はてなキーワード: 志向とは
簡単にいうと、統率者はMTGを簡単に破壊するし二度と蘇らせないと思ってる。
統率者はMTGにおいて、100枚のハイランダー(各カードを1枚のみ入れる)というデッキで行う多人数戦フォーマット
基本的に4人で回していくため、対戦時間は1時間を超えることもザラ
しばらく前から公式が積極的にこのフォーマットを推しているんだけど、ぶっちゃけアメリカ人が大好きすぎて既にアメリカではMTG=統率者になっている
日本人は基本的にカードゲームを競技的にとらえているせいか、こういう卓を囲んだカジュアルなフォーマットは好まれてこなかった
あるとき「自分の好きなカードを1枚ずつ使って100枚デッキ作って遊ぼうぜ」って感じでユーザーの中で広まった
競技的にガチでやりあうのではなく、好きなカードを使いたい人がもちよって仲間内でボードゲーム感覚で遊ぶことが前提なので、カジュアルが最大の売り
なぜかアメリカ人はこれが大好きなんだけど、逆にアメリカ人からすればカードゲームでガチで競技するって感覚がおかしいらしい
さて統率者がが何を引き起こしているかというと、モダンやスタンといった競技志向のフォーマットが消滅していること
本家アメリカではそういった競技大会がどんどん潰れているし、そういった需要にこたえる記事や情報源もなくなっている
いまMTGのジャッジってどういう風になるのかも実はわかっていない
特に日本だとカードショップにいってそこにいる人に聞いてみないとわからない
遊戯王のように公式が丁寧にフォローするとか一切ないし、単なるルールに詳しいおじさん程度の扱い
特にアメリカは統率者しかみていないし、統率者は総合ルールも結構無視している場合もあって、ジャッジも必要ないし
そうやってカジュアル路線になっていくかというと、これもちょっと違う
統率者の中でもまた競技的なことをしようって人もでてきているし、そういうフォーマットも人気だ
ようするに非公式フォーマットの中にまた別のフォーマットが生まれているというカオスな状況
既に60枚デッキで2人がガチで対戦するってことをアメリカ人は忘れている
で、なんやかんやあって統率者に発言権のある団体がつい数か月前に禁止カードを発表した
この発表内容がまた厄介で、統率者に必須と言われた高額カードが含まれていたりしてまあ大炎上
結果、殺害予告なんかもでて団体は解散、公式がそれを吸収するという運びとなったわけだ
で公式は今まで非公式ルールだった統率者の管理を担うことになったわけだけど、それに伴って統率者フォーマットで強さの基準を決定する試みをしようとしている
けどそもそも、統率者は制御不能な状態に陥っていて内圧によって崩壊したんだよね
だって統率者って近所の仲間とマックで談笑がてらポテト食べつつやるようなものだからね
ルールがあるようでないのが統率者の最大の良い点
それが「統率者ではこのカードを禁止にします」なんて上から言われることがどんだけおかしいかってことか
もちろん各デッキごとに強さはマチマチだがそういうのすら大きな波に乗せられてよくわからない状態になっていた
自由でカジュアルで競技的ではないって言われても、やっぱり競技もしたいって人がハウスルール2を作って楽しむし、内紛状態なわけだよ
カジュアルなものの中ですらガチ・カジュアル論争が起こるとか笑えない
統率者に肩入れしすぎて、統率者専用カードを大量に作っては意味不明な売り方をしたせいで、競技的なことをしたい人から大いに嫌われた
逆に統率者向けセットがバンバン作られて、カジュアルに好きなカードで対戦するって前提も崩れたし
今回のスタン向けのファウンデーションズだって、スタンでは使えないカードが収録されたジャパンアートばっかりが売れてるし
なんでアニメアートのカードをスタンでも使わせなかったんだと多くの人が思ってるけど、たぶん公式は大して理解していない
何が言いたいかっていうと、MTGの1フォーマットに過ぎなかった統率者がMTG全体をくってしまい、どうあがいても初心者が入ってこれる要素がなくなっている
遊戯王とかは「インフレが凄い」の一言でかたずけられるけど、MTGの統率者は存在自体が不思議な文化と暗黙のルールの上になりたっていて、間違いなく初心者には向かない
ただでさえオッサンしかゲームなのに、さらにオッサンしかやらないタイプのフォーマットしか残らなかったら、若い子には「あんな気持ち悪いカードの何がいいの」っていうんだがね
まあオッサンたちはそれに気づくことはないだろうが
草野球が楽しいのは、プロ野球というガチの競技が面白いから自分達も楽しもうって文化が根底にあるわけで、プロ野球が衰退したら草野球だってやりたがらないわけですよ
普通の人は草野球から野球をさせるんじゃなくて、プロ野球をみせるでしょ?
