、身体の男性的成熟度、リーダーっぽい支配的印象の程度、イケメンな印象の程度の四要素間の相関を統計的処理にかけて調べました。その結果、身体の男性的成熟が進んでいて、支配的な印象を与える、イケメンな男子ほど性的活動が活発な傾向があると判明したそうです。
論文eは捉えがたい「男らしさ」を多面的に定義づけ、そして「男らしい顔つき」の男子はより早く性交渉する機会があると分析したわけで、なかなか面白いなあと思ったりするんですが、それをrei氏は"顔つきの男らしさは童貞卒業の早さを予測する因子であることが示唆されている”の一行で済ませてるんですよ。まとめ方が雑。情報取りこぼしすぎ。ちなみに論文eによると支配的な顔つきの男子やイケメンな男子は眼鏡をかけていない傾向があったそうですが、この記述から、眼鏡をかけているチー牛顔の男子は性的経験に乏しい、とまで言えるのかどうかは正直よくわからないです。次の段落に移ります。
しかしながら、チー牛顔がここまで忌避されるのは「豊かな先進国だから」という事情もある。たまにインターネットでは「所詮この世は弱肉強食強ければ生き弱ければ死ぬ」みたいな事を言う人間がいるが、この世は弱肉強食ではなく適者生存であり、また社会が豊かで平和だからこそ、そのように言ってられる面がある。人間は戦争や災害時など本当に弱肉強食な環境下では、所謂「群れ」になる。そして野生動物の群れを見れば分かる通り、群れ内では弱肉強食の摂理は働かず、互助や相互監視や役割分担といった形で群れ内は「平和」な形になる。これは考えれば当然の事であり、本当に厳しい環境下において同じ種で争っている場合ではない。要するに個人主義は社会が平和である事を前提とした価値観なのだ。
色々トンチンカンなこと書いてるrei氏のこのnoteで、最も意味不明な箇所がここです。何を言いたいのかマジで把握できなくて、読むだけで一時間くらい費やした。ここまで可読性が低いのはいくつか理由が考えられて、まず接続詞がおかしい。段落頭、「しかしながら」は逆接の接続詞のはずですね。前の二段落でrei氏が言いたかったであろう主張は「女性は男らしい顔を好む」のはず。しかしながら、この段落では突然、「平和な社会状況であることが人々の行動に与える影響」の話が出現します。新規情報です。新キャラです。「しかしながら」の前後で予想を裏切るような意味内容の反転は生じていません。もう一つ指摘するとすれば、対立軸が不明確な言葉遣いである点。「先進国」ときたら「発展途上国」、「弱肉強食」ときたら「共存共栄」、「個人主義」ときたら「全体主義」もしくは利己主義の逆という意味で「利他主義」。こうした対義語にリードされてあっち行ったりこっち行ったりしながら議論を進めていくのが一般的なリズムな訳です。現代文の定石です。ではもう一度読んでみましょう。
……………。何が書いてあるか、何を主張したいかわかりましたか?私にはわかりません。とりあえず”この世は弱肉強食ではなく適者生存"の部分に着目してみましょう。なにやら進化論じみた雰囲気がしますね。弱肉強食と適者生存、進化論については、科学史や哲学史関連の書籍を出版している吉川浩満氏のインタビュー記事がとてもわかりやすかったので、ちょっと長いですが紹介させていただきます。
https://synodos.jp/science/17264
この記事によると、弱肉強食を世界認識モデルに組み込んでしまうのは素人あるあるらしいです。rei氏も度々モテ/非モテ論の文脈に位置付けられる文章を書いていましたね。インタビュー記事は続いて「適者生存」概念の歴史的経緯へとトピックが移ります。吉川氏によると、ダーウィニズムは進化の目的や生物の序列を認めない立場なのだそうです。そして、絶滅を免れて生き残った生物種のことを適した生物、すなわち適者であると定めましょう、というダーウィニズムの考え方を端的に表すスローガンこそが、「適者生存」なのです。生存する者を適者とみなす「適者生存」とは、ダーウィニズムにおける議論の出発点にすぎなかったんですね。これをひっくり返して飲み込んでしまうと、お前は適者でないから生存できないんだ、俺は劣っているから勝負や競争に負けるんだ、となってしまいます。これはよくない、本当によくないですよ。優生思想ど真ん中、ナチスドイツの大虐殺。そんでもってこれがrei氏の手にかかると非モテだから結婚できないんだという同語反復に陥っちゃうわけです。
わかりましたか?rei氏は語の意味をまともに調べることすらせず、雰囲気だけで文章を練り練りしてるんですよ。キリがないんで次行きますね。
それは異性選好においても同様であり、34か国の異性愛女性4483人のサンプルを使用して、社会的、生態学的、経済的変数が女性の顔の男らしさの好みをどのように予測するかをテストするかを調べた研究では、国の健康指数と人間開発指数が高い国でより強くなると報告された。男らしい顔に対する女性の好みは、子孫の生存率が高く、経済状況がより好ましい条件の下でより強いことを示している。