カードゲームだって、魅力的なプレイや有名選手がいるから流行る背景があるわけで、カジュアルオンリーなゲームはオッサンたちのボードゲーム大会でしかないわけ
いや別にボドゲが悪いわけではないけど、そこに競技的要素は二度と持ち込めないし、初心者は入ってくることもないだろう
日本は世界第2のMTGプレイヤーを誇るけど、たぶん10年以内に全てのプレイヤーは統率者に移行するだろう
だって競技志向が薄れていけば残るのは統率者だけになるんだから
こうなるよ
そこではアメリカで起こった数々の問題が噴出するだろうし、統率者の内部でも変な独自フォーマットが作られて阿鼻叫喚になる
それでも統率者は推されていくだろう
本当に厄介なのは、MTGの売り上げって世界全体でみると結構売れてる方なんだよ
MTGのゲーム性が崩壊しようと大会がゼロになろうとどうでもいいと思うよあの会社
ゲーム内の内紛に誰が関わりたいんだろう
「統率者を楽しく遊んでいる人もいっぱいいますー」って言えるのあと何年だろうね
MTGアリーナも耐用年数が近いから、あと数年で統率者専用のDCGにとってかわられるだろう
もうそうしたら競技TCGなんて誰も思わないし、やってる人の中でも問題が紛糾してしまう
でも全部がMTGの中だけで進行するから、外部の人にはなんか騒いでいるけどある日MTGがサ終したってことになるんじゃないかな?
仲間内はカジュアルに楽しみ、大会などの競技性も同時に確保できたらいいんだろうけどさ
競技性とカジュアルは天秤にかけるものじゃないが、特に競技性を捨てたゲームは日本では生きていけないし、本家アメリカももうやばいだろう
はい、じゃあこれでターンエンド
今どきの音楽教室には大人の初心者向けポピュラーピアノ講座はたくさんあるので、そういうところに行くとよいですよ。
中高年のおじさんおばさんたちに混じってグループレッスンするもよし、月謝は少し上がるけど個人レッスンにするもよし。
課題曲も自由に選ばせてくれるし、ひとりひとりの技量や志向に合わせた教え方をしてくれるはず。
しかしアドリブがしたいならジャズピアノ講座のほうがよいかもです。コードやスケールの理解に応じた教え方をしてくれます(譜面が読めない人でも大丈夫)。
アドリブはまずはブルース・ペンタトニックから教わるはずですが、できるようになればそこまででも十分楽しいはずだしギターなどほかの楽器への応用も十分に利きます。
コードの基礎も、それこそトニック・ドミナント・サブドミナントからきちんと教えてくれるはずです(ジャズはそれ抜きでは成立しませんから)。
どんな調でも即座にアドリブができるようになると、音楽の楽しさはぐっと広がります。よく使われる調なんてたかが知れているので、全部を覚える必要もありませんし。
あと、ギターとピアノの両方でコードやスケールを理解できているのは強みです。
ギターは調が変わっても運指が変わらないのがよいところですが、反面、構成音(ノートとルートとの関係)が直感的にわかりづらいのが弱点です。その点、鍵盤でコードや構成音やスケールがわかっていると〈ギターしかやってこなかった人〉よりもずっと上達が早いしフレーズも幅も広がると思いますよ。
調号が3つ以上ついてる楽譜だと頭処理落ちするけど、あれはスケールを理解すればどうにかなるもんなんだろうか。
というかギター始めて思ったけど、ピアノ教室って全くといっていいほど基礎的な音楽知識を教えてくれなかったな。実際に通ったのは3つくらいしか知らんし、ガチガチのプロ志向とか音大受験対策ならやるのかも分からんけど。
楽譜見てその通りに弾くのを繰り返すばっかりだし、本質的に音ゲーとあんまり変わらない気がする。ミスなくやるのが天井。
演奏者による表現のニュアンスがどうたらとかはあるんだろうけど、ピアノ教室でそこまでやるかって言ったらな。自分、こう弾きたいんスけど。的な提言をした覚えはないし。こう弾けという指示こそあっても。
あとはやれ背筋が悪いだの手はボールを握るようにだの、そんなんばっかりだった気がする。
こう弾いた方が良い演奏に聴こえるでしょう?とか言って、明らかにわざと弾き方を変えた比較のデモンストレートがあったり。思い出したら腹立ってきたな。
ガキ相手と言えど、条件も揃えない比較で正当性を示すのは不誠実ではなかろうか。
技術的な必要性を感じたレクチャーって指の跨ぎ方ぐらいのものだったかもしれない。あと指使いの番号振りか。左右の手を独立させるのは教わってどうこうというより慣れって感じだったし。
ギター教室は通ったことないからしらんけど、まあ自分で始めようってなったらyoutubeで好きな曲のTAB譜漁って、秒で挫折したり、食らいついたりして。
コードフォームの練習とかしてる内に、自分なりの使い方でそれを鳴らしてみたくなったりもしてきて、その使い方を知るためにコードの種類なり運びのセオリーなりを知りたくなって。
それが手癖の即興演奏に繋がって、拙くとも気分を音にする感覚を味わって、それに取り憑かれたり飽きてしまったり。
まあガットギターの教室とかだとピアノ教室と大して変わらんのかな。
楽譜通りの音ゲーばっかりじゃなくて、折角楽器をやるならそういうアドリブがピアノ教室にもあったっていいんじゃんねって思う。
なんだろうな。ピアノならクラシック。クラシックなので保守的。保守的なのでアドリブなど不要。とかそういうアレなのかな。そういうのとは別方向の教室があっても良さそうだけど。
人権がどうのとか、個別の事案については置いといて文字が独り歩きしているような印象がある。
正直、ここ最近ずっと役人って人気じゃない。別に求人がないわけでもないのに。
いや氷河期はもっと、というか公務員くらいしかパンピーの一発逆転ストーリーが無かったのかもしれないけど。
これって安定した職業が良いっていう、安定志向の考えの人間ばかりなわけでしょ。
国を良くしようだとか何だとか思っているわけでもなく、実家が近いというだけの理由で選んだ道。
県政を支える、県民に仕える公僕としての職業に対する何の矜持も持たず
県に対して〇〇という形で貢献したい、地元に恩返しがしたいという意思もない
20年ものんべんだらりとやってりゃあさ、そりゃあサボるよ。にんげんだもの。
それがいきなりトップの方針が変わりゃあ、毎日張り詰めたようになるわな。
県庁職員の方々の立場から見てみれば、知事って結構権限があるだろうから、負荷はかかるだろうけど
それも産みの苦しみじゃあないけどさ、良い機会なんじゃないの。
それとも上に書いた通り、ヤダヤダヤダ、パワハラなんかヤダ。
別に県政がどうなろうが知ったこっちゃない、定年までのんべんだらりと仕事をして
定年後は関係する会社に天下りして70手前くらいまでゆるりと働きたいとでも?
そういう態度が、この20年間普段接している県民に伝わってたんじゃないの?
だからこういうことになってるんじゃないの?