アッ!前段落の最後の部分、"要するに個人主義は社会が平和である事を前提とした価値観なのだ。”の意味がわかりましたよ。社会が危機的状況に陥っているときは生存を目指して仲良く男女協力して生殖に励むけれど、現代の平和で裕福な先進国ニッポンにおいて女性は利己的に振る舞うために男性的魅力に乏しいチー牛顔の人々は選ばれないのだ、ってことですね?世が世なら俺たちには女があてがわれるはずだった、でも時代がそうさせなかった、とrei氏は言いたかったんですね?うぅ、頭がクラクラしてきた……。いや、確かに人間は動物の一種だけどさ、何もそこまで野山の猿やジャングルのゴリラと同一視するのはやりすぎでないか?なんだよ、"男らしさの好みをどのように予測するかをテストするかを調べた研究”って。日本語になってないじゃん……。
https://note.com/hiroko_yayane/n/n7970f9279b51
6/17追記 ↑リンク先が謎の理由で消滅していましたが、新しく書いて頂いたみたいなので貼り直しました。
そして男らしい顔つきの男性は攻撃性、不正行為、自己中心的な衝動性、欺瞞、搾取的行動など「所詮この世は弱肉強食」マインドを持つ傾向があることが示唆されている。要は豊かで自由で安定した先進国になるほど優しい男性はモテなくなる傾向が存在するのだ。
論文gでは、顔の縦横比と攻撃性の関係しか見てません。先進国の話もモテ/非モテの話もしてません。"要は"以下の部分は導けないと思います。
それにnoteのタイトルは「何故、我々は三色チーズ牛丼顔なのか?」でしたが、なぜか結論は「先進国ほど優しい男性はモテなくなる」に着地しているんですね。
話がめちゃくちゃズレていってるんですよ。rei氏もそれに気づいてないんですよ。
でね、ようやく全部読み終わったと思うじゃないですか。まだ喋らせてください、まだあるんですよ。この記事本当にすごくて、本文の下にあるコメント欄を見てみましょう。
https://www.nature.com/articles/s41598-017-09939-y#Sec17 (論文x)
ま〜た何をどう修正したのかよくわからん論文のリンクが貼ってありますね。
私が読んだ時には既に修正されていたんですが、他の方のツイートによると、もともとrei氏は、コルチゾール値が高くなってテストステロン値が低下するから発達障害男性は「男らしくない」顔つきになるという論証の根拠として、結論が真逆の論文を引っ張り出していたみたいです。
https://twitter.com/reefedgeswim/status/1265592680915931136
この論文xは、タイトルの「ASD男児及び女児における顔面形態学的な超男性化傾向と症候学との関連」からわかる通り、一番最初に読んだ論文aの結論「ASD男性の顔は両性具有で男らしくない」とは反対のことが書かれています。時系列的には論文aの方が先で、論文xは後。そしてDiscussionの中で論文aと相反する結果について考察しています。その考察によれば、論文aの実験2の対象として選ばれたのは二十歳前後の男女であるのに対し、論文xの実験対象は三歳から十二歳の児童であることが重要な違いを生んだ可能性があるそうです。思春期の間に男性は血清中のテストステロン値が女性と比べて爆発的に増加します。この思春期におけるテストステロンがなんらかの働きをしたせいで相反する実験結果が出た可能性がある、というわけです。しかし、これまたややこしいことに、成人の顔の形に関して出生前のテストステロンが与える影響の方が出生後のテストステロンが与える影響よりも大きいとする論文もあるそうで、研究者の間でもどちらがどうだと確定的な結論は出ていないっぽい。
文章の誤リンクの件に話を戻しましょうか。可能性の話をしますが、数多くの論文を渉猟しているrei氏のことですから、貼りたい論文と題が似ているのを間違えて貼っちゃったのかもしれませんね。訂正前の論文のタイトルは"Hypermasculinised facial morphology in boys and girls with Autism Spectrum Disorder and its association with symptomatology”で、訂正後の論文は"Enhanced Cortisol Response to Stress in Children in Autism”です。Autismとin、二つも単語が重複してるじゃないですか!論文のタイトルは全体の要旨を簡潔に書き表したものですから、その中の重要な単語が二つも同じであれば、内容が近い論文だったような…と曖昧な記憶が生成されてうっかり取り違えてしまうことがあってもおかしくないでしょう、とでも言うと思ったか?ちゃんと論文読み込んでるやつがこんな凡ミスするわけねえだろ。だいたいさ、何が正しいのか誰もわからない研究のフロントラインで色んな科学者が仮説を立てて検証してディスカッションしてるような事柄の、おそらくこうかもしれない、って部分を、論文だから百パーセント正しいんだとピックアップしてるのありえん不誠実でしょ。今後まだまだ検証の余地があるって書いてあることを揺るぎない事実として取り上げちゃってるってこと、わかりますか?
reiさん、あんまり疑いたくないんですけど、本当に論文読んだんですか?
rei氏の書く文章、noteでもtweetでも、どういう意図なのか全くわからないけど、ほぼ全て漢数字が半角数字に置き換えられてるんですよね。でも恐ろしいことに、このチー牛顔を取り上げたnoteでは、3色チーズ牛丼顔と書いてないんです……。