少しでも心当たりがあるのなら、どうか矜持と意思を持って業務に邁進してほしい。
と、ここまで精神論を書いたけど別に、本心でそう思っている必要はないよ。
けれど、公務員以外の人間と接するとき、政治家や県民と接するときにそう振る舞えないのなら
どんどんパワハラされてください。おれは厳しくいく。
それが出来ないのなら、文句言わずに立つ鳥跡を濁さずでさっさと辞めてください。
ちなみに、経営者として個人的には民間企業でパワハラしても能率は上がらないと考えてます。
昔はさ、村一番の秀才を村総出で送り出す的なある種ヒーロー的な地位だったと思うんだよ。
与えられた栄えある地位と、報いるべき・救うべき万の対象と、果たすべき理想があって
だからこそパワハラじみたこと、ブラック的な要素があっても、それに耐えて地域に魂を捧げてきた。
それが当たり前。きついのが、大変なのが当然。
県に仕えて働きすぎてしね。いや言われずともこの身捧げよう。
仕えるべき県民の側が、先に腐ってしまったのかもしれないし。鶏が先か卵が先か。
そのさ、6%ないし3%を無料石の数十連分で運良く引き当てられないと天井9万円(実費で7万くらい?)コースに突入するか掛けた石が無駄になるかの二択を迫られるガチャシステム、もう耐用年数過ぎてると思うんだよね。
そのシステムだと、どんだけ新キャラをコンスタントに実装してても、結局みんなフェスまで溜め込んで同じようなキャラ引くことになるし。非フェスで推しが来たら、ほぼ確で愛のために9万近く取られることになるわけでしょ。異常だよ。
グラブル確かに絵はいいしキャラストも読み応えあるのは分かるんだけど、どう考えても釣り合ってないんだよね。思考が昭和バブリーすぎるというか。
原神以後の中華ガチャゲーみたいにしたほうが絶対いいと思う。具体的にはね…
基礎確率0.6%でまず運頼みでは引けないんだけど、74連から確率が6%ずつあがって大抵みんな80連前後で星5出ます、星5天井は2万くらいです、ただし50%ですり抜けて非ピックアップが出ます、
ただ一度すり抜けたら次の天井では確定でピックアップ(PUは常に1人)です、最大約4万かかりますが平均的には2.2万くらいで引けます、天井まで届かなくても次以降のガチャバナーにカウント引き継がれるのでどんな引き方しても必ず一定間隔で星5やPUは取れますって感じ。
石はログボ配布は1バージョン(6週間)で10連程度だけど新規コンテンツから回収できる分あわせると80連分(実質1天井=2万相当)くらいあって、1verに新規キャラは1~2体。課金は星5の獲得周期を狭めることで実質時短課金みたいなイメージだね。
あえて確率を絞って収束させやすい設計で、原神に関しては2連続/3連続ですり抜けると次が50%/100%ですり抜け阻止する仕組みも入ってて、本当に運による不幸や不公平感を低減しつつガチャ的な楽しさを残す意図が見える。
この仕様のおかげで、運に頼ってる感なく、狙ったキャラは無課金者だろうとほぼ確実に引いていけるんだよ。引けるタイミング(PU確定80連前後)を狙ったキャラの実装時に合わせるだけだから。ガチャが計画性の機能するゲームになってる。むしろ運よく早く引けると計画崩れるっていうね。
ただ、ガチャが優しいのは、ゲーム設計がスタミナ石割り前提の育成リソースきつめになってることも原因で、石も割らずバトルパスも買わずだと本当に追いつかない。
といってもグラブルみたいに素材あつめのために長時間周回が必要なことはない。スタミナさえあれば数分で終わるのは中国の未成年ゲーム規制(1日2時間)のおかげかもね。
あと、グラブルは武器といっしょにキャラがついてくる形だけど、武器ガチャは別になってるんだよね。これが沼で、中には鳴潮みたいに天井=PU武器確定になってる優しいゲームもあるけど
これは基本的に、ネットゲームで言う性能つきアバターガチャみたいなもんなの。キャラに見た目も性能もマッチした武器を持たせたいという欲に負けた人が回すガチャ。
コストはキャラと同等かちょい安くらいだけど、冷静に考えるなら、このガチャは月に万単位課金できる人でないと回さない方がいい(星4武器で間に合わせられる)んだけど、ここの自制心が効かない人は旧式ガチャゲーと大差ない金ドブ具合だね。
とはいえキャラさえ確保すれば追加コンテンツ的なゲーム性要素は9割体験できるようなもんだから、欲を出す段階が細かく分かれてるのはいいことだと思う。
そういう根本的なゲーム作りの違いがあるとしても、真似できる部分はあると思うんだよね。見習うならフェスみたいなのは廃止することになると思うけど、中華ガチャに慣れた人がグラブル等の旧式ガチャゲーに戻れない最大の理由が、ここにあると思うから。
ガチャがしんどい部分をどうにかすれば、コラボとか何かのきっかけで復帰できる人は多いと思う。コンテンツ力はあるからね。
グラブルって全キャラ所持してる人が中村悠一氏ただ一人なんでしょ?それもガチャシステムが誘引してるゲーム設計のせいだと思う。
逆に原神系は、月平均4千円くらいの微課金勢にとっては、全キャラ確保こそがもっともコスパよくゲームをしゃぶりつくせる引き方で、現実的に達成できるんだよ。だから全キャラ確保志向のユーザーは比較的多い。
ゲーム開発者の視点から見ても、せっかく作ったキャラなんだからなるべく多くの人に触れてほしいはずだし、全員がフェスの強キャラ性能を頼りにするよりも、いろんなキャラを確保して遊びの幅を拡げたほうがエンジョイできるゲーム作りにする方が理想的だと思う。
まあ引退ユーザーが偉そうになんか言ったところで何も変わんないけどね。
現実的にガチャ周りを変えられるとしたらグラブル2みたいな新アプリにして引き継ぐ感じになると思うけど、息が長いわりにそういう話聞かないよね。スピンオフは凝ったもの作ってるのに。
サブウェイってさ、ただのサンドイッチ屋だと思ってたけど、実は奥が深いんだよね。
まず、サブウェイって一時期マクドナルドよりも世界に店舗が多かったらしいんだけど、そんな大手が日本だと「え、ここにサブウェイあったんだ?」みたいな、ほぼ隠れ家スタイルで展開してるのが笑える。
しかも、健康志向に優しいってウリで野菜がたっぷり取れるんだけど、いつもレタスを「もうちょっと多めで」って頼むと店員さんの手がピタッと止まる。「ほんとに多め?」って顔で見てくるのもサブウェイあるある。
あとパンも実は店内で焼いてるらしくて、入った瞬間のあの香ばしい香りにテンションが上がるんだよね。
香りでお腹を満たすタイプの人なら、それだけで満足できるかも。
パンもハニーオーツとかセサミとか選べるんだけど、正直言って「どれでもいいから早く食べたい」って思うときもある。
でもサブウェイの本当の醍醐味はカスタマイズの自由度で、トマト多めとかピクルス抜きとか、まるで自分がサンドイッチのプロみたいな気分になれる。
そんな中、最近サブウェイがワタミに買収されて「大丈夫かよ」って思ってる人も多いと思うけど、もしかしたら「和風サンド」とか出てきちゃうかもね。
家事手伝いの愛人契約によって得たお金を投資に回し、毎月の生活を賄えるようになった女性の場合、生活スタイルや心理的影響に基づいて、以下のような性格傾向が見られることがあるかもしれません。
金銭的な自立を得ているため、自分のペースで生活する自由を求め、他者や社会のルールに縛られたくないと感じる場合があります。そのため、自分の意見を優先し、自己中心的な傾向が強まる可能性があります。
投資収入で生活が成り立つことにより、他人や社会と深く関わる必要が少なくなるため、他人に対する共感力や関心が薄くなる可能性があります。特に、競争や努力によって生計を立てている人々に対して無関心になることもあります。
金銭的に安定した環境に長期間いることで、新しい挑戦や変化に対する適応力が低下する可能性があります。自分にとって快適な生活を維持することに重点を置き、変化を避ける傾向が強くなることが考えられます。
自由な生活や特定の義務がない生活スタイルに慣れることで、信頼できる深い人間関係の構築に意欲を感じにくくなる場合があります。自分を守る手段として表面的な関係を築きがちになり、本音で話し合える友人やパートナーを見つけにくくなるかもしれません。
自分の生活や決定を他者に委ねる癖がつき、自己主張や自立した判断力が少ない傾向があります。これは、長期間他者に依存して生活を成り立たせてきた場合に起こりやすいです。
長期間、特定の役割に固定されていると、新しいスキルや適応能力が発達しづらく、生活に変化が訪れた際に対応が難しくなることがあります。このような場合、対人関係や職場環境の変化にも適応しにくい可能性があります。
金銭的支えが当たり前だと感じてしまう場合、他者の労力や犠牲への感謝が薄れることがあります。そのため、周囲の人に対して共感する力が低くなり、自己中心的な行動をとる傾向が生じやすくなります。
「小さな政府」を志向する政治体制が下火になりつつあると考えられる背景には、主に以下のような理由が挙げられます。
気候変動、感染症の拡大、貧富の格差、移民問題など、国境を越えた課題が増加する中で、政府の役割が重要視されるようになっています。これらの課題は、個人や民間企業だけでは解決できないため、政府が積極的に介入し、政策を推進することが求められています。このような背景から、大規模な政府支出や介入が不可欠であるとする意見が強まり、「小さな政府」から「大きな政府」への移行が進んでいます。
市場主導の経済システムによる自由競争は、イノベーションや成長を促す一方で、経済格差を拡大させるリスクが伴います。特にグローバリゼーションの進展により、高スキル層や都市部の住民とそれ以外の層の格差が顕著になり、こうした格差が社会不安を引き起こしています。そのため、所得再分配やセーフティネットの充実が求められ、政府による積極的な支援や規制が必要とされる場面が増えてきました。
2008年のリーマンショックや2020年の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のような危機に対して、政府が財政出動を行うことで経済や社会の安定を図った事例が示すように、非常時において政府の役割が再評価される傾向があります。特にCOVID-19では、政府が積極的に経済支援や医療支援を行う必要があったことから、「小さな政府」では対応できないリスクに対する懸念が浮き彫りになり、政府の規模や役割を拡大する方向が支持されやすくなっています。
IT技術の進展により、インターネット上での個人データの保護や、大手テクノロジー企業による独占などの新たな問題が生じています。このようなデジタル社会での課題に対処するためには、政府が適切な規制や監視体制を設ける必要があり、「小さな政府」ではこうした複雑な問題に対応しきれないとの認識が広がっています。
財政支出が経済成長を促進するとの考え方が再評価される中、公共インフラの整備や教育、医療といった社会資本への投資が重視されています。こうした政策により、経済全体が底上げされると期待されるため、政府による積極的な財政支出が歓迎される傾向にあります。このため「小さな政府」よりも「大きな政府」による経済支援が重要視されています。
これらの理由により、現代の複雑化した社会やグローバル化した経済においては、「小さな政府」の考え方だけでは課題に対処しきれない側面が増えていると言えます。
なんとなく死骸だけ残って薄めて芯のない良識志向で「リベラル」って名乗り出したんだよね
https://anond.hatelabo.jp/20241112185048
cinefuk
・ふしだらへの忌避感
・生協の建付けや自由の理屈より「学生がアダルトなものを割引で買うのはけしからん」の直観を重くとるバランス
・「ふしだらなものを買ったことを堂々と世間に示したことも許しがたい」という秩序意識
・法で許される範囲内にさらに「世間様が許さぬ」 「常識で考えろ」の制約を設定したがる制限志向
・凶悪犯罪が起きれば科学やデータを飛び越えて「忌まわしいもの」の規制を唱えだす信心深さ
リベラルっぽいとこが一個もねえんだが
要するに保守の人が凶悪犯罪をいい機会としてエロ漫画規制を唱え
というなんのねじれもない状況に見える
増田のつける札が間違って逆になってるだけで
伴侶も友人も欲しい(要らない)は分かるが伴侶は欲しいが友人は要らないって志向はよく分らんので、元増田がその説を尤もらしいと思ったのならどういう嗜好信条を持ってるのか語ってもらいたいところ
たぶんカジュアル路線と競技路線の認識の違いではと思う。あちらが競技志向で、遊戯王勢はカジュアル路線を楽しんでいるって感じだろうか。
動画を見ても一方的にカード並べて忙しくて自分のことしか見ようとしないゲームだって感じるし、なんかグチャグチャを楽しむものであんまり競技には向かないよね。
「なんで日本でサブウェイが衰退したのか?」元サブウェイ店員が考えてみた
https://anond.hatelabo.jp/20241025213109
↑
以前この記事を書いた者ですが、フードコンサルタントの方も悲観的な意見だね。
かくしてサブウェイを手に入れたワタミ。はたして《勝機》はあるのだろうか。
現状、サブウェイが扱う「サンドイッチ」そのものには追い風が吹いている。市場規模(2023年)こそ123億円と、ハンバーガー(9811億円)やチキン(1776億円)には劣るが、それでも健康志向を背景に、2028年には155億円まで拡大する見込みとなっている。
だがそれでも「ワタミのサブウェイ」が成功する確率はきわめて低いと、永田氏は指摘する。原因はサントリー時代から変わらない、「日本人にさっぱり流行らない」サブウェイのシステムそのものだ。
「メニューから好きなサンドイッチを決め、パンを選び、トッピングを追加し、さらに好みの野菜、ドレッシング・ソースをチョイスする。この一連のオーダーシステムが日本人に合わないことはもはや説明不要でしょう。
日本の外食産業では、ある程度『メニューの大枠』が決まっていることが成功の要因の一つとされています。優柔不断で選ぶのが苦手な日本人にとって、メニューを絞ってあげるほうが性に合うのです。
また、サブウェイが欧米を中心に根強い人気を誇っている理由は、美味しさ以上に、オーダーシステムを通じて《店員とやり取りできる》ことに楽しさを感じているから。この楽しさは、知らない人との気軽な会話を避けがちな日本人には、やはり感じづらいのです」
ただし、以下の意見には反対。
「私個人としては、サブウェイにもまだ日本展開を拡大するポテンシャルは大いにあると考えています。そのカギを握るのは、やはり『DX化』ではないでしょうか。ワタミが実現できるかを別にすれば、タッチパネル式のセルフオーダーシステムやスマホのモバイルオーダーなど、これらを上手く活用すれば、道は拓けるかもしれません。
https://rocketnews24.com/2024/03/11/2185034/
お客様とのやり取りは、これで簡略化できるけど、実際にサブウェイ店員をしていた私の感覚としては、そんなに変わらないと思う。
以下の記事でも書いてるけど、サブウェイのカスタムパターンは異常。
・具:照り焼きチキン、ローストチキン、BLT、ローストビーフ
・トッピング:チーズ、クリームチーズ、マスカロポーネチーズ、ベーコン、ツナ、アボカド、たまご、ハム
・野菜:レタス(時々キャベツもミックス)、トマト、ピーマン、オニオン、オリーブ、ピクルス、ホットペッパー
・ソース:オイル&ビネガー、シーザードレッシング、野菜クリーミードレッシング、わさび醤油ソース、バジルソース、マヨネーズ、チリソース
・ドリンク:アイスコーヒー、ペプシ、ペプシゼロ、メロンソーダ、アイスココア、アイスティー、ジンジャエール、ホットコーヒー、ホットココア、ホットカフェラテ、ホットミルクティー
これだけのパターンを考慮して正確にサンドイッチを作り、レジに注文を通さないといけない。
このままの仕組みで、セルフオーダーだけ入れても混乱を生むだけかもね。
もはやサブウェイではないかもしれないけど、カスタムパターンを減らして脳死で完了する簡略化したシステムが必要だと私は思うな。
もうパン屋さんのサンドイッチみたいに、玉ねぎとかオリーブが嫌いな奴は自分で抜いて食えよ。
甲子園行く行かない騒動の時からTV中継見たりニュースで追っかけてる程度なんだけど、まあ残念だよね。彼がメジャー志向なのは分かってはいたけど期待された分だけの活躍をしないまま行ってしまうのかと。彼がスーパーエースになると期待したから応援してたのに。活躍する姿を見せずにあっち行っちゃうのか。ヤマモロくらいピシッと決める姿が見たかったよね。
日本のプロ野球がメジャーの二軍になっちゃってる現状も、それに抗うだけの札束を用意できない懐事情も悲しい。ローキはその象徴的な存在になっちまった。
野球が好きならスターが国外に流出するのは当たり前にさみしいよ。好きだから(まあ自分はローキのファンと言うよりプロ野球全体のゆるいファンなのだが)振られた気分なのは事実だよ。金髪グラマーの美女に持ってかれたなあ。
韓国になに言われても「その通りでございす」と這いつくばって媚びてた日本のオールド"良識派"は韓国の傲慢と嗜虐心を育てただけだった
おかしいことにはきっぱり拒絶して殴られたら殴り返すぞという日本になったら韓国の頭おかしい面は大分ましになって、いまの日韓の若者の方がよほどまともな関係になってる
これは男女関係にも同じことが言えると思う
かつて「女は男全体のことをうっすら嫌い」と放言する女は
自分が嫌い返される覚悟や実感がまるでないから苛立ちと嗜虐心が加速する一方だった
いまの女全体のことがうっすら嫌い
ということは次の世代くらいにはまともで対等な男女が見られると思う